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2011年8月 5日 (金)

寸又峡、接岨峡のある川根本町に行ってきた

 今週、静岡県の大井川に沿ってSLが走る大井鐡鉄道で金谷から千頭に行き、そこからバスで寸又峡を訪れ、そこの温泉宿で一泊。翌日はアプト式機関車が一部区間を走る井川線で接岨峡方面へ。

 接岨峡の手前の奥大井湖上駅で下り、レインボーブリッジを歩いて渡り、猿がいる山中を抜け、南アルプス接岨大吊橋へ。八橋小道を経て接岨峡温泉駅近くまで歩いた。

 かれこれ30年以上前のことだが、友人が寸又峡で心臓発作を起こし、死にかけたことがある。そんな記憶もあって、寸又峡温泉は大きな温泉町だと思い込んでいた。ところが、旅館、民宿などを合わせても20数軒しかない、ひなびたところだった。また、もっと遠くにある接岨峡温泉はわずか4軒にとどまり、昼食をとろうにも、一軒しか店がなかった。

 どちらの温泉町も、南アルプスに入るのだろう、山々の連なり、濃い緑、そして蝉や小鳥の鳴き声、大井川の本流、支流の景観など、自然の素晴らしさを堪能した。寸又峡ではネーチャーガイドに夢の吊り橋方面を案内してもらったが、歩いた道は、かつて営林署が伐採した木材を運ぶために鉄道が敷かれていたという。山の急な斜面には、杉、檜といったかつての植林が成長していたりもした。自然と思ったのが、実は人の手が入っていたというわけだ。

 大井川鐡道はもとは木材などの運搬のために敷設された。千頭から井川までの井川線も、もともと中部電力の井川ダム(発電用、1957年完成)建設の資材運搬のために設けられた。国土交通省が建設した長島ダム(多目的ダム、2002年完成)は井川線の途中にあるが、建設中は資材運搬に井川線を利用したことだろう。いまは、「奥大井の美しい自然」などと言うが、開発という人の手が随分と加わっているおかげで、私たちは容易にこの南アルプスの自然を楽しむことができる。

 接岨峡温泉のあたりは、長島ダムの建設で多くの農地が湖底に沈んだため、80世帯あまりあったのが30世帯あまりに減り、いまでは20数世帯にまで減ったという。大井川上流の一帯は川根本町といい、人口が8千人ちょっと、3千世帯弱。かつての林業が衰退し、いまは川根茶ブランドで知られるお茶の生産が主な産業、それも従事する人の数が徐々に減っている。したがって観光、旅行客に期待がかかっているようだ。

 今度の旅行では、川根本町まちづくり観光協会が中心になって泊り客誘致に猛烈に力を入れており、業者や町民たちもそれを支えているのを実感した。県内で一泊すると、大井川鉄道のフリー切符が半額になる。宿泊費が一定金額以上だと買い物券(川根本町のどこでも使える)をもらえる。ただし、ここがミソであるが、その買い物券を発行した当の宿泊所では使用できないようにしている。また、観光協会の職員がネーチャーガイドを務めている。寸又峡温泉では小さな盆踊りを地元の観光事業協同組合が主催していた。地元経済のため、皆さんが助け合ってがんばっているという印象を受けた。

 また、SLに乗ったが、車窓から見ていると、沿線の茶畑で働いている農家の人の多くは手を振ってくれた。地域の経済に貢献する鉄道・観光事業が大事なことを理解しているせいかなと想像した。

 その昔のSLと違って、大井川鐡道のSLは焚く石炭が無煙に近いため、真っ黒な煙を吐くことはない。客車は窓を開けっ放しで、冷房装置もない。何ともエコである。全体として気持ちのよい旅だった。例年なら、夏休みはお客で一杯だそうだが、駿河湾地震のすぐあとだったせいか、往きも帰りも半分以上、席が空いていた。当方には、それもよかった。 

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