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2015年3月11日 (水)

記憶の風化

 4年前の3.11。巨大地震が襲ってきたとき、東京都内の自宅(中層マンションの7階)にいた。テレビやビデオが床に落ちたり、書棚の上に積んであった本が崩れ落ちたりしたが、大きな被害はなかった。経験したことがない激しい揺れに恐れおののいたが、テレビ放送で東北のほうが巨大な津波に襲われ、もっともっと深刻な事態に直面していることを知った。

 それだけでも容易ならぬ事態なのに、私たちはさらに、東電福島原子力発電所が危機的な状況に陥っていることを知る。いま、自分の日記を読み返すと、3月は停電などに備えて必要な物資などを探し買い求めたり、壊れた原発から大量の放射性物質が飛散するのではないかと不安がるなど、緊張感と平常心とが混在する日々を過ごしたことがわかる。

 しかし、停電がなくなり、日本経済のデフレも解消しつつある現在、被災地から遠いところで暮らす人たちにとっては、3.11の記憶は相当に薄れてしまっているのではないか。安倍総理大臣が、オリンピック招致にからんで、原発は完全にコントロール下にあるという趣旨の発言をしたことも、それに拍車をかけているように思われる。

 現実には、福島第一原発の1~3号炉を廃炉にして安全に撤去する技術は確立されていないといわれる。放射性物質に汚染された水を清浄化する処理技術も確立できていない。だが、政治も、非被災地も、本質的な原発の危険性に目を向けなくなっているのである。

 国はこれまでに、国民一人あたり20万円余に相当する復興費を投入して被災地の暮らしや産業などの再生に努めている。それでも、被災地の自治体などは国費の投入継続を要求している。また、壊れた原発の最終処理までには、途方もない費用がかかり、国費の追加投入が必要とされよう。

 日本経済の成長力が上がらない中で、こうした後ろ向きのコストが足を引っ張るとなると、将来展望に影を落とす。

 被災の結果、暮らしや仕事で辛い思いをしている人たちはいまも沢山いる。それらの人たちには同情を禁じ得ない。とともに、できれば、支援に頼るだけでなく、自立をめざし、人の役に立つことをするなど、前向きに生きていく人が一人でも増えていってほしい。

 厳しい経済事情を考えると、漠然とだが、そんな思いにとらわれる。

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