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2013年9月30日 (月)

いまどきの小学校運動会

 東京都心の小学校の運動会をはしごした。その感想を以下に記す。

 まず驚いたのは、競技・演技が始まる前の開会式のセレモニーの多いこと。開会のことば、入場行進、国旗掲揚、優勝旗(または優勝杯)の返還、校長あいさつ、誓いのことば、運動会の歌、と実に多い。閉会式もセレモニーがたくさんだ。成績発表、優勝旗(または優勝杯)の授与、参加賞等の授与、校長の講評、児童代表のことば、校歌斉唱、国旗降納、万歳三唱、閉会のことば、退場。PTA会長の話がある学校もある。

 個人的に違和感を抱いたのが万歳三唱と国旗の掲揚・降納。校長が自らを「校長先生」と言っているのも気になった。

 学校によって違うようだが、80メートル走とか100メートル走で男子と女子が入り混じって一緒に競って走っているのが興味深かった。男子と女子の体力差がなくなっているからなのか。いまどきの子どもたちはという言い方がなじまないほど、生徒たちは1年生から6年生まで、皆、懸命に競走していた。

 低学年の生徒がかごに玉を投げ入れる競争(玉入れ)では、ただ紅白に分かれ、それぞれのかごに入るよう、ねらって投げるだけではマンネリということか、生徒たちが音楽に合わせて腰を振って踊り、それから玉を投げたりしていた。毎年、工夫して、運動会をよりよいものにしようという現場の先生の努力を垣間見た気がする。

 ある小学校のマーチングパレードは、6年生全員が、楽器を演奏するか、旗を振って踊っていた。全員参加というのはすばらしい。普段の授業の教科とは関係ないことで、生徒が皆、練習し、本番で見事にやってみせたのである。第二次大戦後、間もない頃に小学校生活を送った者として、うらやましい限りだった。

 

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2013年9月29日 (日)

気候変動が激化するとの予測に世界は反応薄

 IPCC(気候変動に関する政府間パネル)が9月26日に、地球温暖化についての第1作業部会の第5次報告書を公表した。同パネルに3つある作業部会のうち、第1は温暖化の自然科学的根拠を追究する部会。

 報告書によると、二酸化炭素の大気への累積排出量と世界平均地上気温の上がる量はほぼ比例関係にある。気温上昇について、最も厳しいシナリオによれば、1986年~2005年を基準にした2081年~2100年の気温上昇は、摂氏2.6~4.8度の範囲に入る可能性が高い。また、海面の上昇は、同じシナリオによれば45~82cmの範囲に入る可能性が高い。

 温暖化が陸、海の両方に及ぼす具体的な影響については、第2作業部会が担当している。また、厳しい温暖化の影響を和らげるための方策を研究する第3作業部会もある。そのため、どのような災厄に見舞われるか、どう対応、適応していくか、についての報告書が出たら、世界はこの地球温暖化という人類最大の課題に、一致して真っ向から取り組むことを求められよう。

 それにしても、IPCCの第1作業部会報告書が発表されても、世界各国がほとんど反応しないのには愕然とする。温暖化が進行し、洪水、竜巻、山火事などの災害が世界のあちこちで頻発するようになっているのにだ。

 エジプトの政情不安、シリアの内戦や化学兵器使用、日本の”フクシマ”・放射能汚染、米国の金融政策の行方・財政不安、中国の経済不安定など、各国とも、目先の緊急テーマに追われている。このため、長期的には人類全体の最大の課題であるはずの地球温暖化問題を棚上げしているのである。

 地球温暖化の進行は、すでに海、陸の両方にさまざまな悪影響をもたらしており、人類の生存基盤を徐々に掘り崩しつつある。温室効果ガスの排出削減に乗り出しても、温暖化による悪影響は何世紀にもわたって続く。

 このように、世界の各国は、目先の問題に追われ、天下国家の問題を忘れているか、無視している。なかでも、中国、米国などの超大国は、温室効果ガスを大量に排出することに平然としている。原発問題があるにせよ、日本もだ。これでは、世界の将来展望は陰鬱にならざるをえない。

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2013年9月28日 (土)

自動車部品のカルテルで日本の一流企業が米国で罰金くらう

 日立オートモティブシステムズ、三菱電機など日本の自動車部品会社が米国で価格カルテルを摘発され、同国の司法省に罰金を納めた。すでに公けになっている矢崎総業、古河電工などの分も合わせると、日本企業(18社)だけで一千数百億円の罰金となる。逮捕された日本人従業員は懲役刑もくらった。

 以前に、この件でブログに書いたことがあるが、日本の企業はカルテル行為について、それが重大な刑事犯罪だという認識がまだ十分ではない。だから、この件に関するトップの責任の取り方も不十分である。グローバル化が進んでいるとみられているパナソニック、デンソー、三菱重工業などが18社のうちに含まれているように、日本企業の真の国際化はほど遠い。

 1960年代に日本の石油精製、販売の元売り会社を取材したことを思い出す。当時、米系の外資、エッソ・スタンダード石油やモービル石油は業界団体の石油連盟に加盟していたが、社長会で価格や生産量の調整に関する話になると、両社は直ちに退席していた。この当時、社長会には通産省の石油計画課長が同席していて、カルテルに及ぶような話し合いも一緒に話し合っていた。

 石油危機のころの価格カルテルは、こうした日本の政府と産業界との癒着が背景にあった。このカルテルが摘発されたとき、エッソやモービルなど外資は対象外だった。

 あれから約40年の歳月が経った。だが、日本の産業界には、ビジネスの対象がグローバル化しても、同業者間の癒着体質が一部にせよ、依然残っていることが明らかとなった。

 同じ商品・サービスをおおぜいで競争したら、値下げ競争になりやすい。他社とは違う商品・サービスを生み出し、他社の追随を許さないようにしたら、確固たる競争力を持てる。日本企業の永遠の課題ではあるが、それに本気で取り組んでほしいものである。つらくともだ。

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2013年9月26日 (木)

日本企業も国を超える企業合併に

 半導体製造装置メーカーの米アプライドマテリアルズと東京エレクトロンが国境を超える合併を行なうと発表した。世界のトップメーカーと第三位のメーカーとが統合するという業界を揺るがす出来事である。そればかりか、日本企業が三角合併方式を利用して多国籍化するという画期的な動きである。

 これだと、オランダに本社を置く持ち株会社が両社の株式をすべて保有する。そして、現在の両社の株主は、この持ち株会社の株式を割り当てられ、持ち株会社の株主となる。一方が他方を買収する支配・非支配の統合ではなく、双方の企業を対等に扱う実質的な統合は、古くから世界的な巨大企業で採用されてきた。

 1907年に、蘭ロイヤル・ダッチ・ペトロリアムと英シェル・トランスポート&トレーディングは経営を実質的に一本化し、ロイヤル・ダッチ・シェル・グループと名乗ってきた。もともと両社の資産などの比率が蘭60%、英40%だったので、成果配分なども同じ比率で行なわれてきた。こうした国境をまたぐ大企業の経営統合は、食品分野においては、1930年に、蘭ユニレバーと英リーバ・ブラザーズが統合してユニリーバが誕生した。

 また、鉱業のリオ・ティントは、英RTZと豪CRAが上場し、同一の取締役会により単一の経済単位として経営されている。BHPビリトンも、豪BHPと英ビリトンがそれぞれ上場しているが、同一の取締役会が経営している。 

 また、日本企業では、森精機製作所がドイツの工作機械メーカーのギルデマイスターと連携を強化している。開発、生産、購買、営業および製品の一本化を進め、お互いの株式持ち合いを強めている。そして、ブランドも「DMGMORISEIKI」に統一した。社名も一本化する。

 両社は2020年までに合併を目指すようだが、その場合、支配、非支配の企業買収ではなく、双方が対等な意識で合併する形態を望むのではないか。そのほうが、少なくとも日本企業にはふさわしい。おそらくドイツでもそういう感覚があるような気がする。

 

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2013年9月24日 (火)

米国経済についての中前忠氏の指摘は鋭い

 24日付け日本経済新聞夕刊のコラム「十字路」に、「米国経済はなぜ弱いのか」という題で中前忠氏(中前国際経済研究所代表)が書いている。いつも、中前氏の主張には、エコノミスト・学者のそれと異なる視点が盛られているが、この日の指摘は、深くうなずけるものだった。

 米国経済は、コスト引き下げのために非正規雇用を増やしてきた結果、労働生産性と家計所得が低下した。低賃金に偏ると、設備投資の増加は期待できない。中産階級も縮小し、消費者ローンで消費拡大を図るしかない。そして金融の量的緩和政策は市場価格による資源配分機能を壊してしまった。したがって、経営者、資本家だけでなく、消費者も将来を見通す尺度が持てない。また、金融の量的緩和は資産インフレを招き、新興国への資本流出により新興国の経済のバブル化を起こす、と。

 全くその通りだと思う。そして、日本経済の低迷が長く続いたのも、米国についての中前氏の理論通りに推移したからだと思う。非正規雇用への依存を増やし、全体の賃金水準を抑えた。それで、売上高も低迷し、低賃金化がとまらない。将来への明るい展望がない。

 そこに登場した安倍内閣の経済政策は、何が成長産業かを政府が決め、重点産業分野の企業に政府も投資したりする。市場にゆだねるのではなくて、ここが将来的に重要だと政府が判断した産業分野を官民一体で育成するという方向にある。このあたりは昭和30年代から40年代にかけて通産省が中心になって推進した産業育成策をほうふつとさせる。この点は、米国の経済政策と大きく異なる。

 アベノミクスは官僚による経済構造の修正、即ち市場主義に社会主義的な要素を盛り込んだという見方もできよう。

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2013年9月23日 (月)

食料確保などで進む外国の土地買収

 外国の企業や個人が北海道や東北などで、森林などの土地を買収している。数年前からときどき話題になっているが、日本政府や地方自治体がその実態をきちんと把握し、どういう対応が適切か、十分に検討したという話は聞かない。

 最近読んだレスター・R・ブラウン(アース・ポリシー)の「The Global Land Rush」(世界的な土地取得ラッシュ)は、サウジアラビア、韓国、中国、インドなどがエチオピアなど外国の土地を購入するか借りるかして小麦、コメ、とうもろこし、大豆をつくり、自国に持ち帰る近年の顕著な動きを取り上げている。

 上記のような国々では、人口の増加や経済発展に伴って、食料の自給率(および水の自給率)が下がり、食料の輸入依存度が高まっている。また、国際的な穀物市況高騰は、食料輸出国の国内価格にまで波及するので、輸出を制限する国が多い。こうした事情を背景に、輸入国は食料の量、価格の安定確保を求めて外国での自前生産に動いているわけだ。

 しかし、外国資本による農地利用は、農機具、肥料、農薬、種子を外国から持ち込む。そして、実った小麦などの農産物は船で外国に運ばれる。そういうわけで、地元の経済および食料供給にほとんど貢献しない。外国資本は地元の貧困をそのままにして、いいとこどりをしている。

 2012年、エチオピアで、コメを栽培しているサウジ系の農場の労働者が襲われた。この事件は、こうした外国資本による農業経営への反発が背景にあるようだ。

 この論文の言いたいことは次の点である。食料確保のため、海外資本が途上国に、大規模かつ機械化された資本集約的な農業を持ち込むのではなく、国際的な支援のもと、村のレベルで労働集約的、家族的な農業を営むのがいい。そして、地域のマーケットに向けて生産し、皆が望んでいる職(仕事)を創り出すことが求められている、と。

 グローバル化の今日、資本の移動は止められない。でも、外国資本の手によるものにせよ、国内資本のそれにせよ、土地資源の利用が国や地域の利益になるかどうか、慎重に確かめるのは必要なことだと思う。よその国においても、カネさえあれば何でもできるというのは、傲慢である。

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2013年9月22日 (日)

地鎮祭で自然への畏れを感じた

 親戚が近所に家を建てることになり、その地鎮祭に参列した。これまで地鎮祭に参列したことがないので、どこかで見かけても、単なるセレモニーのように思っていた。だが、参加して初めて、自然を畏れ、神を敬う、昔からの人間の謙虚な心情を感じ取ることができた。

 住宅建築なので、神職は、土地の氏神さまに土地を利用させていただく許しを請い、工事の安全・無事故や、災害に見舞われないこと、家がきちんとできあがること、そして、住むことになる一家の繁栄を願ったりした。鋤、鍬入れは、土地利用で自然を傷つけることになるが、許していただきたいという含意かと解釈した。

 ことしの夏は、異常なほど高温になり、熱中症という言葉が人口に膾炙した。また、集中豪雨の激しさが増し、あちこちでかつてない深刻な水害が発生した。名古屋の栄町、京都の渡月橋など、が思い浮かぶ。そして突風、竜巻も多かった。

 3.11以後の日本は、西日本、東日本とも近い将来、大規模地震が発生するといわれている。東京に住む者にとっては、東京湾直下型地震の襲来が恐い。木造住宅が密集する地域で地震が起きれば、火事が起きて、延焼する危険が大だ。

 そうした災害に弱い東京にいるため、地鎮祭のセレモニーで神職が述べるさまざまなリスクを強く実感した。我々はもっと自然に謙虚でなければならない。

 

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2013年9月15日 (日)

消費増税の影響をなくす対策をという発想に疑問

 昨日まで1週間ほど海外を旅行していたので、帰国後、その間の新聞を読んでいる。その中で、日本経済新聞の13日付け「法人税下げ、来年度にも  消費増税 経済対策5兆円超」などといった記事を読んで気になった。

 安倍首相は経済対策を5兆円超とするよう関係閣僚に指示したという。消費増税後の景気を下支えするのが狙いだという。消費の落ち込みを現金給付で補う、経済成長を後押しするためには企業への投資減税を行なう、賃上げを行なう企業には法人税を優遇する、などが挙げられている。

 しかし、こうした景気対策には疑問を抱かざるをえない。日本の財政危機の度合いがどれほど深刻か、国民の理解は格段に進んでいる。したがって、消費税を引き上げても、過去の消費税導入時や税率引き上げ時の際の消費落ち込みに比べ、軽度のマイナスにとどまると予測できる。ここで、大掛かりな景気対策を実施するのは、財政危機に拍車をかけるだけだ。

 5兆円超の景気対策の中には、一時的な歳出増もあれば、法人税のように後年もずっと税収減になるものもある。しかし、一時的な歳出増といえども、一旦実施したら、それを継続するよう求める圧力がかかるだろう。簡単にはやめられない公算が大である。

 経済成長による税収増を期待したいところだ。しかし、景気対策による財政悪化をチャラにし、GDPの2倍超に達する公的債務を着実に減らすほどの税収増を期待できるだろうか。

 これまでも、景気が低迷すると、財政出動して国の債務を増やし、景気がよくなっても、膨らんだ歳出を続けるよう求める圧力のもとで、債務は増加の一途をたどってきた。そうした”慣性”に歯止めをかけるという覚悟が安倍首相にはうかがえない。

 歳出の効率化により歳出削減を図るのは財政改革の王道のはずである。しかし、安倍首相はそれには関心を示さない。内閣の閣僚たちも同様。票を集めるためカネをばらまく自民党の伝統から脱していないのである。

 消費税の8%、10%への引き上げは医療など社会保障費の増加をまかなうために行なうという建て前で進められている。しかし、経済対策の規模、5兆円超というのは消費税の2%分に相当する。どう計算しても、2014年度の歳出増は必至だし、国債増発・公的債務拡大にならざるをえない。

 財政再建は国際公約であり、政府・与党が本気でそれを守る意思があるのか疑わしい。メディアも(日本経済新聞もそうだが)、安倍首相の方針の危うさを明確に指摘して、日本の破滅への道を阻む使命感が乏しいようにみえる。

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2013年9月 7日 (土)

2020年、その頃の日本は?

 2020年のオリンピック開催地はどこか。日本時間の8日朝に決まる。イスタンブール、マドリッド、東京のいずれが選ばれるか。日本でも決着間近になって、ぜひ東京にという声が盛り上がってきた。しかし、一方で、フクシマの汚染水漏れの問題で、世界の不安に対し、日本がきちんと対応してこなかった事実が明らかになり、東京はにわかに劣勢に立たされた。

 フクシマは東京からはるかに離れているので、東京でのオリンピック開催には何ら心配ない――という発想は、フクシマの事故の後始末を完全に終えてから言うべき言葉だ。日本政府も東京都も、その点、安易に切り離して考えていたと言わざるをえない。

 それはさておき、2020年、つまり7年先はどんな政治・経済・社会になっているのだろうか。私たちはいまの状態を単純に延長して考えがちだが、2020年の日本は現在とはかなり異なった状況を迎えている可能性が高いのではなかろうか。

 総人口は3百万人余減るが、65歳以上が5百万人余増える。高齢者が総人口の29.1%(2012年24.2%)を占める。15~64歳の生産年齢人口は8017万人から7340万人にまで落ちる。0~14歳は1649万人から1456万人まで減る。より多くの高齢者をより少ない働き手で支えなければならない。

 また、2020年は、日本政府が財政危機を脱する目安となる基礎的財政収支(PB)を黒字に転換する目標年である。その前に、2015年に、GDP比のPB赤字比率を半減させることにしている。しかし、消費税を2014年4月と2015年10月に分けて10%まで引き上げることが決まっているにもかかわらず、与党の自民党には実施に反対ないし延期すべきという声が多い。

 しかも、2014年度予算案作成作業では、内閣の方針により、各省とも本年度予算をはるかに上回る要求を提出している。そこには財政健全化に対する問題意識がまるでうかがえない。アベノミクスで大幅な経済成長が実現すれば税収が増えて財政再建ができるという甘い期待に政府全体が寄りかかっているようにみえる。

 内部留保を相当に蓄積している日本企業がイノベーションを核に国内での事業活動を活発化すれば、財政再建に大きな力となりうる。それを可能とするような条件を政府および企業がつくれるかだ。いまの日本政府は成長分野を指定して国家資金を注ぎ込む方向をとっているが、それが市場経済と比べて適切か、多分に疑わしい。

 このように、例え、オリンピックの誘致が成功したとしても、2020年の日本は、経済的に厳しい状況に追い込まれている公算が大きい。東京都の財政にしても、当然、国内経済の悪化の影響をもろにこうむる。7年先の日本はいまの単純な延長線上にはないだろう。

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2013年9月 4日 (水)

金文学氏が唱える日韓和解への道

 金文学氏の著作『知性人 伊藤博文 思想家 安重根』(2012年3月刊、南々社)を読んだ。明治の元勲の一人、伊藤博文は1909年10月26日、ハルビン駅頭で安重根にピストルで射殺された。これで、安重根は韓国史上、最も偉大な英雄となった。かたや、伊藤は欧米に学び、近代日本をつくりあげた最大の功績者だが、日本国内では、さほど評価されてはいない。

 しかし、本書によれば、伊藤、安重根の2人とも、ともに東洋平和の思想の持ち主であったこと、文人型の政治家ないし闘士であり、思想家であったことなど、多方面で共通点を持つことを指摘。漸進主義による韓国の文明化、近代化を図ろうとした伊藤が暗殺されなければ、日本による韓国併合とは違う韓国近代化が進んだかもしれないと推察している。

 暗殺事件後、日本では、毅然たる態度の安重根に対して刑務所、法廷関係者が敬意を払ったという。これに対し、韓国人は、いまに至るまで、伊藤がもともと韓国併合に反対で、欧米に範をとった韓国近代化をめざした、その真意を理解しようともしない。せめて伊藤の真意を平常心で見ようとする姿勢はあってもいいのではないかと提言している。

 また、今日、日韓両国が「共通の歴史認識」を持つのは無駄なことであり、両国の文化を無視した愚挙である、これほど生産性のない仕事はないとして、日韓両国が一種の「和解」を達成することを提案している。すなわち、もう「過去」の話はしないということ、それが究極の「和解」であるとし、その執念や情熱を未来志向に向けるべきではないかと。

 韓国では、あるべき歴史を強調するため、それに合わない歴史はすべて否定、排除、批判される。コンプレックスによる物語づくりが行われる。そして、日韓間の衝突は現実的利害ではなく、過去の歴史認識問題に由来する。しかし、世界的視野で見ても、植民地を経験した国と宗主国の間でこんなケースは極めて異例だという。

 日韓両国は宿命としての過去を持ち出して現在や未来の足を引っ張る行為をやめようというのが著者の提言である。

 韓国系3世として瀋陽に生まれた著者は現在は日本に帰化していて、国際安重根記念協会の日本支会長でもある。伊藤博文、安重根の2人の足跡をきちんとたどり、日本、韓国双方の歴史を踏まえているので、今日の日韓関係に対する提言も適切だと思う。同書はもっと読まれていい。

 

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