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2017年1月 9日 (月)

太平洋戦争で奈良などの文化遺産が多く無事だった理由

 太平洋戦争末期において、東京大空襲と広島・長崎への原爆投下とは、日本本土が受けた最も悲惨な攻撃だった。米軍機は東京を無差別に空襲したといわれる。だが、8日のNHK・BS放送「芸術家の太平洋戦争 法隆寺を愛した米国人」によれば、米軍は日本本土爆撃に先立って、法隆寺など日本の歴史的文化的重要遺産などを破壊しないように、空爆の対象からはずずといった措置をとったという。

 東京に対する空爆においても、皇居をはじめとして、博物館のある上野公園一帯や東京大学、東京駅などを爆撃対象から除いていたことを、初めて、この番組で知った。浅草寺も爆撃対象外だったが、これは燃えてしまったという。

 この番組を途中から見たため、間違って理解しているかもしれないが、これには、日本の古くからの寺院・仏像などに傾倒し、戦後、「不滅の日本芸術」(翻訳書は1954年に朝日新聞から出版された)を書いた研究者、ラングドン・ウォーナァなどの日本文化研究者が軍を説得し、動かしたという事情があるようだ。戦後、日本から賠償として日本の古美術などを持ち去ろうとする戦勝国の主張もあったというが、これも米国の学者・研究者の働きかけで阻止されたという。

 日本の古来の歴史、文化は世界に誇る価値があり、いま、日本の”観光立国”を支える大きな柱となっている。第二次世界大戦の最中、歴史的文化遺産を空襲から守るため、寺院などは独自に仏像などを疎開させたりした。

 しかし、それとは別に、米軍のサイドで、日本の重要な文化・歴史遺産の保護を訴え、実現させた学者・研究者がいたのは驚くべきことである。米国の懐の深さを痛感する。

 

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