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2011年5月18日 (水)

いまになって原発は危ないという本が売れる

 東京駅近くの大きな書店に入ったら、一番目につくところに、いかに原発が危険かを説いた本がいくつも山積みになっていた。いま、最も売れ筋らしい。緊急出版というわけだが、かつて出版した本を、あとがきなど一部を書き換えて改訂版として出版したものもある。

 日本に原発をつくるのは危険だと警告した書物は過去に何冊も世に出た。しかし、どの本も大して売れなかったし、読まれなかった。原発批判はメディアでも少なかった。そのわけは、原子力の平和利用ということで、米英仏など先進諸国が積極的に原子力発電をとりいれ、日本もそれに追随したにすぎなかったからだろう。

 第二次世界大戦後、日本は高度経済成長をとげたが、基本的には先進工業国へのキャッチアップだった。原発も同様。輸入から国産へとシフトした。そして、たくさんの原発を設置した日本の電力会社では、故障や事故がほとんどなく、一時期、稼働率が欧米よりも高かった。それで、電力会社は技術レベルが欧米より上だと自慢したこともある。そんなおごりが原発のリスクをとことん突き詰めるのを怠る要因の一つになったのだろう。石油依存からの脱却という大義名分もあり、日本の国民も原発推進にほとんど不安を抱かなかった。

 過疎地に原発を設置し、その地域に莫大なカネが落ちるという仕組みも、原発への抵抗感をなくした。原発は地域振興の役割を担ったとも言える。そこでは、原発が安全であることは当然であり、電力会社のほうも、既設原発の運転や新規原発の建設を容易にするため、なるべくリスクの存在に目を向けないようにしていた。

 ところで、電力会社の原発推進は国策そのもの。エネルギー政策、環境政策、安全保障政策などと密接不可分である。また、経済産業省資源エネルギー庁や内閣府、文部科学省の監督下にあり、公益事業としても政府の規制を受ける。景気政策の一翼も担わされた。したがって、民間企業としての経営の自由度は低い。何かと政府のしばりを受けるし、天下りも当然多い。所管官庁の役人が勝手に飲み食いしたツケを電力業界に回すなどということもごく普通に行なわれていた時期もある。官僚が電力会社の人間をあごで使い、電力会社のほうは官庁を隠れ蓑にしたりしてきた面がある。

 したがって、原子力発電で大きな事故などが起きたとき、電力会社だけが悪者になって責任をすべて背負うというのはおかしい。政府の責任もきわめて大きい。今回の放射能汚染に対する損害賠償においても、政府(原子力安全委員会などを含む)が共同で担うのが妥当だ。民主党政府の賠償案では、政府の責任回避の色合いが濃い。貸し手責任を理由に金融機関に負担を求めるというのも同様。いかにも役人の発想らしい。菅内閣の建前は政治主導(政治家主導?)かもしれないが、政府の責任回避が歴然とした賠償案を決めたのは官主導に乗っかっているのと同じではないか。罪、万死に値する東京電力が政府に抵抗できないからといって、それはひどすぎる。

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