2009年10月 6日 (火)

中国の労働事情を『階級のない国の格差』(増田英樹著)で知る

 「誰も知らない中国労働事情」の副題が付いた書物『階級のない国の格差』(増田英樹著、09年7月、教育評論社)を読んだ。中国については、貧富の格差がきわめて大きく、都市民と農民との戸籍(実質は身分)の違いによる格差や、沿海部などの都会に出稼ぎに来ている農民工がさまざまな差別を受けていることなどが知られている。

 中国の労働事情を紹介する本書は、中国には日本のような労働組合が存在しないことをはじめとして、日系企業が争議などに巻き込まれないようにするにはどうすべきか、などを述べている。

 同書によると、中国は社会主義の国だから、制度上、労使対立を前提とする労使関係なるものは存在しない。だが、賃金などに不満を持って山猫ストのような不法ストが起きることがある。そうしたストが起きたら、民主化運動などをおそれる政府や管轄の当局は労働者の側に立ち、日本企業には泣いてもらおうとするという。

 朱鎔基前首相の国有企業改革は鉄碗、つまり終身雇用を解体したが、その後の新しい労働契約法(08年施行)は終身雇用制を法律で定め、奨励している。一方、中国の労使関係には正社員の概念はなく、契約をベースとしている。契約切れで退職がスムースに行えるようにきちんとした評価制度をつくっておくことが重要である、と指摘している。

 同書の末尾にある「解説」は安室憲一大阪商業大学教授が書いており、中国の労使事情をコンパクトにうまく整理してある。それによると、もともと国有企業において、経営者側と労働者代表とが労働条件についての苦情を処理するときに社内の第三者委員会を介して話し合う。それが「工会」であり、工会は役員や社長はじめ全従業員が加入するというものだった。

 改革開放以降、「工会」を資本主義国の労働組合に見立てた。だが、朱首相の改革の結果、同じ企業の中に正規従業員と非正規雇用の農民工などが並存するようになり、非正規の従業員は「工会」によって護られないという「格差」が生じた。農民工などのブルーカラーが反乱を起こすと「工会」は無力化するという。

 安室教授によると、「世界の工場」というのは低賃金の委託加工にすぎない。だから、長時間労働など労働法を無視した労働強化が行われる。そこで、中国政府は委託加工モデルから労働者の熟練による高度製品の生産へと転換しようと考えているという。搾取をなくし、秩序ある法治主義の国をめざしていると指摘する。

 同書で、日本の労働組合と「工会」とは異質のものだとわかったが、日本における非・常用労働者の労働組合との関係と、中国の農民工などと「工会」との関係とは類似していることを知った。

 

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2009年6月16日 (火)

安心社会実現会議報告の目新しさ

 政府の安心社会実現会議が15日に報告をまとめた。この“安心社会”という言葉にはどうも引っかかるものがあるが、それはさておき、評価したいのは、「高齢者支援を引き続き重視しつつも、若者・現役世代支援も併せて強化しながら‥‥」、「現役世代および次世代を対象とした給付の比重を拡大していく必要がある」との認識を示したことである。

 「日本の高齢者一人当たり支出は現役世代向け支出の17倍であり、この比率はOECD諸国平均の倍以上になる」。このように、高齢者を支えるためのお金が現役世代にとって大きな負担になっているという実態を認め、それを改める必要があることを明らかにした。

 報告は、消費税を含む税制の抜本改革については、消費税の引き上げは無論のこと、所得再配分機能の強化、低所得者対策(給付付き税額控除、消費税給付返還制度の導入)や世代間分配の促進(無利子非課税国債)などを含むと述べている。これらを実施するには、安心保障番号の導入などが前提になるが、大筋としては今後の日本社会に必要な改革だろう。

 ちょっとおかしいのではないか、と思った個所がある。「日本の企業は、株主ばかりでなく地域社会や従業員も大事にして公共性を重んじてきたが、その伝統が生かされていない」という文章である。戦後、一貫して日本の企業は株主を軽んじてきた。株主のことをまともに考えるようになったのは、外国のマネーが日本企業を買収するのではないかという不安にかられてからだ。

 会社の利益が増えようと、配当はずっと額面の一割しかしないとか、株主総会はとにかく早く終わらせようとし、総会屋を使ってまでして株主に発言させないようにしていた。そんなこんなを思い出せば、報告の記述が間違っていることは明らかである。 

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2009年5月 3日 (日)

「日本国際賞」受賞者、デニス・メドウズ博士の講演から

 ローマ・クラブの報告『成長の限界』(THE LIMITS TO GROWTH)のプロジェクト・リーダーを務めたデニス・メドウズ博士が2009年の「日本国際賞」を受賞した。受賞のため来日した博士は4月21日、記念講演をした。その要旨を読んで、なるほどとうなづくところがいくつかあった。

・『成長の限界』の結論は爆発的な反応を起こしたが、批判者も支持者も同報告をきちんと読んでいなかった。いまだに、丁寧に読む読者はあまり増えていない。今日ですら、ほとんどの専門家に大きく誤解され、誤り伝えられている。

・いま、振り返ると、報告のタイトルを付け間違ったのだろうと思う。私たちは「物理的な成長には限界がある」ことを指摘したとして知られているが、それは本質的な論点ではなかった。私たちの貢献は「有限の世界で、成長重視の政策がどのように社会を揺るがす大きな問題状況につながるか」を語ったことだった。私たちが語ったのは、再生不可能な資源の量など地球の能力の限界についてである。

・「限界」は最終的な結論ではなく、最初に置いた前提だった。私たちは、地球がいかに豊かで大きかろうと、地球は物理的に有限なので、無限に物理的な成長を続けることは不可能だ、という理解から研究を始めたのである。

・人口の伸びや経済成長を規定している現在の政策は、本質的に幾何級数的なものである。したがって、世界の人口、エネルギー消費、物質フローはあっと言う間にそれぞれの限界にまで増える。成長は行き過ぎと崩壊を通して、間もなく突然終わる。

・現在の経済問題を解決するためのなりふり構わないお金のかかる政策は、かつての幾何級数的な経済成長路線へ戻そうとするものである。こうした政策は効果がないか、そもそも今日の問題を引き起こした制度や考え方を存続させて事態を悪化させる。根本的に異なる政策が必要なのである。 

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2009年4月19日 (日)

人材派遣協会理事長が指摘する問題点

 先週、日本人材派遣協会理事長の本原仁志スタッフサービス・ホールディングス代表取締役社長の会見を聞いた。“派遣切り”などの問題を考えるうえで重要な問題点を指摘していた。私が関心を抱いた指摘を紹介すると、おおよそ次のような内容だった。

 2004年、製造業への派遣が認められた背景には、製造業の現場の人手不足があった。若者のものづくり離れだ。高校卒で社員として採用しても、半数が3年以内にやめてしまう。このため、大企業は別として、中小企業はスピーディーにその穴を埋めることができないから派遣に頼らざるをえなかった。今後、製造の領域では請負化に向かうが、小さい製造企業では派遣が残るだろう。

 製造派遣が増加したのは国際競争の激化もあるが、偽装請負をやめた結果、約100万人いたうちの半分が派遣に移ったからである。製造現場では800万~900万人が働いているが、そのうちの10%が派遣だった。

 “派遣切り”はもっぱら自動車、電機の業種だが、これらは単純労働だから。化学業界などの製造現場は業務がもっと複雑だから、派遣労働者を使っていない。

 人材派遣業は労働力の需給を調整する役割を持つ。第1に、求人と求職のズレを補正する。自分でハローワークに行って仕事を探すことができない、自信のない人を受け入れている。第2に、労働条件に制約がある人材(例えば、女性、高齢者)を活用する。第3に、企業に代わって教育訓練などを行ない、人材を育成する。読み書きソロバン、社会人としてのマナー(あいさつ、基礎的なコミュニケーション、時間を守るなど)、ホウレンソウ(報告、連絡、相談)などに力を入れている。

 業務知識の教育や、キャリア教育(目標設定教育)も行なっている。彼らは目標設定がなかなかできない。それができれば、学ぶという動機につながる。

 派遣労働者は高スキル層が約20万人、中スキル層が約100万人、低スキル層が約50万人といわれる。業界では中スキル層は正社員化を支援する。低スキル層に対しては就業意識やビジネスマナーに課題があるので、基礎的な訓練を行なう。

 中学、高校の職業教育見直しが必要。実社会に即した教育内容にして自立を促すべきだ。即ち、職業意識と生活設計力の形成、労働社会保険や税、年金の仕組みの教育が必要だ。ころころ転職するのもこういうことを知らないからである。

 介護労働者が不足する介護施設には、介護労働者を受け入れるうえで、労務管理や育成をどう改善していくかの問題がある。お互いが気配りする必要があるが、いまは、行って2日ぐらいでやめてしまうことが多い。だから、介護施設の管理者の教育を我々にもさせてほしいと言っている。

 派遣労働者のうち、職場の正社員と不仲なのは3分の1だ。その原因は、正社員の雇用条件に問題があることが多い。正社員は年功序列型賃金なので、単純業務をやっている年配の正社員と一緒だと、「働きもしないのに高い賃金をもらっている」ということで、仲が悪くなりやすい。

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2009年4月17日 (金)

人口統計に見る少子高齢化

 総務省が昨年10月1日現在の我が国の推計人口を発表した。総人口は1億2769万人で、1年前より7.9万人(0.06%)減った。3年ぶりの減少とのことだ。

 生産年齢人口(15歳~64歳)は64.5%、高齢者(65歳以上)は22.1%、14歳以下は13.5%である。高齢者と生産年齢人口の割合はおよそ1対3。細かく言えば、現役世代の3人弱で高齢者1人を支えている。社会保障などを考えるとき、そういう解釈が一般に行なわれている。私もそう書いたりした。

 この3区分は、肉体的にも精神的にも働くことができる年齢というとらえかた、および国際比較の観点から、生産年齢人口の年齢の定義を15歳~64歳としているのだろう。しかし、日本社会の実態を踏まえると、少し違った風景がみえてくる。

 日本では高校進学率が約9割というから、生産年齢人口は実際には18歳以上と見ていい。しかも、大学・短大への進学率は約5割に達する。それに、最近は60歳定年で完全に引退する人は少なくなった。それでも、大企業などでは、63歳ぐらいまでには引退する人が多い。

 そうした実情を考慮に入れると、日本の生産年齢人口は18歳~63歳とみたほうが適切ではないか。比率にして59~60%程度ではないか。生産年齢人口が支えるのも、64歳以上の高齢者と見たほうが実態に近いのではないか。その対象の人口は23%ぐらいである。そういう補正を加えると、高齢者1人を3人で支えるというよりも、高齢者1人を現役世代2.5人程度で支えているという解釈も可能だ。そこまできているわけである。

 ところで、発表によれば、75歳以上の人口の割合は10.4%におよぶ。これを都道府県別にみると、比率が高いのは島根県15.9%、高知県15.1%、秋田県14.7%など、低いのは埼玉県7.4%、神奈川県8.0%、愛知県8.1%などである。高齢者比率の高い地域は概して人口の減少が顕著だ。

 明治生まれは総人口のわずか0.2%しかいない。大正生まれも4.4%にとどまる。少子化が進んだ平成に生まれたのは18.0%であり、昭和生まれが77.4%と圧倒的に多い。人口グラフにおいて、昭和生まれは膨らんだまま上にシフトしていき、不安定な感じがずっと続くと思われる。

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2009年4月 1日 (水)

塩崎恭久議員のトップリーダー論

 衆議院議員の塩崎恭久氏(自民党、元官房長官)が1日、日本記者クラブで、危機だからこそ国家ビジョンが必要だと語った。「いまの政治不信、政党不信は、日本の将来をどうするかについて自民党も民主党も応えていないからだ。国家ビジョンを掲げる政治を取り戻さないとまずい」と述べた。自民党の若手議員が中心になって、総選挙に向けてマニフェストをつくれという主張を同日、発表するのも、そういう背景からだという。

 「トップリーダーがこういう国にしたいというのが先にあって、それについて有識者の意見を聞くのが順序」という塩崎氏は、麻生首相が最近、各界の有識者の意見を聞く会合を持ったのは、その点で、順序が逆であると指摘した。

 塩崎氏自身は「新しい国のかたち」として、5つの分野で日本が「世界の中心地」となることを目指すというビジョンを語ったが、それは、「どこの国でも、党総裁のビジョンをもとにマニフェストをつくるのが当たり前。麻生さんにもビジョンを語ってもらいたい。そうした空気になることを願って、私のビジョンを出した」とのことである。ビジョンの具体的な内容は『中央公論』5月号に書いてあるそうだ。

 我が国の2009年の実質経済成長率は世界銀行の予測だとマイナス5.3%、OECDの予測ではマイナス6.6%と主要国の中で最も落ち込む。「昨年11月から今日の事態を見通していた。経済対策のペースが遅すぎる」という塩崎氏は「新しい国のかたち」の実現のため、「未来投資特別勘定」を別枠で設けて、2年間に少なくとも50兆円を投入するよう求めた。その財源については、日銀引き受けもありうると述べた。

 ところで、いずれ政界再編は必至とみられているが、塩崎氏は「再編にあたっての大きな柱は経済政策、社会保障政策、外交政策の3つだろう」と指摘した。 

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2009年3月24日 (火)

社会の雰囲気を反映した政労使合意

 23日に麻生総理大臣、御手洗日本経団連会長、高木連合会長らが首相官邸で会い、「雇用安定・創出の実現に向けた政労使合意」に署名した。経済危機で深刻化した雇用不安に対して、政府、企業、労働組合が雇用の安定、さらには雇用の創出に一致協力して取り組むことに合意したことを示す。派遣切りなど非正規雇用の問題が社会問題化したことなどを受けて、雇用問題の重要性が社会に浸透した結果だ。労使協調に政府も加わった日本型社会契約と評価することもできよう。

 「雇用安定・創出の実現に向けた5つの取り組み」は、①雇用維持の一層の推進、②職業訓練、職業紹介等の雇用のセーフティーネットの拡充・強化、③就職困難者の訓練期間中の生活の安定確保、長期失業者等の就職の実現、④雇用創出の実現、⑤政労使合意の周知徹底等、である。

 政府が行なう雇用調整助成金の支給迅速化、内容の拡充や、中小企業の資金繰り支援などについては、予算などをつければ実現するだろう。その点で意味がある合意だ。また、経営側が約束したのは「努力する」という類のものだが、日本商工会議所会頭なども同席しているので、オール経済界としての経営側の取り組み姿勢を社会に示したものと言えよう。

 しかし、労働側の取り組みもいろいろ書かれているが、ちょっぴり違和感を感じた。即ち、「労働側は自らの職業能力の開発向上に努力する」、「ハローワークによる指導、援助に応え、誠実かつ熱心に求職活動を行い、就職できるよう努める」、「労働側は新たな事業分野についての理解を深め、労働市場の実態を踏まえた適切な職業選択を行う」という内容は、失業し、求職中の人々になりかわって、連合会長が書いたものだろうか。

 連合は正社員中心の労働組合のナショナルセンターである。基本的には正社員の利益を代弁し、非正規雇用の人たちを事実上無視してきた。その連合の代表が政労使合意に署名し、求職者に対して「ハローワークによる指導、援助に応え、‥‥」などと言うのは倣岸不遜のような気がする。別の言い方をすれば、連合は政労使合意にあたって、ほかのナショナルセンターの意見や就職を支援するNPOなどの意見を聞かないで、自らを全労働者の代表みたいに勝手に思い込んでいるのだろう。

 政労使合意の文書には、ハローワークを重視し、拡充・強化するといった趣旨の内容がさりげなく書き込まれている。繰り返してだ。そして「(経営側は)ハローワークによる職業紹介に協力する」という部分もある。最近は、「官」がここぞとばかり、復権に乗り出しているが、ここにも、そういう構図がうかがえる。日本経団連も、連合も、日本の官僚政治の本質である既得権の維持ないし権限の拡大をわかっていない。

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2009年3月 7日 (土)

「人財力」の劣化が心配

 3月3日の経済財政諮問会議は成長戦略を集中審議するとして、まず、健康長寿、底力発揮(人財力)、底力発揮(コンテンツ)の3つを取り上げた。民間議員からは、戦略的に重要な分野を支えるための「人財力」、技術力を高める観点から、「非正規労働者を含め、若手・中堅を中心とした人材育成の強化や、新しいフロンティアを生み出す研究基盤の整備に官民あげて取り組むべきである」として4つの論点が提示された。

 第1に、「企業等における人材育成の強化、特に非正規労働者の能力開発を社会全体で支援していく取組を強力に進めるべきではないか」。第2に、「世界最先端の研究を支えるハード・ソフト両面にわたる研究体制の刷新を進める必要があるのではないか」。第3に、「理数・英語教育、キャリア・職業教育の充実、世界をリードする大学としての機能強化を推進すべきではないか」。第4に、「博士課程修了者が十分に活用されていない問題について、大学や産業界等の関係者で、原因の分析とともに解消策を検討すべきではないか」。そして、それぞれの論点に対して、推進方策を数項目ずつ示している。

 例えば、論点1では、離職者に対する生活費支援付きの職業訓練システムなどをあげており、論点2では、「環境エネルギー技術革新特区」の創設など、論点3については、小学校の理科、算数、英語の教育の強化のための人材確保(外国人を含む)などをあげている。

 だが、日本の「人財力」を向上させようとするなら、もう少し、子供の頃からの、しつけ、“読み書きそろばん”といった基礎的な知識の習得、社会や自然との関わり、仕事・働くことの意味、そして学ぶことの大切さ、などを身に付けるように、政府をはじめ、小学校から大学までの教育機関、地域、家庭などがこぞって取り組むようにすることが必要ではないかと思う。

 地方の私立大学で教えたとき、そこの大学4年生で新聞を読む者は皆無に等しかった。新聞の1面にあるコラムを読ませたら、字が読めない、読めても意味がわからないという学生がほとんどだった。また、分数と小数の転換がわかっていないとか、距離と時間と時速の関係が理解できていない学生も多かった。そして、いまでも強烈に記憶しているのは、9.11の同時多発テロが起きて3、4日経ったときにクラスの学生にたずねたら、事件そのものがあったことすら知らない学生がいたし、どこで何が起きたのか、誰がやったのか、などについてきちんと理解している者は一人もいなかったことである。

 どうして、こんなに学力が低いのか。また、社会への関心が低いのか。それは、小学校か中学校の頃に、もう勉強がわからなくなり、学ぶ意欲を失ったまま、高校、大学へと上がってきたからだろうと思う。少子化で大学に入りやすくなり、必死に受験勉強をしたことがない生徒・学生が増えているのだ。

 そもそも義務教育のときに、授業が理解できなかろうと、トコロテン式に卒業させるのがずっと続いている。そうした問題点を解消するためには、授業がわからない生徒を相手に個別に教えるとか、学校外のプロの協力を得たりして生徒の興味をひくような授業をするなどの改善が必要である。彼らはケータイをやすやすと使いこなしていたように、知能は必ずしも低くはないが、勉学意欲が全くないのである。

 携帯電話は深く彼らの日常に入り込み、若者の多くは1日に何時間もケータイに費やしている。大人もそれに似てきていて、空いている時間に、一人で考え事をしたり、書物を読むという人は少なくなっているように思える。若者も大人も、アタマを使う、知的な時間の過ごし方を苦痛に感じるようになっているからだろう。

 若者の多くは身近の些事にしか関心がなく、外国など遠いところとか、過去の歴史、未来には関心が乏しいようだ。つらくても、頑張っていれば、よい結果が得られるかもしれないという類いのものにはあまり耐えられない。仕事も、自分の意に染まないときには、がまんせず、さっさと辞めてしまう傾向がある。

 現代は、親のしている仕事が何か、それが社会にとってどんな意義があるのか、が子供の目にみえにくい。だから、就職し、働くことの意味を体験し、実感してもらう、あるいは仕事をしている人たちの苦労話や喜びを若者にわかってもらう仕掛けが必要である。

 ところで、派遣切りで製造現場の仕事を失った人たちに対し、再就職のための職業訓練が行なわれている。そうした職業教育の現場では、座学に耐えられず、動き回る人が少なくないという話を聞いた。いま、小学校で起きている現象と同じだ。なにかと言えば、人的資源を誇ってきた日本で、「人財力」の劣化が進行しているわけだ。  

 一方で、義務教育は平等主義で、できる生徒とできない生徒とを一緒の教室にして教えるから、できる生徒には物足りない。飛び級を採用し、英才教育を行なうということは考えもしない。しかし、世界に羽ばたくような「人財」をできるだけ増やすには、底上げと並行して英才教育を導入すべきだろう。

 思いついたことを羅列したが、日本の「人財力」を高めるには、諮問会議の論点以前の論点を片付けなければならないのではないか。

 

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2008年12月31日 (水)

原敬記念館と大慈寺に寄る

 最近、岩手県盛岡市に用があって行ったとき、原敬記念館を訪れた。原敬(はらたかし、1856~1921年)が子どもの頃に住んでいた場所に記念館がある。一通り見て、いまの日本に、これほどの人物が総理大臣だったらなあ、とつくづく思った。

 原敬総理大臣は1921年(大正10年)11月4日、東京駅頭で暗殺された――といえば、日本史の授業で学んだのを思い出す人もいよう。「国会開設100年」という特集記事(1990年11月25日付け日本経済新聞朝刊)には、日本の政治家10傑のトップに原敬が挙げられている。ちなみに2番が吉田茂、3番は伊藤博文である。原は初の政党内閣を組織した平民宰相で、かつ白河(福島県)以北出身の初の大臣経験者でもある。

 記念館の展示によると、「原敬が目指したもの」として、①朝敵の汚名を冤ぐ、②藩閥の打倒打破と政党政治の確立、③国民生活の向上、④民主化の推進、⑤外交の転換、⑥皇室の民主化、が挙げられている。

 ①と②は幕末から明治時代への歴史を色濃く反映したものだが、③以降は現代の政治家が目指すべき目的と基本は変わらない。例えば、③では、高等教育機関の増設、鉄道・通信・港湾・道路整備による地方振興、結核予防法などの制定、職業紹介所、労働組合などの立法化、第一回国勢調査の実施など、④では大正天皇の病状発表(情報公開)、陪審法案の提出(裁判への国民参加)など、⑤ではアメリカ重視、中国との関係改善、シベリア撤兵など、⑥では皇太子外遊の推進、宮中の改革、皇室財産の国民への還元など。

 展示で印象に残ったのは、第一に彼の多様なキャリアである。司法省法学校(のちに東京大学法学部に)を退学させられたあと、郵便報知新聞社、大東日報といった新聞社にいて、それから外務省に入り、通商局長、外務次官などを歴任した。パリ駐在から戻った農商務省参事官のとき、動物の乱獲を憂い、森林を国家永遠の財産とし、水源の涵養など国土保安および伐採の禁止を目指して調査のための特別会計を設けるよう訴えたことがある。そして外務省を退いたあと、大阪毎日新聞社社長や大阪北浜銀行頭取も務めた。衆議院議員になったのはそのあとである。著書も多く、新聞社社長のとき、木下藤吉郎のペンネームでコラムを書き、単行本にしたこともある。

 第二に、暗殺の危険があったため、自分が死んだ場合の葬儀の仕方などを予め遺言にしたためていたことである。葬式は盛岡の大慈寺で行なうこと、墓石には名前だけを刻むことなど、質素な葬儀にするよう家族に書きのこした。大慈寺に行って墓に詣でててきたが、確かに、現職の総理大臣の墓にしては簡素であった。

 第三に、19歳のときから、凶刃に倒れた65歳のその日まで日記を書き続けたことである。遺言で日記は一切公表されなかったが、第二次世界大戦後、「原敬日記」として公刊され、貴重な研究資料となっている。彼は日記メモを毎日したため、あとで1週間分ないし10日分を日記帳に書き記したという。彼は大変な勉強家であり、読書量も桁外れだったようだが、日記も膨大な量である。

 政治家の死後、その業績をたたえ、人物をしのぶ記念館がどれだけ国内にあるか知らない。原敬の場合、亡くなってから80有余年も経つのに、記念館が存続している。では、現在から過去にさかのぼって戦後の歴代総理大臣を見たとき、何十年のちまで立派な記念館が残りそうなすぐれた政治家は果たして何人いるのだろうか。近年の総理大臣群像を思い浮かべると、寒心にたえない。

 しかし、悲観ばかりしていても仕方がない。あすに期待しよう。現代日本が直面する危機を突破できる政治のリーダーシップをいかに確立するか、それが2009年の主要な課題の1つだが、それに向けて政治はようやく胎動を始めたようだから。

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2008年12月20日 (土)

子どもの貧困と税額控除

 『子どもの貧困―日本の不公平を考える』(阿部彩著)を読んだ。日本の政治が無視してきた子どもの貧困について、貧困の定義、その数値的把握の仕方、どうやって貧困をなくすべきか、などを詳しく述べたものである。

 先進国における貧困を「相対的貧困」という概念(手取りの世帯所得の1人あたりを並べ、その中央値の50%=貧困線=以下を貧困と定義する)でとらえ、子どものいる世帯の貧困率を把握する。また基本的な衣食住、就労などのニーズや、交友、娯楽などといった「社会的に合意された必需品」が与えられていない「相対的剥奪」の状態を示す剥奪指標をもとに、子どもに保障すべき最低の生活を見出す。本書は主にその2つをもとに、日本の子どもの貧困が深刻な状況にあることを浮き彫りにしている。

 そして、「日本版子どもの貧困ゼロ社会へのステップ」(11ステップ)を提案している。その中で「現役世代の中でも、子どもを育てていたり、貧困線を下回る生活をしている世帯に対しては、せめて、負担が給付を上回ることがないように、税制、公的年金、公的医療保険、介護保険、生活保護を含めたすべての社会保障制度で考慮すべきである」としている。

 子どもの貧困に対する具体的な処方箋として、「子どもの貧困削減を目的とした所得保障の制度を考えるとき、給付つき税額控除は有力な候補である」と述べている。所得控除が金持ちほど減税額が大きくなるのと違って、税額控除にすることは平等であり、かつ控除しきれない分は、マイナス納税ということで現金給付するので、低所得者には救いとなるわけだ。

 ところで、この給付つき税額控除は、イギリスなどで実施されており、日本では、民主党が低所得者対策の目玉として税制抜本改革アクションプログラムに盛り込んでいる。この制度を導入するには、世帯単位の課税制度に改めることや、納税者番号が不可欠であるという。藤井民主党税制調査会長は「納税者番号制度は金持ち対策ではない。いまは社会保障からこぼれてしまう人がいる。それへの対策だ」と、18日に日本記者クラブで開催された津島自民党税制調査会長との討論会で述べている。納税者番号と社会保障番号とを共通にするということらしい。

 その討論会で、津島氏は、自民党も党内に納税者番号の早期導入を考えるプロジェクトチームを設けることを決めたと言い、「税額控除で引き足りないところは現金給付するということも民主党と同じ考え方だ」と語った。

 本書の結論は「すべての子どもが享受すべき最低限の生活と教育を社会が保障するべきである」というもの。給付つき児童税額控除はそのための有力な手段というから、政治がそれに一歩近づくような流れは歓迎してよかろう。 

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2008年12月12日 (金)

働く者同士の共感もなくなっている

 雇用調整が広がりをみせている。自動車、電機などの業界が目立っているが、製造業にとどまらず、第三次産業にも波及しそうな気配だ。

 いまのところ、雇用調整は主に非正規雇用の労働者が対象だが、希望退職募集の形で正社員においても一部始まった。今回の景気後退の特徴は、国内の民間消費も民間設備投資も軒並み縮小し、明るい産業分野が見当たらないこと、それに加えて、世界同時不況のため輸出も減っていること。したがって、企業の努力だけでは当分の間、経済全体の好転は望みにくい。

 それだけに雇用調整ではじき出された人たちが再就職するのはとても難しい。「板子一枚下は地獄」という言葉はまさしく現代日本の実態である。雇用調整は企業が生き延びるために必要だとしても、企業のトップは、いまの時期にやめざるをえない人たちもまた生きていかねばならないことにどれだけ思いを致しているのだろうか。

 メディアは「‥‥○○○人を削減する」などと伝える。だが、人員削減という言葉は「削る」などと、およそ血の通った人間にはふさわしくない表現のように思えて仕方がない。切り捨てられる労働者に対する思いやりがほしい。

 大企業には労働組合がある。多くの労組は正社員のみから成る。彼ら、社員で労働組合員である労働者は、同じ職場で働いている非正規雇用の人たちを同じく労働者の仲間と思わないのだろうか。企業内組合ゆえに、会社第一で、いまこそ、会社を守るために、非正規雇用の人たちを切り捨てるのはやむをえないと割り切っているのだろうか。

 夢みたいなことを書く。非正規雇用を減らす企業の社員労組は、派遣であれ、期間工であれ、会社の都合でやめざるをえない人たちが寮を出る期限を延ばすように会社に交渉するとか、転職の支援をするとか、働いた仲間のために何かやってほしい。連合のようなナショナルセンターは、そうした連帯意識を持つよう個々の単組および組合員に働きかけるぐらいはして当然だ。

 中央政府、地方公共団体で働く人たちは民間と違って失業の心配がない。給与水準も概して高い。だから、政府は公務員の給与を不況の間、1割ないし2割カットして、その分で失業者を雇ったらどうか。森林の下枝伐採などの人手がなくて環境保全上、困っているし、農業は人手不足で廃業する農家が相次いでいる。そうした人手が足りない分野に、応援に行ってもらうのがいいと思う。

 日本国民は長い間の習性で、政府を批判し、政府にやってもらうことばかりを要求してきた。だが、財政悪化で、政府に頼ることは最小限にとどめざるをえない。上記のように、助け合うことが欠かせない。企業で働く者も政府で働く者も、あるいは失業者も、同じ労働者という連帯感でつながることで、社会が安定し、安心した暮らしができるのではないか。

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2008年12月 7日 (日)

世界経済危機と地球温暖化問題とを考える

 12月1日からポーランドのポズナンで、気候変動枠組み条約の第14回締約国会議(COP14)および京都議定書の第4回締約国会議(MOP4)が開かれている。ポスト2012の温室効果ガス削減の枠組みを2009年末までに設定するための具体的な枠組みづくりが目的である。しかし、世界金融危機が世界同時不況を引き起こしつつあり、それが地球温暖化対策にも複雑な影響を与えている。

 単純に考えれば、世界経済が不況になることは温室効果ガスの排出量の増加テンポを緩和するか、減少をもたらす。地球温暖化を懸念する立場からすれば、歓迎すべき現象である。いまでも、人口数や各種資源の消費量が多過ぎることが温暖化の原因なのだから、ここで経済発展を一休みし、温室効果ガスの排出量を減らす方向へと転換する、神から授けられたチャンスと受け止めてもよさそうなところだ。

 しかし、おそらく、世界の多数はそうした見解に与しないだろう。収入減とか失業の増大のほうが人々の関心事であり、政治もそちらを重視するからである。EUは環境対策で世界をリードしてきたが、EU域内のイタリアは今回の世界経済危機に直面してEUが掲げる温室効果ガス削減目標に否定的な態度を示している。EUに加盟しているポーランドなどの東欧諸国も、排出量取引の導入などによる負担の大きさなどを考えて、やはり否定的であるという。

 COP14/MOP4があまり進展がないのは、このように当面の経済危機のほうが大きな政治的、社会的な問題になっているからだろう。しかし、経済か環境かのどちらをとるかの問題ではなく、経済も環境もと二兎を追うことが人類の将来にとって必要である。

 これまで、再生可能エネルギーの積極的な導入や、住宅、自動車、電機製品などの省エネ化などを進めれば、経済が発展しながら温室効果ガスの排出を大幅に減らすことができるといわれてきた。日本は環境と経済の両立を図る環境立国たるべしともいわれる。しかし、西洋文明の基本的な枠組みを維持したまま新エネ、省エネなどの環境対策とGDPの増加を図るという前提では、2050年までに温室効果ガスの年間排出量(絶対量)をいまの5分の1にまで減らすのは至難の技である。

 そこで思い出すのは、人口や経済ストックが増えも減りもしない定常状態のままで、環境負荷も小さいという、ハーマン・デイリーが提起した「steady-state  economy」という考え方である。彼の著書を読んでいないので、それがどの程度実現可能かわからないが、富の拡大を限りなく追求する現在の市場経済をどういう形にか修正していくということが環境問題の制約から必要だという気がする。

 現在の世界経済危機は、いままでの市場経済の仕組みを多少なりとも変えるきっかけになるだろう。できうれば、その改変に地球温暖化対策を組み込めれば最高である。オバマ大統領の米国が打ち出す新しい政策が、世界を巻き込んだ市場経済改革と地球温暖化対策とをリンクしたものならば、新年は希望に満ちたものになるが、それは初夢だろう。それはそうだとしても、いまの市場経済システム自体が絶対的な真理でもなんでもなく、もっとすぐれたシステムがありうる。それを模索し始めるときではないか。

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2008年12月 5日 (金)

派遣労働者たちの苦悩が読み取れる調査結果

 国内の自動車メーカーなどが非正規雇用の労働者を切り始めた。世界同時不況なので、雇用を打ち切られた人たちの転職は困難であり、政府、企業、労働組合などとしても、放置しておけない緊急の課題と受け止める必要がある。ワーキングプア問題は新たな段階に入ったと思われる。それを考えるうえで参考になるのではないかと思うのが、1ヵ月前に厚生労働省が発表した「平成19年就業形態の多様化に関する総合実態調査結果の概況」である。

 同調査は正社員か非正社員か、さらに非正社員をパートタイム労働者、契約社員、嘱託社員、派遣労働者(登録型、常用登録型)、臨時的雇用者、出向社員、その他に分けて昨年10月1日現在の就業形態を調べたもの。それによると、正社員以外の労働者の割合は37.8%。前回調査(平成15年)に比べ3.2ポイントも増えた。パートタイム労働者は非正社員の半分以上の22.5%(前回23.0%)を占め、派遣労働者が4.7%と4年前より2.7ポイントも上昇した。

 正社員・出向社員以外の労働者に現在の就業形態を選んだ理由(回答は3つまで)をたずねると、「自分の都合のよい時間に働けるから」43.0%、「家計の補助、学費等を得たいから」34.8%、「家庭の事情や他の活動と両立しやすいから」25.3%、などの回答とともに、「正社員として働ける会社がなかったから」との回答が18.9%あった。男性に限ると、23.9%と多い。さらに派遣労働者だけでは37.3%の人が「正社員として働ける会社がなかったから」を挙げている。契約社員も31.5%が同じ理由を挙げた。おもしろいのは、「組織に縛られたくなかったから」という理由を12.3%もの派遣労働者が挙げていたことである。

 正社員以外の労働者に対し、希望する働き方をたずねたら、「現在の就業形態を続けたい」人が68.8%、「他の就業形態に変わりたい」人が30.6%だった。ちなみに、派遣労働者は「変わりたい」が51.6%、契約社員も50.2%と高い。

 正社員以外の労働者で、「変わりたい」と答えた人たちの90.9%が「正社員」を希望した。なぜ正社員になりたいのか。その理由をたずねたら(3つまで回答)、「正社員のほうが雇用が安定しているから」80.3%、「より多くの収入を得たいから」74.1%の2つが圧倒的に多かった。

 「他の就業形態に変わりたい」と回答した人の割合を年齢階層別にみると、20~24歳が65.9%、25~29歳が57.9%と半分をかなり超えた。30~34歳では48.6%、35~39歳50.1%となっている。30歳代では「現在の就業形態を続けたい」人と「変わりたい」人とが拮抗している。40歳代となると、「現在の就業形態を続けたい」人の割合が一挙に上がり、40~44歳では72.9%に達する。

 一方、事業所調査の結果をみると、正社員以外の労働者を活用する理由(3つまで回答)として、「賃金節約のため」40.8%、「仕事の繁閑に対応するため」31.8%、「即戦力・能力のある人材を確保するため」25.9%が挙げられている。そして、正社員以外の労働者を活用するうえでの問題点(複数回答)として「良質な人材の確保」51.4%、「仕事に対する責任感」48.3%、「仕事に対する向上意欲」37.5%が挙げられている。

 平成19年9月の税込み賃金総額が派遣労働者の場合、10万円未満の人の割合が8.8%、10万円~20万円未満の人が42.2%、20万円~30万円未満の人は36.8%である。ほかの非正規雇用も同様に賃金水準は低い。安く便利に使いたいという事業所側の希望と、仕事熱心で良質な人材の確保というのはおよそ矛盾しているのではないか。バブル崩壊後の長期低迷による“就職氷河期”に社会に出た世代の苦悩や悲鳴がこの調査結果から聞こえてくるような気さえする。現在は、この調査のときより、事態は深刻である。彼らに速やかに何らかの救いの手を差しのべるのは、主として政府の責務であり、償いでもあると思う。

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2008年11月29日 (土)

江利川厚労省次官が挙げる3つの課題

 厚生労働省の江利川毅事務次官が11月27日の定例記者会見で、元事務次官等の殺傷事件の動機などについて聞かれ、答えたあと、「少し質問から離れたようなことを申し上げてもよろしいでしょうか」と前置きして、おおむね次のようなことをしゃべった。

 「我が国の今世紀における大きな課題は3つあると思います。第1に、環境問題(地球温暖化)、第2に、少子化、人口減少問題、第3に、日本社会のモラル低下です。今回の事件は、モラルの問題にかなり関わるのではないかという認識を持っています」。

 「交通事故で人を挟んでいるのに引きずって走っていくとか、腹いせに誰でもいいから轢き殺す、そういう殺人事件だけでなく、給食費を払わないとか、軽い病気なのに救急車を呼ぶとか、こういう1つ1つもモラルの問題」。

 「こういう日本社会のモラルの低下みたいな問題に社会全体でどう取り組んだらいいのかということを真剣に考えていかなくてはいけないかなと思います。相当大きな課題ではないかと思っています」。

 ことしの6月初めに江利川氏の話を聞いたとき、日本社会のサステナビリティの問題は2つあると言い、少子化と環境を挙げた。今回の記者会見で、日本社会のモラル低下が付け加わった。しかも、この3番目について、同氏は社会全体でどう取り組むか真剣に考えなくてはいけないと問題を提起したとも受け取れる。

 メディア関係者には、日本の社会が、政治もそうだが、自壊しつつあるような感じがすると言う人が少なくない。それだけに、27日の記者会見では、この江利川氏の問題提起を真正面から受け止め、同氏に対し、政府の要人の1人として、それにどう取り組むつもりかを突っ込んで聞いてほしかった。「質問から離れたようなことを申し上げてもよろしいでしょうか」とまで言って同氏が語ったのに、聞き流して、すぐ違う質問をする記者たちの視野の狭さ、未熟さには、情けないとしか言いようが無い。

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2008年7月27日 (日)

「財政改革ウォッチャー」の2周年

 2006年7月27日、「よき未来への思いを共有したい」と題するブログを書いた。その一部を抜き出してみる。

 「1、2年前から、日本の財政危機とか、財政再建と言われるものにも強い関心を持つようになった。国も地方も財政の大赤字が続き、借金は膨らむ一方だ。このままでは、いずれ財政破綻する。小泉首相は経済財政諮問会議を利用して、まずは2011年度に基礎的財政収支の黒字化を達成しようとの「骨太の方針」を7月にまとめた。だが、財政のサステナビリティを実現するのは容易ではない」。

 地球温暖化などの環境問題や、国と地方の財政赤字問題を、「国民の多くは多少なりとも知っていると思う。ただ、きょう、あすの問題ではないように思っているのではないか。しかし、危機が表面化してからでは遅い。いまから、国民一人ひとりが問題の解決をめざして何らかの行動を起こすときだ。そんな思いをできるだけ多くの人と共有したい」。

 このときと2年後のいまとでは、事態は悪化している。危機は深まっている。

 ブログ「財政改革ウォッチャー」をちょうど2年前に書き始めた。このときの初心を忘れず、将来世代により良い社会を残すように、これからも、微力とはいえ努力したい。

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2008年7月17日 (木)

(株)ロフトの“社員”化

 雑貨専門店の株式会社ロフトが3月半ばに、本社員、契約社員(1年ごとに更新)、パートタイム(6ヵ月ごとに更新)の3通りに分かれていた雇用形態を社員に一本化した。その結果、それまで有期雇用形態の契約社員およびパートタイムがほとんどだった従業員が、9割方、無期雇用の社員になったという。(ほかに2ヵ月とか、6ヵ月の雇用契約のアシスト社員がいる)。

 一方で、期間1年、3年という有期雇用形態を選択することも可能としたので、それまで契約社員やパートタイムだった人の中には、無期雇用の社員にならず、この有期雇用を選んだ人もいる。労働時間は無期、有期とも、週20~40時間の中で選択可能とのこと。この変更後も、従来の契約社員、パートタイムに相当する人たちは社員といっても時間給で、その相場がグレードによって高卒初任給並み、短大卒初任給並みになる。

 経済財政諮問会議の労働市場改革専門調査会が6月13日の会合に、ロフトの篠田信幸取締役執行役員および株式会社ヒューマンプラス(クレディセゾングループの人材派遣・人材紹介会社)の難波赳夫顧問を招いてヒヤリングした。そのときの議事要旨に、そのようなことが載っている。

 ロフトの社員化は、フロントの戦力を上げるのと、従来の社員であろうと、有期雇用であろうと、時間当たり賃金を基本的に「能力の下に皆、平等」という人事の理念に沿ったものにするという両方のねらいに基づくという。

 非正規雇用が日本全体の3分に1に及ぶなどといわれ、非正規雇用を正規雇用に転換することが社会的課題にすらなっている。したがって、ロフトの社員化が注目を浴びたわけだが、難波顧問が会合の最後に発言している内容は大事な点を指摘しているように思う。すなわち、――

 新聞などで、正規、非正規とか、本社員だとか書いているが、「私たちからしてみると、正規、非正規ということではなくて、働く人ということの中に時間の区分がたまたまあって、それに対する処遇としていろいろな形があるというふうになっていると考えてもらえると、すごく動きやすい」。

 社員からは、ロフト社員であるといっても、「履歴書にどう書けばいいのか、それがどう履歴として評価されるのか、次の会社に転職するに際して、これはパートなのか、本社員なのかとどうしても聞かれると不安だ」というようなところがあって、非常に神経質に質問されたりするという。「したがって、通念上はやむをえないことだろうが、できれば、言葉が何らかの形で少し整理がつくと私たちも動きやすいという気がする」。

 これに対して、調査会の八代尚宏会長は「ロフトのように正社員はちゃんと能力主義というか、きちんと評価された時間給であれば、もともと正規、非正規の差はないわけで、能力主義ではない会社が非正社員との差を要求するというのが問題というのが私の解釈である」とコメントしている。

 正規、非正規と区分して、非正規雇用はけしからんという単純な発想は必ずしも適切ではないようだ。 

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2008年7月11日 (金)

企業内組合は労働組合なのか

 (1) 行政改革、構造改革になぜ日本の労働組合は強く反対しないのか。 (2) 日本では、なぜ労働組合政党が成長しないのか。 (3) 非正規雇用・ワーキングプア問題でなぜ大きな抵抗運動は起きないのか。 (4) 年休の“消化率”が問題になるのはなぜか。 (5) 健康障害を起こすような長時間労働がなぜ行なわれるのか。

 先日、労働法の研究者である田端博邦東京大学名誉教授から「労使関係の変容と多様性ーーその論理ーー」と題する話を聞いた。同氏は昨年11月に『グローバリゼーションと労働世界の変容ーー労使関係の国際比較』を出版しており、話は同書の内容に沿ったものだった。そのとき、同氏が日本をどう考えるか、ということで、上記のような論点を提示した。それらで挙げられていることは、ヨーロッパではありえない現象であるとのことだった。

 例えば、「年休をとるのは労働者の権利であり、日本の労働者がどうして、その権利を放棄するのか、理由がわからないとヨーロッパの研究者は言う」。健康を損ねるような長時間労働は米国でもないという。また、西欧では、社会民主勢力が政権をとらなかったところはない。そうした欧米の常識が日本の常識ではないのはなぜか、という同氏の問題意識は新鮮に感じられた。

 同氏によると、日本は①政府・企業主導型の産業国家(企業国家)であり、②企業内で完結する独特の労使関係構造になっている。それがヨーロッパのケインズ主義的福祉国家などとは異なる独自の経済社会を生んだという。

 しかし、韓国のように日本の制度を真似た国を除けば、企業内組合を労働組合として認めている国はないとのこと。ドイツでは、労組は超企業的でなければならない、言い換えれば、企業横断的であることは当然だという。労組というのは自発的に労働者が集まる組織であり、従業員全員を代表する社内組織は、基本的な労働条件を決定できない。こうしたヨーロッパの概念に従うと、日本にあるのは労働組合ではないのかもしれない、と田端氏は述べた。

 改めて、冒頭に書いた5つの問い掛けを読んでみると、日本の労組のありかたを根底から考え直す必要があることに思い至る。

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2008年7月 6日 (日)

洞爺湖サミットを超えて

 7日からG8洞爺湖サミットが開かれる。中国、インド、ブラジルなど5ヵ国が参加する会議もあるなど、文字通り世界の主要国のリーダーが顔をあわせるのだから、今後の世界のありかたについて、彼らの責任は非常に重い。お互いに自国の権益ばかりを主張してろくな成果もなかったということでは、未来の世代に顔向けができないだろう。

 今年のサミットは例年以上に大きな課題を抱えている。京都議定書のあとの中長期の温室効果ガス削減目標を設定すること、石油などの天然資源、食料などの価格暴騰やサブプライムローン問題による経済社会のダメージを最小化すること、などだ。途上国の社会の安定や国民生活の向上なども意識されるべき課題である。

 一方で、出席する各国首脳の多くは、それぞれ自国の内政運営で苦しい立場に立たされている。自国の利益と世界人類の利益とを調和するという難しい課題にチャレンジする首脳が1人でも多いことを願う。

 福田首相は記念写真の真ん中に立つだろうが、このサミットが歴史を画したといわれるような新たな進展を切り拓いてくれるかどうか。これまでの報道を見る限り、期待薄だ。オリンピックではないが、“主催”することに意義があるのでは困る。

 話は変わるが、石油の値上がりはまだまだ続きそうだといわれている。その影響がさまざまな分野に広がっている。石炭、鉄鉱石などの鉱物資源の値上げや、穀物の値上げに続いて、それらを原燃料などとして使用する製品やサービスもコスト上昇で玉突き的に値上げを始めている。そして、値上げしたくても、それができない製品・サービスの分野では休廃業するところが相次いでいる。これらは国内でも海外でもほぼ共通している。海外では、大きな反政府デモが起きたりして、政治情勢が緊迫している国もある。

 20世紀は石油の時代だといわれ、工業、輸送、農業などや生活の隅々まで石油の恩恵に浴している。21世紀になっても、石油は経済や暮らしの根幹を担っている。石油文明という言葉があるが、私たちは安い石油価格を前提にした経済や生活にどっぷりつかって豊かさを追求し、それを当たり前に思ってきたのである。

 日本のガソリンを例にとると、いま小売価格は1リットル180円前後。500mlだと約90円。それも税金込みでだ。一方、500ml入りペットボトルの清涼飲料水はもっと高い。中東などの油井で採った原油をタンカーではるばる日本に運び、製油所で精製し、さらにタンクローリーでSSに輸送するガソリンのほうが清涼飲料水よりもはるかに安い。

 それでも、いまの急激な石油価格高騰は、従来の安い石油を前提としてきた現代文明の構造を私たちに「見える化」したとも言えよう。いま日本でも起きているクルマ利用手控えなどの動きは、長い目でみれば、おそらくは脱石油文明の一歩である。

 とはいえ、石油の生産コストは、実は平均的にはきわめて低い。大幅な石油の値上がりは、先進国などの輸入国から巨額の所得が移転することを意味しているが、産油国や産油会社を富ませる。そして、豊かになった産油国の多くは、資源・エネルギー多消費型の経済社会を築いている。石油価格暴騰の影響はきわめて大きいが、世界全体としては石油文明は21世紀もまだまだ続くようだ。無論、資源の乏しい途上国は苦難の道を歩むが。

 地球温暖化対策として、石油・石炭など化石燃料の大幅な消費抑制は絶対に必要だが、世界全体として具体的にどうやって減らすか、となると、さっぱり筋道が見えてこない。先進国だけが危機感を共有しても間に合わない。その意味で、洞爺湖サミットで福田首相ら各国の指導者に課せられた使命は重いものがある。 

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2008年6月27日 (金)

毎年、日本の人口が100万人余も減る近未来

 6月25日、厚生労働省の江利川事務次官のスピーチを聞いていたら、グラフを示して「日本の将来の人口は毎年、100万人以上減る。毎年、1つの県が無くなるぐらいの減少だ」という話をした。毎年の出生数の推計値および死亡数の推計値の折れ線グラフを見ると、ワニの口のように大きく開いていた。

 国立社会保障・人口問題研究所の資料によると、中位推計で日本の人口が年間100万人以上減るようになるのは2039年で、2040年代には年間106万人程度の減少と、最も減少規模が大きくなる。いまの少子化が続くと、恐ろしいスピードで日本の人口が少なくなることを示している。これでは、日本経済が成長することができるか危うい。まして、いま、問題が次々に噴き出ている社会保障の持続可能性はほとんど絶望的だろう。

 ところで、同研究所の資料を見ると、都道府県において、人口が100万人より少ないところは2005年に7県あった。少ない順にあげると、鳥取(60.7万人)、島根(74.2万人)、高知(79.6万人)、それに徳島、福井、佐賀、山梨と続く。

 それが、人口減小で、2035年には15県に倍増する。和歌山、秋田、香川、冨山、宮崎、山形、石川、大分が加わる。鳥取県の人口は49.5万人と50万人を切る。島根、高知は50万人台となる。2030年代~2040年代には、県が毎年1つずつ消えていくという表現もあながち誇張とは言えない。ただ1つ、東京都だけは2005年→2035年で人口が11.9万人増える。

 ついでに言うと、日本の老年人口は2005年に2576万人と、総人口の20.2%を占めた。それが2055年には40.5%と倍増する。少子高齢化の行き着く先は容易ならぬ事態である、という可能性は、相当に高いような気がする。政争の論点ばかりに目を奪われず、広い角度で少子化対策を考える必要がある。 

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2008年6月17日 (火)

鳥インフルエンザへの備えは

 東京都の石原慎太郎知事が16日、日本記者クラブで会見したが、石原さんが力説していた鳥インフルエンザ対策の緊急性は納得した。

 鳥インフルエンザのウイルスが変異して、いままでにない硬性強毒型のウイルスになると人間のあらゆる臓器にウイルスが入り込むという。ひとたび感染すれば、死亡する率は20%以上になるという。60%が死ぬという推測もあるようだ。このように伝染性が高いので、東京のように、人口が集中している大都会はおおぜいの人が死ぬだろうとのことだ。

 いま、日本政府はプレパンデミックといって、大流行する前のウイルスであるH51N型インフルエンザウイルスのワクチンを2千万人分用意したとされる。だが、パンデミック・インフルエンザとなると、つまり、本番の大流行に対するワクチンとなると、まだないのだそうだ。罹患して死んだ人からしか、本番用のワクチンはつくれないそうで、すでに鳥インフルエンザが人にうつり、死者が出ているインドネシアは、いかんせん、先進国に死者の利用を認めないという。

 石原さんは、スペイン風邪の比ではないと、パンデミック・インフルエンザの恐怖を強調し、厚生労働省が死亡率2%と言っているのを激しく批判していた。

 全く仮定の話だが、もしも、首都圏のように人口密集地で、人から人へと伝染する鳥インフルエンザの患者が出たら、本当にパニック状態になるだろう。感染率、死亡率のいずれも高いから、すさまじい人口減少を招くおそれがある。

 悲惨な状態は避けたい。だが、パンデミックには、人間の驕りに対して天罰が下るという面があるような気がしてならない。

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2008年5月25日 (日)

地域の固定化された階層構造の改革

 冨山和彦氏(経営共創基盤代表取締役)の鋭い指摘を5月13日付けのブログに取り上げた。政府の「構造改革と日本経済」専門調査会第5回(4月25日)の議事要旨を読んでいたら、同氏のプレゼンテーションが載っている。関心のある方には議事要旨を読んでいただきたいが、産業再生機構として地方の企業再生に携わった同氏の地方の問題についての内容は傾聴に値する。

 いま地方が苦しくなっている状況は気の毒だが、「自己要因もはっきり言ってあると思った」という。地方というのは、「恐ろしく世襲の固定化された階級社会だ。均衡あるばらまきが均衡ある既得権階級を一つの社会階級として日本中につくり上げてきている」と指摘している。

 地方では、「上流階級というのは、ほぼ政治家も含めて世襲されているので、もうこれは固定化されているが、残念ながら平和で豊かでいい時代が続いたので、階級的には明らかに劣化している。逆に平民階級の優秀な人、要するに普通の平民の子どもに生まれた優秀な人は、みんな都会に流れていく」。したがって、家が貧乏で大学に行けなかった優秀な人が地方の企業に就職して番頭になるという「番頭モデルというのは、今、地方では成り立たない」。再生機構で扱った案件では、「ぴかっと光るような番頭がいたケースはほとんど皆無」だったという。

 「地域内格差、地域の中における固定化された階層構造をぶち壊さないと、優秀な人材は地方には絶対に行かない」、「大変ややこしいボス社会なので、あちこちに地雷が埋まっている」、「地域内の構造改革は絶対にやるべきだ」という。それと、地方分権によって、「地方の政府の仕事を面白くしないと、そこに多様性を持たせないと。面白くないところにいい人材が行かない」と語る。

 また、「国土の均衡ある発展というのはもう卒業して、国土の多様性とめり張りのある発展にモデル転換したほうがいい」と述べる。「地方の問題はお金の再配分より人の再配分だ。人のいないところにお金をばらまいても、砂漠に水をやるような話であって、むしろ既得権構造を再生産、再強化するだけ」、「どうやったら優秀な人が地方に行くのかということを軸に、私は政策を論じるべきだと思う」ともいう。

 格差には、反市場経済的要因から生み出される格差と、市場経済化がもたらす格差の二通りある。冨山氏は、前者には規制改革や公正競争行政の強化などの処方箋があるが、「恐らく政治的、社会的軋轢というコストを払わねばならない」という。一方、グローバルな競争に基づく相対コスト平準化の原理からくる賃金格差については、「これを仮に所得再配分で何とかしようということをやると、必ず成長力の低下と空洞化が起きる。そうすると、きっと日本経済は貧困化していく」と予言している。

 いまの日本が抱える深刻な問題点に対して、同氏の見解は重要なポイントを提起している。 

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2008年5月 5日 (月)

“政策市場”を支えるシンクタンクをどうやって生み出すか

 1ヵ月余り前に経済同友会の行政改革委員会が「マニフェスト時代の行政体制と“政策市場”の構築を」と題する提言を発表した。副題は「国民に透明な政策論争を示し、真の民主主義を実現する」というものである。“政策市場”を「民主主義の社会インフラ」と位置づけ、その構築に取り組むことが提言の1つの柱となっている。

 あまり見聞きしたことがない“政策市場”について、同友会は「多様な主体が政策を作成し、それが検証・分析され、かつ、代替案が作成されることを通じて、国民に複数の選択肢を示し、多数の政策案が多くの参加者による自由でオープンな議論により熟度の高い政策形成が行なわれる場」と定義している。言い換えれば、官僚機構を中心とした政策形成のやりかたでは多様化・複雑化した日本の課題に対応できなくなったから、政策の選択肢を提供し、かつ政策が適切であったか否かを検証する「民間非営利独立型の政策シンクタンク」を確立すべきだというわけだ。

 この提言は米国の“政策市場”をほぼ丸写ししたような内容であり、民主主義の成熟度において相当に遅れている日本が同じような仕組みを実現するのは容易でないという印象を抱く。それでも、日本が目指すマニフェスト政治にとって欠かせない要素である。

 そこで、提案したいのは、同友会が先頭に立って、NPOの政策シンクタンク設立に奔走することである。日本には、ビル・ゲイツなどのような、こうしたシンクタンクをつくれるほどの個人の大金持ちがなかなかいない。しかし、ビッグビジネスには、年間数千億円もの経常利益をあげるところがいくつもある。CSRの活動で相当のカネを使っている企業はたくさんあるし、広告宣伝費―その中には社会的にどうかと思う広告宣伝が散見される―に派手にカネを使っているところも実に多い。

 隗より始めよ。同友会は仲間の企業に政策シンクタンク設立を呼びかけたらどうか。提言するだけで、あとは野となれ山となれ、が当たり前では、無責任だと思う。

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2008年4月26日 (土)

関満博氏の言う「地方の人々は実に豊かに生活している」に同感

 全国各地および中国各地の地域産業に詳しい関満博一橋大学教授が3月に出版した『地域産業の「現場」を行く  誇りと希望と勇気の30話  第1集 地域の片隅から』。同書の「はじめに」で、以下に紹介する文章を目にした。私が日頃感じていることを裏付けてくれる内容である。

 関氏が研究室に来ている外国からの留学生を地方都市での夏合宿に引率すると、留学生は「日本の地方は、どこもこんなに美しいのですか。食事は美味いし、道路は完璧だし、その他のインフラもすごいですね」と感心するという。そうした話のあとで、関氏はこう書いている。

 「実際、私自身、地方に身を置くことが多いが、数字で語られるような格差を感じることはあまりない。食事は美味いし、生活の基本インフラは充実し、人びとは実に豊かに生活しているように見える。東京に住む私自身の方がはるかに貧困であることを痛感させられることが少なくない」。

 そして、次のように述べる。「地方に問題があるとすれば、それは「若者」の仕事の場が少なく、人口減少、高齢化が進んでいることに関連するのではないかと思う。当然、見かけ上の所得は少なくなり、購買力も低下していく。商店街は疲弊し、シャッター街になり、若者の姿は見えず、活力の低下が実感されていくのであろう」と。

 そこから、関氏の独壇場になる。「だが、その懐に入っていくと、実に興味深い取り組みが重ねられていることに気づく」。それは「地域おこしの「第三の道」というべきものであり、地域を深く「愛している人びと」による新たな試みと言えそうである」。別の言い方をすれば、「「地域の資源」と自分たちの「暮らし」を深くみつめ直し、新たな「仕事」を起こし、そして新たな「価値」を生み出そうとしているように見える」。30話はそれを具体例で紹介している。

 関氏は本文の中で、「次の時代を担う意欲的な若者が登場してこない限り、その地域の「将来」はないのである」と言い切っている。そして、自ら、私塾を設けて人材育成に貢献している。

 いまも折りにふれ、大都市圏と地方との格差が言い立てられる。だが、既得権益を擁護しようというそうした後ろ向きの姿勢とは異なり、誇りと希望と勇気をもとに新たな社会を切り拓いていくことが地方の課題だろう。その意味で、関氏の指摘はとても大事だと思う。

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2008年3月13日 (木)

市場は大荒れだが‥‥、トヨタは‥‥

 13日の欧州為替市場で一時1ドル99円77銭と12年半ぶりに100円を切る円高になった。また、13日の東京株式市場は日経平均の終値が1万2433円と2年7カ月ぶりの安値になった。12日のニューヨーク原油先物市場は4月渡しが1バーレル110.20ドルまで上がった。また、13日のニューヨーク金先物相場は4月物が一時、1トロイオンス1000ドルをつけた。市場が激しく動いているのを強く感じる。内外の経済の先行きがどうなるか、予測しがたい状況にある。

 そんな中、トヨタ自動車の渡辺捷昭社長の会見が13日、東京・千代田区の日本記者クラブで行われた。世界一の自動車メーカーであるトヨタはものづくり企業として長期的、かつ確固たる経営理念、経営戦略に基づいて経営を実践していることがよくわかった。

 渡辺社長がクラブのサイン帳に「愚直、地道、徹底」と書いたように、同社はものづくりの真髄を徹底的に追求している。しかし、この「愚直、地道、徹底」は、いまの世相には失われてしまっている日本社会のかつての良さ(長所)を指摘されたような思いだ。

 同社長の話は多岐にわたったが、その中で興味深かった部分をいくつか取り上げる。「再生循環型社会」ということで、「環境、エネルギー、安全のテーマは積極的に対応しないと、我々の生きる道は無い」、「クルマのワクワク、ドキドキといった楽しさ、感動をマキシマイズ(最大化)する」、「企業を持続的に成長させることも必要である」という。

 クルマは排ガスによる大気汚染、地球温暖化や、有限な化石燃料の消費、交通事故などのマイナスを伴う。生産などでも電力などを使う。そうしたマイナスをとことん小さくするために、ハイブリッド方式の全車種への採用、プラグ・イン・ハイブリッド方式の開発・実用化など革新的なクルマや低コストの生産方法の開発・実用化に取り組んでいると述べた。また、工場における電力の太陽光発電への転換、工場の生産ラインのコンパクト・スリム・シンプル化による省エネなどにも取り組んでいることを明らかにした。

 「バッド・ニューズ・ファースト」で、問題が起きたらすぐ関係者に知らせ、皆で解決をめざすとか、「むだ、むら、むり」の除去などを実践するなど、ものづくりの王道を歩み、「活力、品格がミックスした企業集団であり続けたい」と語った。

 グローバル化しても、トヨタは「基礎的、中核的な研究開発は日本で行う。日本でのものづくりは維持する。日本での生産量はいまの水準を維持したい。少子高齢化でもきちんと生産ができるような生産技術を開発している。高岡工場がその第一弾だ」という。

 トヨタにはカンバン方式一つとっても、ひとりよがりのところがあるなど、疑問を感じることが少なくない。とはいえ、最近の日本の政治、行政のていたらくを見るにつけ、トヨタの存在は混迷する日本にとって救いのような気もしてきた。

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2008年3月 6日 (木)

学術会議が脱タバコ社会のため増税などを要望

 日本学術会議が3月4日、要望「脱タバコ社会の実現に向けて」をまとめた。7つの提言が盛られており、「タバコ税を大幅に引き上げて税収を確保したまま、タバコ消費量の減少をはかる」、「喫煙率削減の数値目標を設定する」、「タバコ自販機の設置を禁止しタバコ箱の警告文を簡潔かつ目立つようにする」などを政府や業界に求めている。

 タバコが健康によくないことははっきりしている。中西準子ほか編の『演習 環境リスクを計算する』によると、日本の化学物質リスクランキングで、リスクの大きさ(損失余命)をみると、喫煙が断トツで一番だ。受動喫煙がそれに次ぐ。

 要望書によれば、日本では毎年11万人以上が喫煙が原因で死亡している。それらの医療費や、捨てられた吸い殻の清掃などの経済的損失はある試算だと約7.3兆円だし、別の試算では約4.9兆円に達する。タバコ税の税収は年間約2.3兆円(うち半分が地方タバコ税)だから、医療保険などに入っている国民全体が何兆円もの損失をかぶっていることになる。

 03年にタバコ規制に関する世界保健機関枠組み条約が採択され、日本は04年に批准した。この条約にはタバコ価格・税の引き上げがうたわれている。しかし、日本は06年にタバコ1本につき約1円の値上げをしたにすぎない。また、タバコの箱に「大きく、明瞭で、読みやすい健康警告」をするよう求められているのに、そうはなっていない。広告規制は業界の自主基準にゆだねられているままだ。また、日本はタバコ自販機の設置台数が56万台にも達し、世界で突出している。

 タバコ事業そのものが、もともと、大蔵省(現財務省)の下にあった日本専売公社が独占していたもので、同省は喫煙者が減って、税収に響くようなことには消極的だった。専売公社が日本たばこ産業(JT)になっても、同省のそうしたスタンスは変わらない。天下り先であるJTへの配慮がないとは言えまい。驚いたことに、いまだに、たばこ事業法は、たばこ産業の健全な発展とか、財政収入の安定的確保などをうたっていて、国民の健康を優先するものには全くなっていないのである。

 しかし、タバコ1箱にかかる税は約189円と欧米の半分ないし5分の1ぐらいと異常に低い。国民の健康を考えて、少なくとも税を3~5年かけて2倍ぐらいまで引き上げるべきではないか。もちろん、それによって、タバコ消費量が下がるにせよ、税収それ自体の落ち込みは、あるとしても甘受すべきだろう。医療保険などの負担軽減を考慮すれば、問題にならない。政治は学術会議の要望をまともに受け止めよ、と言いたい。

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2008年2月21日 (木)

「国際連帯税」導入をめざす超党派議員連盟

 最新のイージス艦は日本国を守るとともに日本国民の命を守るためにあるはずだが、その原理原則がおろそかになっているのかなと思ってしまう。この際、防衛オタクともいわれる石破防衛大臣に不祥事の重なる防衛省を徹底的に叩き直してもらうのがいいかもしれない。大臣の責任を追及して辞めさせるのもいいけど、後任者がどこかの省の大臣のように無能だと、役人の代弁者になってしまい、かえって叩き直しができなくなる。

 それはさておき、衆参のねじれ現象で不毛のやりとりが続く国会に飽き足らない与野党の議員が超党派で議員連盟をつくる動きが目に付く。「国際連帯税」の導入をめざす超党派議員連盟が発足するのも1つ。北川正恭早稲田大学教授らが始めた「せんたく」に呼応した国会議員の超党派の会もそうだ。官僚政治では日本はろくなことにならないから、政治家がしっかりしてくれないと困る。その意味で、国会の混乱とは別のこうした超党派の動きは歓迎される。

 「国際連帯税」について言うと、すでに始まっているのが、フランスが2006年7月に導入した航空券税である。それにいくつもの国が追随している。途上国を援助するODA(政府開発援助)とは別に、エイズなどの治療に充てる資金を、グローバルな、つまり国境を超える取引活動への課税で生み出すのが「国際連帯税」である。国連でも、西欧諸国でも実現のための模索が続けられてきた。

 以前から知られているのは、経済学者、ジェームズ・トービンが提示した「トービン・タックス」である。これは要するに通貨取引税である。国境を越える為替取引に課税するもので、それによって行き過ぎた為替投機を抑え、為替の安定を図ることにねらいがあった。フランスが本拠のATTACというNGOはトービン・タックス導入をめざしていて、日本にも拠点がある。

 グローバルな金融取引は年を追うごとに膨れ上がっている。最近のように、サブプライムローン問題に端を発し、世界の金融マーケットが不安定になってくると、極端な通貨レートになって実物の貿易取引などに悪影響を及ぼしかねない。トービン・タックスの必要性が高まっているとみることもできる。

 したがって、自民、民主、公明、共産、社民の各党の有志議員が超党派議員連盟に加わって我が国も「国際連帯税」を実現しようというのはタイムリーである。政界再編との関わりがあろうとなかろうと、社会保障などの重要課題についても、超党派で素早く問題に取り組んでほしい。

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2008年2月19日 (火)

全国ユニオンが指摘する労働の現実

 全国コミュニティ・ユニオン連合会の鴨桃代会長に、春闘の取り組みなどについて話を聞いた。ひどい労働条件に苦しんでいる未組織労働者を支援している全国ユニオンはことしは「08均等待遇春闘」と銘打って、①均等待遇・格差是正(改正パート法の活用)、②60歳以降の雇用の確保・適正化(高齢法悪用との闘い)、③労働者派遣法の抜本改正、の3つに焦点を合わせているそうだ。

 具体的に挙げられた事例の紹介は省くとして、労働条件を一方的に大幅に引き下げる企業が少なからずあるのには憤りを感じる。人間らしく生きるためには賃金、労働時間、休暇などについて、これ以下はいけないという下限が法規制を含め、おのずからあると思うが、そうした一線を無視する企業があちこちに実在しているということである。そして、派遣で違法雇用がばれるとまずいということで、人身事故が起きても救急車を呼ばない事業者があるという話を聞いた。

 そうした非人間的な労働状況にある人たちに救いの手をさしのべる貴重な労組が全国ユニオンであるが、日雇い派遣の問題をはじめとして、どうして労働をめぐる問題が噴出しているのだろうか。

 非正規雇用が増えた背景には、国内外で競争が激化し、企業がコスト引き下げに血眼になっていること、雇用に関する規制が緩和されたことなどが挙げられる。だが、それに加え、既存の労働組合が正社員の労働条件にのみ取り組み、同じ職場で働くパート、派遣労働者を仲間に迎え入れなかったことも無視できない。その結果、ケータイの普及に伴い、日雇い派遣のような、雇う側に便利な雇用形態が急速に広がった。

 そして、グローバルな競争の激化、それに突き動かされた国内企業のコストダウン、あるいはデフレ経済下での下請け事業者への値下げ要求等々で、企業によっては生き延びるために、正規雇用であろうと非正規雇用であろうと、働く者の暮らしや基本的人権をないがしろにするようになった。労働者も職を失わないために、企業の無茶な要求を受け入れざるをえないこともあった。

 そうした動きに歯止めをかけるのは本来、労働組合のはずだが、企業内組合であるために、鈍かった。いま、そのツケが来ているように思われる。ともすれば、法規制の強化で解決しようとしがちだが、下手に強化すれば、企業の手足をしばる結果になって雇用を減らすことにもなりかねないし、働き方の多様化を妨げることにもつながる。もっと労働運動が連帯を強化していき、未組織労働者を仲間に入れる努力が必要な気がする。

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2008年2月 8日 (金)

店長への残業代支払い

 日本マクドナルドの店長に残業代を支払うよう命じた東京地裁判決(1月末)を受けて、セブン―イレブン・ジャパンも直営店について、管理職である店長に残業代を支払う方針を固めたという(8日付け日本経済新聞朝刊)。管理職という位置づけは変えないが、店長手当を大幅に削減するとのことだ。

 その昔、三洋電機の社長、井植薫氏は「管理職は24時間、会社のことを考えるべきだ」と言った。マクドナルドやセブン―イレブンの店長はそういうイメージの管理職ではない。ただ、店長は店の責任者だから、管理職的な要素も一部ある。したがって、セブン―イレブンが残業代を支払うことにするのは適切な対応だろう。

 ただし、制度を変更するのに合わせて、同社は従来、平均45時間だった残業時間を30時間に短縮するという目標を設定したという。総人件費を増やさないどころか、減らそうということらしい。転んでもただでは起きないがめつい経営である。

 残業問題については、このブログで幾度か取り上げた。昨年2月10日の「『家庭のだんらん』考、同2月14日の「時間外労働と賃金割増率を云々する前に考えるべきこと」、同6月29日の「長時間労働をなくすことに真剣であれ」である。また、ちょっと異なる視点だが、同9月12日の「子供が18歳になるまで短時間勤務認める会社」で、ちょっといい話を紹介した。

 それらで主張しているのは、もっと人間らしい暮らし、家庭生活を大事にしようということだ。もちろん、長労働時間をなくせば、すべてうまくおさまるというほど簡単なものではないだろう。しかし、少子化対策やワークシェアなどに深いつながりがあり、経済社会のありようを変える。

 おりしも春闘が始まったが、マクロ経済上も重要な賃上げの獲得とともに、労働時間の短縮にも全力を入れて取り組んでほしい。時間外の割増率を通常勤務日は完全に50%に、休日出勤は100%にすれば、経営にとっては、できるだけ時間外労働をしないように、という強い圧力になる。

 ただ、こうした割増率引き上げは、法定したほうが競争条件のイコールフッティングになるし、中小企業にも行き渡る。ナショナルセンターである連合などはもっとこの問題に重点を置くべきではないか。

 「日本の労働組合は(外国に比べると)最も経営側に対して発言してきた。経営側にはじかれて初めて立法をと言う」(毛塚勝利中央大学教授)。だが、大企業の労使関係がフレキシブルであるからといって、相対(あいたい)の個別交渉に任せていては、中小企業を含めた日本の労働者全体の長時間労働解消は実現しない。

 現実には、トラック運輸業界のように、顧客の要求にこたえるには絶対に8時間労働なんて遵守できないというところもあるようだ。そうした業界については、顧客が無理な要求をすることを禁止する法規制とか、CSR(企業の社会的責任)の面から無茶な要求をしないよう社会的な監視をするというようなことが必要かもしれない。日本型経営の強さそのものと長時間労働とは密接な関係があるとの見方もあろう。したがって、十分、議論をしていかねばならないだろうが。

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2008年2月 1日 (金)

社会保障国民会議に医師会が出した意見書

 政府は1月29日に社会保障国民会議の初の会合を開いた。社会保障の在るべき姿と、政府の役割および負担の分かち合いについて国民が納得する仕組みを議論するためで、民主党が参加を拒否したものだ。この会議には日本医師会の唐澤会長もメンバーとして参加している。

 その第1回会議に早速、意見書を提出したのは唐澤会長だけだ。「地域医療の崩壊、介護サービス提供基盤の未整備、いわゆる年金問題など、国民は不安を募らせています。国民を守る社会保障は、まさに平時の国家安全保障ともいえます。その重要性を認識され本会議を立ち上げられた福田総理に心から敬意を表する次第です」というところから始まるこの意見書は、1、2行おいてすぐ次のような内容が続く。

 「日本の対GDP総医療費は、OECD加盟30か国中22位ですが、日本の医療はWHOや諸外国から高く評価されてきました。そこには、国民の高い健康意識、医療従事者の献身的な努力、患者さんと医師や医療従事者と信頼関係があることを忘れてはなりません」。問題はすぐそのあとだ。

 「しかし、現在、社会保障への歳出削減により、地域医療、特に産科・小児科・救急医療が成り立たなくなりつつあります。さらに病院勤務医を中心に医師は疲弊しきっており、信頼関係も揺らぎつつあります。日本の医療は、もはや国民の意識の向上や医療従事者の努力だけで維持できる状況にありません」。そして、次の節で「日本が世界に誇る皆保険制度を、より充実させる前提で検討を進めるべきだ」と言っている。

 以上の内容を読み進むと、ひとごとのような言い方であるだけでない。いま起きている医療崩壊は国民の医療費負担が低いからだと暗に言っているように読める。しかし、そうだろうか。昨年4月14日のブログ「医師不足への日本医師会の取り組み」にも書いたことだが、小松秀樹著『医療崩壊』が指摘するように「勤務医は過酷な労働と安心・安全願望の攻撃を受けて、病院診療に絶望している」ことが最大の問題ではないのか。そうした現場の問題提起に正面から応えるのが本来、業界団体である日本医師会の役割ではないかと思う。

 同書に「日本医師会は開業医の利益代表として政治活動していると考えている」と書かれているように、医師会は苦悩する勤務医のためにほとんど何もしようとはしない。最近の診療報酬改定問題でも、開業医の再診報酬が勤務医より相当高いのを是正しようとする厚生労働省の方針を撤回させ、勤務医の窮状に積極的に手を差しのべようとはしない。要するに日本医師会は問題をカネの話としかとらえないのである。

 これでは、国民は救われないし、病院の勤務医はさらに減っていくだろう。開業医栄えて国滅ぶなんてことになりかねない。したがって社会保障国民会議は日本医師会の意見を真に受けることなく、小松氏が提起する問題点を中心に据えて改革の方向を打ち出してほしい。

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2008年1月14日 (月)

農業の従事者をどうやって確保するのか

 全農(全国農業協同組合連合会)が14日付けの全国紙に載せた1ページまるまるの広告は「今のままでは、近い将来、安心して食べられる国産畜産物が手に入らない時代がやってきます」とある。粗忽者の私は「畜産物」を「農産物」と読み間違えてしまった。なぜなら、以下のようなことが頭にあったからである。

 日本の農家の高齢化は急速に進んでいる。14日付けの日本経済新聞によると、農業就業者(販売農家のみ)は312万人。そのうち、70歳以上が141万人と半分近い。65歳以上でみると185万人、60歳以上とすると215万人になる。多くの企業は定年が60歳だが、日本農業はこうした定年退職者以上の年齢の年寄りが3分の2強を占めているのである。

 若いほうは、40歳未満が全部で28万人しかいない。40歳以上50歳未満にしても、21万人にとどまる。こうした現状をもとに10年先を予想すると、農業の担い手の数が激減することは明らかだ。すでに、農業の跡継ぎがいないということで耕作をやめたり、離農する農家が相次いでいる。担い手、つまり供給の面から、日本農業の崩壊は始まっていると言っても過言ではない。

 一方、消費者のほうは、安全、安心を重視して国産農産物を購入しようとする人が増えている。石油などの値上がりで輸入農産物の輸送費が上がり、しかも実質為替レートで円安が進んだので、国産と輸入農産物との価格差が縮む傾向にある。需要面で、日本農業にフォローの風が吹いている。

 したがって、農業協同組合の活動は日本農業を持続可能なものとするために、いまこそ農業の担い手をいかに増やすかについて、国民的な広い視野に立ち、真剣に取り組む必要があるのではないか。

 農業は若い労働力の投入を待っている。都市部では安定した仕事に就けなくて困っている若い労働力が余っている。そうしたマクロ的にいびつな状態を改めることができれば、都市部と地方の格差などというものも変わるだろう。そのためには、農業に関わる既得権益に手をつけることも必要になる。

 JAグループは各地の農協―県単位の組織―全国組織の3重構造である。かつ、全国組織は全農(経済事業)、共済連(共済事業)、農林中金(信用事業)、全中(指導事業)と分業し、それぞれの傘下に県単位の組織が別々にある。その結果、それぞれの狭い分野での利益極大化を追求するきらいがある。換言すれば、国民の利益を踏まえた日本農業はどうあるべきかのビジョンがあるのかないのか、JAグループから国民に何ら伝わってこない。

 全農にしても、「生産者と消費者を安心で結ぶ架け橋になります」というスローガンを掲げているが、肝心の生産者が将来にわたって存在するのかについて、消費者を安心させる情報を全く提供していない。これでは、消費者は心配にならざるをえない。 

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2007年12月31日 (月)

危機を実感すれば、日本は動くと期待したい

 1989年にベルリンの壁が崩壊し、世界がグローバルな経済競争に入ったのに、日本国内はバブル崩壊後の後遺症が長く続き、内向き、なあなあ、前例主義、横並び、建て前主義、自分本位、既得権擁護‥‥でやってきた。改革を忌避し、世界の潮流に背を向けること十数年。そのつけが一挙に噴き出し、不信が社会に満ち満ちた1年だった。

 では、2008年はどうか。にわかに明るい展望を語るのは難しいが、日本(日本人)は危機を実感すると、その克服のために懸命になった体験を持っている。その危機バネが働くことを期待したい。

 07年は、年金制度のでたらめや、少子高齢化、格差(雇用面や、地方の衰退など)、食品表示の偽装などが大きく取り上げられ、政治も企業もそれらの対策に取り組み出したばかり。日本は国民の知識レベルが高く、メディアの影響力が大きいので、今後、国民の間に問題意識のコンセンサスができるなら、対策が急速に進む可能性は高いのではないか。

 とにかく、政治家も、官僚も、国民も、激しく変貌する世界の動向にもっと注目していく必要がある。そして、できれば、受け身で変化にどう対応するかという発想から少しでも脱して、未来志向で、外国に対してかくあるべしと提案する国(国民)になりたいものである。

 ある日銀OBが「新聞やテレビのトップニュースで、世界の動きを報道するようになってほしい」と言っていた。言われてみると、例えば、福田首相が中国を訪問している最中、同行記者から送られてくる記事が1月に内閣改造へというのは、あまりに内政中心の取材姿勢である。案外、メディアの意識改革が日本の改革を実現するカギかもしれない。

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2007年12月12日 (水)

排出権取引か、セクトラル・アプローチか

 バリ島で開かれている気候変動枠組条約締約国の会議(COP13)では、ポスト京都の地球温暖化対策をめぐって激しい外交戦が繰り広げられている。省エネが最も進んでいる日本の産業界には、京都議定書でEUなどに比べて不利な条件を押し付けられたという不満がなお強い。したがって、また日本が不利な条件を押し付けられるのではないかと警戒している。

 その一方で、日本の産業界は、個々の産業ごとに全世界の企業が温室効果ガスの削減に共同して取り組むというセクトラル・アプローチを唱えている。例えば、鉄鋼業では、日本が最も省エネ省資源で資源生産性(資源効率)が高い。そうしたところが遅れた企業に先端技術や経営ノウハウを提供していけば、温室効果ガスの発生量を大幅に削減できるというわけだ。

 世界の鉄鋼メーカーが加盟する国際鉄鋼協会は、温暖化対策の推進には、グローバルなセクトラル・アプローチがベストの方法であることを支持している。そして、キャップ・アンド・トレード(排出権取引)はCO2削減に効果的ではない、という声明を出している。排出権取引をとりいれれば、世界競争をしている鉄鋼業の中で、排出量が少ないすぐれた製鉄所の生産を抑制することになるからだ。

 新日本製鐵の三村明夫社長は12日の記者会見で、鉄鋼業の温暖化対策は「努力したものがむくわれるという考え方に立つものでなければいけない」として、排出権取引には絶対に反対だと語った。そして「温室効果ガスの大幅削減のために排出権取引がどう役に立つのかがわからない。どう役立つのか、聞いても誰も答えない。教えてくれる人がいるなら、喜んで対話したい」と付け加えた。

 最近、日本でも、排出権取引に関する学者・研究者の本が何冊か出た。一方で、排出権取引に否定的な論文も少ないながら出ている。ここで望ましいのは、セクトラル・アプローチを主張している産業界に対し、排出権取引の意義を説得する学者・研究者が真っ向から議論をふっかけて、どっちがよりすぐれているのか、国民に示すことではないか。

 日本国内には、「EUのほうが日本より環境対策が進んでいる。EUなどが排出権取引を始めているのだから、日本も早くやれ」という意見がかなりある。しかし、GDPあたりのCO2排出量などでは日本のほうがEUよりはるかにすぐれている。世界中で最もCO2対策が進んでいる日本の産業界の主張と、EUなどの主張と、どちらが温暖化対策としてすぐれているか、私も知りたい。 

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2007年11月23日 (金)

年寄りの多い国と、若い人の多い国と

 日本では75歳以上の人の割合が初めて10.0%の大台に乗ったという。07年11月1日現在の推計人口(概算値)だそうだ(総務省発表)。65歳以上ということでみると、21.5%である。日本は長寿国だし、少子化でもあるので、すんなり、そうだなと思う。

 東京都内では、オフィス街や新宿・渋谷などの若者中心の繁華街は別として、街を歩く人の平均年齢はかなり高い。商店街で、足腰が弱っている高齢者が、自転車がずらっと停めてあるために狭くなっている歩道をゆっくり歩くと、しばしば歩道の“渋滞”が起こる。さりとて、それで文句を言う人もいない。

 高齢者の割合の代わりに0~14歳の人口の割合をみると、直近で13.5%。しかし、1950年(昭和25年)当時はなんと35.4%もあったのである。高度成長が終わる1970年で23.9%だった。社会全体が平均で若ければ、それだけ活力に充ちていたということだ。

 先頃、ヴェトナムを訪れたときに驚いた一つは、人口構成で若者が多いことだった。5年刻みで人口(2005年)をみると、10~14歳が12%近くで一番多い。次いで15~19歳で11%強。その次が35~39歳、20~24歳、30~34歳と続く。65歳以上は7%しかおらず、0~14歳が27%程度なので、日本の高度成長期に似ている。

 Honda Vietnam Companyの二輪車組み付け工程の一部では、20歳台前半の男子工員が数十人、1メートルぐらいの間隔でずらーっと並んで作業していた。高度成長時代以来、日本のさまざまな工場を見てきたが、これほどに若者がどっと集まって作業しているのを見たことは一度もない。Honda Vietnamの工場は壮観としか言いようがない光景だった。

 主要都市のハノイやホーチミンは一日中、沢山のバイクがあふれんばかりに走っている。朝のラッシュアワーには、バイクの奔流で、歩道までもバイクが走っている。バイクを運転しているのは若い世代がほとんど。彼らはよく家族、友人などを乗せているが、高年者を乗せているバイクは滅多に見かけなかった。

 ヴェトナムは日本の国土面積、人口などを少し縮めたような国。国土が南北に長いのも似ている。共産党の一党独裁や名目GDPが日本の100分の1にすぎないなど、政治・経済面では何かと日本と対照的なところがある。しかし、気質などは日本(人)と似ているといわれる。海にずっと面していて地政学的には有利な位置にある。それに食い物もうまい。だから、ヴェトナムに親近感を抱く日本人は多いらしい。それはそれとして、年寄りの多い国と若い人の多い国の両方を体験し、差異について考えるのはとても刺激的である。

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2007年11月21日 (水)

迫り来るエネルギー危機にいまから備えを

 1850年から2006年までの間に、世界の人口は5倍に、1人当たりエネルギー消費量は8倍に、世界の総エネルギー消費量は43倍になった。そして、2006年の世界総エネルギー消費量のうち、石油、石炭、天然ガス、原子力による供給が89%に達した。1965年から2006年までの間でも、世界総エネルギー消費量は2.84倍に増えた。

 今後もエネルギー消費は増大する。2004年から2030年までの間に世界消費量は57%増える(EIAの経済成長参照シナリオ)。2030年においても、エネルギー需要の86.5%が石油、石炭などの炭化水素系エネルギーによってまかなわれるという。

 エネルギー需要がどんどん増え、それを炭化水素系エネルギー中心に供給し続けることが持続可能(サステナブル)なのか。デービッド・ヒューズ(カナダ地質調査所上級地質学研究員)氏の講演を聞いた。

 原油の確認埋蔵量を直近の年生産量で割ると、40年ちょっとになる。原油の新規年間発見量は1984年以降、年生産量を下回っている。可採埋蔵量は発見、技術進歩、価格などに左右されるし、生産(採掘)・消費は投資や価格に影響される。

 しかし、C.J.キャンベルの予測によれば、世界の原油・天然ガス生産は2010年にピークに達し、あと、急速に減っていく。2100年にはピークの7分の1程度にとどまる。

 石炭は最もコストが低い熱源で、1981年~2006年に消費量が70%も増加した。2001年以降、06年までの間に29.6%も伸びている。一つの未来予測としては2025年にピークを迎える(WEO2006年代替シナリオ)というものがある。

 原子力発電はもっぱら軽水炉だと2030年にウラン資源を使い果たす。

 再生不可能な上記のエネルギー資源を人類は使い果たしつつある。さりとて、再生可能エネルギーがとって代わるのは不可能ではないにしても、きわめて困難だとヒューズ氏は指摘する。しかし、とにかく持続可能なエネルギー供給に必要なインフラを整備すること、省エネと効率向上によりエネルギー消費を削減することーーの2つを提案した。

 私の解釈では、持続可能な代替エネルギー中心の供給体制に転換するしかないが、それでいままでのようなエネルギー量の供給はきわめて難しい。だから、あらゆる面でエネルギー消費を減らすことが求められる。とにかく家庭、社会、企業などで石油、電力などの消費をとことん減らすための取り組みをすべきだということである。

 エネルギーの輸入依存度が極端に高い日本は、省エネなどで輸入を最小限に抑え、初期コストは高かろうと、エネルギーの「地産地消」を進めよとヒューズ氏は言う。同氏が日本に勧める取り組みをいくつか紹介するとーー

 ①建造物のエネルギー効率を最大限に高めるように改良する、②太陽光発電・風力発電などに導入のインセンティブを与える、③自動車なしで移動しやすい都市に改造する、④道路建設計画を中止し、公共交通機関を増やす、⑤在宅勤務、⑥食糧などの「地産地消」、⑦石油などは燃料に使わず、化学産業などの原料にする。 

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2007年11月12日 (月)

「WORLD ENERGY OUTLOOK 2007」の警告

 11月7日に国際エネルギー機関(IEA)が発表したことしのエネルギー・アウトルックについて、W.C.ラムゼー事務次長が12日、東京で説明の会見を行なった。副題が「China and India Insights」というように、急成長する中国とインドに重点を置いた内容。このままでは両国がエネルギー・環境問題に深刻な影響を与えることになることが示されている。

 世界の国々が現在の政策を続けると、エネルギー需要は2030年には今日の50%超になる。世界の一次エネルギー需要増の45%を中国とインドが占める。両国のエネルギー使用量は2005年の2倍以上になる。そして、エネルギー関連の全世界のCO2排出量は2005年の270億tから2030年420億tへと57%増える。2005~2030年における全世界の排出量増加の約60%を中国とインドが占める。中国は2007年に米国を抜いて世界第1位の排出国になり、インドは2015年ごろまでに第3位になる。

 今日、各国で考えられている温暖化対策案をもとに試算すると、2030年の排出量は340億tになるが、それでも2005年より27%も多い。世界の平均気温上昇を2.4℃に抑える「450ppm安定化ケース」を達成するには、2030年のエネルギー関連のCO2排出量を230億tにとどめねばならないし、2012年(5年後だ!)に300億tのピークをつけたあと、急速に排出削減していく必要がある。

 一方、中国とインドがもう少し速い経済成長をすると、エネルギー需要はもっと増え、中国とインドの両国では現在の政策を続けた場合よりも2030年においてさらに21%上乗せとなる。そして、全世界のCO2排出量は2030年において上記の420億tをさらに7%上回る。このケースだと、世界中の国が化石燃料の需要とCO2排出の伸びを抑える政策を緊急にとることが必要である。

 「これからの10年はすべての国にとって決定的に重大(crucial)だ」(田中IEA事務局長)が、その認識が主要国に共有されるか否かが人類の運命を大きく左右しかねない。ラムゼー事務次長は「中国もインドも、自国が気候変動に対して脆弱であることを十分承知している」と語ったが‥‥。

 発表資料を見ていたら、興味深い棒グラフがあった。現在の政策が続いた場合、中国の1900年から2030年までの累積CO2排出量はEUのそれに近い水準に達する。米国のそれの約3分の2にとどまるが、米国の1900~2005年のそれとほぼ肩を並べる。また、インドは1900~2030年の累積で日本のそれと並ぶ。といっても、中国の1900~2005年の累積よりも少ない。

 京都議定書のあとの地球温暖化対策は、世界中の国が集まって決めることだが、実際には、これら少数特定の巨大排出国がトータルとして大幅なCO2削減を実施すると決めればいいことだ。いわゆる大国ないし主要国のトップの責任は歴史上かつてないほどに重い。

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2007年10月30日 (火)

外国人受け入れ政策をめぐるシンポジウムから

 「人の移動と国際機関の役割」と題する合同シンポジウムを聞いた。ここでいう「人の移動」とはmigration の訳で、海外旅行者、海外赴任、留学・研修、国際結婚、出稼ぎ、人身売買被害者、避難民、難民などの総称で、「1年以上の意図をもって通常の居住国を離れる者」のことだという。

 グローバリゼーションに伴う人の移動は送り出し国、受け入れ国にとってプラスとマイナスがある。もちろん、当の人間にとってもプラスの面とマイナスの面とがある。そうした現実を踏まえ、国際移住機関(IOM)、国際労働機関(ILO)、国連人口基金(UNFPA)、国連高等難民弁務官(UNHCR)の4つの国際機関が開催したシンポジウムでは、日本への「人の移動」の実態、課題、対策を議論し、国際機関がどのような形で貢献できるのか、を探るというものだった。

 論点は多岐にわたるが、私の印象に残った点を紹介すると、日本の外国人受け入れ政策には問題点がたくさんあるということだ。9月22日のブログで、坂中英徳氏(元東京入国管理局長)が日系ブラジル人の子供の教育について問題点を指摘していたのを紹介したが、このシンポジウムでもこの深刻な問題の解決に向けて努力すべきだという意見があった。

 立花宏日本経団連専務理事は「奥田前経団連会長は、日本ほど外国人問題について建て前と本音が違う国はないと言っていた」と述べ、「実態は単純労働者がたくさん入っている」、「外国人なしには成り立たない事業分野が多いし、そこでは地域雇用の中核になっている」のだから、日本は多文化共生をベースとした社会をつくっていくべきだと主張した。

 日本の外国人政策の遅れを厳しく批判する井口泰氏(関西学院大学)は「サプライチェーンを通じて5次、6次といった下請けが外国人に劣悪な労働条件や差別をしていたら、トヨタのような会社でも、ISO26000(社会的責任)で指弾される」という趣旨の発言をした。

 日本の政治家がこの問題に関心がないから、官僚も思い切った政策を打ち出そうとはしない。そこが最大の問題である。いまのように政治が内向きの問題にばかりうつつを抜かしていると、確かに日本はいっそう国際社会から孤立してしまうだろう。

 国際機関が初めて一緒になってこうした問題に取り組んだのは意義がある。その背景には、①日本政府は国際機関にたくさん寄付しているが、その割には国際機関を軽視している、②世界の潮流変化に日本がついていっていない、③国際機関の知恵や情報を活用すれば、日本の外国人受け入れ政策は改善される、といった焦燥感に近い気持ちが国際機関の東京事務所の代表たちにあるように見受けられた。 

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2007年10月18日 (木)

コメづくり農家の恐るべき高齢化

 もっぱらコメづくりしかしていない農家、即ち「稲作単一経営農家」の年齢構成(05年)は、70歳以上が49%、60~69歳が27%、50~59歳が11%、‥‥。財政制度審議会の財政構造改革部会(07年10月17日)の資料にある円グラフで、この数字を見て驚いた。

 農林水産省は、販売する農産物のうち、当該作物(例えばコメ)が8割以上という農家を「単一経営」と定義している。そのうち、「主業農家」といって、「農業所得が農家の所得の50%以上で、65歳未満の自営農業従事60日以上の世帯員がいる農家」は稲作の場合、わずか7万7558戸しかない。

 このコメづくりの「主業農家」のうち、65歳未満の「農業専従者」(1年間に150日以上、自営農業に従事した者)がいないのはなんと約40%にあたる3万1258戸である。コメづくり農家の高齢化がこれほど進行しているとは不勉強にも知らなかった。

 サラリーマンなどをしながら休日に農作業をするような「準主業農家」(細かく言うと「農外所得が農家所得の50%以上で、65歳未満の自営農業従事60日以上の世帯員がいる農家」)がコメづくりでは26万6744戸ある。そして、「副業的農家」(「65歳未満の自営農業従事60日以上の世帯員がいない農家」)がコメづくりには56万4517戸もある。

 野菜づくり、果樹づくり、あるいは酪農などの単一経営農家などに比べると、コメづくりの「主業農家」の割合は圧倒的に低い。言い換えれば、もっぱらコメづくりに賭ける農家の割合が極端に小さい。コメづくりに賭けてはいないが、コメ政策に利害関係のある農家の数が圧倒的に多いということである。農業政策がコメ政策に偏るのは、そのせいだ。

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2007年10月 4日 (木)

トヨタ自労組が期間工の組合員化へ

 日本一の会社であるトヨタ自動車の労働組合は、1年を超えて働く期間工(期間従業員)を来春以降、組合員として受け入れる方針という。契約を更新し、1年を超えて働くのを期間工などというのもおかしな表現だが、組合員にすることで賃金などの労働条件を引き上げるのは歓迎だ。日本経済を支える製造業で、トヨタ自に右ならえする企業が続出するのを期待する。

 正規雇用の社員と非正規雇用のパートなどとでは、賃金などの労働条件が全然違う。しかし、企業や役所など多くの職場で、社員や職員は同じ職場で働く非正規労働者の賃金やその他の労働条件が低いのを疑問にも思わないできた。正規の社員・職員は非正規従業員を同じ働く仲間と見ないで、経営側と同じ意識で見下していたのである。企業は生き残るため、こうした雇用の二重構造を維持し、安くすむ非正規労働者の割合を増やしてきた。

 その結果、ナショナル・センターの連合が700万人弱の組合員にとどまり、パートだけでも1200万人に達している。さすがに、労働組合側も自らの怠慢に気が付き、UIゼンセン同盟や全国ユニオンなどが未組織労働者の組織化に取り組んでいる。企業の側でも、近年、スーパーなど流通業界にみられるように、正規と非正規との垣根を徐々に取り払いつつある。

 製造業の分野においては、大企業をはじめとして、偽装請負などの問題が相次いで表面化した。また、企業の死命を制しかねない製品の品質を保つには、非正規雇用よりも、職場に愛着を持つ社員のほうがいい。それに、格差社会を是正するため、企業は社会的責任を踏まえた雇用政策を求められている。

 トヨタ自労組(ということは労使一体なので、企業としてのトヨタでもある)が1年を超えて働く期間工を労組員に迎えると、社員にする可能性が大きいし、社員でなくとも、均等待遇になるだろう。当たり前のことがやっと実現するということだ。日本一のトヨタ自は部品メーカーなどへの影響力も大きいのだから、積極的に均等待遇を広げていってほしい。それはトヨタに課せられたCSR(企業の社会的責任)だと思う。

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2007年9月23日 (日)

シンポ「生物の生存戦略」を聞いて

 大学共同利用機関法人 自然科学研究機構が9月23日に東京で開催したシンポジウム「生物の生存戦略  われわれ地球生物ファミリーはいかにして ここに かくあるのか」を聞きにいった。朝10時から始まって、終わったのは夕方6時近かった。10人の研究者が各30分(オーバーする人もいる)講演し、その内容も実に多様だから、聴衆も相当にくたびれただろう。

 でも、満席の聴衆はほとんど最後まで聞いていた。興味深いテーマばかりで、しかも、それぞれの話が画像、映像を有効に利用してわかりやすく工夫されていたからだろう。立花隆氏が企画し、東京大学の立花ゼミの皆さんが中心になって実現したものだから、専門研究者と一般市民とをつなぐ、こうしたシンポジウムができたのではないか。

 講演は「生命を生み出すまでの宇宙進化」、「無性生殖と有性生殖ーー幹細胞を介した生物の適応戦略」、「昆虫の起源と進化」、「共生と生物進化」等々、興味をそそられるテーマばかり。エーと驚くことばかりだった。いずれ本になるが、じっくり読んだら、おそらくもっとおもしろく思うに違いない。

 シンポジウムは残念なことに、聴衆の多くが60歳代以上で、若い世代はきわめて少なかった。元気で、好奇心が旺盛、かつ学ぼうとする高年者がたくさんいるのはすばらしい。でも、こんなおもしろいテーマのシンポジウムに若い世代が関心を持たない日本は将来が心配不安だ。

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2007年9月22日 (土)

脱北帰国者支援機構代表、坂中英徳氏の話から

 法務省の元東京入国管理局長で、現在、脱北帰国者支援機構代表の坂中英徳氏の話を聞いた。在日韓国・朝鮮人問題や、近年の外国人受け入れ問題などについて語ったが、日本の政治がこれらの問題に真正面から取り組んでいないことに強い不満を表明した。自民党総裁選における福田、麻生両氏の政見では全く触れられていないが、重要な問題点の指摘である。

 福田、麻生両氏は北朝鮮による拉致の問題を取り上げていたが、1959年~84年の帰国運動で北朝鮮に帰国した在日朝鮮人約9万3千人(うち日本人妻など日本人6800人)の救出については何も述べていない。“地上の天国”だと思って北朝鮮に帰国したものの、実際は地獄だった。出国の自由はなく、下層身分に位置付けられ、差別と監視の対象となって、強制収容所に監禁されたり、餓死したりした人が多いといわれる。

 日本に家族が残っている人は、日本から金銭や物品を送ってもらうことが可能だからまだましだ(この人質によって北朝鮮は日本からたくさんの金品を巻き上げたとも言える)が、それができない帰国者は悲惨な状態だという。

 日本人妻は1800人、北朝鮮に行ったが、坂中氏は、そのうち、生きているのは100~200人と推定する。生きているなら70~90歳ぐらいだろうという。彼女たちは山奥で、古代の縄文人のような貧窮生活をよぎなくされている。その人たちの救出を、日本の政治家は金正日総書記に働きかけるべきだと強調した。

 日本人妻は日本へ帰って死ぬのを願っているが、それができず北朝鮮で死んだ場合には、頭を日本に向けて葬ってほしいと言っているそうだ。

 坂中氏は、北朝鮮に帰国した人々は二世、三世を含めると、普通なら現在30万人超でもおかしくないが、実際には20万人ぐらいだろうと推測している。将来、自由に往来する道が開かれれば、半分の10万人くらいが日本に戻ってくると想定し、日本政府は受け入れ体制を整えるべきだという。

 また、坂中氏は、これからの50年間に日本の人口が4千万人も減る少子化対策の1つとして、50年間に1千万人の外国人受け入れを提唱した。そして、いま200万人を超える外国人が日本にいるが、その中で、日系人二世のブラジル人30万人の子弟の教育をきちんと行うことが緊急の課題だと述べた。

 彼らが中途半端の出稼ぎ意識だとしても、子弟がほとんど日本の学校教育を受けようとしない状態は改める必要があるという。このままだと排斥運動が広がりかねない。日本は外国人受け入れのあり方を真剣に考え、他民族との共生の実現を目指すべきだ、それが坂中氏の主張だった。

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2007年9月18日 (火)

高齢化はまだまだ進む

 17日の「敬老の日」にちなんで、総務省が発表した推計(15日現在)によると、65歳以上の人口の割合は21.5%だった。高齢化がここまで進んだか、という感慨があるが、今後、この程度の高齢化ですむわけではないことも確かだ。

 国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、65歳以上の高齢者の総人口に占める比率は2020年には29.2%、2030年には31.8%、2040年に36.5%、2050年39.6%と、うなぎのぼりである。

 現在、15~64歳の生産年齢人口に対する65歳以上の人口の割合は33.1%。要するに、働く人々の3人で65歳以上の高齢者1人を支えていることになる。この割合が2020年には48.7%、2030年は54.4%、2040年67.3%、2050年76.4%にまで上がる。即ち、2020年、2030年のあたりは働く人2人が高齢者1人を支える、それが2050年には4人で3人を支える事態になる。1995年には5人で1人を支えていたのとは恐ろしいほどの違いだ。もちろん、少子化で育児の費用負担は減るが、働き盛りの人たちにおぶさる高齢者の割合がどんどん大きくなると、働く人たちは黙っていまい。とんでもないことが起きてもおかしくない。

 現在の社会保障を享受する高齢者は自己負担をはるかに上回る受益になっている。それが可能なのは、生産年齢人口による負担に加え、国債を大量に発行して将来世代に負担のツケを回しているからだ。現在の高齢者には、いまの医療、介護、年金などの自己負担や給付内容に不満を抱く人が多いが、国全体の現在および将来をみると、現役や将来の世代に負担を押し付け、うまい汁を吸っている世代である。

 日本の社会が持続可能であるためには、高齢者が享受している医療、介護、年金などにおける給付を減らしたり、自己負担を増やしたりするのが筋である。高齢者の耳に痛いことをはっきり言い、社会保障制度のありかたを根本から見直すべきだと国民にきちんと説明するのが現下の政治の責任である。 

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2007年9月17日 (月)

厚生労働白書には年金記録問題の原因追及の記述がない

 厚生労働省が毎年、発行する「厚生労働白書」の平成19年度版が今月14日に発表になった。参院選挙にも大きな影響を及ぼした年金記録問題について、白書がどのように記述しているか、調べたら、252ページで9行、そして301ページから302ページにかけて36行の記述しかなかった。もっぱら対応策の説明である。

 国民年金保険料の免除等に関する事務処理の不正については、301ページで9行の記述をしている。

 そして、303ページで、「厚生労働省・社会保険庁としては、年金記録問題など、近年の度重なる不祥事について、国民の皆様に深くお詫び申し上げるとともに、以上の諸施策を通じて、社会保険事業に対する国民の信頼回復に向けて全力をあげて取り組むことにしている。」と締めくくっている。

 291ページでは、「社会保険庁の組織改革」という見出しで「社会保険庁については、事業運営に関する様々な指摘がなされるとともに、不祥事案も生じたところであり、国民の信頼回復に向けて、業務・組織両面にわたる抜本的な改革を着実に進める必要がある。」と述べている。

 こうした白書の記述には、なぜ、それらの不祥事が起きたのかに関する分析、説明が全くない。これには唖然とする。自らの組織が引き起こした問題の原因を、自ら探るのはやりたいことではないだろうが、再発防止のためには絶対に必要な作業である。

 官僚は自らの過ちを決して認めないといわれるが、失敗の原因の分析、研究なしに、「業務・組織両面にわたる抜本的な改革」を進めると言われても信用できない。

 今年度の白書は第1部「医療構造改革の目指すもの」、第2部「主な厚生労働行政の動き」から成る。第1部では、国民皆保険制度のもとで医療保険制度を持続可能にするため必要な対策をあれこれ述べるとともに、医師不足などの医療提供体制の対策などに触れている。

 ここで興味深く読んだのは、第3章「保険医療・介護をめぐる地域差の現状と課題」である。①1人当たり年間医療費総額が最も高いのは鹿児島県(33.4万円)、最も低いのは埼玉県(17.9万円)。②1人当たりの老人医療費が最も高いのは福岡県(96.5万円)、最も低いのは長野県(63.5万円)。③老人医療費のうちの入院費では、最も高いのは北海道(54.1万円)、最も低いのは長野県(29.5万円)。入院外医療費では、最も高いのは広島県(43.2万円)、最も低いのは沖縄県(30万円)。

 老人医療費の多寡に基いて都道府県をグループ化して分析すると、「病床数と平均在院日数は入院医療費と強い相関関係を有しており、入院医療では、供給が需要を生み出す側面があることを示唆している。」という。ベッド数が多い地域は、それに見合って入院患者を増やすから、医療費がたくさんかかるということである。社会的入院なんてずっと以前から問題にされていたことだが、政府はいまもってきちっとした手を打っていない。

 医師数は毎年、3500~4000人程度増えている。ただ、病院勤務医の繁忙感は強まっているという。一方、診療所の数は増えているものの、時間外、深夜、休日などには診療するところは増えていない。往診を実施する診療所もおおむね横ばいだという。

 庶民は身の回りの医者の様子をみているから、開業医はもうかる、と思っている。私もそう思う。ただし、専門職として、もうけてもいいけど、医者同士で、交代制でもいいから、救急医療を受け入れたり、往診に行ったりしてほしい。大学の医学部に国から多額の財政補助が行われたり、国家試験で医師の資格を与えたりしているのは、医師が公的な役割を担っていることを意味するのだから。 

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2007年9月12日 (水)

子供が18歳になるまで短時間勤務認める会社

 「ただいまー」。子供が学校から帰ると、家ではお母さんらが「お帰りなさーい」と迎える。そんな光景は現代の日本社会では少ない。共働きの家庭が多いからだ。また、片親の家庭もある。

 しかし、子供が健全に育っていくうえで、こうした家族の間のコミュニケーションはとても大事だ。働きたいし、家庭も大事にしたいし、という社員の希望に沿う会社が増えることが日本の社会を豊かにするはずだ。

 きのう(9.11)、日本ユニシスの籾井勝人社長から聞いたところによると、同社は06年9月に仕事と生活の両立支援制度を大幅に改定した中で、子供の養育のため、子供が高校を卒業するまで利用できる短時間勤務制度を設けたという。毎日の勤務時間を2時間短縮(給与はそれに見合って減る)でき、その利用を社員の権利とみなす。

 籾井社長は「街頭犯罪の約4割が14歳~19歳の若者で占められていると聞く。だから、子供の高校卒業時ぐらいまでは、社員が家族生活を大事にできるように、短時間勤務を可能にした。社員にしっかりと働いてもらいたいからだ。政府でやれることはミニマムにし、われわれ民間でやれることをどんどんやっていくべきだ」と言う。

 ところで、同氏の持論だと、高齢社会に入っているので、年金受給者(65歳以上)が市町村の職員になるのがいいという。年金をもらっているから、給与はわずかですむ。65歳で平(ヒラ)の職員になり、80歳で部長になるのがいいという。ご自身も、会社を引退したら、出身地の九州に帰って、自治体の職員になりたい、とのこと。本気か冗談かはさておき、ユニークな発想はこりかたまった頭に刺激を与える。

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2007年7月22日 (日)

『生きる意味』を読んで多くを学んだが‥‥

 知人が読むというのに刺激されて、上田紀行著『生きる意味』(05年1月刊)を読んだ。大学の入試問題に最も引用されたというだけあって、現代社会に生きる私たちが直面している「生きる意味の不況」を突き止め、そこから脱出する道を説得的に論じている。

 私たちの社会では、人々は他者の目にしたがって生きている、数値化と効率化を判断の基準にしている、グローバリズムがそれに拍車をかけている等々。それが、本来、かけがえのない存在であるはずの私たちを苦悩に追いやっているのである。言われてみればその通りだ。

 そこで、著者は、個々人の「内的成長」によって、「生きる意味」を創る社会を提唱する。それは「押し付けられた「生きる意味」ではなく、自分自身の人生を取り戻すこと、それで抑圧された自分自身から<我がまま>に生きることへの転換である。」という。それによって、かけがえのない私たち一人ひとりが皆、尊重し、尊重される「あったかい社会」になると説いている。ここでいう<我がまま>は、自分勝手で他人のひんしゅくを買う<ワガママ>とは違う。「自尊感情、自己信頼があるかどうかが大きな分かれ目になる。」という。

 著者は「釣りばか日誌」の主人公、ハマちゃんの生きかたが望ましいと書いている。私もそうでありたいとは思うが、すべての人がハマちゃん的に生きるとしたら、会社は存立しえないし、高度な技術、巨大組織などに支えられる現代社会は根底から崩れるのではなかろうか。

 また、著者は会社を短期的な利益しか追求しないと切り捨てている。そして福祉などで官がもっと大きな役割を担うべきだと述べている。しかし、これはいかにも薄っぺらな会社観である。朝日新聞の7月18日付け朝刊の社説は、インターネットとともに市場経済のありかたは大きく変わり、市場経済の民主化が起きている、と述べ、官僚などに丸投げせず、オープンな市場の知恵をもっと信頼するよう主張している。

 家庭、村、会社といったコミュニティないし擬似的なそれがほぼ解体したいま、そしてグローバル化にじかに対峙しなければならないいま、一人ひとりが「世界の中心」として活き活きと生きることが可能な社会を築くのは、きわめて重たいテーマであることを痛感した。 

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2007年7月19日 (木)

柏崎刈羽原発全面停止の教訓

 新潟県中越沖地震で停電していた柏崎市などに電気がついたという報道。東京電力柏崎刈羽原子力発電所は停止したままなのに、どこから電気が?と疑問を抱いた人もいよう。実は、柏崎市、上越市、刈羽村、長岡市、新潟市などは東北電力の供給地域なのである。

 首都圏に電力を供給する東京電力は自らの供給地域内に原発をつくりたくても、受け入れてくれる地域がない。それで、東北電力の管内に立地せざるをえなかった。そうした立地難ゆえに、ひとたび立地できたとなると、そこにまとめて何基もの原発をつくる。柏崎刈羽原発には7基(総発電容量821.2万KW)もつくった。だから、ひとたび大地震などによる被害が例え部分的なものであったとしても、安全確認のためには発電所全体をとめざるをえないことがありうる。技術的に安全をとことん追究してきたとしても、潜在的に供給不安定というリスクを抱えているのである。

 原発は大量に冷却水を使用するから、日本ではすべて海に面したところに立地している。しかも、プレートの潜り込みがあるため、海辺は地震で大きな被害を受けやすい。大きな断層があれば、無論、危険だ。数十年のうちに起きると予測されている東海地震などの場合、中部電力浜岡原発に大きな被害が出るおそれがあるといわれる。また、外国が海のほうから原発を攻撃・破壊でもしたら、放射性物質で汚染され、広大な面積がいっさい人の住めないところになるかもしれない。

 東京電力の発電電力量は06年度に原発とLNG・LPG火力とがそれぞれ38%を占めた。電力10社では原発31%、石炭火力26%、LNG・LPG火力24%とやや構成が異なるものの、いずれも原発依存度は30%台と高い。LNG、石炭、石油といった化石燃料はほぼ100%輸入に依存している。しかも化石燃料は地球温暖化に直結している。それだけに、原発依存度を下げるか上げるか、日本は重要な選択を迫られている。

 私たちの経済社会は沢山のエネルギーを消費している。しかし、化石燃料の自給はゼロに近く、原発は放射性物質汚染のリスクがある。エネルギー供給の基盤はとてももろいと言わざるをえない。したがって、いまのところ微々たる再生可能エネルギーの利用を急速に増やす努力を国を挙げて行なう一方で、エネルギー消費をどんどん減らしていくことが大きな課題である。

 いつでもいくらでも電気が使える利便性にどっぷり浸かっている私たちのライフスタイルを改めるのに一番効果的なのは、おそらく、電気の供給が不足し、停電を何度も体験することだろう。個人的には、第二次大戦後に経験したことだが‥‥。あるいは、国を挙げて省エネ・環境教育の社会運動を展開するか、電気代が眼の玉が飛び出るほど高くなるように高額のエネルギー税を課すか。何もしないではすまされない時期は近いような気がする。 

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2007年7月 2日 (月)

医療問題の原因は根深い

 「崩壊する地域医療~命をどう守るか」(東京市政調査会主催の公開講座)を聞きにいった。最近は、医療問題といえば、地方で医師不足が深刻化していることと、産科、小児科、放射線科など特定の診療科の医師がとみに減ってきていることとが主なもの。その対策などをめぐっていろいろ話が聞けた。その中で印象に残った内容を以下に記す。

 電子カルテをいつでもどこでも見ることができる仕組みづくりをしている「どこカル.ネット事業」の統括責任者、北岡有喜氏(国立病院機構京都医療センター医療情報部長)が基調講演を行なった。最近は、ネットなどで病気と治療方法についてくわしい情報を持つ患者やその家族が増えてきた。医者のほうも、患者のデジタルデータをデータウエアハウスに集め、患者の求める医療をテーラーメードで提供するように変わっていかなければならない。EBM(根拠に基づく医療)を行なうようになれば、個々の医療のコストが明らかになるので、診療報酬の適正化につながるという。

 長岡市長の森民夫氏は、市町村の行政があまり関わってこなかった分野として警察、教育とともに医療を挙げた。いまは大した病状でもないのに、やたら大病院に行くし、救急患者が増えている。そこで、市が1千万円出して子供急患センターをつくった。そこで、本当に大病院での治療が必要か振り分けるのだという。これに関連して、子供の身体の具合が悪くなったとき、どうしたらいいか、について母親教育が必要だと語った。

 以前、長岡市では救急救命士の制度をつくろうとし、厚生労働省に要望した。同省は「医師が救急車に乗ればよい」と言って拒否。「もし、失敗したら責任をどうとるのか」とも言ったらしい。森市長は医師の権益を擁護する厚労省および医師会を批判し、保健士等に医師の業務の周辺部分を任せたらいいと述べた。

 岩手県花巻市から来た佐藤かづ代氏(お産と地域医療を考える会)は花巻市が東京都23区の総面積に匹敵する広さがあり、そこでの医師不足で、市民が診療を受けに通うのがいかに大変かを強調。活動を始めた3年半前は産科医不足を問題にしていたが、その後、助産師の利用を中心にお産を考えるようになったという。

 新藤宗幸千葉大学教授(司会)によると、千葉大の中で最もコミュニケーション・リテラシーを欠いているのは医学部の学生だという。

 患者とのコミュニケーションがろくろくできない医者なんてマンガみたいだが、偏差値が高い大学受験者は医学部に行くのをよしとする風潮はいまの医療問題の原因の1つだ。自治医大、防衛医大の卒業生にしても、地方公共団体や国の望む進路をきらって自分の行きたい病院などに行く者が増えているという。

 新藤教授が「使命感のある医師をどうやって育てられるか」と問題を提起したように、医療の崩壊を避けるには、制度上の問題だけでなく、担い手の選別、育成から見直しが必要のようだ。

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2007年6月29日 (金)

長時間労働をなくすことに真剣であれ

 日本経済団体連合会の「企業行動憲章」(最新版は04年5月18日決定)および「企業行動憲章」実行の手引き(最新の第5版は07年4月17日決定)を関心のあるところだけ読んだ。なかでも関心を持って読んだのは長時間労働について、どのようにとらえて、どう改めようとしているか、だった。

 憲章の10項目のうちの第4には「従業員の多様性、人格、個性を尊重するとともに、安全で働きやすい環境を確保し、ゆとりと豊かさを実現する」とある。

 そして、手引きには、その「背景」として(1)人間尊重の経営の堅持、(2)グローバル化の進展、(3)人口減少社会への対応とワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)の推進、(4)持続的発展と競争力強化のための人材育成強化、を挙げている。

 そして、次に①「ワーク・ライフ・バランスを推進するとともに、多様な人材の就労を可能とする人事・処遇制度を構築する」、②「雇用および処遇における差別を行わず、機会の均等を図る」、③「労働災害を防止し、従業員の健康づくりを支援する」、④「従業員の個性を尊重し、従業員のキャリア形成や能力開発を支援する」、⑤「従業員と直接あるいは従業員の代表と誠実に対話、協議する」というように分けて、それぞれ「基本的心構え・姿勢」および「具体的アクション・プランの例」をかなり細かく記している。

 しかし、どこにも長時間労働とか残業といった言葉が見当たらないし、当然、それをなくすとか、減らすとかいう問題意識もうかがえない。「具体的アクション・プランの例」のなかに、「36協定の締結」、「労使による労働時間などの設定改善委員会‥‥を設置する」という言葉はあるが、長時間労働が、本人の健康や家庭生活に悪影響を及ぼし、少子化、子供の非行などを招いたり、男女差別を存続させる要因となったりしているという問題意識が全くない。驚くばかりだ。

 2月14日のブログ「時間外労働と賃金割増率を云々する前に考えるべきこと」で、労働基準法には1日8時間労働、1週間に40時間労働という基準がある(第32条)ことを書いた。労使が協定すれば残業や休日労働させることができる(第36条)が、「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすものでなければならない」(第1条)ことが大前提である。

 「企業行動憲章」を読むと、「ステークホルダーとの対話を重ねつつ社会的責任を果たす」、「法令遵守が社会的責任の基本である」、「企業と社会の発展が密接に関係している」、「国の内外を問わず、人権を尊重し、関係法令、国際ルールおよびその精神を遵守するとともに、社会的良識をもって、持続可能な社会の創造に向けて自主的に行動する」などと美辞麗句を並べている。

 しかし、現実の長時間労働、休日出勤の多さをみると、「憲章」はまさに「百の説法、屁一つ」である。

 それよりも、日本経団連は、残業などをやめて、1日8時間、週40時間の労働時間の中でフルに仕事をし、成果を挙げるように、会員企業に呼びかけたらどうか。企業は生産性が上がり、社員など働く者は家庭生活をエンジョイできる。そして結婚する人が増え、子供がもっと生まれるだろう。それに子供が健全に育つ。一挙にそこまでいかなくとも、一歩踏み出すことが大事だと思う。

 現実の企業は国際競争があるし、そう、きれいごとだけではいかないという事情もあるだろう。知識集約型の産業・企業においては、在宅労働もありうるし、8時間労働という発想が合わない面も出てきている。ホワイトカラー・イグゼンプションの導入を求める理由もわかる。でも、物事を考える基本として、1日8時間、1週40時間を忘れてはいけない。

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2007年6月25日 (月)

地方のバス路線確保は大事なこと

 愛知県のある中小都市を訪れたら、駅からのバス路線が廃止されていた。この市では路線バスは皆無。よそから来た人はタクシーを利用するしかない。もっとも、近年は、市長の発案で、住民のため、昼間の時間帯だけ、タクシーを雇ってコミュニティ・カーとし、特定のコースを30分ごとに走るようにしているという。

 利用者が多くてタクシー1台で乗り切れないときは、応援のタクシーが来るようになっている。利用料金は区間によって違うが、100円、200円などとなっている。昼間だけとはいえ、マイカーがない住民にはありがたい存在である。

 土地の人に聞くと、どこの家もクルマを2台、3台と持っている。どこに行くにも、マイカーを使う。家族が通勤や通学で電車を利用するときは駅へ送り迎えしているという。マイカーが増える→バス利用者が減る→バス会社の経営が悪化し運行本数を減らす→バスが不便になりマイカー依存が増える→バス会社が撤退、というお定まりのてんまつだ。

 でも、世界に冠たる高齢化の進行、石油の値上がり・資源枯渇、二酸化炭素の排出による地球温暖化、等々を考えると、地方の極端なクルマ依存は持続可能ではない。地方に行けば、高齢者の比率が高い。彼らは家族のマイカー運転に頼らなければ、遠出は無理。買い物に行くことさえ容易ではない。石油が値上がりしたため、マイカー依存の暮らしは生活を圧迫している。それに、温室効果ガスの排出を大幅に削減するには、ハイブリッドカーもいいけど、クルマをできるだけ使わない社会システムに転換することが求められている。

 そのための大きな一歩として、地方都市にバスなど公共交通機関がひんぱんに走り、マイカーがうんと減るように社会システムを変えていく必要がある。それを実現するには、まずは自動車・石油にかけている税金(道路特定財源など)を地方公共交通機関の補助に充てるのがいい。地方交付税交付金の算定基準に入れるのがいいのかもしれない。それによって、安くて便利な路線バス、しかも環境にもやさしいといわれるようにしたいものである。

 私たちの社会や暮らしは20世紀の豊かさモデルにどっぷり浸かっている。でも、たくさんの資源・エネルギーを使うから、このモデルは間もなく破綻するだろう。過去の延長線上で何とかなるさ、と楽観したいけど、破綻リスクはあまりに大きい。したがって、いまの経済社会システムをご破算にしてゼロから新しいシステムをつくりあげるという発想で、21世紀の日本を変革していくことが今日の課題である。政府も政治家も、地方の首長も、危機に直面する21世紀の日本と世界のありかたを真剣に考えてほしい。

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2007年5月 6日 (日)

その気にさせるには工夫が必要ーー財政改革も同じ

 同時通訳、翻訳、NPOなど、環境問題を中心に多彩な活動で知られる枝廣淳子さんが「日経エコロジー」6月号に、知っていることと、行動することとの間に大きなギャップがあると指摘している。

 地球温暖化問題について日本人のほとんどは知っている。しかし、その解決のために何かしている人の割合は少ない。その理由は、自分だけ先にやったら損する、とか、自分一人では何も変えられない、ということにある。そこで、「充実感や達成感を感じてもらう工夫が行動を促すうえで重要だ」という。取り組みを普及させるための条件を探り、適合させる手法を、枝廣さんは「広がりのデザイン」と呼び、いま一番力を入れているそうだ。

 「地球温暖化のように抽象度の高い問題の解決に向けて、多くの人をその気にさせるものは何か。」そうした問いと答えの両方を彼女は追求しているわけだが、その視点はそっくり財政危機の問題に当てはまる。

 巨額の財政赤字があることはわかっているが、府省庁、都道府県市町村、特殊法人等それらに準ずる組織などには、自分のところだけまじめにやったら損するだけだ、自分のところだけまじめにやっても何も変わらない、という意識が蔓延している。政治家も同様である。

 そうした中で、各ステークホルダーに、充実感や達成感が得られるようにしつつ、財政改革を推進してもらうにはどうしたらいいか、その手法を私たち市民も考え出していく必要がある。 

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2007年4月10日 (火)

日本は温暖化対策に関心が乏しすぎる

 IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は、世界の科学者が集まって地球温暖化の科学的な解明、温暖化の影響、対応策などを取りまとめる機関。ことしの2月2日に第一作業グループの第4次報告が発表になり、4月6日には、第二作業グループの第4次報告がまとまった。第三作業グループの第4次報告は5月にまとまる予定だ。全体をとりまとめた報告書の発表は11月になる。

 発表になった報告書によれば、温暖化は人為的な影響によるとほぼ断定している。このままだと、人類の多くは21世紀のうちに生存の危機に直面しそうだ。いま生まれた赤ちゃんの大半が生きているうちに、深刻な各種のリスクに見舞われるということである。

 しかし、日本では温暖化への危機感や問題意識が希薄だ。いまだに、先進国全体で1990年に比べ温室効果ガスを5%減らすという京都議定書(2008~2012年の温室効果ガス削減を義務付け)の約束を達成することが政府や企業の大きな関心事である。日本経団連も、自主的取り組みによって産業界の削減目標を達成できると誇らしげである。だが、京都議定書に基づく削減を達成できたとしても、温暖化の勢いをとめることにはならない。

 温暖化の悪影響をできるだけ抑えるには、世界全体として温室効果ガスの年間排出量を21世紀の半ばごろまでに現在の半分以下に削減する必要がある。それを世界各国が合意して実行するのは至難の技だが、人類の運命はその成否にかかっている。

 IPCCの第4次報告は、「ポスト京都」をどうするかを決めるための基礎的な情報である。EUが2020年に20%削減という目標を決めたように、日本もポスト京都について思い切った削減策をまとめて世界に提示すべきだが、政府にも産業界にも、そうした動きがまるで感じられない。IPCCに関わっていて、日本は60~80%を超える排出削減を求められるという西岡秀三氏(国立環境研究所理事)は「工業化以前から2度上昇あたりを危険レベルとすると、もう残り時間は少ない。あと20年ぐらいしかない」と語っているのに。

 日本では与野党とも政治家は目先の選挙のことばかり考えている。地球温暖化対策を声高に訴える有力政治家は皆無だ。政府にしても、環境省はまるで存在感がない。企業の中には、先を見て厳しい環境保全対策に取り組んでいるところもあるが、その数はわずかである。

 メディアは、国民に環境マインドを持ってもらうのに最も貢献しうる存在なのに、新聞、雑誌、テレビは温暖化問題をほとんど扱わない。IPCC第二作業グループの第4次報告発表は、新聞でいえば一面トップで扱うべき問題なのに、そうではない新聞ばかりだった。一過性の問題ではないのだから、キャンペーン的に繰り返し取り上げるのを使命とするメディアが1つぐらいはあっていい。いずれにせよ、いまのメディアの体たらくでは、資源やエネルギーを大量に消費するライフスタイルを変えようという国民は少ないだろう。

 日本は環境対策で進んでいると自負してきたが、温室効果ガスを半分に減らすような対策は持ち合わせていない。だが、科学的なアプローチによる知見から目指すべき削減目標をまず立てること、そして、それに基づいていまからどのような対策を実行していくかを決めることが重要だ。目標を達成するには、政治家も、役人も、企業も、個人も、経済や生活のありかたを根底から変えることを求められる。それほど大きな転換点にあるのだ。メディアは自らの社会的使命を自覚してほしい。 

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2007年1月12日 (金)

「超便利社会が子供を黙らせる」

 藤原和博氏といえば、いま東京都杉並区立和田中学の民間人校長として大活躍している人。彼の名を知ったのは、『世界でいちばん受けたい授業』(2001年刊)が出て間もない頃だ。同書の中の「1個のハンバーガーから世界が見える」を読んでショックを受けた。こんなにすばらしい授業の仕方があるのか、と。いまも同中学で「よのなか」科の授業を行い、注目されている。その藤原氏の講演を聞くことができた。

 ○学校について:かつては、子供を大人化する(社会化)機能が家庭、地域、学校の三者で分担されていた。だが、家庭も地域もその機能が低下し、その分、学校に期待するようになっている。その結果、学校の先生は超多忙になり、子供と向き合う時間が減っている。そこで、和田中では、かつてのように先生には授業、部活、生活指導に専念してもらう。それ以外は地域社会に戻す。といっても学校内に「地域本部」をつくり、ボランティアに来てもらう。和田中は、地域社会とネットワークを組むネットワーク型学校だ。

 ○コミュニケーションについて:いまの子供たちはコミュニケーション能力がものすごく劣化している。話しかけても、「ふつう」、「まあまあ」、「微妙」などと答えるだけだ。これは、超便利社会が子供を黙らせる、換言すれば、超便利社会に復讐されているということである。コンビニに行っても、言葉を一言も発しないで買い物ができる。家庭でも、黙っていても食事は出てくる。子供のほうから何もしゃべらなくていい。

 教育はずっと正解伝授主義できたので、子供たちはどんな問題にも正解があると思い込む。欲しいものは自らつくるのではなく、完成品を買えばいいと思う。就職についても、A社、B社、C社などのうち、どれにするかという、完成品を買う感覚。だから、思った通りでないと会社をやめる。世の中の問題には正解がないとか、自分から世の中を変えていくという感覚が乏しい。

 中学生は、世の中のことに関心があり、本当はしゃべりたい。「よのなか」科では自殺・安楽死、結婚・離婚、生殖・倫理、宗教などタブーとされるテーマを扱う。きれいごとはやめて、本音のところを授業で取り上げると、皆しゃべる。

 ○教育改革について:法律や制度が悪いわけではない。運用が悪い。文部科学省では校長は専任でなければならないと言っているが、兼業を可能にして民間人校長を10年間に3千人入れたらいいと提案している。その際、60歳以上でも雇うようにすればいい。政府の教育再生会議には中学の専門家がいない。文科省にもいない。14、5歳の頃は独特の時期で、中学生を大人にする教育が必要。小学校の延長で中学校を考えていてはだめだ。 

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2006年12月20日 (水)

気候変動に関するスターン報告

 英国政府の依頼でニコラス・スターン博士らがことし10月にまとめた「STERN REVIEW:The Economics of Climate Change」は、世界が、人類が、確固たる地球温暖化対策に早期に取り組む必要があることを求めた。

 このまま二酸化炭素など温室効果ガスの排出を続けたら、2035年には大気圏内の温室効果ガスの濃度は産業革命以前の2倍となり、世界の平均気温は2度以上上がると予想される。長期的には、5度以上上がる可能性が50%強に達する。スターン報告はそう言っているが、気温が5度以上も上がったら、人類は破滅に近い状態に陥るだろう。

 報告によると、温室効果ガスの濃度は二酸化炭素換算で現在430ppm。毎年2ppm強増えている。これを450~550ppmにとどめるなら、気候変動による最悪の影響はかなり減らせるという。そのためには、現在の排出量を少なくとも25%、おそらくはそれ以上減らす必要があるとしている。

 いますぐにそうした強力な排出削減策を講じれば、そのコストは世界の毎年のGDPの1%程度ですむ。さもなければ、気候変動によるリスクとコストの総額は現在および将来の世界GDPの少なくとも5%にあたる。より広範囲のリスクや影響を含めれば、GDPの20%もしくはそれ以上の損失をこうむる可能性があるという。〔「20%以上」というのが最大何%なのか。2つの大戦および20世紀前半の世界恐慌に匹敵するとしか、言及していない〕

 これから10~20年間の排出削減への取り組みいかんが今世紀および来世紀の気候を大きく左右する。ひとたび深刻な気候変動が始まったら、それをとめることは非常に困難もしくは不可能である。

 したがって、報告が指摘するように、国際社会は、長期目標に向けての共通のビジョンと、今後10年間の対応策を促すための枠組みとに対する合意を形成しなければならない。

 現在の世界は経済の発展、豊かな生活、大量の資源エネルギー消費を当然視している。しかし、地球温暖化による気候変動の影響はあちこちに現れてきている。そうした中で、スターン報告を素直に読めば、資源エネルギーを大量に消費する国々(先進国や経済発展のめざましい途上国)は経済や暮らしのありようを大きく転換しなければいけない。

 日本でも、もっとスターン報告を真剣に受け止める必要があるが、どうしたことか、その気配がない。依然、京都議定書の6%削減義務を達成することにしか目が行っていない。

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2006年12月13日 (水)

“夜回り先生”が語る子供の苦しみ

 “夜回り先生”水谷修氏の講演を聞いた。新聞記者の夜回りは昔からある。だが、夜、眠らない少年少女たちが夜の世界や、非行、薬物などで不幸になっていく、あるいはリストカットなどで苦しんでいるのに対して、救いの手を差し伸べてきた水谷氏の“夜回り”話は聞く者の心を揺さぶる。私なりに聞いた話のポイントをまとめると、以下の通りである。

 夜、家に帰らず朝まで街で起きている子供たちを救おうと、彼らに声をかけ、悩みの相談相手になり、トラブルの解決を手助けしてきた。その過程で、薬物の問題については、ライフワークと思って取り組んだ。薬物だけは、やるとやめられなくなる(依存症)し、脳や神経系をやられるからだ。15年間取り組んだので、薬物には日本一くわしくなった。薬物の流入をとめるのは難しい。国民は薬物にもっと危機感を持ってほしい。

 6年前、リストカットの女子高生から相談を受け、これについても勉強し、取り組んだ。リストカットはさまざまな自傷行為の一つだが、リストカットをやっている10代、20代の若者たちは、同世代の7%ぐらいいるだろう。その原因は、彼らの自己肯定観が低いことがある。言い換えれば、自分はだめな人間だと思い込んでいるのだ。

 その背景には、社会がものすごく攻撃的になっていることがある。バブル崩壊後、イライラが大人にたまっている。父親は職場でストレスがたまる。それがもとで妻にあたる(ドメスティック・バイオレンスになることもある)。母親は子供にあたる。また、子供は学校で叱られる。中高校生の7割は学校でほめられるよりも叱られるほうが多いと答える。子供たちの人権が一番侵害されているのは家庭と学校だ。

 いま、子供たちが苦しむ姿は4つのタイプに分けられる。第一は、夜の世界に入る。ただし、このタイプは減っている。暴走族はほとんどなくなった。第二は、いじめ。これは増えている。いじめる側の子供たちにとって、いじめはたまっているものを吐き出すガス抜きになっている。第三は、不登校。やさしい性格の子供は逃げて学校に行かなくなる。さらには、引きこもる。第四は、まじめで登校はしているものの、夜、眠れない。そこでメールなどで見えない相手に救いを求める。それでだまされたりする。

 皆さん、近所の学校に行って、生徒の顔をみて握手してご覧なさい。皆さんの目を見て握手できる子供は少ない。それに、彼らは手の力がなくなっていて、手が丸くなっている。ペットボトルを片手でつかめず、両手で抱えて飲む。

 政府は家庭を軸に再生しようとしているが、家庭がひどければ、子供を救えない。街全体で救うようにしたい。そこで、子供たちが集まれるところをつくってもらおうと青年会議所やお寺、教会にお願いしている。2年で1800ヵ所用意できるのではないか。

 子供たちは大人による犠牲者だ。私は子供たちを叱ったことはない。私はほめる。試験でいかに満点をとらせるかに懸命になる。ほめられたことがない子供がほめられたとき、どんなに喜ぶことか。学校の先生には、とにかくいいところを見てほめてあげて、と言っている。

 教師の7~8割は土日もなく、夜8時や9時まで働いている。いまの問題は教員にゆとりがないことだ。教員にゆとりをもたせよ、それさえやれば、日本の教育には何の問題もない。

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2006年12月 3日 (日)

旭山動物園長はすごい人だ

 日本でいま最も人気のある動物園といえば、旭川市の旭山動物園だ。

 このほど「人間と動物との新しい触れ合い方を多彩に創出し、廃園の危機から十年あまりで「入園者数日本一」まで育て、新たな動物園のスタイルを創設すると共に、地方活性化の新しい可能性を提示した。」として菊池寛賞を受賞した。

 また、「生き生きとした動物本来の生態をありのままに見せる「行動展示」という手法を考案し‥‥」などとして、日経BPから小菅正夫園長が「日本イノベーター大賞」を受賞した。これらの受賞のため上京した小菅園長の会見を聞いた。

 「人間は人間以外の動物を馬鹿にしている。幼稚園児でも、ゴリラを見ると、「ゴンタのバカヤロー」という。ゴリラは悲しそうな顔をする。このように、人間は野生動物を尊敬していないが、彼らはすごい能力を持っている。そのすごさを知れば、人間は(絶滅のおそれのある野生生物を)残そうと努力するだろう。私たちは、人々に知ってもらうことで種の保存に貢献できればいいと思っている。」

 「従来、動物園では世話をする人が動物のうしろにいるから、動物は餌をくれたりする世話係のほうを見ている。つまりお客さんに背を向けていた。そこで、お客さんと動物の間に世話係がいるようにした。」

 「すべての動物が命を持っている。その「命を伝える動物園」をテーゼにやってきた。命を伝えるといっても、それは命の触れ合いからしか認識できない。そこで、こども牧場をつくり、抱いたり、触れ合ったりするようにした。」

 「動物は目的のない行動はしない。食べ物を求めるか、生殖のため異性を求めるか以外は寝ている。猛獣は生き物をとって食べるが、それは動物園ではタブーだ。そこで、ライオンやひょうなどが目の前で寝ているのを見てもらえるようにした。」

 「一つの命に、一つの環境(飼育場)を用意しなければいけない。虎とライオンとでは、まるで違う環境に置いてやらねばならない。旭山動物園では、命と、命を育む環境を皆さんに伝えたい。」

 「あざらしは地表ではおどおどしているが、水中では全く違う。また、彼らはものすごく好奇心が強い。だから、旭山では、あざらしが人間を見に行く。最近は人が多いのに飽きたらしく、そっけない。」

 「おおかみを新たに展示したい。北海道では1900年に絶滅した。酪農に役立たないとして人間が30年で絶滅させたからだ。しかし、おおかみは気持ちがこまやかで、家族愛、家族意識が強い。そうした本当の姿を知らせたい。いま、おおかみというと、悪いイメージばかりだが、それは西欧のイメージだ。日本ではもともと、いいイメージだった。稲作の日本では、おおかみが草食動物を食べてくれたからだ。」

 安田喜憲著『日本よ、森の環境国家たれ』によれば、「縄文時代以来の森の神々の中でもっとも強い神がオオカミだった。」、「日本のオオカミは、アンデス文明のジャガーと同じで、森の王であった。森の生態系の頂点に立ち、生態システムを維持してきた。」、しかし、「森を破壊する「家畜の文明」をもつ人々によって、オオカミは神の座から引きずり下ろされ、家畜を食い殺すもっとも憎むべき対象にされ、絶滅へと追い込まれていったのである。」

 小菅園長はそうした生態系と人間との関わりを根底に置いて、旭山動物園のありようを追求しているのである。二つの賞が表彰理由に挙げていない高次元の視点で運営されているのはすごいことである。

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2006年7月27日 (木)

よき未来への思いを共有したい

 環境問題に関心を持ち始めたのは1989年。最初はごみ(廃棄物)問題に関してだった。その後、地球温暖化、有害化学物質、水などへと関心が広がった。そうした過程で、サステナブル・ディベロップメントなどの用語から、サステナブル(持続可能な、とか、維持可能な、と訳される)という言葉を知った。

 一方、1、2年前から、日本の財政危機とか、財政再建といわれるものにも強い関心を持つようになった。国も地方も財政の大赤字が続き、借金は膨らむ一方だ。このままでは、いずれ財政破綻する。小泉首相は経済財政諮問会議を利用して、まずは2011年度に基礎的財政収支の黒字化を達成しようとの「骨太の方針」を7月にまとめた。だが、財政のサステナビリティを実現するのは容易ではない。

 地球温暖化などの環境問題にせよ、国と地方の財政赤字問題にせよ、国民の多くは多少なりとも知っていると思う。ただ、きょう、あすの問題ではないように思っているのではないか。しかし、危機が表面化してからでは遅い。いまから、国民一人ひとりが問題の解決をめざして何らかの行動を起こすときだ。そんな思いをできるだけ多くの人と共有したい。

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