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2012年5月28日 (月)

増え続ける「生活保護」受給者

 高収入を得ている人気芸人の母親が生活保護を受けていたという女性週刊誌のレポートが発端になって、他の複数の週刊誌が生活保護制度の問題点を特集している。政府・自治体は、これを機に、かねて問題が多いと指摘されている現行の生活保護制度を大幅に手直しすべきである。

 生活保護受給者がここ数年、急速に増えている。いまでは受給者数は約210万人、財政負担(国が4分の3、市町村が4分の1)は年間約3兆7千億円に及ぶ。それだけではない。働いて最低賃金に近い収入しか得られない人よりも、生活保護を受けている人のほうが実質の収入が多い。不正受給者も多く、生活保護を悪用する“貧困ビジネス”もあると指摘されている。

 正直者が損をするようでは、まじめに一生懸命働くという日本人の美徳は失われてしまう。生活保護制度は、働ける人は働くことを前提に、それでも、まともな暮らしをするだけの収入や貯蓄、あるいは親族などからの支援が得られない場合に限って保護費を支給するという本来の趣旨にそった仕組みに改めるべきだ。

 それには、生活保護を脱しようというモチベーションが働くような制度設計が必要である。働いて得た収入の半分だけ生活扶助費を減らすとか、生活保護を脱したときの一時金としてたくわえておく制度をつくるとかの提案もある。親が生活保護につかりきって働く意欲を失っていると、子供にも悪い影響がある。少子化の時代に入り、どこの子供にも夢を持って生きていってもらいたいから、社会として、親の就労意欲が高まるような工夫が求められる。

 また、生活保護を受けていると、医療費、介護費、住民税などが軒並みタダ。全国ベースでは医療費扶助のほうが生活費扶助よりも歳出金額が大きい。高齢者の医療費がかかるからだが、それだけではない。市場価格よりも格安な商品・サービスには過大な需要が発生するからだし、悪質な医療機関がやたら高い点数の検査をし、受給者側に謝礼を払うなどといった犯罪行為がまかり通っているからでもあるようだ。生活保護の支給に伴う不正の排除に真剣に取り組んでいくべきである。

 社会保障を担う厚生労働省はいまや中央官庁の中で最大の歳出規模を誇る。しかし、同省はカネを使えば使うほど社会が良くなるという錯覚にとらわれてきたようにみえる。民主党政権も同様だ。財源をどうやって確保するか、については、年金保険、医療保険などで保険収入を確保し、不足分は国(財務省が担当)が負担するということで、歳出のムダの排除や効率性についてはほとんど考慮しないできた。そして、公的年金の一律月7万円支給などという民主党の政策は、国民年金の不払いを増やすだけになっている。

 厚労省も民主党政権も同じばらまき体質である。消費税の引き上げはよしとして、社会保障費のムダの解消に本気で取り組んでもらわないと財政悪化が進むばかりだ。

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2012年5月26日 (土)

大人が読んでも感動するウェッタシンハの絵本

 スリランカの絵本作家、シビル・ウェッタシンハさんが最近、「日経アジア賞」を受賞した。どんな絵本を画いているのかと関心を持ち、邦訳されている何冊かを読んだ。また、幼い頃にウェッタシンハさんがスリランカの港町ゴールに近い小さな村で過ごした日々を描いた児童文学『わたしのなかの子ども』も読んだ。

 絵本では、『かさどろぼう』、『きつねのホイティ』、『ねこのくにのおきゃくさま』が素敵だった。ページを繰るごとに、わくわくする。動物を見る作者の眼のなんとやさしく、あたたかいことか。お話の筋も意表をつくおもしろさがあり、色彩なども魅力的である。

 作者は80歳を超えるが、自然の中で育った子どもの頃の豊かな感性をずっと持ち続け、それを絵本に画き続けてきたという点で稀有の存在である。子どもだけでなく大人にも読むことを薦めたくなる。

 『わたしのなかの子ども』は邦訳で約250ページ。「わたし」の眼を通して、暮らし、家族・親戚、村の行事や自然などが描かれている。どのページを繰っても、すっと心に入ってくる、美しい詩のような文章である。著者は格別だろうが、幼い子どもって、こんなにすばらしい感性を持っているのか、と驚くばかりだ。

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2012年5月24日 (木)

日本の衰退につながる政党政治のひどさ

 世界をみると、政治、経済、治安などがひどい国がたくさんある。ギリシャ、エジプト、シリアなどなど。日本は過去の蓄積があるので、それらの国に比べれば、はるかに、ましな国、いい国である。しかし、政治の停滞ぶりは目も当てられないほどだ。

 きょう24日は民主党の小沢一郎氏の70歳の誕生日だそうで、小沢氏の率いる「新しい政策研究会」の会合では、民主党の女性議員たちが花束とケーキをプレゼントしていた。小沢氏は、その会合で、相も変わらず「国民の生活が第一」という政権交代の理念を掲げていけば国民の理解と支持を得られるとして、消費税引き上げに反対の意向を表明した。

 だが、同じ日、国会では衆議院社会保障・税一体改革特別委員会で、野田佳彦首相が消費増税などで野党の厳しい追及を受けていた。野田首相も小沢氏も同じ政権の座にある民主党なのに、小沢氏らは、党として承認した税と社会保障の一体改革に反対し、野田内閣の妨害をしている。まして、民主党が総選挙で掲げたマニフェストが財源面から実行不可能なことが明々白々となっている今日において、小沢氏が具体的な論拠を示すことなく、消費税反対だけを唱えているのは、正気の沙汰ではない。さらに、小沢氏に追従する女性議員や男性議員は思考能力が欠けているとしか思えない。

 日本国の財政は債務残高/GDPでみて、先進国の中で段違いに悪い。そのことを理解できる民主党議員は多くはないらしい。それだから、国会の審議に総理大臣が貼り付けなのに、平気で派閥の親分の誕生日祝いなんぞにうつつをぬかせるのだろう。誕生祝いケーキのローソクの火を吹き消すさまは、テレビニュースで見たら、醜悪そのものだった。太平の世の中のつもりなのだろう。

 全国のすべての原発が停止し、再開されないままだと、夏場の電力不足で停電のおそれがある。フクシマを踏まえ、日本の原発をどうするのか、政府および国会は夏場のピークに備えて、早く基本方向を打ち出さねばならない。学者を中心にした政府の委員会で、将来の原発依存度をいくつかケースを設けて検討したりしているが、まず政府が決めるべきは、原発を将来とも利用するか、それとも廃止するかである。ドイツにしても、スイスにしても廃止を決め、段階的に停止することにしたが、日本はそうした政治家の意思決定が存在しないのである。

 したがって、世論調査の数値がまかりとおる。原発反対が過半数を占め、きちんとした意見を持たない政治家たちは世論調査の結果にふりまわされがちだ。しかし、原発がいっさい稼働しなければ、供給不足による強制停電などが起こる可能性が大きい。それでもかまわないという国民もいるだろうが、実際にそうしたら、経済の混乱、衰退や社会不安が高まるおそれがある。それでもよしとするのか否か。国民自らが問われている。無論、政治家も。そうした重大な局面にいて、政治家が思考停止状態にあることは国の衰亡に直結しよう。

 ことしの夏をどう乗り切るかが政治家の決断すべき事項である。関西電力の大飯原発3、4号機の稼働について、地元(福井県おおい町)の町議会は同意している。しかし、京都府、滋賀県などは安全審査などのチェック体制が万全ではないため、慎重な姿勢である。その背景には、原子力安全委員会や安全・保安院の組織の再編について、政府案と自民党案とが異なり、進展していない事情がある。そのチェック組織再編を国会は早く決定しなければいけない。国の将来を左右する政治家の自覚が求められる。

 東京スカイツリーの開場を、新聞は一面トップで大きく扱ったりした。テレビも同様。東京タワーの開場のときはローカルニュースだったというのに。また、金環日食についても、新聞・テレビは国民的行事のように盛大に扱った。国民のほうも、そうしたメディアによる派手なPRに乗っかっている。盆と正月が一緒に来たような高揚した気分になったと言えよう。しかし、国民も浮かれていては駄目だ。自国が難題をたくさん抱え、それらの解決が容易ならざる事態にあること、そして、国民がひどい目に会う可能性が少なくないことを直視する必要がある。

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2012年5月21日 (月)

岩手県の被災地で感じたこと

 17~18日に岩手県の田野畑村から陸前高田市までと、すぐ南の宮城県気仙沼市を見てきた。多くの人が話したり、書いたりしているように、「百聞は一見に如かず」。そして、私たちが生存している地球・自然のすごさを実感した。人間は自然の前に、もっと謙虚でなければならないと改めて思う。

 盛岡駅から岩泉町を経て沿岸部に。まず島越で海辺に出た。島越漁港も島越駅も壊滅していた。田野畑駅はかろうじて残っていた。グリーンピア三陸みやこには田老町の住民が住むたくさんの仮設住宅があり、たろちゃん協同組合の店舗が3棟あった。田老町から、浄土ヶ浜、宮古市、山田町、大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市、気仙沼市へと南下したが、津波に襲われたところは、ガレキが片付いていて、あちこちにガレキの山積みができていた。しかし、住居などの建設はおこなわれておらず、空き地がずっと広がっていた。

 ところどころ、市庁舎、ホテルなど鉄筋・鉄骨の大きなビルが激しく壊れたまま残っている。空き地に立って四方を見渡すと、はるかかなたまで見通せる。3.11までは、広大な土地に建物がびっしりと立ち、おおぜいの人々が住み、働いたりしていたなんてことが信じがたい。

 大船渡、陸前高田市などは大地自体が沈下したため、海からの水で道路が冠水しているところがある。

 水産漁業など産業の復興、および住宅・店舗などの建設は、地元住民の意思や、各自治体の方針、県、国の復興計画および支援がうまくかみ合わないと、具体的に動き出さない。被災から1年2ヵ月余も経っているのに、ガレキを片付けて山積みにするところまでしか復興が進んでいないのには驚いた。中央の政治も、地方の政治も、ろくに機能していない表れだろう。

 宮古市浄土ヶ浜も、昨年の大津波で大きな被害を受けた。その浄土ヶ浜の隅に2つ石碑が並んで立っている。古いのは1933年(昭和8年)の大津波の1年後に建てられた。その1行目は、地震が起きたら、大きな音がして津波が来るから、早く高い所に逃げろという内容。最後の行は、家を建てるなら津波の届かない高いところにつくれ、というもの。

 隣の碑は、1960年のチリ地震で、日本まで津波が届き、被災したことを記録したもの。これら2つの石碑が後世に伝えたかったことを、残念ながら、3.11で「2度あることは3度ある」ようにしてしまった。浄土ヶ浜には3つ目の石碑が立つのだろうか。

 山田町から大槌町へと走るバスの右手の遠くに、こいのぼりが見えた。土地が少し高く、津波の直撃を免れたあたりだろうか、何ヵ所かにこいのぼりが泳いでいた。津波で多くの犠牲者が出たことは痛ましい限りである。生者は亡くなった人たちの分まで、希望と充実した日々を生きていかねばなるまい。それなのに、普段の暮らしに戻れないおおぜいの被災者がいる。彼らを、たくさんのこいのぼりが多少とも元気づけてくれたらいいな、と思う。

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2012年5月15日 (火)

東電の社外取締役をどう見る

 6月27日の株主総会で正式にスタートする東京電力の新役員人事が発表になった。ソニーなどにみられる、米国流の、監査役を置かない委員会設置会社となるので、社外取締役が過半数を占める。

 会社法に基づき、委員会設置会社では、取締役は取締役会の一員として業務に関する意思決定に参加する。また、「指名委員会」、「報酬委員会」、および「監査委員会」の委員となって、委員会の意思決定に参加する。ただし、委員会の委員は社外取締役が過半数でなければならない。

 業務の執行については、取締役は何の権限も持たない。取締役会で選任された執行役にゆだねられる。代表執行役も取締役会で選任される。取締役(会)は業務執行の監督を行なう。もっとも取締役が執行役を兼ねることはできるとされる。

 委員会設置会社方式を採用する東電の新経営陣も、下河辺和彦(原子力損害賠償支援機構運営委員長)、樫谷隆夫(公認会計士)、小林喜光(三菱ケミカルホールディングス社長)、数土文夫(NHK経営委員長)ら7人が社外から取締役に入る。うち嶋田隆(原子力損害賠償支援機構理事)だけは執行役を兼ねる常勤の取締役に就任する。言うなれば天下りである。東電の内部起用は4人で、広瀬直己常務が取締役・社長(代表執行役)に就く。

 下河辺氏は取締役就任とともに新会長に就任すると報じられているが、それが取締役会議長を指すのか、もう1人の代表執行役としての意味なのか、がはっきりしない。後者なら、社外取締役の範疇には入らない。社外取締役は非常勤だと解されているからだ。

 社外取締役は、フルタイムの勤務ではないから、ほかで役職を持っていてもおかしくはない。しかし、本業以外に、よその社外取締役などをいくつも兼ねているのはいささか問題がある。第1に、取締役会や重要な会議などの開催日時が重なって物理的にいずれかを欠席せざるをえなくなることがある。第2に、東電なら東電の抱える諸課題に通暁するのは容易なことではない。経営の基本的な知識経験があれば、どこでも通用すると思うのは自信過剰だろう。

 経営者から選ばれた社外取締役候補は皆、経営者として高い評価を得ている。だが、東電が抱えている課題を十分に理解して再建のために寄与するには、いまの主たる役職を退くぐらいの集中が必要ではなかろうか。

 ところで、東電は、国が支援機構を通じて1兆円を出資するため、50%を超える株主になるという。これで東電は実質的に国有化される。下河辺会長は国(政府)の利益を代弁することになる。新経営陣も政府の意思に沿った経営の実現を要請される。となると、産業界から入る社外取締役は民間企業のマネジメントとは異質の問題に直面する可能性がありそうだ。

 現政権が東電の将来について、あるいは国のエネルギー政策について、明確な図面を書いていない状態で、社外取締役に入る人たちの見識を疑いたくなるのは私だけか。

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2012年5月13日 (日)

『日本海軍400時間の証言』と『メルトダウン』が示す日本社会の欠陥

 すぐれた本を相次いで読んだ。1つは、戦後の1980年から海軍の中枢にいた人たちによって行なわれた「海軍反省会」の録音テープ―それをもとにNHKが放送した番組のディレクターらが執筆した『日本海軍400時間の証言』。いま1つは、大鹿靖明著『メルトダウン――ドキュメント福島第一原発事故』である。それらで共通に指摘されているのは組織の利益を優先し、個人を軽視する、失敗の責任の所在を回避し、あいまいにするなどといった日本社会の欠陥である。

 『メルトダウン』のあとがきで著者はこう書いている。「メルトダウンしていたのは、原発の炉心だけではない」、東電の経営陣、責任官庁の官僚、原発専門家、銀行家、政治家たちはいずれもメルトダウンしていたという。そして、「エリートやエグゼクティブや選良と呼ばれる人たちの、能力の欠落と保身、責任転嫁、そして精神の荒廃を、可能な限り記録しよう。それが私の出発点だった」と。

 『日本海軍400時間の証言』では、陸軍に対する組織防衛の観点から、海軍が勝てる見込みもないままに対米戦争に踏み切ったこと、無謀な作戦に反対できなくなる組織の空気、問題を隠ぺいする体質などが明らかにされた。戦犯裁判で、海軍上層部、さらには天皇に責任が及ばないように現地に戦争犯罪の責任を負わせたいきさつもくわしく述べられている。

 2冊の本で指摘されている日本社会の問題点は、組織・権力と個人との関係において、個人が従属関係にあり、さまざまな組織・権力が基本的人権などを軽視ないし無視している現実である。思うに、雇用における長時間労働、不払い労働、パワハラなどがいっこうになくならないのも、その1つではないか。

 どうしたらよいのか。日本の議会制民主主義が民意を反映する仕組みになっていないことを踏まえ、国民が“おまかせ民主主義”でなく、自らの意思を反映させるために立ち上がることが日本社会をまともにするために必要だろう。言うはやすく、むずかしいことだが。 

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2012年5月12日 (土)

高まる若者の終身雇用支持

 労働政策研究・研修機構が「第6回勤労生活に関する調査」の結果をこのほど発表した。3年おきに調査し、結果を発表しているが、2000年代になって顕著に変化しているのは、若い世代の終身雇用支持率の上昇である。20~29才では、01年に64.0%、04年に65.3%だったのが、07年に81.1%、最新調査(11年)では84.6%に達した。また、年功賃金に対する支持率も、20~29才は01年54.1%、04年56.1%、07年75.5%、11年74.5%と同様な上昇傾向を示している。

 30~39才でも、終身雇用への支持率は01年72.6%、04年72.1%から、07年85.9%、11年86.4%へと上がっている。年功賃金の支持率についても、01年55.8%、04年62.3%、07年63.8%、11年73.1%へと上昇傾向がみられる。日本型雇用慣行に対する考え方が世代間でかなり違っていたのが、前回および今回の調査結果ではさほど違わなくなっている。

 1つの企業に長く勤めて管理的な地位や専門家になるキャリアを望む者の割合は過去、ゆるやかな上昇傾向を示していて、01年40.5%だったのが11年には50.3%と過半数になった。そのうち、20~29才は11年に51.1%と似た割合だが、04年33.9%、07年40.3%から急速に増加しているのが特徴。30~39才は01年に34.9%だったのが11年に46.7%にまで上がっている。

 非正規雇用の割合が増え続けているため、勤労者にとっては安定して働けることがとても大事になっている。そうした雇用環境を反映した調査結果だと思う。組織から飛び出し、新しいビジネスを起こそうとする人が減るのは当然かもしれない。しかし、日本経済の活力を維持し、強化する必要性を考えると、安定志向の強まりは好ましくない状況である。

 同機構は今回の調査で、ほかにも階層意識、社会意識、生活意識などの調査をしている。調査結果は興味深いものがあるが、総じて日本の社会が保守化、安定化を志向している様相を示唆しているように思える。

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2012年5月 9日 (水)

日銀が「銀行券ルール」超える長期国債保有へ

 政府は今年度に、税収に匹敵する国債を発行する予定だが、その結果、日本銀行の発表によると、同行が抱える長期国債の残高は今年末にも銀行券発行残高を超える見通しという。これは日本経済の先行きにとって危険な兆候である。

 膨張的な国家財政を賄うために、日銀が歯止めなく赤字国債を買い取り続ければ、いずれひどいインフレになる。このため、日銀は2001年3月、通貨当局としての歯止めを「銀行券ルール」という内規として設けた。長期国債の保有残高を日銀券(お札)の発行残高以内に抑えるというものである。

 しかし、8日の発表によれば、ことしの年末には、長期国債保有残高は約92兆円に達する見通し。一方、日銀券発行残高は年末に約83兆円となる見込み。したがって、「銀行券ルール」に反するのはほぼ確実だ。

 もっとも、日銀当局は、「資産買い入れ基金」による長期国債保有残高(約24兆円)は内規の対象外という解釈をとっている。逆に言えば、政府にどんどん長期国債買い入れを迫られ、いずれ近いうちに「日銀券ルール」を守りきれなくなると予想したから、もっともらしく「資産買い入れ基金」なるものを早めにつくったのが真相ではなかろうか。

 官僚は原則が守りきれなくなりそうだと判断すると、自分の立場を正当化するため、もっともらしい理屈をでっちあげるのが得意だ。太平洋戦争における陸海軍などの歴史を振り返れば一目瞭然である。「通貨の番人」役の日銀は明らかに転向したと言えよう。

 ところで、民主党政権は日銀法改正などといった、日銀に対するおどしが功を奏したと内心ほくそえんでいることだろう。デフレ脱却の対策の1つとして財政の役割を否定する者はいない。だが、税収の2倍の歳出を毎年続けるという異常事態に対し、身を挺して阻止する者がいなければ、いずれ激しいインフレが始まる。ギリシャなど欧州の事態は容易ならぬものがあるが、日本にも危機の深化がみられる。

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2012年5月 3日 (木)

『驚きの介護民俗学』のおもしろさ

 介護施設で働きながら、入所者・通所者の個人史を聞き、まとめるという形で民俗学を追究している六車由美氏の著書『驚きの介護民俗学』を読んだ。先に、このブログで、介護事業を経営しているご夫婦から聞いた苦労話を紹介したが、本書では、また新しい知見を得た。

 介護されている高齢者は身体が不自由で、かつ多くが認知症にかかっている。それに、保険制度に代わり、政府が面倒をみるという意味の「措置」ではなくなったとはいえ、世話される側にはどうしても心理的に負い目がある。他方、施設の職員は人数が限られ、食事、排泄などの世話で忙しいので、入所者・通所者の一人ひとりとまともな会話をすることはない。そう私は思っていた。

 しかし、同書によると、六車氏は、かなりの認知症にかかっている入所者・通所者への介護を通じて、その人の体験を聞き書きできるようになる。過ごしてきた時代、暮らしぶり、仕事、家族関係などについてである。話があっちこっちに飛んだりするが、同氏の知らないことだらけだから、聞き出す苦労以上に驚きと感動がある。そして、著者に聞かれて答える認知症の高齢者にとっても、教えてあげるという喜びがあるという。

 認知症と聞くと、言うこと為すことが異常だと思いがちだが、それはその背景が私たちにわからないかららしい。本書を読むと、その人の生きた時代ならおかしくないことだとわかったりする。認知症の進行で、記憶が次第に失われていくことは確かだが、残っている記憶を、このように介護しながら聞き取ることによって記録するというのは民俗学の新たな地平だろう。

 六車氏は聞き書きを本にし、話してくれた本人や家族に差し上げたりしているとのこと。家族はこれを読んで、初めて老親の経てきた過去に敬意を払うこともあるという。

 ところで、介護民俗学から話はそれるが、私はリタイヤーした高齢者から、その人の個人史を聞くことが好きだ。同じような時代、場所に生きていながら、全く異なる体験をしていることが少なくないからである。

 学生時代、どんなアルバイトをしたかの1つをとっても驚くことがある。東京都多摩地区の大規模開発の際、墓地を移転する作業を、早稲田大学の学生が高給のアルバイトでやっていたという。お骨を掘り出してきれいに洗い、包装するなどで何日も通ったとのこと。書かれざる歴史である。

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2012年5月 1日 (火)

安住財務相のデフレ脱却への発言

 4月27日午後、政府のデフレ脱却会議が開催されたが、その日の午前、安住財務相は記者会見で、会議で何を主張するか聞かれて、こんなことを言っている。

 ――自民党政権の時代、単なる景気回復のための補正予算などで財政赤字の累積額をただいたずらに増やしてしまった。このような財政政策だけでは駄目だ。イノベーションをつくるため、いままでのルールメイキングを変えないといけない。この規制緩和は日本社会に大きな変革をもたらすかもしれないが、一方で、新しい成長をもたらす可能性もある。

 ――そういうことを本当にやるということなら、やはり様々なタブーに取り組んでいくというか、挑んでいかないといけない。日本の経済秩序というか、それを単に維持したまま、旧来のやりかたでは、デフレから脱出できないことはもうはっきりしている。

 大臣の言っていることは必ずしも明瞭ではないが、民主党がこれまでとってきた政策(?)では、デフレ脱却がむずかしいことは間違いないような気がする。規制緩和に関する安住発言は適切である。

 

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