« 2014年9月 | トップページ | 2014年11月 »

2014年10月31日 (金)

毒食わば皿までか、日銀の緩和拡大

 日本銀行が10月31日、アベノミクスの第一弾でもある量的・質的金融緩和を拡大すると発表した。政策委員会の政策決定会合で、賛成と反対とが5対4と競ったというから、日銀内部でも激しい意見対立があったと想像される。

 米国のFRBが10月29日の連邦公開市場委員会で量的緩和に終止符を打つことを決めたのに対し、日本は消費税引き上げ後に落ち込んだ消費需要が回復しない。このため、日銀が目標に掲げていた2%の物価上昇も実現の見込みが立たない。それに、企業の収益は大幅に改善しているが、それが国内の設備投資や賃上げなどに十分に回っていかない。安倍内閣への支持率アップに貢献した株価上昇も、最近はダレていた。

 そこで、アベノミクスに従って、黒田総裁のもと、政府と一体で日本経済の回復を図る日銀は、金融面で新たな景気てこ入れに踏み切ったのだろう。これに呼応して、麻生副総裁・財務相は財政面でも相応の対策をとる意向を示した。日銀が長期国債の買い入れ・保有を増やすのと、政府が国債のさらなる増発で景気対策を拡大するのとは表裏一体で進められるのだろう。

 だが、政府が税収では足りない財政支出を賄うために国債を次々に発行し、その国債を日銀が片っ端から買い取れば、日銀券が市中にあふれ、日本経済は激しいインフレに見舞われよう。そうなれば、日本の経済社会は混乱し、国民生活を破壊する。

 通貨の安定を使命とする中央銀行がアベノミクスに追従して、毒食わば皿までと、国債のさらなる大量買い取りで、自らの使命を否定するような状態に追い込まれつつあるのではないか、と懸念する。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年10月29日 (水)

政治資金収支報告書の誤りを軽く見るな

 小渕優子衆院議員が政治資金収支報告書の不実記載を理由に、経済産業大臣を辞職した。それをきっかけに、国会議員が政治資金の入りと出を正確に国民に開示すべきなのに、記載もれや違法献金などを報じられるケースが相次いでいる。追及すれば、不正行為などがからんでいることが明らかになるかもしれない。

 政治資金収支報告書を役所に提出するには、登録政治資金監査人による監査を受ける必要がある。それに基づく監査報告書を添付するわけである。ちょうど、大企業が監査法人・公認会計士による会計監査を受けるようなものである。それにもかかわらず、幾人もの政治家の政治資金収支報告書がメディアの報ずるようないい加減な内容であるとは、どういうことか。登録政治資金監査人なる制度が適正に機能していないのなら、それに関わる人たちがなぜ処罰されないのか。メディアもそこを追及してもらいたい。 

 小渕氏は自らが辞める前、国民の「理解が得られない」という言葉を繰り返した。政治資金の収支報告書がいい加減な内容のものだと明らかになったのに、だ。事務的には誰かに作成作業を任せていたのだろうが、法的には、小渕氏がウソの収支報告書をつくった張本人である。そういう自覚も小渕氏にはない。

 政治家は活動にカネがかかる。それを公明正大な献金や国からの資金提供の範囲で賄うべきだ。しかし、それだけでは足りないために、ヤミ献金、不正献金を受けることがある。また、票集めのため、地元に違法な利益供与をすることもある。そうした不正はやむをえないものと思う政治土壌がまだこの国にはある。それにメスを入れる役割のはずの政治資金収支報告書+監査報告書の制度がきちんと機能していないのなら、法規制の強化も考えるべきだろう。

 政党間の暴露合戦などという低次元で物事をとらえるべきではない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年10月22日 (水)

『日本は戦争をするのか』(半田滋著)で知る安倍政権の危険

 御嶽山の噴火では、頂上付近での登山者救出に警察、消防などとともに自衛隊の活動が目立った。それに先立つ広島市の住宅地が土石流に襲われたときも、多数の自衛隊員が救出のために出動した。3年半前の3.11の被災地には、過去最大の自衛隊の動員があり、平和国家、日本の軍隊である自衛隊は災害救出が最大の使命であるかのように国民の目に映っているのかもしれない。

 しかし、自衛隊の本質は、侵略から国を護るための武力集団であり、国民にとっては国家権力である。その本来業務に関するすぐれた分析、半田滋著『日本は戦争をするのか――集団的自衛権と自衛隊』(岩波新書)を読んだ。「はじめに」の冒頭で、「日本は戦争をするだろうか。安倍晋三政権が長く続けば続くほど、日本が戦争をする可能性は高まるといわざるを得ない。憲法九条を空文化することにより、自衛隊が国内外で武力行使する道筋がつけられるからである」と書いてある。

 安倍首相のもと、靖国参拝、自主憲法の制定の動き、日本版NSC(国家安全保障会議)の設置、特定秘密保護法の制定、国家安全保障戦略の閣議決定、集団的自衛権の行使容認、内閣法制局長官に外務省出身者を起用して解釈改憲を図る、国家安全保障基本法の制定、武器輸出三原則を見直して防衛装備移転三原則に、等々が進められている。そうした危うい路線を、安倍首相は「積極的平和主義」、「戦後レジームからの脱却」、あるいは「新しい、みずみずしい日本」といったキャッチフレーズでまぶしている。本書を読むと、そうした戦争への危険な潮流が読み取れる。

 ところで、米国のパートナーとして海外で戦争するような事態は、日本の財政に大きな負担をかける。上下水道、道路、橋梁などの社会資本が老朽化しているので、補修や取り替えに膨大な資金が必要である。台風などの災害対策も増加の一途をたどるだろう。高齢化、少子化などによる財政負担も膨らむ。いまでも財政再建が困難なのだから、軍事大国への道は、経済・財政の行き詰まりに直結するように思われる。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2014年10月20日 (月)

アル・ゴア元米副大統領と安倍総理大臣を比べてしまう

 10月19日の日本経済新聞に、アル・ゴア元米副大統領のインタビュー記事が大きく載っている。「資本主義と未来」と題するこの記事は、「いますぐ行動しなければ未来が脅かされる」と主張するゴア氏に、どのような予想図を描いているのか、を一問一答形式で聞いたものである。現代の地球文明が直面する危機を6つの要因でとらえ、我々にチャレンジを求める、極めて刺激的な内容である。
 ゴア氏は最近、『アル・ゴア 未来を語る――世界を動かす6つの要因』という本を出版し、邦訳も出た。日経のインタビューは、この本のPRのためにゴア氏が受けたようにも思われるが、日本経済新聞を通じて、多くの日本人が現代文明の危機の様相を知ったことは大きな意味を持つ。日経のこのインタビュー記事を見逃した人は、図書館などで読んでほしい。
 ちなみに6つの要因とは、①国境を超えた、グローバル経済の台頭、②世界がデジタル通信、ネットでつながったこと、③世界の政治、経済、軍事力のバランスが西洋から東洋へと劇的に移行、④資源消費量などの急増による持続可能性の喪失、⑤生命科学の革命、⑥気候変動による生態系の崩壊、ということのようである。
 ゴア氏はかつては米国副大統領という政治家だった。いまは著作や講演で生活しているのだが、本書の内容に示されるような深い洞察と思索に及ばぬまでも、日本の政治家でも、地球的視野で世界および日本の主要課題を語れる人物が出てきてほしい。
 20日、我が国では安倍内閣の女性閣僚2人が辞職したが、あまりにも低次元の話で、情けないとしか言いようがない。安倍総理大臣にしてからが、目先のことしか考えておらず、世界的な視野が欠如していると思うことが少なくない。ゴア氏と同列に論じることはできないが、未来を地球的視野からとらえた思索を望みたい。ないものねだりかもしれないが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年10月18日 (土)

女性活躍推進法案に見る民間企業のだらしなさ

 政府は17日の閣議で「女性の職業生活における活躍の推進に関する法律案」を決定した。外資系を除く日本の企業においては、男性中心の雇用形態になっている。それを欧米のようにもっと女性が活躍できるようにしようというもので、このために、政府は「すべての女性が輝く社会づくり推進室」を設置した。

 確かに、日本社会では、何かにつけ、男が主、女が従という男女差が当たり前とされてきた。未だにそれが色濃く残っており、労働、暮らしなどでの男女差別をなくすことが大きな課題となっている。とはいえ、法律で民間企業に女性登用の数値目標や行動計画の作成・公表を義務付けるというのはいささか統制的な色彩が濃いように思う。国や地方公共団体およびそれらの傘下の公的組織だけに限るのが望ましい。本来、産業界が自主的に男女差の解消に取り組むべきであり、法による規制に唯々諾々と従うのはお粗末もいいところだ。

 個人的な取材経験だが、過去、上場しているような規模の日本企業で話をした女性たちは、ほとんどが受付、秘書、広報担当などで、役員や部課長は極めて少なかった。また、広報部門に電話し、取材の趣旨を説明しても、受け手の女性は男性に取り次ぐだけなので、こちらは改めて男性に説明をする、いわゆる二度手間になることが多かった。

 また、1970年前後の話だが、大手の鉄鋼メーカーの調査部にいた女性は、50歳になる頃、”定年”で退職した。また、大手電機メーカーの広報部の女性は「ずっと働いていたいけど、女性はほとんど昇給しないので、生活できない。仕方がないから結婚する」と言って退職・結婚した。

 私のいた新聞社の編集局では、1960年代、婦人家庭部とか文化部に1人か2人、女性記者がいるだけだった。その後、ゆっくりとだが、女性記者が増えたものの、同じ職場で産休が重なるようなことがあると、上司の男性は女性の採用に消極的になったりした。

 日本監査役協会が毎年開く大会に行ったことがある。1980年代後半のことである。一度に監査役が1000人以上集まるのだが、女性はほんの数人しかいなかった。基調講演に呼ばれた財界首脳が、ダークスーツを着た中高年の男性ばかりを見てぎょっとしたみたいだったことを思い出す。

 日本企業が1990年代後半あたりから、国際競争力を失っていったのは、グローバルな競争が”総力戦”になったにもかかわらず、過去の栄光を支えた日本的な雇用慣行、人事・経営組織、経営戦略などに閉じこもっていたからではないか。企業で働く男性も、労働組合も、自由、平等などの基本的な価値をきちんと理解せず、狭隘な日本型経営に追随していた。

 そうした日本的なものから脱却すること、つまりCSRが、現代の経営者や企業幹部に求められている。とはいえ、今回のように法律で強制されるのではなく、企業の自主的な取り組みによるべきであろう。統制を喜ぶ雰囲気が日本の経済界にあることは危険な兆候である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年10月16日 (木)

いたましいソニーの栄光と凋落

 ソニーが2015年3月期に無配にするという。かつてのソニーの栄光を知る者にとっては、痛ましいような現実だ。経済記者として接した同社の経営陣のあれこれを書き残しておくのは、それなりに意味があるのではないか。

 初めて盛田昭夫ソニー副社長と会ったのは1968年春。経団連記者クラブで発表会見した時である。さっそうとしていた。独特のしゃべり方で、ていねいに話した。その好印象はその後も変わらない。そして1993年に脳内出血で倒れる数日前、経団連会館にやってきた彼を見かけたのが、最後である。後姿を見たら、よろよろした歩き方をしていた。「大丈夫か。あれで経団連会長になろうというのかね」と、瞬間思った。周りの話によれば、ゴルフ場で身内だけのときは、ヨタヨタしているが、知らない人がいると、急にピッと姿勢をただしていたそうだ。

 1960年代から80年代まで、ソニーは破竹の進撃を続けた。盛田氏は71年ー76年に社長の座にあったが、会長になってからも、フルに社内外の活動に専念した。もう1人の創業者、井深大氏は技術屋で、会社の対外的な分野は盛田副社長にもっぱら任せていた。したがって、私の目に映るソニーは、圧倒的に盛田色に彩られている。

 日立、東芝、松下電器産業やトヨタ自動車などに劣らぬ一流企業に成長したソニーは、技術や知名度などで国内同業他社を圧倒し、国際的にも日本を代表するブランドとなった。ADRを日本企業として初めて発行し、ニューヨーク証券取引所に上場したのは1961年のことだが、盛田氏は「日本企業で初」にこだわった。そのおかげで、ソニーの名前は一躍、世界に知られたのである。盛田氏のこうした売り込みセンスは抜群だった。

 しかし、イノベーションで抜群のソニーの勢いは、大賀典雄社長(1982~95年)の後半あたりから少しずつ翳っていったように思う。それには、いろいろな理由があるだろうが、大賀氏の社長在任が長過ぎ、経営革新がおろそかになったというのが私の解釈だ。

 実は、大賀氏は、社長在任が長過ぎないようにと考え、盛田氏に名誉会長になってもらい、自分は会長になろうとした。そして、副社長の1人を後任の社長にしようとした。ところが、盛田氏はそれを拒否した。経団連会長ポストに野心を燃やしていた盛田氏は、ソニーの会長であるほうが経団連会長として何かと都合がいいので、自らはソニー会長にとどまり、大賀氏に副会長になるよう求めたのである。

 このため、大賀氏は社長退任を引っ込め、社長をその後も続けた。そして、盛田氏が病気で実質的に引退したあと、1995年に出井伸之氏をソニーの6代目社長にし、自らは会長に就いたのである。

 出井氏は第2の創業(リジェネレーション)、デジタル・ドリーム・キッズを唱え華々しく登場した。だが、成功体験がない人だと言われたり、出井氏が掲げたITやソフトを重視する路線に、ハード重視の技術者たちが反発したりしたため、思うような成果が生まれなかった。盛田氏は、社員に経営方針や理念が浸透すれば、その企業は並々ならぬ力と柔軟性を発揮する、と語ったことがあるが、その肝心の点があいまいになったのではないか。

 2005年にハワード・ストリンガーがCEOに就任したが、彼はエレクトロニクス部門だけは日本にいる経営者に任せ、それ以外はすべて、彼および米国にいる取り巻きとで仕切るという異様な経営形態をとるに至った。そうした異様な経営をチェックする機能が日本のソニーにはなかった。社外取締役制度などの米国流経営システムを導入することには熱心でも、社員を一点に集中させる求心力のある経営・経営者がずっと不在なソニー。

 会社がダメになりダイエーの傘下で再建に乗り出したリクルート。それが、いまや、リクルートが売り上げ1兆円を超える事業として東証に上場し、ダイエーは破綻し、イオンの傘下に入って、社名もなくなるとか。一代の英傑たちがつくりあげたソニーも、凋落のトレンドから建て直しが可能か。グローバル化した世界において、会社は永遠ではないことを実感する。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年10月 9日 (木)

国民医療費の約半分は医師などの人件費

 厚生労働省の発表によると、2012年度の国民医療費は39兆2117億円だった。前年度に比べ、6267億円増、1.6%増。10年前の2002年度は30兆9507億円だった。1人当たりで見ると、12年度は30万7500円、10年前は24万2900円だった。また、国内総生産に対する割合は12年度に8.30%、10年前が6.21%だった。国民経済に占める医療の比率が高まっている。

 では、この医療費の内訳はどうかというと、財務省の資料によれば、2014年度予算では、医師等の人件費が約20兆円(46.4%)、医薬品が約10兆円(22.6%)、医療材料約3兆円(6.2%)、委託費・光熱費等約11兆円(24.8%)である。国民医療費の抑制が財政健全化の大きな課題であるが、それに取り組むなかで、全体の費用の半分近くを占める医師等の人件費を抑えることが必要なのは明白であろう。

 財務省は「医療費の伸び率の要因分解」を公表している。2011年度の国民医療費データによれば、国民医療費が前年度より3.1%増えたが、これは医療の高度化等が2.1%増、高齢化の影響等が1.0%増による。2002年度から2011年度までのトレンドを見ると、高齢化の影響等が医療の高度化等を上回っているのは2005年度まで。以後、医療の高度化の影響等のほうが高齢化の影響等を上回っていることが明らかである。

 もっとも、65歳以上の国民医療費の伸びについて要因分解したデータでは、2010年度まで、高齢化の影響等のほうが医療の高度化等よりもはるかに大きい。しかし、11年度には、医療の高度化による医療費増のほうが高齢化の影響等による医療費増をわずかだが上回った。

 医療の高度化というと、誰も反対しにくい。しかし、国民医療費の増加傾向を抑えるためには、医療の高度化等による医療費増にもブレーキをかけなければならないだろう。

 レセプトのチェックを厳しくすること、ジェネリック医薬品の使用を促すこと、検査漬け、くすり漬けを減らす対策をとること、治療費が高額な重症化を予防すること、など、誰もがわかる医療費の適正化には政府も保険者も本腰を入れて取り組んでほしい。それに加えて、上記のような対策も、抵抗を排して推進していきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年10月 7日 (火)

あまりにも速い社会の変化

 テレビの「鶴瓶の家族に乾杯」を見ての話。青森県のつがるで飲食店を営んでいる家族のおばあちゃんが嫁に来た頃、電話が鳴るとこわくて逃げ出したと話していた。黒いダイヤル式の電話のことである。たかだか半世紀ほど前は、お金持ちや商売人は別として、電話は普通の庶民の家にはなかった。かくいう私の家にもなかった。見えない相手の声が聞こえるというすごい装置に触れて、驚いたのは当然だ。

 いま、我々が当たり前のように見ている家財は、ほとんどが、戦後の経済発展による生活向上がもたらしたものである。私の子どもの頃、名古屋の我が家にあった機械器具類は、鍋、釜のほかに、電灯、ガス、ラジオ、自転車ぐらいしか思いつかない。我が家に洗濯機やテレビを買ったのは、私が就職してから数年たった1960年代後半である。冷蔵庫はそれよりもあとである。

 結婚したあと、千葉県の自分の家に電話が引けたのは1970年頃のことだった。新聞記者になっても、数年間、家に電話がなく、会社からの緊急呼び出しは電報でだった。妻が免許をとって小型中古車を買ったのは電話が引けたあとのことである。私自身が免許をとったのは1980年代の半ばだった。

 ワープロを仕事で使うようになったのは1990年頃からで、それがパソコンに切り替えられたのは90年代後半だった。しかし、こうした新技術によるビジネスの革新にすんなりと順応できる人はそう多くはなかった。電子技術の製品・サービスをきちんと理解し、使いこなすのは相当に難しかったからである。以後、一般の人は、わかる機能だけを利用し、ほかの多くの機能は眠っている状態になった。

 つまり、専門的な知識を持っている人以外は、複雑、高度な技術製品・サービスをきちんと理解できないままに、部分的な利便性を享受してきたのである。自動車のメカニズムをきちんとわからないでも運転はできる、という類いの話である。

 ただ、ネットが世界をつなぐ電子・コミュニケーションの分野は、我々の技術的な理解程度では皆目わからない高度な技術でつくられている。したがって、専門技術にたけた、悪意を持った犯罪者などが跋扈しうるリスクがある。私個人の例だが、「パソコンのパフォーマンスが低下しているので、どうこうしなさい」という文書が画面に大きく出たため、それに従おうとして取り止めたことがある。息子に相談したら、やめたほうがいいと注意されたからだ。もし実行していたら、どうなっていたか。

 たった半世紀かそこらの間に、あまりにも激しく技術が進歩した。それについていくのはきわめて難しい。まして、年をとればとるほど、新しいものについていけない。そこにオレオレ詐欺など犯罪の生まれる素地がある。こんなにも変化の激しい時代は、過去にはなかっただろう。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2014年9月 | トップページ | 2014年11月 »