« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »

2013年1月31日 (木)

働くことに生き甲斐や喜びがある経済社会か

 『ブラック企業~日本を食いつぶす妖怪』(今野晴貴著)を読んだ。伝統的な製造業が縮小し、サービス産業など第三次産業が日本経済の大きな割合を占めている。ところが、労働組合が力を持ち、終身雇用を維持してきた製造業の大企業と違い、サービス産業などでは社員として採用した若者を人権や法を無視して酷使したり、不当にやめさせたりする企業が少なくないという。時には人格が崩壊するまで追い込まれる若者もいて、日本の将来を担うべき世代に暗雲がたれこめている。

 具体的な内容については本書を手に取っていただくとして、上場企業、グローバル企業として名だたる企業が、企業の社会的責任(CSR)を自覚せず、若い人材を物扱いして浪費し、弊履のごとく捨て去る事例を読むと、怒りを感じる。これからの日本を担う若い世代が夢を抱き、仕事にも結婚・家庭にも明るい希望を持つことができるようにすること。それが国や企業の指導層に課せられた責務ではないか。

 おりから春闘のシーズンが始まった。経団連のトップの頭にあるのは、会員企業の支払える総額人件費という観点だけ。大企業の団体ながら目先の問題しか眼中にないので、「ブラック企業」の行動を改めるといった総資本の立場での取り組みはうかがえない。

 また、労働団体の総元締め、連合は人材投資などで1%の賃上げを求めているものの、実態は企業ごとの労使交渉にゆだねている。そして、各単組は経営側の主張する支払原資の枠からはずれた高い賃金を獲得しようと闘争を組む構えにはない。

 労働組合に組織された労働者の割合は20%をとっくに切っている。長時間労働を減らし、人間らしい生活を営むといった基本的な条件すら、いまの労働団体は確保できていないからだ。連合などの傘下の労働者はまだ、多くが長期雇用、年功序列賃金の枠に守られているが、サービス分野などの新興企業の労働者は労働組合がないか、あっても、会社の人事政策の思うがままというところが少なくないようだ。こうした「ブラック企業」とどう闘って、非人間的な人事管理を改めさせていくか。それは本来、ナショナルセンターの主要な使命の一つではないか。

 本書には、「ブラック企業」にどう対処したらよいかの提案もされている。それに付け加えたいのは、連合や全労連などの中央組織が、若い人たちに積極的に手をさしのべ、負けずに闘うことができるような強い支援組織を全国に展開することである。いまの彼らにはきわめて困難な注文だろうが、それをすれば、連合などの組織の発展にもつながるだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年1月30日 (水)

2009~2013年度の5年間で国債発行残高は177兆円も増える

 財務省が国債発行および管理に関する政策を発表した。その発表資料の中で一番わかりやすいデータは「国債発行残高の推移」というグラフである。2008年度には677.0兆円だった国債発行残高は毎年度20数兆円ないし40数兆円増え続け、2013年度末(平成25年度末)には854.8兆円に達する。

 発表をもとに、国民1人あたりを計算すると、700万円ぐらいになる。いまは長期金利がゼロに近いが、デフレでなければ、年利数%になるから、5%だと仮定すると、国民1人あたり毎年35万円ぐらい金利支払いを求められる勘定だ。国債発行残高がいかに巨額か、そして、こんな無茶な財政運営が長く続くわけがないことは常識でわかる。

 財務省は2013年度の主な施策として、「年限別のバランスのとれた増発と30年債市場の育成」などを挙げている。しかし、「平均償還年限を着実に長期化(7年11ヵ月)」するというのは、”借金”の返済までの期間を先に延ばし、国債の発行額を抑えることを意図しているのではないか。

 2013年度の国債発行総額はすでに170.5兆円に達しており、金融市場が巨額の国債発行希望総額を消化吸収する限界が近づいている。30年債の発行を「年間8回発行から、毎月発行に移行し、市場を育成」するというのも、国の”借金”総額が増えて国債の消化難が予想される時期が近いことを想定しての対応ではなかろうか。

 いずれにせよ、GDP比でみた国債発行残高の割合が先進国で断トツに高い日本の財政について、国民の警戒観が必要である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年度国家予算案の危うさ

 政府は2013年度一般会計予算案などを29日の閣議で決めた。デフレ脱却と財政健全化とを両立させる予算づくりを望んでいたが、後者の財政健全化はほとんど採り入れられていない。

 消費税の引き上げが実施されていないのに、あたかも消費税アップによる税収増があるかのような気分で組まれたのが13年度予算案である。2012年度補正予算案で公共事業などの大盤振る舞いをしているので、この補正予算と13年度本予算とを合わせると、100兆円をはるかに超える歳出規模になる。しかし、そうした手管を弄しても、税収のほうは増えるわけではないから、ツケの国債発行残高はさらに大きく膨らむ。

 歳出のムダ除去や効率化は生活保護費の一部削減や、地方公務員給与カットに伴う地方交付税交付金の削減を織り込んだ。そこは評価する。しかし、一過性の経済効果しかない公共事業を増やしたのは自民党の利権体質を表しており、歳出削減とはおよそ正反対の行為である。そして、医療・介護などの過剰な給付などに対しては、全く手をつけていない。既得権への切り込みは抵抗が強いため簡単には進まないということは百も承知したうえで言うのだが、財政再建は、既得権カットの痛みを引き受けてもらうことによってしかこの国には明るい展望は開けない、ということを国民に説得することから始まる。安倍首相がそれを理解していないとしたら、アベノミクスは亡国の政策に等しい。

 大震災の復興費を政府はさらに6兆円上積みし、5年間で25兆円とすることも決めた。緊急、かつ人々の生活や地域経済を復興させるために必要な歳出を計上するのは当然だろう。しかし、放射能汚染の除去作業がかなりいい加減に行われているとか、元請けから何段階かの下請けを経て、ピンハネが行われているとか、税金のムダが報じられている。被災地の主要都市では夜の歓楽街が異常に活気づいているというように、国民が負担する復興費用に無駄な歳出が多いことは間違いなさそうだ。もともと復興費用は19兆円でも多すぎるということは以前にこのブログで書いた。

 民主党の政権であれ、自民党の政権であれ、基本的には「こっちの水は甘いぞ」と国民の歓心を買う政党である。そして、官僚支配に依存するためもあり、政治の思いきった転換は行なえない。政治家も官僚も、はたまたその周辺の人たちも、経済政策の大胆な改革には及び腰である。そこにメスを入れる政治勢力が現れないと、この国の未来は暗澹たるものになりかねない。国民の意識の変革がカギとなる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年1月26日 (土)

野党はどうしているのか、もっと報道を

 安倍政権が誕生して日も浅いのに、前政権を担っていた民主党や野田前首相らの動静がほとんど報道されないのは物足りない。野田さんは選挙区で辻説法をしているのだろうか。何を訴えているのだろうか。菅元首相はどうしているのか。鳩山元首相が相変わらず突飛な言動をみせていることは報じられているが、まともな民主党有力者たちは党立て直しにどう取り組んでいるのだろうか。

 維新の会が参議院選挙でみんなの党と競合しないように話し合いをしていることは報じられている。小沢一郎氏が生活の党の代表に選出されたことも。民主党と維新の会の幹事長会談で両党が通常国会で連携することで合意したことも小さく新聞に掲載されている。

 新政権が前政権の政策を次々に修正するというか、ひっくり返していく過程は、民主党が天下をとった時の衝撃と比べれば大したことはない。だが、デフレ脱却のための日銀への物価上昇2%目標の押しつけ、公共事業費の拡大、税制改正、それらも影響しての円安、株高、そしてアルジェリアの人質事件などと、新聞紙面がにぎわっているのは確かだ。

 そうした自民・公明連立政権の意欲的な政策転換が果たして、長い目で見た日本の経済社会にとって望ましいことか。そういう視点で野党の意見や活動を報じるのもメディアの役割である。メディアが野党のすぐれた政治家の見解をおりにふれて伝えることは、国民の判断、選択にとって欠かせない。

 衆議院選挙で民主党が大敗した結果、小選挙区制に立った二大政党という姿にはなっていないが、今後、野党の再編統合も考えられる。メディアは野党の活動をフォローし、与党一辺倒になりがちな報道の偏りを意識して是正していくべきだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年1月25日 (金)

日銀総裁講演でよくわからなかったこと

 25日に白川方明日本銀行総裁が日本記者クラブで講演した。演題は「中央銀行の役割、使命、挑戦」。最近の日銀をめぐる報道を踏まえ、中央銀行の本質を理解してもらいたいというものである。

 中央銀行は物価の安定と金融システムの安定とを目的にしている。そのために、「最後の貸し手」の役を果たしたり、バブルを防止し、経済や金融の安定を図ったりする。大災害などの危機において、金融システムや金融市場を維持することも重要である。

 また、欧州債務危機で、通貨の信認、安定を維持するのに財政規律の維持が重要だということがはっきりした。

 そして、中央銀行の挑戦課題として、日銀の「最大の課題は、デフレからの脱却と物価安定のもとでの持続的成長経路への復帰」だと言う。

 ところで、この講演には物価の安定という言葉がしばしば出ていた。「金融政策は物価安定のもとでの持続的成長を実現する観点から…」、「2%の物価安定の目標を導入した」、「今後、日本経済の競争力と成長力の強化に向けた幅広い主体の取組の進展に伴い、持続可能な物価の安定と整合的な物価上昇率が高まっていく」。

 「多くの国民が望んでいる物価の安定とは、雇用の増加と賃金の上昇、企業収益の増加などを伴いながら経済がバランスよく持続的に改善し、その結果として物価の緩やかな上昇が実現する状態」etc.

 毎年2%も物価が上がるのを物価の安定と言うらしい。長期にわたって低い物価上昇率が続いてきたことを「物価の安定」とは呼ばないようだ。そこいらが経済学の素人には理解しづらい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年1月22日 (火)

アベノミクス報道一辺倒のメディアに無視された財政審報告

 財務省の財政制度等審議会が1月21日にまとめ、発表した「平成25年度予算編成に向けた考え方」は「我が国の財政状況は年々危機の度合いを強めている」、「このまま公債残高の累増を放置し、日本経済にとって最大のリスクと言える財政破綻を現実のものにしてはならない」と危機感を募らせている。

 政権をとった自民党がアベノミクスで国の財政支出を膨らませる方向に進みだした。日銀も2%の物価上昇を目標に掲げ、さらなる金融緩和に踏み出す。こうした安倍内閣の財政政策を実務で担う財務省は増大する歳出を賄うため、相変わらずの大量赤字国債発行など歳入拡大のやりくりをしている。だが、同時に、同省は、それが財政破綻に直結しかねないことを十分に承知しているから、審議会の答申という形で、政治や国民に対して、財政危機の実態と、その原因および対策を訴えてきている。

 消費税の2段階引き上げが実現するとしても、「2020年度以降における公債等残高の対GDP比は200%を超えて増加し続けてしまう見込み」だという。このため、巨額の財政赤字が恒常化した財政の現状を国民はいま一度直視すべきだとしている。「負担以上のサービスを享受しつつ、大きな負担を将来世代に先送りし続けている現実から目を逸らさずに責任ある議論を行い、具体的な結論を積み重ねていくことが求められている」と。

 2012年度の一般会計予算は90.3兆円。国債の元利払いに21.9兆円充てるので、残る実質的な政策経費は68.4兆円である。そのうち、約4割が社会保障関係費、約4分の1が地方交付税交付金である。厚生労働省および総務省の所管する歳出だけで、政策経費のおよそ3分の2を占めている。きわめて硬直的な歳出構造になっている。しかも社会保障関係費だけで毎年1兆円も増えるというから、どう見てもまともな財政運営になっていない。

 社会保障関係費および地方交付税交付金について詳しく問題点を挙げているほか、他の主要な歳出分野についても、審議会報告は財政再建に向けてそれらの問題点を列記している。

 2010年6月のG20トロントサミットの共同宣言で、日本政府は、遅くとも2015年度までに国・地方の基礎的財政収支(プライマリーバランス)の赤字の対GDP比を2010年度の水準から半減する、そして、遅くても2020年度までに黒字化すると約束した。

 アベノミクスはそれを一応踏まえ、成長戦略など3本の矢で達成しようとしているのだろうが、その実現には、疑問符が付く。行き過ぎた社会保障給付の是正、言い換えれば社会保障の給付水準を受益者の負担に見合った社会保障の給付水準に抑えていくこと、医療、介護などの制度の効率化が筆頭に挙げられるが、安倍政権は70~74歳の高齢者の保険医療費自己負担を元の2割に戻すことさえできない。

 審議会報告では、消費税で社会保障の公費負担をすべて賄うには、10%に上げた消費税収では足りず、17兆円をさらなる消費税引き上げで確保する必要があると指摘している。それは7%ぐらいの上乗せに相当する。それを回避して財政健全化を進めるには、報告で挙げられている改革案を着実に実行することが重要ではなかろうか。先進国で最も財政危機が進んだ日本において、派手なアベノミクスは中長期的には、却って日本の財政危機を加速するのではないかと心配だ。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年1月20日 (日)

曽野綾子氏の『働きたくない者は、食べてはならない』

 タイトルが「働きたくない者は、食べてはならない」という刺激的な本を見かけたので手にとった。曽野綾子氏が昨年5月に出した本である。第18章の題が同じ「働きたくない者は、食べてはならない」である。以下の文章は、この第18章に関してのものだ。

 「働きたくない……」は聖書の言葉を引用したもので、「怠け者は食べるな」ということだと言う。そして「毎月生活保護を受けて暮らしている人の中で、お金を受け取りに行ったその足で、いそいそと競輪やパチンコに行く人は結構多いらしいから、能力体力に応じて、労働でいくらか返す制度を作って当然ではないのだろうか」と指摘している。

 著者は、老人に対し、もっと働けと主張する。少子高齢化のため、現役世代が背負う社会保障費などの負担が重くなっているからであるが、それとともに、老人に生きる満足感を与えるためだという。人はお金や介護などを受ける立場にいる間は、もっともっとと野放図に求め、決して満足することはない。しかし、働いて社会に与える立場になると、自分の存在理由、存在意義が見えてくるから満足できる。高齢者にとって、与える生活は生きる満足感をもたらすというのが著者の言いたいことである。

 同章の最後は「老人は死ぬ日まで、できれば働かねばならない。長い歴史の間、そのようにして人間は生きてきたのだ。人間とは倒れる瞬間まで働くものだ。少しもみじめではない。」で締めくくっている。

 この本を読んで私が思ったのは、いまの政治課題の1つである生活保護費切り下げ問題である。働いている低所得者層と比較して、生活保護の受給者のほうが所得が多いのは明らかにおかしい。生活保護費の約半分が医療費だというのも異常にみえる。また、実態は定かでないが、生活保護受給者が生活費を受け取り、パチンコ店に直行するなどというのは制度の欠陥としか思えない。

 このため、政府が生活保護の制度を改める必要があることははっきりしている。ただ、改正にあたってのポイントは、曽野氏の言う、人は死ぬまで働かねばならない、それが生き甲斐になるのだという視点を基礎に置くことではないかと思った。つまり、生活保護を受けたほうが働くよりも得だし、楽だということで労働意欲がなくなるという現行制度を改め、働くほうが充実感や生きがいを感じるという仕組みへの転換である。

 話は飛ぶが、年金生活者も、遊び呆けるのではなく、時にはボランティア活動などでもいいから働いて社会に貢献することが期待されているのではないか。曽野氏の著書からそんな示唆も読み取れる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年1月15日 (火)

雪除けで見える都会人の心情

 14日に東京で降った雪で、クルマが動けなくなったり、人が歩くのに難渋したりした。同日の夜になって凍ったりしたので、15日も朝から、東京はその後始末に振り回された。あちこちで雪かきが行われ、かき集められた雪が街のあちこちに残っている。

 昼に出かけ、新橋あたりを歩いたが、気付いたことがある。大通りに面しているビルのテナントである銀行や商店の中には、自店舗の前ですら雪除けしていないところがあった。シャッターが下りているビルの前は当然、雪が積もったままだが、隣のビルの商店の従業員らしい服装の男性が雪をかいていた。ただ、雪を除けるといっても、どこも自店の前を人が行き交うことができる程度の狭い範囲にとどまっている。

 お店は仕事に手いっぱいで、雪をそっくり除けるほど人の余裕がないのだろうか。それとも、単に全部を片付けるのは大変だ、面倒くさい、ということだろうか。

 私の自宅(マンション)の近くの道も、当然、雪が積もった。だが、道のかたわらの戸建て住宅の家人は15日、ほとんど雪除けをしていない。高齢者しかいないのか、道路の雪をなんで除けねばならないのかと思っているのか。コミュニティに対する思いが薄いのだろうか。

 かつて住んでいた千葉県の新興住宅地では、雪が降ると、近所の人たちが競うように雪かきをしていた。歩きにくくならないようにと言う気配りからだったかもしれないが、雪かきしないと、ご近所に何を言われるかわからないという気持ちからだったようにも感じた。雪かき一つで、いろいろ考えさせられる。

 絆(きずな)という言葉がよく使われる。困っている人、苦しんでいる人に手を差しのべる優しい心根の人がたくさんいる社会は生きやすい。しかし、さまざまなバックグラウンドの持ち主が集まる東京では、人は皆、自ら生きるのに必死で、他人を思いやる余裕が乏しい人が多い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年1月11日 (金)

孫田良平氏の人生4期間説

 労働問題の評論家として長く活躍してきている孫田良平氏が「山形新聞」の昨年12月27日付けコラム「直言」で人生100年、それを4期間に分けるという生き方を推奨している。記事の見出しは「仕事の専門職化進めよう  定年見据え経済的自立の手助けに」である。

 これによると、100年生きるとして、最初の4分の1にあたる第1期は学習・訓練の仕込みの期間であり、第2期は能力を発揮し、仕事に打ち込む期間である。50歳前後からの第3期は「自ら選んでの仕事指導・専門職特化、併せて趣味・道楽・余技・会の世話などの楽しみに打ち込む期間」である。

 この第3期において、「現在の仕事を定年後にも生かせるように専業化、専門職化を心掛け」、それによって、高齢になっても経済的に自立できる道を早めに見つけることを勧めている。そして、第4期は「健康が許す限りは第3期を延長しながら自己完成を楽しむ期間である」という。

 以上の4期間説は、孫田氏によると、現在90歳を超えている氏みずからの人生で実践してきたことだという。

 見渡せば、私の知人、友人の中にも、やはり人生100年として、それを4分割し、50歳からの第3期は人のために尽くすと決めて、すぐれた才能の持ち主を支援している弁護士がいる。また、サラリーマン人生の間も趣味の絵画を続け、定年退職後、カルチャースクールの教師などをしている人もいる。

 若いころにはそんな老後のことまで考えなかった。しかし、少子高齢化で、子供に老後の世話を期待することは今日では現実的でない。また、会社のお荷物になる形の定年延長も、いまのように会社の負担になるばかりでは無理がある。年金も実質的に減る方向にある。したがって、明るく元気に老いていくには、それなりの覚悟と準備が必要だろう。孫田氏は、それをこのコラムで教えてくれた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年1月10日 (木)

中国のゆくえはどうなるか―柯隆氏の話を聞いて

 日本記者クラブで行われた記者会見で、富士通総研の柯隆氏の話を聞いた。話は広い範囲に及んだが、私の解釈では、中国の今後5年ないし10年後は現状から大きく変化することになりそうだ。

 柯氏によると、過去10年間、胡錦濤以下の指導者のもとで、中国は変わろうとして何も変わらなかった。しかし、今後5年~10年、このままではありえない。一党独裁の専制政治を打破しなければならない。習近平総書記は民主化をやらざるをえないが、急げば危うい。追い込まれてやることになるのか。

 日本や米国のような民主主義選挙はありえない。そんなことをしたら、多くの立候補者が殺されるだろうという。中国の憲法学者はまず党内民主主義を導入し、中央委員(7人)を300人ぐらいの党幹部による投票で選出することを唱えているそうだ。マスコミ規制に関する法を制定するとか、司法の独立を認める、とかの主張もされているという。

 共産党の指導者層は子供や妻を米国などにたくさん居住させている。トップ層の87%がそうしているとか。多くの指導者がいざというときに備えて海外に巨額の個人資産を移したりしているようだ。

 広東省の週刊新聞「南方週末」の新年号特別記事改ざん事件と記者たちの抗議活動、および収拾の経緯は、権力むき出しに民衆の不満を抑圧するだけでは13億人余を平穏に統治することが難しくなった中国の深刻な国内事情を表しているように思う。

 尖閣諸島をめぐって日中両国の対立が激しくなっている。それについては、柯氏は、日本政府が中国政府と早く対話を再開すべきだと語った。民主党政権時、富士通総研は中国政府との間にホットラインを設けるよう勧めた。また、尖閣諸島の国有化で中国のメンツをつぶしたいきさつから、非国有化のシナリオを提出したという。日本政府の息のかかったNGOに尖閣諸島を譲渡すること、尖閣諸島一帯を50年間、双方の立ち入り禁止海域とするというアグリーメントに両国政府がサインするといった内容だったそうだ。

 また、柯氏によれば、中国における日本企業の貢献は大きい。直接の雇用が600万人、間接雇用は400万人に及ぶ。金額はわからないが、納税額も大きい。そして中国に技術移転している。これらは今後も中国にとって必要である。したがって、日本の政府も、駐中国大使も、なぜ、そのことをもっと声を大にして言わないのか、と語った。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自民党は野党時代に何を学んだのか

 「いまの自民党は野党時代に多くのことを学んだので、元の自民党とは違う」。同党の石破幹事長がBSフジの番組で言っていた。以前の自民党政権時代は、政策は官僚がつくってくれ、それを国会で通すのが同党の仕事だったが、下野したら、官僚から情報が入らなくなったので、自分で政策を考えるようになった、などと例を挙げた。石破氏らしい、まじめな語り口で、この人は本当にそう思っているようだなと思えた。

 しかし、事業規模が20兆円(補正予算規模だと10兆円)という緊急経済対策がまとまる過程をみると、実態は元の古い自民党の復活としか思えない。

 景気対策と言えば定番の公共事業を増やし、自民党の支持基盤だったさまざまな既得権益団体へのバラマキを行なう。カネを使うアイデアとなれば、霞が関の官僚たちは嬉々としてさまざまな提案をしてくれるから、その中から、次の選挙で票の獲得につながりそうなものを中心に選ぶ。地方自治体にも、喜んで協力してくれるように交付金を付ける。

 財源のことは気にしないで予算を増やすのだから、こんなに気楽なことはない。Play Now Pay Later である。

 いままでの経済運営ではデフレ脱却は困難だったから、政権交代を機に、安倍政権が経済政策の転換を図るのは当然である。だが、1千兆円にものぼる公的債務の重さを踏まえれば、当然、歳出の中身を洗い、中長期的な経済構造の転換につながる歳出への転換や歳出の効率化を一緒に進めるべきだ。残念ながら、既得権益に本腰でメスを入れる姿勢が感じられない。安易に債務の積み上がりを許す財政運営は財政破綻に直結する。

 民主党政権も赤字国債発行額に一応上限を設けていたが、補正予算は尻抜けになっていた。だから、赤字国債残高が膨れ上がった。政権の座に復帰した自民党は、どうも、その民主党の財政運営以上に放漫なカネづかいをしようとしている。

 長期金利がじりじり上がってきているのは、こうした安倍政権のやりかたに市場が危うさを感じている表れ、即ち警告と受け止める謙虚さが必要ではなかろうか。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年1月 4日 (金)

新聞が捉えてほしい潮流

 「紅白」などの話の続きを。例年通り、元旦の主要新聞6紙にざっと目を通した。農水省の重要機密がネット侵入で盗まれていたという特ダネを除き、驚くようなニュースはなかった。しかし、連載企画記事や特集記事も、IT技術の革新についての特集を除けば、大したものは見当たらなかった。

 全くと言っていいほど記事がなかった分野が地球温暖化問題である。世界のあちこちで台風の規模が大きくなり、豪雨・洪水や竜巻などが起きるようになった。また、世界は京都議定書の第1約束期間の期限である2012年までに、温暖化の勢いを止めることはできなかった。米国や中国などの主要排出国が手をこまねいているため、このままでは人類の生存を危うくする深刻かつ大規模な異常気象が起きるだろう。

 日本はフクシマですっかり温暖化への取り組みがさめてしまった。石炭や天然ガスを燃料とする火力発電を増やしたため、温暖化を促す二酸化炭素の排出増はやむをえないという見方が支配的である。温暖化対策などを理由に原発再開を求める声はあるが、温暖化問題は国民の関心からはずれた。しかし、問題の重要性や深刻さを踏まえたら、新聞は温暖化問題を継続して取り上げてしかるべきだった。

 携帯電話はスマホなどが中心になり、電車の中でも、実に多くの人たちが小さい画面を凝視している。技術革新が著しいこの分野では、新サービスが相次ぎ、利用者はさまざまな便益を享受している。新聞界も購読者の減少傾向に対応して電子新聞を出している。メディアはこうしたネット化対応とともに、この先端分野に立ち遅れた日本のエレクトロニクスメーカーの工場閉鎖や人員整理、あるいは経営建て直しなどを報道している。

 しかし、新聞はネット化の潮流に乗ることに必死であり、ネット化の負の側面を見詰めているか疑わしい。紙の新聞は紙面の下段にあるベタ記事(1段見出しの記事)にも目が行く可能性があるが、電子新聞の読者は主要な記事には目を通しても、画面が小さいので、ベタ記事まで読む可能性は低い。また、紙の新聞と異なり、関心分野の記事だけ読むという読者も多いと思う。

  紙の新聞には文化、暮らし、教育、趣味、マナーなどいろいろな分野の記事が載っており、知らず知らずのうちに常識を身に付ける効用がある。ネット化は教養、人生観、人間関係などにプラス・マイナスのさまざまな影響を及ぼす。子供の勉学の時間や意欲にも悪影響を及ぼしているおそれもある。そうだとすれば、将来の日本の経済社会の発展が危ぶまれる。そうした問題意識が新聞に足りない。

 正月休みに会ったある家族は、奥さんが2人目の子供の育児休暇がこの春に切れるので、職場に復帰するつもりだと言っていた。しかし、上の子が通っている東京都練馬区の保育所に2人目の子が入れるかわからないという。入れないと、毎日、2人の乳幼児を別々の保育所に連れていかねばならない。それだと夫婦共働きなので仕事の都合からも無理があると語っていた。したがって、上の子の通う保育所がノーだと、奥さんは勤めをやめるしかないとのことだった。

 いまの日本は女性が働ける環境を整えることが焦眉の課題の1つである。しかし、役所は予算がないとか、補助金がないとかを理由に、住民の希望にそわなくても平気だ。国政や地方政治にたずさわる政治家も、住民の切なる願いに寄り添うハートを持っているか疑わしい。これは単なる1つの例にすぎないが、新聞はそうした住民の目線に即した記事をもっと載せてほしいものだ。紅白歌合戦の舞台裏に記者を張り付け、歌手が舞台から戻るたびに感想を聞いて電子新聞に速報する――なんてことを大新聞がやっている。ネット化の嵐に直面して、大新聞は正常な感覚を失いつつあるのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「紅白」、「森喜朗の履歴書」などが示すこと

 年末年始は友人の葬儀に行ったり、娘・息子が家族を連れて遊びに来たりして、あわただしく日が過ぎたような気がする。そうした生活の中で、いささか気になることがいくつかあった。1つは、NHKの紅白歌合戦だ。歌で競う歌合戦と言うよりか、派手な演出が続き、ショーを見ているような気分になった。

 直立不動で歌った東海林太郎(といっても、中年以降は知らないだろう)のように、歌そのもので評価を競う時代は去ったようだ。5人とか48人とか数で歌い、踊るグループサウンズが多いうえ、演歌のように歌手ひとりのときにも派手な応援のダンスチームが付いていたりする。こうした派手な演出は年を追って激しくなっている。

 出演する歌手をどういう基準で選んでいるのか全くわからない。ただ、毎年出ていて、NHK職員の永年表彰かと思ってしまうような歌手もいる。年をとり、声が衰えている歌手もいれば、お世辞にも歌がうまいとは思えない歌手も出ている。この1年にヒットした歌がなく、昔のヒット曲を歌う歌手もいる。

 歌手とは別にゲストを舞台に招いているが、目立つのは、朝ドラなどNHKの番組に出演した俳優などだ。紅白はNHKの最大の売り物だということで、どうもお祭り騒ぎをしているような面がある。

 NHKは民放と違って有料であり、公共放送の看板を背負っている。だから、紅白をショー化して視聴率を上げるのに血道をあげる必要は全然ない。民放を含めて、テレビ放送はいかにあるべきかをじっくり考えてもらいたい。

 いま1つ気になったのは日本経済新聞の「私の履歴書」に昨年12月の1か月間連載された森喜朗氏(元総理大臣)の記事である。

 私の知人の新聞OBは皆、この森氏の履歴書がおもしろいと評価していた。私事から政治にいたるまで、誰と何をどうしたか、これほどあけすけに書いた「私の履歴書」は読んだ記憶がない。森氏があけすけで裏表のない人だということがよくわかった。

 しかし、この国がどうあるべきか、そのためにどうすべきかといった政治家としての抱負経綸や哲学のない人が政治家になり、総理大臣にまでなったという印象は最後まで消えなかった。

 そういう目でみれば、自民党には似たような総理大臣経験者がいるし、いた。現代の日本が抱えている深刻な多くの課題の淵源は、こうした体質の自民党による支配が続いたことにありそうだ。安倍首相を見ていると、一見、自分の主張を強く打ち出し、森氏とはかなり違うタイプのようだが、その本質は彼をかついだ他の党幹部たちと似たり寄ったりではないだろうか。 

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »