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2017年2月15日 (水)

東芝――落ちた偶像

 日本の誇る総合電機メーカー、東芝が経営危機に直面している。主力の原子力発電事業で、米子会社のウエスチングハウス(WH)などが底なしの赤字を抱え、その穴埋めのために、昨年、医療機器事業を泣く泣くキャノンに譲渡し、さらに、最後の砦とも言うべき虎の子のフラッシュメモリー事業までも分社化して、その株式の大半を売却する可能性が大きくなってきた。

 収益の柱を失えば、東芝という会社の総合力・競争力や将来展望は失われる。希望の失われた会社からは、次々と人材が去っていくことになる。情報機器やエレベーターなどの事業の競争力を保つのも容易なことではあるまい。

 さりとて、3.11で起きた東電福島原発の事故の後始末は、やめるわけにはいかない。フクシマの後始末にあたって、東京電力は汚染除去費用を負担せず、国が税金で肩代わりするという非常措置をとった。フクシマの原子炉のデブリなどを何十年とかけて始末するうえで、原発機器の建設に関わった東芝の責務も大きいので、政府としては、東芝を倒産させずに存続させようとするだろう。事故を起こした原発を安全に処理するには、相当の技術力および技術者を温存する必要があるからだ。

 目下のところは、窮迫する東芝の資金繰りを三井住友銀行、みずほ銀行などの主力金融機関が担うことになるが、長期的には、それだけでは無理かもしれない。東電の国家管理と同じく、東芝も国家管理で生き延びる道を歩むことになるかもしれない。

 ところで、どうして、ここまで深刻な状況に追い込まれたのだろうか。昭和40年不況で経営が悪化し、外部から土光敏夫氏が東芝の社長に就任したころからを振り返ると、同社の社長はある時期から「オレが、オレが」のタイプが増えたように思う。ひとたび社長に就任すると、前任者にろくに口もきかない。独断専行のリスクがあった。社長といっても、出身分野が違うという事情もあるし、全体を見る総合的な視点が概して弱かったように思う。その点は、日立製作所のほうが、社長室をうまく使っていたようにみえる。

 WHの買収は、ねらいは悪くなかったが、フクシマ以後、原発の建設コストが上がるなど、状況が大きく変化したのを軽視した。また、外資の買収にあたっては、相手の内部事情に疎いので、よほど慎重に財務データなどをチェックする必要があるが、東芝はのめりこみすぎた。買収はタイミングも大事だが、会社の命運を左右する巨大外資の買収ならば、もっと本社内で多面的に検討すべきだった。

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