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2011年5月 1日 (日)

星野芳郎著『技術革新 第二版』(1975年)の原発論

 「原子炉の事故にとって、最も恐ろしいことは、何かの理由で、この一次冷却水が流れなくなったらどうなるか、ということである。そうすれば、被覆材は、たちまちにして高熱のために溶けてしまい、大量の放射能は、外部に放出されるであろう。」。日本の高度成長期に、技術史、技術論を多くの著書で展開した星野芳郎氏が1975年に岩波新書で出版した『技術革新 第二版』を読み返したら、そんな文章に出会った。

 第Ⅱ章「大災害の可能性のある技術の展開」で、新幹線、石油化学コンビナートおよび原子力発電所の3つの危険について述べている中でのことだ。そして、第Ⅲ章「二○世紀最後の四半世紀の「危機」」の中では、エネルギー問題に焦点を当て、「原子力発電の技術的経済的破綻」という小見出しで論じている。

 「被害が局部にとどまらず、100キロないしはそれ以上の遠方に及び、しかも人体や生物や土地に対する被害が数十年もつづくという可能性をはらむ技術がある。それが原子力発電所の場合である。」(第Ⅱ章)

 ウェスチングハウスやジェネラル・エレクトリックといった「原子力企業は、発電所を思いきって大型化して、原子炉やボイラ、蒸気タービン、発電機などの出力当りのコストを下げ、また炉心を最大限コンパクトに設計して、出力当りの製作費のコストを下げ、それによって経済性を宣伝したのである。しかし、このことによって、原子力発電所が大事故をひきおこす可能性は大きくなった。」(同)

 「原子力発電所に対しては、火力発電所や石油化学コンビナートにくらべれば、はるかに手厚い安全装置をほどこされており、安全の規制もまたずっときびしい。だが、それにもかかわらず、その内包する巨大な危険にくらべれば、いかなる安全装置もけっして満足なものではない。それに、安全が保証されるか否かは、けっきょくは、人間が安全のための設計基準や工作基準、施工基準、運用基準などを守りうるか否かにかかっており、‥‥」(同)

 「原子力発電の経済性とは、(中略)炉心の放射能がいっきょに大量に外部に放出されることはありえないという前提のもとに、計算されたものにすぎない。」、「企業の利益ではなく、人間の生命を基準において考えるならば、綱渡りのようなきわどい技術でささえられている今日の原子力発電は、どこから見ても未完成の技術と断じてよいのである。」(第Ⅱ章)

 一般の機械や装置にはトラブルや事故がよく起きる。「労働者が日常業務のように処理して、一つ一つ解決してしまうことができる。しかし、原子力発電所では、そうは行かないのである。」、「部品交換や修理であっても、プラントは放射能で汚染されているのであるから、(中略)作業は容易ではない。」、「すべては放射能にまつわる困難であり、この困難の排除は、原子炉で核反応を行なわせる技術よりも、はるかにむずかしい。」(第Ⅲ章)

 なぜ、原発が世界に広がったのかなど歴史的な背景などについても、同書は詳しく論じている。出版後、36年も経っているが、読む価値が十分ある。

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