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2015年3月29日 (日)

『日本国最後の帰還兵……』の重たい読後感

 深谷敏雄著『日本国最後の帰還兵 深谷義治とその家族』を読んだ。日本軍の憲兵だった深谷氏が1945年の日本の敗戦後も上官の任務続行の命にしたがい、中國に残り、日本国家のために諜報謀略活動をした。しかし、1958年に中国の公安当局に逮捕され、投獄された。1974年には無期懲役の判決を受けた。そして、1978年に日中平和友好条約締結を受けての特赦で、家族と共に日本に帰国した。

 獄舎に拘置された20年ちょっとの間、深谷氏は激しい拷問や最低限の衣食すら与えられない虐待を受け、死にかかったりした。中国人の妻や4人の子供は差別やいじめに遭い、極貧生活を強いられながらも、義治氏へわずかながらも差し入れなどを続けた。そうした家族の極限状態に対し、義治氏の日本の親族が支援の手をさしのべるようになり、日本政府や島根県、太田市などの外交的働き掛けも始まって、一縷の光がさす。

 本書は1948年に上海で生まれた次男の敏雄氏が、日本に帰国したのち、この何十年かのいきさつを父親の義治氏の日記などにもとづいて書き上げたものである。

 中国共産党の支配する国家が、スパイの疑いで深谷氏を逮捕したものの、犯罪を立証できないまま拘置し、人権擁護、法治などとはおよそほど遠い、残虐な扱いをしたことが詳しく述べられている。それとともに、というか、それ以上に、義治氏の妻が自らの身を犠牲にして夫を献身的に支え、子供たちも皆、親のために懸命に働いた様子が読む者の心を強く打つ。

 深谷氏がどのような諜報謀略活動をしたか。同氏は一切語らない。国のためになるか、ならないか、で判断し、自らのやってきたことは開示してはならないと確信したからだろう。その点、同書を読んでいていささか物足りなかった。

 深谷氏一家が帰国したあとも、一家は、生活苦にあえぐなど、苦労が続いた。それを読むと、例外的なケースである深谷氏一家に対し、祖国、日本は「ごくろうさま」と暖かく迎える柔軟な対応が不得手であることがわかる。

 ところで、同書によれば、深谷氏は帰国後、スパイの疑いに関して2つの事実を知った。1つは、投獄されている同氏の知らぬうちに、日本国内で軍人恩給の支給手続きが何者かによってなされていたこと。それが「スパイ機密費」と中国側に疑われたのではないかという。いま1つは1973年3月14日の朝日新聞記事で、深谷氏が「中野学校で訓練を受け、経済事情調査の特殊任務についていた」と報じたこと。中野学校は陸軍によるスパイ養成のための学校である。だが、深谷氏は東京・中野にある陸軍憲兵学校を卒業したものの、これは中野学校とは別の組織である。

 こうした経緯から、深谷氏は「スパイ機密費という「憶測」に、大手新聞での「誤報」が加えられ、中国政府は私を戦後の日本のスパイと断定することになった」と言い切っている。大新聞の誤報がここでも歴史を歪め、関係者の人生を狂わせたと言えよう。私もメディアの仕事に携わってきたひとりとして、心しなければ、と思うことしきりである。

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