2009年10月 6日 (火)

中国の労働事情を『階級のない国の格差』(増田英樹著)で知る

 「誰も知らない中国労働事情」の副題が付いた書物『階級のない国の格差』(増田英樹著、09年7月、教育評論社)を読んだ。中国については、貧富の格差がきわめて大きく、都市民と農民との戸籍(実質は身分)の違いによる格差や、沿海部などの都会に出稼ぎに来ている農民工がさまざまな差別を受けていることなどが知られている。

 中国の労働事情を紹介する本書は、中国には日本のような労働組合が存在しないことをはじめとして、日系企業が争議などに巻き込まれないようにするにはどうすべきか、などを述べている。

 同書によると、中国は社会主義の国だから、制度上、労使対立を前提とする労使関係なるものは存在しない。だが、賃金などに不満を持って山猫ストのような不法ストが起きることがある。そうしたストが起きたら、民主化運動などをおそれる政府や管轄の当局は労働者の側に立ち、日本企業には泣いてもらおうとするという。

 朱鎔基前首相の国有企業改革は鉄碗、つまり終身雇用を解体したが、その後の新しい労働契約法(08年施行)は終身雇用制を法律で定め、奨励している。一方、中国の労使関係には正社員の概念はなく、契約をベースとしている。契約切れで退職がスムースに行えるようにきちんとした評価制度をつくっておくことが重要である、と指摘している。

 同書の末尾にある「解説」は安室憲一大阪商業大学教授が書いており、中国の労使事情をコンパクトにうまく整理してある。それによると、もともと国有企業において、経営者側と労働者代表とが労働条件についての苦情を処理するときに社内の第三者委員会を介して話し合う。それが「工会」であり、工会は役員や社長はじめ全従業員が加入するというものだった。

 改革開放以降、「工会」を資本主義国の労働組合に見立てた。だが、朱首相の改革の結果、同じ企業の中に正規従業員と非正規雇用の農民工などが並存するようになり、非正規の従業員は「工会」によって護られないという「格差」が生じた。農民工などのブルーカラーが反乱を起こすと「工会」は無力化するという。

 安室教授によると、「世界の工場」というのは低賃金の委託加工にすぎない。だから、長時間労働など労働法を無視した労働強化が行われる。そこで、中国政府は委託加工モデルから労働者の熟練による高度製品の生産へと転換しようと考えているという。搾取をなくし、秩序ある法治主義の国をめざしていると指摘する。

 同書で、日本の労働組合と「工会」とは異質のものだとわかったが、日本における非・常用労働者の労働組合との関係と、中国の農民工などと「工会」との関係とは類似していることを知った。

 

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2009年6月16日 (火)

安心社会実現会議報告の目新しさ

 政府の安心社会実現会議が15日に報告をまとめた。この“安心社会”という言葉にはどうも引っかかるものがあるが、それはさておき、評価したいのは、「高齢者支援を引き続き重視しつつも、若者・現役世代支援も併せて強化しながら‥‥」、「現役世代および次世代を対象とした給付の比重を拡大していく必要がある」との認識を示したことである。

 「日本の高齢者一人当たり支出は現役世代向け支出の17倍であり、この比率はOECD諸国平均の倍以上になる」。このように、高齢者を支えるためのお金が現役世代にとって大きな負担になっているという実態を認め、それを改める必要があることを明らかにした。

 報告は、消費税を含む税制の抜本改革については、消費税の引き上げは無論のこと、所得再配分機能の強化、低所得者対策(給付付き税額控除、消費税給付返還制度の導入)や世代間分配の促進(無利子非課税国債)などを含むと述べている。これらを実施するには、安心保障番号の導入などが前提になるが、大筋としては今後の日本社会に必要な改革だろう。

 ちょっとおかしいのではないか、と思った個所がある。「日本の企業は、株主ばかりでなく地域社会や従業員も大事にして公共性を重んじてきたが、その伝統が生かされていない」という文章である。戦後、一貫して日本の企業は株主を軽んじてきた。株主のことをまともに考えるようになったのは、外国のマネーが日本企業を買収するのではないかという不安にかられてからだ。

 会社の利益が増えようと、配当はずっと額面の一割しかしないとか、株主総会はとにかく早く終わらせようとし、総会屋を使ってまでして株主に発言させないようにしていた。そんなこんなを思い出せば、報告の記述が間違っていることは明らかである。 

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2009年5月 3日 (日)

「日本国際賞」受賞者、デニス・メドウズ博士の講演から

 ローマ・クラブの報告『成長の限界』(THE LIMITS TO GROWTH)のプロジェクト・リーダーを務めたデニス・メドウズ博士が2009年の「日本国際賞」を受賞した。受賞のため来日した博士は4月21日、記念講演をした。その要旨を読んで、なるほどとうなづくところがいくつかあった。

・『成長の限界』の結論は爆発的な反応を起こしたが、批判者も支持者も同報告をきちんと読んでいなかった。いまだに、丁寧に読む読者はあまり増えていない。今日ですら、ほとんどの専門家に大きく誤解され、誤り伝えられている。

・いま、振り返ると、報告のタイトルを付け間違ったのだろうと思う。私たちは「物理的な成長には限界がある」ことを指摘したとして知られているが、それは本質的な論点ではなかった。私たちの貢献は「有限の世界で、成長重視の政策がどのように社会を揺るがす大きな問題状況につながるか」を語ったことだった。私たちが語ったのは、再生不可能な資源の量など地球の能力の限界についてである。

・「限界」は最終的な結論ではなく、最初に置いた前提だった。私たちは、地球がいかに豊かで大きかろうと、地球は物理的に有限なので、無限に物理的な成長を続けることは不可能だ、という理解から研究を始めたのである。

・人口の伸びや経済成長を規定している現在の政策は、本質的に幾何級数的なものである。したがって、世界の人口、エネルギー消費、物質フローはあっと言う間にそれぞれの限界にまで増える。成長は行き過ぎと崩壊を通して、間もなく突然終わる。

・現在の経済問題を解決するためのなりふり構わないお金のかかる政策は、かつての幾何級数的な経済成長路線へ戻そうとするものである。こうした政策は効果がないか、そもそも今日の問題を引き起こした制度や考え方を存続させて事態を悪化させる。根本的に異なる政策が必要なのである。 

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2009年4月19日 (日)

人材派遣協会理事長が指摘する問題点

 先週、日本人材派遣協会理事長の本原仁志スタッフサービス・ホールディングス代表取締役社長の会見を聞いた。“派遣切り”などの問題を考えるうえで重要な問題点を指摘していた。私が関心を抱いた指摘を紹介すると、おおよそ次のような内容だった。

 2004年、製造業への派遣が認められた背景には、製造業の現場の人手不足があった。若者のものづくり離れだ。高校卒で社員として採用しても、半数が3年以内にやめてしまう。このため、大企業は別として、中小企業はスピーディーにその穴を埋めることができないから派遣に頼らざるをえなかった。今後、製造の領域では請負化に向かうが、小さい製造企業では派遣が残るだろう。

 製造派遣が増加したのは国際競争の激化もあるが、偽装請負をやめた結果、約100万人いたうちの半分が派遣に移ったからである。製造現場では800万~900万人が働いているが、そのうちの10%が派遣だった。

 “派遣切り”はもっぱら自動車、電機の業種だが、これらは単純労働だから。化学業界などの製造現場は業務がもっと複雑だから、派遣労働者を使っていない。

 人材派遣業は労働力の需給を調整する役割を持つ。第1に、求人と求職のズレを補正する。自分でハローワークに行って仕事を探すことができない、自信のない人を受け入れている。第2に、労働条件に制約がある人材(例えば、女性、高齢者)を活用する。第3に、企業に代わって教育訓練などを行ない、人材を育成する。読み書きソロバン、社会人としてのマナー(あいさつ、基礎的なコミュニケーション、時間を守るなど)、ホウレンソウ(報告、連絡、相談)などに力を入れている。

 業務知識の教育や、キャリア教育(目標設定教育)も行なっている。彼らは目標設定がなかなかできない。それができれば、学ぶという動機につながる。

 派遣労働者は高スキル層が約20万人、中スキル層が約100万人、低スキル層が約50万人といわれる。業界では中スキル層は正社員化を支援する。低スキル層に対しては就業意識やビジネスマナーに課題があるので、基礎的な訓練を行なう。

 中学、高校の職業教育見直しが必要。実社会に即した教育内容にして自立を促すべきだ。即ち、職業意識と生活設計力の形成、労働社会保険や税、年金の仕組みの教育が必要だ。ころころ転職するのもこういうことを知らないからである。

 介護労働者が不足する介護施設には、介護労働者を受け入れるうえで、労務管理や育成をどう改善していくかの問題がある。お互いが気配りする必要があるが、いまは、行って2日ぐらいでやめてしまうことが多い。だから、介護施設の管理者の教育を我々にもさせてほしいと言っている。

 派遣労働者のうち、職場の正社員と不仲なのは3分の1だ。その原因は、正社員の雇用条件に問題があることが多い。正社員は年功序列型賃金なので、単純業務をやっている年配の正社員と一緒だと、「働きもしないのに高い賃金をもらっている」ということで、仲が悪くなりやすい。

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2009年4月17日 (金)

人口統計に見る少子高齢化

 総務省が昨年10月1日現在の我が国の推計人口を発表した。総人口は1億2769万人で、1年前より7.9万人(0.06%)減った。3年ぶりの減少とのことだ。

 生産年齢人口(15歳~64歳)は64.5%、高齢者(65歳以上)は22.1%、14歳以下は13.5%である。高齢者と生産年齢人口の割合はおよそ1対3。細かく言えば、現役世代の3人弱で高齢者1人を支えている。社会保障などを考えるとき、そういう解釈が一般に行なわれている。私もそう書いたりした。

 この3区分は、肉体的にも精神的にも働くことができる年齢というとらえかた、および国際比較の観点から、生産年齢人口の年齢の定義を15歳~64歳としているのだろう。しかし、日本社会の実態を踏まえると、少し違った風景がみえてくる。

 日本では高校進学率が約9割というから、生産年齢人口は実際には18歳以上と見ていい。しかも、大学・短大への進学率は約5割に達する。それに、最近は60歳定年で完全に引退する人は少なくなった。それでも、大企業などでは、63歳ぐらいまでには引退する人が多い。

 そうした実情を考慮に入れると、日本の生産年齢人口は18歳~63歳とみたほうが適切ではないか。比率にして59~60%程度ではないか。生産年齢人口が支えるのも、64歳以上の高齢者と見たほうが実態に近いのではないか。その対象の人口は23%ぐらいである。そういう補正を加えると、高齢者1人を3人で支えるというよりも、高齢者1人を現役世代2.5人程度で支えているという解釈も可能だ。そこまできているわけである。

 ところで、発表によれば、75歳以上の人口の割合は10.4%におよぶ。これを都道府県別にみると、比率が高いのは島根県15.9%、高知県15.1%、秋田県14.7%など、低いのは埼玉県7.4%、神奈川県8.0%、愛知県8.1%などである。高齢者比率の高い地域は概して人口の減少が顕著だ。

 明治生まれは総人口のわずか0.2%しかいない。大正生まれも4.4%にとどまる。少子化が進んだ平成に生まれたのは18.0%であり、昭和生まれが77.4%と圧倒的に多い。人口グラフにおいて、昭和生まれは膨らんだまま上にシフトしていき、不安定な感じがずっと続くと思われる。

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2009年4月 1日 (水)

塩崎恭久議員のトップリーダー論

 衆議院議員の塩崎恭久氏(自民党、元官房長官)が1日、日本記者クラブで、危機だからこそ国家ビジョンが必要だと語った。「いまの政治不信、政党不信は、日本の将来をどうするかについて自民党も民主党も応えていないからだ。国家ビジョンを掲げる政治を取り戻さないとまずい」と述べた。自民党の若手議員が中心になって、総選挙に向けてマニフェストをつくれという主張を同日、発表するのも、そういう背景からだという。

 「トップリーダーがこういう国にしたいというのが先にあって、それについて有識者の意見を聞くのが順序」という塩崎氏は、麻生首相が最近、各界の有識者の意見を聞く会合を持ったのは、その点で、順序が逆であると指摘した。

 塩崎氏自身は「新しい国のかたち」として、5つの分野で日本が「世界の中心地」となることを目指すというビジョンを語ったが、それは、「どこの国でも、党総裁のビジョンをもとにマニフェストをつくるのが当たり前。麻生さんにもビジョンを語ってもらいたい。そうした空気になることを願って、私のビジョンを出した」とのことである。ビジョンの具体的な内容は『中央公論』5月号に書いてあるそうだ。

 我が国の2009年の実質経済成長率は世界銀行の予測だとマイナス5.3%、OECDの予測ではマイナス6.6%と主要国の中で最も落ち込む。「昨年11月から今日の事態を見通していた。経済対策のペースが遅すぎる」という塩崎氏は「新しい国のかたち」の実現のため、「未来投資特別勘定」を別枠で設けて、2年間に少なくとも50兆円を投入するよう求めた。その財源については、日銀引き受けもありうると述べた。

 ところで、いずれ政界再編は必至とみられているが、塩崎氏は「再編にあたっての大きな柱は経済政策、社会保障政策、外交政策の3つだろう」と指摘した。 

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2009年3月24日 (火)

社会の雰囲気を反映した政労使合意

 23日に麻生総理大臣、御手洗日本経団連会長、高木連合会長らが首相官邸で会い、「雇用安定・創出の実現に向けた政労使合意」に署名した。経済危機で深刻化した雇用不安に対して、政府、企業、労働組合が雇用の安定、さらには雇用の創出に一致協力して取り組むことに合意したことを示す。派遣切りなど非正規雇用の問題が社会問題化したことなどを受けて、雇用問題の重要性が社会に浸透した結果だ。労使協調に政府も加わった日本型社会契約と評価することもできよう。

 「雇用安定・創出の実現に向けた5つの取り組み」は、①雇用維持の一層の推進、②職業訓練、職業紹介等の雇用のセーフティーネットの拡充・強化、③就職困難者の訓練期間中の生活の安定確保、長期失業者等の就職の実現、④雇用創出の実現、⑤政労使合意の周知徹底等、である。

 政府が行なう雇用調整助成金の支給迅速化、内容の拡充や、中小企業の資金繰り支援などについては、予算などをつければ実現するだろう。その点で意味がある合意だ。また、経営側が約束したのは「努力する」という類のものだが、日本商工会議所会頭なども同席しているので、オール経済界としての経営側の取り組み姿勢を社会に示したものと言えよう。

 しかし、労働側の取り組みもいろいろ書かれているが、ちょっぴり違和感を感じた。即ち、「労働側は自らの職業能力の開発向上に努力する」、「ハローワークによる指導、援助に応え、誠実かつ熱心に求職活動を行い、就職できるよう努める」、「労働側は新たな事業分野についての理解を深め、労働市場の実態を踏まえた適切な職業選択を行う」という内容は、失業し、求職中の人々になりかわって、連合会長が書いたものだろうか。

 連合は正社員中心の労働組合のナショナルセンターである。基本的には正社員の利益を代弁し、非正規雇用の人たちを事実上無視してきた。その連合の代表が政労使合意に署名し、求職者に対して「ハローワークによる指導、援助に応え、‥‥」などと言うのは倣岸不遜のような気がする。別の言い方をすれば、連合は政労使合意にあたって、ほかのナショナルセンターの意見や就職を支援するNPOなどの意見を聞かないで、自らを全労働者の代表みたいに勝手に思い込んでいるのだろう。

 政労使合意の文書には、ハローワークを重視し、拡充・強化するといった趣旨の内容がさりげなく書き込まれている。繰り返してだ。そして「(経営側は)ハローワークによる職業紹介に協力する」という部分もある。最近は、「官」がここぞとばかり、復権に乗り出しているが、ここにも、そういう構図がうかがえる。日本経団連も、連合も、日本の官僚政治の本質である既得権の維持ないし権限の拡大をわかっていない。

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2009年3月 7日 (土)

「人財力」の劣化が心配

 3月3日の経済財政諮問会議は成長戦略を集中審議するとして、まず、健康長寿、底力発揮(人財力)、底力発揮(コンテンツ)の3つを取り上げた。民間議員からは、戦略的に重要な分野を支えるための「人財力」、技術力を高める観点から、「非正規労働者を含め、若手・中堅を中心とした人材育成の強化や、新しいフロンティアを生み出す研究基盤の整備に官民あげて取り組むべきである」として4つの論点が提示された。

 第1に、「企業等における人材育成の強化、特に非正規労働者の能力開発を社会全体で支援していく取組を強力に進めるべきではないか」。第2に、「世界最先端の研究を支えるハード・ソフト両面にわたる研究体制の刷新を進める必要があるのではないか」。第3に、「理数・英語教育、キャリア・職業教育の充実、世界をリードする大学としての機能強化を推進すべきではないか」。第4に、「博士課程修了者が十分に活用されていない問題について、大学や産業界等の関係者で、原因の分析とともに解消策を検討すべきではないか」。そして、それぞれの論点に対して、推進方策を数項目ずつ示している。

 例えば、論点1では、離職者に対する生活費支援付きの職業訓練システムなどをあげており、論点2では、「環境エネルギー技術革新特区」の創設など、論点3については、小学校の理科、算数、英語の教育の強化のための人材確保(外国人を含む)などをあげている。

 だが、日本の「人財力」を向上させようとするなら、もう少し、子供の頃からの、しつけ、“読み書きそろばん”といった基礎的な知識の習得、社会や自然との関わり、仕事・働くことの意味、そして学ぶことの大切さ、などを身に付けるように、政府をはじめ、小学校から大学までの教育機関、地域、家庭などがこぞって取り組むようにすることが必要ではないかと思う。

 地方の私立大学で教えたとき、そこの大学4年生で新聞を読む者は皆無に等しかった。新聞の1面にあるコラムを読ませたら、字が読めない、読めても意味がわからないという学生がほとんどだった。また、分数と小数の転換がわかっていないとか、距離と時間と時速の関係が理解できていない学生も多かった。そして、いまでも強烈に記憶しているのは、9.11の同時多発テロが起きて3、4日経ったときにクラスの学生にたずねたら、事件そのものがあったことすら知らない学生がいたし、どこで何が起きたのか、誰がやったのか、などについてきちんと理解している者は一人もいなかったことである。

 どうして、こんなに学力が低いのか。また、社会への関心が低いのか。それは、小学校か中学校の頃に、もう勉強がわからなくなり、学ぶ意欲を失ったまま、高校、大学へと上がってきたからだろうと思う。少子化で大学に入りやすくなり、必死に受験勉強をしたことがない生徒・学生が増えているのだ。

 そもそも義務教育のときに、授業が理解できなかろうと、トコロテン式に卒業させるのがずっと続いている。そうした問題点を解消するためには、授業がわからない生徒を相手に個別に教えるとか、学校外のプロの協力を得たりして生徒の興味をひくような授業をするなどの改善が必要である。彼らはケータイをやすやすと使いこなしていたように、知能は必ずしも低くはないが、勉学意欲が全くないのである。

 携帯電話は深く彼らの日常に入り込み、若者の多くは1日に何時間もケータイに費やしている。大人もそれに似てきていて、空いている時間に、一人で考え事をしたり、書物を読むという人は少なくなっているように思える。若者も大人も、アタマを使う、知的な時間の過ごし方を苦痛に感じるようになっているからだろう。

 若者の多くは身近の些事にしか関心がなく、外国など遠いところとか、過去の歴史、未来には関心が乏しいようだ。つらくても、頑張っていれば、よい結果が得られるかもしれないという類いのものにはあまり耐えられない。仕事も、自分の意に染まないときには、がまんせず、さっさと辞めてしまう傾向がある。

 現代は、親のしている仕事が何か、それが社会にとってどんな意義があるのか、が子供の目にみえにくい。だから、就職し、働くことの意味を体験し、実感してもらう、あるいは仕事をしている人たちの苦労話や喜びを若者にわかってもらう仕掛けが必要である。

 ところで、派遣切りで製造現場の仕事を失った人たちに対し、再就職のための職業訓練が行なわれている。そうした職業教育の現場では、座学に耐えられず、動き回る人が少なくないという話を聞いた。いま、小学校で起きている現象と同じだ。なにかと言えば、人的資源を誇ってきた日本で、「人財力」の劣化が進行しているわけだ。  

 一方で、義務教育は平等主義で、できる生徒とできない生徒とを一緒の教室にして教えるから、できる生徒には物足りない。飛び級を採用し、英才教育を行なうということは考えもしない。しかし、世界に羽ばたくような「人財」をできるだけ増やすには、底上げと並行して英才教育を導入すべきだろう。

 思いついたことを羅列したが、日本の「人財力」を高めるには、諮問会議の論点以前の論点を片付けなければならないのではないか。

 

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2008年12月31日 (水)

原敬記念館と大慈寺に寄る

 最近、岩手県盛岡市に用があって行ったとき、原敬記念館を訪れた。原敬(はらたかし、1856~1921年)が子どもの頃に住んでいた場所に記念館がある。一通り見て、いまの日本に、これほどの人物が総理大臣だったらなあ、とつくづく思った。

 原敬総理大臣は1921年(大正10年)11月4日、東京駅頭で暗殺された――といえば、日本史の授業で学んだのを思い出す人もいよう。「国会開設100年」という特集記事(1990年11月25日付け日本経済新聞朝刊)には、日本の政治家10傑のトップに原敬が挙げられている。ちなみに2番が吉田茂、3番は伊藤博文である。原は初の政党内閣を組織した平民宰相で、かつ白河(福島県)以北出身の初の大臣経験者でもある。

 記念館の展示によると、「原敬が目指したもの」として、①朝敵の汚名を冤ぐ、②藩閥の打倒打破と政党政治の確立、③国民生活の向上、④民主化の推進、⑤外交の転換、⑥皇室の民主化、が挙げられている。

 ①と②は幕末から明治時代への歴史を色濃く反映したものだが、③以降は現代の政治家が目指すべき目的と基本は変わらない。例えば、③では、高等教育機関の増設、鉄道・通信・港湾・道路整備による地方振興、結核予防法などの制定、職業紹介所、労働組合などの立法化、第一回国勢調査の実施など、④では大正天皇の病状発表(情報公開)、陪審法案の提出(裁判への国民参加)など、⑤ではアメリカ重視、中国との関係改善、シベリア撤兵など、⑥では皇太子外遊の推進、宮中の改革、皇室財産の国民への還元など。

 展示で印象に残ったのは、第一に彼の多様なキャリアである。司法省法学校(のちに東京大学法学部に)を退学させられたあと、郵便報知新聞社、大東日報といった新聞社にいて、それから外務省に入り、通商局長、外務次官などを歴任した。パリ駐在から戻った農商務省参事官のとき、動物の乱獲を憂い、森林を国家永遠の財産とし、水源の涵養など国土保安および伐採の禁止を目指して調査のための特別会計を設けるよう訴えたことがある。そして外務省を退いたあと、大阪毎日新聞社社長や大阪北浜銀行頭取も務めた。衆議院議員になったのはそのあとである。著書も多く、新聞社社長のとき、木下藤吉郎のペンネームでコラムを書き、単行本にしたこともある。

 第二に、暗殺の危険があったため、自分が死んだ場合の葬儀の仕方などを予め遺言にしたためていたことである。葬式は盛岡の大慈寺で行なうこと、墓石には名前だけを刻むことなど、質素な葬儀にするよう家族に書きのこした。大慈寺に行って墓に詣でててきたが、確かに、現職の総理大臣の墓にしては簡素であった。

 第三に、19歳のときから、凶刃に倒れた65歳のその日まで日記を書き続けたことである。遺言で日記は一切公表されなかったが、第二次世界大戦後、「原敬日記」として公刊され、貴重な研究資料となっている。彼は日記メモを毎日したため、あとで1週間分ないし10日分を日記帳に書き記したという。彼は大変な勉強家であり、読書量も桁外れだったようだが、日記も膨大な量である。

 政治家の死後、その業績をたたえ、人物をしのぶ記念館がどれだけ国内にあるか知らない。原敬の場合、亡くなってから80有余年も経つのに、記念館が存続している。では、現在から過去にさかのぼって戦後の歴代総理大臣を見たとき、何十年のちまで立派な記念館が残りそうなすぐれた政治家は果たして何人いるのだろうか。近年の総理大臣群像を思い浮かべると、寒心にたえない。

 しかし、悲観ばかりしていても仕方がない。あすに期待しよう。現代日本が直面する危機を突破できる政治のリーダーシップをいかに確立するか、それが2009年の主要な課題の1つだが、それに向けて政治はようやく胎動を始めたようだから。

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2008年12月20日 (土)

子どもの貧困と税額控除

 『子どもの貧困―日本の不公平を考える』(阿部彩著)を読んだ。日本の政治が無視してきた子どもの貧困について、貧困の定義、その数値的把握の仕方、どうやって貧困をなくすべきか、などを詳しく述べたものである。

 先進国における貧困を「相対的貧困」という概念(手取りの世帯所得の1人あたりを並べ、その中央値の50%=貧困線=以下を貧困と定義する)でとらえ、子どものいる世帯の貧困率を把握する。また基本的な衣食住、就労などのニーズや、交友、娯楽などといった「社会的に合意された必需品」が与えられていない「相対的剥奪」の状態を示す剥奪指標をもとに、子どもに保障すべき最低の生活を見出す。本書は主にその2つをもとに、日本の子どもの貧困が深刻な状況にあることを浮き彫りにしている。

 そして、「日本版子どもの貧困ゼロ社会へのステップ」(11ステップ)を提案している。その中で「現役世代の中でも、子どもを育てていたり、貧困線を下回る生活をしている世帯に対しては、せめて、負担が給付を上回ることがないように、税制、公的年金、公的医療保険、介護保険、生活保護を含めたすべての社会保障制度で考慮すべきである」としている。

 子どもの貧困に対する具体的な処方箋として、「子どもの貧困削減を目的とした所得保障の制度を考えるとき、給付つき税額控除は有力な候補である」と述べている。所得控除が金持ちほど減税額が大きくなるのと違って、税額控除にすることは平等であり、かつ控除しきれない分は、マイナス納税ということで現金給付するので、低所得者には救いとなるわけだ。

 ところで、この給付つき税額控除は、イギリスなどで実施されており、日本では、民主党が低所得者対策の目玉として税制抜本改革アクションプログラムに盛り込んでいる。この制度を導入するには、世帯単位の課税制度に改めることや、納税者番号が不可欠であるという。藤井民主党税制調査会長は「納税者番号制度は金持ち対策ではない。いまは社会保障からこぼれてしまう人がいる。それへの対策だ」と、18日に日本記者クラブで開催された津島自民党税制調査会長との討論会で述べている。納税者番号と社会保障番号とを共通にするということらしい。

 その討論会で、津島氏は、自民党も党内に納税者番号の早期導入を考えるプロジェクトチームを設けることを決めたと言い、「税額控除で引き足りないところは現金給付するということも民主党と同じ考え方だ」と語った。

 本書の結論は「すべての子どもが享受すべき最低限の生活と教育を社会が保障するべきである」というもの。給付つき児童税額控除はそのための有力な手段というから、政治がそれに一歩近づくような流れは歓迎してよかろう。 

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