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2014年4月17日 (木)

福島県に見る原発事故の影響の深刻さと、地域再生に懸命な人たち

 福島駅からバスで行ける花見山は桜の名所で、2、3日前から満開。おおぜいの花見客が訪れ、レンギョウなども咲いて錦絵のように華やかな景観を楽しんでいる。だが、福島県は3.11の巨大地震・津波による被災と原発事故による放射能汚染という二重の苦悩からどれだけ立ち直ったか、福島市、相馬郡飯舘村、南相馬市とめぐった駆け足の視察旅行で探ってきた。

 福島県を縦に3分割した一番東側の浜通り。相馬野馬追からさらに南の小高区まで行った。このあたりは大津波に破壊された家屋がいくつも残っており、海まで更地が広く続いている。まだ、ひっくり返った軽自動車が放置されていたりして、復旧ないし復興の道のりが遠いことを感じさせる。

 この大津波による被災よりもある意味で深刻なのが放射能汚染の影響である。3.11から3年余り経ったが、東電福島第一原発の廃炉作業が困難をきわめているように、放射能汚染の影響は今回訪れた地域の社会、暮らし、経済などに広く及び、地域の再生を難しくしている。

 福島市では、福島労働局が入っている合同庁舎の窓から外を見たら、眼下に青いカバーで覆われた、除染で出た放射能を帯びた土などの廃棄物があった。こうした除染で出た廃棄物は福島市内でもあちこちで見かけた。また、飯舘村や南相馬市への道の途中でも時々あった。バスで移動していると、時々「除染中」という幟が立っていた。

 放射能の線量が高くて住民などが避難している地域では、人の姿を見かけることもなく、満開の桜がさびしげだった。建てて間もない大きな家であろうと、古い家であろうと、高線量が続く間にいたんでいく。何年かのちの街の様子を想像すると痛ましい。バスから見た田畑も全く実りと無縁の姿をしていた。

 国見町にある下水処理施設の県北浄化センターを訪れた。放射能に汚染された下水が流入するため、下水処理で出る汚泥の処分に困り、2.5万t余も白い保管テントに積み重ねている。テントの数は大小合わせ69にも達する(使っていないものも含む)。もっとも、今日では、日々発生する汚泥は処理業者に引き取ってもらえるようになったという。

 雇用関係の話は労働局や南相馬市経済部商工労政課などで聞いた。過去3年余、求人数や求人倍率は上昇傾向にあり、求人倍率が特に高い分野は、除染を含む公共工事関連や介護など福祉関連である。販売・サービス関係もかなり高い。ただ、放射能汚染をおそれて、子供を持つ母親が郷里を離れたままで戻ってこないという事情も求人・求職に大きく影響している。また、パートの賃金が被災地で大幅に上がったため、安いパート労働で成り立ってきたチェーン店が営業しないという現象も起きている。

 一方、地域の再生をめざすさまざまな動きもうかがえる。天皇・皇后両陛下が訪れた”ものづくり総合支援企業”菊池製作所(飯舘村)は、放射能の線量がいささか高く、昼間しか人が立ち入れない地域にある。だが、地域の復興、再生を強く願う創業者社長の意向で先端的な製品や部品を製造している。

 また、太陽光発電と農業の共存・両立、地域活性化をめざして、一般社団法人えこえね南相馬研究機構が”ソーラー・シェアリング”の実験に取り組んでいる「再エネの里」も訪れた。福島県民の願いである脱原発に向けて、上からではない新たな活動が起きているのは心強い。

 市民放射能測定所なるものがあることを、訪れて初めて知った。食品などの放射能測定を無料で引き受けて行なっている。無料奉仕のボランティアばかりで運営し、事務所維持、検査設備などは寄付に頼っている。したがって、検査装置が出す結果をありのまま出し、くわしく依頼者に説明するので、県などの検査よりも詳しく、かつ適切な情報を提供できるという。

南相馬市の桜井勝延市長は「世界史的な復興を図る」と市の再生への意気込みを語った。行政も、民間と同様に、苦難を乗り越えようと意気込んでいた。

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