2016年11月17日 (木)

熊本、水俣、知覧への旅

 先週の後半、ひさしぶりに九州に行った。ドナルド・トランプ米次期大統領の政策、人事や、博多駅近くの道路陥没などの出来事がメディアをにぎわせていた時だ。

 熊本では、飛行場に着陸するまでの上空から見ると、青いビニールのおおいがかかっている家が点在していた。市内では、熊本城が地震による痛ましい姿をさらしていたが、JR在来線の熊本駅そばに住む知人のマンションも、号室によっては、長い亀裂など痛々しい被災状況を呈していた。行った翌日も、熊本市などで余震があった。

 次の日は水俣病で知られる水俣市やチッソなどを訪ねた。チッソの水俣工場の汚排水にメチル水銀が含まれ、それが魚を食べることを通して水俣病を引き起こした。患者の発生が公式に確認された1956年から実に60年も経ったが、患者の認定、補償などで今日にいたるまで水俣病の問題は続いている。

 今回、工場排水を放出する百間排水口、患者がたくさん発生した茂道漁港、水俣湾のヘドロを浚渫し埋め立ててできた公園(慰霊碑などがある)、患者、川本輝夫氏が創設した水俣病歴史考証館、そしてチッソの工場を訪れた。工場では、会社の経営についての説明を聞いた。また、考証館では、チッソに勤めていた父親が、水俣病が公式に確認される前に発症し、亡くなったという女性から、いきさつなどを聞いた。

 水俣では、チッソの地元経済、政治に対する影響力が強い。漁民や患者は水俣市の周辺に多い。そうした違いが水俣病をめぐる住民意識の相違をもたらしているという。眼に見えない対立を解消するためになすべきことが多々あるように思った。”もやい直し”と講話の女性は言っていたが、何よりも、企業の社会的責任という観点で、チッソが自らの非を深く反省し、地元の融和に取り組むことが必要ではないか。

 60年も経てば、当事者はほとんど会社にいない。したがって、冷静に企業の社会的責任を突き詰め、水俣市の負のイメージを拭い去ることができるのではないか。

 旅行の3日目に鹿児島の知覧を訪れた。特攻平和会館と武家屋敷とがある。武家屋敷は庭を観光客に見せる家が数軒あり、薩摩の地方武士の暮らしの一端を垣間見ることができた。特攻平和会館は40分程度しかいられなかったが、大勢の人が来ていた。特攻の理不尽さは誰の目にも明らかだが、それがなぜ実行されたのか、私たちはそれを二度と繰り返してはならないという覚悟ができているのか、気になった。

 海外派遣の陸上自衛隊に「駆けつけ警護」を新たな任務として付与する15日の閣議決定は、他国軍との交戦や日本国内テロなどにつながっていくおそれがある。徐々に、徐々に、平和国家、日本の形が崩れていくおそれがあるのではないか。

 『戦艦大和ノ最期』の著者、吉田満は島尾敏雄との対談『新編 特攻体験と戦後』の中で、「あの時、終戦の混乱の中で、一ぺんに、いろんなことが全部捨てられた。日本人は世界の中でどう生きるか、どんな役割を果たそうとするのか。そんな問題もいっさい棚上げされてしまった。なにかそこに重大な欠落があったんじゃないかという感じが、三十数年間続いているということなんです」と語っている。

 岐路と気付かずに、私たちはいま、ゆっくりと曲がっているのではないか。どっちがどうともほとんど気付かずに。

 

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