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2012年1月 7日 (土)

映画「無言歌」を見て身体が冷えて固まった

 毛沢東を指導者とする共産主義国家、中国は1956年から翌年春ごろまで、中国共産党への批判を呼び掛ける百花斉放百家争鳴を提唱した。しかし、最初は少なかった批判の声が57年春頃には盛んになった。そこで57年6月、毛沢東は一転して、共産党批判者を弾圧する反右派闘争を開始し、知識人らを粛清した。

 香港、フランス、ベルギーの共同制作による映画「無言歌」は、甘粛省のゴビ砂漠に接する不毛の地に設けられた労働改造農場が舞台。共産党および独裁政治を批判したという理由で逮捕され、そこに収容された男たちがほとんどまともな食事も与えられず、砂漠の地下室で寝起きしている。そして、餓えに苦しみ、病いなどで次々に死んでいく。遺体は砂漠に形ばかり埋められ、墓標もない。

 上海から1人の妻がそこを訪れるが、夫はその1週間ほど前に亡くなっている。彼と親しかった同じ地下室の男は、飢えた収容者の誰かが夫の足や尻の肉を切りとって食べたらしいということを隠すが、妻は沢山の土饅頭の中から、夫の遺体を必死に探し回る。そして、見つけた遺体を火葬し、骨を持ち帰る。

 夜に死ぬ者が続出するので、監督者は皆を眠らせないように、一人ひとりに話をさせる場面がある。そうすると、自分は無実だ、と語る者もいるが、誰もが生きて帰れるという希望を持てない。怒りを通り越して、あきらめている者がほとんどである。脱走する者もいないではないが、弱り切った体力ではそれも容易ではない。

 甘粛省蘭州の地方政府は、収容者があまりにも多く死ぬので、病気で動けない者以外を釈放することを決める。そこで映画は終わる。

 この映画はフィクティシャス(架空)であると最後に断っている。しかし、当時の記録などに拠ってストーリーがつくられており、実際にも、映画のような非人間的な、悲惨な出来事があったのだろう。

 映画の主人公は、1つは強制収用され、非人間的な極限状態に置かれた男たちの日々であり、いま1つ砂漠そのものである。ビュービューという風の音と砂が飛ぶさまが観客をそこにいるかのように引き込む。

 前に、『墓標なき草原』、『続 墓標なき草原』を読んで、内モンゴルの原住民であるモンゴル族の人々が、中国共産党によって虐げられ、殺害される記録を読んだ。その時に、私の身体は言いようのない怒りで固まった。それとは違うが、今回、映画を見ているうちに身体が冷えて固くなった。救いのないせいだろうか。映像なので、リヤル(real)すぎたからか。 

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