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2012年6月17日 (日)

石碑の教訓とてもあてにならない

 東京・西銀座のコリドー街のはずれ、銀座8丁目の街角で、高さ1.5m程度の細長い石碑があるのに気付いた。昭和4年10月に建てられたもので、「鑑大正十二年之惨禍御有志醵金新橋梁干此處以寄贈東京都●●●●安全」と刻まれているようにみえた。

 大正12年(1923年)の惨禍といえば、無論、関東大地震(M7.9)のことだろう。地震、津波と火災の広がりで9万人余りの人が亡くなり、家屋は46万戸が全壊消失した。このため、後世の人たちがこの惨禍を忘れないようにと、寄付金を募って建てたのだと想像される。

 だが、いま、道を通る人々のうち、どれだけの人がこの石碑に気付くだろうか。何という文字が刻まれているのか、立ち止まってよく見ないとわからない状態だ。三陸地方で、津波への警告や教訓を記した石碑がいつの間にやら無視されるようになっていたのと似ている。

 大地震から89年、石碑が建てられてから82年。今日までの間に、この日本に、東京に、起きた出来事や変化はすさまじいものがある。試みに『近代日本総合年表』を数ページ読んでみて、自分や親が生きてきた時代の激動ぶりを痛感した。

 最近、映画「一枚のハガキ」を見たが、私たちは、そんな時代もあったなあと回顧するだけになっていはしないか。時代の変化に受け身的に順応するだけでは、これまでのような豊かさを享受し続けることは難しいだろう。

 ところで、この石碑には寄附者名が刻まれている。二壽生命保険株式会社、日本商業銀行、大阪ビルヂング、東洋拓殖株式会社、東京電燈、立憲政友会、帝国火災保険株式会社、十五銀行新橋支店、増島大一郎、大平生命保険株式会社、第一銀行日比谷支店、住友銀行内幸町出張所、●●第百銀行日比谷支店、新聞聯合社である。社名が変わっただけの企業もあるが、消滅した組織も多い。東京電燈は東京電力の前身とも言うべき会社である。

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