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2018年1月30日 (火)

放漫財政をチェックする政治勢力が無い

 水谷豊が主演のテレビドラマ「相棒」をよく見る。警察組織は上下関係で官僚制度の最たるものだが、このドラマでは、その官僚制度の弊害がときおり具体的な事件の捜査に顔を出す。

 政府・与党の要人が関わる事件やスキャンダルなどで、官房長官がもみ消しを指示したりする。警察内部でも上層部の指示で、事件をにぎりつぶしたりする。警察庁と警視庁との上下関係で事件が警察庁の意向に沿って処せられたりもする。もちろん、警視庁が警察庁の無理難題に対し、筋を通そうとしたりすることもある。

 このドラマ「相棒」が長く続いている理由の一つは、この官僚制度の歪みを突いているからだろう。現在の日本では、法の制定から法の運用、適用まで、何が正しいのか、官僚が民主政治の基本に立って公務に励むのが正道だが、現実には、出世するか、左遷されるか、上司などによる人事評価などが影響する。結果として、上司の指示に従ったり、意向に沿った行動をとることが多いと思われる。

 経済政策にしても、官僚の人事評価に政治家が関与するようになり、政権のトップの意向を汲まないと、昇進の道が断たれるという状況ができてきているようだ。財政健全化への取り組みも、消費税増税を繰り返し先延ばしする安倍首相の放漫財政のため、与党、省庁などは予算分捕りのほうに夢中になっている。

 金融の異次元緩和で国債の大量購入に踏み切った日本銀行も、安倍政治に唯々諾々と従って、膨大な国債を抱えたまま、金融正常化に手を着けようともしない。官僚の一人ひとりが、「もの言えば唇寒し」と憂国の思いを内に抱えたままである。

 安倍政権が長ければ、それだけ、官僚たちの国を思う心が薄れていく。野党があまりにも無力な政治情勢を憂う。

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2018年1月13日 (土)

元旦の新聞一面トップで社主が”平和憲法捨てるな”と主張

 日本記者クラブは例年、いまごろ、東京・日比谷のプレスセンタービル一階ロビーで、元旦付けの全国紙、地方紙などをまとめて展示する。ことしの展示を13日(土)に見た。眼を引いたのを一つだけ紹介すると、日本海新聞と大阪日日新聞が一面トップに、社主の吉岡利固氏の主張「平和憲法を捨ててはならぬ」を掲載したことである。

 一般紙は、社説、論説、主張などという欄を設けているが、それを執筆するのは論説委員などであり、経営の最高責任者ではない。また、社説などが一面に載っていた時代はとっくの昔に終わり、二面以降に掲載されるのが普通だ。編集も分業・専門化の時代である。それだけに、元旦だけとはいえ、社主の名前で主張を前面に押し出す日本海新聞と大阪日日新聞はユニークだ。

 吉岡社主の主張の一つは、二度と戦争をしてはならないという日本人の平和に対する思いは世界に浸透していて、日本だけは軍備を持たなくてもやむをえないと世界は納得してくれている、日本は戦争放棄を明記する憲法を持つ唯一の国であり、わざわざ普通の国になる必要はないということである。

 また、我が国の繁栄は、米国が日本に平和憲法を作り与え、軍備を持たせず、代わりに日米安保条約で日本を守ってきたおかげである、安倍政権の憲法改定は、平和憲法の持つ特権を自ら捨て去る行為だという。

 また、吉岡社主は、安倍政権の言う働き方改革は、実際は、休みが増える分、収入は減るという内容だ、おカネがないのに遊べと言う矛盾した政策だと主張する。そして、政府と官僚が推進する小手先だけのダメ政策に気付かぬほど国民は思考停止に陥っていると言う。

 そして、国民がいっそう考える努力を失い、軍備を持つことを容認する世論が半数を超えたら、日本の将来危機が本格的に到来すると指摘する。

 以上、吉岡社主の訴えを紹介した。日本の一般紙で、吉岡社主の抱くこうした鮮烈な危機意識を読者に訴える新聞がほかに見当たらないのをどう考えたらいいだろうか。

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2018年1月11日 (木)

大鹿靖明『東芝の悲劇』はすごい本だ

 粉飾決算などで明らかになった東芝の危機的な経営状況はいまも続いている。なぜ、こうした事態に至ったかを追及した大鹿靖明著『東芝の悲劇』を読み終えた。

 「東芝は、経済環境の激変や技術革新の深化の速度に対応できず、競争から落後したわけではなかった」。「その凋落と崩壊は、ただただ、歴代トップに人材を得なかっただけであった」。プロローグで著者はそう言い切っている。

 本文を読むと、よくここまで掘り下げて取材・執筆したことに驚く。とともに、著者に敬意を表する。大鹿氏の著作ではかつて、『ヒルズ黙示録』を読み、強烈な問題意識や取材力に感心したが、今回は、それ以上に、緻密な取材のうえに積み上げたストーリーに圧倒される思いだった。

 『東芝の悲劇』のエピローグを読むと、”悲劇”の構図が整理して述べられている。

 「東芝で起きたことは、まさに人災だった。教訓として言えることは、傍流からの抜擢人事は、こと日本の大企業においては成功しないということである。なぜならば、傍流からの抜擢人事は、多くの場合、実力者自身の院政とセットになることが多いからである」。

 「東芝の悲劇は同時に、この国の専門家たち(プロフェッショナル)の偽善性や欺瞞ぶりもさらけだした」。会計士、弁護士、検察庁、公正取引委員会や、所管官庁の経済産業省は、本来、求められる社会正義の実現や真実の追究をおろそかにして、財界の名門、東芝の面倒をみてきた。「かくして独立不羈の精神が社内に育まれることはなかった。温和で従順な社員は自立の気概に欠けていた。それも東芝の悲劇だった」。

 傍流からの抜擢云々という著者の割り切り方などに異論もあるだろう。それを踏まえても、”東芝の悲劇”の進行を詳細に取材し、執筆した著者の力量はすごい。”悲劇”はまだ終わってはいない。続編を期待する。

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2018年1月 5日 (金)

佐川国税庁長官の記者会見はいまだにしていないんだっけ

 日本税理士会連合会(略して日税連)の会報「税理士界」の1月15日号を読んだ。新春対談「納税義務の適正な実現に向けて  佐川国税庁長官と語る」と題して3ページにわたって、神津信一日税連会長と佐川宣寿国税庁長官の対談が掲載されている。

 佐川長官といえば、昨年7月5日に就任するまでは財務省理財局長だった。学校法人森友学園に国有地を売却する際に、地中に埋まったごみの撤去費用を過大に見積もり、払い下げる土地代を低くした疑いがあるとして、国会で、関係書類の提出を求められたりした。しかし、「書類は破棄された」などと答弁し、証拠隠滅の罪で告発された。

 そんないきさつもあって、佐川長官の就任記者会見は行われず。その後、佐川氏が記者会見をしたという報道は記憶にない。

 しかし、佐川氏は「税理士界」の対談で、「我々の組織では職員に対し風通しの良い職場であるようにということをよく申し上げています。風通しが良いというのは、お互いにきちんと議論し合うということで、会議では、必ず各人の意見を述べてもらうようにしています……この組織で何をしたいのか、この組織をどうしたいのかということを議論してもらうことが重要だと思います」と言う。

 そして「些細な問題でも対応を誤れば、組織の信頼を失ってしまいます。それを防ぐためにも、リスク管理として、必ず上司に報告するよう徹底させています。」と付け加える。

 租税教育の充実に向けた取り組みについても、「次代を担う児童・生徒が、国の基本となる租税の意義や役割を正しく理解し、社会の構成員として、社会のあり方を主体的に考えることは、納税に対する納得感の醸成と民主国家の維持・発展にとって大変重要なことである」と述べている。

 以上、対談で佐川長官の述べたことは至極もっともである。普通に記者会見を行ない、メディアを有効に活用すれば、国民の税に対する認識や理解が深まりやすい。結果として、長官の目指す目標を実現しやすいのではないか。

 それを佐川氏は十二分にわかっているが、真相を闇に葬るという選択をせざるをえなかったのだろう。そうだとすると、長官の仕事を全うする人物として不適格のように思える。

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