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2011年7月28日 (木)

三洋電機と中国家電最大手ハイアール

 2005年8月、中国山東省を旅行した。青島を振り出しに、主要な都市や観光地を見て回ったが、そのとき、青島にある家電最大手ハイアールの本社・工場に立ち寄った。本社にある展示館を同社の案内で見て回るとともに、高いところから敷地にある工場群を見ただけだが、いまだに強く印象に残っていることがある。

 1つは、工場の建物群がとほうもなく大きいことだった。日本で随分、家電の工場を見てきたが、あれほど工場の建物がたくさん集まっているのは見たことがない。生産量がケタはずれに多いだろうと容易に想像できた。

 2つには、展示された製品を見たとき、「この品質で、日本より安いのなら、日本のメーカーは負けるだろうな」と思った。洗濯機など白物家電を得意とし、中国ナンバーワンのハイアール社は、すでにその当時、世界の各地に製品を輸出していて、日の出の勢いがうかがえた。技術的には、洗濯機では三洋電機のほうがまだ上だったが‥‥。

 3つには、街中に「ハイアール通り」があったこと。人通りの多い繁華街のストリートを対象に、青島市は企業からお金をとって企業のブランド名をつけていたのである。市場経済の日本の自治体以上に、柔軟な発想をする自治体が中国にはあると驚いた。

 パナソニックは完全子会社である三洋電機の洗濯機・冷蔵庫部門を、このハイアールに売却することになった。日本の企業が米国の家電やエレクトロニクスなどのメーカーに追いつき追い越した歴史を、今度は中国の企業が日本企業を相手に繰り返している。

 思い出すのは、高度成長期の三洋電機に関する取材の断片である。1968年に家電分野を担当し、井植歳男社長に初めて会い、次の井植薫社長にもちょくちょく会った。あのころが同社の絶頂期だった。井植薫社長は「管理職は24時間、会社のことを考えよ」と号令をかけていた。

 だが、当時も、その後も、三洋電機は家電の分野では二流にとどまった。だから、会社の浮き沈みに関わる面で、幹部や役員の苦労も多かった。同族経営の色彩が強く、苦い思いで会社を去った人も少なくない。

 そうはいえ、新エネルギー関連での三洋電機の力は強い。パナソニックが三洋を子会社にしたというのも、その実力に惚れたからに相違ない。創業者の井植歳男氏が考えもしなかった事業分野において、三洋電機の命は行き永らえるわけである。

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