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2013年1月 4日 (金)

「紅白」、「森喜朗の履歴書」などが示すこと

 年末年始は友人の葬儀に行ったり、娘・息子が家族を連れて遊びに来たりして、あわただしく日が過ぎたような気がする。そうした生活の中で、いささか気になることがいくつかあった。1つは、NHKの紅白歌合戦だ。歌で競う歌合戦と言うよりか、派手な演出が続き、ショーを見ているような気分になった。

 直立不動で歌った東海林太郎(といっても、中年以降は知らないだろう)のように、歌そのもので評価を競う時代は去ったようだ。5人とか48人とか数で歌い、踊るグループサウンズが多いうえ、演歌のように歌手ひとりのときにも派手な応援のダンスチームが付いていたりする。こうした派手な演出は年を追って激しくなっている。

 出演する歌手をどういう基準で選んでいるのか全くわからない。ただ、毎年出ていて、NHK職員の永年表彰かと思ってしまうような歌手もいる。年をとり、声が衰えている歌手もいれば、お世辞にも歌がうまいとは思えない歌手も出ている。この1年にヒットした歌がなく、昔のヒット曲を歌う歌手もいる。

 歌手とは別にゲストを舞台に招いているが、目立つのは、朝ドラなどNHKの番組に出演した俳優などだ。紅白はNHKの最大の売り物だということで、どうもお祭り騒ぎをしているような面がある。

 NHKは民放と違って有料であり、公共放送の看板を背負っている。だから、紅白をショー化して視聴率を上げるのに血道をあげる必要は全然ない。民放を含めて、テレビ放送はいかにあるべきかをじっくり考えてもらいたい。

 いま1つ気になったのは日本経済新聞の「私の履歴書」に昨年12月の1か月間連載された森喜朗氏(元総理大臣)の記事である。

 私の知人の新聞OBは皆、この森氏の履歴書がおもしろいと評価していた。私事から政治にいたるまで、誰と何をどうしたか、これほどあけすけに書いた「私の履歴書」は読んだ記憶がない。森氏があけすけで裏表のない人だということがよくわかった。

 しかし、この国がどうあるべきか、そのためにどうすべきかといった政治家としての抱負経綸や哲学のない人が政治家になり、総理大臣にまでなったという印象は最後まで消えなかった。

 そういう目でみれば、自民党には似たような総理大臣経験者がいるし、いた。現代の日本が抱えている深刻な多くの課題の淵源は、こうした体質の自民党による支配が続いたことにありそうだ。安倍首相を見ていると、一見、自分の主張を強く打ち出し、森氏とはかなり違うタイプのようだが、その本質は彼をかついだ他の党幹部たちと似たり寄ったりではないだろうか。 

 

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コメント

森喜郎氏はシンキロウ蜃気楼といわれる実態不明の人、早稲田大学雄弁会当時のまま政治を同好会化して内容の無い政治屋グループにした人と見ます。正直なのも聖職足るべき仕事を商売とした結果でしょう。

投稿: | 2013年1月16日 (水) 15時16分

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