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2012年1月31日 (火)

談合体質が抜けない日本企業

 1973年のオイルショックを受けて、石油元売り業者は価格カルテルを結んだ。しかし、石油連盟加盟の元売り業者の中で、エッソ・スタンダード石油は公正取引委員会による摘発の対象にならなかった。同社は親会社の米エクソンの方針で、独禁法違反などを起こさないよう、管理職以上に毎年一回、法令に違反する行為をしないとの誓約書をそれ以前から書かせていた。だから、石油連盟の理事会など同業者間の話し合いの場でカルテルの話が出ると、同社の人間は退席していた。

 米国では独占禁止法に違反すると、その人は経済界から実質的に抹殺される。例え、外国にある子会社でも、違反事件があると、親会社の経営者は責任を問われるおそれがある。日本のエッソでも神経質にカルテルに関与しないようにしていたのには、そうした背景があった。

 そんなことを思い出したのは、矢崎総業が米国で価格カルテルを結んでいたとして4億7千万ドルもの罰金を支払うことになったという報道に接したからである。同社の米国法人の社員4人は1年3ヵ月~2年の禁固刑に服するとのこと。同社は日本でも公正取引委員会に約96億円の課徴金を納めるので、合計で460億円近い金額となる。

 米国では、矢崎ほどではないが、デンソー(7千8百万ドル)、古河電気工業(2億ドル)も罰金を支払うことに同意している。グローバルに事業を展開しているデンソーなどでさえ、米国で独占禁止法に違反する行為をしていたのには驚く。

 日本では○○工業会、△△連盟など同業者の団体があり、同業者間でさまざまな問題について話し合うのが当たり前。同時にゴルフ会など懇親の場も設けられる。しかし、同業者間の付き合いは価格カルテルや生産カルテルなどの談合を生む土壌になりがち。日本では同じような商品・サービスを提供する業者の数が多く、過当競争が起きやすいことも談合体質をはぐくむ。

 日本の大企業はそうした談合体質を改める必要があるのに、いまだにちょくちょく摘発される。そうした日本国内のビジネス慣行をそのまま海外に持ち込んだというのが、今回のカルテルの意味である。巨額の罰金を支払うことになったため、矢崎などの経営者は申し訳程度に給与カットをするというが、カルテルが経済犯罪として厳しく糾弾されたという事実をまともに受け止めたら、そんな甘い責任の取り方ではすまされない。日本企業が真にグローバル化するまでの道はほど遠い。

 日本企業では、社員に法令違反をするな、と具体的に教育することはほとんどない。教育しなくても、なんとかビジネスができてしまう。しかし、海外では法令違反したら、厳しい処罰を受けることになりかねない。日本と外国とではビジネス風土が大きく異なっているのである。海外でビジネスを本格展開するつもりなら、そうした基本を社員に叩き込むべきだ。

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将来の日本の人口(推計)

 日本は人口が急速に減っていくと見込まれている。国立社会保障・人口問題研究所が1月30日に発表した将来人口推計によれば、中位推計の場合、日本の人口は2060年には、2010年比32%減の8674万人になる。

 しかし、出生率がもっと低い場合(1.12)の低位推計では、2060年の人口は7997万人と8千万人を切る。

 また、老年人口(65歳以上)と年少人口(14歳以下)を生産年齢人口(15歳~64歳)で割って算出する従属人口指数は、2060年に中位推計では96.3だが、低位推計だと101.4になるという。つまり、支えられる人数のほうが、働き手、つまり支える人数よりわずかだが多くなる。国が縮み、働き手も背負う荷のあまりの重さに耐えきれないという暗い未来を想像してしまう。

 日本は出生率が低くなったまま、長寿命化しているため、少子高齢化のトレンドは変わらない。将来人口推計はそれを数字で示してくれる。これを受けて、社会保障制度の充実がバカの一つ覚えのように唱えられる。しかし、社会保障制度の充実は結構だが、その財源はどこにあるのか、どこから調達するのか。その問題を抜きに本来、社会保障の充実はありえない。

 しかし、日本の社会保障には、あってはならないフリーランチが多過ぎる。既得権益を守ろうとする“守旧派”の抵抗が強いうえに、民主党政権はどちらかといえば、彼らに味方しているからである。

 1月30日の日本経済新聞は「社会保障費 水膨れ放置」 、「公務員年金、会社員の1.2倍」、「国保組合への補助金 生活保護世帯の医療 「聖域」切り込めず」などといった見出しが何本もある特集記事「エコノフォーカス」を載せていた。公務員が民間よりはるかに年金その他で多くの収入を得ているにもかかわらず、それが是正されない。

 また、医師、弁護士、税理士などの高所得者が入る国民健康保険組合には保険給付の原則32%を国庫補助している。入院医療費をタダにしている健康保険組合もあるという。

 また、不正な生活保護受給をきちんとチェックできていないし、生活保護受給者は医療費が無料なので、医療機関が過剰請求や架空請求しても通ってしまう。そのため、それに国が注ぎ込む医療扶助は増える一方。2012年は1兆7千億円前後に達しそうだ。

 これらの歳出のムダを切り捨てることが社会保障充実の“原資”を生み出す。ペイ・アズ・ユー・ゴーである。

 

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2012年1月28日 (土)

福島県知事のリーダーシップ?

 福島県の佐藤雄平知事が政府に対し、同県の18歳以下の住民の医療費を無料にしてほしいと要請していたが、政府は28日、平野達男復興相が佐藤知事と会い、無料化はできないと回答した。これに対し、同知事は県独自で進めていきたいとの方針を表明したという。

 同県はすでに、国が2011年度第2次補正予算で支出した約780億円をもとに健康管理基金を創設している。佐藤知事は、そうした基金などを18歳以下の県民の医療費無料化に充当する考えのようだ。

 しかし、地震・津波や原発事故の被災者は、福島県民の一部である。被災者に限って、医療費をタダにするというのなら、話はわかる。だが、同県民のすべてにまで無料化の対象を広げるというのはカネのばらまきに等しい。

 国は3.11の被災者の生活支援や被災地の復旧・復興のために巨額の補正予算を組んだ。相当な大盤振る舞いである。佐藤知事が健康管理基金を使ってと考えたのも、県の財政が、国から来るカネや寄附金で豊富となり、カネ余り状態になったことを反映しているのではないか。

 福島県に限らないが、被災地の復旧・復興はまだ序の口段階にある。緊急性の高い支援を必要としている住民や事業者を優先して、手を差し伸べるのが県や市町村の役割だろう。

 佐藤知事がバラマキをやろうとしている背景には、民主党政権が財政危機を無視してバラマキ政策をとっていることがある。国がそうなのだから、民主党政権に要求すれば、応じる可能性がある、と同知事は思ったのだろうと想像する。

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2012年1月27日 (金)

日産自動車追浜工場を見学して考えたこと

 電気自動車「LEAF」を生産している日産自動車追浜工場(神奈川県)を見学した。同一ラインでほかの3車種も組み立てる混流生産である。日産の自動車工場を見るのは十数年ぶりだが、いくつか気付いた点を挙げると、まず、組立ラインのスピードが結構速いこと。作業者は足早に移動し、パッパッと決められた作業を行なう。毎日、何時間もそうした単純作業をするのだ。その間、おそらく、作業をこなすことしか頭にないだろう。

 日産の大株主である仏ルノーのライン・スピードは、日本人からみれば「遊んでいるのじゃないか」というほどゆっくりらしい。日本人ほど器用ではないからだという話を聞いたが、フランスの労働者には、単純労働の素早い反復に対する心理的抵抗が強いのではないかとも想像する。

 メード・イン・ジャパンのクルマは品質が良いといわれる。しかし、国際競争の激化により、技術やブランドで優位を保つか、人件費やエネルギーコストなどを抑えないと競争力を失う。追浜工場の自動車生産は、そうした厳しいグローバル競争の最前線にあることを強く感じた。

 3.11のあと、日本の原子力発電所は次々に停止し、まもなく54基すべてがとまる。おそらく、脱原発が世界で初めて実現する国になる。このように、国内の電力供給が細る中で、電気をエネルギー源とする電気自動車が最先端商品として生産され、普及するというのは何とも皮肉である。

 追浜工場で見た組立工程には生産性向上などのためのスローガンが全然なかった。また、TQCなどへの取り組みを伝えるボードも見かけなかった。工場はたくさんの鉄柱、機械、部品(およびそれを入れる箱)などと作業員だけ。無味乾燥と言えなくもない。

 オフラインで、部品棚から組立ラインの各作業者が組み付ける部品だけを1つずつ取り出して箱に入れるのを見た。その作業をするとき、青いランプが点いた棚からだけ部品を取り出すようにしていた。それだと、ほとんど考える必要がないから、間違わないし、早い。そうした生産性を高める工夫が随所にあった。

 それらから想像するに、TQCなど個人の工夫や努力にまつのではなく、それらを機械に体化して間違いをなくし、作業スピードを上げる。工場の人と機械との関係がそっちに変わったのだろう。人の工夫や努力に頼る部分が減って、機械に任せるようになっているということ。したがって海外に生産拠点をシフトしやすい。ただし、製造業の現場で働く人たちの仕事の工夫のし甲斐、やりがいが減っているということである。

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2012年1月25日 (水)

消費税引き上げが国会の主テーマになったが‥‥

 通常国会で野田首相が消費税引き上げを真っ向から提起した。民主党内の意見の対立や野党の反対などもあり、すんなりと消費税引き上げが通るとは思えないが、ここまでこぎつけたことは評価したい。危機的な財政状況を真面目に受け止めたら、まず10%までの引き上げをできるだけ早く実現することが必要だということを国民に訴えた意義は大きいと思う。

 ただ、24日、内閣府が発表した、消費増税で国と地方の基礎的財政収支(プライマリーバランス)がどうなるかの中長期試算によると、2015年度にGDPに対する赤字の割合を10年度の半分(3.2%)に減らすという国際公約が16年度にしか達成できない。そして、20年度までに黒字化するとしていたのが、3.0%の赤字になるという。消費税率をさらに6%上乗せする必要があることを意味する。野田政権が打ち出した消費税引き上げ案では財政健全化を達成することはできないというわけだ。

 野田首相も10%までの引き上げですべて解決するというような発言をしたことはない。でも、日本の財政危機がいかに深刻かをわかりやすく説明し、どういうステップで財政再建を果たすか、できるだけ具体的に国民に説明する必要があった。そのためにも、経済とフクシマとは全く異なるが、福島第一原発の処理に関してと似たような財政再建の工程表を示し、今回、提起した消費税の10%までの引き上げはその一里塚であることを明示すべきだった。

 今回の消費税引き上げ案は社会保障と税の一体改革という装いをしている。その結果、もっぱら、社会保障を充実するための増税ということで国民の賛同を得ようという形になっている。安住財務相の全国行脚なるものも、そうしたロジックで行なわれている。一体改革とはいうものの、小宮山厚生労働相とのペアで各地を回っているわけではない。単なる増税キャンペーンにすぎないわけである。厚労相にしてみれば、社会保障費が年々増えるのは当たり前で、足りない財源を確保するのが財務相の仕事でしょう、という感じだ。

 しかし、巨額の社会保障費には、ものすごく無駄がある。年金や医療などは国民に身近なものだから、いかに無駄が多いかを国民の多くは知っている。また、高齢者や公務員を過度に優遇している差別も知っている。しかし、既得権益を擁護する勢力が強く、厚労省はメスを入れようとしない。

 徴税したり、社会保険料を徴収する側にも、徴収洩れを減らしたり、業務を効率化する余地が相当にある。

 それらをパッケージとして消費税引き上げと一緒に実施することも絶対に必要である。野田首相は以上のような問題点を包括した一体改革を推し進めるべきだろう。消費税引き上げの実現を最優先する財務省の思惑に乗せられては失敗するおそれが多分にある。

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2012年1月22日 (日)

後味が悪いオリンパスのその後

 オリンパスの不祥事は、なんだか釈然としない形で終息をみようとしている。

 同社は巨額の財テク損失を“飛ばし”で隠ぺいし、企業買収などを利用して徐々に処理してきた。その事実を知り、究明を始めたウッドフォード社長は、不正に関わった一人である菊川会長(当時)のイニシアチブで解任された。同氏はそうした措置の非を鳴らし、復帰をめざした。だが、主取引銀行や大株主の多くはウッドフォード氏を支持しなかった。

 株主総会で争うのを好まないからか、対立鮮明化によって株価が下がって損することを恐れたからか、外国人だから社長になっても社内の支持は得られないと考えたからか、よくわからない。ただ、その結果、主取引銀行を含め、同社の国内外の大株主は正義、公正、透明性といった価値観に縁遠いことがはっきりした。

 同社は昨年11月に第三者委員会を設置して、飛ばしなどの実態をおおむね解明した。そして、弁護士など外部の人に依頼して、取締役責任調査委員会および監査役等責任調査委員会を社内に設置して、誰にどんな責任があるかを究明してきた。具体的に、誰がいくら会社に損害を与えたかも算出した。

 それらを受けて、同社(の取締役会)は6人の現取締役と13人の旧取締役に対し、36億1千万円の賠償を求める訴えを起こした。高山社長は自分を相手どって損害賠償を求めるという変な立場にある。これは異常なことだ。取締役責任調査委員会の報告によれば、不正に関わった現・旧経営者は会社に859億円の損害を与えた。しかし、同社は、支払い能力や責任の度合いなどを考慮して36億円ちょっとの請求額に決めたという。高山社長以下、現経営陣は知らぬ存ぜぬではすまない。その連中が自分を相手どっての損害賠償請求額を自分たちで決めるようなものだから、請求額が適正なものとは限らない。

 同社の取締役会を構成する現経営陣はウッドフォード追い出しに全員賛成しており、不正に多かれ少なかれ関与している。この、不正に関わった役員たちが損害賠償の提訴をし、いかにも公正、中立的な立場にあるかのような印象を世間に振りまいているとしたら、それはサギ的行為ではないか。

 監査役にしてもしかり、監査役等責任調査委員会によれば、5人の旧監査役が83億円の損害を与えた。それに対し、同社取締役会は1人が5億円、4人連帯で5億円の損害賠償を請求する訴えを起こした。すでに述べた通り、取締役会のメンバーはオモテを堂々と歩ける立場ではない。そんな連中が決めた損害賠償請求額が適正かどうか。

 第三者委員会の報告は、公認会計士(監査法人)についても触れてはいるが、損害賠償を求めるような責任があるとは言っていない。したがって、オリンパスは公認会計士への賠償請求を起こしていない。だが、隠ぺいがうまいから、会計士が気付かなかったということで責任を免れていいものか。監査は決まった手続きさえとっていれば免責という発想は、監査の機能を形骸化する。会計士界は衰退しよう。

 ところで、東証はオリンパスの上場を維持すると発表したが、その根拠として、債務超過になっておらず、損失隠しが投資家の判断に重大な影響を与えたとは言えないことを挙げた。損失隠しに歴代トップが関わっていたものの、社内の一部に限られていたから、組織ぐるみとは言えないと判断したという。

 株主にとって上場維持は望ましい。でも、東証が、オリンパスの大がかり、かつ悪質な損失隠しを大したことではないかのように判断したのは問題がある。裁量的な対応としか思えない。世間では、オリンパス事件をコーポレートガバナンスの観点から大きな問題とみている。そういう動向ともそぐわない。

 また、主取引銀行はウッドフォード氏の面会要請を拒否し続けた。それが、ウッドフォード氏の社長復帰の可能性を断ち切った。なぜかはさておき、主取引銀行はオリンパスの資金運用の失敗と巨額の損失発生を知っていたのではないか。財テクが華々しい頃、大手銀行も事業会社や個人にどんどん財テクを勧めていた。必要な資金を積極的に貸していた。それは周知の事実である。企業が主取引銀行と深い付き合いを持ち、メーンから頼まれたら、事業会社もノーと言いにくい。そんな時代があったことをオリンパス事件は思い出させてくれる。

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2012年1月17日 (火)

柯隆氏に聞く中国最新事情

 富士通総研経済研究所主席研究員、柯隆氏の日本記者クラブでの会見(16日)は最新の中国事情を聞くことができ、とても参考になった。以下に、私なりの理解で紹介する――

・中国経済は2010年まではオリンピックなどによるイベント・エコノミーで2ケタ成長をしていたが、11年はトーンダウン。12年は胡錦濤、温家宝らトップが交代する年なので、花道を用意して成長率を下げないようにするだろう。中国の強みは国内貯蓄が多いこと、家計30%、政府・企業22%に達する。ものづくりも相当強くなっている。

・工業製品は過剰な競争で値下がりしている。食品は値上がりしている。これは農業用の肥料、ビニルなどの価格が上昇しているため。それに、物流の改革が遅れている。

・中国では社長と労働者とでは収入が天と地の差だ。日本の社長は世界で最も質素な生活をしている。本来の労働組合の活動を認め、低い労働分配率を上げるべきだ。農家は彼らの利益を代表する組織がない。

・課税は累進だが、賃金所得に限っている。その他所得は定率で低い。中国で一番大きいのは資産所得で、次に多いのが移転所得だが、税務調査が難しい。相続税は導入していない。

・市場経済の一番の基盤はクレディビリティ(信用)だが、中国ではそれが欠如している。文化大革命は中国の古典文化の命を断った。孔子、孟子などの古典教育をやめてしまったので、ほかに拠るべき文化が何もなくなった。そのため、すべておカネで判断する社会になった。いま文革の負の遺産のつけを支払っているところだ。この支払いは30年、40年、50年とかかる。

・日本は性善説だが、中国は性悪説の国だ。日本の企業が中国に進出したら、性悪説に立て。日中関係では、日本の若者はたくましさを身につけねばいけない。

・(日本について)失われた20年、デフレに悩まされてきた。エコノミストはずっとケインズ政策を処方箋としてきた。それで財政が悪化したのだから、もういい加減にしたらどうか。大企業はこの間、コスト削減ばかりやってきている。結果としてブランド力は下がっている。日本企業は高品質とブランド力を生かす経営に変わるべきだ。

・中国では知的財産権が保護されない。コピーがはやる。バイオなどでのイノベーションが起きないのはそのせいだ。国民が皆、知財保護に向かわないと、中国では分野によってはイノベーションが進まない。

・胡錦濤、温家宝は過去9年間、何もしなかった。国有企業の民営化は行なわれなかった。政治改革もしなかった。まともな市場経済にならない。だから年間10万件ぐらい暴動が起きる。習近平に代わったら、政治改革、市場経済の徹底、国有企業の民営化をやらなければいけない。

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2012年1月15日 (日)

野田首相は国民を説得して味方につけよ

 年が改まっても、国内外の情勢は厳しくなるばかり。ユーロをめぐる緊迫した政治・経済の動向から目を離せない。中東諸国の不安定は続いている。大国も国内政治の動向が注目される。日本は、といえば、政治、経済、社会のどこを見ても、チャレンジ精神を欠いた官僚組織や企業、そこに属する人々のマンネリ、弛緩ぶりを如実に反映した出来事が相次いでいる。

 通常国会を前に、野田総理大臣が岡田克也氏を副総理にするなど内閣改造を行なった。だが、メディアの世論調査は野田内閣の支持率低下などのトレンドが変わらないことを示している。そして、消費税引き上げに反対する人が増えてきている。野田政権の前途は非常に厳しいものがある。

 内閣改造直後の総理大臣記者会見をテレビで見ていて、3つの感想を抱いた。1つは、メモなどを見ないで話したことである。政治家は言葉が命だといわれる。野田氏は自分の考え、意見を率直に述べていた。これには好感をもった。2つ目は、「‥‥させていただく」といった、へりくだりの言葉づかいが気になった。民主主義国家では、国の指導者である総理大臣が国民を説得し、引っ張っていく必要がある。それなのに、やたらおかしな謙譲語をつかうのはいかがなものか。この変な言葉づかいは与野党を問わず広がっており、教育上もよろしくない。

 3つ目として、野田氏は社会保障と税の一体改革を取り上げ、財政破綻を避けるためにも消費税の2段階引き上げが必要だと訴え、3月末までに法案を提出すると語ったが、説明が不十分だという点である。総理の話は、若い世代や未来の世代に、生きがいや夢を与えるものではなかったし、現役から退きつつある団塊の世代や高齢者に対し、必要な負担を受け入れてもらえるほどの説得力もなかった。

 財政改革について付け加えると、首相は、現在の危機的な財政構造を数字を示して説明し、いつまでに、どれだけ改善するか、の中長期および短期の目標を示し、それを実現するために、どうやって既存の歳出を減らすか、どうやって税収を増やすか、そしてどれだけ増税せざるをえないか――を具体的に示すべきだった。だが、抽象的な説明にとどまった。

 消費税の引き上げは政治家にとっては最も触れたくない課題である。国益を真剣に考える政治家といえども、よほどの覚悟を必要とする。しかし、財政危機の意味を国民にわかりやすく説明し、理解してもらう努力を積み重ねれば、最終的には国民も受け入れる。そう思うしかない。与党内の反対勢力もあれば、野党の反対もある。それを乗り越えるには、国民に理解してもらい、支持してもらうことが絶対に必要である。そして、そのためには、あらゆる個別利益を超えた公正、公平な制度の構築が求められる。

 既得権益をなくすため、一般会計に限らず、あらゆる歳出を俎上にあげ、国民から問題点の指摘を受け付けることにすれば、問題点が浮き彫りになる。社会保険料と税金の徴収を1つの組織にすると、大幅な増収が見込めるし、益税といわれるようなものを生むやりかたの消費税徴収は是正しなければならない。そうした改革を必要とする分野は限りなくある。それらは過去20年の経済停滞の負の遺産である。

 若い世代や未来の世代に希望を与えることができる国にすることが目下の日本の主要なテーマの1つである。野田総理(ないしそのあとの人)がそのために一歩も二歩も踏み出していけるような政治・社会情勢を何としてでも実現することがわが国のことしの課題である。 

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2012年1月12日 (木)

テレビ、映画に触発されての雑感

 映画監督、山田洋次の作品をもとに、戦後日本を振り返るテレビ番組を見た。小津安二郎の映画「東京物語」を取り上げた中で、老夫婦の住む尾道の街や海を見下ろす映像を見て、昨年訪れた尾道の街を懐かしく思い出した。それはさておき、山田監督が、おカネに換算できないもの(質素、家族の結び付き、人と人との助け合いなど)がどんどん失われてきたという趣旨を語っていたのにはハッと胸を突かれた思いがした。戦後日本を見事に言い表していると思った。

 また、藤沢周平の原作をもとに時代劇映画をつくった山田監督は、江戸時代の人々は偉くなろうとか、もっとカネが欲しいといった欲望が少なかったと指摘した。そうだったとは思うが、それがよかったのか、望ましい姿だったのか、というと、一慨にそうとは言えないと思う。

 いまの世界は、ほとんどの人が物質的な豊かさを求めている。禁断の木の実の存在を知ってしまった人間は、技術進歩をてこに次から次へと欲しいものを生みだしてきた。一部の特権層だけでなく、庶民もまた豊かさを追求できるようになった。それが資本主義である。そして、豊かさを求める無限運動は、地球という資源が有限な世界といつかはぶつかる。人類は、自然に順応して生きるのではなく、自然の制約を克服して地球を我が物のように利用することで、自らの墓穴を掘りつつあるのかもしれない。そんなことを考えたりした。

 黒沢明監督の映画「生きる」をテレビで見た。第二次世界大戦で日本が敗北してから数年後に制作された作品だが、ほとんど古びていない。現代にそのまま通用する内容である。

 市民の要望に応えるべくつくられた市民課のはずが、要望があっても、他の課の仕事だから、そっちに行きなさいと回すだけ。どこの課もそうするから、結局、住民は元の市民課に回され、怒る。たまたま、市民課の課長は自分が胃がんの末期にあることを知り、悩んだ末に、何か意義のある仕事をして死のうと考える。そして、住民の要望に応え、公園をつくろうと奔走し、ようやくそれが実現する。そして死ぬ。

 市役所の職員は定年になるまで何もしない、というか、自ら責任を負うような仕事はしない、というのがお役所である。それは今日にいたるまでほとんど変わらない真理である。何かクリエーティブなことをしたいと思うような人は、このお役所の雰囲気に耐えられない。映画はそうも指摘している。厳しい指摘である。戦争に敗れた記憶がまだまだ強い時期に、戦争責任を追及しようとした映画だったのかもしれないと思った。

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2012年1月 7日 (土)

映画「無言歌」を見て身体が冷えて固まった

 毛沢東を指導者とする共産主義国家、中国は1956年から翌年春ごろまで、中国共産党への批判を呼び掛ける百花斉放百家争鳴を提唱した。しかし、最初は少なかった批判の声が57年春頃には盛んになった。そこで57年6月、毛沢東は一転して、共産党批判者を弾圧する反右派闘争を開始し、知識人らを粛清した。

 香港、フランス、ベルギーの共同制作による映画「無言歌」は、甘粛省のゴビ砂漠に接する不毛の地に設けられた労働改造農場が舞台。共産党および独裁政治を批判したという理由で逮捕され、そこに収容された男たちがほとんどまともな食事も与えられず、砂漠の地下室で寝起きしている。そして、餓えに苦しみ、病いなどで次々に死んでいく。遺体は砂漠に形ばかり埋められ、墓標もない。

 上海から1人の妻がそこを訪れるが、夫はその1週間ほど前に亡くなっている。彼と親しかった同じ地下室の男は、飢えた収容者の誰かが夫の足や尻の肉を切りとって食べたらしいということを隠すが、妻は沢山の土饅頭の中から、夫の遺体を必死に探し回る。そして、見つけた遺体を火葬し、骨を持ち帰る。

 夜に死ぬ者が続出するので、監督者は皆を眠らせないように、一人ひとりに話をさせる場面がある。そうすると、自分は無実だ、と語る者もいるが、誰もが生きて帰れるという希望を持てない。怒りを通り越して、あきらめている者がほとんどである。脱走する者もいないではないが、弱り切った体力ではそれも容易ではない。

 甘粛省蘭州の地方政府は、収容者があまりにも多く死ぬので、病気で動けない者以外を釈放することを決める。そこで映画は終わる。

 この映画はフィクティシャス(架空)であると最後に断っている。しかし、当時の記録などに拠ってストーリーがつくられており、実際にも、映画のような非人間的な、悲惨な出来事があったのだろう。

 映画の主人公は、1つは強制収用され、非人間的な極限状態に置かれた男たちの日々であり、いま1つ砂漠そのものである。ビュービューという風の音と砂が飛ぶさまが観客をそこにいるかのように引き込む。

 前に、『墓標なき草原』、『続 墓標なき草原』を読んで、内モンゴルの原住民であるモンゴル族の人々が、中国共産党によって虐げられ、殺害される記録を読んだ。その時に、私の身体は言いようのない怒りで固まった。それとは違うが、今回、映画を見ているうちに身体が冷えて固くなった。救いのないせいだろうか。映像なので、リヤル(real)すぎたからか。 

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2012年1月 3日 (火)

日本における原発のリスク

 3.11の福島第一原発事故は、原発のリスクがいかに大きいものかを国内外に示した。日本の国内では原発への拒絶反応が強いが、海外では、一部の国を除いて、原発推進の動きが活発だ。このギャップをどう考えたらいいのか。年を越しても、そのことが気になっている。

 そんな事情もあり、正月の新聞で最も読ませたのは、3日付け朝日新聞のジャレド・ダイアモンド氏(米カリフォルニア大学ロサンゼルス校地理学教授)へのインタビュー記事である。『銃・病原菌・鉄』の著者である同氏の話は、「文明崩壊への警告」と題し、1ページ全てにわたっている。

 その記事の中で、特に注目したのは「温暖化の方が深刻  原発を手放すな」という見出しの付いた部分である。「一度にたくさんの人が死亡する可能性のある事故、人間の力ではコントロールできないと感じる事故について、人々はリスクを過大評価しがち」と言い、東日本大震災も原発事故も、そうした例だと指摘している。

 そして原発事故に関しては、「原子力利用をやめたとしても、しばらくは化石燃料に頼らざるをえません」。そして化石燃料から放出される二酸化炭素による地球温暖化は現代文明そのものの行く末を左右しかねない。したがって、「原子力(発電)のかかえる問題は、石油や石炭を使い続けることで起きる問題に比べれば小さい、と考える」とダイアモンド氏は語っている。

 日本で原発の建設が本格化し始めた1970年代から、私は万が一、放射能がまきちらされる事態が起きたら大変だという心配はしていた。しかし、電力業界が原発への依存度を高めていったにもかかわらず、放射能が外部に大量に漏れる大きな原発事故がなかったので、深刻に問題を突き詰めて考えるということをしなかった。むしろ、環境問題を勉強するにつれ、化石燃料にとって代わるエネルギー源として、原発はリスクがあるものの必要不可欠だとの見方に傾いていった。

 地球を1つの有機的な生命システムと見るガイア理論で知られる英国の科学者ジェームズ・ラブロック氏は、環境問題に造詣が深い。そのラブロック氏も、地球温暖化を抑えるには化石燃料の使用を減らし、原子力発電を増やすべきだと主張していた。そんなことも私の原発観に影響した。

 しかし、福島第一原発の事故は、実際にそれが起きたときのすさまじい被害の現実を目の当たりにしてみせた。また、地震国、日本では、巨大地震が起きたときの原発のリスクがとほうもなく大きい、ということを知った。映画「100000年後の安全」もそうした見方を強めた。

 では、諸外国のほとんどが原発の推進をはかっているのに、日本が原発を次々に停止し、電力供給が危うくなっているという事態をどう考えたらいいのか。

 理科年表には地震の多発地域が黒く塗られ、一目でわかる世界地図が載っている。それをみれば、日本はどこに原発を建設しようとも、大地が暴れたら、原発なんてひとたまりもないことが一目瞭然である。フクシマで放射能汚染が人口密集の大都市を襲う可能性もあったことを考えると、リスクの過大評価などと言ってはいられない。他方、地図で真っ白な地域は地震で原発が破壊されるという心配はまずないから、そうしたところに建設するのはかまわない。

 ダイアモンド氏の話に触発されて思うのは、世界的に原発は温暖化対策上、必要だが、日本列島のように、地震の巣窟で、かつ人口が集中している都市が原発立地からそう遠くないところでは原発はリスクが大き過ぎるということである。停電の不安を回避しつつ、供給源の多様化などを進めて、原発を縮小するしかない。 

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