« 2011年11月 | トップページ | 2012年1月 »

2011年12月31日 (土)

明るい話が少なかった2011年

 それぞれにあの日を思い年を越す。(明空)

 今年(2011年)、わが国の明るい話題、出来事といえば、なでしこジャパンの活躍と、橋下徹大阪市市長(前大阪府知事)の活動ぐらいしか思い付かない。後者については異論もあるだろうが、前者に異を唱える人はいまい。概してオトコどもが精彩を欠いていたので、なでしこの元気パワーはこれからの日本を背負うのは女性だということを改めて強く認識させたように感じる。

 橋下氏は地方から政治を改革しようという改革の旗手である。既得権益にあぐらをかく人々を槍玉にあげようとしているため、同氏の足を引っ張る層が少なくないが、国や地方自治体の政治家および役人たちを目覚めさせる風雲児として、今後の活動に期待している。

 年の瀬、野田首相は社会保障と税の一体改革を行なうため、消費税引き上げについて民主党と政府の基本方針をまとめた。党内の反対意見が強いなか、実施時期を遅らせることなどの条件付きで、消費増税案をともかく決めた。政界では増税は選挙にマイナスというのが常識だが、野田首相は国の財政破綻を避けるため、消費増税を含む税制改革になんとか踏み出した。その一点で、野田氏は歴史に名を残すことになろう。

 野田内閣は整備新幹線の延伸、八ツ場ダムの建設再開など、人からコンクリートへの逆戻りなど、相当ふらついていることも確かだ。しかし、マニフェストにもなかった消費税引き上げがいまや国の主要課題になった以上、それに正面から取り組む姿勢は評価できる。国民に、いまの日本が直面している環境や課題をわかりやすく説き、2012年内に、総選挙で信を問うことを望む。

 2011年3月11日の地震、津波そして福島第一原発の事故は、あまりにも悲惨な出来事だった。なかでも原発事故は放射能汚染という、技術で制御ないし始末しがたい災厄を広範囲にばらまいた。そして、エネルギーの多くを原子力発電に依存してきた日本の経済社会は、日々のエネルギー供給を確保しつつ、将来の供給源をどうするかという課題に直面している。

 絆という言葉が示すように、日本社会に新しい局面が開けたことも確かだが、ポスト3.11の日本の歩むべき道を政治はほとんど示していない。このため、経済界は、円高による収益悪化を回避するため、積極的に海外直接投資を行なっている。その影響はボディーブローのように雇用などに響いてこよう。

 かつて英国のブレア首相は就任直後から、とるべき政策として、一にも二にも教育訓練だと言って人材育成を唱えていた。外国からの投資をひきつける重要な要素として、人材育成を考えたのである。現在の日本はそれと同じことが必要な状況にある。

 政界は十年一日のごとく、権力をめぐる争いに明け暮れている。世界もまた同様だが、そうしているうちに日本国は沈没しかねない。人的な要因によるのか、自然災害によるのかわからないが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月29日 (木)

2年余前の民主党が所信表明で言っていたこと

 民主党が政権を握ったのは2009年8月末。当ブログの09年10月27日「美辞麗句を連ねた鳩山首相の所信表明演説」では、民主党政権が官僚依存の政治への決別と、国民生活を優先する行政・経済・社会の確立を主張していると紹介したあと、次の節以降で以下のように指摘した。

 【演説を部分的に取り出せば、すばらしいと讃辞を送りたくなることばかりである。「戦後行政の大掃除」、「国家公務員の天下りや渡りのあっせん‥‥を全面的に禁止」、「硬直化した財政構造を転換」、「国民のいのちと生活を守る政治」、「目指すべきは‥‥新しい共同体のあり方‥‥『誰かが誰かを知っている』という信頼の市民ネットワークを編みなおすこと」、「日本経済を自律的な民需による回復軌道に乗せるとともに、国際的な政策協調にも留意しつつ持続的な成長を確保することは、鳩山内閣の最も重要な課題」、「内需を中心とした安定的な成長を実現することが極めて重要」、「『地域主権』改革を断行」、「地方の自主財源の充実、強化に努めます」、等々。

 ただ、これだけおいしいきれいごとばかりを並べ立てられると、ちょっぴり眉に唾をつけたくなる。少なからず、世の中の裏表を見てきた者としては、どうやって実現するのか、の表明がないと信用できない。金持ちの良家のボンボンが庶民の実態を知らぬがまま、新聞などで社会の矛盾を知って、観念的にこうやれば世の中が良くなる、「無血の平成維新」だと作文した程度のもののような気もしてくる。

 日本の将来がどっちの方向に行くべきか。その理念には賛成する。問題は、総論、各論を合わせた整合的な改革プランを打ち立て、推進するという点が欠けていることだと思う。】

 そして、同ブログは、鳩山演説が市場(マーケット)を軽視ないし無視していること、フリーランチはないことなどを指摘し、最後の1行においてこう書いた。

 【所信表明は甘い蜜に満ち満ちている。それは亡国への道筋になる危険をはらんでいる。】

 いま、野田首相率いる民主党政権は八ツ場ダム建設再開や消費増税などをめぐって党内が対立し、離党者が出ている。選挙前のマニフェストもそうだが、2年余り前の鳩山首相所信表明で掲げた政策もほとんど実現していない。そうした反省に立てば、民主党政権は国会を解散して国民の審判を仰いで当然ではないかと思う。鳩山氏が辞任したあと、総選挙の審判を受けない総理大臣がもう2人目だということも異常な事態である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月25日 (日)

1人あたりで2012年度予算案を見ると

 野田内閣は24日、国の2012年度予算案を決めた。一般会計総額は90兆3339億円。税収は42兆3460億円にとどまり、新規国債発行額44兆2440億円より少ない。基礎年金の国庫負担割合を2分の1にするための財源約2.6兆円を年金交付国債で賄うことにして一般会計からはずしたり、震災復興費を管理する特別会計を設けたりしているので、実質の一般会計規模は96兆円を超える。

 税収よりも国債などの借金のほうが多いという異常な事態は12年度で4年目になる。国の借金残高は12年度末に1000兆円を超える見通しだ。安住財務相は「国債依存の体制はそろそろ限界に来ている」と語ったが、財政の責任者としての認識が甘過ぎる。

 以上、メディアが報道する金額は兆円単位で、庶民にはおよそ理解不能だ。そこで、国民1人あたりとか、働く人々(生産年齢人口)1人あたりで国家予算を計算してみると、次のようになる。

 1年間に、一般会計の歳出は1人あたり約70万円。生産年齢人口1人あたり113万円である。社会保障や地方自治体への交付金などに充てられる。借金の返済・利払いも含まれる。これに対し、所得税や法人税などの納税は生まれたばかりの赤ちゃんなどを含め、国民1人あたり約33万円、生産年齢人口1人あたりだと約53万円である。これでは国の台所は大赤字である。そこで、新たに借金をするが、それが1人あたり約35万円になる。生産年齢人口1人あたりだと約55万円に達する。

 こうした借金は積もり積もっていて、残高は国民1人あたりおよそ800万円である。生産年齢人口1人あたりだと約1250万円ぐらいになる。一見して、返済できそうにない金額だ。このように、日本は、国としては世界でも突出して大きな借金を抱えているのである。そして、いまなお猛烈な勢いで借金を積み重ねつつあるのだ。

 新聞、テレビはどこも、借金依存の来年度予算の問題点をとらえてはいる。だが、歳出削減、歳入増加にまじめに取り組んでいない政府に対し、こういうことをやれ、と具体的な改革案を提示するところまでいっていない。それだと、国民は、借金を少しでも減らすには、野田首相が社会保障と税の一体改革で唱える消費増税を受け入れるしかないと思うだろう。

 日本は財政健全化のため、消費税を西欧主要国並みの20%ぐらいに上げる必要があるかもしれない。しかし、トーゴーサンピンといった税の不公平な徴収を是正するとか、医療の過剰検査・投薬の抑制などや公務員の給与適正化など、歳出削減を徹底的に進めることによって、増税幅を抑えることができる。もっと国民1人ひとりが国の財政・税に関心を持ち、声を上げようではないか。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月22日 (木)

日本の格付け会社が日本国債の格付けを下げた

 格付け投資情報センター(R&I)が21日、日本国債の格付けを1段階(ノッチ)引き下げ、最上位のAAAからAA+(ダブルAプラス)に変更した。すでにスタンダード&プアーズ(S&P)がことし1月27日にAAからAA-に、ムーディーズ・インベスターズ・サービスが8月24日にAa2からAa3に、それぞれ1段階下げているが、日本の格付け会社としては初めて自国のソブリンリスクを反映して引き下げた。R&Iは政府系機関等の15法人も1段階下げた。日本政策金融公庫、住宅金融支援機構などである。

 R&Iは日本ソブリンを引き下げた理由の中で、「現在の規模で国債発行を続けられると想定できるのは向こう数年だろう。財政再建は時間との競争という局面に入ってきている。現在のように低利で大量に国債を発行できる環境が今後も変わらずに続くという想定の下で財政運営を続けていくリスクは非常に大きい」と述べている。

 これに関連して、「2012年度予算は震災からの復興と財政再建という課題に挑む極めて重要な予算になると考え、その動向を注意深く見守ってきた」が、「社会保障費を含めた歳出の徹底的な見直し、民間の経済活動の活性化につながる制度改革、そして財政再建へのコミットメントを高める制度改革など、R&Iが期待していた改革は先送りされる公算が大きい」と指摘している。そして、理由の末尾のところで、「仮に消費増税が先送りされるようなことにでもなれば、格付けには再び下押し圧力がかかってくる可能性がある」と締め括っている。

 上記のように、R&Iは日本の財政再建にかなり厳しい見方をしているが、それを素直に理解すれば、いきなり2段階、格付けを下げても、ちっともおかしくなかったように思う。ちなみに、ムーディーズもS&Pも日本ソブリンに対して上から4番目のレベルの評価をしている。

 R&Iの内部の検討過程では、そうした一挙に2段階下げるべしとの意見は出なかったのだろうか。あるいは、ある程度、時間を置いて、改めて1段階下げるという議論もなかったのだろうか。

 理由の中には「R&Iは政策次第で財政再建は十分可能と判断しており、格付けの方向性は安定的とした」と述べている個所がある。だが、その「政策次第」こそが現代日本政治が最も苦手とするところである。ムーディーズは「今後10年で日本国の債務が抑制、削減されることはない」と言い切っている。

 格付けは、影響力を持たねば、存在意義がない。さりとて、影響が大きければ、政治経済社会からのリアクションも大きい。R&Iの1段階引き下げは、日本の格付け機関ゆえの結論のような気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月19日 (月)

循環型社会を妨げる放射能汚染

 過去十数年間、わが国は廃棄物の再資源化などをはかった結果、廃棄物の処理処分場不足が緩和し、枯渇性の天然資源の再利用などが進んだ。資源生産性を高め、循環型社会へ踏み出した。しかし、福島第一原発による国土の放射能汚染はこの資源循環を妨げるようになっている。

 過去に環境汚染や公害を引き起こしたダイオキシン、PCBなどの有害物質は化学反応とか熱分解などで人畜無害のレベルに始末することが可能である。しかし、放射性物質を分解したり、無害化する技術はない。このため、放射能汚染の防止には、放射性物質を隔離保存するしかない。除染はこっちからあっちに移し、遠ざけるだけのことで、あとは周辺環境への拡散で汚染濃度が薄まるのを待つぐらいしかないのである。

 日本では、1980年代後半から、廃棄物が増える一方なのに、その焼却場や最終処分場がNIMBY(地元民の設置反対)のために確保できず、不法投棄などが相次いだ。そこで、1990年代半ばごろから、廃棄物の再資源化(リサイクル)や資源循環を推進しようと、リサイクル法などの法規制を導入し、企業や自治体のリサイクル、省資源に対する取り組みが盛んになった。その結果、日本は3R(Reduce、Reuse、Recycle)の先進国になった。

 しかし、フクシマの放射性物質による国土の汚染は、資源循環を妨げ、資源生産性を下げる方向に働く。セシウムなどの放射能が高濃度だと、廃棄物であっても焼却場で焼却するわけにはいかないし、焼却灰も基準以上の放射能だと、最終埋め立て処分場に投棄することもできない。始末のしようがない厄介ものを抱えるのである。

 最近、テレビなどでも報道された千葉県柏市はいわゆる放射能汚染のホットスポットであるが、高濃度の放射能汚染焼却灰を受け入れてくれる埋め立て処分場が全国どこにもない。したがって、クリーンセンターに保管するしかなく、所内が一杯になる年明けにはセンターのごみ焼却そのものをストップするしかないという。東北地方で汚染濃度が高く市販できないコメ、果物なども、焼却して放射能が飛散するのを避けるとすれば、とりあえずの保管場所にずっと置いておかざるをえない。

 こうして、日本のあちこちに、放射能で汚染された物の置き場所が設けられていく。福島原発など原発の敷地内でも同様で、汚染水や汚染物質の容器がどんどん溜まっていっている。限られた日本の領土の中で、こうした放射性物質を抱える場所が必要不可欠になっている。このように、資源循環が部分的にせよ、止まりだした。

 フクシマ以前には、例えば、セメント会社が自治体の一般廃棄物焼却灰などをセメントの原燃料として利用していたように、さまざまな産業・企業が自治体や他分野の事業所からプラスチックごみなど廃棄物を受け入れていた。また、自治体内部に埋め立て処分場がなくても、カネを払って遠方の処分場に受け入れてもらってきた。しかし、放射能汚染はそうした資源循環を妨げる。

 日時が経つにつれ、日本の国土の放射能汚染は拡散し、廃棄物の汚染レベルは一般的には低下しよう。しかし、再資源化で放射性物質が濃縮する可能性もある。長期にわたって放射能汚染の影響が残る以上、資源循環型社会は不十分なものとならざるをえない。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月15日 (木)

「オリンパス」の国内大株主はどっちを支持するか

 「オリンパスはこの際、旧経営陣を中心とする病巣をてっ抉し、文字通り人心を一新して再生をめざすべきである」。去る12月6日にオリンパスの第三者委員会(委員長、甲斐中辰夫氏)が提出した報告書は、高山修一社長以下の役員全員の退任を求めたと理解するのが常識だろう。そして、10月14日に当時の菊川清会長以下が取締役会の全会一致で解任したマイケル・ウッドフォード代表取締役・社長執行役員がもとのポストに戻り、会社の再生を図るのだろう。そう思っていた。

 しかし、本来なら、即刻、引責辞任すべき旧経営陣は、来年3~4月に臨時株主総会を開催すると15日発表するとともに、現経営陣に指導、勧告する「経営改革委員会」を設け、3人の委員が就任するということも発表した。旭化成の蛭田史郎前社長らである。

 ウッドフォード氏は高山社長に面会を求めているが、高山氏はそれに応じていない。どうやら、ウッドフォード氏の復帰を認めず、別の人物を代表取締役・社長に就ける意向だとみられる。蛭田氏ら経営改革委員会のメンバーは、そうした高山氏らの意向を受けて、反ウッドフォード路線の経営改革に手を貸すことになる。

 なぜ、高山氏ら現経営陣がウッドフォード氏の復帰を嫌うのか。そのあたりの事情は定かではない。社員がどう受け止めているのかもわからないが、ウッドフォード氏は、ニコニコ動画に出演したときの反応で支持されているという受け止め方をしている。このため、理不尽な理由で解任されたウッドフォード氏の復帰を拒み続けることは、「外国人だからダメ」というおよそグローバル時代に逆行する差別意識が日本企業にまだ強く残っているのではないか、という批判を誘発しかねない。それはまた、他の日本企業に対する外国の見方にも影響しかねない。

 いまのままだと、高山社長らが推す新たな取締役候補と、ウッドフォード氏が推す取締役候補(ウッドフォード氏も含む)とが臨時株主総会で票を争うことになるだろう。そのとき、カギを握るのが金融機関である。ウッドフォード氏が15日の記者会見で、三井住友銀行のトップに会いたいと言っていたのはそのためである。

 2010年9月末現在の同社の株主分布を「会社情報」で見ると、金融が51.1%、投信7.0%、法人10.1%、外国27.2%、個人7.9%である。金融機関がどっち側を支持するかで勝負が決まる。外国の27.2%は多くがウッドフォード氏の側を支持するだろう。国内金融機関の多数が反ウッドフォード氏の立場に立つと、「外国人だからダメ」ということで、対外摩擦を引き起こすおそれもある。

 現に、ウッドフォード氏は15日の会見で、日本企業の間の株式持ち合いは営業上の利益を重視したものであり、オリンパスの飛ばしなどの不正に対して、日本の法人株主のほとんどが批判したりせず、沈黙しているのは問題だと指摘した。また、高山氏たちが自らの支持株主を増やすため、味方をしてくれる大企業に第三者割当増資をしかねない点についても懸念を表明した。経営改革委員会が自己資本充実などといったうわべの理屈にだまされて第三者割当増資を支持したりしたら、アンフェアもきわまれり、ということになる。

 このように、オリンパスの国内大株主がウッドフォード氏側を支持せず、高山氏側を支持するようなことがあれば、それは単にオリンパスだけの問題ではなくなる。日本企業の閉鎖的な仲間内の関係が改めて国際社会において槍玉に上がることになろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月12日 (月)

ダーバン合意では温暖化の勢いは止まらない

 南アのダーバンで開かれていたCOP17(気候変動枠組み条約締約国第17回会議)は2015年までにすべての加盟国が参加する新たな温室効果ガス排出削減の法的枠組みをつくることで合意した。また、排出削減の第1約束期間が2012年末で切れる京都議定書については、2013年以降の第2約束期間、日本、ロシア、カナダは削減義務を負わず、EUなど一部の国が削減義務を負うことになった。

 日本は1年前のCOP16で、すべての主要国が参加し、真に公平かつ実効的な1つの法的拘束力のある国際的枠組みを構築するよう求めた。それが今回の合意で実現に向けて動き出すことになったという評価もできるが、報道された限りでは、日本代表団の存在感は薄かった。京都議定書の削減義務を第2約束期間には負わないというネガティブな方針のせいだったと思うが、すぐれた環境対策技術を持つ日本のポジティブな面をアピールする方法があったのではないか。

 京都議定書ができた1997年と今日とでは、温室効果ガスの主要排出国の顔ぶれはガラリと変わっている。最近では、中国が世界で1番排出量が多い。米国は2番。両国だけで4割を超える。それに続くのがロシア、インドである。以上の4ヵ国だけで世界の排出量の5割を上回っている。日本は5位だが、4%程度である。6位はドイツで3%弱となっている。

 ダーバン合意によれば、すべての参加国が参加する枠組みづくりの交渉を2015年までに終え、2020年以降に発効するという。だが、いまから発効までの10年前後の間に、中国がいまのような高成長を図れば、同国の温室効果ガス排出量は相当に増えるだろう。インドやブラジルなども排出量が顕著な伸びを見せよう。米国が自主的にどの程度、排出削減ないし抑制に乗り出すかも気がかりな点である。

 今回の合意では、こうした大口の排出国の入っていない京都議定書を延長せよとの声が強かったが、これは主要排出国に削減義務を課さない京都議定書の欠陥に目をつぶったアンフェアな主張だったように思える。

 いずれにせよ、主要排出国が自主的にある程度の温暖化対策に取り組むとしても、今後10年前後、国際的な削減義務を負わないというのは、人類の未来に対する大きなマイナスである。すでに温暖化による異常気象や災害などは顕著になっている。温暖化対策の遅れで、人類は今後もっと深刻な打撃をこうむる公算が大である。したがって、NPOなど民間の、国境を超えた活動と連帯で、主要排出国のすべてに対し、環境対策の強化をしきりに促す国際世論を形成していくことが望ましい。

 世界が皆、納得する効果的な削減ルールを設けるのは至難のわざである。だが、どこの国の人であれ、すべて宇宙船「地球号」の乗組員である。自国ないし自分さえよければと考えて温室効果ガス排出削減の努力を怠れば、そのツケは必ず自分たちにも回ってくる。 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年12月10日 (土)

学者のなれあい

 12月10日の朝日新聞「私の視点」に科学ジャーナリスト、元北国新聞論説委員の井上正男氏が書いている。その指摘は正鵠を射ていると思う。

 東北沖ではM9以上の地震は起きないという地震学者の思い込みはなぜ続いたのか。それについて、①東大地震研を頂点とする仲良しクラブ的な学会の体質、②そうした学者や学会に依存して、その研究成果を鵜呑みにして報道しすぎた科学ジャーナリズムの体質、を挙げている。地震予知を地震予測などと混同しているとか、「予知できる」を前提に多額の研究費をもらう学者に引きずられていたなど報道関係者の問題点を指摘している。

 だが、こうした問題点の指摘および反省を、これまで朝日新聞など大手メディアの現役の記者は書いていない。朝日は井上氏の指摘を受けて、なるほどと思い、投稿の掲載で自分たちの反省に代えたのだろうか。もし、そうなら、それは逃げではないかと思う。

 私の経験では、井上氏が指摘するほど明確なものではないが、学者の世界の内々のなれあいや仲良しクラブ的な出来事を見聞きすることがあった。

 某企業関係の財団がすぐれた著書を表彰しているが、その選考委員である著名な学者は、選考結果の発表会で、かつて自分が教授をしていた大学の講師だったか助教授(いまは准教授というが)だったか、受賞内定者とけっこう親密な関係を感じさせる長話をしていた。すぐ傍で聞くともなしに聞いていて、公正な審査で受賞者を決めたのか、が気になった。

 すぐれた社史を表彰するための審査委員になっていたことがある。私を除いて委員すべてが大学の先生だった。予備審査を突破した社史を、委員が議論して合否を決めるのだが、驚いたことに、企業の依頼で当該社史を書いた大学教授の委員も審査の席に出ていた(ほかの委員もどこかの社史を書いていた)。そして、執筆のいきさつなどを話し出した。そこで、私は筆者である教授に退席してもらい、そのうえで審査するよう主張し、受け入れてもらった。審査の結果は×だった。もし、執筆者が審査の席にいたら、問題点を明快に言いにくいため、表彰対象になっていただろう。

 井上氏は科学ジャーナリズムの体質を問題にしていたが、一般論として、取材相手の言うがままに書くのではなく、取材先と適度の緊張関係があることは重要である。検察担当の記者は、ついこの間まで、検察庁の取材を規制され、検察の言うことを鵜呑みにする傾向があった。また、かつての中国特派員や、外報部(外信部)の中国担当者は、中国(政府)を真っ向から批判するのを避ける傾向があった。大陸中国での取材の許可が得られなくなるような記事は書かないようにしていたのである。しかし、このように取材対象に遠慮すればするほど、相手は居丈高になる。井上氏の問題提起はいろいろなことを考えさせる。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月 5日 (月)

林正義東大准教授が「地方公共団体も自ら増税を考えよ」と

 最近、開館した日比谷図書館で『地方財政』の2011年10月号の「論評」が目にとまった。林正義東京大学大学院准教授の「地方財政と社会保険改革」という一文である。なるほどという指摘もあり、参考になった。ここで、それを紹介する。

・日本は政府部門間における課税標準の重複が極めて多く、かつ、全国共通の社会保障制度を持っている。それなのに、政府部門間での一括徴収をほとんど実施していない、世界でも珍しい国である。国税庁、地方公共団体の徴税部門、および日本年金機構という3つの徴税(徴収)部門を統合し、削れるところは削り、増員すべきところは増員して、税務執行体制を大幅に強化すべきである。

・地方税の増税で地方税収が増えると、国からの財政移転は減る。国はその分を地域間格差解消など他の目的に充てることができる。また、現在の地方交付税を前提とすると、地方税の増加分ほど交付税は減らないから、地方公共団体の一般財源も充実する。

・地方は年金以外の社会保障の大部分を担っている。このため、地方税収の充実は即、社会保障制度の充実につながる。この点は、他の先進国と異なる日本の特徴であり、今後の社会保障財源を考える際の重要な視点である。

・すでに地方公共団体は消費(地方消費税)、個人所得(個人住民税)、法人所得(法人住民税および事業税)、土地・家屋・償却資産(固定資産税)という巨大な課税標準(本来の意味での「税源」)を持っている。それに、住民税と固定資産税には制限税率もなく、独自に税率を上げることができる。

 これらの点を指摘したうえで、次のように述べている。「増税は国だけの問題ではない」と。地方政府は社会保障で大きな役割を担っているのだから、真剣に自らの増税を考える必要があると問題提起している。

 地域主権を唱える一方で、国にもっとカネをよこせという傾向が地方自治体にまだまだ強い。林准教授の論評は、単なる論評ではなく、地方への叱咤激励である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月 1日 (木)

現実を見ようともせず、財政危機に対し、あまりに鈍感な民主党

 民主党の厚生労働部門会議は、「社会保障と税の一体改革」で進める年金、医療、介護などの改革について分野ごとの作業チームがまとめた報告を了承した。その内容の要約が新聞に載っている。政府・与党が一体改革大綱をつくるときに、この報告がベースになるのかもしれないが、報告の底流にある、「弱者を助ける」、「社会保障は手厚ければ手厚いほどいい」といった発想はいまの財政危機に対して、あまりにも鈍感すぎるのではないか。

 東日本大震災の被災地の首長によると、支援や補償金をもらった被災者の中には、自分で働こうとせず、日用品まで援助してもらうようになっている人がいる、あるいは好条件の職がないので、失業手当が切れるまでは働かない人が少なくないという。新聞報道によれば、事業を復活しようと努力している事業者が求人しても、応募がほとんどないので、事業再生が困難とのことだ。被災者がかわいそうだから、と援助をしすぎると、怠けてしまう人が少なからず出てくる。援助もやりすぎるのはよくない。

 JR沿線の駅のそばにある大きなゲームセンターは、昼間、店内をのぞくと、毎度のことだが、高年齢の男女が何人も並んでゲーム機とにらめっこしている。よくまあ暇だね、とあきれるほどだ。年寄りはお金があるからだろう。街でゲームセンターの広告入りのティッシュを高齢者にもどんどん配っているわけだ。観光地を訪れる人も元気な高齢者が多い。社会保障制度が前提としている「高齢者は弱者」という決めつけは、暇で元気で、かつ豊かな高齢者が少なくないという実態を映していないように思える。

 そうした現実を踏まえると、以下のような考え方が妥当ではないか。

 社会保障はその重要性を誰もが認識しているが、その財源にはおのずと限度がある。「フリーランチはない」のである。年金、医療、介護、子育てなどのサービスを充実するというなら、それに必要な財源を確保しなくてはならない。その際、企業に出させればいいとか、金持ちに負担させればいい、という意見が必ず出るが、それをやりすぎたら、企業が国際競争に負けるため海外に移ってしまうとか、社会を引っ張っていく優秀な人材がやる気を失い、外国に行ってしまうとか、といったマイナスが生じよう。真の弱者を見極めること、そして、これまでほとんど行なわれていない社会保障支出のムダや歪みを徹底的になくすという取り組みもまた不可欠である。

 いまは高齢化で年々膨らむ社会保障の財政負担を、国債発行という形で将来世代につけ回ししている。政府の国家戦略会議は11月30日の会議で、来年度予算では新規国債の発行は44兆円を上回らないという目標を再確認した(震災で発行する国債は含まない)というが、現在の年間税収に匹敵する“借金”を毎年積み上げて平然としているのは狂気の沙汰としか思えない。一体改革で消費税を5%引き上げても、年に12、3兆円の税収にしかならないのである。

 民主党の厚生労働部門会議は族議員の集団だと思えばいいのかもしれない。しかし、それにしても、上記のような現実を見ようともしないこと、そしてユーロ圏の経済危機を対岸の火事のように思っている認識の甘さには唖然とする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年11月 | トップページ | 2012年1月 »