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2019年2月 9日 (土)

財政破綻問題に正面から取り組む経済同友会

 2月8日に財務省が発表した昨年末の国債・借入金・政府保証債務合計は1101兆円だった。言ってみれば日本国政府が借りているお金、つまり借金がそれほど多くあるということである。うち、普通国債だけで867兆円に達する。

 だが、この巨額の借金を誰が背負うのか、ほとんどの国民は考えたこともないだろう。新聞報道も、厚生労働省などの統計不正に集中している。国民は借りたカネは返さねばならなくなると知ったら、真剣にその方策を考えるようになるだろう。
 経済同友会の最新の月報「経済同友12・1号」は、同会がこの問題に真っ向から取り組んでディスカッションをした様子を紹介している。その中で、一番強い印象を受けたのは、小林慶一郎氏(慶応義塾大学教授)が「財政危機の深刻さと大きさが国民に共有されないことが財政健全化についての議論の大きな障害になっている」と言っていることだ。
 いまでも、GDPに対する国・地方の債務残高の比は非常に大きい。この比を安定させるには、GDPの14%にあたる予算のカットないしは増税が必要という。いまの国家予算は約100兆円だが、その7割にあたる70兆円をカットしなければならない、同氏はそう言う。
 一方、池尾和人氏(立正大学教授)は、国内の貯蓄で財政赤字をカバーしているマクロ経済状況では、財政破綻の問題は顕在化しないのではないか、と指摘。「余裕がある間に、危機に備えるべきなのですが、なかなか危機感が醸成されません」と指摘している。
 もっとも、須田美矢子氏(キヤノングローバル戦略研究所特別顧問)は、「日本の対外純資産残高から純直接投資と外貨準備を除いた純資産は40兆円」、「短期の対外純債務が190億円」だと指摘。「世界最大の債権国だから財政破綻にはならないという議論は楽観し過ぎ」と戒める。
 財政破綻はまず高率のインフレに始まる。行政サービスが大きな打撃を蒙り、社会保障などが抑えられ、社会の混乱がひどくなる。したがって、財政健全化は非常に大事だと土居丈朗氏(慶応大学教授)は強調している。
 みんなわかっているのに、誰も手をつけない。そうみえる。政治の危機の底は深い。

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2019年2月 8日 (金)

小説『魂の刻(とき)』からの連想

 もと新聞記者だった砂原和雄氏の新著『魂の刻(とき)』を読んだ。たまたま、10年前、氏が書いた『炎の森へ』を読んだとき、このブログで取り上げた。日本長期信用銀行破綻の3年ほど前に、陶芸家をめざして同行をやめた人が主人公のストーリーである。会社をやめたあとの高齢者の生き方を示唆していた。私の周囲にも、長銀の破綻で人生が大きく変わった人がいて、その一人は、劇団の経営責任者として今も活躍している。

 そして、10年前を振り返って驚くのは、この10年間に、転職についての会社員の意識が相当に変わったことである。エレクトロニクスなどの先端分野では、世界中の企業との生存競争が激しくなって、大企業であろうと、会社がつぶれることがないとは言えなくなったという認識である。会社第一主義から、自分の力量次第や生き甲斐重視へという変化である。労働時間規制などの改革も、そうしたトレンドに拍車をかけるだろう。
 『魂の刻(とき)』は著者が若い頃、一時住んでいた横浜を舞台にしている。横浜は関東各地のシルク(生糸・絹)の輸出拠点だったこともあり、横浜港に係留している氷川丸も、かつてシルクを欧米に運んでいた。私も半世紀前、横浜に住んでいたことがあり、公社住宅の一階は確かスカーフを織っていたと記憶する。街を歩けば、シルクセンター・シルク博物館があり、横浜はシルクとの関わりを今も残している。
 小説は、そうした歴史と地理を背景に、為替ディーラーの仕事をやめて親族からシルクの仕事を引き継ぐかどうか迷う主人公が、能面を制作する面打ち師の女性に面打ちを教わり、面打ちの魅力にとりつかれる。そして、妖艶な若い女を表す能面づくりに夢中になるが、地震で壊れてしまい、それを境に二人の関係も終わりをとげる。能の知識のない私の紹介では味も素っ気もないだろうが、能の世界の深さを感じさせる。
 それに、著者がやはり十年の歳月を経て、おだやかな恋愛小説を書いたところにしっとりとした滋味を感じたところである。
 10年前に書いたこのブログでは、「高齢者が健康で、意欲的な生活をおくるには、さまざまな条件をクリアせねばならない」と書いた。「その一つは、定年のない仕事に就いている人は別として、(中略)一生続く趣味、楽しみを若い頃から持つことだ。」と書いた。砂原氏はこの道をしっかり歩んできた。しかし、私自身はというと、そうだったとは言えない。

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2019年2月 2日 (土)

東京国立博物館の「顔真卿~王羲之を超えた名筆」を見た

 書道では、王羲之や顔真卿というと、神様みたいな存在だ。その顔真卿を中心に、王羲之、欧陽詢ら、中国の(世界の)名だたる筆者(書家)の作品を展示している東京国立博物館に行ってきた。

 文字(漢字)は事物や意思の表現・伝達の手段として発達してきた。文字の書き方には隷書、草書、行書、楷書などがあるが、それら全体を通して、顔真卿などの書家がどのように優れた書を書いたのか、素人の目で見て回った。
 展示の売り物は顔真卿の「祭てつ(女編に至)文稿」だが、混む日は行列で30分以上かかるからか、きょうは夕方、列がほぼ解消したにもかかわらず、係員が「立ち止まらないで」を繰り返し言っていた。これまでも、作品をじっと見る時間を与えず、「早く……」と追い立てられたことは何度かある。じっくり見ることができる工夫を求めたい。別の美術館だが、ムンクの絵の展覧会で作品の「叫び」を見たときは、列から離れてじっくり見ることができた。偶然だったのかもしれないが、そんなサービス精神が欲しい。
 ところで、この展示では当たり前かもしれないが、中国語の会話をする若い外国人がかなりいた。漢字自体、中国にルーツがあるから、当然かもしれないが。何事につけ、中国語やそのほかの外国語を話す人たちが日本の国内に増えていることを実感する。
 

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