2015年12月 3日 (木)

『生きて帰ってきた男』:”希望があれば生きていける”

 小熊英二著『生きて帰ってきた男』を読んだ。「ある日本兵の戦争と戦後」という副題がついているが、これは著者の、シベリアに抑留された経験を持つ父親、謙二氏へのインタビューをもとに書かれた個人史であり、日本の戦前~戦後史である。著名人でなくても、それぞれの人にまさに歴史ありという感想を持った。

 聞き取りをもとに書かれるオーラル・ヒストリーは、語り手からどれだけのものを引き出すか、聞き手の力量にかかるところ大だが、それとともに、語り手が自らの体験や環境をどれだけ、しっかり記憶しているか、また、それを整理して話せるかにもかかる。本書は、そのどちらも兼ね備えており、私たちの知る歴史に、よりいっそうのふくらみを持たせたように思う。

 シベリア抑留については、多くの本が書かれており、何冊も読んだことがある。今回、謙二氏の眼を通して見たチタ二四地区第二分所での被抑留者の実態、ソ連側の実態、いずれの観察も、新たな視点を提供するものである。

 また、帰国してからの暮らし、入院生活などを経て、食べていくための苦労を重ねる謙二氏と家族の話も、身につまされる。「歴史」というと、大上段に振りかぶった書物が少なくないが、本書は、庶民史とでも言ったらよさそうな叙述である。

 「第9章 戦後補償裁判」から、謙二氏の言葉を引用したい。――

 「稼ぐに追いつく貧乏なし」とも言われていたが、「いまは、非正規雇用の人たちなどが、どんなに頑張ってもだめな世の中になっている。日本だけのことではないようだが、希望が持てない。使う側の「労働のモラル」がなくなった。」

 「自分が二〇歳のころは、世の中の仕組みや、本当のことを知らないで育った。(中略)いまは本当のことを知ろうと思ったら、知ることができる。それなのに、自分の見たくないものは見たがらない人、学ぼうともしない人が多すぎる。これから二〇年もたてば、もっと悪くなるだろう。」

 未来がまったく見えないとき、人間にとって何がいちばん大切だと思ったかとの問いに、謙二氏は「希望だ。それがあれば、人間は生きていける」と答えたという。

 

 

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2015年7月22日 (水)

70年前の悲惨な事実:『満洲難民』(井上卓弥著)

 1945年8月9日、ソ連が日ソ不可侵条約を破って日本の支配下にある満洲国に侵攻した。関東軍は同日および10日に軍および満鉄の家族らを南方に避難させ(家族の多くは日本に帰国)、そのあと官吏の家族を避難(疎開)させるようにした。在留邦人でも一般市民は放置された。日本政府は敗戦にもかかわらず、在留邦人は満州などにとどまって定着するようにとの”棄民”政策を打ち出したのである。

 『満洲難民』を読んだ。改めて、官尊民卑の歴史を読んだ思いだ。戦争に敗れたとき、日本国の政府は旧植民地の満洲や朝鮮にいた在外邦人を救出しようとするどころか、食料や住宅の不足などがひどいので帰国されても困る、と突き放した。いま日本政府は安全保障法制の改定に踏み出しているが、戦争でいかに多くの国民が犠牲になるかを、本書を読み、実感した。

 満洲国の首都、新京にいた満洲国政府経済部の出征遺家族約270人に加え、特殊会社、満州鉱業開発や百貨店、三中井の家族、新京の在留邦人約300人など、合計約1100人が12日に新京を出発した。朝鮮北部で列車がたどりついた駅、郭山で降り、そこで衣食住のすべてで飢餓状態の悲惨な日々を送り、沢山の死者を出した。米ソの対立、朝鮮の38度線もからみ、敗戦国の国民として、日本への帰国の道を模索し、最終的には、多くの犠牲者を出しながら38度線を越え、南朝鮮に駐留する米軍に救出された。その過程が本書に記されている。

 もともと、満洲国経済部の若者たちが上司の命で疎開グループを引率する形だったため、幸い、組織的に行動できたようだ。おカネが必要だが、おカネのある人、ない人がいて、貧しい人は栄養失調になるなど、貧富の差が生死を分けることもあった。しかし、リーダー役の官吏が対外交渉にあたったり、公平な態度だったりしたのはすばらしい。たった1人の医師の態度も称賛に値する。

 本書に見るように、若手官僚たちは立派である。しかし、政治の指導者が過ちを犯せば、国民は塗炭の苦しみを味わうことになる。

 祖国に帰れず、かの地で亡くなった大勢の人たちの墓参りも、いまだにできない。北朝鮮とのまともな国交は実現しておらず、70年前の歴史は、いまなお全容が明らかになっていないのである。なんとむごい目に遭ったのか、その事実を戦後世代はわかってほしい。

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2014年6月28日 (土)

日本の滅亡を予感させる『東京自叙伝』

 怪奇小説とでも言おうか、大部の小説、『東京自叙伝』(奥泉光著)を興奮を覚えながら読んだ。東京の”地霊”が想起した記憶・現実や近未来の予知を描いているものだが、同書に込められている、いま、まさに起こりつつあると思われる未来の描写については一部をここに書き留めておきたい。それは私が感じているものと似ているところがあるからだ。

 「思えば太古の昔から東京の地は数々の災害に見舞われてきた。その度ごとにたくさん人が死んだ。しかしいつの場合でも、それもマア仕方がないヨネ、所詮なるようにしかならないんだしネと……(中略)……根本のところから諦めてきたわけ…」

 「成り行きに掉さす思想とは、即ち、滅びの思想デアル……(中略)……成り行きに任せ、やがて滅びる。万事それでよい。それ以外に人が生きる法はない。……(中略)……どうやら私(東京の地霊)はそのように考えて生きてきたらしい。だから、滅亡を前にしてじつに心穏やかである。」

 「私たちが対話への欲望や希望を抱いて居ることは疑えぬ。話し合いを通じて共存共栄したいと心から願って居る。ソレは疑えぬ。……(中略)……ソウならぬのは、ソウならぬだけの理由があるので、つまり話し合いたい気持ちは山々なのだが、ヤリ方がわからぬのデアル。……(中略)……似たような内容を全員が口にしてワイワイ騒ぐことしかできぬ。」

 「マアどちらにせよ、近い将来、東京は壊滅してしまうのだから――と申しますか、すでに壊滅しつつあるわけですから、あれこれ考えても仕方がありません。」

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2014年4月13日 (日)

本を読む喜び~赤坂憲雄エッセイ集で

 仕事から引退したあと、書籍や新聞を読む時間が日常の活動で最も多くを占めるようになった。だが、新聞の主要な記事に目を通しても、あまり理解できない、わからない、あるいは記憶に残らない割合が増えていく。単行本で新しい知識を得ようとしても、読む先から忘れていく。読み終わったあと、最初からもう一度読めば、理解度が高まり、少しは頭に残る程度だ。それは賽の河原の石積みに近い時間の浪費かもしれない。

 そうしたなかで、鋭い切り口や説得力のある文章にお目にかかると、刺激を受けるし、すんなり頭に入る。普段感じたり、考えたりしている事柄だからだ。「赤坂憲雄エッセイ集」という副題の付いた『福島へ/福島から』は、地元新聞への寄稿をまとめた100ページちょっとの薄い本だが、とても読み甲斐がある。

 「東京からやってきた出稼ぎ文化人を、神棚にでも祀り上げるようにありがたがる風潮こそが、東北の将来をみずから構想する活力を奪ってきたのではないか」、「あすの地域社会を創るのは、そこに暮らす人々であり、だれか東京にいるエラい人が与えてくれるわけではない」――これは3.11の1年余り前に新聞に掲載された文章だが、いま読んでも、適切な指摘である。

 また、3.11のあとの寄稿文も、問題の所在とめざすべき方向を示唆する。「原発がどれほど未熟な、制御しがたいテクノロジーであるかを、わたしたちは目撃した」、それは「安価でもなく、安全な技術でもなく、いわんやクリーンなエネルギーでもなかった」と。

 さらに、「この大震災によって、ビデオが早回しされるように、十年か二十年先にやって来るはずであった世界」、即ち、「過疎化や少子高齢化のはてに「限界集落」となり、ついにムラが離村・消滅へと追い込まれてゆく、といった近未来に訪れるはずであった風景が、いま・そこに、むき出しの現実と化して転がっている」と言う。

 ではどうしたらいいのか。赤坂氏は、地域の人々が自ら創造的な復興へのシナリオ、つまり将来ビジョンを構想し、地域の人々の内発的な力、草の根の力で現実化するしかないと訴える。そして、抽象的だが、原発に依存しない世界を創るための試行錯誤を福島県の人々が始めることを願っている。

 膨大なカネがただ復旧のために投じられており、除染は「移染」にすぎず、減容化は高濃度の放射性廃棄物を生み出す。こうした問題点の指摘を含めて、この本は、フクシマの未来を考えるうえで、読む価値がある。

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2013年6月 2日 (日)

ノーベル賞作家、莫言の『天堂狂想歌』を読む

 400ページを超える翻訳長編小説、『天堂狂想歌』を読み終えた。作者は昨年、ノーベル文学賞を受賞した中国の作家、莫言である。1987年5月に、中国の山東省蒼山県で起きた「ニンニクの芽事件」に触発されて、彼が1988年(天安門事件のちょっと前)に書き上げた作品である。

 ニンニクの芽の産地である蒼山県で、県当局がニンニクの芽の増産を奨励。農民は当局の買い上げを前提に生産した。ところが、当局は貯蔵庫がいっぱいになったとして、農民がはるばる遠方から運んできたニンニクの芽の買い入れを突然停止した。途方にくれた農民たちは県庁を包囲し、なんとかしろと要求したが、県の幹部は雲隠れ。農民は税とか手数料だとかの名目でカネを吸い上げられていたこともあって、怒って事務所に乱入し、器物破損や放火などに及んだ。この数千人にのぼった農民の暴動で、何人もの農民が逮捕され、懲役刑に処せられた。事件の概要はこんなものだったらしい。

 小説は、この事件に関わっていった農民たちの厳しい生活の日々を、これでもか、これでもかというほどに細かく描写している。読んでいるあいだじゅう、ニンニクのにおいや、糞尿などの悪臭がただよってくるような気がするほどで、このころの中国の農民の貧窮ぶりを痛感させられた。

 中国の農村では、共産党や政府が農民を支配し、権力をかさに着ている。こうした共産党の支配を痛烈に批判する言葉を主人公の1人、高馬が恋人に言う。「幹部になるちゅうことは良心を売ることじゃ。良心を売らねば、幹部になどなれん。」と。小説は、中国社会の根本問題を小説の形を借りて告発しているのだ。

 事件の当日、逃げ隠れていた党書記などは、事件の責任を問われ、免職になる。しかし、後年、彼らは他の県の要職に就いた。小説は、このことを記して終わっている。

 「あとがきに代えて」において、作者は「新たな世紀に、かかる事件が私を刺激して、かかる小説を書かしめないよう、ひとえに願う。」と書いている。莫言が本当にすぐれた作家であることが本書を読んで初めてわかった。 

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2010年10月23日 (土)

『Mr.金川千尋 世界最強の経営』(金児昭著)の教え

 信越化学工業の金川千尋会長には新聞記者時代に二、三回会ったことがある。同社が日本の化学産業の中で卓越したグローバル企業であることは理解していたが、経営について突っ込んだ話をしたことはなかった。このたび、同社の経理担当役員だった金児昭氏が書いた『Mr.金川千尋 世界最強の経営』を読んで、金川氏が稀有の傑出した企業経営者であることを初めて知った。

 同書から、共感を覚えた個所を中心に、金川氏の考えなどを紹介する。

 「自己資本で設備投資を賄う」。「少数精鋭で、過剰な設備投資はしない。が、タイミングを見て果敢に投資する」、「不況は必ずくるという前提で、どうするかを決めるのが私の仕事」。

 「フル生産、フル販売」。「相手の気持ちをつねに考え、つかんでいく」。「お客さまとの信頼関係は決してバランスシートにはあらわれないが、これが不況になったとき、大きくきいてくる」。「利益よりもシェアを優先するような販売はない」。「金川さんが最も重視しているのは、お客さまの“生の声”」。

 「自分が知らなければならない悪い報告は、どんなものでも必ず五分以内に入るようにしています」。「マーケットのあるところならどこにでも行く」。「カントリーリスクにはきわめて慎重」。

 「私のボスは株主だけ」。「アメリカに一歩足を踏み入れた瞬間、外国人とはすべて英語で会話します。‥‥日本語は話しません」。「日本に帰国すれば、相手が外国人のとき以外、英語は話しません」。

 「『心+数字』がすべての基礎である」。「直接、従業員の声を聞くことは経営のヒントであり、自分にとってのOJTと考えています」。「金川さんは『定期採用』という言葉が理解できない、と言います」。「終身雇用は大事にして、‥‥アメリカ人も日本人も変わりなく」。「ジョブローテーション‥‥金川さんは、これを『百害あって一利なし』と真っ向から否定します」。「少数精鋭になるには、その道のプロにならなければならない」。

 「利益を上げて税金を納めること、そして雇用を守り、雇用機会を創出することが何よりも重要なCSR(企業の社会的責任)の基本である」。「金川さんが自分に見せる厳格さ、真面目さは、部下への『自分との戦い』に勝つという“心”を叩きこんでいます」。「つねに自分にも従業員にも、スピードある実行と意識改革を迫ります」。

 「不景気のつけを従業員に回すのは経営者として恥ずかしいことである」。「決裁が必要な書類の八~九割は一分以内で即断即決する」。「経営に理想はない。市場とともに、会社のあるべき姿はつねに変化している。それを追い求めるのみ」。「結果を出すためには朝令暮改も恥ずかしくもなんでもない」。

 「真面目がいちばん。誠実に一生懸命(仕事を)やっているのがいちばん」。「良い会社とは、正道(フェアウエイ)を歩きながら成長を続ける会社。真正面から戦いながら、売上と利益を上げていく」。

 ――ところで、著者の金児氏は、本書が彼の著書の120冊目という。いまも毎日の通勤電車の中で、原稿用紙とペンとを持って原稿を書いているそうだ。信越化学の、そして金川氏の企業風土や「教育的指導」とどこかでつながっているような気がする。

 読後感の一つは、大企業のトップおよび経営者たらんとする人たちには必読の書だということ。二つには、こういうエクセレントカンパニーに自分が勤めたとしたら、さぞくたびれるだろうなということ、三つには、金川氏が引退したあと、信越化学の経営は変わっていくだろう。どうなるのだろうかということ。そして、かつての上司を褒めあげるだけの本にしない著者の工夫、努力は大変なものだったろう、と推察。

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2010年9月16日 (木)

波頭亮著『成熟日本への進路』のもっともな指摘

 国家が提供すべきサービスは「国民全員に、医、食、住を保障すること」。そういう視点で波頭亮氏が書いた『成熟日本への進路――「成長論」から「分配論」へ』(波頭亮著、ちくま新書)は納得できる指摘が多々あった。

 社会保障の先進国、デンマークは国民負担率が71%に達する。同国は著者によれば「高福祉だからこそ自由経済」の国で、①市場メカニズムの徹底的な尊重、②最も解雇しやすい国、だという。このデンマークをお手本にして成熟日本をめざす処方箋を示したのが本書である。

 日本経済がここまでおかしくなった最大の理由は、増税をしてこなかったことにある、それが社会保障の拡充を妨げ、産業構造のシフトを阻み、成熟化社会への移行を妨げてきたと著者は言う。国債は非定常的な歳入を得るために発行されるものであり、社会保障のような恒常的な支出の原資に充てるのは適切ではない。しかし、増税を避けて、景気対策のために国債を大量に発行してきた結果、社会保障の充実に予算が回らなかったと指摘する。

 1995年以降の国債発行残高の増分は497兆円に達する。これはプライマリー・バランスで見て毎年、36兆円ずつ歳入が不足しているのに等しい。そこで、著者は「必要な増税額は取りあえず33兆円」とし、それを消費税10%増税、金融資産に0.5%課税、相続税の実効税率20%の3つで賄うことを提案している。それを実施しても、税と社会保険料を合わせた国民負担率は約49%で、イギリス(48%)と同程度と言う。万全の財政基盤を目指すなら増税額は60兆円/年となるが、それでも国民負担率は約57%で、ドイツ(52%)より高いが、フランス(61%)と比べると、まだ軽い負担率だとしている。

 一方、手厚い社会保障と固い雇用保障の組み合わせは国民のモラルハザードを招き、総ぶら下がり化の危険をはらむと波頭氏は見る。デンマークは失業手当、生活保障が手厚く、再就職のための職業訓練は無料である。したがって、企業は即座に解雇ができるので、市場対応力の高い経営が可能になる。日本もデンマークにならうべきだと著者は言う。

 このほか、日本の内需型産業の振興というのは間違ってはいないが、それだけでは不十分だと指摘する。日本は輸出依存度が16%(08年度)とかなり低い。しかも、輸出競争力が低下している。一方で、石油と食糧の輸入だけで27兆円(同)に達するので、外貨を稼げる産業の育成が必要である。国際競争力のある高付加価値型輸出産業を育成しなければならない。

 また、医療・介護サービスを主力産業化する必要があり、そのために規制緩和および労働条件の改善が必要だとも述べている。

 本書は経済成長を追求する発想を退け、衣、食、住を完全に保障するための分配に視点を置くもので、教えられる点が多かった。政治が混迷を続けているが、本書のように、明確なビジョンとその実現のための方法とを示していくことがいま求められていると思う。

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2010年7月28日 (水)

歴史の見方を変える本『この命、義に捧ぐ』

 1990年代半ばのことだが、中国の福建省厦門(アモイ)に行ったことがある。そのとき、海を隔てて台湾の領土である金門島を眺める場所を訪れた。中国側から島を見たら、中国本土の解放を唱える檄文が横一列に一文字ずつ間隔を置いて掲げられているのが見えた。金門島は大陸から目と鼻の先にある島でありながら、台湾の領土なのである。

 かつて毛沢東の人民解放軍が蒋介石率いる国民党政府軍を台湾に追い落として中華人民共和国を建国し、さらに台湾征服をめざして厦門から金門島へ進攻しようとした。そのとき、激しい攻防が繰り広げられ、国民党政府軍は金門島に上陸した共産軍を撃滅し、勝利をおさめた。1949年10月のことである。以後、人民解放軍は台湾を制圧しようとしても、目の前にある金門島を攻略できなかった。

 「台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」という副題が付いた本『この命、義に捧ぐ』(門田隆将著)は、金門島に上陸してきた人民解放軍を壊滅させた国民党政府軍の顧問として、旧日本陸軍の中将だった根本博が活躍したという事実を発掘したノンフィクションである。

 この本を読んで最も感動したのは、1945年8月15日に日本が敗戦した時、駐蒙軍司令官の根本中将は、上からの武装解除命令を拒否し、張家口などに住んでいた邦人の保護・脱出が完了するまで1週間近く、ソ連軍と戦ったことである。彼は、国民を守ることが軍の役目だという考えとともに、ソ連や中国共産党軍の本質をよく知っていたからだ。

 満州にいた関東軍は8月15日をもって武装解除した。その結果、多くの軍人がシベリアに送られ、悲惨な目にあった。民間人はもっとひどい目にあったりした。最近見た映画「氷雪の門」は、8月15日を過ぎてもソ連軍が樺太で日本人および人家などを攻撃し、樺太西海岸の真岡町にある郵便局で働く電話交換嬢たちが自害に追い込まれた事実を描いている。そうしたソ連軍などの無法な残虐行為と対比すると、根本中将の偉大さがわかる。

 根本は陸軍士官学校出身で、若いころ、南京や上海に駐在していたことなどから、蒋介石はじめ国民党政府軍の要人の幾人かとは信頼しあえる関係にあった。根本が植民地支配の発想を持たず、中国を対等に扱ったからである。1945年暮れ、北支那方面軍司令官になっていた根本は蒋介石から会いたいと言われ、面会に行くと、「日本は少々思いあがっていたのではないか。あなたは至急帰国して日本再建に努力してほしい」と言われたという。蒋介石がカイロ会談において天皇制の維持に貢献したこともあって、根本は蒋介石に深い感謝の念を抱く。

 それが、第二次世界大戦後、人民解放軍が台湾をも制圧しそうな状況に至ったとき、根本に、密出国までして、台湾の蒋介石を助けようという気にさせる。金門島の防衛作戦に根本は彼の持てる知識・経験をすべて投入し、見事に成功したのである。蒋介石は執務室にある一対の花瓶の一方を友人の根本に贈って感謝の念を表した。英国の王室と日本の皇室に贈られた花瓶と同じものだという。その後も、人民解放軍が1958年に金門島に集中砲火を浴びせるなど、金門島をめぐる緊張対立は続いたが、旧陸軍中将だった根本博が蒋介石の危機を救って恩に報いたという秘話があったことを本書で初めて知った。

 台湾というと、日本では、正式な国交もないし、貿易、直接投資などの規模も大陸中国に対するものと比べ、小さい。蒋介石についても、日本人はあまりいい印象を持たない。しかし、近年、出版された書物は、共産中国の誕生について書かれたものがかなり真実と異なる内容であることを指摘している。私の友人の歴史学者は「歴史的な評価は二代(の王朝)を経て定まる」と言う。毛沢東や国共内戦などに対する歴史的な評価もまだ定まっていないし、台湾や蒋介石へのそれも同様である。本書は歴史の見方を重層化する契機を与えてくれる。

 それはそれとして、少数の仲間と密出国し、蒋介石への報恩に自らの命を賭けた根本の生き方は、実にさわやかである。いまの日本、これからの日本はこうしたスケールの大きい人物を必要としている。 

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2010年4月17日 (土)

中国のモンゴル人大虐殺の歴史を『墓標なき草原』で知った

 副題に「内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録」とある楊海英著『墓標なき草原』(09年12月刊、岩波書店)の上下巻を読んだ。中国は漢民族といくつもの少数民族から成る多民族国家だが、チベット、ウイグルなどの民族が多く住む地域では、それらの少数民族が独立ないし真の自治を求める活動が起きている。

 中国国内でモンゴル人がたくさん住むのは、内モンゴル自治区以外に、1969年に自治区を分割して黒龍江省、吉林省、遼寧省、甘粛省などにくっつけた地域である。しかし、モンゴル族の人々がチベット族などと同じように独立などを求めて活動しているという話は聞いたことがなかった。本書によって、その理由がわかった。中国共産党や人民解放軍は独立や真の自治を願うモンゴル人はすべて分裂主義者とみなし、リーダーとなるような人たちを次々に残酷なやりかたで虐待し、惨殺してしまったからである。

 そもそも同じ民族のモンゴル人がモンゴル人民共和国と中国の内モンゴルと分けられたのは米ソ首脳らのヤルタ会談による。それが悲劇の始まりだが、毛沢東の中国共産党は、草原地帯に農民を送り込んで、モンゴル人の割合を引き下げようとした。また、ソ連・モンゴル人民共和国との戦争に備える中国共産党・解放軍は、内モンゴルのモンゴル人を敵方に通ずるおそれがあるとみた。それに、漢民族に比べ、遊牧民族のモンゴル人を野蛮人、劣等な人種とみなした。そんなこんなで、文化大革命が起きると、共産党・解放軍・現地の漢人たちは、陰謀をめぐらしてモンゴル族のリーダー的な人たち、および女、子ども、友人らを犯罪者に仕立て、片っぱしから虐待して死に至らしめた。そのすさまじさ、おぞましさは本書を読んでいただくとよくわかるだろう。

 中国は帝国主義の侵略から独立しようとし、念願がかなったが、自国の少数民族が漢民族支配から自立しようとすると、民族分裂活動だと言って弾圧する。二枚舌である。こわいのは、こうした中国の二枚舌を中国国民が疑問に思わないことだ。

 『墓標なき草原』というタイトルは、10万人ともいわれるモンゴル人虐殺で、遺体は草原に投げ捨てられ、まともな墓もつくられなかったことに由来する。文革後、大虐殺は中国共産党で多少、行き過ぎがあったという総括があっただけで、誰一人、党・軍・一般漢人は責任を問われなかったという。

 本書を読んでいると、いまの中国共産党・人民解放軍や漢人の発想や行動がよくわかる。チベット蜂起のときには、モンゴル人の軍隊を派遣して鎮圧させたなど、自分の手を汚さずして、巧みに支配するところは、かつてのイギリスの植民地支配の手口をそっくり真似ているように思える。中国のアフリカ進出などを理解するうえでも、本書は大いに参考になる。

 今度の大地震で、中国首脳が急ぎ現地入りするというのも、少数民族への支配が揺るがぬようにとの観点からだということがよくわかる。

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2009年5月24日 (日)

フーン、そうかと思った、増田悦佐著『格差社会論はウソである』

 久しぶりに刺激を受ける本を読んだ思いがする。増田悦佐著『格差社会論はウソである』(PHP研究所、2009年3月11日発行)だ。日本のこととなると、何かにつけ、悲観的、自虐的に解釈する傾向がこの国にはある。そうした通説とか常識を、具体的なデータで次々にひっくり返すことにより、日本が世界で一番良い国であることを論証している。

 本書で強調しているのは、日本が世界でもきわめてユニークな社会であるという指摘だ。例えば、①「日本人を幸福にするための要求水準は世界一高い」、②「日本社会の特徴として、非常に平等化圧力が高い社会」であり、男女間の体力差が縮まっている、「日本ほど子供が社会的に成熟している国はない」、そして、「知的エリートと大衆とのあいだに知的能力格差がない」、③「子どもと若者、とくに若い女性たちがじぶんたちの文化と市場を自分たちの力で作り出せる唯一の国である」、④日本の企業について、これまでのように「大企業はヌエ的な生き残り重視、中小企業が戦わない経営に専念すれば、それで良いのだ」―など。

 また、「現代の若者の無知、無気力、自信喪失、望みの低さ」といった一見否定的な特徴が「おとな顔負けの社会的成熟度を持った彼らの叡智の表れ」だと述べているなど興味深い指摘が随所にある。

 著者によると、日本の経済社会の直面する危機はたった一つ。知的エリートがあおりたてる根拠の乏しい危機感や悲観論を信じて自暴自棄的な集団自殺に突っ込むことだという。

 本書の論点は多岐にわたっており、かつ全体を体系立てて展開しているわけではない。したがって、内容は精粗まちまちな印象を受けるが、そういう見方ができるのかと驚くところがあちこちにあり、新鮮だった。

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