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2014年4月13日 (日)

本を読む喜び~赤坂憲雄エッセイ集で

 仕事から引退したあと、書籍や新聞を読む時間が日常の活動で最も多くを占めるようになった。だが、新聞の主要な記事に目を通しても、あまり理解できない、わからない、あるいは記憶に残らない割合が増えていく。単行本で新しい知識を得ようとしても、読む先から忘れていく。読み終わったあと、最初からもう一度読めば、理解度が高まり、少しは頭に残る程度だ。それは賽の河原の石積みに近い時間の浪費かもしれない。

 そうしたなかで、鋭い切り口や説得力のある文章にお目にかかると、刺激を受けるし、すんなり頭に入る。普段感じたり、考えたりしている事柄だからだ。「赤坂憲雄エッセイ集」という副題の付いた『福島へ/福島から』は、地元新聞への寄稿をまとめた100ページちょっとの薄い本だが、とても読み甲斐がある。

 「東京からやってきた出稼ぎ文化人を、神棚にでも祀り上げるようにありがたがる風潮こそが、東北の将来をみずから構想する活力を奪ってきたのではないか」、「あすの地域社会を創るのは、そこに暮らす人々であり、だれか東京にいるエラい人が与えてくれるわけではない」――これは3.11の1年余り前に新聞に掲載された文章だが、いま読んでも、適切な指摘である。

 また、3.11のあとの寄稿文も、問題の所在とめざすべき方向を示唆する。「原発がどれほど未熟な、制御しがたいテクノロジーであるかを、わたしたちは目撃した」、それは「安価でもなく、安全な技術でもなく、いわんやクリーンなエネルギーでもなかった」と。

 さらに、「この大震災によって、ビデオが早回しされるように、十年か二十年先にやって来るはずであった世界」、即ち、「過疎化や少子高齢化のはてに「限界集落」となり、ついにムラが離村・消滅へと追い込まれてゆく、といった近未来に訪れるはずであった風景が、いま・そこに、むき出しの現実と化して転がっている」と言う。

 ではどうしたらいいのか。赤坂氏は、地域の人々が自ら創造的な復興へのシナリオ、つまり将来ビジョンを構想し、地域の人々の内発的な力、草の根の力で現実化するしかないと訴える。そして、抽象的だが、原発に依存しない世界を創るための試行錯誤を福島県の人々が始めることを願っている。

 膨大なカネがただ復旧のために投じられており、除染は「移染」にすぎず、減容化は高濃度の放射性廃棄物を生み出す。こうした問題点の指摘を含めて、この本は、フクシマの未来を考えるうえで、読む価値がある。

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