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2013年4月11日 (木)

映画「李藝~最初の朝鮮通信使」と微妙な日韓関係

 600年ほど前、朝鮮から日本へ毎年、外交使節が派遣される「朝鮮通信使」の制度が始まった。その頃に海を渡ることは、遭難や海賊などの危険が伴うため、容易なことではなかった。だが、それを最初から数えて40回余も自ら率いて日本に来た外交官、李藝という人物がいたという。その訪日の軌跡を、現代の韓国の男優、ユン・テヨンがたどるという映画「李藝~最初の朝鮮通信使」を見た。

 李藝が子供の頃、母親が倭寇に拉致されたとか、多くの朝鮮人が倭寇に連れ去られたという事情があったにせよ、李藝が生涯の大半を朝鮮通信使として捧げた理由ははっきりしない。それはさておき、釜山から日本の京(京都)まで通信使が行き来した道(海)や街がいまどうなっているか。ユン・テヨンが訪れた瀬戸内の家や寺、街並みは、多くが都市化・近代化に取り残されているが、どこか懐かしい思いにかられるところばかりだった。映像も美しかった。

 現在の日韓関係は、慰安婦問題や竹島(独島)の領土問題で微妙に対立している。そういうときだけに、その昔、双方の友好親善をめざした李藝を主テーマにしたこの映画の意義は少なくない。

 映画では、駐日韓国大使館の招待で韓国を訪れた日本の若者たちが、通信使の軌跡をたどるという過程で、竹島問題など現在の問題に触れたりする場面がある。だが、このあたりの映像は主テーマの李藝とは直接関係ない。果たして必要だったかと思う。現在の両国間の争点で、日韓の主張が真っ向から対立しているだけに、ちょっとした描写とはいえ、気になった。

 歴史上の人物とはいえ、李藝が執念を燃やして友好親善の実現に努めた当時の争点は何だったか。残念ながら、映画では、そこがぼやけている。そのために、安易に現在の日韓対立を取り込んだ構成につながったのではないか。

 

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