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2017年2月 7日 (火)

山崎種二氏は美術館で名を残す

 2月初に東京・恵比寿にある山種美術館に行った。「日本画の教科書 京都編――栖鳳、松園から竹喬、平八郎へ――」を観るためだ。入ってすぐのところに竹内栖鳳の「班猫」があり、さらに村上華岳の「裸婦図」と、重要文化財が2点もあった。展示された50数点の日本画は、昭和の50年代までのおおよそ100年間に描かれたものだった。

 じっくり観て回ったが、絵画の世界に疎い素人から見ても、感動する作品がたくさんあった。2月半ばに始まる「日本画の教科書 東京編――大観、春草から土牛、魁夷へ――」が楽しみだ。

 ところで、この山種美術館は、確か、開館当初は、東京・日本橋茅場町の山種証券新本社ビルの地階にあった。そこで開館してから50年経ったので、50周年記念特別展として今回の展示を行なっているわけだ。

 私の記憶に強く残っているのは、この新本社ビルに移る前、同じ茅場町のビルに山種証券本社があり、山崎種二会長に会いに行ったときのことである。50年以上も前のことである。穏やかな話っぷりで、往年、米相場などで鳴らした相場師という印象は受けなかった。同じフロアに茶室がしつらえてあり、温厚な人柄という印象とよく合っていた。

 少し脱線するが、2年ぐらいあと、出光興産の店主の出光佐三氏に会ったときも、やはり、茶室があった。

 そして脱線ついでだが、山崎種二氏も、出光佐三氏も、美術品の収集に力を入れ、それらを展示する美術館がそれぞれつくられた。茶室と美術館の不思議な取り合わせだ。

 山崎種二氏の山種証券は、証券不況・再編成の嵐に遭い、現在、三井住友フィナンシャルグループのSMBCフレンド証券になっている。山種の名前は証券界から消えた。また、自主独立路線を歩んできた出光興産は、国内の石油精製販売事業再編の嵐の中、外資系の昭和シェル石油との合併をめざし、創業家と対立している。合併後の新しい社名に出光の名前が残るか、が注目点の1つだ。

 社名に創業者などの名前が残ることは、ビジネスの世界では、ますます難しくなるのだろう。代わって、社会貢献の形で名前を残す人が増えるのかもしれない。

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