« 2015年11月 | トップページ | 2016年1月 »

2015年12月31日 (木)

小林慶一郎氏「財政危機に備えよ」と

 日本経済新聞の12月31日付け朝刊「アベノミクス4年目の課題」という囲み記事は、小林慶一郎慶応大学教授へのインタビュー記事。安倍政権は「任期中に財政が危機的状況になると思っていないだろう。だが危機が近づくと冷静な判断が難しくなる。財政危機に備えたプランは考えておくべきだ」と教授は語っている。

 記事によると、プランの選択肢は3つだという。①消費税を30%に引き上げるといった歳入面での大胆な策、②インフレで貨幣価値を下げ、国の”借金”を実質的に減らす、③大胆な歳出削減、である。②では、第二次世界大戦の敗戦後に日本が味わったと同じく、国民の預貯金の価値がほとんどゼロに近くなる。

 月刊誌「文芸春秋」12月号に小林教授が書いた『データで見た「三本の矢」の的中率』では、「消費税を10%に上げても財政の持続性を回復するには到底足りない。今の永田町やマスメディアで議論されている程度の政策対応では財政問題は全く解決しないことは明らかになっている」と述べ、「多くの日本人はそのことに気が付いている。だからこそ経済の先行きに対する不安や不満が高まるのである」と言い切っている。

 同教授は「文芸春秋」において、国家財政を持続可能にするには、現在のGDPの14%(約70兆円)の収支改善が必要だと指摘。それを消費税率に換算すると約30%になると言う。

 そうだとすれば、安倍連立政権のバラマキ政策は、財政危機をより深めるだけではないか。一年の締め括りのインタビュー記事は、国民が、安倍政権の経済政策に厳しい姿勢で臨むよう訴えているのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月27日 (日)

国債前倒し発行への疑問

 27日の日本経済新聞朝刊によると、財務省は次年度に発行予定の国債を1年早く発行する「前倒し債」の上限を、2016年度は48兆円に増やすという。今年度は当初32兆円だったのを補正予算案で44兆円に引き上げるが、それをも上回る。

 満期が来た国債を借り換えるために発行する借換債。それを、満期前に発行するのは、国債マーケットの需給逼迫などで金利が乱高下するのを避けるためという。

 財務省が2016年度に上限を引き上げるのは、日本銀行による年間80兆円にのぼる国債買い入れや税収増による新規国債発行の減少で国債需給がタイトになっているとか、年度ごとの発行額を平準化して国債を買いやすくするなどを理由としている。

 財政と金融とは国債の発行や売買で密接に関わるから、財務省が市場の動向を踏まえた国債政策をとるのはわかる。しかし、日銀が年間80兆円もの国債を市場から買うという政策を硬直的に継続するのを前提に、財務省が前倒し債を増額するというのはどうも釈然としない。国債の需給が締まり過ぎて長期金利が低くなり過ぎているというのなら、日銀の「80兆円買い入れ」を減額するのが先ではないか。縦割りの弊害を感じるのは間違いか。

 財政当局と金融政策の元締めとが柔軟に連携プレーをし、将来の財政健全化、金融正常化に向けて共同歩調をとる。それが求められているように思うが、いかん。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月25日 (金)

年間100兆円の国家予算に

 政府は2015年度補正予算案に続いて2016年度の予算案を閣議決定した。毎年、決まって補正予算が組まれるので、1年間の財政規模は、年度当初予算と補正予算とを合算したものが近似している。したがって、2015年度補正予算(案)と2016年度当初予算とを足したものがこれからの1年間のおおよその予算規模と見てよい。

 さて、2015年度補正予算案は3.5兆円である。そして、2016年度一般会計予算案は96.7兆兆円である。合計すると100.2兆円。100兆円の大台に乗った。国民1人あたり80万円程度の歳出規模になる。

 それに見合う税金を国民が納付していれば万々歳、超健全財政である。だが、2016年度一般会計予算案は歳出のうち35.6%に相当する34.4兆円を赤字国債および建設国債の発行で調達する。巨額の”借金”で大盤振る舞いをする安倍政権の本質は、景気の回復で税収が増えても変わらない。

 自公政権は来年の参院選挙で勝つためもあって、財政健全化を二の次にするバラマキ政策を露骨に打ち出している。”甘い水”をえさに国民を”買収”するがごとき自公政権の政策に対して、国民がその本質を見抜けるか否か。それが、日本国の将来を大きく左右すると思われる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月23日 (水)

世代を超える戦争の記憶

 きのう、久しぶりに高校時代の友人と会った。そのとき、彼の父親が第二次世界大戦の時、日本の海軍に召集され、フィリピンで戦死したと聞いた。父親については、一度家に帰ってきた時に会った記憶がかすかにあるだけとのこと。戦後、彼の母親は毎日、午前2時から家で染色の仕事をして子供を育てたという。

 きょうは天皇陛下82歳の誕生日。ことしは、先の戦争において、外地で亡くなった沢山の国民の霊を弔うため、パラオなどを訪問された。天皇は日米開戦の1941年に小学生だったから、戦争のなんたるかは当時、おわかりにならなかっただろうが、父親である昭和天皇が開戦の当事者だったこと、そして敗戦で国民が悲惨な状態に追い込まれたことに近年、深く思いを致すようになられたのではあるまいか。

 戦争の記憶は、世代を超えて伝わる。侵略され、悲惨な目に遭わされた側の記憶は薄れず、多様な視点で伝わる。カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作品のハンガリー映画「サウルの息子」を試写会で見てそう思った。

 アウシュビッツの強制収容所と言えば、ナチスの残虐きわまりない殺戮行為を思い浮かべるだろう。この映画では、収容所に送り込まれたユダヤ人の中からガス室送りを数か月先に延ばすのと引き換えに、収容所のガス室送りや死体の搬出、焼却などの作業を行なう”ゾンマーコマンド”の一人が主役。息子と思う子供の遺体をユダヤ教にふさわしく土葬してやりたいと必死になる。

 ストーリーにはこれ以上触れないが、主人公などは映像が鮮明に見えるものの、ガス室送りや殺害後の始末などの背景の場面はぼんやりとしか見えないようにする映像づくりもすぐれている。

 EUの盟主ともいうべきドイツがナチス時代に犯した罪も、日本が第二次大戦時に東南アジア侵略で犯した罪も、ドイツ人や日本人の多くは普段、自覚してはいまい。しかし、やられたほうは、一世代でハイ終わりと、忘れ去りはしない。天皇陛下のお言葉に、私たちは多面的に触発されることが望ましい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月22日 (火)

消費税引き上げが受け入れられにくい理由

 消費税率を現在の8%から10%に引き上げるのは、社会保障の水準を維持するなどのために必要不可欠だろう。だが、引き上げ時期を2017年4月に延ばしたり、食料品などに軽減税率を適用しようとすることになるなど、消費税引き上げに反対する政治的な圧力は相当なものだ。

 社会保障レベルの高い西欧諸国に比べ、日本の租税負担率、また社会保険料を含めた国民負担率はいずれも低いほうである。にもかかわらず、国民は医療、介護や年金などの社会保障に対して、西欧並みに充実を、と求める。この要求水準を満たすには、税・保険料の引き上げが欠かせないが、そのことを国民が理解し、増税などの負担増を受け入れるところまで達していない。

 議会制民主主義のもとでは、国民が享受している利益を守るため、それに必要な税を負担することに同意し、それが執行される仕組みが基本だ。しかし、現在の日本では、国民は享受している利益ないし新たに享受しようとする利益に見合うだけの負担をすることに拒絶反応を示す。それは議会制民主主義の基本を揺るがし、社会の長期的な安定を損なう。

 最近読んだ『日本の財政はどうなっているのか』(湯本雅士著)は代表制民主主義の「原則を理解し、受け入れているはずの国民が、あえて負担の増加に対して拒絶反応を示すとしたら、それは、現在、このプロセスのどこかに問題があると考えているため」として、問題点を挙げている。

・立法府が一人一票という民主主義の基本原理が守られていない以上、国会の意思は国民多数の意思という定理は受け入れられない。

・国の予算案策定プロセスが不透明。どこでどのように決まるのか、どういう理由によるのか、が不明瞭。

・議会での審議において、予算そのものの検討がおろそかになっている。

・租税制度には著しく不公平・不平等が内在している。それが納税意識を失わせている。

・歳出では、既得権層の利益保護としか考えにくい支出が多く目に付く。

・国民は納めた税がどう使われたかについて十分な知識が与えられず、納得もしていない。

・納めた税金が有効に使われていなかった場合、直ちに適切な是正措置がとられることに納得すれば、納税への抵抗感もある程度やわらぐ。

 いま、国の2015年度補正予算案、2016年度一般会計予算案がまとまりつつある。そこでは、著者、湯本氏の指摘するような旧来の予算づくりが続いている。大量の国債発行に依存してカネをばらまき、政権支持率を上げようとする魂胆が見え見えである。これでは日本の財政破綻は必至だ。

 同書は末尾で、「このままではこの国は必ず行き詰まってしまう」とし、政治がなすべきこととして、現在の日本の状況を国民に十分に理解してもらうよう努めること、国民が慣れ親しんできた古い衣を脱ぎ捨てる必要があること、その脱皮には必ず痛みが伴うが、日本の存続を図るために必要不可欠な国民の義務とでもいうべきものであると繰り返し説き、国民全体の意思と力を結集するよう努めることを訴えている。いささかわかりにくい文章だが、危機意識は伝わってくる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月18日 (金)

報道写真展で振り返る「2015年」:いろいろあったなあ

 東京・日本橋の百貨店で開催中の「2015年 報道写真展」を見た。ことし1年を振り返る意味でとても価値がある。

 東京写真記者協会賞は「安保法案にNO!」で、国会議事堂とそれを取り巻くデモとを空中から撮ったもの。政府与党が現在の憲法を無視した、集団的自衛権を含む安全保障体制に踏み切ることに反対するデモが自発的に起きた。それを歴史の一ページとして残す写真である。

 ほかにも強く印象に残った写真は多い。第一に、「事故から4年、闇に浮かぶ原発と常磐自動車道」と「放射能汚染物の黒い山」の二枚の写真。どちらも画面が黒っぽくて、東電福島原発の事故が私たちに残した後始末の難しさを象徴している。

 台風18号の影響で東北、関東地方を襲った豪雨。鬼怒川が氾濫して茨城県常総市では多くの人命や家屋・家財などが失われた。写真「濁流からの生還」で、この災害のすさまじさを思い起こした。災害では、中国の天津市で起きた化学物質倉庫の大規模爆発により、出荷前の乗用車が大量に燃えた。この時の、燃え尽きたあとの倉庫と自動車の写真は、荒涼とした廃墟を強く印象づける。

 戦後70年の節目なので、敗戦や広島、長崎への原子爆弾投下などに関わる写真は多い。その中で、写真「戦後70年 真珠湾に咲く花火」は、長岡花火の「白菊」をハワイで打ち上げたときのもの。寡聞にして知らなかった。

 一方、スポーツの写真は非常に多い。野球、相撲、サッカー、ラグビー、体操、スケートなどで、スター選手が次々に現われるからだろうか。オリンピックが近いせいかもしれない。

 スポーツ以外にも、いささか多すぎるように感じたのは天皇家に関する写真である。逆に、少なすぎると思うのは、海外の出来事を伝える写真である。シリアなどからドイツをめざす難民など、ごく限られた写真しか展示されていない。国内については、沖縄の基地移転問題などで反対運動が激しくなっているにもかかわらず、今回の写真展では、ほとんど関連の写真を見ることはなかった。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月14日 (月)

故・小林陽太郎氏「働くということは人間の基本的な尊厳にかかわる」

 最近の社会ニュースには、家族・家庭内での殺傷事件、ブラック企業と言われるような企業での人間軽視などが多い。人は働くことによって生活の糧を得るのだが、親の介護などで安定した暮らしができないとか、まともな仕事・職に就けず、勤め先があっても、労働時間、賃金、休暇などで劣悪な条件を受け入れざるをえない人が少なくないなど、働く者をめぐる経済社会環境の悪化が背景にある。

 グローバルな経済競争に伴い、日本の大企業においても、労働者・勤労者に対する企業経営者の考え方は変わってきた。人件費を減らし、生産性を上げることが優先課題となっている。そのため、パートなど非正規労働への依存を高め、正社員の賃上げを抑制する。新人や中堅社員などの研修も減らす。残業依存を変えない、などを行なっている。しかし、こうした日本社会のひずみを放置しておくことは好ましくない。

 日本の企業および経営者のありかたを自ら問うことを続けてきた経済同友会。1999年度から2002年度まで、その元代表幹事だった小林陽太郎氏(元、富士ゼロックス社長、会長。ことし9月5日逝去)が発言してきたさわりを載せた『経済同友』11月号の特集を読むと、いまの経済界に対して厳しく指摘している個所がある。

「働くということは、人間の基本的な尊厳にかかわる問題だと思う……(中略)……仕事に就いて働くということは、人間らしさを貫くということにつながっていくのだ……(中略)……場合によれば雇用というのは縮めなければいけないということがあると思います。けれども働くことが人間にとって基本的な尊厳に絡むのだということは、そのことよりもむしろはるかに重要なことなのではないか」

「だからといって不必要な雇用を組織の中に温存していることで、表向きの生産性が下がるとか、結果的に企業の株価が下がっても、それでいいのか、という話は出てくると思います。けれども僕はそこが大きなチャレンジで、……(中略)……もちろん生産性は非常に重要なコンセプトなのだけれども、短期ではなく、ある程度長いスパンでそれを考えることによって、不必要に、人間から働くことの楽しみや、別の言い方をすれば人間らしさを、短期であれ、奪ってしまうというようなことがあってはいけないんじゃないか」(以上、2012年インタビュー)

「企業の視点で社会を考えるのではなく、社会の視点で企業を考えるのである。そういう視点に立てば、”企業の社会的責任”などという、いい加減な言い方ではなく、”企業の社会に対する責任”ということになる。」(2010年、講演録)

「「より良い日本にしたい」という願いは誰しも同じと思う。……(中略)……”強い”だけでもなく、”美しい”だけでもない。「より良い国」をどのように作っていくかは、どの国にとっても最重要のテーマである。」(2013年、講演録)

 きれいごとと思うなかれ。企業経営者も、政治家も、官僚も、人間の尊厳を貴ぶべきだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月11日 (金)

”ばらまき”で、日本の将来が拓けるか

 この国の政治状況に危機感を抱く。

 ・新聞報道などをフォローしていると、安倍首相は、安全保障法制のように、自らが目指す日本国”改造”への道を歩みつつあるが、日本には政権に対抗する力を持つ野党が存在しないのではないかとすら思われる。言い換えれば、自民、公明両党の連立政権による政治が圧倒的にこの国を力づくで動かしている。政権を支える自民党の国会議員も、選挙を強く意識して、安倍総理大臣の意向に追従している。谷垣自民党幹事長が安倍総理の指示に唯々諾々となってしまったように、かつての保守党内の良識派は姿を消してしまった。

 ・2017年4月の消費税2%引き上げは、巨額の”借金”を抱える国家財政を健全化するための小さな歩みである。だが、安倍連立政権は財政再建の必要性を国民に理解してもらう努力をしてこなかった。また、景気回復によって増えた税収増を”借金”減らしに振り向けるどころか、歳出増に回すという放漫財政によって国民の支持を得ることに懸命のようにみえる。

 ・消費税を10%に引き上げる際、食料品などの税率は8%に据え置くという軽減税率問題。公明党が加工食品も軽減の対象にすべしと強く主張し続けてきた。自民党は選挙で公明党にお世話になっているという意識が強いため、筋が通らない公明党の要求を退けることができなかった。だが、軽減税率の適用範囲を広げれば、それだけ消費税収の増加分は小さくなる。増え続ける社会保障費に充てる財源をどうひねり出すかは、財務省の官僚の”手品”にゆだねられることになる。

 ・消費税は貧しい者も税を負担するため、金持ち優遇だという見方が支配的である。このため、貧しい者が購入する食料品に対する消費課税は減免すべきだというのも一理ある。しかし、軽減税率を導入すると、1人当たりの食料品の消費金額が圧倒的に多い金持ちは軽減税率の適用によって、より多くの減税メリットを得ると言える。このように、消費税の軽減税率に対する見方は分かれている。したがって、軽減税率の導入については、国民に問題点を開示し、国会で十分に議論することが何よりも大事である。

 ・消費税については、かねて、”益税”という不公正が続いている。インボイス方式の導入が図られてこなかったためである。しかし、こうした不公正が今後も当分の間、残ることで、国民の政府に対する信頼感は低下していかざるをえない。

 ・政府は財政再建の課題を抱えているにもかかわらず、低年金者約1千万人に対して各3万円程度の給付金を与えるなどの政策を打ち出した。もらう立場になれば、反対する人は少ないだろう。しかし、財政健全化の必要性を説いて国民の納得を得るという真っ当な努力をせず、カネをばらまいて内閣支持率を高く保とうとするのはいわゆる”買収”に相当する。そんなことを繰り返していたら、国家財政そのものの行き詰まり、破綻に近づく。 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月 7日 (月)

利益をむさぼる調剤薬局

 ちょっとした病院の門前や周辺には、たくさんの調剤薬局がある。医薬分業によって生まれた仕組みだが、調剤の報酬体系に大変うまみがあるため、その数は増える一方。いまや、コンビニよりも、郵便局よりも多いという。

 今年度の医療費は約43兆円。そのうち、医師等の人件費が約20兆円に達するが、医薬品および医療材料も約11兆円と巨額である。そこに節減の余地がないのか。財務省所管の財政制度等審議会は財政制度分科会を10月30日に開催したが、そこでの資料と説明は調剤報酬に係る改革のポイントを具体的に示している。

 調剤医療費は2014年度で7.2兆円。そのうち薬剤料が5.4兆円、技術料は1.8兆円である。この技術料の内訳を見ると、調剤技術料(調剤基本料0.49兆円、調剤料1.0兆円)、薬学管理料0.33兆円となっている。

 保険の計算では、調剤基本料は41点(10倍して410円)。これはお薬手帳ありの場合。ない場合は34点である。薬剤情報文書の提供と説明、患者ごとの薬剤服用歴の記録とそれに基づく指導等々を行なったうえでの点数だが、現実には、これらを徹底して行なっているとは言えない。複数のお薬手帳を持っている患者が多いように、薬剤服用歴がきちんとフォローされているとは思われないが、薬学管理料は支払われている。

 薬局に入れば、すぐ気付くことだが、薬剤師の仕事は、医師からの処方箋を受け取るのと、薬を薬品棚から取り出して必要な薬剤を取り揃えることが中心である。それで相当の収入になる。また、院外では薬剤の数や投与日数が増えるのに応じて調剤料の点数が割増になる。調剤料は定額にして減らす方向に改めるべきである。一緒に服用する異なる薬を一つの包みにする一包化の点数加算については、作業の機械化などを踏まえ、なくしていく必要がある。

 このように、現行の医薬分業は、薬局に過剰な利益をもたらしている。だから、門前薬局が林立する。病院に診てもらいにいく私の眼にも、この現行の制度の問題点がよく見える。調剤の報酬体系を適正化するのは喫緊の課題である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年12月 3日 (木)

『生きて帰ってきた男』:”希望があれば生きていける”

 小熊英二著『生きて帰ってきた男』を読んだ。「ある日本兵の戦争と戦後」という副題がついているが、これは著者の、シベリアに抑留された経験を持つ父親、謙二氏へのインタビューをもとに書かれた個人史であり、日本の戦前~戦後史である。著名人でなくても、それぞれの人にまさに歴史ありという感想を持った。

 聞き取りをもとに書かれるオーラル・ヒストリーは、語り手からどれだけのものを引き出すか、聞き手の力量にかかるところ大だが、それとともに、語り手が自らの体験や環境をどれだけ、しっかり記憶しているか、また、それを整理して話せるかにもかかる。本書は、そのどちらも兼ね備えており、私たちの知る歴史に、よりいっそうのふくらみを持たせたように思う。

 シベリア抑留については、多くの本が書かれており、何冊も読んだことがある。今回、謙二氏の眼を通して見たチタ二四地区第二分所での被抑留者の実態、ソ連側の実態、いずれの観察も、新たな視点を提供するものである。

 また、帰国してからの暮らし、入院生活などを経て、食べていくための苦労を重ねる謙二氏と家族の話も、身につまされる。「歴史」というと、大上段に振りかぶった書物が少なくないが、本書は、庶民史とでも言ったらよさそうな叙述である。

 「第9章 戦後補償裁判」から、謙二氏の言葉を引用したい。――

 「稼ぐに追いつく貧乏なし」とも言われていたが、「いまは、非正規雇用の人たちなどが、どんなに頑張ってもだめな世の中になっている。日本だけのことではないようだが、希望が持てない。使う側の「労働のモラル」がなくなった。」

 「自分が二〇歳のころは、世の中の仕組みや、本当のことを知らないで育った。(中略)いまは本当のことを知ろうと思ったら、知ることができる。それなのに、自分の見たくないものは見たがらない人、学ぼうともしない人が多すぎる。これから二〇年もたてば、もっと悪くなるだろう。」

 未来がまったく見えないとき、人間にとって何がいちばん大切だと思ったかとの問いに、謙二氏は「希望だ。それがあれば、人間は生きていける」と答えたという。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年11月 | トップページ | 2016年1月 »