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2013年6月15日 (土)

川崎重工業の”破談”

 三井造船との合併を目論んでいた川崎重工業の社長らが、それに反対する多数の取締役に追われた。

 川重といえば、その昔、1969年、主取引銀行の第一銀行(長谷川重三郎頭取)が三菱銀行(田実渉頭取)と合併しようとしたとき、寝耳に水の合併話に反対した井上薫第一銀行会長と組んで合併反対の先頭に立った経緯がある。有力融資先の川重などの反対で、合併話は白紙となり、第一銀行はその後、日本勧業銀行と合併した。第一銀行と三菱銀行が合併すると、三菱銀行が経営権を握り、三菱重工業など三菱系企業に比べ、川重など第一銀行系企業は割を食うと考えたからだった。

 企業合併は企業の戦略的な生き残り策、競争力強化策である。川重の長谷川聡前社長がどのような発想で三井造との合併を目指したかは定かではないが、造船部門の強化というよりも、海洋開発に強い三井造との合併によって成長および総合重工業としての底力引き上げをねらったのではないか。

 それが適切な判断か否かは、川重の取締役会が決めることであり、前社長らの独走に批判的な取締役が多数だったため、合併話は川重側の都合で破談になった。この間の経緯は法的には問題はないようにみえる。

 しかし、社長らを追い出した取締役たちは、取締役会のメンバーとして全社的な立場で三井造との合併話を考えたのだろうか。これらの取締役は、常務取締役ではあるが、ガスタービン・機関カンパニー・プレジデントなどというように、各カンパニーのトップである。しかも、彼らは半分以上が、入社以来ずっと特定のカンパニーに所属していて、そのまま取締役、常務に昇進している。当然、彼らの視野は限られている。

 長谷川前社長らは川重の経営形態をホールディングカンパニー制にして、各カンパニーを100%子会社にしていれば、今回の”クーデター”は起きえなかったのではないか。そんな気がする。

 日本のビッグビジネスには取締役社長とかCEOが強力に引っ張っていく経営がほとんどみられない。だから、変革期には日本の企業はとかく遅れがちになる。川重の経営陣がそこに気が付けばいいが。

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