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2013年4月 7日 (日)

『被災後を生きる~吉里吉里・大槌・釜石奮闘記』の鋭い指摘

 3.11の巨大津波の被災者たちが、津波からどう逃避したか、どう避難生活を過ごしたか、そして、復興まちづくりがどう行われていこうとしているか。国立民族博物館教授の竹沢尚一郎氏が被災地で地域を支援し、考え、活動したことを記録した著書『被災後を生きる~吉里吉里・大槌・釜石奮闘記』を読んだ。

 「データを集めるため、現場をひたすら歩きまわり、できるだけ多くの住民に会って、ときに一緒に作業したり食事をしたりしながら、丹念に話を聞いていく」というプロセスを経て、著者は被災~復興の過程について、住民が結束して危難に立ち向かう事例の紹介や、住民無視の復興策に対する厳しい批判を展開している。

 第2章「危機から逃れて、避難所を運営する」の「3.吉里吉里国奮闘記」では、避難所で住民がいち早く災害対策本部を立ち上げ、避難民の知恵や工夫によって、がれきを除けて道路を通れるようにしたり、ガソリンスタンドの地下タンクの蓋をこじあけて給油を確保したりした事例を紹介している。同じく避難所といっても、外からの救援を待つだけのところもあった。そうしたいろいろな事例の紹介を通じて、地域社会のありかたを考えさせられた。

 第3章「三陸沿岸でどのようなまちづくりを実践するのか」では、巨大防潮堤への依存に疑問を投げかけ、復興まちづくりの場から住民が消されていると批判している。

 著者の復興に関するコンセプトは、「海を眺めながら生きてきた漁民の生活環境を守ることや、防潮堤の高さを低く抑えることで浮いた費用をまわして住民の生活の質の向上につなげること、高台移転と盛り土を優先させることで住宅の建設を一刻も早く可能にすること」だという。

 そして「このまま上からの一方的なまちづくりが進められたなら、三陸沿岸の各市町村の経済と社会関係と景観はどうなってしまうのか。そうなったなら、住民の生活環境の整備やコミュニティ形成を度外視して、(中略)大規模土木工事ばかりが優先された1995年の阪神淡路大震災のケースや、漁港整備と高台移転に莫大な予算が投入されたが、住民の3分の1が島を離れて過疎化が進んだ1993年の奥尻島のケースとおなじことが三陸沿岸でもくり返されてしまうのではないか」と憂慮している。

 一刻も早い復興をという掛け声のもとで、「役所や企業の机上で作成された各地の実情を無視したまちづくり案が、県や市のお墨付きと共に地域に下りてきている」、「情報の公開とそれを踏まえた公的な議論が、まちづくりの現場では現在まで一向に実現されていない」という。縦割り、官僚支配は変わらず、私が懸念していたことが本書でも裏付けられたように思う。

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