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2011年6月30日 (木)

日本企業の役員報酬は高いのか、低いのか

 日産自動車のカルロス・ゴーン社長は前3月期に受け取った役員報酬が約9億8千万円だったそうだ。日本企業の中では最高額らしい。2位はソニーのハワード・ストリンガー会長兼社長らしい。約8億6千万円である。2人とも外国人トップだ。一方、日本一の大企業、トヨタ自動車の豊田章男社長は1億3千万円余である。

 この違いは何か。ゴーン氏は「日産は世界から人材を集めており、報酬も世界基準で決める」と述べている。それを真に受けると、トヨタなどは日本人だけで経営しているから、日本国内でしか通用しない基準で役員報酬を決めていることになる。

 おもしろいケースは資生堂だ。カーステン・フィッシャー専務は4億4千万円余で、社長や副社長(7千万円余)の何倍もの報酬だ。彼の場合、成果主義を取り込んでいて、他の役員とは異なる報酬体系だ。明治のころのお雇い外国人と似ているような気もする。

 日本板硝子、オリンパスなどもそうだが、外国人が経営トップに就く会社はまだ少数である。だが、増える傾向にある。前3月期から、大企業は1億円以上の役員報酬を受け取った人の名前を開示するように義務付けられたが、ねたみ社会の日本で、沢山の役員報酬をもらうことをどう考えたらいいのだろうか。

 一方、日立製作所は世界中の社員を共通の人事評価体系でとらえ、同じ評価の社員は同じ処遇をするとの方針を決定し、実施に着手した。また、野村証券が欧米のインベストメントバンクを買収し、そこの社員の報酬体系を引き継いで、社員の“流出”を防いだということもあった。そして、同社は、最近、日本国内の日本人社員の報酬体系を2本立てにし、成功報酬中心の給与体系をも選択できるようにした。ゆっくりとだが、日本の企業社会に、欧米流の「できる人にはたくさん払う」という実力主義が広がり始めたのではないか。

 定期昇給という発想がまだ強く残っているように、戦後の日本では年功的な昇進が当たり前だった。したがって、経営トップになった途端に、従来とかけ離れた巨額の報酬を得るということにはならなかった。また、日本人経営者の多くも、それを当り前と思っていた。

 しかし、グローバル化に伴い、世界をまたにかけた経営ができる能力がトップに求められるようになった。日本人幹部の中にふさわしい人がいなければ、望ましい人物をヘッドハントしてくるしかない。日産がゴーン社長に来てもらった裏には、日産のカルチャー(社風)にどっぷりつかった人がトップでは、会社の思い切った改革ができないという事情があった。厳しい国際競争を生き抜くためには、ふさわしい人物を内外から見つけ出すのは当たり前だ。

 野球などの世界では1億円以上を稼ぐ個人はざらにいる。たくさん稼ぐほど、国民は評価する。しかし、企業の経営者の報酬となると、ビッグビジネスであろうと、国民は「高過ぎる」という反応だ。戦後の年功序列が頭にしみ込んでいるからである。一方で、ソフトバンクやファーストリテイリングのような創業者トップが多額の報酬を得ることを当然視する。

 これは、日本人だけで経営するビッグビジネスの多くが「おみこし経営」にすぎないのを経験的に知っているからだろう。そうした企業の経営者はかなり年をとっている。40代の経営トップがざらにいる欧米の大企業に、日本のビッグビジネスが事業革新の面で後れを取るわけだ。

 いま、日本企業はグローバルな展開をする上で、すぐれたリーダーシップを発揮できる経営者を必要としている。それには、内部昇格に限定せず、世界からふさわしい人を見つけ、引っ張ってくるぐらいでないといけない。日本人だけの取締役会、役員選考委員会を改めるところから始めよう。 

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2011年6月29日 (水)

藻谷浩介氏のすぐれた視角

 『デフレの正体』の著者である藻谷浩介氏(日本政策投資銀行地域振興グループ参事役)が28日、日本記者クラブで会見した。全国津々浦々を自らの足で見て回り、地域の専門家として有名な人なので、政府の東日本大震災復興構想会議検討部会の専門委員として重要視されたようだ。

 藻谷氏は結構、早口で、しかもマイクの音がひずんでいたので、聞き取れないこともあったが、啓発される発言がいくつもあった。聞き間違いがあるかもしれないが、それらの一部を私なりの解釈で紹介すると――

・3.11から1ヵ月後までの調査で、津波以外の原因で亡くなった人は96人にすぎない。震度7以上の地域もあったが、地震に対しては相当、免災構造(カラミティプルーフ)ができている。

・市町村によって復興の早い遅いがある。1つには、地方分権で、市町村に任せているからだ。新聞によっては、中央集権のほうが復旧が早いと書いたところがあるが、それは中央集権に戻せということか。

・少子高齢化の日本は人口が減っていく。被災地も同様。復興を考える際、そうしたトレンドをもとに50年、100年先までのヴィジョンをつくり、国土利用のありかたを変えていくべきだ。「近代化以前に沼沢地や山林だったところは100年かけて田園や林野に戻していく」のがいい。

・三陸沿岸では原状の完全回復ではなく、産業と生活の再建をめざすべきだ。「産業施設は平地に、生活施設は高台にコンパクトに再建」を。ただし、高台の土地は地主から借りて、一定年限後、例えば10年後に返すようにするのがいい。

・いずれ来る首都圏直下型地震や関東ー東海ー東南海ー南海地震に備え、「東海道のバックアップ交通路整備が急務」と言う。鉄道、幹線道路のいずれにもだ。首都圏から他の大都市圏への機能分散も求めている。

・ルネサスエレクトロニクスの工場が壊れ、サプライチェーンが途切れた。世界的に必要不可欠な製品だというのに、同社は5期連続して赤字だという。それはおかしい。もっと高く売ることができないのか。

・(若者の所得増をはかるには?)これまで給与と企業の売り値とが下がってきている。この傾向を改めるには、売り値を少し上げ、給与を少し上げ、を繰り返していくのがいい。高付加価値製品を売っているのだから。

・原発問題については他に専門家がたくさんいる。私が答えることではない。ただ、まず省エネを求めたい。生産年齢人口が減っていくのだから、戦後やってきた、エネルギー供給を増やすという発想は駄目だ。

・中国は原発も石炭火力も沢山増える。いまや大阪以西は黄砂が日常的だが、今後、長崎あたりは中国の影響で大気汚染がひどくなる。日本国はクリーンエネルギーに転換しても、大気はクリーンにならない。

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2011年6月26日 (日)

日経新聞の1枚の表が物語る復興の難しさ

 政府の復興構想会議は25日、「復興への提言~悲惨のなかの希望~」を菅総理大臣に答申した。26日の各紙朝刊は提言を大きく取り上げていたが、注目したのは、日経の「東日本大震災と阪神大震災の被害額・経済環境の比較」と題した表である。これを読めば、復旧、復興のための財政負担は今回、巨額にのぼるが、それを担う日本の経済力が阪神大震災当時に比べ著しく落ちていること、国の財政がひどく悪化していること、そうした厳粛な事実を思い知らされる。

 表は「発生年月」、「被害額」、「名目GDP」、「国と地方の長期債務残高」、「65歳以上人口」、「社会保障給付費」の6つを並記している。発表された資料には、「復旧・復興のための国費」、「一般会計の公債依存度」、「基礎的財政収支」、「日本国債の格付け」も載っている。それらを見てほしい。

 被害額:    東日本大震災 16.9兆円   阪神大震災  9.6兆円 

 名目GDP:             479兆円            489兆円

 国と地方の長期債務残高:   869兆円             368兆円

 65歳以上人口: 2958万人(全人口の23%)  1759万人(全人口の14%)

 社会保障給付費:       105.5兆円           60.5兆円

 復旧・復興のための国費:14.1~20.0兆円         5.02兆円

 一般会計の公債依存度:    45.8%           22.4%

 基礎的財政収支/GDP:   ー6.5%           ー3.2%

 日本国債の格付け:ムーディーズ   Aa2                             Aaa

                              S&P                 AA-                            AAA

 長期にわたる経済の低迷、デフレを脱するための経済構造改革をほとんど行なわず、高齢化などによる財政需要の増大をもっぱら国債の増発でまかなってきた十数年間のツケがたまりにたまった結果がこのざまだ。政治が東日本大震災の復旧・復興を契機に、日本経済の再生につながる思い切った政策に踏み切れなければ、電力不足などビジネス環境の悪化もあって、日本の企業はどんどん海外へと脱出するだろう。つれて、雇用も縮小しよう。日本の凋落が本格化する。

 提言は必ずしも具体論に立ち入っていない。だが、与党民主党と政府とが提言を受けて、日本再生へと本気で踏み出さねば、救いはない。政局に、選挙に、しか関心のない政治家ばかりだと、何らかの形で国民の怒りが爆発するだろう。歴史はそうした懸念を教えている。

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映画って楽しいが、同時に難しい

 映画は子供のころから好きだった。勧善懲悪の類いの時代劇やアクションものは筋も単純でわかりやすく楽しい。けれども、抽象的な映像表現だと、お手上げ。こちらの理解力のなさがもろに響き、不満足感が残る。年をとり、感覚が鈍ってきているため、鑑賞力が着実に落ちているせいでもある。できれば、そのまま座って、気になったところだけ、もう一回見たいと思っても、映画館は一回ごとに総入れ替えする。

 老人の愚痴めいてきたが、最近、試写会で見た「ツリー・オブ・ライフ」は、宇宙や生命を想像させるような抽象的な映像が長く、「2001年宇宙の旅」を連想した。「2001年宇宙の旅」は何回も見たが、それでも、わかったようなわからないような気持ちになったままだ。「ツリー・オブ・ライフ」は、家族の物語としてみれば、さほど驚くようなものではない。それなのに、カンヌ国際映画祭のパルムドール[最高賞]を受賞したというのは、抽象的な映像の部分が評価されたということか。感性の鈍い私としては、今後繰り返し鑑賞してみないと、作品のすばらしさがわからないということだろうか。

 日韓合作ドキュメンタリー映画「海峡をつなぐ光~玉虫と少女と日韓歴史ロマン~」を見た。3年前だったか、同じ監督によるドキュメンタリー映画「蘇る玉虫厨子」を見て、日本の職人の技に感動した。そして、復刻された玉虫厨子と、現代の職人技を込めた平成の玉虫厨子とを上野の国立科学博物館で見ることができた。今回の映画は、韓国にも、やはり千数百年前に作られた玉虫馬具を近年復刻した職人がいたこと、そして、玉虫で明らかになった日韓のつながりを文化交流の促進に役立てたいという趣旨の作品だ。

 藤枝市に住む方が玉虫を飼育していて、韓国の玉虫馬具の復刻のために玉虫を寄贈した話が印象に残った。前作「蘇る玉虫厨子」のように、韓国の職人技をもっと突っ込んでいけば、映画に深みが出てきたのではないかとも思う。

 ちょっと前に見た「100000年後の安全」は福島原発の危機で、にわかに注目を浴びた映画である。フィンランドのオルキルオト島の地下約500メートルのところに、核廃棄物の貯蔵施設が建設中。その現場を映すとともに、10万年のちまで、未来の人々がそこに近づいて放射能を浴びることがないようにするにはどうしたらよいか、を問う。

 人類が文明を生んでから数千年にしかならない。10万年という途方もなく遠い将来の人類まで拘束するような核廃棄物を生む現代の核利用をどう考えたらいいのか。核廃棄物の処理などは科学技術の進歩でいずれ解決する、との意見もあるが、いまでも福島県では放射能汚染で、住むところから遠くに離れなければならない悲劇が起きている。総論ではすまされない事態もある。

 この映画も、一回見ただけでわかったとは思えなかった。単調なカメラワークのためか、観客としては集中力が途切れることもあった。

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2011年6月22日 (水)

原子力安全委員会の斑目委員長はやめないの?

 22日に原子力安全委員会の原子力安全基準・指針専門部会が開催された。テレビ・ニュースを見ていたら、「想定外」発言で注目を浴びた斑目春樹原子力安全委員長の顔が大きく映ったので、びっくりした。

 東電福島第一原発の損壊で放射能が放出され、いまだに原子炉の冷却・安定化ができない。巨大地震のあとの津波で全電源を喪失したため、肝心の冷却機能が働かなくなったことが原因だ。巨大な津波や全電源の喪失はありえないと判断していた東電に、安全のお墨付きを与えたのが原子力安全委員会である。

 しかし、現実には、巨大地震と大津波が襲った。そして、放射能の放散で、住民は遠くに避難したまま。野菜や茶葉などの食物にも出荷禁止措置がとられ、風評で商品・サービスが売れなくなっている。被害は広がる一方である。したがって、学者・専門家として原子力安全委員会のメンバーだった人たちは恥ずかしくて表も歩けないだろうな、委員長は責任をとって切腹ものだな、などと勝手に想像していた。

 しかし、22日の原子力安全委員会の専門部会では、斑目委員長から「長期間にわたる全電源喪失を考慮する必要はない」との現行規定の削除が提起されたというが、責任だとか、恥だとかは問題にもされなかったようだ。20日の原子力安全委員会のあとの記者会見の記録を読んだが、そこでも、そうした責任についての発言は記者の質問にも、委員長の答弁にもなかった。

 失敗学の畑村洋太郎氏は、刑事責任を問うと、真相を解明できず、失敗を繰り返すことになると述べている。それはその通りだが、福島原発に関して言えば、狭い分野の専門家ばかりで、全体が見えていなかったという反省は絶対に必要だし、それに伴って、まともな判断をする人なら、責任をとるという発想になるのではないか。

 民主党政権、特に菅総理大臣は東電や経産省などを目の敵にしているが、原子力安全委員会のメンバーを総とっかえするぐらいはして当たり前だ。そうしないのがむしろ不自然だし、何かやましいところがあるのではないか、と勘繰りたくもなる。

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2011年6月21日 (火)

ジェラルド・カーティス「永田町に真のリーダーがいないのは危機意識がないから」

 日本の政治にくわしいジェラルド・カーティス・コロンビア大学教授が、JFN系列「ON  THE  WAY  ジャーナル」(6月15日放送)で、日本の政治について語った内容は共感するところが多いものだった。(聞き手は言論NPOの工藤泰志代表)

 カーティス教授は東北の被災地を訪れて、日本の政治に対する考え方が変わったとも語っている。同教授の話で私が共感したところを以下に――

・被災地の人たちは全く希望が持てないという。その希望を持たせることは政府の仕事である。菅さんの問題は、国民に言葉を伝えるためのコミュニケーションが足りないことだ。米ミズーリ州に竜巻が起きたとき、オバマさんはすぐ現地に飛び、「Our government is with you」、政府が一緒に頑張るから、皆さん、希望を持って頑張ろうと言った。日本では、どこにリーダーシップがあるか。地方の政治家、首長にはある。僕が行った南三陸町、南相馬市、大船渡市などの首長たちは本当に現場で闘っているから、何が必要かわかっている。

・東北に行って一番思ったこと、考え方が変わったのは、地方分権のこと。おカネと権限を地方にゆだねれば、いまのシステムよりうまくいく。町長に1億円渡して必要なところに使ってください、ということになると、絶対にうまくいく。

・有権者が何でもかんでも中央政府に求めたり、いろいろな人間関係で、政治家に票を入れる。そういうことで政治家を甘やかしてきた。だから、有権者と政治家の間に緊張感が足りない。国民はもっと厳しく政治家を監視し、政治を変えないといけない。

・危機はリーダーを生む。いま、永田町に真のリーダーがいないのは、危機意識がないからだ。町長とか避難所のリーダーには、素晴らしい人がたくさんいる。地方のそういうリーダーたちが何らかの形で中央に影響を与えるようになる。そのためには、マスコミの役割が非常に大きくなってくる。

・日本のマスコミは政局の話ばかり書かないで、首長たちが考えていること、やろうとしていること、それに対する官僚の抵抗、政権にいる政治家たちの鈍感さを書くべきだ。そうしたら、国民に正しい情報が伝わる。国民は政治家に圧力をかけるようになる。

・民主党政権は1年半~2年近く、大臣、副大臣などを経験して、「on the job training」をやってきた。何年かしたら、その中からすぐれたリーダーが生まれてくるのではないか。

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2011年6月18日 (土)

消費税を段階的に15%へと勧めるIMFスタッフの文書

 最近、IMFのスタッフ・ディスカッション・ノートが公表になった。「日本における消費税の引き上げ:なぜ、いつ、どのように?」である。

 それによると、財政危機の打開策として、GDPの約10%に相当するプライマリーバランスの思い切った改善を行なえば、5年以内に公的債務のGDP比を安定、かつ低下の方向に向けると示唆している。そのためには、消費税をいまの5%から段階的、かつ持続的に、15%まで引き上げる。この消費税引き上げによって、財政正常化の半分をまかなうことができる。残り半分は、社会保障中心に歳出を抑制する改革と、個人所得税の課税ベース拡大でまかなうことができる、という。

 日本は国際的に見ると、消費税率が際立って低い。しかも他の税目を引き上げるのに比べ消費税アップは経済成長の足を引っ張らない。将来にわたる消費税率引き上げの予定表を明らかにすれば、一時的にはインフレ期待を強めるが、消費支出を増やすことにもなる。また、生活基礎物資・サービスへの軽減税率を設けたりせず、消費税率は一律とし、貧困家庭には所得移転するというほうが制度として効率的であるという。

 日本政府は、「税と社会保障の一体改革」において、消費税収をもっぱら社会保障に充てる、という考え方をとっている。これに対し、このディスカッション・ノートは、消費税=社会保障財源とみなすのは、支出効率を改善するインセンティブをなくすとして、原則的に非効率ないし不透明だと問題視している。

 いま、消費税の20%は地方自治体に自動的に配分されている。これについても、ディスカッション・ノートは、中央政府のほうが財政状態が悪いのだから、消費税率を上げたとき、地方自治体に自動的に配分すべきではない、としている。

 日本政府の「税と社会保障の一体改革」は、主に、高齢化で年々増え続ける社会保障関係費をどうやってまかなうかという観点で議論されており、消費税率をいまの5%から10%へ引き上げるという内容である。このため、財政赤字が膨張し続け、財政破綻の危機が迫っているという問題意識は乏しいと言わざるをえない。ディスカッション・ノートとの違いははっきりしている。

 このディスカッション・ノートはIMFの公式見解ではない。研究スタッフの議論をまとめたものだと注記してある。とはいえ、欧米から日本の財政がどう見えるか、が示されているのではなかろうか。

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2011年6月16日 (木)

復興財源は最終的に増税しかない

 民主党、自民党らの超党派で構成する「増税によらない復興財源を求める会」は16日、声明を発表した。衆参議員211名が名前を連ねているという。

 デフレが続いているのに、増税をしたら、日本経済は計り知れない打撃を受ける。したがって、復興国債や埋蔵金を活用すべきだというのが声明の趣旨である。

 大震災の復興財源をどこから得るか。大きな課題である。これまでは、財務省が細かい手練手管を使って財源をひねりだしていたが、相当に無理したやりかただった。したがって、本格的な復興財源を確保しないと、第二次補正予算やその先の復興予算を組むことはできない。

 そのためには、増税するか、復興国債を発行するか、のいずれかだろう。増税だと、消費税の引き上げもあれば、所得税、法人税の引き上げもある。所得税、法人税の引き上げはある程度の反対は予想されるものの、実務的にはそんなに手間がかからないから、来年度から実施可能ではある。だが、消費税は益税の解消が求められるし、食品など生活必需物資は低い税率にとどめるといった要求もあるから、引き上げるにしても、来年度実施は難しい。

 その点、復興国債の発行で財源を確保するのは、国会の合意さえできれば、容易、かつスピーディーである。しかし、一般の赤字国債とは明確に分け、短い期間に償還するようにしなければいけない。それには、時間差はあるものの、何らかの増税措置が伴わざるをえない。さもないと、危機的な財政悪化状態に一段と拍車をかけることになる。

 というわけで、復興国債を発行して復興財源を確保するにしても、財政健全化を踏まえて、税収増による復興国債償還のやりかたを予め決めておく必要がある。復興国債は「増税によらない復興財源」には該当しないのである。

 大震災を経て、多くの国民は被災者の救援のため、おカネや物資を送ったり、ボランティア活動に参加している。また、国の財政が危機的な状況にあることから、かなりの割合の国民は復興財源として増税を受け入れる意向を示している。

 したがって、政府は国民に真正面から向き合って、復興財源としての増税プランを訴えればよい。その際、とりあえずの財源としては復興国債を発行する。増税は1~2年後から実施し、復興国債は5~10年で償還するといったスケジュールが考えられる。増税は、国民の皆が負担するような内容(例えば、個人所得税なら納税額の一律1~2割増しとか、消費税だけなら災害復興に充てるための税率を1%上乗せするとか、組み合わせはいろいろ考えられる)にしたい。

 「求める会」は埋蔵金をも挙げているが、そうそう無駄金が隠れているわけでもないことは民主党が実績でみせてくれた。国会議員は選挙を意識するあまり、増税を逃げてはならない。国家百年とまでは言わないが、日本の将来を考え、財政危機を直視してほしいものである。 

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2011年6月14日 (火)

日本のあいまいな意思決定

 イタリアの国民投票で、脱原発が決まった。スイス、ドイツが先に脱原発を決定しており、福島第一原発の損壊とそれによる放射能汚染が世界の潮流に大きな影響を及ぼしたことは明らかである。

 では、肝心の日本はどうか。福島第一の危機が収束しないなか、菅総理大臣が東海地震発生が予測される浜岡原発の停止を要請し、中部電力がそれを受諾した。そして、政府は、浜岡以外の原発には問題がないという立場をとっており、地元自治体さえ承認すれば、電力会社は運転再開できるという立場だ。

 しかし、福井県、佐賀県など、原発が立地している地元では、運転再開して大丈夫と国が言う根拠などに疑問を抱いている。このため、5月31日のブログ「ドイツ以上に速い? 日本の脱原発」で書いたように、来年に、日本中の原発がすべて停止状態に陥る可能性が少なくない。政府は地元自治体にゲタを預け、地元は国にゲタを預けるという相互の責任回避の結果、世界で脱原発一番乗りが実現するかもしれないのである。

 だが、こうした無責任な政治風土のせいで、非常に重要な原発問題が国民の間できちんと議論されず、結果として脱原発になるとしたら、最悪だ。およそ民主主義国家とは言えない。

 世間には、さまざまな意見がある。日本は地震国なので、原発の損壊がまた起こる懸念がある。原発による放射能汚染の広がりは深刻で、かつ対処が困難である。急激に原発を停止しても、電力供給は十分可能だ、あるいは、これまで過剰に電力を消費していたのを1970年代の経済社会にまで戻すだけで、生活上、問題はない、といった脱原発の意見。他方、電力供給に不安が生ずると、企業の脱日本の動きが増えるし、雇用が減る。また、原発停止に伴うコストの大幅増大で電力料金が高くなり、企業の競争力に響く、など、原発を評価する意見。

 メディアの世論調査の結果には、そうした国民の考え方が反映していると思われるが、これだけ重大な原発をめぐる賛否の議論は、当然、国会などで行なわれるべきだと思う。それなのに、何で国会でそれが争点にならないのか。また、菅総理大臣はにわかに自然エネルギーの拡大に取り組む姿勢をみせている。それは大事なことだが、原発をどうするのか、をそっちのけにしていて無責任きわまる。

 いまある原発をどうするのか。それは年内にも予想される衆議院総選挙において、各政党の掲げるマニフェスト、公約で、明確な主張をしてほしいテーマでもある。いま、すでに政治は機能停止している。解散、総選挙は政治を刷新するチャンスになるかもしれないのである。

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2011年6月11日 (土)

田坂広志氏のリーダーシップ論

 世界銀行の副総裁をつとめた西水美恵子氏の著書『国をつくるという仕事』(2009年4月刊、英治出版)の末尾には、田坂広志氏が「真のリーダーの抱く夢――解説に代えて」を書いている。田坂氏独特の文章スタイルだが、リーダーシップについて述べたもので、なかなか読ませる。勝手な要約をすると――

 「真のリーダーシップは、必ず、人々に対する共感を原点としている」。職場でなら、部下に対する共感、企業でなら、社員に対する共感、国家でなら、国民に対する共感である。「もし、我々に、人々に対する深い共感があるならば、我々は、誰もが、優れたリーダーになっていく可能性がある」。

 リーダーの資質というと、例えば、信念、情熱、勇気、謙譲、寛容、人徳、ビジョン、行動力などがあげられるが、「それらの資質は、そのリーダーが、生来持っていた資質なのか、それとも、リーダーへの道を歩む過程で身につけた資質なのか」。後者である。

 どんな人間も「迷い」や「弱さ」を持っている。では、優れたリーダーは、いかにその「迷い」を捨て、「強さ」を身に付けたのか。その答えは「原体験」である。西水氏が優れたリーダーになりえたのは、貧民街でろくに栄養もとれず死んだ幼女、ナディアへの深い共感が同氏に、「迷い」や「弱さ」を超えて歩み続ける「信念」と「強さ」を与えたのではないか。

 いま目の前に、悲しみ、苦しみ、孤独の中にいる一人の人間がいる。自分はそういう境遇ではないが、この世に生れてくるとき、ほんのわずかの偶然で、そうなっていたかもしれない。とすれば、「いま目の前にいる相手の姿は自分の姿ではないのか。この世界の不条理の中で苦しむ一人の人間の姿は、実は自分の姿ではないのか」。そうした思いを抱くとき、そこに「共感」が生まれる。こうした共感を抱いたとき、「我々は、この世界を変えるための道を、歩み始める」。「それは一人のリーダーが生まれた瞬間」である。「自分自身の人生を自分自身で導き、生きていく」。「その一人のリーダーが生まれた瞬間」でもある。

 そして、その人が歩み出したとき、その後ろ姿を見つめている人々がおり、それらの人々の中からまた一人のリーダーが生まれてくる。そして、すべての人々が自らの人生の主人公になる時代を迎えること、それが真のリーダーが夢見る世界である。

 強力なリーダーシップは、人々の心の中に、かならず、深い依存心を生みだす。だから、その強いリーダーがいなくなると、しばしば、その組織に混乱が生じ、ときには独裁政治や衆愚政治が生じる。人類はその過ちを繰り返してきたのである。――

 西水氏の著書を評価して展開した田坂氏のリーダーシップ論は傾聴に値する。ただ、菅直人総理大臣がしばしば田坂氏を招き、意見を聞いているというのには違和感を覚える。このリーダーシップに関する田坂氏の見解に照らすと、菅総理は真のリーダーとはほど遠いと思えるからである。

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2011年6月 7日 (火)

松浦祥次郎氏が語る福島第一原発事故のあまりの重さ

 元原子力安全委員会委員長の松浦祥次郎氏が5月10日に日本記者クラブで行なった会見の記録を読んだ。率直に見解を述べているので、衝撃的な内容に驚く。彼は読売新聞などの会見にも応じているが、同様である。

 日本記者クラブでの会見では、次のようなことを語っている。

 ――人の暮らしとコミュニティを防護する、それがないと、原子力発電はこれから先、社会に受け入れてもらえなくなるのではないかという危機感を覚えざるをえない。

 ――今後、原発は徹底的に放射性物質を漏らすことがないものにせざるをえない。それがつくれるか、それをどう実証するか、が今後の大きな問題である。

 ――スリーマイル島の事故は今回よりはるかに簡単な事故だった。それでも、もう安全と言えるまで後始末をきちんとやるのに15年かかった。福島原発の場合は数十年かかると覚悟しないといけない。

 ――福島第一原発の5号炉、6号炉、および第二原発は技術的には再開が可能だと思う。しかし、再開には、地元の人々の生活を侵すことがない、コミュニティを壊すことがない、そして、いま壊れかけたコミュニティをどう直せたか、ということが非常に厳しく問われるだろう。それが、再開できるかどうかの答えを出すことになるのではないか。

 ――原子力研究開発機構が開発している高温ガス試験研究炉は、ひとりでに冷却する安全なものである。ただし、出力、密度はうんと小さい。

 読売新聞の4月9日付け「編集委員が迫る」では、松浦氏は「最悪なのは、新たな水素爆発で格納容器が破壊され、放射性物質が大量に流出する」事態だとして、次のように語っている。

 ――そうなると、近くには立ち入れず、他の炉も手が付けられなくなる。こうなると、日本にはもう解決策がないと思う。放射性物質の放出量はチェルノブイリの事故を上回るだろう。そういった事態はなんとしても防がないといけない。

 ところで、福島第一原発は、4つの原子炉を安定化するために、綱渡りのような努力を続けている。6日夜、福島第一原発の吉田所長へのテレビ・インタビューを見て、危機にふさわしいリーダーの風格を感じ、ちょっぴりほっとした。

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2011年6月 3日 (金)

菅総理大臣不信任案をめぐる茶番劇のあほらしさ

 6月になってすぐの菅総理大臣不信任案をめぐる国会の騒動。不信任案が可決されるか、民主党が分裂するのか、野次馬としては興味がありましたが、大山鳴動ねずみ一匹でしたね。小沢、鳩山、菅といった民主党創設に関わった大物(?)は、いずれ劣らぬ変人でかつ欠陥人間。今回もそれらの変人が内輪もめの主役だったり、党分裂回避の仲裁役だったり、下手な田舎芝居をたっぷり見させられました。民主党の天下を明け渡したくないという最後の一線で不信任案を否決できましたが、民主党(議員)および民主党政権に対する国民の視線はいっそうきびしくなりましたね。

 民主党政権の最大の問題は、何をしたい政党なのかがはっきりしていないことです。これは本質的な欠陥です。政党には綱領があるものですが、民主党にはありません。つまり、日本という国をどういう国にしたいか、そのためにどんな政策を実現したいか、という目標、目的がないのです。政権奪取に成功した衆議院選挙に向けて掲げたマニフェストはそうした類いのものだったはずですが、残念ながら、いわゆるバラマキを列挙したものにすぎませんでした。

 したがって、政権の座に就いて当初は、財源をどう確保するかを無視して、公約したバラマキ政策の実現に走り出しました。その結果が、税収を上回るような新たな“借金”です。急速に財政悪化が進みました。さすがに、財源無視の大盤振る舞いを続けにくくなった民主党政権は、マニフェストの一部修正に踏み出さざるを得ませんでした。

 ところが、党内の小沢元代表は、国民に約束したマニフェストを修正することはまかりならんと強く反対してきました。

 マニフェスト以外の党内対立もいろいろあります。例えば、日米安保体制のとらえかたや、基地移転問題、中国漁船衝突事件の扱いや日中関係などをとっても、小沢、鳩山、菅の三氏の意見はかなり違っています。重要な政策テーマについて、民主党内の意見の対立が当たり前なのです。もちろん、どの政党でも、内部に多様な意見がありますが、主要な政策については党内で議論し、一致させます。

 残念ながら、菅首相の発言は、しばしば、政府として、あるいは党として十分に議論して形成されたものではなく、菅氏の思い付き、独断から出たものです。鳩山氏も総理大臣の頃、個人的な思いで米軍基地移転を言い出して地元を困惑させたりしました。小沢氏にしても、同様です。

 民主党結成に貢献した3人がいまもって党の運営に大きな影響力を持っていますが、それは、言い換えれば、党綱領を持たないことと裏腹の関係です。綱領があれば、それに即して政策の議論ができるはずです。しかし、それがないため、主に3人の発言次第で民主党および民主党政権の人々が揺れるのです。

 財政破綻に向かってひた走る日本。財政再建は焦眉の課題です。だけど、民主党の3人の認識は大きく離れています。バラマキの是非一つとっても、民主党としての統一政策はありません。

 菅総理大臣が「震災対策などに一定のメドがついたら辞任する」ということで、民主党は不信任案を否決できました。政局はとりあえず落ち着きました。しかし、それは、震災後の復興や原発事故の収束という政策目標ができて以来、張り切っている菅総理にとってみれば、願ったり叶ったりでしょう。これからも、やたらどなる、思い付き的な発言をする、責任をとらない、などで政治の混乱や停滞を繰り返すのではないでしょうか。

 3人に代わって、民主党の希望の星とみられる国会議員はいないようです。それがまたみっともない党内紛争を繰り返す原因でもあります。世代交代を含めて、明日の民主党をしっかりと担うすぐれた政治家ができるだけ早く出現することを願うばかりです。

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