2009年11月16日 (月)

映画「カティンの森」は重かった

 映画「灰とダイヤモンド」などで知られるアンジェイ・ワイダ監督が2007年に制作した映画「カティンの森」を試写会で見た。何とも重たいというのが見たあとの率直な気持ちだ。忘れていた重要かつ深刻な問題をこの映画で思い出してしまったような気持ちになった。

 第二次世界大戦はナチスドイツがポーランドに電撃的な攻撃を実施した1939年9月1日に始まる。そして、ドイツとソ連とのポーランド分割秘密協定に則って、ソ連が同月17日にポーランドに侵入した。西からと東からの侵略でポーランドという国家は事実上消滅した。

 そして、ドイツ民族の優越性を誇るナチスはポーランドに住む多数のユダヤ人を強制収容所に送り込み、ガス室で虐殺した。ソ連は捕虜にしたポーランド軍の将校約1万5千人の多くをカチンの森に運び、銃殺して埋めた。どちらも歴史に残る、残虐きわまりない大量虐殺である。ソ連について言えば、ドイツ軍の捕虜だった多数のソ連兵士が帰還したとき、ドイツのスパイとみなしてシベリアなどの強制収容所に入れた。また、ソ連国内でも、体制にタテをつくとみられた人々を片っぱしから処刑したり、収容所送りとした。人間不信の恐怖政治の体制だった。

 第二次世界大戦中の1943年に、カチンの森で数千人の遺体が発見されたが、当時、ドイツとソ連は、お互いに相手国の仕業だと糾弾しあった。ソ連による行為だとはっきりしたのは、ソ連・東欧圏が崩壊した1990年ごろのことである。

 第二次大戦が終わったあと、領土を西寄りにずらされ、社会主義国家として再興したポーランドは、ソ連の衛星国となった。このため、ソ連はもとよりポーランド政府も、カチンの大虐殺がソ連の行為だということを認めなかった。

 ポーランドは、ヒトラーのナチスとスターリンのソ連とによって国土を蹂躙され、たくさんの国民が残虐非道の殺戮行為で命を断たれた。そればかりか、戦後も、冷戦の続いた半世紀近く、ソ連の東欧支配により、民主主義も、言論の自由、出版の自由なども認められなかったのである。多くの人は生きていくために、権力に屈従せざるをえなかった。

 いま、私たちは民主主義を当たり前のように思っているが、自由とか民主主義とかというものは決して当たり前のものではない。それを維持する普段の努力がなければ、いつ奪われてしまうかもしれない。ナチスやスターリン主義が示したように、人間は組織、団体とか集団になると、信じられないほど非道な行為を平然と行なう存在である。その恐ろしさに封印をしたつもりでも、いつ、それが破られるかわからない。映画でそのことを思い起こした。 

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2008年12月 2日 (火)

「蘇る玉虫厨子」

 法隆寺の国宝、玉虫厨子は飛鳥時代につくられた仏教芸術の最高傑作とされる。しかし、造られてから千年を超える長い歳月が経っているだけに、色や図柄は薄れ、玉虫の翅もほとんど失われている。

 これを復元しようと思い立ったのが中田金太という実業家。私財を投じて全国のすぐれた職人を集めて、数年かけて復元に成功した。映画「蘇る玉虫厨子」は、蒔絵師、彫師、塗師、宮大工、それにかざり金具師、それらの匠が自らの技術をかけて取り組んだ過程を記録したもの。日本の職人たちの仕事への情熱とハイレベルの技術とを画面で堪能した。

 国宝の復元とはいえ、本物に触れることは許されないので、蒔絵師たちは国宝の公開の際に丹念に見たり、写真や文献などをもとに、判読しがたい絵柄などを解読ないし、想像したりする大変な苦労を重ねた。図柄では、見えないものが見えてくるまでじっくりと写真などを見つめたりしたという。

 玉虫の翅は日本では一部しか調達できず、海外から大量に輸入したという。産地で翅の色が違うので、それを生かす工夫も必要だった。翅を細かく切り、1枚1枚貼り付けるなどの作業は気の遠くなるような細かい手仕事である。

 屋根は一枚の板から屋根瓦の形などを削り出すなど神経を集中する作業ばかり。漆塗りの漆そのものの作り方、塗り方なども、そこまでやるのかということばかりだ。

 復元された玉虫厨子は画面で見る限り、すばらしい出来栄えである。12月13日~21日、東京・上野の国立科学博物館で特別に展示されるそうだから、見てみたい。

 実は、復元された玉虫厨子は二基ある。一基は法隆寺に置かれる。もう一基は飛騨高山に収蔵されている。違いは、絵柄を玉虫の翅で描いたものが飛騨高山のもの、絵柄が漆塗りのものが復元した法隆寺のものである。

 法隆寺では、国宝、玉虫厨子が飛鳥時代につくられたとき、いかに華麗であり、また釈迦の教えを描いた荘厳なものであったかが参拝者にわかりやすくなる。国立科学博物館の展示は飛騨高山から持ってくるという。

 中田氏は完成前に亡くなったが、彼の貢献は非常に大きい。日本の職人の技術がすぐれていても、それを発揮し、次世代に伝承していくには、こうした高度の技術を要する作品をつくってくれという注文がないといけない。職人の1人は、こうした難しい注文を受けることで新しい技術を生み出すことができたと言っている。

 その意味で、中田氏のように文化を支えるお金持ちがもっと出てこないといけない。彼は飛騨高山の祭に使われる舞台を8基つくって寄付したり、私財を伝統文化の保存・振興に次々投じたという。国も、国宝をただ保護、保存するだけではなく、それらを生み出してきた技術および職人を育て、技術を伝承することが可能な仕掛けを工夫すべきだろう。 

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2008年4月19日 (土)

映画「靖国」雑感

 いま話題の映画「靖国」を観た。いくつかの映画館が上映予定から下りたあと、別の映画館が上映に踏み切ると伝えられた。また、国会議員を対象とする試写会があったり、右翼系活動家にも観てもらったりするたびにメディアが取り上げて報道している。これだけ巧まずして“前宣伝”が行なわれた以上、一般封切になったら、観客が多いことだろう。

 8月15日は別として、普段の靖国神社は静かで訪れる人も少ない。千鳥が淵の桜を見るためにやってくる人たちの一部がついでに寄るときに結構にぎわうぐらいだ。だから、映画で見る靖国神社の8月15日には驚いた。全く異質の世界が展開しているからだ。

 第二次世界大戦に敗北した1945年から半世紀以上過ぎたにもかかわらず、あの戦争において戦った人々、銃後で苦しい目にあった人々、犠牲になった人々、そして、それらの人々の子孫の中には、あの戦争の後始末というか総括に対して納得していない人が少なからずいる。それが8月15日の靖国神社に現れている。そのことが映画でよくわかった。

 しばらく前に、映画「明日への遺言」を見た。第二次大戦中、米国による東京大空襲に比べれば、規模は小さいが、名古屋への大空襲もあった。そうした空からの無差別爆撃は国際法に違反するのではないか。そうした疑問がこの映画の背景にある。

 日本はアジア諸国を支配下に置こうとして侵攻し、結局敗れた。その事実を歴史のどういう文脈に置くかによって、解釈は大きく分かれる。外交的な立場からみた日本政府の公式的な見解ははっきりしているが、それに国民が皆、納得しているわけではない。それが折りにふれ噴き出す。そして、アジアの国の反発を招くこともある。しかし、それは日本が言論の自由、表現の自由を保障するデモクラシーの国家である証明でもある。

 映画「靖国」については、8月15日の靖国神社にだけカメラを向けていたら、もっと我々日本人に深く考えさせることになるのではないかという感想を抱いた。靖国神社のご神体が「日本刀」であり、刀匠が「靖国刀」をつくる工程を映すことや、戦時中に捕虜などを刀で斬殺しようとする写真を何枚も映すことで、かえってストーリーがありきたりのものに単純化されてしまったと思えるからだ。

 戦争・軍隊に関わる映画と言えば、先日、韓国映画「光州5・18」を見た。1980年5月の“光州事件”を正面から取り上げたものである。日本の自動車生産や粗鋼生産などが世界一になった年に、隣国の韓国では、非常戒厳令が敷かれ、軍隊が、民主化を要求する学生・市民らと衝突し、武力制圧した。たった28年前のことである。いまのチベットを想起するような事態だが、当時の韓国には、いまの中国がそうであるように、言論の自由、報道の自由がなかった。だから、韓国国内に、光州の出来事がきちんと伝わらなかった。

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2008年4月 6日 (日)

映画「クライマーズ・ハイ」を見て

 1985年8月12日、羽田発大阪行きのJAL123便、ボーイング747SR機が群馬県の御巣鷹山(標高1639㍍)に墜落し、生存者4人を除いて520人が亡くなった。横山秀夫著「クライマーズ・ハイ」は、地元紙の記者としてこの世界最大の航空機事故を取材した体験をもとに書かれた作品だそうだが、この原作を読まずに、映画「クライマーズ・ハイ」を試写会で見た。

 事故発生のその日、私は新聞社にいて、夕刻、そろそろ帰ろうかと思ったときに、「日航機が行方不明」という第一報が入った。そのうち、長野県に墜落したという情報が入った。乗客の中に歌手の坂本九さんも入っているという。そして翌日、群馬県・御巣鷹山の現場からの報道が始まった。会社に出ると、一週間ほど前にやってきて話をした大阪本社の仲間が犠牲になったことがわかった。そうした記憶があるので、格別の思いで映画を鑑賞した。

 映画は、前橋市に本社を置くローカル紙が、地元で起きた未曾有の航空機事故について、どういう取材態勢をとり、どんな記事を執筆し、どういう紙面をつくったかを、事故報道の総責任者、および編集記者たちを中心に映像化している。映画はよくできていて145分飽かせなかったが、個人的に感じたのは、映画の中での、新聞づくりにたずさわる人たちの熱気である。活気を超えて、まさしく熱気である。

 いまの全国紙も、地方紙も、おそらく失っているのは、この熱気である。新聞という仕事を生かすも殺すも、そこで働く記者やそのほかの人々のやる気である。自由闊達な職場からしか、いい新聞は生まれない。いい情報を提供するというのとは違う。

 現在の新聞社は、購読者の減少、広告の減少などで、経営環境が厳しくなる一方である。IT化やグローバル化など、内外の情勢変化もあって、経営の論理、組織の論理が編集局の上から下までをもおおっている。昔は、変わり者、一匹狼のような個性的な人材がいたが、そうしたのりしろを許容しなくなっている。

 この映画でも経営や組織の論理がときどき顔を出すが、ひたすら、いい紙面をつくろうという熱気がほとばしる。私も第一線の記者だったころから、そうした気持ちを持っていたつもりである。それだけに、この映画に現れた熱気に感激した。

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2008年1月30日 (水)

中国映画「胡同の理髪師」を味わう

 北京にある古くからの狭い路地と密集した住宅は胡同(フートン)と呼ばれる。そこに住む93歳の床屋(理髪師)のチンさんの日々を描いた映画「胡同の理髪師」を観た。

 一人暮らしで毎日、規則正しい生活をするチンさんは、古いゼンマイ時計で朝6時に起き、夜9時に寝る。高齢となったいま、午前中はおんぼろの三輪自転車に乗って、古くからのなじみの客の住まいを巡回し、理髪する。午後は近所の人とマージャンを楽しんだりする。時おり、息子が訪ねてきて、息子の家族の様子をチンさんに話す。そうした人情味あふれた胡同での日常を淡々と描いているのだが、その中に、急速に移り行く時代の変化が写し出されている。

 その変化の1つが、オリンピック開催で拍車がかかる、市街地の近代化、高層化に伴う胡同の消滅である。映画では、チンさんの住む胡同がいずれ取り壊されるとわかる。何百年と庶民が暮らしてきた胡同が消えていくことに対して、映画は静かに哀惜の念を表している。

 日本のバブル時代のように、地上げ屋らしき人物が胡同取り壊しに取り掛かっており、胡同の家を手放す人には多額の補償金が支払われるらしい。チンさんのなじみ客の息子は高層の豪華マンションに住んでいて、父親に入る補償金をねらっている。そうしたカネに対する欲望が人の心を変えてしまうさまを示している。

 チンさんの息子は年金暮らしで身体の具合も悪い。しかも息子の息子、つまり孫は失業していて、嫁さんが子供を産むというように、生活苦にあえいでいる。そんな息子にチンさんは自分の貯えからおカネを出してやる。社会主義国家が変質し、社会保障も細々としている中国がそこに浮き彫りにされている。 

 チックタックと音がする振り子の柱時計、手動バリカン、三輪自転車、金魚鉢等々、ゆっくりと時間が流れる時代を象徴するようなものがチンさんを取り巻く。それらはチンさんにとって大事であるだけでなく、映画を観る私たち、あわただしい日々に追われている者にとってもほっと心なごませるものである。

 個人的には、たまには中国の支配体制を撃つような映画を観たいものだという気持ちだが、それはないものねだり。それはさておき、テレビの中国語講座にも出演した主演のチン・クイさんは「もう仕事はやめたい。でも、お客さんがいるから止められない。お客さんは動けないけれど、私は動けるから行く」と語っていた。すごい、究極のサービス精神だ。

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