2017年8月17日 (木)

沢田教一写真展の含意

 東京の百貨店で、ベトナム戦争の写真報道でピューリッツアー賞を得た故・沢田教一の写真展が開かれている。受賞の対象となった写真「安全への逃避」は、6年ほど前、ベトナムの戦争博物館で見たことがあるが、今回、写真展で改めて見ると、戦争のむごさと、その中でも人は必死に生きようとする、その対比とともに、人間へのやさしいまなざしを感じた。

 ベトナム戦争といっても、いまの社会の中核である30歳代、40歳代にはピンと来ないだろうが、あの戦争で米国は莫大な戦費を投じ、多くの若者の人生を狂わせた。社会も荒れた。もちろん、攻撃されたベトナムの国民にしてみれば、その被害は甚大だったし、いまも爪痕は残っている。

 それはさておき、いまの時点で振り返れば、米国にとって、あの戦争はどうしても戦わねばならないものだったか。戦争に注ぎ込んだ兵士らの命、国家財政の赤字などなど、もしもベトナム戦争に踏み切らなければ、そして、イラク懲罰の戦いに乗り出さなければ、米国の国力は、いまとは違って、もっともっと強大だったのではないか。

 米国にとって、ベトナム戦争の教訓の1つは、戦争はこりごり、というものだったはず。それが喉元過ぎれば熱さ忘れるのたとえの通り、中東戦争が起きた。そして、いま、北朝鮮がICBMと核兵器で米国に戦争へと挑発しきりである。イラン、トルコ、中国なども核兵器開発、宗教対立、人種問題などで国内外において紛争のタネをまいている。世界的に、武力衝突による戦乱や内乱が多発し、それが増える情勢にある。

 従軍記者が自由に写真報道に活躍できたベトナム戦争の時代は、米国の民主主義、言論の自由などが機能していた。しかし、いまでは、各地の戦乱において、米国のような社会的条件は存在しない。それに、軍事技術の革新(恐ろしいことだ)などで沢田のような従軍写真報道が存在する余地はなくなっているのではないか。

 写真展を見て、そんなあれこれを思った。

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2017年7月28日 (金)

稲田朋美防衛相は知識不足、理解不足だったのでは?

 南スーダン国連平和維持活動の日報が廃棄されたのか、保管されていたのか、それに稲田朋美防衛大臣がどう関わっていたのかなど、稲田大臣に関わる、さまざまな批判が野党などからなされ、同氏は28日の閣議後の記者会見で辞任を表明した。

 細かくニュースをトレースしているわけではないが、問題の本質は、防衛問題という極めて重要かつ専門性の強い分野の担当大臣に必要とされる識見、リーダーシップなどが欠如している人物が当該分野の大臣になっていたことではないか。稲田氏を推した安倍首相の過ちは極めて大きい。北朝鮮がICBMの発射実験を27日に行うと予想されていた、など、安全保障上、非常時を迎えているとき、何をやっているのか、と言わざるをえない。

 日報の有無や開示・非開示の真相追及や国会への報告などについては、大臣がイニシアチブをとるのが当たり前である。しかし、稲田氏は、聞いていない、とか、了承していない、といった国会答弁ばかりで、リーダーシップのかけらもうかがえなかった。これは、省議や幹部との打ち合わせなどで、防衛省の役職員の発言や議論をしっかりと理解はできなかったからではないか。役人同士の会話は専門用語が多く混じるから、防衛分野に詳しい大臣でなければ、チンプンカンプンだったろう。

 大臣は、普通、財政に詳しいとか、産業政策が得意などという議員がいて、そうした得意分野で官庁に太刀打ちできる人材の中から選ばれるのが常識である。この人は将来性があると見込んで、ど素人だが大臣に選ぶという内閣は、国民を愚弄している。安倍内閣は、法務大臣などもそうだが、不適切な閣僚選びを繰り返している。安倍内閣の改造が言われているが、まともな大臣にふさわしい人物がいないなら、民間から選んでもいいし、野党からおいで願うのも結構なことではないか。

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2017年6月19日 (月)

安倍首相の「深く反省している」は国民をばかにしているのでは?

 安倍首相は19日の記者会見で「深く反省している」などと語った。だが、世論調査で支持率が10%ポイント前後下がったため、反省を口にしただけで、国民の不満や怒りにまともにこたえようとしたとは思えなかった。

 国会は国民の代表が集まって、政治のありようを議論し、決めてゆく最高の機関である。したがって、政府・与党は、野党から突き付けられた質問に真摯に答えなければならない。さまざまな行政の決定過程に疑問が突き付けられたとき、閣僚や行政官は、機密などはさておき、野党議員の質問に対し、きちんと真正面から答えなければならない。関係書類を破棄してしまったなどといったごまかしは許されない。

 また、野党の質問に真正面から答えるべき閣僚が、まともに答弁せず、質問に関わりのない発言をしたりしている。安倍首相以下のそうした不誠実な答弁が際立って多かった。官房長官会見も、記者たちの質問に、木で鼻をくくった答えかたが目立った。

 毎日のテレビ報道を見ているだけでも、安倍内閣の傲慢さが感じられた。一般国民の中でも、まともな論争を避けて数で押し切ろうとする安倍内閣に対して、同様な感じを抱いた人がたくさんいたのだろう。

 19日の会見で、安倍首相は反省を口にした。だが、内容は、テロ等準備罪などについて、国会での審議をもっと深めるべきだった、というような視点はなかった。都知事選への影響を抑えようとした口だけの反省に思えた。内閣改造にしても、与党内での論功行賞など、安倍首相への忠誠を確かなものにしたいというものにすぎない。どこまで行っても、安倍”独裁”の政治姿勢に思える。

 

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2017年5月30日 (火)

宰相に求められる謙虚さ、公正性

 宰相であれ、ビッグビジネスのトップであれ、権力者はリーダーシップを発揮する一方で、権力を濫用することなく、公私にわたって謙虚、公正たらんとすべきである。昔から、権力は腐ると言われてきたが、いまの世界を見ると、いくつもの国で、支配者が腐っていると思われるニュースが相次ぐ。日本はどうか。

 日本では、国会における与野党の争点の一つとして森友学園、加計学園をめぐる安倍政権の関わりが報じられている。許認可や資金援助などに関する政府の関係部門の意思決定が安倍首相の意向を忖度したのではないかとか、安倍首相の夫人が名誉校長になっていたなどといった関わり方が指摘されたりしている。

 こうした報道に接するたびに思うのは、日本国の最高権力者となったら、その地位にあるあいだは、親しい友人であっても、個人的な付き合いは避けるべきだという点である。

 権力者には人が寄ってくる。政府(国や地方自治体)というのは、許認可などの権限のかたまりであり、補助金などの歳出(カネ)の出どころである。したがって、最高権力者である総理大臣と個人的な付き合いがある人は、うまい汁を吸っているにちがいないと世間の人たちは思う。したがって、総理大臣となったら、言われるまでもなく、許認可や補助金などが関わる業種・業態の人たちと一緒にゴルフをしたり、首相夫人がそうした関係の小学校の名誉校長などになったりしてはいけないのである。

 それがリーダーである首相がとるべきけじめである。安倍首相や菅官房長官ら自民党の指導層は、こうした基本をわきまえていない。前川前文科省事務次官への個人攻撃などで問題の本質をそらす自民党に、これからの我が国を託すのは不安が一杯だ。

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2017年5月26日 (金)

強権政治:日本国の未来を危ぶむ

 安倍自公政権のやり口を見ていると、議会政治で多数を占めたら、何をしてもいいと思っているのではないか、とさえ感ずる。自民党の内部での派閥争いとか政見の多様性などのように、かつては存在した党の活力の源泉はうかがえない。公明党はもっぱら権力にしがみつくだけの政党になってしまったようにみえる。野党の弱さを背景に、強権政治がまかり通っている。

 森友学園、加計学園の認可などをめぐる疑惑に対し、政府・与党は徹底して”臭いものにはふたをする”態勢をとってきている。獣医学部新設を迫る官邸の最高レベルの指示を示す文書について、前川前文部科学省事務次官が実際に存在したと証言しても、菅官房長官や松野文科相は否定している。そして、証人喚問など国会での真相究明にも応じない。

 石破茂氏が前川証言を前向きに評価しているが、それ以外には、与党から「言論の自由」を示す政治家の発言は出てこない。小選挙区制の弊害が極端に強く出てきたと見ることができる。

 テロ等準備罪の法案が衆議院を通過し、参議院に回った。これも、テロを未然に防止するためとして、警察などが個々人の普段の行動、活動や思想などを監視する「監視社会」に行き着く危険性が極めて大きいのに、自民、公明などの議員は法改正に疑問を抱かない。この国の未来を考えると、まことに恐ろしい事態である。

 この法案が通ると、警察・検察は、テロ根絶のためとして、すべての国民に監視の目を向けることになるのは必定だ。共謀罪に新たな立法は不必要だと専門家は指摘する。もの言えばくちびる寒しという言葉があるが、ユニークな発想をする人、誰もつくったことがないようなものをつくる人など、普通じゃない個性的な人が危険視されるような警察監視国家になっていく可能性が大きい。

 葛野尋之一橋大学大学院教授によると、テロ対策の国際的枠組み(5つのテロ対策国連条約、その他8つの国際条約)を日本はすべて批准し、国内法を整備した。したがって、包括的な共謀罪の創設は不要だという。また、日本政府は当初は共謀罪なしでの批准を目指していたと指摘する。さらに、公権力の不正行使(公職選挙法違反、政治資金規正法違反など)、民間の商業賄賂を含む経済犯罪が法の対象から除外されているという。

 同教授によると、警察は行政活動の一環として市民運動団体などを監視し、情報を収集している。共謀罪はそれを犯罪捜査として行う根拠法となる。そして電話傍受など強制処分も可能になるとしている。

 警察国家ともなれば、人々は委縮し、日本は活力の乏しい国として未来は暗い。そう思う。

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2017年3月11日 (土)

東日本大震災から6年、難題は続く

 6年前の2011年3月11日、東京の自宅(中層住宅の7階)にいて巨大地震に遭った。そして、テレビ報道で、三陸を中心とする被災状況をつぶさに見つめた。空から撮影された、津波が田畑をなめつくす映像などには心底震えた。

 日時が経ち、被害の実態がメディアを通じて詳細に伝えられるにつれ、想像だにしない大規模な被災であることが明らかになった。また、東京電力福島第一原子力発電所が地震と津波で破損し、水素爆発を起こしたり、放射能による大気や水の汚染を引き起こしたりした。

 2万人近い死者・行方不明者。地震・津波によるインフラや生活・経済への打撃。放射能汚染。それらに対し、政府は国民に特別課税をするなど、思い切って国費を注ぎ込んできた。いまだにプレハブ住宅での生活を余儀なくされている被災者もいるが、政府は、地域住民が、海が見えないほどの巨大堤防をつくるなど、公共土木事業に力を入れている。

 ところで、最近、内堀雅雄福島県知事が記者会見で、「光」と「影」というキーワードを使ってFukushimaの今について詳しく語った。避難指示区域が縮小されたこと、除染で外国並みになったこと、農産物モニタリングで安全を確認したこと等々を「光」として挙げた。そして、避難者が約8万人いること、原発のデブリの問題が続いていること、福島産の農産物価格が全国平均より低いこと、観光客が震災前より少ないこと、人口減少が続いていることを「影」として挙げた。

 そして、福島の復興について、「風評」と「風化」が同時に進行していると語った。知事は「いい話をすると、もう問題はなくなったと誤解される。一般のかたに明るい話と暗い話をすると困惑される」と言い、「来て見てもらうと、アンビバレントな状況が理解してもらえる」と語った。

 確かに、知事が言うように、東日本大震災の被災地は3.11以前の状態に戻れていない面がまだまだある。しかし、過去6年間に、日本の経済社会それ自体も変わった。”アベノミクス”でデフレから脱出すると称した安倍政権は、国債発行増による歳出増と日銀による国債大量取得という離れ業をもってしても、デフレ脱出ができていない。増税などをしなければ、財政危機が深刻化し、いずれは財政破綻に追い込まれる可能性が少なくない。

 東電福島原発の廃炉に至る道筋がいまだに技術的にさえも確かでない。我々は、この負の遺産をずっとひきずっていくことになる。そして、自公政権は過去6年間に深刻さが増した財政危機を、国民にしわよせするインフレという安易な方策で切り抜けようとしかねない。北朝鮮の核ミサイル技術の進展などによる安全保障問題を含め、日本の将来は厳しい。

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2017年2月15日 (水)

東芝――落ちた偶像

 日本の誇る総合電機メーカー、東芝が経営危機に直面している。主力の原子力発電事業で、米子会社のウエスチングハウス(WH)などが底なしの赤字を抱え、その穴埋めのために、昨年、医療機器事業を泣く泣くキャノンに譲渡し、さらに、最後の砦とも言うべき虎の子のフラッシュメモリー事業までも分社化して、その株式の大半を売却する可能性が大きくなってきた。

 収益の柱を失えば、東芝という会社の総合力・競争力や将来展望は失われる。希望の失われた会社からは、次々と人材が去っていくことになる。情報機器やエレベーターなどの事業の競争力を保つのも容易なことではあるまい。

 さりとて、3.11で起きた東電福島原発の事故の後始末は、やめるわけにはいかない。フクシマの後始末にあたって、東京電力は汚染除去費用を負担せず、国が税金で肩代わりするという非常措置をとった。フクシマの原子炉のデブリなどを何十年とかけて始末するうえで、原発機器の建設に関わった東芝の責務も大きいので、政府としては、東芝を倒産させずに存続させようとするだろう。事故を起こした原発を安全に処理するには、相当の技術力および技術者を温存する必要があるからだ。

 目下のところは、窮迫する東芝の資金繰りを三井住友銀行、みずほ銀行などの主力金融機関が担うことになるが、長期的には、それだけでは無理かもしれない。東電の国家管理と同じく、東芝も国家管理で生き延びる道を歩むことになるかもしれない。

 ところで、どうして、ここまで深刻な状況に追い込まれたのだろうか。昭和40年不況で経営が悪化し、外部から土光敏夫氏が東芝の社長に就任したころからを振り返ると、同社の社長はある時期から「オレが、オレが」のタイプが増えたように思う。ひとたび社長に就任すると、前任者にろくに口もきかない。独断専行のリスクがあった。社長といっても、出身分野が違うという事情もあるし、全体を見る総合的な視点が概して弱かったように思う。その点は、日立製作所のほうが、社長室をうまく使っていたようにみえる。

 WHの買収は、ねらいは悪くなかったが、フクシマ以後、原発の建設コストが上がるなど、状況が大きく変化したのを軽視した。また、外資の買収にあたっては、相手の内部事情に疎いので、よほど慎重に財務データなどをチェックする必要があるが、東芝はのめりこみすぎた。買収はタイミングも大事だが、会社の命運を左右する巨大外資の買収ならば、もっと本社内で多面的に検討すべきだった。

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2017年2月 7日 (火)

ドル箱ビジネスを切り売りする東芝

 2月7日の日本経済新聞電子版に西條都夫編集委員が『「ドル箱」売却、衰退への早道選んだ東芝』という読み物を書いている。半導体メモリー事業を分社化し、外部から資本を入れると発表した東芝に対し、「ドル箱ビジネスの切り売り」であり、「強いデジャビュ(既視感)を覚える」と指摘している。

 経営危機に陥ったコングロマリット(ないしは経営を事実上支配する金融機関)は2つの行動を取りがちだという。即ち、①売りやすい優良企業から切り売りする、②社内基盤の弱い新しい事業から売る。だが、それだと主力事業が抜け、本格的な事業再建がますます遠のくと指摘する。そして、生き残るにはしがらみを捨てよと言う。

 東芝については、すでに機を逸しつつある感もするが、「延命」や「破綻回避」をゴールにするのでなく、各事業がどうすれば強くなるのか、しがらみを排して勇気ある決断をするしかないだろうと、西條編集委員は述べている。

 確かに、日本の企業は長期雇用を基本としてきたから、心情的に、昔からの事業を祖業として存続させようとする。そのため、経営が苦しくなったとき、成長性のある比較的新しい事業のほうが売りやすいこともあり、そこから先に切り出して売ってしまうことがある。だが、それでは会社はじり貧になりがちだ。この読み物は、そうした日本の企業の弱点を突いていて興味深い。

 ところで、各事業部門で働く従業員の立場からみると、企業売買によって株式の所有者が変わろうと、労働条件が悪化せず、当該事業の成長発展につながる経営が行われれば結構だ。もちろん、買われた側の従業員は「出世」という点で多少、不利になるだろうが、仕事の能力さえ十分あれば、十分な待遇を得られよう。日本では愛社心などといった情緒的なとらえかたもあるが、仕事を中心に考えると、それは、働く者にとって大きな問題ではないだろう。

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2017年1月31日 (火)

民主主義の米国に出現した独裁者

 2017年1月は、米国および世界が大きく暗転し、深い傷が残った時期の始まりとして歴史に刻まれよう。オバマのあとに就任した米国のトランプ大統領は、立て続けに大統領令なる”印籠”を振りかざして、次々に新たな政策を打ち出した。

 民主主義国家は司法、立法、行政の三権分立を基本としており、新聞などのメディアが言論の自由を裏打ちしている。トランプ大統領はそうした民主主義国家の枠組みを全く無視しているようにみえる。

 トランプ氏は、新たな政策をツイッターで発信する。そして、自分のやりかたに反対する人、組織、メディアなどの言い分を聞こうともせず、一方的に歪んだ見方で叩く。メディアへの不信感が強く、批判的なメディアをつぶせとまで言う。米国は民主主義の元祖みたいに思われていたが、民主主義くそくらえと言わんばかりの独裁者誕生である。ヒトラーもこれほどひどくはなかったように思う。

 新大統領の経済政策は、米国で売る物は米国で生産せよ、とか、雇用を増やせ、といったもの。国境を超えてモノ、カネ、人、情報が行き来しているグローバリゼーションの実態をまるでわかっていない。世界の貧しい人々や、戦争で平穏な暮らしを奪われた人々に対する共感も持っていない。

 こうした無茶苦茶な政治を行なっているトランプ大統領をやめさせることができるのは米国民である。いま、各地でデモがあり、憲法違反などとして裁判を起こす動きがみられる。他方、トランプ支持のデモもある。世論は大きく分裂している。

 考えてみると、トランプ氏が大統領に就任してからわずか10日ほどしか経っていない。この先を読むには早すぎるが、これからも、トランプ政治をめぐって米国および世界が混乱し続けるのだろう。当然、日本もそれに巻き込まれよう。

 トランプ政治は短いほど、いいとも思うが…。どうだろう。

 

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2017年1月 6日 (金)

米・中では「無理が通って道理引っ込む」

 米国のトランプ次期大統領は自動車メーカーのGM、フォードがメキシコに工場を建設するのをツイッターで批判したのに続いて、5日には、トヨタ自動車が計画しているメキシコ工場の建設も取り上げて批判した。まだ、トランプ氏は大統領就任前だが、すでに、フォードやキャリアはトランプ発言を受けて、メキシコでの工場建設をやめると決定した。”無理が通れば道理引っ込む”ではなかろうか。

 トランプ氏の発言は、彼が米国の国益に反すると考える巨大企業の行動を槍玉にあげているように受け取れる。しかし、人、もの、カネやサービスが国内・国際的に複雑に行き来している世界経済において、企業が適切と判断する外国への投資案件を無理やり抑えて、米国内に変更させることが、真に当該企業にとっても、また米国にとっても適切だろうか。

 第二次大戦後、ガット・WTOに象徴される自由貿易ルールによって、先進国も途上国も発展してきた。それを自由貿易の旗手、米国が歪めようとしている。それが米国の経済力を強めることになるのかどうか。トランプ旋風に対して、メキシコがどう対抗措置をとるか、それによっては、経済戦争になりかねない。メキシコ以外の国との間でも、問題が起こるだろう。

 ところで、米国のアップル社が、中国における「アップストア」から、ニューヨーク・タイムズの中国語版アプリを削除したという(6日付け日本経済新聞朝刊)。2012年以来、中国政府は中国本土から同紙のウエブサイトに接続できないように規制を敷いており、これをかいくぐる中国語版アプリも新たに違法とされたからという。

 中国は米国に次ぐ巨大な市場である。だが、中国政府は私企業に対して厳しい規制を課し、それを受け入れなければ、中国国内でのビジネスを許さない。ビジネスを展開したければ、当局の厳しい規制を受け入れるしかない。アップルは、ビジネスを優先して、民主主義や言論の自由、市場経済を認めない中国政府の厳しい規制を容認したわけだ。

 フォードにしても、アップルにしても、国家権力がビジネスのありように厳しく介入してくる新たな時代に直面しているように思われる。日本の安倍政権は安倍政権で、企業の賃上げの水準にまで口を挟んでいるし、中立のはずの日本銀行の役員人事にまで介入し、強引な金融政策を継続している。

 それだけ、上記の国々は国内の政治経済が相当思わしくないという表れなのだろう。 

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