« ボーン・上田賞を受賞した城山英巳氏の講演から | トップページ | 中国に欲しい大人の風格 »

2014年5月24日 (土)

報道写真家、笹本恒子の100歳展

 横浜にある日本新聞博物館で開催中の「日本初の女性報道写真家 笹本恒子 100歳展」を見てきた。「カメラを手にして75年。今も撮影や執筆をしていて、もっと時間が欲しいと思いながら日々過ごしています」とパンフレットに書いてある。

 アルバイトで東京日日新聞のカットを担当したのがきっかけで報道写真の道に入った笹本氏は、戦後の1960年代から80年代に約20年間、現場を離れたが、1985年からまた撮影を始めたという。百数十点に及ぶ今回の展示写真は、最も古いのは1940年の9点で、華族会館での「日独伊三国同盟夫人祝賀会」とか、大阪・文楽座の「ヒトラーユーゲント(突撃隊=引用者注)来日」、日米学生会議会場など。

 そのほかはすべて太平洋戦争直後の1946年以降。銀座・和光を写した1946年の「銀座4丁目PX(米占領軍の購買部=引用者注)」と1989年の「大喪の日(昭和天皇=引用者注)」の写真は、半世紀近くを隔てたこの国の歳月を感じさせる。

 東芝堀川町従業員組合のデモが写る「銀座でのゼネスト」(1946年)、兵士と女性が入口で抱き合っている「進駐軍専用のホテル」(本牧、1950年) 隅田川の船に乗り合わせた「女性連れの進駐軍兵士と幕下力士」(1952年)、知恩院の仏教大学付属「尼衆学校」の写真3点、「女性だけを招待したストリップショー」(浅草座、1952年)、「蟻の街」(台東区、1953年)などは、ほとんど忘れ去られた戦後史を思い起こさせる。何十年か前まで、日本の社会は厳しい状況にあったのである。以上は展示の第3章「笹本恒子が見た時代」の作品である。

 この写真展の売り物は著名な人物の写真である。第1章「明治生まれの女性たち」は30点近い。壺井栄に始まって、加藤シズエ、澤田美喜、中村汀女……。第2章「あの時代、あの人」では、約40人で、1950年の美空ひばり、1951年ごろの越路吹雪、1957年、亡くなる直前の徳富蘇峰、1961年の大佛次郎(武原はんと一緒に写っている)など。見れば、さまざまな思いがわいてこよう。

 第3章の「笹本恒子が見た時代」は50点ほど。その中で、「原爆ドーム」(1953年)は、妙にきれいになっている今の原爆ドームと違い、暗さ、凄惨さを感じさせる。

 女性の社会的地位が今よりはるかにきびしい状況にあった時代を報道写真家として生きたこと自体がすごいことだが、作品はやさしいまなざしを貫いているように思える。100歳の今も思考にしなやかさが感じられるのも敬服に値する。

|

« ボーン・上田賞を受賞した城山英巳氏の講演から | トップページ | 中国に欲しい大人の風格 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/184848/59699209

この記事へのトラックバック一覧です: 報道写真家、笹本恒子の100歳展:

« ボーン・上田賞を受賞した城山英巳氏の講演から | トップページ | 中国に欲しい大人の風格 »