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2012年2月19日 (日)

『山縣有朋の挫折』(松元崇)に教わったこと

 「誰がための地方自治改革」という副題の付いた松元崇著『山縣有朋の挫折』を読んだ。予備知識がろくにない分野なので、正直言ってよくわからないところだらけ。それでも、どういう歴史をたどって地方自治が今日の姿になったかがある程度わかった。

 近代国家になる前の江戸時代のほうが、地方自治が徹底していたという。明治維新では、これは変わらなかった。廃藩置県にもかかわらず、豊かな財力を背景に、町村自治がしっかりしていた。しかし、明治国家が日清、日露戦争で軍事力を増強するにつれ、その財源を地方に求めるようになったため、中央集権が地方の末端にまで及ぶにいたった。

 日本は開国以降、欧米の諸制度を導入した。山縣有朋は国会開設に備えて、地方自治制を立憲制の学校としようとした。分権や自治をおろそかにして国会を開設すれば、まともな議会政治を確立することはむずかしいと考えたからである。しかし、地方自治を国家の基礎とし、町村から府県へ、府県から国へと選挙を順次実施するという構想は現実政治の前に破綻した。山縣自身も変節したし、地方自治を基礎にと考える後藤新平、高橋是清も暗殺される。

 いまの日本の地方自治はおよそ自治というにはほど遠い。財源にしても、国からの地方交付税交付金などに大きく依存している。なぜ、そうなったかを本書は教えてくれる。

 地方自治をめぐる具体的な歴史の歩みはもっと複雑だが、軍備増強や戦争以外に、庚戌の大洪水(明治43年)、関東大震災(大正12年)による損害が、日本国の歩み、地方自治をめぐる歩みに大きな影響を及ぼしたことを知った。

 大洪水では、東京の下町のほとんどが泥の海に化したという。浸水家屋27万戸、家屋の全半壊・流失4000戸弱、被災者150万人、死者・行方不明1100名余。昨年のタイの大水害を思わせる。

 また、関東大震災は罹災者340万人、死者・行方不明10万人余、損害額はGDPの3分の1を超えるものだった。関東大震災によって、「第一次世界大戦後に戦勝国の一員として一等国になったはずのわが国は、再び以前と同様の財政的な敗戦国に転落してしまった。後の昭和の金融恐慌も金解禁不況も、いってみれば、財政的に再び敗戦国になった状況の中で無理をしたことによって招き寄せてしまった問題であった」。この記述は、今後起きると予想されている関東直下型大地震を想起させ、不気味である。

 

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