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2012年10月 8日 (月)

67年前に書かれたとは思えない『敗戦真相記』(永野護著)

 尖閣、竹島など領土をめぐって周辺諸国との関係が緊迫している。中国や韓国は諸外国で日本の非を鳴らしているが、日本は国際社会に自国の主張をきちんと訴えることすらできていない。国の運命を握る政治・政治家がリーダーシップを発揮するどころか、機能停止状態に陥っているからだろう。

 そんな中で、「予想されていた平成日本の没落」という副題の付いた『敗戦真相記』を読んだ。渋沢栄一の秘書を務め、のちに国会議員になり、1958年に運輸大臣になった永野護が敗戦直後の1945年9月に講演した内容を書物にしたものである。末尾に、政治記者だった田勢康弘氏が感想というか解説というか、付している。

 なぜ戦争が起こったか、なぜ日本は負けたのか。反省し、誤りを断じて繰り返さないようにしなければならない。そこで、著者の永野は、戦争に必要な物資はすべて自らの勢力範囲内に収めなければならないという日本本位の自給自足主義が根本的なガンだったと指摘する。

 日本が支配した満州国をはじめとして、植民地では日本本位の経営となり、原住民の福祉を二の次にしたから、人心を掌握することができなかった。また、日本の軍部は敵の力をろくに研究せず、自己の精神力を過大評価して慢心していた。国民に対しては、総意を結集するどころか、鞭と剣の力で戦場や工場に追いやるだけだった。

 勝敗を大きく左右したのは科学兵器だが、もっと大きく影響したのはマネージメント(経営能力)だった。その代表が官僚のやり方だったという。「日本の官僚の著しい特性は一見非常に忙しく働いているように見えて、実は何一つしていないこと」だと述べる。

 そして、陸軍と海軍の不一致、相剋がいかにひどかったかを明らかにしている。陸海の協力はまるでなく、資材調達、兵器・船などの製造は完全に縦割りで別々に行い、作戦も陸海軍共同ではまず行なわれなかった。縄張り争いに熱心で、「日本の軍部というものは陸軍国、海軍国という連合国以上の何物でもなかった」。

 どうして軍部独裁を許したのか。それについては、国家の動向がおのれの信念に反する場合でも、おのれ自身を国家に捧げなければならないという三千年来の民族的統一心理のせいだと言う。

 最終章の「日本の将来はどうなるか」では、民主主義的政治が行われるべきだというポツダム宣言を紹介。日本の民主主義的勢力を圧迫してきた軍閥・官僚のうち、軍閥はなくなったが、官僚閥は今後も潜行的にその勢力の維持をはかるに相違ない、徹底的に官吏の特権的色彩を払しょくする必要がある、と指摘している。そして、日本の官僚にも非常に優れた才能が一つある、それは責任回避術である、と皮肉っている。

 なぜ戦争が起こったかに関して、永野は、「日本有史以来の大人物の端境期に起こった」とも言っている。明治維新当時の志士などのような人物が指導層に全くいなかったことを指している。今後は、「議会政治には確固たる基礎と明白なる主張を有する政党の出現」が必要であり、国民には民主主義的再教育が必要だとも言う。

 このように、『敗戦真相記』は今日の日本にもあてはまる内容が多々あり、永野の洞察力のすごさを痛感する。

 一つだけ、読後感を述べると、官僚制度もそうだが、終身雇用・長期雇用・正社員といった慣行・制度は、上に述べた日本の組織の縦割りと深い関わりがあるように思う。行き過ぎた企業・組織間競争や、働く者に対する長時間労働などの過重な負荷、それらは、勤める組織への忠誠と裏腹の関係にある。それだから、非正規雇用の問題は、正規化ではなく、同一価値労働同一賃金が望ましい解決方策だと思う。合わせて解雇規制を緩和することだ。 

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