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2012年2月12日 (日)

社説が国家権力の側に立つのはどうも

 2月11日の朝日新聞は社説で「東電国有化 ゴネ得を許すな」との見出しで、東電を糾弾している。「焦点は、国費の注入で国がどこまで経営権を握るかだ」とのこと。賠償資金を支援する国の原子力損害賠償支援機構が東電の議決権の3分の2以上を握る株式の取得を主張しているのに対し、東電は、国が拒否権を行使できる3分の1までとするよう抵抗しているという。

 そして、「死に体となった企業なのに、なぜ勝手なことを言うことが許されているのか。」、「ゴネ得もいいところではないか。」、「東電には自力で賠償や廃炉費用をまかなう能力はない。破綻処理が筋だ。存続させたところで問題の先送りにすぎない。」などと激しい表現が続き、枝野経済産業相の「金を出す以上、口を出すのは当たり前」との言葉を引用したあと、「3分の2以上の株式が握れないのなら、税金投入をやめるべきだ。」と締め括っている。

 社説は、「そもそもボタンのかけ違えは、早い段階で東電を実質破綻企業と断じて、公的管理下に置かなかったことにある。」、「東電を温存すれば、満足に投資できない不健全な企業が居座ることになる。電力市場への新たな事業者の参入による経済の活性化や雇用創出を妨げる。」という見解に立っている。

 しかし、電気事業法などにしばられているとはいえ、民間企業が電力事業を営むよりも、国が経営権を握った企業、つまり国営企業のほうがいいという根拠はどこにあるのだろうか。国鉄の民営化などをみても明らかなように、国が経営するよりも、民間企業が電力事業を営むほうがいいに決まっている。発送電分離などの議論は、東電を破綻させなければできないという話ではない。

 フクシマの原発事故は、言うまでもなく、当事者の東電に最大の責任がある。しかし、国にも責任があることは明白である。原子力安全・保安院などの関係部署がきちんと機能していれば、ここまでひどい事故は起きなかっただろう。また、電力会社は公益事業として国の監督下にあり、国は電力会社の経営に干渉してきたから、電力会社は国の顔色をうかがい、必ずしも主体的に経営してはいなかった。

 また、原発にはリスクがあるが、そのことをあいまいにしないと、発電所の立地がむずかしい。地元もカネと引き換えにリスクに目をつぶってきた。電力会社、政府、地元の三者がリスクを言い立てないようにするという構造が、事故を招く土壌を培ってきたとも言える。したがって、朝日の社説が「ゴネ得を許すな」と一方的に東電を弾劾するのは、権力的な発想としか受け取れない。

 「東電には自力で賠償や廃炉費用をまかなう能力はない。」という。その通りである。しかし、チッソが国の支えで存続し、賠償の支払いを続けてきた例もある。東電へ国が出すというカネも、半分は国債発行でまかない、将来世代へツケ回しする類いのものである。それよりも、東電ができるだけ自前で将来にわたって賠償するように仕向けることが、東電の事業活力を確保し、国の財政負担を少なくする道につながるように思う。

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