2009年11月12日 (木)

事業仕分けは画期的だが、問題もある

 政府の行政刷新会議が11日から始めた来年度予算(要求)の事業仕分けは、国家予算づくりの過程を部分的にせよ国民の眼前にさらけ出した点で画期的だ。官僚支配に乗っかった自民党中心の政治において、国のカネが天下りや特定層の権益のためなどで、どんなにでたらめに使われてきたかがわかった。それをメディアで知った国民は怒り心頭に発しているのではないか。

 これまでの国会審議は予算委員会に示されるように、予算の中身を審議することはほとんどなかった。議会がさぼってきた予算案の審議を個別事業ごとに行なうというのだから、すごいことだ。

 例えば、11日に、国土交通省の下水道事業や農林水産省の農業集落排水事業は、地方自治体へ移管するとの判定がなされた。下排水処理については下水道と農排水と合併浄化槽との3つの選択肢がある。下水道と農排水とは道路などと同じく公共事業そのものであり、しかも近接してつくられたりしている。そこに巨額のムダがあることは知る人ぞ知る。地方移管でムダがなくなるか疑問だが、そこに初めてメスを入れる可能性を感じさせる判定である。

 今回の事業仕分けは限られた予算項目についてしか行なわれないが、それ以外の予算項目についても、日数がかかってもいいから1年間のうちに順次やっていくことを求めたい。とともに、地方自治体の予算についても、すべての自治体が同様な事業仕分けを公開の場で実施するようになってほしい。

 予算をどうつくるかはまさに時の政権がどんな政治をするかを示す重要なプロセスである。だから、透明性を確保した事業仕分けの意義は非常に大きいが、問題もある。例えば、画一的に短い時間のうちに結論を出すことである。議論を尽くさないうちに一定の結論を出さざるをえないものもあるから、複雑な要素を抱えている予算については、“復活折衝”ではないが、改めて議論する場を設けたらどうか。

 また、仕分け人としてさまざまな分野の専門家が加わっているが、彼らが議論の対象についてすべてくわしいとは限らない。したがって、見落とされた視点、異なる視点からの指摘をパブリックコメントとして受け入れることも考えていいのではないか。

 ネットを使えば、どこからでもリアイルタイムで事業仕分けの現場にアクセスできるというやりかたは民主政治の新たな試みである。それは国民の政治への関心を高める。“公開処刑”みたいな印象を与えるのはいささか気になるところだが。 

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2009年11月 5日 (木)

公取委の「審判制度」廃止へ

 独占禁止法に違反したとされる企業などは、公正取引委員会の下す行政処分に異議があるとき、公取委に不服を申し立てることができる。それを受けて、公取委は審判部門で行政処分を取り消す必要があるかを判断することになっている。しかし、これだと、“一審”の審決を不服とする申し立てをしても、“二審”もまた、同じ公取委の職員が審決を下す形になっているので、中立性・公正性が疑われる。

 経済界からかねて問題だと指摘されてきたこの「審判制度」について、鳩山政権は、これを廃止し、“二審”は裁判所で行なうように独禁法を改正する方針を固めたという(日本経済新聞5日付け朝刊)。これまで分離に反対だった公取委(の官僚)も受け入れざるをえないだろう。歓迎だ。

 政権交代がなければ、行なわれなかった改革が新政権の手で進められている、その1つである。政権交代のプラス面である。

 ついでに、手をつけてほしいのが、国税不服審判所である。国税庁の付属機関である同審判所は、税務署や国税局が決めた課税の内容に納税者が不服のとき、異議を唱えて“上告”するところだ。

 同審判所で“再審”にあたる審判官は財務省・国税庁の出身者がほとんどである。税務署や国税局とは一気通貫、身内の関係である。人事を見ても、財務省・国税庁から国税不服審判所に異動で行くのがずっと続いてきた。

 役所の世界では、職場の仲間、先輩などが行なった仕事を否定することは最もいやがられる。したがって、国税不服審判所のように、国税関係出身者を多く抱える組織が納税者の立場をも踏まえて適正な課税決定をするか疑わしい。

 08年度の審判所の結果は、訴えの棄却が65.6%、却下が9.5%に達する。課税の取り消し・一部取り消しは14.7%にとどまる。例年、こうした傾向である。そうした数値だけから公正性に欠けるとみなすことはできないが、納税者に強い不満があることは間違いない。国税不服審判所をなくし、いきなり裁判所に持ち込むようにするか、審判所のメンバーに税関係の見識のある第三者を多く入れるか、といった改革が求められる。

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2009年11月 3日 (火)

「北京-東京フォーラム」で、中国側に憐れまれた日本

 11月1日から3日まで中国・大連で開催されていた「第5回北京-東京フォーラム」(言論NPO・中国日報社共催)は、公開された議論を読むと、なかなか興味深い。その中で、特に印象に残った発言を紹介する。中国がGDPで日本を抜き去ることで日本が大きな失望感を抱いているのかもしれない点に関連してのものだ。

 呉健民中国外交部国際諮問委員会委員は「日本はアジア第一の座から転落しようとしていますが、しかし、中国は発展していかざるをえないのです」、「日本が没落した国だと(自らを)考えてしまうのは、気持の問題でしょう。そういった気持が国際問題を引き起こすのだと思います。日本の気持の整理について、私たち(中国)もお手伝いしたいと考えています」と語っている。

 これは、山口昇防衛大学校教授が「日本は経済が下降気味であり、そういう内向きのときこそ排外主義が出やすい」と発言し、それを受けて、李秀石上海国際問題研究所日本研究室主任が「中国は日本の自信増強の手助けをしていきたい」と述べたことと関係していると思う。日の出の勢いの中国に、落ち目の日本を思いやる余裕が出てきたというか、日本が過去の過ちを繰り返すおそれがあるので、それを未然に防ぎたいというのか、あるいは、それらの両方を意味しているのかもしれない。

 もう一つあげると、王晨国務院新聞弁公室主任のあいさつを代読した朱英コウ(王ヘンに黄)中国日報社前編集長による「日本政府からの円借款は、中国の近代化に多大な貢献をしてきました」という趣旨の発言である。日本は北京空港建設はじめ多くのプロジェクトに巨額の円借款を供与してきたが、中国側は過去の償いとみなしたのか、それに積極的に感謝の意を表することはなかった。それだけに日中共同のフォーラムのような公けの場で円借款について「多大な貢献をした」と評価したのは、中国政府の自信とゆとりの表れではないかと思う。

 私自身、10月に北京、上海、杭州などを回って最近の中国の一部を見てきたが、その発展のレベルと勢いには率直に言って驚いた。それと比べて、日本はなんと沈滞していることかと痛感した。鳩山新政権が日本の再生に成功することを願うが、失敗したときのことを考えると、北京-東京フォーラムにおける中国側の発言はたわごとと片付けられないような気がする。 

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2009年10月29日 (木)

しっかりせよ、経済界のリーダー

 政府は日本郵政の経営陣をがらりと変えた。斎藤次郎元大蔵省(現財務省)事務次官を社長にしたほか、財務省、総務省(旧郵政省)のOBやキヤノンなど民間出身者を副社長に並べた。亀井静香金融大臣の強引さが目立っているが、鳩山政権の一面を表していると言えよう。今回の日本郵政人事に関する疑問点を以下に書くと――

 斎藤氏が長年、務めた東京金融取引所の社長ポストは財務省の天下り指定ポストである。斎藤氏の後任も財務省OBである。金融の分野はもともと財務省・金融庁の監督・行政指導が強い。東京金融取引所を、株式会社だから、普通の民間企業だとみなすのは詭弁である。斎藤氏の日本郵政社長就任は一般にいう、天下りの“渡り”とみるのが自然である。

 今回、株式会社である日本郵政の人事に政府が強引に介入したというのは、日本郵政を普通の株式会社とはみていない証拠である。その一方で、東京金融取引所について、その公的な役割などを無視して、普通の民間企業だとして斎藤氏の天下りを否定するのは二枚舌もいいところである。

 西川善文前社長ら常勤、非常勤の取締役退任にもかかわらず、奥田碩トヨタ自動車相談役(前日本経団連会長)は取締役のまま残った。キヤノンから関根誠二郎氏が取締役兼執行副社長に入った。経団連の現会長、前会長会社から取締役が入った形になった。このほか、日本商工会議所会頭の岡村正氏が非常勤取締役に入った。これらの人事が示すのは、従来の郵政改革を否定する鳩山政権の郵政事業抜本見直しに経済界が賛同したということである。

 それなら、小泉政権以来の郵政改革を支持してきた経団連などは、その豹変ぶりの理由をきちんと外部に表明すべきではないか。また、日本郵政の指名委員会に諮らずに政府が役員人事を勝手に決めたことに対して、奥田氏も、今回、取締役を事実上解任された牛尾治朗、丹羽宇一郎氏らも表立って異論を唱えなかった。だらしないの一語に尽きる。それに、お飾りの非常勤取締役になってくれといわれると、ホイホイと受ける輩が何人もいるのにはあきれる。

 郵政改革については、もともと、なぜ、それをしなければならないと考えられたのか、そして、現実には何が行われたのか、をきっちり分析すること、そして、どこに問題があるのか、を整理する必要がある。とにかく郵政改革はけしからん、というだけで、まるまる元に戻そうというのか、そうではなく、日本経済・社会の全体のありかたを考えて、郵政事業はこうあるべきだというのか。そうした思考の道筋がよくわからない。巨大な国営の銀行、保険会社がもたらす歪みなどへの問題意識もない。自民党政治をとにかく否定するという発想はあまり生産的でない。

 経済界のリーダー的な立場の人たちは、この国難の時に、目先のことにとらわれず、大局をみた言動をしてほしい。切にそう思う。

  

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2009年10月27日 (火)

美辞麗句を連ねた鳩山首相の所信表明演説

 26日に鳩山由紀夫首相が衆参両院本会議で行なった所信表明演説文を読んだ。戦後日本を牛耳ってきた官僚依存の自民党政治に対して決別を唱えるとともに、国民生活を優先する行政・経済・社会の確立を主張している。、「新たな志と構想力をもって、成熟の先の新たなる飛躍と充実の路を見いだして」いこうという姿勢には共鳴するところ大だ。

 演説を部分的に取り出せば、すばらしいと讃辞を送りたくなることばかりである。「戦後行政の大掃除」、「国家公務員の天下りや渡りのあっせん‥‥を全面的に禁止」、「硬直化した財政構造を転換」、「国民のいのちと生活を守る政治」、「目指すべきは‥‥新しい共同体のあり方‥‥『誰かが誰かを知っている』という信頼の市民ネットワークを編みなおすこと」、「国民の暮らしの豊かさに力点を置いた経済、そして社会へ転換させねば」、「日本経済を自律的な民需による回復軌道に乗せるとともに、国際的な政策協調にも留意しつつ持続的な成長を確保することは、鳩山内閣の最も重要な課題」、「内需を中心とした安定的な成長を実現することが極めて重要」、「『地域主権』改革を断行」、「地方の自主財源の充実、強化に努めます」、等々。

 ただ、これだけおいしいきれいごとばかりを並べ立てられると、ちょっぴり眉に唾をしたくなる。少なからず、世の中の裏表を見てきた者としては、どうやって実現するのか、の表明がないと信用できない。金持ちの良家のボンボンが庶民の実態を知らぬがまま、新聞などで社会の矛盾を知って、観念的にこうやれば世の中が良くなる、「無血の平成維新」だと作文した程度のもののような気もしてくる。

 日本の将来がどっちの方向に行くべきか。その理念には賛成する。問題は、総論、各論を合わせた整合的な改革プランを打ち立て、推進するという点が欠けていることだと思う。

 このほか、首相の所信表明で疑問に思ったことを挙げると、1つは、市場(マーケット)を軽視ないし無視していることである。国債の大量発行で国債価格が暴落するのではないかという点に関して、菅直人副首相はオオカミ少年だと評し、気にする必要はないと言ったらしい。しかし、オオカミ少年のお話の教訓は、いつかは必ずやってくるということである。市場をばかにするのは大きな誤りである。

 それとも関係があるが、大企業への言及がまるでない。「経済合理性や経済成長率に偏った評価軸で経済をとらえるのをやめよう」という見方からだろうが、国民生活の豊かさの源泉である付加価値を創造するには、欧米やアジアの国々と同じように企業の競争力を高める必要がある。日本だけが社会福祉など内需中心で豊かさを維持できるという鎖国的な発想をしていたら、日本経済はスパイラルに縮小するだろう。日本には、大企業を敵視する風潮がいまだにあるが、それを助長する政策だと、大企業の日本脱出、中小企業の破綻続出という最悪の事態も起きかねない。

 「フリーランチはない」。その当たり前のことが所信表明には欠けている。国民には自主、自立の精神を持ってもらうことが絶対に必要である。お金で人の心を買うような政策は下の下だ。

 財政危機の実態はきわめて深刻である。「長く大きな視野に立った財政再建の道筋を検討してまいります」と悠長なことを言っておられる状況ではない。もちろん、いまの景気状況を踏まえて財政・金融政策が景気を下支えすることは不可欠だが、“借金”が膨らみ、将来世代に負担になるという事実を国民にしっかりわかってもらわねばならない。

 所信表明は甘い蜜に満ち満ちている。それは亡国への道筋になる危険をはらんでいる。

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2009年10月 8日 (木)

鳩山政権の出だしは評判がいいが‥‥

 知人などと話をすると、皆さん、鳩山新政権を「いいね」と評価している。自民党政権と違って、若い世代の政治家がよく勉強していて、自分の言葉で話しているからだ。そして、多くの人が「自民党政権がひどすぎた」と付け加える。人によっては、総裁交代後の自民党に対して「パッとしない」という感想を洩らしたりする。「もう消えていく政党だ」という声すら聞く。

 いまの自民党をみていると、それもありうるような気がする。敗北の原因をきちんと分析し、日本の望ましい国家像とそれに至る政策をきちんと追求するという手続きすらしていないからだ。ただし、自民党がこのまま沈没すると、民主党の一党独裁になりかねない。それは絶対に避けたい。政権交代が前提の二大政党制を続けるには、当分は、自民党が新たな使命を掲げて再生することが欠かせない。

 鳩山新政権が発足してからの政治報道は、国会が開かれないままなので、霞が関に陣取った民主党の閣僚らの活動と、民主党と連立政権を組んだ社民党と国民新党の動きばかりを取り上げている。国民にとって、それはそれで必要である。ただ、鳩山首相の米軍普天間基地移転に関する発言や、長島防衛庁政務官の海上自衛隊によるインド洋での給油活動延長に関する発言に、福島社民党党首(消費者庁担当大臣)が反対するなど、連立政権内での対立・論争しか国民には伝わってこない。

 議会が開かれていれば、野党である自民党や公明党、共産党が鳩山首相の献金疑惑をはじめとして、さまざまな論点できびしく政府を追及しているはずだ。しかし、選挙後、ずっと国会を開かずにいるために、国政の重要な問題点が必ずしも取り上げられないままになっている。代わりに連立政権内部での内輪の中途半端な論争が大きく報道されているのである。参議院の神奈川、静岡地区の補欠選挙を終わるまで臨時国会を開かないというのは、小沢民主党幹事長の戦術だろうが、国民を軽視した党利党略に走り過ぎていると思う。

 新政権はマニフェストを基本的には国民への約束とみなして、その実現に向かって努力している。しかし、野党時代に言っていたことを引っ込めたりする自分本位なこともみられる。たとえば、民主党は自民党政権のとき、国会会期中、大臣は国際会議などで海外に出かけるのは国会軽視だとして強く反対した。当時、政府は国益を害すると反発したが、民主党は審議拒否で対抗しようとした。ところが、自らが政権の座についたら、早くも、国会答弁は副大臣などに任せて海外出張するのはかまわないとの方針を決めた。

 混合診療を禁ずる明文規定はないのに、厚生労働省は原則として禁止している。それを妥当とする東京高裁の判決が9月29日にあった。これを受けて長妻厚生労働大臣の「国のこれまでの主張が認められたものと考えている」という談話が出されたのにはびっくりした。役人の説明の鵜呑みである。日本経済新聞の大林尚編集委員は大臣の「問題意識の低さがうかがえる」と指摘した(8日夕刊)。

 それに大賛成だが、私は、鳩山政権といえども、いずれ霞が関の官僚たちのてだまにとられるという巷の一部の見方を裏付ける事例ではないか、と思う。長妻大臣は年金問題では官僚を超える知識や見識を持っている。だが、厚生労働省の守備範囲はとほうもなく広い。副大臣や政務官を数人抱えても、すべてをきちんと把握することはほとんど不可能である。したがって、官僚の説明をうのみにすることは大いに起こりうる。民主党中心の政権の限界である。

 米国には、民間に大きなシンクタンクがいくつもある。政党色の強いシンクタンクもある。そこには、さまざまな分野の専門家がおり、政権を支える主要なポストに就くことも少なくない。日本では霞が関自体が巨大なシンクタンクだといわれ、それに対抗できる民間シンクタンクや人材の集団が存在しない。このような日米政策マーケットの相違を認識して、民間に大規模なシンクタンクをつくらなければならない。

 新政権は行政刷新会議の事務局長にNPOの代表を引っ張った。これが政策を対象とする本格的な民間シンクタンクの育成につながればいいと思う。そのためには、寄付税制を改めて、「公」の担い手としてのNPOが活躍できる条件を整える必要があるだろう。 

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国家公務員の能力・業績主義評価が始まった

 国家公務員の勤務成績の評価方法に関して、10月1日から能力・業績主義に基づく新制度が実施された。国家公務員法の07年改正によるもので、新政権のもとでそのまま実施された。

 新制度は①職務遂行で発揮した能力の評価と②職務遂行で挙げた業績の評価とを合わせて給与および昇進を決めるというもので、一般職員や課長などは5段階で評点を付ける。部長、局長は3段階、事務次官は2段階で評価する。期初に上司と面談して目標を設定し、業務遂行―自己申告―評価・調整・確認―評価結果の開示―期末面談(指導・助言)の経過で行われる。能力評価は1年ごと、業績評価は半年ごとである。

 国家公務員の場合、そもそもの公務員試験の成績(順位)や卒業大学および学部が配属や昇進を大きく左右してきた。もちろん、国家公務員になってからの実績も評価されてはきたが、その程度は役所によって違っていた。また、何を実績とみるかについては、法律を何本つくったか、天下り先(公益法人など)をいくつつくったか、といった内向きな物差しが重視されてきた。

 このため、小泉改革の一環として、民間企業の人事評価方法を採り入れたもの。長妻厚生労働大臣はこの人事評価基準の採用により、企業文化ならぬ役所文化を変えていきたいと語った。年金問題がなぜ起きたかを熟知する同大臣は、国民目線の評価、すなわち国民から評価される官僚のほうが省内でも出世していくというようなものにしたいという趣旨の発言をしたが、そちらへの第一歩を踏み出すものとなるのを期待する。

 民間企業であれ、霞が関であれ、人事はそれを行なうトップの意向を示す。民主党を核とする新政権の各大臣が事務方をきちんと指示・監督し、改正国家公務員法に基づく人事評価を国民本位に実施できれば、官僚は国民のための行政に徹するようになるだろう。ことは民主党など与党の政治家の今後にかかっている。

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2009年9月24日 (木)

新大臣を無視した国交省、厚労省のホームページ

 霞が関の官僚たちが鳩山新政権をどう受け止めているのか。試みに、いくつかの省のホームページを見てみたら、これが実におもしろい。

 国土交通省のホームページで「大臣会見」をクリックすると、11日の金子大臣(自民党・公明党の連立政権)会見が最新。それ以後、大臣会見の情報はない。そして16日に金子大臣が辞職したという短い情報が載っている。前原新大臣がいついつ就任したという情報はない。フォトニュースで、就任した前原大臣の顔写真を載せているのが唯一、新大臣の就任を伝えるのみで、就任あいさつも記者会見も一切載っていない。18日付けで副大臣人事の発表を伝えているが、そこにも前原大臣の名前も発言も載っていない。無論、八ッ場ダムの八の字もホームページにはみられない。

 厚生労働省のホームページも長妻大臣の就任に対して冷淡な扱いをしている。18日に大臣交代の写真を載せているが、新大臣のあいさつは載せなかった。そして19日に長妻大臣のプロフィールを掲載したが、履歴書同様の内容で、新大臣が何を言ったか、何をしたかを全く取り上げていない。

 では、中央官庁は一切、新大臣を無視しているかというと、そうではない。農林水産省のホームページを例にとると、17日に赤松新大臣の就任会見をくわしく載せており、18日の会見も同様に載せている。そして、19日に、新大臣が築地市場を視察したという発表もしている。総務省のホームページも原口新大臣の16日の会見に続いて、17日、18日の会見も概要を載せている。

 霞が関が官僚主導を批判してきた新政権をどう受け止めているかは、とても興味深いテーマだが、ホームページにこれほど露骨に彼らの心情が表われるとは正直言って驚いた。

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2009年9月19日 (土)

鳩山民主党政権のすべりだし

 政権交代がこんなにテレビや新聞などのメディアを面白くするとは思いもしなかった。メディアの報道を見聞きするのがこのところの最大の楽しみである。ジャパン・パッシングだとかナッシングだとか言っていた外国も鳩山新政権の発足による変化に注目しているという。新政権がエンジンを動かし始めたいまになってみると、自民党がそのまま政権を握っていなくてよかったという思いがする。

 岡田外相が核持ち込みの密約について、調査報告書を11月までにまとめて提出せよと外務省の事務方に命じた。前原国土交通相が八ツ場ダムの中止を明言した。原口総務相は国から地方への補助金をやめて交付金を増やす方針を明らかにした。その他の新閣僚もマニフェストに盛った政策の実現を口にした。長妻厚生労働相はじめ、新政権の閣僚は官僚の振り付けを認めず、自分の考えを述べている。それも、十分に実態を知り、考えたことを語っている人が多い。だから、聞いていて、この政権はなかなかのものだと思う。

 ただ、亀井金融担当大臣あたりになると、民主党の政策とはちぐはぐと思われる発言が飛び出す。連立政権の問題点が早くも露呈したように感じる。もう1つ付け加えると、ある大臣が就任あいさつで職員に向かって「私は鳩山首相に一番近い」と強調していたが、アホかと言いたい。新内閣の閣僚は玉石混交というわけだ。

 一方、官僚支配打破をめざした民主党に対して官僚がどう出るか、多少、関心があったが、官僚側の卑屈さがのぞきみえた。選挙前、民主党の農業政策を批判した井出農水省事務次官は赤松農水相に「献身的に徹底的に新大臣を支えたい」と伝えたという(朝日新聞)。官僚は時の政権に忠実に仕えるものだとしても、自民党政権のもと、民主党を批判して間もない時期に、今度は民主党の政策実現に尽くすとよく言えるなあと思う。武士なら恥を知れと言いたい。

 また、民主党政権が温室効果ガスの排出量25%減の方針を打ち出したのを環境省が歓迎していることは明らかだが、小沢環境相を迎えての小林事務次官の歓迎あいさつにはびっくりした。そういう政策の実現をめざす小沢大臣を「お慕い申し上げております」と言ったからだ。霞が関では新大臣を迎えると、歓迎の言葉を述べる習慣があるのか知らなかったから、よけい驚いた。

 民主党が官僚による記者会見をやめさせるという方針を出したあと、じきに引っ込めたのはよかった。官僚が内閣・大臣の方針や意向を無視したり、反した発言をするのは許されない。それは当たり前のことである。しかし、内閣・大臣の方針などの枠の中で説明したりするのはむしろ必要なことだと思う。官僚支配の打破ということで気負いすぎたのだろうが、一歩誤れば、言論の自由、報道の自由を侵しかねない。民主党の中に、そうしたファッショ的な発想が潜んでいるという恐ろしさを垣間見たような気がする。

 お隣の国である中国では、新疆ウイグル自治区における暴動を報道することを認めない。権力者は支配体制を堅固に保つために、権力への批判を封じたがる。しかし、言論の自由や報道の自由は民主的な社会の重要なインフラである。民主党の政策には統制・規制を強めるものがあるが、統制的な発想が行き過ぎると、民主主義の根幹を傷付けることになりかねない。ここは要注意だ。

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2009年8月29日 (土)

もし麻生首相が早期解散していたら

 歴史に「if」(もしも)はない。でも、もしも、麻生太郎氏が昨年9月に総理大臣に就任して、すぐに衆議院解散に踏み切っていたら、どうなっただろうか、と思ってしまう。

 明日の総選挙の結果はおそらく民主党の歴史的な大勝、自民党の壊滅的な敗北になるだろうが、昨年10月に解散、総選挙を実施していたら、自民党と民主党とは相当に接戦だったのではないか。その意味で、自民党の多くの議員は、解散を先延ばしにしてきたことをものすごく悔やんでいるような気がする。麻生首相も内心では同じ思いを抱いているのではないか。

 しかし、リーマン・ブラザースの破綻などで世界的な金融危機が始まっていたときに、麻生総理大臣が解散、総選挙による政治の空白、停滞を避けて、次々に経済対策を実施したことは、日本経済や世界経済にとってよかった。

 人によっては、麻生首相とその取り巻きは世論調査などから、利あらずと見て、解散を先へ先へと延ばしたにすぎないと言うかもしれない。そのあたりは確かなことはわからない。だが、経済対策の内容については納得できないものもあるにせよ、解散を先延ばしにしてきた麻生首相の決断は、歴史的にみて、国民経済にとって適切な選択だったと評価されるのではないか。

 また、自民党を壊すということで誕生した小泉内閣がなしとげられなかったことを、麻生政権は望んだことではないが、結果的に、実現することになる。総理大臣にふさわしい見識や抱負経綸を持ち合わせない、浅薄な人気しかない麻生太郎氏を自民党の総裁、日本国の総理大臣にまで押し上げた自民党の実態に、国民は次第に気付き、あきれはてたからである。

 民主党が政権を握っても、そんなにいいことがあるとは思われない。しかし、政権交代にはとても大きな意味がある。麻生首相が昨年10月以降、早期解散、総選挙に踏み切らなかったことは、結果的に、日本政治の一歩前進に貢献したと言えるのではなかろうか。

 自民党の歴史的大敗が明らかになると、おそらく麻生氏は責任をとって自民党総裁をやめると表明するだろう。早ければ明日にでも。そのあと、自民党が敗北の原因をどこまできちんと追及するかーーそれが自民党の再生いかんを決定づける。

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2009年8月24日 (月)

政見を見聞きするにつれ、投票に行く意欲がそがれる

 選挙運動が本格化して感ずることがいくつかある。

 歯が浮くという言い方があるが、あれもします、これもしますと政党の立候補者が次々にぶつ政見放送を見た。こっちの水は甘いと、国民にカネをばらまくようなことばかりを約束していたら、日本の国民をスポイルさせないだろうか。

 生き馬の目を抜く世界の中で日本国の利益をしっかりと守るためには、世界の現実を国民に伝え、我慢すべきは我慢するように説得するぐらいでないとまずい。いまの有権者に気に入られるようなおいしいことづくめの政策を行なっていたら、国の財政は破綻するしかない。未来志向の欠けた認識しかない政党間の政権争いは国を滅ぼすおそれすらある。

 天然資源に乏しい日本は人的資源しかない国だといわれてきた。その言い方はいささか誇張されているとはいえ、日本国は外国と輸出・輸入や資本交流を盛んにして、いまのような豊かな生活水準を享受できているのである。それも平和であるという留保条件付きである。したがって、少なくとも、周辺国と経済、安全保障、人的交流などで仲良くする努力を怠ることは許されない。

 そして、主要先進国の1つとして、世界の極端に貧しい人々を支援し、軍事的な争いをなくすために貢献する必要がある。そうした点が総選挙の争点になっていない。主要政党はあまりにも鎖国的な発想に陥っている。

 自民党は今回の選挙で当選者が100人を割る可能性が相当あるらしい。どうやら小泉改革と同様、自民党をぶっつぶすという地殻変動が起きているのだと思う。自民党の候補者にしてみれば、生きた心地がしないだろう。しかし、麻生首相はじめ自民党の幹部はばらまきなどを取り上げて民主党を批判するだけで、地殻変動がなぜ起きたか、反省すべき点は何か、という知的作業を全然していない。

 自民党支持でうまい汁を吸える関係者だけはあくまで自民党についていくだろうが、それ以外の人たちを引き付ける体系立った政策を自民党が打ち出していない、というか、打ち出せないところに同党の決定的な欠陥がある。これでは、野党になっても、与党・政府を攻略し、また政権の座に復帰するだけの力を持つのは難しい。自民党解体の方向がうすぼんやりとだが見えている。  

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2009年8月12日 (水)

マニフェストの受け止め方

 総選挙の本番入りを前に、各党のマニフェスト(政権公約)が争点になっている。8月9日には21世紀臨調が主催したマニフェスト検証大会で、9つの団体が自民党と民主党のマニフェストに対する評価(点数)を発表した。9つの団体は、民間の各種シンクタンクのほか、経済同友会、全国知事会、連合などである。

 その中には、明らかに一方の政党とつながりの深い組織があったりするので、評価点数をそっくり鵜呑みにはしがたいが、概して点数が低いのは、マニフェストの中身に問題があるからだろう。すなわち、日本の今後を占ううえで重要な論点が欠けているとか、全体として整合的な政策体系になっていないという点である。さらには、何をいつまでに実現する、それに必要な財源はどうやって調達する、といった工程表を示さずに、やたらおいしい約束を振りまいていることもある。

 マニフェストを修正する政党も出てきた。一部の公約について批判の声が出たので、当初のマニフェストにうたっていた政策を引っ込め、公約を変更したわけである。絆創膏ではあるまいに、政党の公約をさっさと貼り替えるということは、党内で十分に検討したものではないばかりか、そもそも、きちんとした政策体系が欠如していることを意味しよう。

 自民党も民主党も、相当に細かい分野にわたって公約を書き連ねている。だが、細かく書けば書くほど、選挙民一人ひとりにしてみれば誰に投票するか、どこに投票するか、悩むことになる。この問題については○○党の政策がいいが、あっちの問題は△△党の政策のほうがいい、ということになるからだ。

 マニフェストの書き方の問題でもあるが、日本が直面する主要課題(少子化、社会保障、財政改革、安全保障、企業の国際競争力強化、地域主権など)についての大まかな改革方向を示すのが先ではなかろうか。それらのいずれも、一気に方向転換すれば混乱や摩擦を引き起こす。したがって、民主党が政権の座についても、拙速に舵を切るのではなく、細かく政治の実情を把握してから、マニフェストの実施に着手するぐらいの慎重さが望ましい。

 いままでの長い自民党支配がもはや賞味期限も消費期限も過ぎたことは多くの国民の実感するところだろう。マニフェストの中身のよしあしを超えたところで国民は自民党離れをしてしまっていると言えよう。いまも、政策や実行力などとは関係のない見てくれだけで好印象の候補者にムード的に投票する国民もたくさんいるだろうが、二世議員の多い自民党には、見てくれで投票したい候補者すら少ないのではなかろうか。

 民主政治において、マニフェストの果たす役割は大きい。しかし、マニフェストを過度に重視すると、政権の座に就いたとき、重要な情勢変化に即した政策の変更ができなくなる。それに、野党にしてみると、政権を握って初めてわかることが多々ある。マニフェストに反する政策をとることが国民にとってよいことになるかもしれない。

 ことしはマニフェストという言葉がメディアにしょっちゅう登場している。だが、マニフェストとは何かを知らないままにマニフェストが一人歩きすると、国民の不信を招きかねない。政党も、メディアもマニフェストと言う場合、もっと慎重でありたい。

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2009年7月29日 (水)

バラ色すぎる民主党のマニフェスト

 民主党の総選挙公約(マニフェスト)を読んだ。「ムダづかい」、「子育て・教育」、「年金・医療」などに関するマニフェストを見ると、これまでの自民党・公明党政治がいかに主権者である国民の多くを軽視ないし無視してきたかを示す文書だと解釈することができる。

 一般会計と特別会計を合わせた国の予算(200兆円余)には相当のムダづかいがあるから、それを切ることによって歳出を減らすことができるのは確かだ。その削減分を子育て・教育などに振り向けるというマニフェストの構成はなかなか魅力的である。「生活が第一」、「生活を良くすれば、経済が良くなる」を基本理念としてきた民主党ならではのマニフェストである。

 したがって、民主党政権になれば、マニフェストに掲げた「子ども手当」、「高速道路の無料化」などの歳出は確実にカネが出ていく。しかし、その財源を生み出す作業は途方もなく大変だ。

 公共事業、人件費等、庁費等、補助金等の歳出を徹底的に効率化して、ムダづかい、不用不急な事業を根絶するというのは、言うは易いが、現実にはとても難しいし、時間もかかる。具体的にどの個別予算がなぜムダづかいと言えるのか、あるいは不用不急と言えるのか、それを誰が検討し、決定するのか、関係者の意見を聞くのか‥‥。ということで、新しい財源を生み出すまでには、1年も2年もかかりそうだし、思っていたほど新規財源を捻出できない可能性もある。政治決断で強引に特定の歳出を切るということは想定しうるが、それをやっちゃ、おしめえよ、だ。

 「生活を良くすれば、経済が良くなる」という民主党の基本理念のせいだろうか、グローバルな経済競争の中で、いかに日本の企業が活力を保持していくか、という視点が欠如している。

 日本経済が良くならない限り、生活が良くなることは望めない。しかし、中小企業の法人税率引き下げは公約しても、大企業の国際的に高い法人税率を下げるということは言っていない。いまでも日本の大企業の国際競争力に疑問符が付いているのだから、民主党のマニフェストに従えば、日本経済の競争力はさらに低下して、雇用や暮らしの状況が悪化する可能性はかなりある。

 環境対策では、2020年までに温室効果ガスの排出量を1990年比で25%減らすと公約。そのために、排出量取引市場を創設し、地球温暖化対策税(ガソリン税、軽油引取税を一本化)の導入を検討するなどとしている。その一方で、ガソリン税などの暫定税率を廃止し、高速道路の原則無料化を挙げている。これでは、クルマが温室効果ガスを大量に排出するのを促進し、2020年に25%減という高いハードルを達成しにくくするだけである。

 民主党のマニフェストを読んで気になったのは、破綻寸前の日本財政に対する危機感の欠如である。自民党・公明党の連立政権は社会保障などで膨らむ財政需要をもっぱら国債発行でまかなってきた。民主党もそれと同じ意識でいるのだろうか。打ち出の小槌があるわけではないことを主要な二大政党が本気で意識し、財政改革を常に意識した財政運営をしない限り、日本の将来は暗い。  

 マニフェストで自民党・公明党政権との違いを際立たせたはいいが、民主党政権が約束する国民の暮らしや生活はいささかバラ色すぎる。その分、将来世代は厳しい状況に追い込まれよう。自民党・公明党もそうだが、ばらまき政策で票を集めるという民主党の基本姿勢からは、国民は賢明ではなく、愚昧である、という認識がうかがえる。

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2009年7月23日 (木)

自民党の“瓦解”で、「政権選択」の段階は過ぎた

 21日に衆議院が解散になった。自民党・公明党か民主党か、という政権選択をかけた総選挙になるとメディアは報じている。しかし、投票よりも何よりも、解散以前に勝負はついていて、メディアは政権交代だと結果がわかっているはずだ。自民党が内部から瓦解していくような政権末期をみれば、民主党の圧勝とみるのは当然だろう。

 ただ、こうした政権交代の流れについて、中島岳志北海道大学准教授が22日付け朝日新聞朝刊の座談会で興味深い発言をしている。即ち、「今回の総選挙では、政権交代すら争点ではなくなり、単に自民党を引きずりおろしたいという欲求が支配的になりつつあります」、「今は自民党を引きずり降ろせという祭りになっているだけ。メディアも世論もいい加減にした方がいい」、「だけど多くの人はそんな議論よりも、自民党がごたごたして転げ落ちていくさまを見る「快楽」に傾斜している。小泉劇場型の選挙と同じです」と。

 引用した部分だけでは中島氏の真意が誤解されるおそれもあるが、こういう時期には中島氏の提起する視点はとても大切だと思う。

 今期限りで国会議員を退く岩國哲人氏(民主党)の発言も注目に値する。21日付け朝日新聞夕刊によると、「議員は選挙に懸命で、世界のなかで日本が何をやるべきかという問題意識が不足している」と指摘、また、消費税について「国民に説明し納得を得る先見性と勇気が必要」と述べている。同氏は6月7日付けの日本海新聞に「日本の政経手術」と題するコラムを書き、政治も経済も大胆に改造することを提案しているが、その中でも消費税のあり方をまじめに考えるよう主張している。

 岩國氏はビジネスへの造詣が深く、国際的なセンスもすぐれているが、民主党内で重用されたという感じはしない。そこに民主党の限界を読み取ることもできよう。

 すでに、選挙運動は始まっている。だが、総選挙の公示前とはいえ、自民党も民主党もきちんとしたマニフェストを発表していない。自民党、民主党とも立候補予定者たちは、この国の将来についての持続可能なビジョンや政策体系もなしに、とにかく走り出している。そして口にするのは、全体の整合性もなく、かつ財源などのきちんとした裏付けもない“おいしい”公約である。と同時に、相手政党のアラを探し、批判しまくる。

 そんな選挙はまともな選挙と言えないのではないか。さらに言えば、そうしたいい加減な政党、その候補者たちから衆議院議員のバッジを胸に付ける人が出るのかと思うと、暗澹たる思いがする。でも、そんなことはいい、とにかく政治を変えたいんだという国民の気持がいま大きな潮流となっていることは確かだし、それが閉塞状態の日本を変えるきっかけとなりうることは否定できない。自民党と民主党との違いがあまりないことがそうした“乗り換え”をしやすくしているのだろう。

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2009年7月13日 (月)

都議選の興味深いデータ

 東京都議会議員選挙は民主党の圧勝に終わった。都民は都政よりも国政に対する批判・不満・怒りをこの選挙にぶつけたような感じがする。

 都議選の当選者の顔ぶれをみると、民主党を中心に大幅な若返りがみてとれる。千代田区(定員1人)で26歳の民主党候補が当選したのは驚きだが、今回、30歳代の民主党当選者は、大田区2人、世田谷区2人、中野区1人、練馬区2人、荒川区1人、北区1人、葛飾区2人、江戸川区1人、武蔵野市1人、三鷹市1人、府中市1人、日野市1人、北多摩第一1人、北多摩第三1人、北多摩第四1人、計19人にも及ぶ。大半が新人である。これに26歳の当選者と40歳~45歳までの10人とを加えると30人。民主党の当選者54人の半分を超す。

 少子化に加え、若い世代は投票に関心が乏しいので、政治は人口の割合の高い高齢者を優遇する傾向があるといわれてきた。結果として、社会保障制度にみられるように、若い世代や将来世代にツケを回すなど、世代間の格差は相当大きいとされる。このため、年代ごとに投票権の数を分け、若い世代の投票権を多くしたらどうかという意見すら出るようになった。

 しかし、今回、投票率が10%ポイント超も上がったように、若い世代がかなり投票所に行ったようだ。そのせいか、年齢が30歳代の若い候補者に向けてフォローの風が強く吹き、多くがトップ当選を果たした。それに、自民党、公明党にも、わずかだが、30歳代の当選者がいた。“ロスト・ジェネレーション”を元気づける現象である。

 若い世代は、知識・経験の不足はあるが、馬力があり、実行力は相当なものがある。彼らが東京都議会でかなりのウエートを占めることになったので、都議会を活性化するだけでなく、所属する民主党をも突き上げることだろう。今回当選した若い議員は次回の選挙で実績を問われ、落選の憂き目にあうかもしれないが、彼らが活躍すれば、ややもすれば議員在籍年数に比例して党の要職に就くといったこれまでの年功序列を打破する契機になるかもしれない。

 最近、30歳代の自治体の首長が少しずつ誕生。直近では奈良市長がそうだ。明治維新は30歳代が大いに活躍したが、そんな昔と重ねてみたくなる。戦後の60余年は言うなれば江戸時代。国をめぐる情勢が大きく変わり、にっちもさっちもいかなくなって、若い世代が決起し、中高年世代がそれを支持する。そんな時期なのかもしれない。こじつけにすぎないが‥‥。

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2009年7月11日 (土)

選挙“口約”にはうんざり

 東京都議会議員選挙の投票が12日に行われる。家の周りや駅周辺では、候補者の宣伝カーが走り回っていたが、やたらとがなっているだけで、ほとんど騒音としか感じなかった。それも、まだ候補者の名前を叫び、よろしくと言うものが少なくなかった。

 そういう選挙運動では、どんな政策を実現したいのかを訴えるのは難しい。選挙民としては選挙公報(私の住むところの区の公報)を読むしかないが、そこには、ムダづかいをやめる、医療・介護を守る、まじめに働く人に就職支援する、中小企業・商店街を守る、働く母を応援する、共生を大切にする、安心・安全で住みよい環境にする‥‥といった誰もが賛成する抽象的な表現が目立つ。東京オリンピック招致の反対、新銀行東京から撤退、築地市場の移転中止、○○病院の産科・小児科再開など、具体的な政策も挙がってはいるが、概して、総論的な内容に偏っている。

 総論的な公約は過去の選挙でも繰り返し唱えられたが、辛口に言えば、ほとんど実現したためしがない。それは、評価のものさしがないせいもある。いずれにせよ、バラ色の公約が実現していたら、都民の生活はすばらしいものになっていたはずだ。

 本気で公約の実現に政治家のいのちをかけたという話も聞かない。それらを総合すると、選挙運動中に示した約束は、たぶん、選挙民を釣るための単なる“口約”にすぎないのだろう。

 選挙公報を読んでいて、もう1つ気がつくのは、公約の大半がおカネがかかるのに、そのカネをどこから生み出すのかを誰も言っていないことだ。オリンピック招致反対でいくら浮くから、それをどこそこにいくら充てるといった主張をしている候補者もいなさそうだ。ムダづかいは相当あるだろうと想像するが、具体的に何がムダづかいかを誰がどうやって判断するのか。そういうところまで踏み込まないと、現実の成果は生まれない。

 地方自治体の議会や議員が自治体政府と対峙し、独自に政策の形成、立案を行う力を持たなければ、真の地方自治はありえない。そのためには、政策形成を支えるスタッフが相当数必要だし、政党・会派として政策づくりの体制をつくる必要がある。

 現実をみると、役人に依存しきった議会、議員がいまだ多数を占めている。当選したら、肩で風を切り、住民・選挙民とのコミュニケーションを全然しない議員が東京都でもほとんどではなかろうか。

 地方自治とか、地域主権とかいうものは、福嶋元我孫子市長が言うように「主権者である私たち(住民)が自治体や国に権限を分ける」というとらえかたが浸透して初めて本物になる。都議会議員の候補者のうち、幾人がそれをきちんと理解しているのだろうか、と思うと、選挙に行こうという気持ちが萎える。 

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2009年7月 3日 (金)

民主党政調会長代理は話がうまい

 言論NPOが1日に開催した「自民党×民主党政策公開討論会」を聞いた。自民党は園田政調会長代理、民主党は福山・長妻の2人の政調会長代理が登壇した。私の関心を引いたところのいくつかの発言を紹介すると――

 園田=①少子化で、現役が高齢者を支える構図は行き詰まった。消費税引き上げで国民全員で支えるようにする。②官から民へ、大きな政府から小さな政府へというのは無理。社会保障をみればわかる。中くらいの政府が正しい。③日本はこれからも経済大国であり続けねばならないのか、議論が必要だ。それが日本を背伸びさせることになるのではないか。

 福山=①税のむだづかいを直す。予算を横を通じて総組み替えする。一般会計・特別会計を通して予算配分の見直しをする。②人が資源だ。格差が広がっても教育の機会だけは維持する。ナショナル・ミニマムとして子供を育てていく。③参議院選挙の勝利で民主党は仮免許をもらった。今度は国政を運営する免許をいただく選挙だ。ホップ・ステップ・肉離れにならぬようにしたい。④官僚は優秀。機能不全の修正を我々がやる。⑤マニフェストは国民との契約という基本的認識だ。財源と具体的政策目標などはマニフェストとして出す。

 長妻=①政府のありかたを国民に奉仕するものに変える。生活者の立場からすべてを組み替える。②政府の借金は類をみないほど大きい。今年度は44兆円もの借金をする。これは消費税で賄うとすると17.4%に相当する。③いまは優先順位の低いところにカネが流れる仕組み。政権交代した1年目にこうした浪費に徹底的にメスを入れる。④日本人は官僚をコントロールできたことがない。今度はコントロールできるか否かの大勝負だ。我々が政権を握れば、人事評価基準をすっかり変える。マニフェストは国民からの命令書であり、政策実行の武器である。各官庁に貼っておく。⑤医療・介護の技術で世界のプラットフォームを次々につくっていく。国の情報収集能力を世界のトップクラスに引き上げる必要がある。⑥財政再建についてはマニフェストに書くか未定。

 聞き比べると、民主党のほうが話がうまい。ことに長妻氏は演説慣れしている感じだ。キャッチフレーズ的に話すのも巧みである。長妻氏がしょっちゅう言っているHAT-KZ、すなわち、ひも付き補助金(H)、天下りあっせん(A)、特別会計(T)、官製談合(K)、随意契約(Z)は、官僚支配政治の諸悪の根源を突いており、日本の構造改革や財政改革を進めるうえでの攻撃目標である。討論会では、このように攻める民主党に比べ、守勢に立った自民党の説得力が弱かったように思えた。

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2009年6月23日 (火)

セブンーイレブン・ジャパンに欠けていたこと

 日本人のよき慣習の一つに、食事前の「いただきます」と食事をすませたときの「ごちそうさま」という言葉・しぐさがある。食事をつくってくれた人への感謝の気持ちや、素材である米や野菜、魚などを育てたり獲ったりした人々への感謝であると同時に、それらを超えた神に対する感謝を示している。ご飯茶わんに一粒も残さないように食べるのも、そうした感謝の気持ちとつながっている。「もったいない」という感覚はそれと表裏一体である。

 日本で一番のコンビニであるセブンーイレブン・ジャパンが加盟店に対し、販売期限が迫った弁当や総菜を値引きして販売しないように強制していたとして、公正取引委員会が22日、独占禁止法違反として排除命令を出した。これは、不公正取引というビジネスの観点からとらえるだけでなく、コンビニというビジネスモデルのありかたを改めて考えてみるいい機会のように思える。

 値引き販売しないと、売れ残って廃棄した分の仕入れ原価がまるまる加盟店の負担になるし、廃棄物処理費用も相当かかる。これに対し、値引き販売すれば、売り上げ収入が増えて加盟店の採算にプラスになる可能性が大きいし、捨てる量が減る分、処理費用は少なくてすむ。それに、「もったいない」に表現されるように、大量に捨てることへの心理的抵抗もある。公取委の排除命令は、後者を支持するものである。

 セブンーイレブン・ジャパンは値引き販売を認めると加盟店間の値引き競争になりかねないと主張しているという。しかし、コンビニで働いた人が廃棄量の多さに驚くように、大量生産ー大量消費ー大量廃棄のビジネスは資源・環境問題の深刻さを考えるともはや許されない。そういう時代認識がセブンーイレブン・ジャパンには欠けているらしい。

 余談だが、食品廃棄物を農業でたい肥などとして使って、できた野菜などを自社のレストランで使うというのを自慢するレストラン、ホテルなどがある。これなども、そもそも廃棄物を出さないというくらいの工夫をしているかといえば、疑わしい。3R(Reduce、Reuse、Recycle)が示すように、まずReduce(排出削減)が第一に求められるのである。

 個人的にはコンビニを利用することは皆無に等しい。それはそれとして、コンビニは便利さの象徴とも言うべき存在である。だが、気になることもある。かつては朝7時から夜11時まで営業していたのが、いまでは24時間営業だ。深夜の利用者も少なくはない。しかし、深夜も続けて営業することへの疑問も京都から提起されている。社会にとってプラスだけでなく、マイナスもいろいろあるからだ。

 現代の先進国は、商品・サービス・エネルギーの大量消費や利便性などを追い求める成長優先の発想から、生活の質、ワークライフバランス、省エネ・省資源、環境保全などを重視する方向へ転換しつつある。そういう時代の流れを踏まえれば、コンビニ業界としても、利便性を強調するだけでなく、時代に即した社会的、経済的な責任は何かという視点でビジネスのありかたを根本から見直すべきではないかと思う。

 セブンーイレブン・ジャパンはコンビニの経済性をとことん突き詰めた点ですごいが、未来志向でCSRを深く追求することが望まれる。

  

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2009年6月 2日 (火)

GMの破産法11条適用の意味を考える

 米国最大の自動車メーカー、ゼネラル・モータースが破産法11条の適用で再生する道を踏み出した。破産法11条は日本の民事再生法に相当するものだそうだが、米国では、死んだはずの会社が借金切り捨てなどで、以前よりもコスト競争力が強くなって再生するというので、一部に批判のある法律である。新GMもコスト面で相当に競争力が高くなるだろう。それを生かすだけの商品を提供できるか否かが注目点だ。

 オバマ政権が国有化までしてGMを再建させるのは、破産すれば、部品産業や自動車販売業界まで含めると、現在の経済・産業や雇用に深刻な影響を及ぼすと判断したからだろう。事業体としてのGMを社会的に存続させる価値があるのか、その問い掛けは二の次だったように思う。

 「too big to fail」のお手本が眼前に差し出されたとも言えるが、今回の救済が米国の民間企業に及ぼす心理的な影響は無視できないだろう。ビッグビジネスの経営者や労働組合が、「当社の経営がおかしくなったら、政府が救いの手を差し伸べてくれるだろうか」と考えたとしてもおかしくない。さらに言えば、規模が大きい企業ほど救ってもらえる可能性が大きいから、合併・買収で企業規模を大きくしようという志向が現れるかもしれない。

 日本で「too big to fail」に該当するような巨大企業はどこか、と想像してみるのもおもしろい。自動車産業ならどこそこ、電機なら‥‥。現実に、政府が公的金融で資金を供給した相手は必ずしも巨大企業ばかりではなかった。それが適切だったか、国会では問題にならなかったが、そこがいかにも日本らしい。

 ところで、日本では、大手銀行持ち株会社がこぞって証券会社の買収を進めるなど、事業の多角化、企業の大規模化に熱心だ。日本の金融危機で国有化や国の資本注入などを経験したにもかかわらず、いずれも単純に金融のデパート化に邁進している。企業規模が大きくなるにつれて官僚化、組織の硬直化が進むことへの不安を感じていないようにみえる。

 しかし、すでに、大手銀行持ち株会社では、証券子会社などの日常業務でさまざまな問題を起こしている。また、持ち株会社の役員などトップは現場の事情に疎く、現場においては、下の者が上司にものを言いにくい雰囲気ができつつあるようだ。

 GMもそうだったようだが、巨大企業に共通の問題点が日本の大手銀行には現れているように思われる。「too big to fail」の潜在的な候補と言うべきか。

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2009年5月20日 (水)

厚生労働省の分割

 麻生総理大臣が巨大すぎる官庁、厚生労働省の分割を言い出した。もっともな感じがする。

 舛添厚生労働相といえば、ついこの間まで、いわゆる派遣切りなど非正規雇用の問題で毎日のようにメディアに登場していた。それが、最近は、新型インフルエンザの国内患者発生で、連日、テレビなどに映っている。派遣労働の制度改正云々はどこかへ追いやられたみたいだ。

 厚生労働省は省庁再編で、旧厚生省のほとんどと労働省とが一緒になった。社会保障関連の業務や予算が急速に増えているし、雇用不安で労働関係の業務も拡大している。職員数は一般会計、特別会計を合わせ約3万8千人。財務省、国土交通省、法務省に次ぐ大所帯だ。しかし、一般会計歳出予算では、25兆円余と断然トップだ。国債費や地方交付税交付金等を除いた一般歳出が52兆円弱だから、半分を厚生労働省が占めている。しかも、社会保障関連予算は年々1兆円ぐらいは増えるといわれているから、カネづかいの面でみると、霞が関の中で、群を抜いた巨大官庁である。

 それを1人の大臣がみるなんてことは不可能である。有能な舛添大臣であっても、国家予算の半分をきちんと押さえて国民のための行政を行なうことは無理である。

 したがって、麻生首相の分割をという指示は方向として正しい。ただ、思い付きで省庁再編を実施しようとしても、無理がある。どういう国にしたいのか、そのために、どういう行政組織にするのがよいかを詰める組織を早急に与党内に設けるのがいいのではないか。その際には、霞が関の全体を再編の対象にすることだ。政党のマニフェストづくりと結び付く話だ。

 ざっと霞が関をみたとき、行政組織再編のポイントはいくつかある。今後の人類の運命を左右する気候変動問題にきちんと取り組む省庁はどうあるべきか(エネルギー庁を経済産業省の下に置いていていいのか、森林保全を農林水産省の中に置いていていいのか)、中央集権から地方自治への転換を促すにはどうしたらいいか、産業官庁は集中したほうがいいのではないか(総務省にある旧郵政省の通信関連を経済産業省に移したほうがいいのではないか)、雇用・生活中心の省を新設し、問題となっている幼稚園、保育所を所管し、国土交通省の住宅行政もそこに移すetc。

 麻生首相に指示された与謝野大臣は厚生労働省の分割だけにとどめるつもりとか。“急ぎ働き”では、それも考えられるが、その場合でも、次を意識したプランが必要だと思う。 

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2009年4月25日 (土)

死体遺棄された小4女児のいたましさ

 SMAPのKさんが公然わいせつ罪で逮捕され、自宅の強制捜査を受けたという事件。テレビや新聞などで大きく報道された。酔っ払い運転をしたわけでもないし、ヤクを使っていたわけでもない。酔っ払って公園で大きな声でどなったりしていただけのことだ。それなのに、いかにも大事件のように扱う。人気スターだからとはいえ、いかにも“平和国家、日本”らしい。

 24日夜の記者会見をテレビで見たが、カメラのフラッシュは、のべつ幕なし。根掘り葉掘り細かい、かつ、どうでもいいようなことばかり次々に質問しているのにはあきれた。誰だって、ときにはのんで騒ぎたくなるようなときがある。ましてKさんは人気のスターだから、ひと目を気にしないで破目をはずしたいときがあってもおかしくない。だが、会見はひたすら犯罪者扱いの質問ばかり。メディアで取材・執筆する記者たちの人間観がいかに薄っぺらなものかを露呈していた。

 そんな報道よりも、大阪市の小学校4年の女児が親の虐待で死亡し、遺体が遺棄されていた事件のほうが私にはとても大きい出来事に思える。急速に進んでいる少子高齢化は現代日本の深刻な問題であり、将来の日本を担ういまの子供たちは国の宝とも言うべきものである。それなのに、実の母親に内縁の夫ができて、子供がこの父母から虐待を受けて死ぬといういたましい事件がしばしば起きている。同様な事件を起こさないためにどうしたらいいか、メディアは真っ向からそれに取り組んでほしい。

 事件を踏まえると、生活が安定すること、そのための仕事を確保すること、孤立しがちな都会暮らしでの人々のつながり・支え合いを築くこと、学校や地域で子供を見守ること等々、現代日本が抱える課題は実に多い。我々の未来を託す宝である子供たちがいきいきとして育つように、社会のありようを見直したいものだ。それに比べたら、SMAPのメンバーの公然わいせつ罪なんて、報道する価値はほとんどない。

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2009年4月21日 (火)

組織のタガがゆるんでいる

●日立製作所の家電製品製造部門である日立アプライアンスがことし1月に省エネ大賞をもらった電気冷蔵庫について、実際にはリサイクル樹脂をほとんど使用していなかったと発表、受賞を返上したという。

 「技術の日立」などといわれたのはいつのことだったか。中部電力に納入したタービン発電機のブレード(羽)が壊れたこともあった。ここ何年も、日立の経営は精彩を欠いている。今回の電気冷蔵庫の件は、“挙社一致”してビジネスを展開するのが当たり前なのに、それすらできていないことが明らかになった。

 同社は「総合経営」がうまくゆかず、最近、経営陣を交代したが、関係会社に天下っていたベテランをトップに呼び戻すという高齢化を図った。これには驚いた。この動乱期を乗り切るには、有能な若手を内外から抜擢するぐらいのことが必要だったのではないか。社内の若手を後継者として育てあげることもしていなかったお粗末ぶり。何十年もの間、日立を見てきたが、社員は官僚社会と同じく、すっかり「寄らば大樹の蔭」になってしまったらしい。

 環境が売り物になる時代。そのこと自体はいいことだが、古紙配合率をごまかしたりする“環境偽装”がいろいろな分野で明らかになっている。競争が激しいとはいえ、インチキまでして環境にやさしい製品を供給するのは、日本の環境技術力が実は大したものではないこと、そして、日本企業が誇ってきた企業モラルも崩れ始めていることを示しているのではないか。

●青森市長選挙で、与党が支援していた現職市長が大差で敗れた。与党の中には、地方選の結果をもとに、国政選挙の行方を云々する声があるようだが、この青森市長選をそういう視点でとらえるのはどうかと思う。

 現職は76歳。市長の任期は4年なので、過去5選というと、すでに十分長くやりすぎている。まま言われることだが、やりたいことをせいぜい2期8年のうちにやれないようなら、あといくら首長でいてもやれっこない。そして、裸の王様そのものになる。もし、今回、当選していたら、80歳までやることになる。そんな人を推す与党はどうかしている。

 神奈川県知事が多選禁止を打ち出したように、地方の首長の多選禁止は当たり前だ。自民党の中にも、首長の多選禁止を支持する声が盛り上がったこともある。それなのに、青森市長選挙では自民、公明両党や連合青森が現職の6選を支持したという。いくら長生きの時代だとはいえ、それはちょっとひどい。今回の選挙で青森市民は良識を示したのだとみるべきだ。 

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2009年4月19日 (日)

顧客情報流出の教訓

 三菱UFJ証券の顧客情報が流出した事件。同社の元部長代理が名簿業者の3社に売ったのがほかにも広がっているらしい。顧客情報を買った業者が再転売したり、一部をサンプルで提供したりすると、まず元には戻らない。個人情報を外部に知られた顧客にとっては打つ手がなく、腹立たしい限りだ。

 しかし、これまでも、ネット上にプライベートな情報を流されて、泣き寝入りするしかなかった個人もいる。IT時代、情報流出をいかに防ぐかについて、関係業界や政府はもっと真面目に取り組む必要がある。新聞などメディアも三菱UFJ証券の事件を機に、情報流出防止対策にもっと目を向けてほしいものである。

 三菱UFJ証券もそうだが、社内で機密情報にタッチできる者を限定しても、そのうちの誰かが情報をよそにもらそうとすれば、簡単にもれる。したがって、コピーなどして外部に持ち出すのを防ぐには、二重、三重のガードが必要である。それも、何人かの認証がないとできないようにすべきである。

 米国では、核戦争の危機をはらむ核兵器の取扱は何重ものチェックを経るようになっているという。顧客情報も、一旦、流出したら、回収の可能性がほとんどないことを考えると、相当に高度の漏洩防止態勢を敷くぐらいのことをしていいのではないか。

 朝日新聞の4月18日付け朝刊によれば、顧客情報の「流出先の大半はマンションへの投資や先物商品取引の勧誘業者」だそうだ。そうした個人情報の売買が違法かどうか知らないが、盗品と知って買うのに等しいのだから、犯罪ではないか。法的に、違法行為であることを明確に規定できないものか。三菱UFJ証券の秋草社長は流出情報を買い取ることも検討せざるをえないと発言したようだが、買い取るとなれば、さらに情報が転売されるだけだ。盗人に追い銭になりかねない点も問題があるように思う。

 本人の知らないうちに、勝手にネットに公開されたプライベート情報については、一般に回収や削除のしようがないといわれる。だが、中国などでは、政府の指示で、特定の情報にはアクセスできないようにしている。日本でも、裁判所が認めたら、該当するプライベート情報を削除するといったことが可能なように思う。

 

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2009年3月26日 (木)

WBC優勝・小沢代表やめず・欧米の財政悪化

 侍ジャパンのWBC優勝は最近では唯一の明るいニュースだった。多くの国民は、ハラハラしたが、最後は「やったあ」という気分ではなかろうか。国民は満たされた気分をできるだけ長く味わいたいから、優勝したあとのゲームの回顧、共同会見、帰国の出迎えなど、“続報”も見てしまう。

 しかめっ面をしているよりも笑顔でいるほうが健康にもいいことはわかっているが、ずっと、不景気な話ばかりで、なかなか喜びを笑顔に表す機会が少なかったような気がする。ただ、WBCに関しては、侍ジャパンのメンバーが全員、試合に出場できたのかしらとちょっぴり心配している。一度も出る機会がなかった選手がいたとしたら、内心、さぞ辛かっただろうなと思うからだ。プロはその点、割り切っているとは思うのだが‥‥。

 民主党の小沢代表は秘書が起訴されたが、政治資金規正法違反にすぎないから辞めないと言った。秘書逮捕に関しては、3月4日付けのブログで書いたように、いろいろな視点がある。しかし、小沢代表や民主党が24日に示した対応には、一点だけ納得できない。

 政治資金規正法に違反したら、刑罰は最高懲役5年‥‥という。ところが、規正法に違反しても、それは大したことではないというのが小沢代表の主張であり、民主党の見解なのである。専門家といわれる人たちの中にも、そうした意見の持ち主がいる。しかし、懲役5年に相当するような犯罪をおかしても、別に悪いことをしているわけではないというのはどういうことなのか。法をつくる立場の国会議員が、それを言っちゃあ、お終めえよ、と言わざるをえない。民主党の法治国家観では、最高懲役5年‥‥程度の刑罰を規定した法律はたくさんあるが、それらは皆、破ってかまわないことになるのではないか。民主党の国会議員のほとんどは法遵守を無視し、党の結束を優先しているが、こんな議員ばかりの政党が政権をとったら、何をやり出すか、おそろしくなる。

 オバマ米大統領は記者会見で財政赤字を「私の最初の任期終了までに半減する」(日本経済新聞25日付け夕刊)と述べた。ブッシュ政権から引き継いだ1.3兆ドルに加えて、経済再生策で財政赤字が膨らむ一方だが、財政健全化を意識している。また、欧州委員会はフランス、英国、スペインなどEU加盟5ヵ国の財政健全化目標の達成期限を提案した(同)という。EUには年間の財政赤字をGDPの3%以内に抑えるという財政協定がある。経済危機のため、一時的に3%超を容認したが、元に戻すのがねらいだ。現実には、期限を定めても守れるか疑問もある。

 だが、財政健全化の基本に立ち返るという米欧の姿勢は日本も真似る必要がある。財政赤字が最も深刻な国は日本であることを日本の政治家も官僚もいまや忘れかけているようにみえる。

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2009年3月16日 (月)

規制緩和を一概に否定するな

 ときどき散髪をしてもらいに行くが、東京には10分程度でやってくれる千円カットの店があるので、もっぱらそこを利用している。

 かつては理髪店といえば、洗髪をしてくれたり、ひげをそったりしてくれ、行くと、途中で眠くなったものだ。ゆったりした分、料金も何千円と高かった。当時は、業界に参入規制があり、かつ理髪店は地域で協定料金を定めていたので、消費者は価格が高くてもそれを受け入れるしかなかった。それが規制緩和により、新規事業者は届け出れば開業可能になった。

 その結果、理髪だけに限り、短時間でやるというビジネスが出現し、定着した。ひげをそるとか、洗髪するとかは自分の家でやれば、おカネはかからないから、消費者にとってはありがたい。忙しい現代人にマッチしたビジネスモデルである。

 ただ、既存の理髪店(床屋さん)には、千円カット店の出現は自分たちの生存を脅かすものとうつる。このため、県によっては、理髪店の組合である理容生活衛生同業組合が千円カット店は衛生上、問題があるとして、洗髪設備の設置を義務化する条例をつくるよう求めている。

 一般に規制といっても、いろいろある。国民の命を守るための規制などは必要に決まっているが、他方で、既存業者の権益を守るとか、役所の職員の権益を守るというものもある。ところが、最近は、規制緩和というと、新自由主義とやらと一緒くたにして、すべて日本を悪くした元凶みたいな扱いをされる。

 しかし、規制の緩和や撤廃というと、十把一絡げで消費者や生活者にとっていけないことばかりだろうか。以前から言われていたように、サービスを供給する側の既得権益を打破し、競争を促進するとか、生活者、消費者にメリットを与えるという点を大事にしなくていいのだろうか。

 16日付け日本経済新聞朝刊の「経済教室」に「サービス拡大へ規制緩和」という見出しの記事が載っている。筆者は鈴木亘学習院大学准教授で、介護・保育には大量の潜在的な需要があり、それに応えるには既存供給者の既得権益を打破する規制緩和を実施すべきだと主張している。「昨今、一部で悪名が高い規制緩和こそが、財源が乏しい中で、最も理想的な景気・雇用対策なのである」と言う。

 私たちは宅配便をひんぱんに利用するし、コンビニで払い込みをしたりする。いま当たり前のように思っているサービスやビジネスなどを調べたら、規制の緩和・撤廃のおかげで実現したものが多いことに気付くはずだ。製造業の派遣切りといったいくつかの現象を根拠に、多角的な検討もしないまま、一方的に規制緩和を断罪するのはいかがなものか。

 まさに政治にそれが欠けているところだが、冷静にさまざまな角度から問題を検討したり、議論したりする風土がいまの日本社会には必要である。

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2009年3月12日 (木)

魚心あれば水心の巨額献金

 舛添要一厚生労働大臣が6日の記者会見で、自らが受ける政治献金について、次のように語っている。①ほとんど献金をもらっていない。ちょっと恥ずかしいくらい少ない。②カンパで3千円とかくださることがある。ありがたいということできちんと名前を確認する。③5万円を超えるような多額のときは必ずチェックして、怪しい団体じゃないか見るようにしている。

 舛添大臣は参議院の比例代表であり、タレント性もあるので、選挙には強い。自民党の衆議院議員などと違って、政治活動のために必要なカネは少なくてすむだろうし、それほど献金に頼る必要はないかもしれない。彼は政治献金に関する限り、与党の政治家としては例外的なほうに属すると思われる。だが、舛添大臣の言うように、多額の献金を受けるとき、相手が何者か、献金のねらいは何かを確認するのは、政治家であれば、誰もが当然にやるべきことではないだろうか。

 見ず知らずの政治団体が見返りも何も求めず黙って何百万円も政治家の資金団体に献金するなんてことはありえない。どぶに捨てると同じだからである。だから、本当は誰が献金するのかを政治家側に必ず伝えると考えるのが自然だ。そして、政治家側も、献金の真の出し手が誰か、何のためかをも知らずに、あるいは知ろうともせずに、特定の者から巨額の献金をホイホイと受け取るのはありえないし、あったとしたら、明らかに異常な神経の持ち主である。

 秘書が政治資金規正法違反で逮捕された小沢一郎民主党代表は検察のやりかたを批判しているが、それよりも、彼の言い分を前提にすると、わけもわからない団体からホイホイ巨額の献金を受け取った自らの非常識さを恥じるべきだろう。西松建設からであることを知らずに受け取ったなどと合法性を強調するのは誰が考えても詭弁である。

 その点に関しては、昔、自分が所属していた自民党の金権体質につかったまま今に至っていると言えるかもしれない。クリーンなイメージを民主党が打ち出そうとしているのに、その代表が政治にカネがかかるという意識で大口の企業献金を無造作に受けるのは、ちぐはぐした感じだ。

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2009年3月 4日 (水)

小沢代表の公設秘書逮捕

 民主党の小沢代表が西松建設がらみで検察に狙われている、という話を聞いたのは2週間ほど前だった。政界の情報通にはかなり前からそうした噂が流れていたようだ。

 麻生首相の支持率が末期的な低水準に落ち、このままでは総選挙での民主党の勝利がほぼ確定的と思われるこの時点で、検察庁が政治資金規正法違反の容疑で、小沢氏の公設第一秘書を逮捕したというのをどう解釈すべきだろうか。

 第一に、小沢氏の言うように、不公正な国家権力、検察権力の行使という解釈もできる。権力の濫用というわけだ。国内の政治・社会情勢をみれば、年内に民主党の天下になる可能性が大きい。そこで、小沢発言を拡大解釈すれば、自民党・政府が検察を使って不当な弾圧をしているという受け止め方もできなくはない。

 過去に指揮権発動もあったように、時の政権が検察を押さえ込むこともありうる。検察のほうも政治的な判断をする。とはいえ、日本の検察の歴史からみて、政権の座にある者が検察に暗黙にせよ指示をして無理矢理に捜査をさせるということは考えにくい。田中角栄逮捕にしても、検察の判断を、時の総理大臣が尊重したにすぎない。

 第二に、当たり前のことだが、検察が自らの判断で捜査に乗り出したという解釈である。その場合、この政治の季節に、なぜ次の首相の有力候補である民主党のリーダーをねらったのかだ。検察は見逃せないほどの違法行為であること、一部で時効が来ることを理由に挙げているようだが、推察するに、もう一つ、小沢氏が総理大臣になってからでは、小沢氏を標的に捜査を始めるのは非常に難しいという理由からだろう。

 しかし、小沢氏を政界から間違いなく追い落とすような証拠をにぎっていなければ、検察庁はきわめて危うい立場に立たされる。民主党が政権をとったときに、検察は報復される。ということで、検察は有罪と断ずるだけの非常な確信を持っていると推測できる。そこがあやしかったら、この政治の季節には手を出さないのではないか。

 それはそれとして、検察は自ら描いたストーリーに合う証拠を集めて有罪に持っていく傾向があるといわれる。したがって、ひとたび着手した以上、事件捜査から手を引くことは考えられない。西松建設がらみでは、長野県知事の側近が事情聴取を受けたあと自殺したという暗い話もあり、小沢氏の関係では公設秘書逮捕のあとに、第二、第三の逮捕者が出るかもしれないとも思う。

 捜査は当然、何ヵ月にもわたるだろう。小沢氏が代表の座にあり続けることが、結果的に民主党の命取りにならないとも限らない。民主党にとって大きな試練である。

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2009年2月12日 (木)

怒らない国民

 郵政民営化をめぐる麻生太郎首相の発言が野党の批判を招いているばかりか、与党である自民党の内部にも波紋を巻き起こしている。小泉純一郎元首相、中川秀直元幹事長ら郵政改革に関わった人たちは首相を公然と批判するようになっている。首相の支持率も下がり続けているが、自民党内には、麻生氏を引き摺り下ろして4人目を選ぶという賭けに出る勇気もない。自民党の議員にしてみれば、首相の口にフタをしたいような気持ちではないか。

 一方で、民主党の小沢一郎代表は議会を欠席して、都内を選挙対策で回ったりしていたという。それも、ちょっとひどい。政権交代なら次の総理大臣になる立場のリーダーが、こういう自分中心の人では、いま一つ、民主党の人気が上がらないのも当然だ。

 100年に一度の世界経済危機といわれ、正規、非正規を問わず、雇用カットが毎日のように報じられているのに、この危機に適切な対応をすべき政治が完全に空白状態である。それなのに、国民は目にみえる形で怒りの行動を示していない。米欧で行なわれるようなデモはほとんどない。かつて私たちが学生だった何十年か前には、政治に対する抗議の学生デモが当たり前のように行われていた。いまは、それとは全く違う。果たして、いまの国民は怒っていないのか。

 2010年3月卒業予定の大学生の就職環境はことし3月卒予定者とは様変わり。その先、2011年3月卒については、もっと厳しい就職環境になる可能性が高い。そうだとすれば、正社員になるチャンスは相当に減る。非正規雇用であろうと、仕事に就ければよしとしなければならないかもしれない。

 そうした暗い将来を考えたら、若者は立ち上がって、政治に注文して当然だと思うのだが、いまのところ、そんな気配は全然ない。最近、有名私学の学生(2年)と話したとき、「デモをするとか、そんなことは誰も考えてはいない」と言っていた。

 豊かになり、ゆとりができたのか、日本の社会が成熟したというのか。いまや、通勤電車や長距離列車、航空機などが事故や異常気象などで動かなくなっても、乗客は怒らない。仕方がないじゃないかとそれを受け入れる。しかし、それと一緒に、社会に対し、日本人は怒るべきときに怒ることをもしなくなったように思える。受身的には、自分自身のできる範囲で対応策、自衛策を講ずるが、問題解決をめざして皆と一緒に働きかけて事態を変えようという能動的な行動には出ない。

 民主主義はたまたま行なわれる投票において1票を投じるだけで終わりというものではない。いまの国民は、メディアの政治批判(それが適切かどうかという問題もある)を見聞きして、なんとなく満足しているようにも思える。それでは、日本の政治はダイナミックには変わらない。国民の政治に対する意思表示の方法は投票のほかに、デモとか、NPOによる活動などいろいろある。外交にしても、内政にしても、国民がもっと自らの考えを見える形で示すことが日本の将来をよくするはずだ。 

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2009年2月11日 (水)

御手洗キヤノン会長のわきが甘かった?

 コンサルタント会社「大光」の大賀規久社長が法人税法違反で逮捕された事件は、同氏がキヤノンの御手洗冨士夫会長(経団連会長)と親しかっただけに、メディアで大きく取り上げられている。この事件に関して、御手洗会長は会社としても個人としても関与を否定した。だが、ここで問題にしたいのは、御手洗会長のわきが甘かったのではないか、というトップの自己規律である。

 偉くなるにつれて、いろいろな人が寄ってくる。あれこれ頼んでくる。友人や家族などのつてで頼みごとが舞い込んでくる。それらに応じていると、いい人だと言われる。ちやほやされ、ますます人がたかってくる。商売によっては、そうした人脈がものを言う。これに対し、公私を峻別する人は無理な頼みごとには応じないから、企業などでは融通がきかない人だとみられがちだ。大きな組織では、大体、偉いさんの意向は絶対だから、下の者は、たとえ、おかしいなと思っても、上を諌めるのは至難である。

 しかし、偉い人は組織の階段を上がれば上がるほど、やってはいけないことというのをきちんとわきまえる必要がある。そして、トップといえども間違うことはあるのだから、組織の中に、それをトップに指摘し、改めてもらうチェック機能を内蔵しておくのが望ましい。企業で言えば、コーポレートガバナンスの重要な機能である。

 そうした観点で、大賀氏逮捕にいたる経緯をみると、御手洗氏が第三者のいる公的な場面において大賀氏と同席するなどというのは、公私混同もいいところである。それを御手洗氏が容認していたから、会社の下の人も、第三者も、大賀氏を特別視したのだろう。それが今回の事件の主な背景である。こんな人がキヤノンのトップや経団連会長の座にあるとは。経団連の会員会社のトップは御手洗氏の言い訳を容認するのだろうか。

 余談だが、御手洗経団連会長の叔父で、キヤノンの創業者的なトップだった御手洗毅氏は、長い間、社長、会長の座にあり、とてもおっかない人だったらしい。役員といえども、御手洗毅氏と口をきくときは緊張したらしい。そうした社風はその後、大きく変わったと思っていたが、どうだろう。

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2009年1月29日 (木)

施政方針演説の賞味期限は?

 1月28日の麻生首相施政方針演説に対する評価はいろいろだが、読んでみると、けっこう意欲に満ちていたというのが私の感想。世論調査にみられる低支持率にがっくりきているのか、と思いきや、やる気が衰えていない。首相は歴史的なこの時点において、使命感を感じているのだろう。

 「世界は今、新しい時代に入ろうとしています。」、「日本もまた、『この国のかたち』を変える節目にあります。」、「目指すべきは安心と活力ある社会」、「暮らしの安心は、年金、医療、介護など、社会保障制度への信頼があってこそ、成り立ちます。」、「国づくりの基本は、人づくりです。」、「地球温暖化問題の解決は、今を生きる我々の責任です。」

 「異常な経済には、異例な対応が必要です。」、「大胆な財政出動を行なうからには、財政に対する責任を明確にしなければなりません。」、「持続可能な社会保障制度を実現するには、給付に見合った負担が必要です。」、「分権型社会が目指すべき国のかたちです。」、「経済成長なくしては、財政再建も、安定した社会保障制度もありえません。」、「今こそ、政治が責任を果たす時です。国会の意思と覚悟が問われています。国民が今、政治に問うもの、それは金融危機の津波から国民生活を守ることができるか否かです。」

 このように、文中にはキャッチフレーズ的な言葉が随所にちりばめてある。それ自体はもっともだが、それをどうやって実現するか、果たして実現できるのか、といった各論になると、疑問点が一杯だ。それに何よりも、首相に対する国民の支持率がすっかり下がってしまっていて、演説で取り上げた個々の政策の実現性が限りなく低いと思うと、単なる作文のように思えなくもない。

 これに対し、民主党の鳩山幹事長の質問などを見ると、野党は、解散・総選挙を要求するばかりで、この歴史的な転換点という時代認識が欠如しているように思える。まことに残念だ。仮に、いま衆議院を解散して選挙をすれば、自民党が下野する可能性はきわめて高い。だが、民主党は100年に1度の危機にどう対処すべきかの政策を持っていない。というよりも、その政策をつくろうともしていない。いまだに、平時に政権を取ったときに備えつつある程度ではないのか。

 誤解をおそれずに言えば、いまは政権をどの政党が握るかはどうでもいい。挙国一致で危機を乗り越える智恵をひねり出さねばならない。

 足元をみると、日本の大企業は収益が急激に低下し、かなり先まで見通しが暗いため、生産能力の縮小、正社員を含めた人減らしに走り出している。雇用の縮小、失業率の上昇、労働者の収入減少といった現象が起きている。それらの影響を受ける地域があちこちに出ている。円高もあって、国内の工場を閉鎖し、アジアに移転するとか、海外に生産を委託するといった空洞化も起き始めた。

 このように、国内経済が傷み出しているのに、国会はそうした現実を知ってか知らずでか、いたずらに時間を浪費している。その間に、刻々と経済実態は悪くなっている。

 ダボス会議が始まった。そこでは、なぜ、このようなグローバルな同時危機が起きたのか、この危機を脱するにはどうしたらいいのか、将来、同じ過ちをおかさないために、何をすべきか、が問題意識とされているようである。日本の国会においても、日本が世界経済の主要メンバーだという自覚のもと、内外に対してとるべき政策を議論してしかるべきだろう。与野党ともにリーダーシップを発揮する人物がいないのは仕方がないとして、いまの日本の向かうべき道を見出そうとする努力ぐらいはしてほしい。

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2009年1月10日 (土)

不況への企業の対応あれこれ

 世界的な経済危機に対し、企業はさまざまな対応策を取り始めた。トヨタの社長交代見通しなど、たまたま新聞記事で目にした三社の対応策について思うところを以下に――

① トヨタ自動車の渡辺捷昭社長が6月末に副会長になり、創業者一族の出身である豊田章男副社長が社長に昇格する人事が固まったらしい。日本経済新聞は「創業家の旗の下、世界三十万人の巨大グループが結束して危機を突破する体制を整える。」と交代理由をあげる。記事の見出しまで「創業家「旗」に危機突破」と書いてある。

 それで思い出すのが、かつて松下電器産業(現、パナソニック)が創業家の直系の副社長を社長にせず、副会長にした出来事だ。父親の元社長が息子を社長にと強く求めたのに対し、当時のトップはそれをしりぞけた。会社は社会の公器であり、人物本位で選ぶべきだという理由からだ。

 トヨタは豊田達郎社長が病気で退き、ピンチヒッターとして奥田碩副社長が社長に就任するまで同族経営の色彩が濃かった。例えば、本社の役員食堂では、昼食時、会長、社長をはじめ、各役員の座る席が決まっていて、豊田英二、豊田章一郎氏らトップないしトップ経験者に対し、役員といえどもめったに口をきくことができなかったという。

 そうした社風を奥田社長が変え、上下左右にわたって風通しをよくした。その結果、トヨタの快進撃が始まった。しかし、奥田社長が創業家一族をないがしろにしていると感じた一族の一部は、奥田氏が後任を選ぶときに、豊田家を大事にする人を選ぶよう相当圧力をかけたといわれる。張冨士夫氏が奥田氏の後任になったが、それが決まるまでには、そうした事情もあった。

 過去のこうした経緯を考えると、章男副社長の社長昇格は豊田一族の年来の悲願達成ということになろう。新聞の見方では、大株主でもないのに、創業家一族の副社長が社長になることで社員が結束し、この未曾有の危機を突破する、というのだが、章男氏が世界のトヨタを率いるだけの力量を持つ人物とはどこにも書いていない。

 いまの時代、仕事はチームプレーであるとはいえ、政治と同様、卓抜したリーダーシップが必要である。トヨタのトップ選びが、世界のトヨタから三河のトヨタに回帰するのでなければいいがと憂う。

② 日本電産の永守重信社長といえば、抜群のリーダーシップで知られる。斜陽の企業を次々に買収し、立て直してきた。その日本電産が本体とグループを構成する企業(業績の堅調な日本電産コパルは除く)の社員の賃金を2月から1-5%カットする(10日付け日本経済新聞朝刊)。役員の報酬や管理職の給与もすでにカットしており、2月から削減幅を拡大するという。

 同社は仕事を融通したりして残業を減らし、雇用維持を優先するという。スタートしたばかりの春闘に水をかけるような話だが、ことしは、こうした賃金カットを行なう企業が相次ぎそうである。すでに非組合員である管理職等の給与・ボーナスのカットを始めた企業の名前も聞く。

 春闘では、連合が打ち出しているように、個人消費の落ち込みを避けるため、賃上げを要求する産業別労働組合組織が少なくないとみられる。しかし、個別企業レベルでは、労使とも、賃上げどころではないというところも多いのではないか。まだ一部の企業にとどまっている賃金カット、希望退職募集などがかなり広がるという想定もせねばなるまい。

③ 富士通マイクロエレクトロニクスが今月から工場の勤務体制を12時間勤務2交代から8時間勤務3交代に変更したという。半導体を生産する3つの工場が対象である。8時間勤務のあと4時間も残業をする勤務体制だったというのにいささか驚いた。

 連続操業をする工場は普通、3交代制をとっている。4組とか5組で回していく。それが同社の場合、12時間2交代というのだから、3組で回しているのだろう。12時間のうち4時間は割増手当が出る。それを1月から3交代制に変更、8時間の通常勤務だけにし、割増手当の支払を不要にしたというわけだ。

 半導体製造のみならず、連続操業の現場では、深夜労働をしたり、勤務時間がちょくちょく変わったりして、働く人たちには負荷が大きい。同社のように12時間勤務というのは、3日に1日休めるとしても、身体によくない。加えて、家族との暮らしのリズムが安定しない。それらの点は8時間労働の3交代制にしても完全に解決するものではないし、当の従業員にすれば、残業手当が減るほうが痛いのかもしれない。

 しかし、先進国としてこれほどの経済的な富を得た日本において、家庭生活など個人の暮らしが、あまりにも仕事に振り回されているのはやっぱりおかしい。タクシー会社勤務の運転手とか、サービス業では、やはり長時間連続の労働が当たり前になっているところが多い。失業者の問題が深刻化しつつあるが、それとともに、人間性を尊重したディーセント・ワーク(まっとうな仕事)が当たり前になるような経済体制づくりが大きな課題である。言うはやすいが‥‥。 

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2009年1月 9日 (金)

製造業への派遣禁止論議

 始まった国会では、野党が製造業への派遣労働を禁止すべきだと政府を攻め立てている。麻生首相は個人的見解として「製造業は常用雇用が望ましい」と述べている。年末から数日間、開設された「年越し派遣村」は東京都心の日比谷公園内、それも厚生労働省の目の前だったから、メディアが大きく取り上げる材料になり、それが製造業への派遣問題を国会論戦の主要なテーマに押し上げたことは否めない。

 この「年越し派遣村」は、たくさんの労働者が「板子一枚下は地獄」という危うい状況にあることを天下に訴え、政治、行政、企業経営者、労働組合などに対応を促した点で、画期的な意義を持つ。政治や行政をNPOが先頭に立って変えていく時代の始まりを意味しているのかもしれない。

 さて、国会の論議だが、問題を的確に把握し、適切な対応をするという観点で、いくつか疑問を抱く。

 年末の相次ぐ派遣切りを背景に、日比谷公園の「年越し派遣村」には500人を越える、住むところもない派遣失業者などが救いを求めた。しかし、以前からホームレスといわれる人たちが何万人もいる。彼らも、多くは失業し、住むところもないために公園や橋の下などで過ごしているのである。それらの人々の救済は政治の課題ではないのか。

 製造業の派遣労働では工場の近くに住居を確保することが欠かせない。クビになると、その住居を出ることになる。収入が断たれ、住むところも失う。まさに「板子一枚下は地獄」である。それを承知で雇用関係を切るというメーカーは非人間的だという非難が起こるのも理解できる。

 しかし、製造業の派遣労働はコストを切り下げ、かつ雇用調整がしやすいというので多用されてきたが、情報・サービス業など非製造業でも同様な理由で派遣労働や非正規雇用を多用している。土建業などでは下請け、孫下請け‥‥があり、コスト切り下げと必要なときにのみ雇うというバッファーになっている。製造業ならずとも、会社の経営がピンチになれば、非正規労働者のみならず正社員をも解雇せざるをえないことがある。倒産し、失業する労働者はたくさんいるのである。

 製造業の派遣労働者は住居も失うから悲惨だが、政治や政府がその責任をメーカーや派遣元に負わせるというのもどうかと思う。国民が住むところを確保するのは、本来、政府の住宅政策の基本である。まともに住むところがないと就職あっせんを受けられないというのであれば、当然、政治の責任として全国民に対して住宅を確保する義務がある。

 労働をめぐる課題は実に広範囲にわたる。一昨年あたりはワーク・ライフ・バランスが議論されたのに、ほとんど忘れ去られた。過労死、長時間労働、サービス(ただ働き)残業、低い最低賃金、ディーセントワーク(まっとうな仕事)等々の課題も、ほとんど改善されない。関連する生活保護、少子化などの問題を含めて、活気があり、皆が人間らしく生きていける社会にするためのグランドデザインを政治や行政がどうして提示しようとしないのか。

 日々の新聞の社会面には、人々の心が寒々とするような出来事が載っている。夢や希望を持たず、刹那的に暮らしている人が多いのだろう。経済全体として、これだけ豊かになったのに、それを国民の暮らしに生かせない社会は間違っている。

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2009年1月 1日 (木)

精彩欠く全国紙の紙面

 元旦付けの全国紙に目を通した。全体として、新聞は方向性を見失い、「チェンジ」に即応した紙面づくりができていないような気がする。新聞業界は広告量の激減で厳しい経営状況に追い込まれている。ページ数も昨年より少し減っているように思う。それらが記者の問題意識や発想に反映しているのか、概して元気がなく、精彩を欠いた紙面構成になっている。

 読者の関心が強い政治について、政界の深層に切り込むような記事、特集などがきわめて少なかった。また、金融・経済の世界同時危機を従来と異なる視点で鋭く分析するような記事や読み物も乏しかった。いまのように政治も行政も企業も混迷状態にあるとき、メディアに期待される役割はきわめて大きい。即ち、問題点をきちんと分析、整理し、方向性を明確に指し示すことが求められているのである。そのことへの自覚が薄いのではないか。

 私がおもしろいと思った連載、特集は、読売新聞の連載「農は国の本なり」第一部、日本経済新聞の特集「逆境に克つ」ぐらいである。日経がこの時点で「IT・デジタル特集」を掲載したのは日経らしいというべきか。

 ことしの元旦の新聞には外国の学識経験者などがほとんど登場しなかった。これも経費節減のせいか、内向きになったからか。

 もう一つ、気になったことだが、少子高齢化や若者の新聞離れを踏まえた紙面づくりがなされているとは思えなかった。青少年が読んでみたくなる特集などを工夫すべきだった。 

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2008年12月 4日 (木)

沈みゆく船のあがき?

 ここ数日間の新聞報道を読むと、財政のバラマキで選挙民のご機嫌をとろうとする与党・自民党の動きに歯止めがなくなったように思う。自民党政権の沈没が近いことを感じる。麻生太郎首相に代わって自民党を再建しようという志士はいない。いまの自民党を憂慮する有力議員の中には、民主党などの野党議員との連携をひそかに模索している人もいるらしい。無所属の平沼赳夫議員のもとに馳せ参ずる自民党議員も少なくないという噂を聞く。そうしたさまざまな動きのもとは、次期総選挙で落選したくないという思惑である。

 目下の与党の関心事は景気対策、それも財政出動である。並みの不況では終わらない経済の落ち込みに対しては、米欧と同じく、財政面からの景気刺激は必要だろう。しかし、巨額の財政赤字を抱える日本政府としては、将来の財政破綻を避けるための歯止めをいまからかけておく必要がある。

 第一に、財政による景気刺激策は将来の望ましい国家ビジョン(環境、エネルギー対策の強化、先端・基礎技術の開発、若者の職業能力の向上、食料の自給率向上など)に基づいたものに限る。第二に、いまだに中央・地方政府のムダが多いので、行財政改革を強力に推進すること。第三に、経済成長率や物価上昇率がいくらになったら財政刺激策をやめるか、予め設定しておくこと。第四に、同じく、経済成長率や物価上昇率がいくらになったら、消費税率をどれだけ上げるかの税制改正スケジュールを組み込むこと。

 原則もルールもなく財政支出を増やすというのは、確実に国を亡ぼす。国・地方政府は打ち出の小槌ではない。負担なくして受益なしという財政の基本を国民各位に理解してもらうことがいままさに重要である。

 小泉改革で国民の信任を得た与党・自民党が改革志向を失ったら、解散し総選挙を行なう義務がある。だが、どうも自民党は麻生総裁から平議員まで、改革にはソッポを向いている。その結果、霞が関の官僚たちの既得権益を存続させることにもつながっている。

 12月1日に政府の行政支出総点検会議が行政経費のムダをゼロにするための報告書を麻生首相に提出した。しかし、成果は会議の名称とは全く異なり、政府の公益法人向け支出が3500億円削減可能だという竜頭蛇尾のお粗末さ。政府の人員や予算のムダを洗い出すことがほとんどなかった。

 また、地方分権改革推進委員会は近く、国の出先機関の改革や国の地方に対する規制の見直しを求める勧告を行なうというが、各省庁は、地方公共団体に委ねるべき権限や予算をできる限り手放さないように頑張っている。これも大山鳴動ねずみ一匹のたぐいになりそう。

 政治が迷走すればするほど、官僚は自らの権益を守ろうとする。結果として、官僚支配の政治が続く。その意味でも、政治が国民の信頼を得られるようになることが望ましい。 

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2008年11月26日 (水)

事故米不正流通で指摘された農水省の大欠陥

 政府の「事故米穀の不正規流通問題に関する有識者会議」が25日、原因の究明と責任の所在の明確化についての報告書を発表した。農林水産省の欠陥をこれだけはっきりと指摘した政府関係文書は初めてではないか。報告書には「農林水産省は解体すべき」との意見もあると述べている。供給者側の発想にこり固まり、食の安全という消費者の側に立つ目線を全く欠いた組織では、解体も当然のような気がする。

 検証の総括において、深因は①農水省には、自分の職務が国民の「食の安全」につながっているという自覚や責任感が欠落していた、②農水省は、目先の仕事をこなしていればよいという官僚主義的体質である、と指摘。BSE対策は終了したと考え、BSE問題の反省のもとに食品の安全を農水省最大の課題と考えて、それぞれの部局で自らの業務を改革して類似の事態の発生を防止しようという取り組みが行われなかった、と述べている。

 一連の流れにおいて「消費者のことは全く考慮されていない」と報告書は言い切っている。財政負担を少なくするため、事故米穀を廃棄せず、早期処分を優先させ、汚染米が食用に流用されるのを防ぐための有効な手段を何一つ講じなかった。

 報告書は責任の所在について①農水省総合食料局の局部長等の幹部職員の責任は最も重い、②これまでに事故米穀に関する業務に何らかの形で携わったすべての職員に強く反省を求める、③組織上の統括者である歴代の大臣、事務次官をはじめとする本省幹部に対しても強く反省を求めたい、④地方農政事務所の幹部職員、特に所長の責任は重い、としている。

 そして、農水省の今後の取り組みについて、「厳正な処分を行うべきである」、職員一人ひとりの意識改革など全省挙げての意識改革を求めている。その際、民間企業の企業行動基準のようなものを設定するとか、監査指導組織を設けることとかを列挙している。

 この報告書は縦割り主義の問題や食品安全に関わる厚生労働省との業務の有機的な連携を欠いているなど、霞が関のさまざまな欠陥にも言及している。

 以上、紹介したように、役所の報告書にない歯切れの良さがある。もっとも繰り返しのようなところもあり、長過ぎると思う。

 私見によれば、責任の追及については、政府の下すペナルティは概して軽い。それだから、心を入れ替えることなく、また、失敗を繰り返すのである。それに、霞が関の官僚は退職したらいっさい責任を問われないというのはどうにも納得できない。せめて名前ぐらい公表するとか、天下り先から追放するぐらいはすべきだろう。現役の官僚に良心があれば、そのぐらいのことをしないと、国民に顔向けできないと思うはずだ。

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2008年11月12日 (水)

分裂症気味の政治

 ここ数日、メディアが伝える政治の主要なテーマは定額給付金である。2兆円の配分方法をめぐって与党内にさまざまな意見が出た。まず先にバラマキ方針があり(政治のリーダーシップ?)、言い出した以上、初志貫徹をということでここまできた。政府・与党は、所得制限をするか否かは、配る実務を担う自治体の判断に押し付けた。

 受け取れる人は年間所得1800万円(税務上の定義。給与だと2074万円に相当)を下限とする(常識的には上限とすると表現すべきではないか)と政府は言っている。ということは、年収2000万円ぐらいまでの国民には給付金を受け取ってほしい、そして是非、消費に充ててほしいということを意味している。だが、一方で、09年度予算をめぐって、国の財政がいかに大変か、をメディアは伝えている。

 政府は、基礎年金の国の負担を09年度までにいまの3分の1から2分の1に上げると約束しているが、その原資、約2兆3千億円(毎年)を手当てするメドがつかなくて困っている。また、雇用保険に対して毎年、国庫が負担している1600億円を09年度はゼロにしたいと主張している。国の社会保障費が放っておけば毎年、約1兆円増えるため、政府は毎年2200億円相当をカットする方針をとってきた。そこで、保険財政に余裕がある雇用保険に目をつけたわけだ。

 しかし、緊急経済対策を必要とするほどに景気が後退し始め、失業増などの雇用問題がこれから大きな社会問題になるのは明らか。それなのに、雇用保険への国庫負担をなくすという発想は正気の沙汰とは思えない。

 法人税が予算を大きく下回り、また赤字国債を追加発行せざるをえない。財政危機にあるこの国の財政をみれば、2兆円の給付金の財源はもともとない。しかもこのバラマキの事務的作業に1000億円かかるという(ちなみに、年金記録問題への対応で、07年度125億円、08年度139億円の補正予算を組んでいる)。それらは皆、将来世代に負担を先送りすることになる(国・地方の長期債務残高だけで800兆円余にも膨らんでいて、いつ破綻してもおかしくないほどだ)。

 ブラウン英国首相が、この危機に対処するため世界各国が財政出動することを唱えている。それだからといって、日本が自国の経済実勢や自らの財政事情をわきまえずに、野放図に景気対策を実施するのは適切とは言いがたい。現政権のもと、財政に対するタガがはずれ始めたようである。

 それにしても、以前書いたことだが、日本がいま国際的な責務として求められているのは、バブルの経験を生かした世界経済危機脱出プランをまとめて早く世界各国に提示することだ。 

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2008年11月 7日 (金)

パナソニックが三洋電機を傘下に

 パナソニックが三洋電機を買収する。その昔、それぞれの創業者である松下幸之助さんや井植歳男さんと記者会見で会ったことを思い出した。1960年代の終わり頃のことだ。激しい競争を繰り広げながら、両社とも成長していた。パナソニックは松下電器ならぬ「真似した電器」などと言われていたが、販売店網では抜群だった。三洋は家電分野でシャープなどと並んで二流とみられていた。

 あれからおよそ40年。パナソニックは我が国有数の企業になった。海外事業の展開も常に先頭を切ってきた。しかし、三洋は“ミニ・松下”の道を歩み、電気せんたく機を除けば、家電製品のどの分野でも一流になれなかった。そして、太陽光発電(太陽電池)、リチウムイオン電池の分野に早くから取り組んできたおかげで何とか生き延びている。両社の違いはさまざまな要因に基づくだろうが、1つ言えるのは、パナソニックのほうがかなり早く同族経営から脱したことである。

 40年ぐらい前、三洋とシャープは二流のメーカーで、三洋が少し大きかった。しかし、シャープの創業者、早川徳二氏は同族経営をよしとしなかった。それで、後継社長のとき、半導体メーカーのノースアメリカン・ロックウェルと提携し、半導体分野に乗り出した。このタネまきが、いまの液晶テレビ事業につながっている。

 バブルおよびその後遺症を経て、さまざまな業界で、日本の企業は合併、買収などの再編を経験した。最近はデパート業界などが再編の嵐に直面している。伸びきった戦線を維持するだけの費用を賄えなくなったということである。その意味では、再編整理が遅れている業界で同じ現象が起きるのは必定である。パナソニック―三洋電機は、日本の新たな産業再編の大きな導火線なのかもしれない。 

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2008年10月31日 (金)

株式のエレベーター相場

 激しく下がったり上がったり。今週の日本の株式相場は先行きへの不安からの売りと、下値と読んで買いに出るのとで、相場の振幅が極端に大きかった。きょう(10月31日)の引けにかけての急落は、来週以降の株式相場に対する弱気筋の心理が表れたように思える。

 年初には誰も想像しなかった株価の暴落で、個人投資家・株主は相当の痛手を受けているはずだが、テレビニュースなどを見ていると、街頭でインタビューに答えている投資家・株主の表情は概して穏やかだ。退職金を注ぎ込んだのに大きく下がってしまい、含み損失を抱えている高齢者が少なくないと思われるが、「戻るまで塩漬けにするしかない」などといたって冷静である。

 政府はこれまで間接金融から直接金融へのシフトを訴え、国民に株式投資を推奨してきた。それに応じて株式を買ったら、ひどい目にあった、どうしてくれる、というような不満、批判は聞こえてこない。投資は“自己責任”という原則が隅々まで行きわたっているということだろうか。それとも、国民の多くが物質的な豊かさに囲まれていて、株価が下がっても生き死にには関係ない、まじめに怒って抗議デモをしたりするような気にならないということなのか。

 株価がここまで下がると、もうかりそうだと思って新規に株式投資を始める人たちが出てくる。これこそが市場原理である。今後、預金金利の低下が予想されるから、株式投資の魅力が高まる。もちろん、世界経済のゆくえが株式相場に大きく影響することも考慮しなければならないが、日本の大きな金融資産がこの激動の中でどう動くか、興味がある。

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2008年10月19日 (日)

政府による電力値上げの抑制

 電力10社は来年1-3月に予定していた電気料金値上げについて、政府の要請にしたがい、家庭や小規模事業者向けの引き上げ幅を圧縮することにした。経済産業大臣からの書面による値上げ幅縮小要請にしぶしぶ応じるものだが、無理矢理、値上げ幅を圧縮させる政府のやりかたなどには疑問がある。

 近年、電力会社は電気料金の決め方を、料金単価に燃料費調整単価を加えたものとし、原油などの価格変動を自動的に反映するようにしている。ことしの9月分から料金単価を引き上げたが、同月は燃料費調整単価をゼロにし、実質的に電気料金を据え置いた。さらに、「お客様への影響を最大限に考慮し、10-12月分は調整しない」ことにしている。すなわち、値上げしないことを決めている。そして、来年1月以降に新しい算定基準による燃料費調整単価を決めることにしていた矢先、政府から料金引き上げを抑えるよう求められたわけだ。

 公益事業とされ、電気事業法の下にあるとはいえ、電力会社は純粋の民間企業である。経営者は顧客に配慮するとともに、株主の利益も考慮する必要がある。電力会社の経営者が顧客である住民の利益をおろそかにしているなら別だが、すでに自主的に10-12月分の料金を据え置くことにしているのを踏まえると、経営への介入は度を越しているのではないか。

 政府の定額減税もそうだが、値上げを抑えつけるような強引なことは所詮一時的な措置である。景気対策としての効果は乏しい。

 他方、地球温暖化対策で、CO2の発生抑制が焦眉の課題となっている。電力は鉄鋼と並んで、CO2の発生が多い産業なので、化石燃料に相当依存している電力の消費抑制のためには、値上げは有効な対策である。標準的な家庭で月に800円程度(18%弱)の値上げになる可能性が高いというのをどう見るかだが、電気の無駄づかいを減らせば、あるいはほかの出費をちょっぴり減らせばすむ話だろう。もちろん、電力会社の経営の合理化努力も必要である。

 日本では、政府が民間企業に何かと口出しする傾向がある。規制緩和の流れで、近年は政府の介入が減ってきたが、最近は、タクシー業界などに行政指導を強めるなど、再び、政府の介入が増える気配だ。金融危機に対応して規制のありかたを見直す必要があるが、こうした流れに悪乗りして、政府が行き過ぎた規制強化を行なわないよう、民間サイドとしても政府を監視し、是々非々でのぞまねばならない。 

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2008年10月18日 (土)

もっと円高が進むのを期待する鉄鋼経営者

 17日付け日本経済新聞朝刊に鉄鋼メーカー、JFEホールディングスの数土文夫社長のインタビュー記事が載っていた。株価下落や円高に関する数土社長の発言はとてもユニークである。

 「1929年の大恐慌の時は株価が十分の一になった。今回も株価はピークの十分の一(約3900円)になる可能性もあると思う。‥‥(中略)‥‥経営者として、最悪のシナリオも考えておかねばならない」

 「円高はもっと進んだほうがよい」、「これだけ輸入資源が高くなると、円安が続けば資源小国日本は破滅しかねない。円高下でも高い技術力で独自製品を開発し、輸出競争力を維持するのが日本企業の進むべき道だ」

 日経平均株価が8千円を割る可能性があるという予測は民間エコノミストからも出ている。しかし、そのさらに半分になるというところまで言及した人は初めてではないか。私もそこまで落ちることはないような気がするが、根拠はない。企業も日本政府も、そうした最悪時には、どういう経済社会になっているか、いかなる対応が必要か、について想定し、その結果にもとづいていまから即応できる準備をしておくべきかもしれない。

 化石燃料、金属資源や食糧などが暴騰し、日本の貿易収支は大幅に悪化した。輸出立国の基盤にひびが入ったとも言える。これまでは輸出産業の経営を重視して円安に傾斜してきたが、今後もそれを続けると、資源輸入に依存する産業・企業や国民生活は窮乏化する。資源を輸入し、加工して輸出する産業も、原材料費など変動費の割合が上がるので、安定的に利幅をとることが難しくなる。

 したがって、私も、日本が生きる道は円高だと思う。産業では、高い技術力やデザイン力に基づく個性的な製品、あるいはサービスをできるだけ多く作り出し、円高でも、欧米並みの利益率が得られるような競争力をもつ産業・企業をたくさんつくることである。GDPの半分を超える民間消費は円高のもとで購買力が増すから、国民にはありがたい。この際、数土氏の言うように、頭を切り替え、円高を忌避するのではなく、円高を産業高付加価値化のエンジンととらえたい。

 それは日本の産業・企業が中国などアジア諸国のそれと真っ向からぶつかることなく、お互いが補完関係にあるような経済圏をつくることにつながる。 

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2008年10月11日 (土)

企業再編の嵐が来る?

 サブプライム問題の波紋が広がり、米欧の銀行、証券など金融産業では企業のM&A(合併、買収)や国有化が進行中である。それに加え、最近は、信用収縮が産業界にも影響してきて、事業会社のM&Aも大きな波になりそうな気がする。

 米フォードが関係会社のマツダの株式を手放すという。フォード再建のためにはマツダは手放せない戦略的な関係会社ともいうべき存在だと思うが、それでも手放さざるをえないのは、とにもかくにも資金繰りがピンチだということしか考えられない。当面はカネの切れ目が‥‥というわけではないが、中長期的には、フォードの経営再建はより難しくなったのではないか。

 GMがクライスラーとの合併交渉を行なっているという報道があったが、それには納得できる根拠が考えつかない。ただ、米国自動車市場が2割以上縮み、もとに戻る可能性が近い将来にないとすれば、GM・クライスラー合併で設備、人員などを大幅に削減することは業界全体の需給改善につながることは確かだ。

 日本では、業績不振に苦しむレナウンが英国の子会社のアクアスキュータムを手放すという。1990年に買収したが、ここ数年、赤字が続き、黒字化のメドが立たないからである。どんなに著名な会社を買っても、それを生かし切る経営の能力がなければ、結局は重荷になるということだ。それはモルガン・スタンレーに2割超出資する三菱UFJフィナンシャルグループについてもあてはまる。

 日本板硝子が英国ピルキントン社を買収したあと、ピ社のトップを日本板硝子のトップにすえたのは、見事な決断だった。ピ社を買収してみたものの、グローバルなビジネスをリードする経営能力が日本側にはないと気付いたからである。日本の企業がM&Aを行なうとき、大きさにこだわるのもいいけれど、1+1が2を超えるというような相乗効果がなければ失敗と思わねばならない。

 高島屋が阪急阪神百貨店との統合へと踏み出した。それに、ローソンがam/pm買収へと優先交渉に乗り出す。日本の人口が減り始め、原油高による産油国への所得移転で、国民の購買力も減ってきた。政治の停滞、経済構造改革の頓挫などもあり、国内に依存するサービス業はマクロの状況変化に応じて事業者や店舗などの数を整理統合せざるをえない。

 ところで、現在の世界に広がった信用恐慌的な危機は日本の経済にも当然、影響している。すでに、大和生命の破綻や不動産会社の倒産などが起きている。経済界では、この危機のゆくえを不安げに見守っているようだ。企業によっては、不要不急の支出を抑えるようにしているという。為替の見通し変更で、輸出企業の収益予想は切り下げられつつある。また、慎重な経営姿勢が取引先などに連鎖的に波及し始めた段階である。そうしたマイナスの連鎖もまた、倒産、企業合併などといった新たな再編劇を繰り広げるのではないか。

 ワシントンで開かれたG7の財務省・中央銀行総裁会議は5つの行動計画を発表したが、具体策は各国に任せられる。肝心の米国がこの会議の結論をどこまできちんとかつ早急に現実化するか、それ次第で、世界および日本の経済の受ける影響の大きさも変わる。

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2008年10月 9日 (木)

求む、世界経済再生の道筋を主唱できるリーダー

 ノーベル物理学賞に続いて化学賞も日本人の受賞が決まった。求道者のように、ひたすら研究を重ねて大きな貢献をなした受賞者たちの笑顔はすばらしい。これを契機に、理系の大学志願者が増えれば、うれしいことだが。

 現実の政治・経済・社会に戻ると、2日前に会ったシステム関係の大企業の社長は「いまの世界を見たら、日本は選挙どころではない。それなのに、政治は選挙しか関心がないし、メディアも、政治記者は政局しか見ていない」と心底怒っていた。日本経団連も、そして良識派が多いとされる経済同友会も、選挙どころではないでしょうと声を上げてもよさそうだが、そんな様子はないみたい。

 麻生首相の指示もあり、10日に開かれるG7財務相・中央銀行総裁会議では、中川財務・金融担当相が日本の金融危機対応の経験を伝えるという。ヨーロッパの国々も米国も、そしてオーストラリアなども、多かれ少なかれ日本の経験から学んでいるようだが、いま日本がなすべきことは、世界の金融経済の欠陥を是正して、いかに安定した秩序を築くか、そのグランドデザインを提示してみせることだろう。それはおそらく、過去に自ら痛い思いをし、いま、ほとんど火がついていない日本にしかできない。

 そのためには、内閣直属の研究チームを設ける。そこには、政府・中央銀行の幹部のみならず、銀行、保険、証券、商品、外国為替、住宅金融などの専門家や、監査法人、格付け機関、税務、法務、情報システムなどの関係者を集める必要がある。海外からも随時参加してもらうのがよい。国内においても、国境を超える資金移動についても、これまでよりも規制色が強まるのは確実だが、国内、そしてグローバルに、整合的な金融の新たなシステムを提唱する意義はきわめて大きいと思う。それができるリーダーが求められる。

 日本の金融危機においては、企業の人、モノ、カネの過剰が根底にあった。米国のサブプライム問題では、低所得の個人に対する過剰な住宅資金融資と、そのリスクを分散するための証券化とがもとにあった。そうした違いがあるから、日本の経験を過大に評価すると間違うおそれなしとしない。そういう観点を踏まえながらも、日本はこの問題では、G8議長国として世界に貢献できるのではないか。日本の悪い癖だが、カネを出すことで貢献するなどと思うのはやめたい。

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2008年10月 6日 (月)

危機で表面化した諸制度の欠陥

 米国発の金融危機は西欧でも火の手が上がり出した。ドイツやデンマークなどは銀行預金の全額を保護することに踏み切った。預金の一定額までしか保障しないことになっている預金保険の約束を政府が変更し、上限を超えた分についても全額、保障することになった。

 危機においては、取り付けが起きないようにするためには、限度額を超えて預金している分も返済を保障する必要がある。それが危機に直面したいま、当たり前だとわかる。だが、先進国が平時につくった預金保険制度は、非常事態が起きたときに備えてのもので、一定限度を超えた分の預金は返済を保障しないということにしていた。それがいかに非現実的な想定であったかということだ。日本でも預金保険制度をこの際、根本から見直す必要がある。

 メラミン入り牛乳およびその加工品を原材料とする食品が世界のあちこちで売られていたのと同じように、サブプライムローンの証券化などに内在するリスクが米国以外にも広くばらまかれた。これらは、そうした危機のおおもとをチェックする仕組みが甘かったか、欠けていたということである。従来、主に各国の政府がそうしたチェック機能を果たすことを期待されていたのだが、グローバルな競争激化や技術革新などを背景にした製品・サービスの多様化、複雑化、高度化に彼らの態勢がついていっていなかった。

 米国の金融・証券などの諸制度やFRB、SECなどの政府機関はいささかオーバーに表現すれば、日本が学び、追随すべき模範として崇め奉られてきた。しかし、これらの政府の職員はサブプライム問題に始まる金融危機を引き起こすメカニズムをきちんと理解し、行き過ぎをチェックするようなことはできなかったようだ。また、保険会社は州で監督することになっているが、AIGの資産運用がはらむ危険については州の担当者は無知だったらしい。

 公的機関が経済活動の最先端についていけなかっただけではない。民間の格付け機関も証券化商品などの安全性などについて細かいところまでつかんで評価していたかきわめて疑わしい。発行体にカネをもらって格付けするという利益相反の面もあるが、複雑、高度な仕組みの金融商品を外から見て適切に評価可能かというと、疑問がある。それは会計監査についても言えることだ。

 あらゆる分野で専門化が進み、複雑かつ高度な製品・サービスが市場に送り出される。それに対して、チェックする役割の公的機関が対応していないところに、大きな問題がある。お役所的な仕事のやりかたの欠陥がそこに現れている。では民間にチェックをゆだねればいいかというと、それも信頼して安心するところまで行っていない。難しい時代だ。

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2008年10月 1日 (水)

非常識なことばかり

 10月1日は節目の日だが、報道を読んだり、見たりしていると、普通人の私から見て、変なこと、非常識なことばかりが目立った。

 国会で代表質問が始まった。与野党とも、解散・選挙が目の前にちらついている議員が多そうだが、彼らには米国発の世界的な金融恐慌が起きかねないという危機感が薄いようだ。米国で金融安定化法が成立したとしても、サブプライム問題およびその後の展開で日本経済が受ける打撃を考えたら、いまは容易ならぬ事態である。危機に即時対応できるように、しばらくの間は、国会の空白を避けるべきだろう。どう考えても、解散し、選挙運動をしているときではない。麻生首相は解散よりは景気対策のほうが圧倒的に支持が多いと語っており、世論に敏感なところをみせているが、一歩進めて、内外経済が落ち着くまで、解散はしないと宣言したらどうか。

 政府系機関の再編成により、日本政策金融公庫と国際協力機構が発足した。日本政策投資銀行および商工組合中央金庫が政府100%出資の株式会社に転換した。それらの経営トップはいずれも官僚の天下りではない。だが、ナンバー2とか3とかになると、ほとんど官僚OBだから、そうした中でトップが民間の経験や良識をどこまで生かせるかが注目点である。そこで、気になるのは、肝心のトップが高齢者であることだ。民間企業では、大体、トップは50歳代から60歳代前半で、日々、全速力で駆けている。上記の4つの組織を率いるトップにしても同じぐらいの年齢でないと無理だと思う。民間出身とはいえ、70歳代や80歳代では息が上がって走れないだろう。

 日本相撲協会の外部役員3人も70歳代である。ヒマな人に頼むとなると、高齢者しかいないのかもしれないが、受けるほうも受けるほうだ。

 あちこちの大企業で、来年春に入社する大学新卒者の内定式が行われたようだ。大手銀行では2千人前後の新卒採用を行なっているので、内定式にはずらりと学生が整列していた。銀行としては、ひとむかし前の高卒採用のようなつもりで採った者もあろうし、数年経たずしてやめていく者が多いことも前提になっていよう。そして、かつてのような入社直後の濃密な研修は不可能だから、OJT中心になるし、出世は主に出身大学によって決まるというやりかたがかつて以上にはっきりするだろう。米国の危機がどこ吹く風のような景観であった。

 10月1日は「法の日」。しかし、新聞を読んでも、「法の日」に関する記事はなかなか見当たらない。でも、9月30日、法曹3者のトップがそろって記者会見し、来年に導入される裁判員制度を熱心にPRした。「見て、聞いて、わかる」というものにすると。

 島田最高裁長官は「制度が始まれば、よかったと言う人が増えるだろう」と語った。素人の市民が有罪か無罪かを判断し、かつ量刑まで判断せよというのだから、裁判員になるのを忌避するのは当たり前だ。しかし、会見を聞いていたら、「検察官(原告)の言うことを裁判員が納得できなければ検察のペケ(無罪)」(樋渡検事総長)というだけのこととわかった。「検察官の言うことが常識に照らしておかしければ、無罪にしてもらえばよい」(宮崎日弁連会長)という。市民がこうした理解をするようにメディアは工夫して報道してほしい。

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2008年9月24日 (水)

麻生内閣の薄っぺら感

 自民党の新総裁になった麻生太郎氏が内閣総理大臣として新閣僚を選んだ。彼をかつぎあげた議員への論功行賞とか、選挙の顔として利用するため選んだといったこともあるだろうが、再任以外の新閣僚の顔触れをみると、これはと期待したくなる人物がほとんど見当たらない。再任閣僚にしても、なるほどと思わせる成果をあげた人はいないように思う。要するに、国民に期待を持たせてくれる内閣ではなさそうだ。

 過去1、2年、自民党への国民の批判が高まった最大の理由は、国民生活を守るはずの厚生労働省およびその下にある社会保険庁や、国土交通省、農林水産省などの官僚機構がまともに機能していないことを示す不祥事が次々に明るみに出てきたことである。霞が関の官僚は個々人をみると、優秀な人が多い。仕事に対する意欲もある。しかし、役所という組織となると、縦割り行政や既得権益を守ることに必死となる。

 したがって、政治主導で霞が関改革はじめ、グローバルな変化に対応する改革をなし遂げる必要がある。自民党が政権の座に居続けたいのなら、政治家は官僚に対してリーダーシップを発揮するだけの実力が求められる。役所のブリーフィング(事前レク)をおうむ返しにしゃべっているようでは、役所の操り人形にすぎない。

 今回の新任大臣のうち、所管分野に疎くて、最初から操り人形になってしまう人もいるとしたら、それは官僚支配の打破が喫緊の課題であることを認識していない麻生総理大臣に問題がある。

 今回の閣僚名簿をみても、自民党は人材の層が薄いことをつくづく感じる。野党は影の内閣をつくり、影の閣僚がそれぞれ普段から担当分野について勉強しているから、政権を握ったら、直ちに大臣などに就き、政治家主導での行政が可能である。もちろん、それは理想であり、現実には、そううまくはいかないだろうが、そうした育成システムを自民党は持つべきである。派閥のようなものは話にならない。 

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2008年9月17日 (水)

不穏な世界経済

 米国の大手証券会社、リーマン・ブラザーズの破綻、バンク・オブ・アメリカによる大手証券会社、メリルリンチの買収、そして最大の保険会社、AIGへの政府による救済融資。サブプライムローンに端を発した金融危機は米国経済を震撼させ、その波及で、他の先進国経済にも影響が出ている。

 同じ頃、米国最大の自動車メーカー、GMが100周年をひっそりと祝った。トヨタ自動車に世界一の座を奪われたGMは、コスト面での劣位に加え、エコカーなど環境対策車の開発・生産において立ち遅れたため、経営は苦しい状況にある。製造業においても、金融・保険・証券といったマネー関連の産業においても、米国経済の凋落が浮き彫りになったのは初めてである。バブル化した米国の住宅価格が正常レベルに下がるまでにはまだ時間がかかるようだが、その過程で、金融・証券などの分野で新たな破綻が起き得るし、米国経済の縮小は国民生活に大きな打撃を与えるだろう。それがドル危機につながるおそれさえある。

 中国は北京オリンピックが終わり、パラリンピックもいよいよ終わりだ。胡錦濤政権は高揚感から醒めて、いよいよ政治・経済・社会の国内諸問題に取り組む時になった。一説によると、党の幹部や政府の高官には禁足令が出ていて、よほどのことでないと、海外には出かけないという。日本がかつて東京オリンピックのあとにかなりの不況(昭和40年不況)になったのと同じように、中国もそうなるのではないか、という観測が日本の有識者から聞こえてくる。米国経済に相当、依存している中国経済がこれまで通り、破竹の勢いで拡大することは難しくなったように思う。「唯一の道を歩む」一党独裁の政治体制のありかたが問われるところだ。

 欧州は石油などの資源高騰で経済成長率が低下し、日本と同様に、経済が停滞している国が増えた。そして、ロシアとの間で、グルジアをめぐって一時、安全保障面で緊張が高まったりもした。サブプライム問題の影響で経営が悪化した金融関係企業もある。

 日本は総理大臣がイチ抜けたで、後任の自民党総裁選挙が近く行なわれる。輸入した汚染米が工業用という名目で民間業者に売られ、あと、食用に転売された事件で、メディアは大賑わいだ。サブプライム問題で日本が受ける被害は少ないらしいが、米国経済の縮小による打撃は相当の規模に達しよう。戦後、ずっと続いてきた米国一辺倒の経済運営をどう改めるか、真剣な見直しをする必要があろう。政治家も政府も何もしていないのは怠慢だ。

 ところで、汚染米については、安全基準を何倍も上回っているが、加工したものを食べても大丈夫だという。しかし、加工製品の企業は大々的に回収している。回収したあと、どうするのだろうか。食べても大丈夫というお墨付きがあるものなのに、捨てるのはもったいないなあ‥‥という気がしないでもない。食料の自給率がわずか4割(カロリーベース)、しかも、食べ残しなどの食品廃棄物の量は輸入食品の総量に匹敵するという。捨てることに心の痛みを感じない背景には、そんなこともあるのだろうか。もちろん、信用を重視して回収していることはよく理解できるのだが。

 汚染米事件で感じたことだが、仲介業者が非常に多い。転売はマネーロンダリングのように、汚染された輸入米をまともな国産米に化けさせるためでもあるが、転売のたびに国産米の市場価格に徐々に近づくようにしたからではないかと想像する。一挙に仕入れの何十倍という値段で売って大もうけする本当のワルはいなかったという解釈もできる。

 それはそれとして、伝票操作でピンハネするような業態はどこの分野にもある。存在価値の疑わしい職業がはびこっているといったら言い過ぎか。皆の目に触れる機会が多い製品・サービスの例を挙げると、テレビ番組の制作や映画の制作、あるいは建築・土木工事の下請けなどは、下請け―孫下請けというように、何重にもピンハネする構造にもなっている。そうしたピンハネをする側は大体は社員の給料が高い。ピンハネされる側は手抜きをしたりして帳尻を合わすが、社員などの賃金は安く抑えられる。そうしたところに日本経済の歪んだ構造が透けて見える。

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2008年9月11日 (木)

変だよ~自民党総裁選の街頭演説を聞いて

 夕方、東京・新橋駅前の広場で自民党総裁選の候補者が演説していた。広場には相当の人だかりがしており、候補者の演説にも力が入っていた。

 演説によれば、いままでの政治が国民のためになっていなかった事例をいろいろ挙げて、その原因は官僚にあると断定。これからの自民党は官僚にきらわれようと、国民のために、断固闘わなければならない。そういう話をしていた。ほかの候補者も皆、こんな演説をしているのだろうか。小泉純一郎氏が自民党員でありながら「自民党をぶっつぶす」と言っていたときも、違和感を抱いたが、今回は、どう考えても変だよと言いたい。

 これまで長年、自民党の国会議員であり、しかも大臣までやってきた人なので、政権与党の議員として多大なメリットを享受してきたはずだ。それこそ官僚の掌に乗っていい思いをしてきたことが多々あっただろう。しかし、その一方で、官僚支配政治に疑問を持ったのなら、それを党内や閣内でどんどん発言し、改めさせるべきだった。それこそ、官僚と対決してまで筋を通そうとしたのなら、新聞ダネになって名をあげただろう。

 それに、もしも、そうした発言が自民党の中で無視され続けたら、自民党を見限って飛び出してもよかったのではないか。しかし、そんな話はまったく聞いたことがない。この候補者には、国民に対する責任意識が欠けている。自民党が政権の座にあって、官僚を利用し、官僚に利用され、つまり持ちつ、持たれつで、政治が国民を無視ないし、特定の層の利益を擁護してきたという事実への認識と反省とが、この候補者にはないのである。

 この街頭演説に、広場にいる多くの人が聞き入っていた。動員された人が結構いたのかもしれない。しかし、聴衆から野次が飛ぶわけでもない。ふざけたことを言うな、と反発する人がいてもいいのに、私が聞いていた時間内には、いなかった。一部、ケータイで写真をとっている人がいたが、広場にいる人々は沈黙状態。演説のマヤカシの論理に納得してしまったのか。

 総裁選立候補者が、投票する資格もない一般公衆に向かってあれだけ熱弁をふるうのは、いずれ行なわれる衆議院議員選挙を念頭に置いているからだろう。クルマの上には、ほかの大臣経験者も顔をみせていた。 

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2008年9月 5日 (金)

にぎわいそうな自民党総裁選

 自民党総裁選は立候補者がバラエティに富みそうな気配だ。心もとない感じのある、若手の石原伸晃氏や、これまで派閥に属せず、「総理大臣になろうなんて考えたこともない」と言ってきた与謝野馨氏までが手を挙げた。実際に報道されている諸氏が立候補することになるのかわからないが、麻生太郎氏や小池百合子氏と4人並べると、政策論争も盛んに行なわれるのではないかと思える。

 それに、女性候補がいるといないとでは、国民の関心も違うだろう。米国の大統領選挙では、民主党の候補者選びで脱落したとはいえヒラリー・クリントンの人気は依然高いし、共和党副大統領候補には女性が指名された。同様に、小池氏が名乗りを上げれば、自民党内の権力争いとはいえ、国民の政治に対する関心を高めることにつながる。

 政策論争では、①財政出動による景気振興か、それとも健全財政の維持か、②消費税の引き上げか、それとも、成長政策をとり、当面は霞が関の埋蔵金を活用するか、③中途半端にとどまっている構造改革の徹底か、それとも、構造改革の反省・見直しか等々、財政、社会保障、経済成長政策などをめぐる選択が柱になるだろう。国民に何が争点かを示すことになるから、そうした論争は望ましいとは思う。

 でも、冷静に考えれば、これらの重要な課題について、自民党のポリシーがこれまではっきりしなかったのは政権党としてまことにおかしなことである。官僚政治のもと、連立政権をも含め、政策なき政権党であったと言ってもよい。それを国民の多数も長らくよしとしてきた。しかし、それが日本経済を凋落させた最大の原因である。それに国民が気付くか、それとも、国民はメディアの派手な自民党総裁選挙戦の報道に目をくらまされるのか。小池氏の立候補はそうした面からも興味深い。

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2008年9月 2日 (火)

麻生新首相は冒頭解散し、選挙で勝つという筋書き?

 福田首相はなぜ突然、辞任を表明したのか。ある説によれば、公明党が給油延長法案を再議決で通そうというのに絶対反対であること、および、自民党の幹部の中にすら、福田首相では解散、総選挙は闘えないという声が出てきたことで、すっかり頭にきたという。1年前、本人は引退し、息子にバトンタッチする準備をしていたとか。そこに、是非、福田氏にと自民党がかついだはずなのに、その自民党の幹部から反福田的な発言が出てきたことに怒ったというわけだ。それと、世論調査で、いっこうに支持率が上がらないのにごうを煮やしたということもある。

 ポスト福田は麻生太郎幹事長が本命といわれる。下馬評では、小池百合子氏などが対抗馬とされる。女性候補が出れば、余計、メディアは大きく取り上げる。このように、対立候補が出れば、メディアは自民党の総裁選報道で一色となる公算が大きい。かたや、民主党は小沢代表が政策を何ら述べることもなく無投票で代表に選ばれるため、国民の関心から完全に外れる。民主党の無投票選挙は自民党を利することになる。

 そして、冒頭の説によれば、麻生氏は総理大臣に選ばれたら、直ちに衆議院を解散するだろうという。麻生氏は問題発言もあり、長く総理大臣の座にあれば、馬脚を現わす可能性が十分ある。したがって、最も“麻生株”が高いときに解散、総選挙を行なうのではないかというわけだ。

 その筋書き通りに行けば、自民党が勝つ可能性が大きいが、参議院とのねじれ現象は変わっていない。そこで起きるのが政界再編成だという。自民党も民主党も分裂し、主義主張や政策で離合集散するのではないかという。

 これまで、自民党にしても、また連立政権にしても、柱となる理念はなかった。何がなんでも政権にしがみつくということにすぎなかった。民主党のほうも、思想的に右から左までいて、政治理念や政策はどこ吹く風、とにかく現政権を倒し、自分たちが政権をとるのだということだけだった。何をするのかは二の次であった。

 与党や野党の状況を踏まえると、ここに述べた説は真実をうがっているか、それからそう離れていないような気がする。米国の大統領選挙について、日本のメディアは民主党のオバマ候補らにいささか肩入れしているようにもうかがえるが、日本の9月決戦も、メディアの言うことを鵜呑みにしては間違うかもしれない。 

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2008年8月25日 (月)

北京五輪での日本の総括

 北京オリンピック終盤の女子ソフトボール優勝のおかげで、今回のオリンピックにおける日本選手の活躍ぶりが強く国民の印象に残ったようにも思える。しかし、本気で言ったのではないかもしれないが、出発前、「楽しんできます」とか言う日本選手が少なからずいた。何が何でも勝たねばならぬという必死の構えを感じさせる選手は限られていたのではないか。

 男子マラソンの結果をみて、中山竹通氏(元マラソン選手、現在、愛知製鋼陸上部監督)が日本経済新聞の25日付け朝刊で、「世界のトップは見ているところが違う。彼らは頂点、金メダルしか目指していない。なぜかというと、マラソンに生活がかかっているからだ」、「日本人は、そこそこ頑張って、そこそこの生活を長い間、続けられればいいと思っている。だから、守りのレースしかしない」、「いまの日本人はつらいことに耐えられない」と指摘している。

 中山氏の言葉は、ほかの種目を含め、今回、北京オリンピックに参加した日本選手の多くに当てはまるだろう。勝敗にはあまりこだわらず、「参加することに意義がある」という認識で出場した選手が日本代表にはいたような気がする。

 野球やサッカーなどでは、韓国の選手の勝利への執念がうかがえた。また、中国は開催地国であるためもあって、メダル獲得に目の色を変えているみたいだった。一方、日本代表でメダルを手にしたような選手は好きで好きでとことん頑張るところがすばらしかったが、必ずしもそうした選手たちばかりではなかった。敵を知り、己を知れば百戦自ずから危うからずだが、世界を見ようとしない日本社会を反映しているのか、対戦相手のチームや選手をどこまで研究したのかあやしい種目もあった。

 だからといって、オリンピックのメダル獲得数を増やすために国を挙げて必死になれというつもりはない。わが日本国は、メダル数にも目の色を変える、追い付き追い越せの経済発展段階を卒業し、いまは、平和主義のもと、豊かな社会で、心のゆとりを重視する段階にある。勝つことだけを追い求める時をすでに卒業しているのである。ただ、その分、ハングリー精神が乏しいとか、敵を知らないので他国につけこまれやすいといった脇の甘さがあるだけだ。

 北京オリンピックはそのことをはっきりとわれわれ自身にみせてくれた。

 

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2008年8月21日 (木)

医療をめぐる2つのニュースから

①福島県立大野病院で帝王切開手術を受けた女性が死亡したのに対し、産婦人科医が業務上過失致死罪などにあたるか否かが問われていた裁判で、福島地裁は20日、無罪判決を下した。

 「現在の医学には限界がある。そもそも医療は多くの選択を伴う。同時にとりえない方針もしばしばある。術後出血があったときに、緊急手術に踏み切るか、もう少し待機するかを迷うことはしばしばある。この二つの方針は同時にはとりえない。原理的にあらゆる事態を想定することはできない。医療は多くの選択の上に成り立っている。ほかに無数の選択の可能性がある。結果が悪かったとき、後から選択肢を検討すれば、必ず非を言い立てることができる。言いがかりは必ずつけられるのである。」(小松秀樹著『医療崩壊』(06年5月刊))。「診療は試行錯誤の連続とみることができる」(同)。

 確かに、医療行為の結果から医師の刑事責任を追及するという動きは、医師を萎縮させ、「医療崩壊」を引き起こす一因となっている。今回の地裁判決が有罪だったら、産科医や外科医などのなり手が減り、国民を医療不安のどん底におとしいれることだろう。全国の産科医や外科医たちはほっとしたと思う。

 でも、患者にとっては、つい、この間まで、病院や医師が言うこと、することに疑問をさしはさむ余地はなかったことを指摘しておく必要がある。医師が一人前になるためには失敗の積み重ねが必要かもしれないが、医師はミスをおかしても、適当にごまかしていたのではないか。また、大病院では手術前に、センセイに相当の額の謝礼金を渡すのが当たり前だった。地獄の沙汰もカネ次第だったと言ったらオーバーか。それが、やっと、患者が医師と対等な関係になってきたという面を見逃してはいけない。

 医療事故については、医療の本質から言って、第三者の専門家からなる医療安全調査委員会のような組織で判断するのが望ましい。過去、医師や病院が患者を見下していたときには、彼らから出なかったこの第三者機関の設立に、医師界も懸命になってほしいと思う。

②セイノーホールディングスのグループ企業が健康保険組合(西濃運輸健康保険組合)を解散し、政府管掌健康保険組合に加入した。加入者は5万人を超える。後期高齢者医療制度への支援金など外部に拠出する負担が大きくなっており、そのために保険料率を上げると、いままでの8.1%が10%以上になり、政管健保(8.2%)よりもかなり高くなるためだ。

 いまの医療保険制度は大きく分けて、使用者と被雇用者の保険料だけで運営している民間健保および共済と、国・地方自治体が補助している政管健保(中小企業と従業員・家族向け。社会保険庁が運営)および国民健康保険(自営業者・家族、年金生活者向け。市町村が運営)と、制度が分かれている。そして、後期高齢者医療制度が今年度に発足したばかり。財政的に余裕があるとみられている民間健保・共済は政府から高齢者医療への拠出金を命じられ、財政状態はかなり窮屈になっている。政府は08年度に、新たに1000億円の拠出を義務付けようとしているが、法案は成立していない。

 これらの医療保険制度のうち、国や地方自治体が財政負担をしていないのは民間健保だけ。共済は国・自治体が使用者なので、財政負担をしているのと同じ。要するに、民間健保だけが財政支援を受けず、しかも他の保険制度に拠出までしているのである。ちなみに、政管健保は給付費の13%を政府が負担している。

 政府は財政難を理由に、奉加帳を回すかのように、民間健保からカネを強引にまきあげようとしている。セイノーの脱民間健保・政管健保入りは、そうした政府の収奪行為に反旗をひるがえしたようなものである。政管健保入りにより、セイノー従業員の保険料負担はほとんど変わらないですむが、政府はセイノーの従業員に対する医療給付費の13%を新たに負担するようになる。

 日本の医療保険制度は皆保険とはいえ、仕組みをみると、制度間が整合的ではなく、しかもしょっちゅういじって部分手直しをしてきている。それに、今後、高齢化で医療費が増える一方だし、企業のほうも経営の余裕がなくなっている。民間健保は保険料率や、事業主と被保険者との負担割合にかなり自由度があるため、いちがいには言えないが、奉加帳などによる過度の負担をきらって、今後、第2、第3のセイノーが出現することは十分にありうる。 

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2008年8月 9日 (土)

北京五輪の開会式

 北京オリンピックの開会式をテレビで見た。長年の念願がかなって、中国が世界の一流国の仲間入りをしたのだという喜びと気負いに満ちあふれていた。いささか自己陶酔の面もないではなかったが‥。

 開会式のショーは、最新のエレクトロニクス等の技術、世界最大の人口を反映したかのような人海戦術、および、さまざまな発明や文化を生み出してきた5千年の歴史の3つを基本に構成されていた。そして、活版印刷技術の発明を表現するところで「和」という文字を浮き上がらせたように、世界中の国々が仲良く平和に暮らす「一つの世界、一つの夢」という理想を強調した。

 しかし、スポーツの祭典に、これほど政治(権力)を感じさせるオリンピック開催は珍しい。いまの中国は貧富の極端な格差、都市と農村の格差、共産党や官僚の腐敗、少数民族抑圧、言論統制など実に多くの矛盾、問題を抱えている。それらが中国を訪れる外国人の目にふれないようにするため、強圧的に“臭いものにフタ”をしたりしている。

 グルジアが親ロシアの南オセチア自治州を力づくで言うことをきかせようとしたため、ロシアがグルジアに軍事攻撃を開始したのが北京五輪開会式とほぼ重なった。今夏の広島、長崎の原爆慰霊の式典で、核兵器廃絶を強く訴えたが、これまで中国も、ロシアも廃絶には否定的だ。そんなこんなを考えると、北京五輪は中国(共産党)の国威発揚に終わる可能性を否定できないが、外国(人)との接触を通じた“開放”によって国民が世界を知ってしまった影響は相当なもののように思う。

 ところで、各国の代表団の入場行進を見ると、国家・国旗がいかに大きな力を持っているものかが改めてわかった。国連などで厳しく糾弾されている問題国の選手らにしても、行進中、喜々としていた。

 普段、サッカーなどの選手は国境を超えてあちこちのチームで働いている。個人としての能力を売っているのである。ところが、オリンピックとなると、突然、母国のオリンピックのために編成されたチームの選手としてふるまう。グローバリゼーションの時代といえど、オリンピックは国と国との闘いという国家意識、愛国心を高める役割を果たしているのである。

 地球温暖化など、国境を超えて人類が取り組まねばならない難問が増えている。ところが、政治とは離れているはずのオリンピックにおいて、国という仕切りがこれまでも、これからも大手を振っているのは奇妙な感じがしてこないでもない。国家意識をかきたてるオリンピックは時代遅れの存在なのかもしれない。

 米国の代表団からは、米国がまさに多民族国家であることを感じた。おそらく、米国はメダルの獲得数に目の色を変えない唯一の国であるようにも思う。  

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2008年7月30日 (水)

内閣改造にどんな意味があるの?

 福田首相が近く内閣改造に踏み切るという。でも、何のためにやるのか、と思う人は多いような気がする。

 改造をやれば、小幅の入れ替えだと、なぜ、あの人は残ったのかとか、新たに閣僚に選ばれた人について、なぜ、あの人が‥‥という疑念が自民党内に広がるだろう。党内の結束は弱まる。逆に、首相以外はそっくり入れ替えともなると、ほとんどの大臣がイロハから勉強せざるをえないから、当分の間、内閣の指導力が弱くなる。瀬戸際の自民党にとってプラスかどうか。

 福田内閣は基本的に安倍内閣の閣僚人事を引き継いでいるので、福田首相は自前の内閣をつくりたいのかもしれない。しかし、政治で何をしたいというのがまずあって、それにふさわしい人を担当の大臣にするというのならわかるが、福田首相からは、日本をどういう国にしたいか、世界をどう変えていくべきか、といったビジョンは出ていない。5つの安心とか、消費者庁の設置のように、部分的には福田カラーがみられるものの、それだけでは国民を引っ張っていくことは無理だろう。

 内閣改造に関する報道が盛り上がらない理由は、以上のように、なるほどと思う必然性がうかがえないところにある。そもそも、福田首相の人気がさっぱり上がらないのも、福田内閣の人気が同様に上がらないのも、国民を引っ張っていく力が乏しいからである。政策においても、国民への語りかけにおいても、国民のハートに響くものがほとんどない。というか、自民党には、自らの政治理念や、それを裏打ちする政策体系を持ち、国民を説得するだけの力を持つ有力な政治家が皆無に等しい。

 内閣改造で誰それにぜひ大臣になってもらいたいというような話題がきわめて少ないのはそうした人材の欠如によるのではなかろうか。それこそ政権与党の末期的症状かもしれない。

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2008年7月25日 (金)

「非正規労働通信」の怒り

 派遣ユニオンの関根秀一郎書記長が送ってくる「非正規労働通信」は、労働者を人間としてまともに扱わない企業の実態を次々に暴露するとともに、それらの企業や、放置してきた行政に対する闘いを組織し、参加を呼びかけている。

 その101号(7月25日)で、関根氏は「労働組合は何をしていたのでしょうか?」と問い掛けている。グッドウイルの労働組合や、最近、問題になったヤマダ電機を例に挙げ、それらの会社の社員で構成する労働組合は、会社が利益のため不正に走るのを食い止める重要な役割があるのに、違法派遣など不当な行為を黙認していたのは何ごとかというわけだ。働く仲間としての連帯意識がない労組のありかたに根本的な疑問を投げかけている同氏の言は重い。

 99号(7月23日)では、数年前に関根氏が見つけた、ある会社の就業規則を紹介している。すなわち、治外法権を意味する条文で、「会社およびこの規則は労働基準法その他の法令に拘束されない」という記述があったという。企業といっても沢山あるから、そういうとんでもない就業規則を持っていたところがないとはいえない。

 問題は、日本では企業内組合が基本だということ、言いかえれば、会社の浮沈が組合員の雇用や給与に直結しているということだ。社会保険庁の労働組合と異なり、労組員である前に会社員として必死に働き、会社が発展することが必要なのである。しかし、グローバル化で、競争が激化し、企業の優劣がよけいに際立ってくるから、「明日はわが身」を覚悟して、産業別など、労働者の横の連帯を強めることがおそらく一番大事だと思う。さもないと、優良会社の社員・労組員といえども、労働強化のために心身の健全性を確保できるかおぼつかないだろう。

 派遣ユニオンの闘いは意義深いが、大きな企業の労組が脱企業内組合へと意識を変えることこそが時代の要請ではないか。 

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2008年7月19日 (土)

旧長銀の元頭取ら無罪に

 旧日本長期信用銀行の粉飾決算事件で虚偽記載などの罪に問われていた大野木克信元頭取らは18日の最高裁判決で無罪となった。事件となった1998年3月期決算は10年前のことだが、いまでは、変色した写真を見るように、ずっと昔のような感じがする。これも過去10年間の日本の激動のせいだろう。

 北海道拓殖銀行、山一證券や長銀などが破綻する数年前、大蔵省のある金融関係の幹部が「個人的な体験だが、昭和恐慌のとき、親父が預金していた田舎の銀行がつぶれた。破綻によって地元企業がたくさん倒産し、地域経済は低迷した。破綻処理を終わって、預けたおカネが戻ってくるまでにも何年もかかった。そうした現実を見ているから、絶対に銀行をつぶしてはいけない」と言っていた。

 金融恐慌の入口まで行った1997、8年頃の直前まで、大蔵省は、銀行をつぶしてはいけない、同業他社による救済合併で解決するのが一番と思っていたのではないか。同省は「オレの力で何とでもできる」と思っていたのだろうから、破綻を前提とした処理システムを真剣に準備してはいなかったと思う。銀行の決算にしたって、大蔵省が定めた銀行業の決算様式にしたがって決算を行なうよう銀行に命じていて、たとえ監査法人が銀行の作成した決算書類に疑問を呈しても、銀行も大蔵省も聞く耳を持たなかった。

 銀行には、大蔵省の言うことを聞いていれば、経営は安泰だ、いざという時には大蔵省が助けてくれるという甘えが蔓延していた。だから、グローバルな競争の時代に入ったにもかかわらず、以前と変わらない横並び経営だった。 

 長銀などの破綻と検察による頭取などの法的責任追及は、そうした内向きで緊張感に欠けた大蔵省と金融機関の両方に鉄槌を下す一罰百戒の意味合いを持っていたように思う。それによって、行政、企業などのきちんとした責任の追及を棚上げしたとも言える。

 しかし、いま、シティグループなど米国の銀行、証券や、政府系住宅金融公社2社の経営悪化をみると、企業自身が自らの抱えるウミを摘出し、再生するため思い切った手を次々に打っていること、そして、too big to failで、米国でさえ、政府は信用不安を引き起こさないように超法規的な救済措置をとっていることを知る。

 つぶれないという甘えがあると、銀行などの経営ももうけ主義に走り、適切なリスク判断というものがおろそかになる。そういう点で、日本も米国も同じだと気付く。そして、いまの日本の銀行などをみていると、10年前の教訓からろくに学んでいないことがわかる。日本の銀行の経営者がたるんでいるのを改めさせるにはどうしたらいいだろうか。

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2008年7月14日 (月)

民主党の政策を問うマニフェストフォーラム

 言論NPOが、民主党の中川正春ネクスト財務大臣ら4議員を招き、同党の政策に対して言論NPOのマニフェスト評価を担当する土居丈朗慶応大学准教授らが質問し、議論するマニフェストフォーラムを14日、開催した。テーマはいまホットな年金、社会保障、財政、農業の4つ。

 民主党が政策をめぐる議論の場に出てきたこと自体を評価する。同党も、政策を理解してもらう格好の場だと思い、喜んで出てきたという。中川氏のほかは、古川元久同党年金調査会長、筒井信隆ネクスト農林水産大臣、山田正彦ネクスト厚生労働大臣で、質問者は土居氏以外に、西沢和彦日本総合研究所主任研究員、生源寺眞一東京大学教授、齊藤誠一橋大学教授が顔をそろえた。

 内容の紹介はさておき、全体の感想をいくつか述べるとーー

 民主党の4氏とも、ペーパーを見ることなく、自分の言葉で政策を説明していた。もっとも、必ずしも質問に真っ向から答えていない人もいた。それは、演説のような主張はできても、異なる見解の持ち主を説得できるだけの理論武装ができていないせいか。

 年金将来像のイメージを示し、保険料を財源とする所得比例年金がベースであり、年金の低い人たちに税を財源とする最低保障年金(月額7万円)を付加するという見解を明らかにした。また、2011年に財政のプライマリーバランス黒字化を達成することは前提となっていることも表明した。中川氏は、ペイ・アズ・ユー・ゴー(新たな財政支出の財源は、他の支出の削減でまかなう)は党内の議論の前提だと述べた。これらは納得できる。

 一方で、全農家への戸別所得保障、医療の一元化、年金の一元化等々の政策については、政策が大雑把すぎるような気がした。国家が一元的に管理するほうがうまくいくという発想が根底にあるように思われる。長いあいだ続いた自民党の一党支配はあちこちに歪みを残しており、それを直すには、多分、政権交代しかないと思う。ただ、市場原理を敵視するような政策は、日本経済を孤立させ、弱体化させる可能性が強いのではないか。

 齊藤教授は最後に、民主党の政策に対して「理念がみえにくい。手続きがみえにくい」と指摘していたが、それには同感。

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2008年7月11日 (金)

大分県の教員採用贈収賄事件

 大分県の教員採用試験で点数を水増ししたりして、たくさん縁故採用していたという話題については、いろいろな点から論じられている。東京都など一部を除いて、全国的に、小中学校の教員試験では縁故採用は当たり前といわれてきた。それがどれだけ真実か、はっきりしなかったが、大分県の実態が表に出たことから、噂はいよいよ否定しにくくなった。

 私がかつて住んでいた首都圏内の某県では、小学校の教員採用試験で、県内にある某女子短大の卒業生の採用割合が高いというもっぱらの噂だった。その女子短大は教員養成に力を入れており、県教育委員会のOBを幾人も教官に採用していた。面接の仕方などもその教育委員会OBに指導されていたという。

 そして、大分県と同様、小中学校の先生をしている人たちの子どもがたくさん、その女子短大を経て県内の小学校の教師になっているという噂だった。さらに言うと、だから、程度の低い先生が多いという父母の不満も聞いたことがある。

 以上は、事実であるか否か、確認しがたい。

 ただ、小中学校の教員という職業は男女の差別がないし、給与水準が民間の平均を相当上回る。しかも倒産の心配はなく、クビになることもない。地元で働けるというメリットもある。地方では、最も魅力のある仕事の1つである。だから、コネをきかして“裏口入学”を求める人たちも多いだろう。

 県や市の議会議員、役所の幹部、地元有力企業の経営者などは地元の高校や大学出身が多く、つながりが深い。そうした土壌がコネを当然視させている。

 しかし、異なる視点に立てば、公正な採用試験をしないと、無能な教師のせいで、明日を背負って立つ子どもたちの教育が十分に行なわれないという重大な損失を招くことは明白である。

 さらに、コネが横行するというのは、仲間内でうまい汁を吸い合い、既存の枠組みを守ろうとする保守的な社会であることを示している。そして、地方の多くは、改革によってしか道が切り拓けない今日になっても、依然、政府の保護や既得権にすがろうとしている。

 だが、地方分権ないし地方主権を名実ともに本物とするためには、地域の人々がこうした後ろ向きの姿勢を脱し、公正さと創造的革新を尊ぶ風土へとチャレンジしていかねばならない。今度の事件からこうした教訓を学んでほしいと思う。 

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2008年7月 4日 (金)

規制強化に逆戻りのタクシー

 国土交通省の交通政策審議会タクシー問題作業部会で、同省が台数の規制、安い運賃の規制などの方針を打ち出した。2002年に増車や新規参入の規制を緩和した結果、地域によっては供給過剰になり、タクシー運転手の労働条件が悪化したり、あるいは値下げ競争が行き過ぎたりしているので、元のように増車や新規参入を厳しく規制しようというものである。

 確かに、東京都内を見る限りでは、タクシーは多過ぎる。一方で、タクシー利用を控えるユーザーが増えていることもあって、稼動1台当たりの1日の売り上げは減る傾向にあるようだ。そのしわ寄せが運転手の収入や労働時間などにいっているのは事実だろう。

 しかし、タクシー会社は運転手の給与を歩合給中心にしているので、稼働率低下などの打撃はそれほどでもない。したがって、政府による競争抑制策は、運転手の労働条件を改善する面もあるが、それ以上に、会社の収益向上に大きく寄与するのではなかろうか。

 ここで考えるべきは、規制緩和はタクシー供給過剰を引き起こし、運転手の収入を下げたのだから、元通り、規制を強化すればいいということになるのか、である。顧客を引き付けるサービスを工夫するとか、料金を引き下げるとか、といった業者間競争にはさしたる意義はないのか。

 だが、こうした問題を追求していっても、すっきりした解にはたどりつけない。そこで、飛躍してしまうが、この問題を解決するには、タクシー運転手が会社を超えて1つの労働組合をつくることだと思う。タクシー運転手の労働時間、賃金といった労働条件をこの産業別労働組合が企業側と交渉して業界一律とする。人間らしい生活ができるには、どの位の収入が必要か、健康や暮らしを踏まえた労働時間、勤務体制はどうあるべきか、などを基本に、労働条件の向上、統一をはかるのである。

 行き過ぎた歩合制を是正するとか、夜間勤務の割増賃金率を50%以上にすることも必要だろう。そして、タクシー会社の増減車とか新規参入を自由にさせることだ。

 そうすれば、これまで、運転手にしわ寄せし、ろくに経営の工夫もしないできたタクシー会社の競争を促進し、業界再編も進むだろう。サービスや価格の競争がもっと行なわれることが期待できる。運転手をバッファーにした経営、官の規制による業者コントロールは要らなくなるのである。

 派遣労働など、非正規雇用の問題点が明らかになっているが、正規雇用の場でも、企業内労働組合の欠陥ゆえに、非常に厳しい労働条件が存続している。それを是正するのは本来、労働組合運動である。それが機能していないから、政府の規制強化という話になるのだ。 

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2008年7月 1日 (火)

大阪府の住民は行政依存から目を覚まして

 5兆8000億円の債務を抱える大阪府。その財政再建を選挙公約の柱に掲げて知事に当選した橋下徹氏が08年度予算編成で、テレビ放送のタイトルではないが、何を削り、何を残すのかで悪戦苦闘している。大阪府庁の各部門の担当者も、住民も、もっぱら予算を削られては困るという反応ばかりだ。だが、サンドバッグのように叩かれても、知事はへこたれることはない。若いからかもしれないが、まさに時代が必要とする人物だと思う。

 6月8日のブログに書いたことだが、橋下知事は、行政の収入の範囲を超えるサービスが欲しいなら、それに見合って税金を多く納めるか、さもなければ、行政に頼らず、住民自らが汗をかきなさい、と言っている。

 ところが、橋下知事の主張に応じて、住民から、「じゃ、財政再建税だとか、福祉推進税だとかという新税をつくりましょう。われわれもそういう形での税金を払いますよ」という声があがったという話を聞かない。また、税金で行なってきた行政サービスを、地域住民のボランティア活動で肩代わりしましょうという動きが出てきたという話も知らない。大阪府の住民は行政依存型思考から一歩も踏み出していないようだ。無い袖を振れと、行政に甘えているなんて、およそ大阪っ子らしくない。

 石油の大幅値上がりが導火線となった資源、食糧などの世界的な暴騰で、日本は国全体の所得の5%ぐらいが資源国に移っている。国民の収入は5%ぐらい減ったということだ。しかも、資源等の高騰によるインフレが世界を襲っている。資源の乏しい日本はいち早く景気悪化の兆しが出てきている。そのため、国も地方自治体も、今後、税収が減るおそれがある。

 したがって、従来の延長線で、住民が、行政に対し、大きな政府であり続けることを求めるのはますます時代錯誤である。そろそろ目を覚まし、してもらうことよりも、自分が何をしてあげられるか、を考える動きが大阪府に生まれることを期待したい。 

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2008年6月11日 (水)

「福田ビジョン」に示された認識

 地球温暖化問題に取り組む福田内閣の方針を示す「福田ビジョン」が10日に発表になった。福田さんは意外によくわかっているなと思ったのは、ビジョンの最後のほうで語ったことである。

 「現在、福田内閣として、社会保障制度改革、税制抜本改革、消費者行政の一元化、公務員制度改革など大きな課題に正面から取り組んでおりますが、これらに共通していることは、これまでのやり方や発想を変えなければ、今の時代を乗り切るための本当に望ましい解決策には至らないということであります。」

 「この問題(地球温暖化問題)は、経済、社会、コミュニティ、ライフスタイルの全てを変えていかないと対応できない問題であります。」

 政権への支持率が低迷し、おまけに参議院で問責決議までされる状態にある福田首相だが、ビジョンの内容を読む限りでは、政治家としての姿勢は立派なものである。ここに紹介したような姿勢で、各論ごとに国民にもっとわかりやすく語りかけてほしい。

 ビジョンを読んだ感想をもう1つあげると、福田首相は、多様な意見に耳を傾け、その中で良いと思ったこと、納得したことはやるという人らしい。地球温暖化対策についての勉強会でバックキャスティングという言葉とその意味を知ったばかりなのに、さっそく、このビジョンにそれを取り込んだ。

 首相がやると決めたら、相当に重みがある(当然のことだ)。実行あるのみだ。だが、福田さんを支えるはずの閣僚たち、与党の自民党幹部たちが、これまでのやり方や発想を変えなければ、福田政権も自民党も国民にノーを突きつけられるだろう。

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2008年6月10日 (火)

人はつながりを求める

 秋葉原で起きた白昼の無差別テロは7人の命を、彼ら・彼女らの未来を奪った。理不尽きわまりない。

 今度の事件などから思うのは、いまの日本は物質的に豊かな社会であるが、それと対照的に、人間関係というか、人との触れ合いが少なくなっていることだ。秋葉原事件の犯人は、自動車工場に行って働いても、派遣である限り、自動車会社の社員と親しくなることはなかっただろう。それに、実家から離れて暮らし、付き合い下手で友達ができにくいタイプだとすると、何か趣味などで仲間ができない限り、いつまでも孤独だったろう。

 いまの社会では、家族の間でも、友人との付き合いでも、あるいは職場においても、心を開いて話し合える相手がいない孤独な人が多いように感ずる。そして、そうした孤独に耐えて、前向きに生きていく精神的にタフな人は少ない。きつい社会だ。

 これは、ある意味で、退職した高齢者についても言えることだろう。職場というコミュニティから離れてしまうと、自宅でどう時間を過ごすかという問題に直面する。趣味などで悠々と暮らしている人はそうはいない。いまや、どこの公立図書館も、ひまな老人の溜まり場になっている。彼らはお互いに話をしない。このように孤独な高齢者ばかりでは、日本の高齢社会は陰鬱なものになりかねない。

 秋葉原の事件を知って、まず思い浮かんだのは、5月30日のブログで紹介したビル・マッキベン著『ディープエコノミー』である。同書は、「経済学者は、人間は原則的に個人だと考え、地域の一員だとは考えない」、「いくつかの調査によれば、アメリカ人の四分の三が隣人を知らないと認めている」、「自分が他の人々にとって大切だと知ることは、いくら金を出しても買うことのできない一種の安心感である」などと述べ、地域社会、地域経済を活性化し、ご近所のつながりを深めることが幸せをもたらすと主張している。

 心の交流を幾重にも張りめぐらすような社会づくりこそが、成熟した日本経済の課題のような気がする。 

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2008年6月 7日 (土)

若い世代を消耗品扱いしている

 中央官庁の官僚が深夜に帰宅するタクシーから金品を受け取っていたという。よくまあ次から次へと官僚の一部とはいえ、彼らの堕落を示す出来事が明るみに出ることか。民主党が現政権にとって代わるために頑張っているからだとも言えるが、今回のケースでも指摘されている問題点以外に私が感じるのは、いまの世の中は、現役、なかでも若い世代が重荷を負わされて、しんどいということだ。

 ちょうど、いま国家公務員一種の官庁訪問の真最中。霞が関バッシングなどで、ひところに比べ優秀な学生たちの中央官庁志望熱は下がったようだが、それでも、この国の将来を憂えて役人をめざす若者は少なくない。だが、省庁に採用されても、ムダにエネルギーを消耗するだけの仕事をさせられることがままある。その1つの現れが、この深夜帰宅である。

 国会開会中、役所は国会議員の質問を予め聞いて回り、大臣などが行う答弁の原稿を用意する。そのために、関係部門の役人が深夜までの、ないしは徹夜の作業をしている。関連する政府系の機関や業界団体、あるいは公益事業のトップ企業までもが、役所の要請で、質問に答えるために担当者を深夜まで待機させることがある。

 野党の議員の中には、前日の夜中にならないと、質問の内容を明かさない人もいるらしい。結果的に、官僚の深夜ないし徹夜作業を促しているとも言える。しかし、議会制民主主義政治というのは、与党と野党の政治家が議会で議論して決めていくものなのに、官僚が予め質問を聞いて、答弁までも作成するというのは、おかしい。与党政治家は官僚の振り付け通りに動く操り人形みたいなものとも言える。このように国の政治を実質的に動かしているのは官僚であり、したがって、それにあこがれて学生が官僚を志望しているという歪んだ構図も見えてくる。

 だが、若くて有能な人材のエネルギーを、そんな形で浪費するのはどうかと思う。国会も、霞が関の首脳たちも、官僚たちが家庭や個人生活を犠牲にして深夜まで長時間、働かなければならないような仕組みを改めるべきだろう。要は、政治家が官僚に依存せずに自立することが急務である。それには、政党が政策構築能力を備えるなど、まともな政治を行なうことができるだけの力を身に付けることだ。

 目を転じると、民間企業でも、深夜までの長時間労働はまだまだ当たり前。下のほうの管理職や若い世代の社員は毎日、仕事に追われて、定時からはるかに遅くまで職場にいるようだ。民間の場合、賃金などのコストが増えては困るとか、CSR(企業の社会的責任)などの点で、ある程度、ブレーキが効く面があるが、年功序列的な発想がまだ残っている企業が多いからである。

 3月決算を受けて、今月末に株主総会が開催される。だが、役員人事(案)をみていると、大企業では、まだまだCEO、社長などは60歳代が多い。70歳代で社外取締役に就く予定の人もいる。すぐれた人でも、年をとれば、身体的、知的の両面とも、目立たないにせよ、経営者としての能力が低下していく。それなのに、ほとんど若返りが進まない。若い世代が知的な能力をあまり使わず、肉体的にこき使われるのと裏表の関係である。これではグローバル化の中で世界に抜きん出る企業が生まれにくい。

 民主党など野党が高齢者いじめだとして後期高齢者医療制度をつぶそうとしているが、若い世代に負担を負わせれば負わせるほど、この国の未来は暗くなる。日本の企業も、世界の若い有能な人材を引き付ける魅力が乏しい。そうではないだろうか。

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2008年5月30日 (金)

アフリカの人々にとっての幸せとは

 5月28日から第4回アフリカ開発会議(TICAD Ⅳ)が横浜で開かれている。アフリカには高い経済成長をとげる国もあり、福田首相は開会式で「我々はいま『アフリカ成長の世紀』という新しいページを開こうとしている」と演説した。この会議のスポンサーである日本政府は、アフリカの経済発展や資源確保を念頭に、政府開発援助や民間投資の拡大をぶち上げた。

 いまグローバル化を背景に、中国やインドなどが先進国に追い付こうと急ピッチで経済発展しているように、アフリカ諸国も、同様に先進国型の経済成長をめざしているようにみえる。しかし、それで本当にいいのだろうか。ビル・マッキベン著、大槻敦子訳の『ディープエコノミー』(08年5月刊、英治出版)を読むと、そんな疑問にとらわれる。

 1989年に『自然の終焉』を書いたマッキベンは、地球温暖化の危機を知り、経済成長を追い求める人間の自然破壊が、いずれは人類の生存を危うくすることを指摘した。新著の『ディープエコノミー』は、「おわりに」の中で、「経済成長が今なお私たちの経済にとって明らかに必要なゴールだという深く根付いた考えを揺るがすことに本書が役立てば嬉しい」と述べているように、地域社会、地域経済を活性化し、ご近所のつながりを深めることが幸せをもたらすと主張している。

 経済発展をとげた米国などでは、「私たちはもはや互いを必要としなくなってしまった。十分な金さえあれば、周囲の人に頼らなくても済むようになった。それは利益であると同時に、少なくとも損失である」。いまの日本の社会もまさにこの状態である。豊かな国であるはずの日本で、幸福とはほど遠い出来事が連日、新聞に報じられている。

 マッキベンの新著は「自分が他の人々にとって大切だと知ることは、いくら金を出しても買うことのできない一種の安心感である」と述べている。経済成長を追い求める道とは別のもう1つの道を同書は提示している。日本における地方分権改革のねらいとつながるところがあると思う。

 TICAD Ⅳで主催国の日本は浮き浮きして、参加国に対し、資源エネルギーを大量に消費し、GDPを大きくする経済成長を後押しするための援助、助成策をやたら打ち出している。その一方で、7月のG8で、ポスト2012(ポスト京都)の中長期的な温暖化対策をとりまとめる役割を担っている。これは、どう見ても精神分裂症の様相を呈している。縦割り行政が幅をきかし、政治のリーダーシップが欠落しているのだ。

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2008年5月28日 (水)

同意人事はメンツの問題か

 かつて企業取材をしていた頃、私の担当分野ではなかったが、誰それが後任社長に内定、という記事が出たため、社長がむくれ、別の人を後任に選んだということがあった。後任人事をめぐって取材に目の色を変えるのは個人的には好きではないが、新聞に書かれたため、別の人に差し替えたというのもどうかと思ったことである。要するにメンツだけの話だ。

 それと同じようなことが政府の人事案で起きたのにはあきれる。政府が日銀審議委員に誰それを充て、預金保険機構理事長は再任という人事案を野党の民主党などに提示する前に報道されてしまった。それで、衆参の議員運営委員長が両氏の人事案提示を受け入れないと表明したという。事前にもれたのは感心しないが、だからといって、それを理由に両氏の人事案を引っ込めざるをえないというのは、単なるメンツだけのことではないか。国政をメンツでやられてはかなわない。

 要は、その人物がそのポストにふさわしいか否かである。それで判断すべきだ。議会にかけないうちにダメという烙印を押すのは、当該の人たちに対して失礼もいいところだ。

 さもないと、いろいろな思惑で変な人事になりかねない。あいつにはさせたくないということで、わざと候補者として名前を出すというようなことも起こりうる。企業では、そんなこともよくある。衆・参議院はもっと国民の現在および将来の幸せを確保するための方途を真剣に議論してほしい。

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2008年5月24日 (土)

QCサークル活動考

 1980年代前半がQCサークル活動の全盛期だったように思う。大企業の工場を見学すると、必ずいくつものQCサークルが、それぞれの活動の内容を大きな紙に書いて壁に貼っていた。企業の中での発表大会や日本科学技術連盟主催の全国大会は熱気にあふれていた。銀行などのサービス業でも、QCサークルが次々に誕生した。日本製品の品質の良さが欧米の脅威となった背景には、こうした事情があった。

 しかし、その熱気は1990年代に急速に失せた。それだけに、トヨタ自動車が勤務時間外のQCサークルの活動に、残業代を6月から全部払う方針を決めたという新聞記事を読んで、ほう、まだ結構、あちこちで続いているのだなと正直言って驚いた。

 QCサークルの活動は、現場での統計的手法を用いた品質管理の小集団活動である。しかし、末端の従業員によるQCサークルの活動が衰えたのは、会社にとって、経営全体の品質改善を求められるTQC(全社的品質管理)のほうが重要になったからだ。QCサークルはボトムアップの活動だが、TQC(いまはTQMという)は経営トップが下す全社的方針をブレークダウンして実践するという全く逆の活動なのである。

 また、日本の競争力を支える高品質に対抗すべく、米国は審査基準をみえる化した表彰制度を創設し、欧州はISO9000(1987年に誕生)を設けた。また、日本のTQCを、欧米はTQM(全社的品質マネジメント)という形でとらえた。世界的にトップダウンの経営が支配的になり、自動化で末端の従業員が工夫できる余地も少なくなったから、QCサークル活動の存在価値はかつてとは比べものにならないぐらいに下がっているように思う。

 しかし、末端の従業員が同僚と一緒に仕事の改善方法を考え、実行するのは、その内容もさることながら、仕事への意欲、職場におけるコミュニケーション、愛社心などの向上にプラスだ。自動化が進展し、労働密度も上がっている今日、従業員の働き甲斐を確保するのにも役立とう。そう考えれば、ものづくりの現場においてQCサークル活動が残っているのは会社にとって依然、大きな意味があるとも言えよう。

 ただ、それをかつてのように自主的な取り組みだとして労働時間にカウントしないのは、終身雇用的な発想から抜け切れていない会社側の驕りであった。 

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2008年5月20日 (火)

基礎年金を消費税で賄うと大幅な税率アップに

 政府の社会保障国民会議が5月19日に雇用・年金分科会を開催。基礎年金を全部、消費税でまかなうとした場合の税率アップの試算を提示した。2009年度から基礎年金保険料の徴収をやめて、消費税でそっくり調達するとしたら、2050年度までに必要な追加財源はいくらになり、消費税率の引き上げは何%になるかというもの。

 4通りの試算では、3.5%~12%までにアップ率が分かれる。現在の消費税率5%をもとに考えると、大変な上げ幅である。

 だが、現在の社会保険方式でも、約3分の1は税を投入しており、政府は09年度までに2分の1に引き上げる約束をしている。いわば、現行制度は保険方式と税方式の中間である。全額を税方式にすれば、保険料の未納問題や社会保険庁のような徴収のための機構・コストがほとんどなくなるというメリットがあることは確かだ。

 しかし、ことはそう単純ではない。第一に、年金だけを考えるのではなく、医療、介護などを含めた社会保障制度全体をどうするか、という観点を踏まえて議論することが必要である。医療にしても、介護にしても、やはり形のうえでは社会保険制度をとっている。それらの費用の増大をどうやってまかなうのかも年金同様、大きな問題である。最近は、医療を全額、税でみるべきだという主張も行われている。

 第二に問題になるのが、自助、共助、公助をどう考えるかである。何でも税金でやればよいという公助一本やりでは、努力とか、節約とかは不要となり、国民が皆、甘えてしまう。税にいくらでも頼ることになると、税率はどこまでも上がってしまう。そんな社会では活力もなくなる。

 人口が減っていき、若い世代に社会保障などで過度の負担がかかるようになれば、現役の人々のやる気を奪う。法人課税などで企業の負担が諸外国より重ければ、企業も日本から逃げ出す。その結果、国民経済のパイが小さくなり、社会保障制度も持続可能性を失う。その点、消費税は高齢者であろうと、消費すればかかる。社会保障の財源に消費税を充てるのは、現役世代への負荷を減らし、企業が活動しやすい環境づくりというねらいもある。

 しかし、消費税の増税となると、おそらく食品などの基礎的生活物資・サービスは税率を据え置くとか、低い税率にすべきだという批判勢力が出てくるに違いない。そして、いまの後期高齢者医療制度への批判のように、結局は若い世代に相当にしわ寄せする制度変更がなされる可能性が大きい。

 今回の試算はいまの政府が行なったものだが、これに対抗できる年金などの社会保障制度の改革案がシンクタンクなどから提示されることが望ましい。国民に適切な選択肢を提示して初めて、よりよい政策が導き出されるからである。そのためには、まず、政府が関係情報をすべて公開しなければならない。

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2008年5月11日 (日)

安全保障をめぐる対立的な考え方

 最近、国の安全保障をめぐって、全く正反対の考え方を新聞で読んだ。現代の日本を象徴するような気もするので、紹介する。

 Ⅰ:5月8日付け朝日新聞朝刊の投書欄に「国民の権利を防衛費が剥奪」と題する、長崎市の主婦からの意見が載った。その趣旨は、『国は財政難だというが、本当にそうだろうか。憲法第9条で戦力を持たないと約束しているのに、5兆円近い膨大な税金を防衛費に使っている。憲法第25条の、健康で文化的な最低限度の生活を営む国民の権利を防衛費が剥奪しているのではないか。いまこそ税金をどこに使ってもらいたいか、主権者の声を政府に届けるときだ』というもの。

 Ⅱ:5月9日付け日本経済新聞朝刊「経済教室」に渡辺利夫拓殖大学学長が「新・海洋国家論 ②極東アジアの地政学」を書いている。それによると、中国、韓国、北朝鮮、そしてロシア、これら周辺諸国の日本に対する姿勢は「日清・日露戦争の開戦以前の極東アジア地政学を再現したかのごとくである」。例えば、「北朝鮮はミサイル連続発射実験の後、ついに核実験を敢行した。照準は日本なのであろう」と言う。こうした「周辺諸国の挑発的な行動に直面して、日本は国家概念覚醒の時代に入るかと思いきや、現実は逆の方向に進んでいるかにみえる」。

 すなわち、覇権国家概念も国民国家概念も希薄になった日本は、そのことを善いことだととらえている。だが、極東アジア地域は、権力政治と民族主義が汪溢し、日本はそれら周辺諸国の追撃の標的となりやすい。「極東アジアにおける日本とはそのような存在である」ことを日本人が自覚すべきだと指摘している。

 2つの論点は180度違う。国の防衛に税金を使うのはいけないという前者の意見は、暗黙のうちに、日本は平和であり、誰も日本を侵略したりすることはないことを前提としている。これに対し、後者の意見は、極東アジアは民族主義が強く、日本の価値や理念を共有しない国々ばかりだから、外交、防衛で国益をしっかり守らねばならないということのようだ。

 ところで、最近の世界情勢は、ウクライナとグルジアがNATOに加盟し、その結果、NATOとロシアとが最悪の場合、戦争になりかねないといわれる。それに、バルカン半島では国家が分裂・生成している。このように、世界はアフガニスタン、イラクだけでなく、軍事的な対立・抗争が起きている。そうした世界の動向を見、かつ日本周辺諸国の対日姿勢を見ている専門家からすれば、安全保障問題をもっと真剣に考えないと日本は危ういということになる。しかし、識者がしばしば指摘するように、ずっと日本の国内にいると、そうした危機感をまるで感じないのだろう。

 そうした認識のギャップを埋める努力が必要である。だが、そのための議論がまるで行なわれないのは問題だ。それは即、国民が財政健全化の道筋をどう考えるかにも影響する話だから。防衛予算を廃止・縮小→社会保障費増加ということでいけるのか、それとも、防衛予算は維持し、増税等→社会保障費増加という道をとるのか、という政策選択に直結するのである。

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2008年4月30日 (水)

ジコチューになりすぎていないか

 元外務省欧亜局長の東郷和彦氏の話を4月28日に聞いた。ロシアとの間で北方4島の返還交渉を行なった当事者なので、とても勉強になった。同氏は外務省をやめてから数年、オランダなど外国に住んでいた。だから、日本を外から見ていて、よくわかったのは、「ロシアの国力が強くなった」こと、その半面で、「日本はいろいろな面で力が落ちている」ことだという。そして「日本人同士が国内での議論にエネルギーを注いでいて、国外で起きていることをわかろうとしていない」と痛感したそうだ。

 東郷氏が指摘したように、いまの日本は内向きになっていて、世界がどう動いているかにはあまり関心を持たなくなっている。

 政治の焦点の1つはガソリン税の暫定税率の期限切れと、その復活をめぐる動向である。道路特定財源としての暫定税率を10年間延長する法律を成立させるというのと、09年度に一般財源化するというのとでは、明らかに整合しないのに、自民・公明の与党はみなし否決と再可決とやらで、10年間延長を4月30日に立法化するという。予め政府・与党が決めた通りに予算関連の法案が通らないときは、たとえ理屈が通らなくても国会で通す、それを地方公共団体がカネ欲しさに強く要請するというとんでもないことが起きているのである。

 借金だらけの財政、少子高齢化による歳出ニーズの変化、地球温暖化対策の緊急性などを考えれば、道路をどんどんつくるためのひも付き課税を続けるという発想は出てこないはず。ものごとを広い視野でとらえるのではなく、自分たちの都合、利益だけで判断するというジコチューがまかり通っているとしか言いようがない。おとなしい国民はガソリンの値段が安いSSにクルマを連ねて、束の間の値下げの利益を享受しようというだけで、怒りが爆発することもない。

 後期高齢者医療制度がもう1つの焦点となっている。「後期」という用語に対する反発や怒り、年金からの天引きなどに対する不満などが取り上げられている。2年前にできた制度について、野党がいまごろ欠点?をあげつらうのもどうかと思うが、この問題も、本質を抜きにして騒いでいる。

 問題の本質は、高齢者医療がベラボーにカネがかかること、そして、その費用を誰が負担するか、ということである。現役の世代も、前期高齢者も、医療保険は自己負担が原則3割である。後期高齢者は1割にすぎない。しかも長期療養とか、終末医療には大変な医療費をつかう。後期高齢者の医療費の9割は税金と組合健保などからの拠出金(実態は無理矢理、出させる)で補うのだから、9割のカネの大半を出す現役世代に対して、高齢者は本来、感謝こそすれ、文句を言う筋合いはない。

 高齢者がはばをきかし、若者をはじめとする現役たちがしんどい思いをする社会は繁栄しない。高齢者は、戦後の日本をここまで持ってきたという自負はいいとして、だからオレたちをおんぶにだっこで面倒みろと要求するのは行き過ぎている。自分たちの家族を考えればすぐわかるように、次世代の人々を立て、年寄りは一歩も二歩も下がって感謝するという謙虚さが社会においても必要である。

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2008年4月23日 (水)

インサイダー取引と性善説と

 証券取引所などで取り引きされている株式を内部情報に基づいて売買するインサイダー取り引き。東京地検が野村證券の中国人社員ら3名を、その疑いで逮捕した。企業売買など投資銀行業務を行なう企業情報部に所属しているときに、インサイダー取り引きをやってもうけていたというのだから、野村證券の評判は地に落ちた。同社のダメージはものすごく大きい。

 同社では社内規定により、企業情報部に所属している間は株式売買を禁止している。また、法令順守などの誓約書を書かせているという。しかし、会社に大きな打撃を与えかねないインサイダー取り引きなどの不正行為を防ぐ態勢づくりに甘さがあったということだ。

 会社人間とか、会社第一主義とかが批判された時代には、愛社心とか、同期生といった仲間意識が強かった。上司が仕事のあと、飲みにつれていくこともよくあった。だから、お互いに、公私を知っていて、あいつはどんな奴だと大体わかっていた。だから、変なことをするとすぐばれるというチェック機能がかなり働いていた。1990年代の半ばごろまではそうだった。

 しかし、その後、状況は大きく変わった。いまは、パソコンを相手に仕事をすることが多い。飲みにいくことも少ない。それに皆、忙しすぎる。プライバシーに立ち入らないという傾向もある。それらの結果、同僚にせよ、部下、後輩にせよ、多面的な接触が乏しい。同じ職場にいても、どんな人間かをろくに知らないようなことも珍しくない。野村證券にいた中国人社員も同様だったろう。彼の場合、日本人社員以上に付き合いなどが少なかったのではないかと想像する。

 したがって、野村證券は、情報が命のビジネスだから、人間は悪いことをするという性悪説に立って、インサイダー取り引きなどの防止のため、非常に厳しいチェックシステムをつくるべきだった。それだけでは防ぎ切れないから、職場の仲間意識を涵養し、相互チェック機能を高めることも必要である。

 一方、メディアは、茨城県の国民健康保険団体連合会で会計課の主任だった男が、全部で約10億円使い込んだという事件を報じている。カネを扱う人が1人か実質1人の組織で、こうした使い込みが時々明らかになる。これも、人を信用して任せ切りにするから起きる。カネを扱う仕事は基本的に性悪説に立って、人事異動をなるべくひんぱんに行なう、1年に1度は普段のとき、無理矢理1週間以上、休暇をとらせ、ほかの人に代行させる、などを慣例とすべきだ。

 かつて、ある大企業では、親会社から派遣された経理部長がカネの責任者となり、取締役になっても、そして常務になっても、それを続けようとした。さすがに社長が「もう下の者に任せなさい」と命じたら、彼は行方不明になった。秘書が「ひょっとしたら」と調べたら、銀行に預けてあるはずの約20億円の債券がなかった。競馬などに使ってしまったのである。性善説に立って、万が一のリスクに備えないという組織は危うい。

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2008年4月 2日 (水)

値下げと値上げのニュースから

 4月1日のニュースのトップはガソリンの値下げである。次いで庶民にとって身近なニュースは食品関係での値上げである。暫定税率論議はさておき、ガソリンの値下げで消費者は喜んでいる。値上げに対しても、消費者は「収入が増えないのに」と言いつつも、至って穏やかである。最近の日本人は、犯罪を起こすような者は別として、滅多なことでは怒らなくなったなあと思う。豊かでゆとりのある社会だからだろう。

 値上げというと、1973年のオイルショックを思い出す。“狂乱物価”という言葉に示されるように、消費者物価が1974年に2割以上も上がって、生活が苦しかったことを覚えている。本当に、翌年春の賃上げが待ち遠しかった。原油価格の上昇で、日本から産油国へ所得が移転し、日本の高度成長は終わった。海外の資源に多く依存している日本にとって、工業原材料や穀物などの輸入品の値上がりはズシーッとこたえる。

 現在の世界的な物価の上昇も当然、日本を直撃している。日本から資源生産国への所得移転が大規模に行われているのである。原油の大幅な値上がりだけでなく、石炭など他のエネルギーの価格上昇もあるし、鉄鉱石をはじめとする鉱物資源の高騰、小麦、とうもろこし、大豆などの穀物の大幅な値上がりもある。

 それらを原燃材料とする工業製品、農産品、輸送サービスなどのコストは上がる一方だから、日本国内の企業はコストアップで経営は苦しい。円高はそうしたコストアップをある程度軽減してくれる。サービス経済化しているとはいえ、やはり、こうしたコストアップを国内の製品サービス価格に多かれ少なかれ転嫁していかざるをえないだろう。

 だが、そうしたコスト上昇分を販売価格に転嫁できなければ、企業は存続できなくなる。大企業は中小企業にしわよせがしやすいから生き延びやすいが、価格転嫁が難しい中小企業の中には経営革新に成功しない限り、事業から撤退をよぎなくされるところが増えると思う。

 個人も、資源国への大幅な所得移転の影響を受け、いままでのような物質的豊かさを続けることは難しくなる。したがって、資源生産性を高める、即ち、より少ない資源で満足度を維持するようなライフスタイルに転換せざるをえない。3R(Reduce Reuse Recycle)や省エネを求められる。

 メディアは、いまだに円高を輸出企業の観点だけでマイナスに評価する。また、物価が上昇しないと、デフレから脱却したことにならないというエライ先生のお言葉をしばしば引用するくせに、4月からの相次ぐ値上げで生活が大変だと報じる。どうなっているのかと思う。 

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2008年3月31日 (月)

福田さん、大丈夫か?

 ガソリン税の暫定税率がきょう(3月31日)で期限が切れ、あすからはガソリンにかかる税が本則、つまり、もともと基本となる法律(揮発油税法)で定めた通りに戻る。税率を暫定的にほぼ2倍にするというのを、何十年間という長いあいだ“暫定”とこじつけ解釈して増税してきたことに終止符が打たれる。

 政府・与党は、民主党が反対しても、結局はいままで通り、暫定税率も、道路建設も続くと多寡をくくっていた。この道路特定財源―道路特別会計にはいろいろな利害関係者が関わっていて、やめるとか、見直すとかと言っても、必ず強力な反対者が出てくるからだ。その昔、当事者が意図的にそういうふうに仕組んだわけではなさそうだが、廃止や見直しがきわめてしにくいため、よほどの政治力がないと動かないことは確かであった。

 したがって、民主党がガソリン税の暫定税率を期限切れにして、延長を許さなかったのは画期的なことである。とにかく聖域にメスが入ったことを高く評価したい。

 このブログでは、道路特定財源を廃止して、暫定税率を含めて一般財源化するよう主張してきた。即ち、ガソリン税の本税だけでなく、暫定税率分についても、環境税などの名目でとり、ガソリンが値下がりしないほうが環境対策や社会保障財源などの捻出、それに財政健全化に寄与するという考えである。その意味では、民主党の主張とは異なるが、道路特定財源―道路特別会計の仕組みを壊すやりかたとして、ガソリン税の暫定税率期限切れは歓迎してよい。

 福田首相は昨年10月1日の所信表明演説で、衆参ねじれを踏まえて「野党の皆様と、重要な政策課題について、誠意をもって話し合いながら、国政を進めてまいりたい」と述べている。だが、その中には、道路建設や特定財源などについて触れたところはない。これまで通り、国土交通省が進める道路建設計画とそれに充てる道路特定財源を継続するのが当たり前だと思っていたのだろう。つい最近まで、首相はそうした考えであることを表明していた。

 したがって、民主党がいくら叫ぼうと、首相は全く聞く耳を持たなかった。「重要な政策課題」ではないとたかをくくっていたのだとしか思えない。やっと、数日前から、にわかに09年度から一般財源化するなどの見解を打ち出して、民主党に対話と妥協を迫っているような状態だ。年金積立金を流用していた厚生労働省・社会保険庁、道路特定財源を流用していた国土交通省など、彼ら官僚の公金濫費があばかれるにつれて、さすがの福田首相も道路利権の問題点に気付いたのだろう。

 ねじれ国会は厳然とした事実である。これを前提に、いかに国政をよりよいものにしていくか。それには、まず与党が意識改革する必要がある。与野党がとことん議論し、かつ譲り合うことが基本であり、議会で成立する法律の数が減ることは構わない。

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2008年3月19日 (水)

次の日銀総裁をめぐる論議に一言

 きょう19日で福井日銀総裁の任期が切れる。後任の選任をめぐって政府・与党と民主党など野党とが対立し、本日中に総裁が決まることは難しいようだ。この問題についてメディアやその周辺などが唱えている見解に私が違和感を抱いた点を以下に書く。

 世界の金融情勢は緊迫している。それゆえ、日銀総裁がなかなか決まらないとか、空席になるということはまずい、という主張がある。一般論としてはその通りだ。しかし、その主張は政府・与党の提案を野党が受け入れよと言っているのに等しい。政府・与党はいまだに参院では野党が過半数を占めるという現実がわかっていない政治運営をしている。そのことこそが責められるべきではないか。

 たすきがけ人事で、財務省事務次官経験者である武藤日銀副総裁を次の総裁にというのは、自民党が官僚政治の上に乗っかってきた過去の延長線にある発想である。会社で、社長と副社長とでは、責任の重さも何も全く違う。それに副社長が社長になるということはいまや例外に等しい。にもかかわらず、副総裁をやってきたから総裁適任者などというのは非常識もはなはだしい。

 民主党がなぜ武藤氏を拒否したかを考えれば、代わりに、同じく元財務省事務次官だった田波国際協力銀行総裁を提示したというのは、まずありえない選択である。いかに福田首相らが財務省を大事に思っているかを示すと同時に、財務省が天下り先として日銀総裁ポストを何が何でも確保したいと思っていることを示しているのではないか。

 田波氏について、主計局長を経験していない事務次官であり、本命がたまたま抜けたため事務次官になったという点で武藤氏とは違うという解説を付けた新聞もある。これには驚いた。記事を読んだ田波氏も不愉快きわまりなかっただろう。この記事を書いた記者には、主計局長ー事務次官という財務省での限られた経歴が日銀総裁という全く別の職務にも最適だという思い込みがあるのではないか。日本の官僚制度にはさまざまな問題があることはつとに指摘されているのに、新聞記者が役所の狭い常識にとらわれているのはお粗末すぎる。

 一部では、日銀OBで副総裁だった人の名前も取り沙汰されているが、「日銀は財務省に弱い。むしろ、財務省OBのほうが毅然と日銀の立場を主張する。森永元日銀総裁は大蔵省事務次官経験者だったが、大蔵省が何を言ってきてもはねつけた」と言う意見もある。確かに、国家運営の組織・権限をみれば、財務省の権限のほうが広範かつ強いが、機能が異なる財務省と日銀とを比較すること自体おかしい。

 むしろ、財務省が日銀を格下に見る発想の背景には、東大卒でも財務省に入れなかった人が日銀に入ったというような数十年前の就職試験の成績に関する優劣意識が見え隠れする。メディアがそうした学歴主義的なものの見方に加担しているのである。

 財金分離などを理由に武藤氏や田波氏をしりぞけた民主党に対し、では誰がいるのか、という問いが発せられる。メディアも同様な問いかけをしている。だが、日銀「総裁」に求められるものは何か、を問うのが先である。必要な条件を明示し、100点満点の人はいなくても、広く天下に人材を求めれば、適材が相対的に浮かび上がってこよう。そうした作業をしない政府・与党に現在の混迷の責任がある。

 

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2008年2月24日 (日)

武藤副総裁しか日銀総裁にふさわしい人はいないのか

 日本銀行の福井俊彦総裁の後任人事をめぐって、政府・与党と民主党との折衝が延々と続いている。しかし、後任選びは国民には解せないことばかりだ。

 第一に、政府・与党は財務省事務次官だった武藤敏郎副総裁が適任だとして内々、民主党に武藤総裁案を提示しているようだが、なぜ武藤氏がいいのかの説明が聞こえてこない。武藤氏が金融政策の専門家としてすぐれた見識を持っているなんてことは聞いたことがない。また、海外の主要国の中央銀行総裁とわたりあえるという話も全くない。日本国内で、福井総裁を補佐する点ではすぐれていたのかもしれないが、それは日銀総裁になる十分条件ではない。

 日銀内部には(OBを含めてかもしれないが)、武藤氏の総裁就任を望む声が強いという。政府と時には対立しても、日銀の使命に照らして独自の政策を貫くという意味で、武藤氏のリーダーシップに期待する、というのなら、それは立派な姿勢である。だが、これまでの武藤氏の実績からは、そんなことは想像できない。日銀内部の武藤支持派はつまらん思惑で動いているだけと思われる。

 第二に、民主党はあれこれ言っているが、なぜ、対案、つまり、武藤氏以外の適切な候補者を挙げないのか。これまでの報道を読む限り、自信を持って提示できるだけの別候補を持っていないようにみえる。これでは、だだをこねているだけと国民の目に映るのではないか。できれば、リーク(情報漏えい)の形で、別の適任者を国民に示してほしい。

 それにしても、日銀総裁にふさわしい人物が払底しているのは情けない話である。まず、金融界には、この人ありという人物が見当たらない。学者・エコノミストの中には、やらせてみたら、意外に適任だったという人もいないわけではなさそうだが、学識だけでは総裁は務まらない。近年、学者が突如、大臣になったりする異分野交流が始まったように、こうした横の人事異動をどんどん実施してゆけば、内外に通用する第一級の人物が増えるだろう。

 民主党はゼロ金利や超低金利政策をとってきた日銀を批判している。その延長で、武藤氏の日銀総裁昇格に批判的になっている。だが、日本経済がデフレから脱却するためには必要な金融政策だったという見方が専門家の多数意見だ。日銀の政策決定会合でも、そうした意見が全員ないしは圧倒的多数だった。

 巨額の財政赤字を累積してきた政府・与党は金利引き上げには反対だ。もちろん財務省は反対である。また、借金の利払い増になるから、産業界も金利引き上げに基本的に反対する。国債をたくさん抱え、国債の値段が下がるのを避けたい金融界も同様だ。というわけで、根っから財務省人の武藤副総裁も、経済界の代表の審議委員も低金利政策の是正を積極的に推進しようとしない。たくさんの貯蓄をしていて、金利の正常化で受け取り金利が増える消費者の立場を主張するのは学識者にしか期待できない。それだって当てにはならない。

 日銀の独立性などと言うが、そもそも、総裁、副総裁、審議委員にどういう人を選ぶかにもっと目を向ける必要がある。そこの問題を民主党はもっと突くべきではないだろうか。

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2008年2月 5日 (火)

「あらたにす」をどう考えるか

 最近、朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞の3紙が一緒になって「あらたにす」というネット媒体をつくった。3紙の1面記事、社会面記事、社説、1面下のコラムなどをまとめて読める。「新聞案内人」と名付けて、著名人の何人かに交代でコラムを書いてもらう。トップバッターは伊藤元重東大教授だ。

 3紙は何のために、こうした媒体をつくったのだろうか。「3紙の叡智を結集し、新しいことを生み出していきたいという願い」という発足の際の趣旨説明は茫漠としすぎている。

 確かに、3紙の記事(の一部)をまとめて読める、それも1面同士とか、社説同士等を比較して読めるというのは読み手には多少なりとも役立つ。しかし、3紙それぞれのネット新聞を読めば、大体、それらの記事は載っているし、ほかの記事もある。したがって、読者にとって、メリットは言われるほど大きいものではないように思う。

 「あらたにす」は比較して読めるのを強調している。それなら、読み手としては、毎日新聞、産経新聞なども載せてほしい。他紙は参加を断ったのかもしれないが。

 若者の多くは新聞をほとんど読まないし、まして購読しない。そうした中で、ネット経由で記事を無料で提供するチャネルを増やすのは、いまでも購読者が減っている日刊新聞にとっては、むしろマイナスに響くような気がする。日経の場合は、経済専門紙なので、ほかの2紙に比べ、マイナスはあまりないだろうが。

 というわけで、「あらたにす」を始めた3紙の意図がよくわからない。何か、隠された意図があるのではないかとも思えてくる。新聞の発行部数が年々減っているように、紙媒体である新聞にとって経営環境は非常に厳しい。そうであれば、大手3紙が共同行為をするよりも、切磋琢磨して新聞という媒体をより魅力あるものにする、ないしは報道機関としての機能を生かしてどう経営革新するか、ということのほうががいま求められているような気がする。

 噂では、3紙が手を組んだ裏には、大阪地区における新聞の極端な値引き合戦をやめるというねらいがあったという。販売正常化のカルテル的な行為を隠蔽するため、3紙で何か、もっともらしい活動をということで、ひねりだしたのが「あらたにす」だという説だ。再販売価格維持制度を守るというねらいもあるかもしれない。その真偽は定かではないが、3紙とも株式非公開であり、あらぬ疑いをかけられやすいことは確かである。 

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2008年2月 2日 (土)

毒入りぎょうざ事件で見えた日本の危うさ

 この国では、大きな事件でも、2~3ヵ月もすれば、大抵忘れ去られる。しかし、中国河北省の天洋食品工場で作られ、日本に輸入されたぎょうざに殺虫剤のメタミドホスが含まれていた事件は、オリンピックを控える中国にとって大打撃だが、日本に対しては基本的な食の現状を問い直すよう迫っていると思う。

 これまでも、輸入した中国産のうなぎ加工品、冷凍ほうれんそうなどに有害化学物質が使われていたため、輸入が禁止されたことがある。このため、近年、日本の企業は中国からの輸入食品の安全性を確保するため、農薬のチェックや食品工場の衛生管理などに力を入れているが、周辺農地の農薬までチェックするわけにはいかないなど、努力にも限界がある。

 食品偽装など日本も威張れたものではないが、中国は農薬や添加物などの使用状況をみると、日本よりも食品の安全性を確保する仕組みがまだ弱い。しかし、人件費が安い中国でつくられた食材のほうが、日本産よりもはるかに安いので、素材、加工品のいずれも日本の業務用、家庭用に浸透している。中国やその他のアジア諸国の食材は安いけれども、安全性のリスクは高いのである

 したがって、生協のようなところがたくさん扱っていたというのは驚きだ。生協の中には売れるものなら何でも扱うというところがあるが、理念を失っている生協がいたずらに存続するのは問題がある。また、小学校、中学校の給食でも、中国などからの輸入食材を使用しているところが相当あることが明らかになった。一切禁止すべきだなどというのは行き過ぎだが、食の安心、安全とかフードマイレージといった環境教育的な見地から地産地消に意識的に取り組むぐらいはしていてほしかった。

 日本では、農業に従事する人々の高齢化などで、耕作放棄地は年々増え、1割をゆうに超えている。他方、安い食材を求める結果、アジアを中心とする外国への輸入依存は下がりそうにない。しかし、農業は天候異変や水資源不足に大きく左右されるだけに、過度の輸入依存は食の安全保障上、不安がある。

 というわけで、短期的にも、長期的にも、食をめぐる私たちの安心、安全に対する保障は危ういのである。毒入りぎょうざ事件を契機に、食の安全保障をめぐる議論が高まってほしい。

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2008年1月18日 (金)

リサイクルの象徴である再生紙の古紙パルプ配合率偽装

 日本製紙など主要製紙会社がグリーン購入の対象になっている再生紙の古紙パルプ配合率を実際より高くみせかけていたという。品質を維持するために、バージンパルプ(原木からつくったパルプ)の割合を多くしていたわけで、品質上は何ら問題はない。古紙パルプ配合の割合を増やすと、品質保持が難しいという事実を公けにせず、環境にやさしい商品を使おうという消費者・顧客の心理につけこんだ商法が許せない。

 似たような製品をつくっている企業の間では価格競争になりがちだし、他社に弱みをみせたら負けということで、不都合なことは隠すきらいがある。今回の古紙パルプ配合率偽装も、そうした日本企業にままみられる傾向の表れである。

 ところで、木は再生可能な資源・エネルギーである。伐ったあとにきちんと植林すれば、長い目で見て大きな資源・環境問題にはならない。現実には、資源国からの木材チップの安定輸入に不安がないわけではないし、国内のごみ処理の面から紙ごみの再資源化が求められていたから、古紙の再生利用は大規模になっている。

 しかし、使用済みの紙ごみを回収し、再生紙にするのと、紙ごみを燃やして、その熱を発電などに使うのとは、環境への負荷はさほど違わない。無理して古紙パルプ配合率を上げようとすると、かえって薬品の多用などで環境負荷が大きくなってしまうことにもなりかねない。

 その意味で、再生可能な資源・エネルギーである木―紙を、あたかも再生不可能な資源・エネルギーであるかのように思って、無理なことまでして古紙パルプ配合率を上げなければならない理由はない。

 1990年代の初め、再生紙を使った名刺が流行り出した。環境にやさしいというPRだった。その頃から再生紙を使うことが環境にやさしい企業、役所であることを示すというようになっていった。いわば、環境問題への取り組み姿勢を示す象徴的存在になった。再生紙は当初、バージンパルプ100%の紙よりもコストが高かった。そこで、高くても買わなければ普及しないということで、グリーン購入などの仕掛けが生まれた。

 そうした経緯を踏まえると、グリーン購入を推進してきた人々を裏切ったことになる。製紙会社は、古紙配合率を上げることによるプラスとマイナスとについて普段から正確な情報開示をすべきだった。

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2008年1月10日 (木)

変化を恐れないで

 石油の値上がりがおさまらない。石炭、鉄鉱石、金などの天然資源も高い。とうもろこし、小麦などの農産物も高い。中国など新興経済国の発展、世界的なマネー投機、異常気象、温暖化対策など、世界経済の転換を意味するさまざまな要因がもたらした現象だ。需要と供給の関係が需要>供給の状態が続いている。逆に、株式市場は世界的に値下がりし、不安定な動きを示している。

 1月9日の日本経済新聞の商品欄「変調レアメタル㊤」を読むと、希少金属(レアメタル)の騰勢が一服してきたという。リサイクル技術の進展や資源節約の広がりで需給が緩んだためと指摘している。ハードディスク材料などに使うルテニウムは、生産工程で出てくるスクラップを回収して再生するという。液晶パネルの電極材として使うインジウムも、リサイクルによる再生品が増えて、ピーク時の半値近くまで下がっている。

 このように、自由な市場経済においては、高くなりすぎれば、供給が増えて値段が下がるといった調整作用が働くことが多い。そうなるためには大抵は時間がかかる。それでも、市場原理に基づく自由経済のほうが、統制経済よりはましだというのがこれまでの教訓だろう。もちろん、全くの野放しがいいなどという人はいない。

 だが、いまの日本人はせっかちになっているのか、格差、貧困、過当競争などの問題から一直線に競争否定や、企業批判、あるいはグローバリゼーション批判に行き、公的規制の導入・強化とか、国による保護を求める傾向が強くなっているように見受けられる。天然資源は乏しく、農業の自給率も低い日本が内向きになって鎖国状態になるのは、貧すれば貪するだけ。日本国全体が落ちぶれていくだけなのに。

 世界の大勢を踏まえつつ、自国の繁栄を維持し、発展させるには、既得権にしがみつく現状維持や保身ではなく、果敢に挑戦し、かつ共存共栄をはかっていくしかない。その覚悟がこの国の政治家に、官僚に、そして国民にも欲しい。

 年初、懇親パーティなどで人と会っているうちにそう感じた。 

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2008年1月 5日 (土)

1日にしてはずれた「年間株式相場見通し」

 正月明けの4日、日本の株式市場はいきなり大幅に値下がりした。日経平均は616円安、率にして4%安の1万4691円となり、昨年の最安値(1万4837円)を下回った。

 日本経済新聞が1月3日付けに掲載している、経営者21人に聞いた今年の国内株価見通しによれば、日経平均の安値を1万5千円と予想した人は7人、1万5300円という人は1人。これら8人の予想は1日にしてはずれたことになる。ちなみに、14500円と予想した経営者は10人、残りは14000円の3人。来週、もう200円下がれば、予想を14500円とした10人もはずれることになるが、どうなるか。

 何十年も前から正月3日付けの日経に載る経営者の株価見通しは、当たるも八卦、当たらぬも八卦とはいえ、経営者の景気や株価に対する見方を反映している。ことしは「春先安、年末高シナリオが大勢」という記事の小見出しが示すように、安値をつける時期は1月~3月が多い。そして、判断理由にサブプライム問題を挙げている経営者が多い。他方、企業の業績は新興国の需要に支えられ、好調が続くという見方が多い。今年後半に高値を予想しているのは、サブプライム問題の悪影響が今年後半には薄れるという見方なのだろう。

 経営者による株価見通しは概して楽観的である。経営者の性格からしてそうだ。それに、景気循環のどの局面にあろうとも、予想時点の株価に比べ、極端に安くなるという予想をするというのは職業柄しにくい。逆に、高値はかなり上値を予想しても、批判を受けるおそれはない。強気は、「景気は気から」などといわれるように、むしろ喜ばれる。それと、経営者の多くは、自社の株価が低いと感じているから、それが市場全体の相場見通しにも影響していると思う。

 ということで、高値の予想は大体、予想時点の株価からはかなり高い数値になる。それが経営者による株価見通しなのである。高値の予想は証券会社のトップの1人が言う2万1千円はさておき、19500円が1人、19000円が6人、18500円が6人。低めだと16500円が1人、17000円が1人である。安値予想よりもばらつきが大きい。

 1年前の紙面を引っ張り出して、あの人の見通しは当たった、はずれたと評価するような人はよほど酔狂な人である。さはさりながら、1日ではずれるというのはいささかお粗末だ。(注:アンケートをとった時点の株価水準がもっと高かったという事情があったかもしれないが、考慮せず。)

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2008年1月 2日 (水)

これから世界、日本はどうなる、どうする?

 例年、元日に一般紙をすべて買ってくる。世界と日本はこれからどうなるのか、について新聞がどのような視点や切り口でどこまで掘り下げて書いているのか、読むためである。

 かつては特ダネ競争が激しく、元旦の朝刊にアッと言わせるニュースを載せるため、どこの新聞社も必死だった。その名残りはあるが、近年は企画・読み物に重点が移ったようにみえる。その中で、ことし、各社に共通している主要なテーマは地球温暖化である。

 1月1日、京都議定書の約束期間に入ったし、昨年12月、バリで開催された気候変動枠組み条約締約国会議で、ポスト2012(ポスト京都)のロードマップができた。温暖化はいまも進んでおり、社会や自然への悪影響も増している。温暖化をどの程度までにとどめられるかによって、悪影響の度合いも違う。いまの予測の最悪ケースでは、100年後に人類はほとんど生存できない。早く手を打たねばならない。そうした危機を国民に伝え、それを受けて国民一人ひとりが行動を始めるのに、新聞などメディアは大きな役割を果たし得る。ことし、新聞などメディアには、広く、深く、多様なアプローチでこの問題を取り上げることを期待する。

 日本の危機をさまざまな面で取り上げる企画・読み物や特集もそれなりに読みごたえがあった。アジアの変貌、日本経済の地位低下、社会保障問題などに関するものだ。ITなど科学技術については少ないという印象だった。ただ、日本が内向きになり、世界の中で急速に影響力を失っていることについて、日本経済新聞しか大きく取り上げていないのは奇異に感じた。環境問題もそうだが、今後の世界をどう舵取りしていくかを、世界第二位の経済規模の国、日本も構想し、時にはリードしていく必要があるのではないか。

 元旦の新聞で欠落していると思ったのは、国内外のすぐれた思想家なりに登場してもらい、今日の世界や日本を鳥瞰し、未来を展望してもらうといった読み物である。いま、専門家といわれる人々の話は、群盲象をなでるのたぐいがほとんどであり、ドラッカーのように複雑、多様な内外の出来事を透徹した観察力や分析力でとらえるには程遠い。あるいは3日付け朝刊にそうした読み物が登場するのかもしれないが、メディアにたずさわる人たちに、いまのジャーナリストに求められる役割は何かを突き詰めてもらいたい気がする。

 財政改革に限って付言すれば、産経新聞の社会保障特集に載った4人の談話は刺激的だった。井堀利宏氏は「高齢者の政治的な発言力が強すぎる。今後、数が増えれば、社会保障のために、消費税を際限なく上げろとなりかねない。給付減は必要だ」と言い切る。城繁幸氏は「現役世代の負担をいかに和らげるかと言う視点で議論が進められるべきだ」、「給付については、医療・介護だけでなく、高齢者向け全体で3割削減という大ナタを振るうべきだ」、「“高齢強者”には大いに自己負担を増やしてもらいたい」と述べる。

 樋口美雄氏も「若者にこれ以上の負担を求めるのはむり」、「財政の比重を子供を持ちたい人が持てる政策に傾けるべきだ」と言う。また、樋口恵子氏は「日本は他の先進国に比べ、社会保障負担は高くない」、「財源は企業負担をもっと求めるべきだろう」、「企業はパートタイマーらを厚生年金に入れたがらないが、未来に向けて貧困という負の遺産を積み立てるようなもの」と指摘する。

 新聞には、このように、さまざまな見解を紹介し、社会保障制度をどう変えていくかについて、社会の合意、すなわち着地点を形成していく場を提供することを望みたい。

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2007年12月24日 (月)

メディアの役割をめぐる日中の対話

 「日中の相互理解とメディアの役割」と題して、主として日本と中国のメディアの当事者が討議した記録を読んだ。ことし8月下旬に北京で開催された「第3回 北京ー東京フォーラム」の報告書(言論NPO発行)に載っているものだ。

 日中の相互理解を深めるにはメディアはどうあるべきか、という視点で議論が行われているが、中国側の基本的な考え方は「中国の政府とメディアは、非常にうまく一般世論をリードしてきており、首脳が中日関係の重要性を認識し、そのコンセンサスのもとに報道を行っている」というあるパネリストの意見に示されている。

 また、別の中国側パネリストは「メディアの報道を公正に保つために政府の誘導、自己制約、あるいはジャーナリストの職業モラルの3つが十分に組み合わされれば中日関係は良くなるのではないか」と言っている。

 そして、日本のメディアに対して「過度の商業化などにより、日本の一部のメディアは敏感な問題について騒ぎ立てる傾向にある」とか、「過熱報道に関しては、資本主義的な新聞の価値観に問題があるように思う」という見解も他の中国側パネリストから出ている。

 そうした日本のメディアに対する批判に対して、日本側のパネリストからは「メディアは単なる権力者の代弁であってはならず、国民の知る権利に答え、国益よりも公益を重視することにこそ存在意義がある」、「中国のメディアも、中国政府に対して批判の報道を行ってほしいと思う」という意見が出た。

 全体を読むと、双方のパネリストたちには、議論を通じて、お互いの違いがわかり、メディア間の交流を進めようという機運が盛り上がったようだ。

 読んでいて、中国側パネリストの発言にうなずいたところがある。メディアは「社会的責任を常に自覚しなければならない」という点だ。私は、日中間の問題としてでなく、日本のメディア、ことに民間テレビ放送が抱える構造的な問題にあてはまる批判のように思った。

 先日、ある民間テレビ局のOBに聞いたところでは、キー局の番組担当者は、自分たちで制作するのではなく、もっぱら下請け的な制作会社が出してくるものに依存しているという。オフィスに座っていて、いくつか下請け制作会社から出てくる提案の中から選んでいるだけということだ。高給を食んでいるうちに、志を失ったのだろうか。

 どこの民放も、国民総白痴化をめざしているのではないか、という気さえする。ついでに言えば、そういう番組のスポンサーになっている企業なども、社会的責任を忘れている。日本の教育の質が低下していると嘆く経済人が多いが、自分たちにも大きな責任があることに、気付いていない。

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2007年12月17日 (月)

銀座のにぎわいと、ワーキングプアと

 昨日(16日)、東京・銀座を通りかかったら、さすがに人出が多い。世界的なブランドで知られる店のビルをいくつも見かけた。高級な雰囲気をただよわせるそれらのビルには、多くの客が出入りしていた。夜はイルミネーションなどで余計、豪華な感じがする。

 夜、テレビで「ワーキングプア」の第3部を放送していた。ちょっとしか見られなかったが、グローバル化の流れの中で、先進国のあちこちでワーキングプアが増えていること、いかに彼らに仕事や住居を与え、人間の尊厳を取り戻してもらうかが大きな課題であること、を訴えていたように思う。

 同じ日に、このように、天国と地獄ほどに違う現実を見た。ここから、すぐ、格差云々という話をするつもりはない。

 人間の生存にとって基本的なものは衣食住である。その3つに職を加えたい。テレビを見ていてそう思った。「衣食住職」というと抹香くさくなるから「衣食職住」と言えばいいだろう。その場合、「職」といっても、質素ではあっても暮らせる賃金がもらえ、仕事を通じて他人のために役立つとか、自分自身の向上心を満足させるといったものを指す。無論、他人をだましたり、迷惑を及ぼすといったたぐいの仕事は含まないし、サラ金などの看板を持ってただ突っ立っているようなのも含まない。

 その意味では、企業も、国・地方自治体も、人間の基本的な欲求の1つである「職」を提供することにあまりに無関心であった。労働組合のようなところも、組合員の利益しか考えなかった。

 ところで、基本的な「衣食住」は満ち足りているか、というと、「住」はいかにも貧相である。ことに、大都市では一軒一軒が勝手な家を造ってきたから、街も大半はごちゃごちゃして見るに耐えない。大地震などの災害にはいたって脆い。

 石原東京都知事は税収を3千億円も国に召し上げられ、それが地方の財政支援に回ることを条件付きで受け入れた。しかし、首都・東京の住宅事情や街並みを改善することが焦眉の課題であることを理解していたら、事態は全く異なった展開をしていたのではないか。

 また、ホームレス対策はNPOにもっぱら支援をゆだねているようだが、首都・東京の自治体はホームレスの人々に対し、「職」に就けるように支援する態勢を整備する責務があるし、まともな歩道がほとんどなく、自転車による事故が多発している等々、首都の抱える難問は多い。東京都、そして特別区が財政のゆとりを用いてそれらにも真っ向から取り組めば、相当のことはできるだろう。残念ながら、地方自治体とは言うけれど、真の地方自治の意識が欠けているようだ。

 政府や自治体はこうした基本的な人権にも関わる「衣食職住」を真剣に考えるべきだと思う。さりとて、何でもかんでも政府・役所に頼り、してもらうことばかり求める「くれない症候群」は直さねばいけない。「フリーランチはない」のである。医療、介護保険など社会保障制度では、政府は給付に伴う負担を誰がするのか、きちんと国民に伝えるべきだ。さもないと、後の世代に大きなツケ(財政赤字の累積)を残す。

 銀座を見て、テレビを見て、そんなことを考えた。

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2007年12月 4日 (火)

「太田知事の出馬断念」、所詮その程度の人だったのか

 大阪府の太田房江知事が12月3日、3選出馬を断念すると発表した。過去2回の選挙で推薦してくれた自民、民主、公明の3党が太田氏を支援しないうえ、連合大阪も推薦しないことにしたからのようだ。しかし、支援してくれる政党などがなくなったから、出馬を断念するという太田氏の発想は、氏がいかにお粗末な人物かを天下にさらしたと言っていい。

 2000年に横山ノック知事が辞職したあとに、落下傘候補として知事に当選した太田氏は来年1月の任期までに約7年、大阪府の知事の座にある。それだけ長く知事をやっていれば、普通なら、知事として今後も府民のためにぜひともこんなことをしたいという抱負があるものだ。

 他県の知事選挙では、初めてのときは政党の支援で当選するが、次からは政党の推薦を断って無党派候補として出馬し、再選や3選された人もいる。そもそも、地方自治の原点に立てば、政党の支持や推薦などは必要不可欠なものではない。だから、太田氏にきちんとした抱負があるなら、政党がほかの人を候補者として推薦しようが、住民を最も幸せにするのは自分の政策(マニフェスト)だと訴えて勝負すべきだった。

 しかし、実は、太田氏には首長として大阪府をぜひともこうしたいという夢がなかったのではないかと思う。もともと、自民党の実力者から突然、知事選に出るよう求められ、大阪府をどう改革しようという抱負もないまま、転勤か天下りのような気分で立候補したのだろう。そして、当選後も、彼女はその段階にとどまっていたのだとしか考えられない。

 中央官庁出身者が知事に多い。その中には、太田氏と似たような事情で選挙に出た人も少なくない。ただ、彼(彼女)らは大体、知事になってから、いろいろ勉強する。その結果、知事の仕事の意義を強く感じるようになり、長く知事業をやりたくなる。それもまた弊害が多いが‥‥。

 いずれにしろ、太田氏がその程度の人物だったことが今回、はっきりした。それはそれでよかった。 

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2007年11月28日 (水)

「日本のシステムはインサイダーの保護」との指摘

 ハーバード大学政治学部の准教授であるマルガリータ・エステベス・アベさんが「日本の福祉国家:現状と課題」について27日、語るのを聞いた。連合総研設立20周年記念シンポジウムでの発言である。興味深い点を紹介するとーー

 日本の福祉政策は社会政策としてよりも、これまで土建国家、護送船団方式、農業保護といわれるような代替的なものだった。規制によって競争を制限し、あるいは公的企業をつくって失業をなくしてきた。企業を守って、仕事を守ることで国民福祉を維持してきたもので、賃金労働者とその家族に対する所得保障や、介護、保育などの社会サービスは企業や家族(女性)に任せてきた。

 大企業、その基幹労働者、金融機関、官僚制、与党政治家の「票とカネ集め」に有利なこのシステムは、そこから疎外されたアウトサイダーにとって不公平なものである。また、市場原理が貫徹されないので、資源の効率的な配分が阻害されてきた。自由な職業選択およびライフスタイルも著しく阻害されてきた。ひとたび、ある職場に入ったら、ほかに移ることが難しいため、過労死や自殺、あるいは妻が代わりに働くという選択肢がない。

 また、日本の福祉政策は資本蓄積型、つまりカネをためるというところに特徴がある。生命保険、郵便貯金などへの優遇措置がとられ、特別会計に貯める社会保険制度を強く志向してきた。しかし、貯めたカネの運用は市場原理によらず、官僚の思うがままに使われてきた。

 こうした日本の福祉政策をどうすればいいか。従来の仕組みに守られてきた人々(インサイダー)はいままでのままがいいという立場だ。彼らは税金を払いたくないし、市場での競争もしたくない。だから、高負担の福祉国家はいやだし、市場競争もきらう。

 日本の政治に目を転じると、中選挙区制度のもとで特定利益団体のための政治、つまりインサイダー保護の政策がとられ、官僚がそれにのっかって自らの利益を確保してきた。しかし、小選挙区の採用で、組織票が弱体化したので、特定団体への利益供与は削減可能となり、他方で、国民の多数が受け入れる福祉システムへの転換が必要になっている。

 二大政党のもと、増税など選挙民にとって負担増となる政策をとると、次の選挙で与党は負ける可能性が上がる。こうしたペナルティーを考えると、与野党が政策協定を結ばないと、財源対策としての増税は難しい。

 インサイダーのための福祉から、生活保障のための福祉に転換する必要があるものの、国民の多数が納得し、いま以上のコストを負担することに合意する仕組みをどうやってつくるかが日本の課題である。

 日本では米国の福祉政策に誤解がある。米国ではインサイダーを保護するのではなく、競争に負けた人を守る。非営利の大きなセクターがあり、ボランティア人口が多い。寄付も多い。冷たい社会ではないから、市場社会が成り立つ。スカンジナビア型にも誤解がある。デンマークやスウェーデンにはきちっとした市場があるが、公的雇用が多い。公的セクターで女性がたくさん働いている。男性は主にプライベート・セクターで働いていて、大きい公的セクターを支えている。

 ドイツは住宅政策と都市政策がしっかりしている。だから、住宅コストが日本よりはるかに低い。それに社会が物質的(過剰な消費?)でない。日本は住宅コストを下げる必要があるし、カネのかからないレジャーへ国民の関心を振り向けるようにすべきだ。

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2007年11月21日 (水)

なんでカタカナ表示のお店ばかりなの

 今月上旬にオープンしたD百貨店に初めて入った。「ようこそ、オトナ限定の新天地へ」と銘打っているように、ターゲットを高所得層に絞っているようだ。ここでもらった店内案内を見て気付いたことがある。

 とにかく売り場表示は片仮名の名称が非常に多い。出店企業の名称なのか、ブランドなのか。店内案内で片仮名が際立っているのは4~6階の婦人服売り場である。個々の売り場に行けば、大きく横文字でブランド名を表示しているのだろうが、百貨店では店内案内を読みやすくするために片仮名表示にしたのだろう。一部だが、ローマ字表記や洋数字の表記も若干はある。でも漢字のものはゼロ。平仮名もなし。

 2階の化粧品売り場も同様。唯一、「資生堂」があるのにホッとする。「カネボウ」、「ポーラ」など他の日本企業は片仮名表示である。3階の婦人雑貨売り場だと、「田崎真珠」のほか、漢字表示の出店が2つある。

 ついでに、8階の紳士服も片仮名だらけ。7階の紳士服・紳士用品雑貨の売り場も同じだ。

 漢字が多いのは、1階と地下1階の食品売り場。さすがに和菓子の店は漢字ないし平仮名である。

 こうして見てくると、どうして、こんなに横文字表示の店や商品ブランドが多いのかが疑問になってくる。そういえば、会社の名前も片仮名表記が増える一方である。名は体を表すというが、社名を見て、事業内容を想像するのは難しい企業ばかりになってきた。特に新興企業は片仮名のところが多い。

 明治の頃からの欧米文化崇拝がいっそう進んだのか。日本の文化に誇りが持てなくなったのか。グローバリゼーションで、ビジネスは英語でなければという事情もあるかもしれない、などなど月並みなことしか思い浮かばない。だが、横文字の氾濫は、日本の文化を衰退ないし消滅させることにつながりかねない。グローバリゼーションは、上っ面で欧米文化の物真似を促進する反面、その国・地域の独自の文化の意義や大切さを再認識させる作用もある。しかし、日本の企業にはいまだに欧米追従の意識しかなさそうだ。それも国民がいまだに欧米の白人に劣等感を抱いていることの反映か。

 いや、そんなことではない。ファッションセンスのようなものが日本は遅れているということかもしれない。着物文化の国が洋服を取り込んだのだから、しょせん、借り物であり、本家本元にはかなわないということか。 

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2007年11月11日 (日)

舛添大臣のご意見にひとこと、ふたこと

 舛添要一厚生労働大臣が月刊雑誌「中央公論」12月号に、「国家の信用はコンビニ以下だーー社保庁、自治体、官の質の低下がとまらない」という題で書いている。その中で、なるほどと思うようなことをいくつか指摘している。

1. 「官の質は明らかに低下している。人間は弱い存在で、目の前に現金を積まれたら取りたくなるという、ある意味で性悪説に立ったうえで、制度設計をしていかなくてはいけない」。

2. 「日本人はもはや誰かがチェックをして監査していないと、不正を行う国民になってしまっている」。

3. 「社会保障政策について論議するとき、どのような施策をしたら、このような負担にもかかわらず、日本の活力が一番保たれるかといった視点がまったくない」。

 とはいえ、舛添大臣の指摘を全面的に肯定するのはどうかなという気もする。

 「1.」で指摘されている官の質の低下は確かだが、社保庁や市町村のずさんな仕事ぶりや横領は何十年も前からずっと続いてきたことである。単に、過去は、官庁が国民に対して威張っておれたから、でたらめな仕事ぶりを隠すことができたにすぎないのかもしれない。政治(家)があまりにもひどかったため、官僚が国を支えているように思えたものだが、実は、官の質は以前からひどかったとも考えられる。

 「2.」は、大臣が役人の腐敗を頭に置いての指摘だが、いま、中身がブランドや表示と異なる食品や、性能を偽った製品が連日のようにあばかれているのをみると、本当にそうだなあ、とも思ってしまう。だが、食品で槍玉に上がっているのも、大体は、もう何十年も前から行なってきたことである。商売なんてそんなもの、という通念が長い間、当事者の頭に染み付いていたのではないか。途上国がやっていることを、まだ日本も脱却できていないのだろう。

 守屋前防衛省事務次官の接待漬けについてのブログに書いたように、われわれ国民の意識や見方が格段に厳しくなってきたということが問題の本質ではないだろうか。その変化に気付かず、自主、自律、公正などといった価値を尊重する組織運営や行動に転換できず、従来の行動パターンを続けている組織やそのメンバーがいま、叩かれているにすぎないと考えられる。 

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2007年11月 7日 (水)

混合診療を認めた地裁判決に敬意

 神奈川県のがん患者が保険診療と保険外診療を一緒に受けると、保険診療分まで全額自己負担となるのはおかしいと国を訴えていた裁判で、東京地裁が患者の主張を認める判決を下した。いい判決だ。それにしても、弁護士が誰もこの患者の弁護に立たなかったというのはひどい。弁護士法第一条「弁護士は基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」はこの国では死文と化しているのか。

 健康保険が使える範囲の診療で治癒するのなら何の問題もない。しかし、がんは早期発見での治癒率が上がってきたとはいえ、まだまだ治りにくいがんが多い。また、一流の医師・病院にかかっても、治るとは限らない。だから、治りにくいがんの患者がわらをもつかむ思いで、あらゆる治療法を追求しようとするのは当然である。

 だから、健康保険がきく治療法で治らない患者やその家族は、保険対象外でよい治療法があると聞けば、その費用をまるまる自腹で払ってでも受けようとする。しかし、保険非適用の治療を受けると、保険適用の診療分までもが保険非適用とされ、全額自己負担になるというのがこれまでの医療保険制度である。一種のペナルティである。

 この制度の背景には、金持ちだけがいい治療を受けられるのはおかしいという発想がある。また、混合診療を制度として認めてしまうと、医療費の膨張を抑えるため、新しい治療法を保険診療の範囲に加えようとしなくなるという主張もある。日本医師会などはそうした立場だ。

 しかし、現実には、金持ちではないがん患者やその家族が、治癒を願って保険適用外の自由診療を受けているのはざらだ。その結果、保険適用分まで100%自己負担になって、余計に生活が圧迫されている。混合診療を認めないために、かえって普通の家庭を苦しめているという現実に厚労省は目をそむけているのである。 

 がん治癒率ランキングがメディアで紹介されるように、ごく一部の大病院だけでしか、国民はすぐれたがん治療を受けられない。私の知人はがんで○○市民病院に入院したが、その市の住民は「○○死人病院」と皮肉っていた。入院したら、まず生還できないからである。知人もろくな治療を受けられず、保険適用外の治療に救いを求めた。このため、家族はそれこそ有り金をはたいたり、会社から退職金を前借りしたようだ。

 判決は、混合診療だと保険診療の分まで100%自己負担すべきだという法的根拠がないと指摘しているという。厚生労働省は現実の国民の苦しみを踏まえ、保険診療分まで全額負担という現在の混合診療のやりかたはとにかくやめるべきだと思う。

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2007年10月23日 (火)

接待はかつてのほうがすごかった

 インド洋での海上自衛隊の給油活動を継続するための法案が衆議院で審議入りした。これに先立って、防衛省の守屋武昌前事務次官が利害関係のある出入り業者とゴルフをしていたことなどが明らかになった。2000年に自衛隊員倫理規程が施行され、禁止になったのに、以後も続けていたという。

 ほかの業者からも、守屋氏がこうした問題となるような接待を受けていたかどうかは知らないが、ひんぱんに同一人物と付き合っていたことから察するに、ほかの接待は少ないか、なかったのではないか。

 十年一昔というが、かつて、中央官庁の役人が民間などから受けていた接待はすさまじかった。ノーパンシャブシャブというと、思い出す人が多いだろう。エリート官僚が得る余禄はかくやとばかり、すさまじかった。土日も平日もゴルフや宴会などの接待を受けていた。いま、銀行の頭取・社長におさまっている財務省(旧大蔵省)OBたちは、皆、接待漬けになった体験を持つ。

 だから、いま、ある地方銀行の頭取になっている某財務省OBが地方財務局から本省に戻ってきた当時、「あそこはよかったなあ。毎日のように、昼はゴルフ、夜は料亭。地元の経済界のトップにそういうところでしょっちゅう会う。本当に楽しかったあ。また行きたい」としみじみ懐しんでいたことを思い出す。ほかの省庁のエリート官僚OBも、ほとんどが似たような接待漬けの経験を持っているだろう。

 今日、守屋前次官の受けたゴルフ接待そのものは、国会でも大問題になっているように許されない行為である。だが、われわれの社会はつい10年ぐらい前まで、社会的エリートと自負する高級官僚はもっともっと派手な接待でさえ受けるのを当然視していたのである。もちろん、それをよしとしない官僚もいただろうが、それはあくまでも例外にすぎなかった。

 えらい人の余禄とみなされ、ないしは、みなしてきた派手な接待。それは許認可権限や工事発注、政府調達などで民間企業などが政府にとりいり、自らの利益を図るためである。しかし、規制撤廃、公共事業削減、公開入札や接待規制などにより、高級官僚が派手な接待を受けることはなかなか望みにくくなった。

 接待なんてなくていいと、官僚の意識のほうも変わってきているようだが、過去10年間ぐらいの間に、官の役割や社会的評価がすっかり低下した。そして、国民の官僚を見る目も厳しくなった。そのことが守屋前次官の問題で浮き彫りになったような気がする。

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2007年10月19日 (金)

「赤福」餅の事件を考える

 「赤福」は好きな和菓子の1つ。名古屋に行ったとき、生ういろうをみやげに買うか、赤福を買うことが多い。その「赤福」の本社工場(伊勢市)が営業禁止処分を受けた。売れ残りを冷解凍して消費期限をずらしたり、店頭の売れ残り品を回収して餅とあんに分けて再利用していたのが食品衛生法に違反していたからだという。

 報道によれば、工場の人たちが、売れ残りを焼却処分するのはもったいないと思って、再利用したのが問題の発端らしい。しかし、個人的には、私は、違法云々とは別に、この「もったいない」という従業員の気持を大事にしたいと思う。もちろん、腐ったりして中毒を起こすよう行為は「もったいない」とは無関係である。

 ノーベル賞受賞者のワンガリ・マータイさんは日本に来て知った「もったいない」という言葉とその意味に感動して、「もったいない」を世界に伝える努力をしている。今月は「3R(リデュース、リユース、リサイクル)月間」でもある。資源・エネルギーを大量に使う現代社会が持続不可能なことは明らかである。地球環境問題から、資源・エネルギーの消費を半分とか、それ以下に減らさなければ、ビジネスも暮らしも、今世紀中には存続できなくなる。また、食品保存のための添加物はできればないほうがいい。そうした視点から、この赤福の問題を考えることも大事だと考える。

 赤福も大企業化し、東京などでも売るようになった。大量生産は毎日、計画にしたがって一定量を生産する。しかし、需要は日々変動するから、大体は多かれ少なかれ売れ残る。だから、生菓子で、保存剤を使わず、大規模に商売するというのは大量に廃棄物が発生する可能性が大きい。

 コンビニやスーパーなどの弁当、惣菜やパン屋などの商売も、売れ残りは廃棄される。食品廃棄物を焼却処分せずに家畜のえさや堆肥などに利用することで業者は免罪符をもらった気分になっている。しかし、赤福は採算もあろうが、廃棄はしないで、あんと餅とに分けて再利用していた。中毒を起こさないように注意して再利用していたなら、それはそれで3Rの精神にかなっていると言える。

 消費期限や賞味期限を絶対視し、過ぎたものは廃棄処分するのが当然という立場に立てば、以上の考えはナンセンスだろうが、地球温暖化対策、資源有効利用、食品添加物問題などを考えれば、赤福を非難するだけでは本質的な問題の解決につながらない。

 赤福が営業再開のための対策として、今後は売れ残りをすべて廃棄するとか、保存剤を添加する、といったことをするのは一顧客としては望まない。個人的な提案は、①営業規模も販売店も伊勢市や名古屋あたりだけに縮小して、日持ちはしないがおいしい赤福を提供する、②基本的には、すべて冷凍した赤福を販売し、解凍後1、2日を消費期限とする、のいずれかがいいのではないか、と考える。 

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2007年10月16日 (火)

激化する採用競争

 青田刈り。歴史は繰り返すというが、企業の大卒定期採用競争をみると、その感を深くする。いま、もう始まっているのは再来年春に卒業する大学生をめぐる採用活動だ。

 大学3年生が就職活動に奔走すれば、学業の妨げになる。だから、大学側の申し入れを受けて大学側と経済界との間で就職協定を結び、4年生になってからの解禁の日(6月1日とか)まで企業は採用活動を控えるーーそうした配慮が1990年代の前半ごろまではあった。もちろん、ひそかに協定破りに等しい活動をする企業もあったが、一流企業はほとんど動じなかった。

 しかし、景気がよくなって、採用を増やし始めたここ2~3年、就職協定のようなしばりがないことから、企業は早め、早めにと、青田刈りをしている。確かに、グローバルな競争を勝ち抜くには、すぐれた人材を必要とするから、人材確保に後れをとってはならないというのもわからないではない。

 しかし、新卒者をものすごく大量に採用するのはどうかと思う。日本経済新聞の16日付け朝刊によると、来年春入社予定の大卒採用者は多い順に、みずほフィナンシャルグループが2400人、三井住友銀行1500人、大和證券グループ1300人、三菱東京UFJ銀行1300人、損害保険ジャパン1200人、東芝1150人などとなっている。グループ企業全体の採用者数を表すものもあるから、一概に採用が多すぎると断定することはできないが、著名な大企業が力づくで新卒者を取り込んでいるようにみえる。

 だが、大量に採用しても、優秀な人材はその一部である。それに、特定の年次に団塊ができるのは企業経営上よくない。事業拡大で人が欲しいなら、“就職氷河期”の世代からもできるだけ採用して、人事のバランスをとることが長期的にみて適切ではないか。それはまた、バブル崩壊後の経営悪化で新卒採用を極端に抑制し、多くの若者を幻滅に追いやった経済界、企業がいま果たすべき社会的責任である。常時、採用窓口を開けておいて、優秀な人材なら即、採用するぐらいの大企業が出てきてほしい。

 新卒採用にこだわる最大の理由は、何もわかっていない若者を“洗脳”して、会社の思うように動かすためだと思う。いわば、白地のキャンバスに会社が好きな絵を描くようなものだ。他の会社を経験した者は簡単に社風になじまないから、できれば避けたいのである。

 しかし、ハイブリッドというか、異なる発想、体験を持つ者が集まる企業は経営者さえしっかりしていれば強い。日本のビッグビジネスの弱さは、異質なものを排除しようとするところにある。近年の新卒定期大量採用は、日本企業の問題点を表していると言っていい。

 ついでに言うと、日本の大学を卒業したからといって、大卒の大半がろくに勉強しないままで就職している。知識集約型の産業が日本のメシのタネだとするなら、基本をきちんと押さえた大学院卒の採用を増やす必要がある。そこらあたりが非製造業の分野で日本企業が欧米の企業に差をつけられる原因の一つだろう。 

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2007年10月 5日 (金)

郵政民営化あれこれ

 東京・大手町にある「ていぱーく(逓信総合博物館)」では日本郵政グループの発足記念展として、いま「第一部 郵便錦絵展 明治のあたらしい風」を開催している。これが入ってみると、なかなか面白かった。

 郵便は1871年3月1日に創業。収集、配達などにあたる外務員の服装は、まもなく韮山笠の帽子と黒地の洋服になった。袖口に赤の郵便マーク、ズボンの外側縫い目にも赤の縦線が入るという格好よさで、まだ和服ばかりの街を駆ける姿が錦絵に描かれている。

 1876年に描かれた「東京諸官省名所集」(三代広重)には郵政省の始まりである「駅逓寮(本材木町)」が取り上げられている。その前年、貯金と為替を扱うようになったのを踏まえての紹介だろうが、「貯えた金を御預り下さって利足(利息のこと)を付けて還してくださる所なり」(読解しがたいところは勝手に解釈)といった趣旨の文言がある。

 同館は通信に関する展示がたくさんある。その中に、「東京横浜電話加入者人名表」(模造)がある。1890年12月16日に日本で電話が始まった。東京では、いまの日本工業倶楽部があるところ(当時は麹町区永楽町2丁目1番地)に最初の電話交換局がつくられた。その電話創業時の加入者(東京155名、横浜60名)名簿を見ると、いろいろなことを考えて、興味深い。ちなみに、スタート時には東京300名を受け入れることが可能だったが、半分程度にとどまったのは、電話線で病気が運ばれてきてうつるのではないか、などといった懸念を抱く人たちが多かったせいらしい。今昔の感がある。

 東京の電話番号順に加入者を挙げると、①東京府庁、②逓信省電務局、③司法省、④大蔵省総務局、⑤文部省、⑥帝国博物館、⑦日報社、⑧大同新聞社、⑨朝野新聞社、⑩改進新聞社。二十番代には、東京電燈会社、米商会所、東京海上保険会社、三井物産会社、日本銀行などがある。個人の加入者もかなりいて、渋沢栄一、大倉喜八郎、古河市兵衛、益田孝など、なじみのある人名がある。もちろん、前島密も。

 郵政民営化をしなければ、郵便事業が行き詰まることを関係者は知っていた。巨大な国営金融機関である郵貯は大量の国債を抱え、金融市場の大きなリスクとなっていた、郵政ファミリーが自らの特権、利権を私していた、等々。こういう形での郵政改革しかなかったとは思わないが、国民負担などを考えると、いままで通りという選択肢はなかった。

 郵政事業の歴史を振り返るだけで、近現代の日本人はものすごい変化を生きてきたことを実感する。おそらく、これからは、内外の諸問題で、もっと大きな変化に直面するのだろうと予感する。

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2007年9月16日 (日)

福田さんか、麻生さんか

 安倍さんのあと、総理大臣になるのは福田康夫氏か、麻生太郎氏か。自民党内部での跡目相続の選挙が行われる。政党間の政権をめぐる闘いではないから、あまり盛り上がらなくて当然だが、小泉純一郎氏のような個性的なキャラクターが1人でも加わっていたら国民の関心が高まったかもしれない。

 うろ覚えだが、十数年前、諸井虔氏(元経済同友会副代表幹事)から、二大政党の時代における保守政党と革新政党の対立点は大別すれば2つだろうという話を聞いたことがある。一つは、市場競争を重視するか否かである。いま1つは、外交・安全保障をめぐり、対米重視か否かである。このものさしを今日の自民党と民主党に当てはめてみると、対立の構図がうまく説明できない。

 2つの対立点のうち、前者は、大きな政府か、小さな政府か、と重なる面が少なくない。大きな政府、小さな政府という場合、GDP比などでとらえた歳出規模や税収・社会保険料などでみるのに加え、法的規制が多いか少ないかで判定する部分もある。許認可、競争制限、国公営などが多ければ、大きな政府に該当しよう。

 いまの日本だと、急速な少子高齢化で、社会保障へのニーズが年々増大している。だから、福田、麻生両氏が「小さな政府」を志向して構造改革を続行しても、現実には、社会保障関連の規模拡大で、カネの面では小さな政府が大きくならざるをえない。せいぜい大きくなる程度を抑えることしかできない。一方、法的規制については、自民党は市場原理の採り入れによって大きな政府を小さくし、経済を活性化しようとしてきている。しかし、それが格差などの問題を起こした理由だと批判されている。

 参院選敗北で、自民党には格差問題などで、大きな政府を志向する動きもなくはない。社会保障費用の増大および財政再建の必要から、福田、麻生両氏とも消費税引き上げに言及している。これに対し、民主党は歳出削減などで財源を生み出すとして、増税せず、と言い切っている。保守政党が増税を、逆に、革新政党が小さな政府の維持を、というのは従来の保守、革新の概念では例外のようにみえる。

 もう1つの対立点とされる外交・安全保障については、民主党がテロ対策特別措置法で対米重視と異なる方針を打ち出した。世界の安全保障をめぐる情勢の変化があろうとなかろうと、保守の自民党はお経のように対米協調を繰り返すだけである。そして中身はさておき、憲法改正を唱えている。さりとて、民主党も、テロ特措法以外は、与党とは大きく異なる独自の外交・安全保障政策を国民に訴えているようにはみえない。その点では、社会民主党のほうが自民党との違いがはっきりしている。

 諸井氏の2つの対立点がそもそもピントはずれなのかもしれないが、別の見方として、日本の政党がまだ二大政党政治にふさわしい姿に再編成されていないとの解釈もできるのではないだろうか。自民党の内輪の後任争いがメディアで大々的に取り上げられるのも、政権の座にある自民党が理念を掲げた確固たる保守政党になっておらず、その時々で、基本政策さえもが変わりうるからだということかもしれない。 

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2007年9月12日 (水)

二世、三世議員の脆さ?

 安倍総理大臣が12日、突如、辞意を表明した。久しぶりに新聞の号外が出た。

 参議院選挙後、私が会って話した人のほぼ全員が安倍さんを否定的に見ていた。要するに総理大臣の器ではないということだ。おじいさんの岸信介、父親の安倍晋太郎、そして安倍晋三、とくると、能力、識見、経験等々、すべてでスケールが小さいことが明らかである。そして、二世、三世議員の通弊だが、苦労していない分、観念的であり、逆境に弱い。

 いまの政界の大きな問題点の1つは、安倍さんのみならず、二世、三世議員が多いこと、そして、彼らの政界での出世が早いことだ。歌舞伎役者か何かと同じような世界になっている。もちろん、選挙の洗礼を受ける点は違うが、地盤、看板、カバンの3要素がカギなので、エリートの子はエリートにといった、まさに格差固定社会になっている。頭がいい有能な二世、三世議員もいるが、概して庶民感覚に疎い。バイタリティも足りない。

 自民党では、後任の党総裁・総理大臣として、麻生太郎、谷垣禎一、福田康夫氏らの名前が上がっている。しかし、その3人ともが二世、三世議員である。そういう分類に異を唱える方(かた)がいるかもしれないが、親の七光りまでいかなくても、二光り、三光りはあるだろう。そのほか、思いつくままに挙げれば、この間まで官房長官だった塩崎恭久氏もそうだし、衆議院議長の河野洋平氏も、そしてその息子、太郎氏も二世、三世議員である。

 そして、この二世、三世議員は自民党ほどではないが、野党第一党の民主党にもいる。まず、小沢一郎代表がそうだし、鳩山由紀夫幹事長もそうである(兄弟の鳩山邦夫法務大臣は自民党だが)。最近、参議院議長になった江田五月氏にしても同様だ。旧社会党の流れを汲む国会議員にしても、二世、三世議員がいる。

 いやいや跡を継いで政治家になったというケースは聞くが、実際に政治家になって、やっぱりいやだといってやめた人はまずいない。それほどに政治家という稼業は魅力があるらしい。

 しかし、グローバルに激動する世界を適確に把握し、先見性をもって日本国家を繁栄させる政策を打ち出す政党および政治家を私たちは必要としている。それには、二世、三世議員とは違うスケールの大きい人材を国会に送り込まねばならない。それが私たち有権者の責務だが、では、どうしたらそれができるのか、というところで悩む。

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2007年9月10日 (月)

テロ対策特別措置法の延長問題

 本日、臨時国会が始まった。インド洋上における海上自衛隊の給油活動を11月1日の期限切れ後も継続したいという安倍首相は9日、「職を賭して取り組む」と述べ、継続できなければ内閣総辞職もありうるとの決意を表明したという。臨時国会は冒頭からテロ特措法の延長ないし新法の制定をめぐる与野党間の激しい対立で波乱模様だ。

 しかし、10日、臨時国会開会を前に、民主党の小沢代表が「参院が主戦場だ」と言ったり、輿石参院議員会長が「我々民主党に挑戦する宣戦布告だ」と言ったのは不穏当な表現である。単なる言葉遣いの問題にすぎないという見方もあろうが、「主戦場」や「宣戦布告」という言葉は、憲法第9条を根拠に、日本が海外で戦争や戦闘行為に及んではならないことを主張する民主党のリーダーたちとしては、決して口にしてはいけない言葉だと思う。

 政治家は言葉を大事にすべき職業のはずだが、与野党を問わず、粗雑な使い方が目立つ。それでは、国民の心に響かないと思う。

 10日付け日本経済新聞夕刊で、安倍首相の所信表明を読んだ。納得できる個所をあげると、「無駄ゼロを目指す行財政改革を断固、実行します。」、「地方が考え、実行することのできる体制をつくります。」など数ヵ所。

 「「ばらまき」や「護送船団」といわれた、かつての政治手法に回帰することは、絶対に許されません」というのは受身の表現であり、「絶対にしません」と言ってほしかった。

 納得できない個所を1、2あげると、公的年金で与野党の「透明で建設的な協議が行なわれることが極めて重要です。」と言ったり、政治資金規正法の改正について「各党各会派や国会において十分なご議論をいただきたい」と言っていることだ。

 テロ特措法問題については、過去6年間、給油活動の前提となっている米欧先進国などによるテロとの闘いについて、それが適切だったか、問題がなかったか、これからもそれを続けるのがいいのか、といった点についてまず検討し、そのあとで給油活動を継続するか否かを、国民に説明すべきである。安倍首相の所信表明には、それが欠けている。国際協力を言う前に、自分の頭で問題の根本を考えるべきではないか。

 国の将来に関わる大きな争点について首相の明確な見解を述べないということは、自分の意見がないと表明しているのと同じだ。そうしたリーダーシップの欠如、そして自分が関心を抱いている特定の政治的課題についてだけはやたら熱心であるというのが、安倍首相に対する国民の不信のもとではないかと思う。

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2007年9月 1日 (土)

日本社会は自壊しつつあるのか

 無茶苦茶暑かった8月の夏が終わった。でも、日々のニュース報道を見ていると、カッとくる話の多いこと、多いこと。

 ストーカー警官が女性の家に不法侵入し、女性を射殺し、自分も拳銃自殺した事件で、警察は死亡警察官に退職金を5割増しで払うと決めたという。この報道は何かの間違いかと思ったが、そうではないようだ。もしも、警察官が生きていたら、殺人犯として逮捕されるだろうし、懲戒解雇だろう。当然、退職金なんて出っこない。それなのに、自殺すれば、ご褒美まで出るの? ついでに言うと、退職金は私たちの税金から出すことを警察のお役人たちは忘れているらしい。

 国土交通省の08年度予算概算要求で、道路特別会計の予算を上回る道路整備予算を要求したという。小泉政権のとき、道路特別会計のカネを全部、道路整備に充てている仕組みを廃止しようという声が高まった。財政危機に直面しているし、環境問題の観点からも、もう道路をどんどんつくる時代ではないという理由からだ。しかし、道路族議員や国交省、さらに自動車業界などが猛烈に抵抗し、その結果、どうしても必要な道路はつくることとするが、それで余ったカネは一般財源に充てることで決着した。

 しかし、今回の概算要求で、国交省は1円たりとも一般財源には渡さないという意思を表明したわけだ。「必要な道路」を彼らの都合のいいように解釈し、国民経済全体の利益をになう立場を放棄したのである。官僚の腐敗、ここにきわまれり、だ。

 厚生労働省の九州厚生局局長を最後に退職したOBが社会福祉法人「枚方療育園」の前理事長と縁戚関係にあり、多額の金品を受け取っていたという。OBの言う通り、仕事上、便宜をはかったことはないとしても、厚生労働省と社会福祉法人という関係があって、多額の補助金が国から流れている以上、法人側から一方的に利益供与しているというのは、第三者の目からみれば贈収賄や癒着に見える。それにしても、前理事長の羽振りのいいこと、福祉施設の経営はもうかるものらしい。まあ、以前から言われていることだけど、そこにメスは全然入りませんね。

 国家公務員倫理法に触れる云々はさておき、この官僚OBの側に、「オレのほうが偉いのだから、いろいろしてもらって当然」という特権意識が強かったように思われる。厚生労働省(そのうちの旧厚生省系)および社会保険庁の職員には、公務員として、やってはならないことのわからない者がかなりいる。彼らは仕事柄、○○してやる(措置)ということが多かったから、上下意識ないし官尊民卑の意識が骨の髄まで染み込んでいるのだろう。

 山形県の置賜農業共済組合が1999年、農業災害補償法に基く共済掛金を水増しし、国の補助金を不正に受給していた。それが3年ほど前に会計検査院などから指摘されたにもかかわらず、いまもって返済が実行されていない。同組合の組合長はこのたび農林水産大臣になった遠藤武彦衆議院議員が勤めていて、8月31日にあわてて組合長理事を辞任した。不正受給(税金ドロボー)していた組織のボスが補助金を出す側の農水省の親玉になるなんて、奇っ怪な出世物語?

 補助金を水増し請求したり、不正に使用したりする話は農業分野に限らず、いくらでもある。医療費、介護費用などの水増し請求もちょくちょく表沙汰になる。まあ、税金のムダ遣いは限りなく存在するとみてよかろう。

 大阪市で開催された50km競歩で、案内係が周回数を勘違いしたため、選手が失格。東京の私鉄で、発車してすぐにドアが開いた電車があった。生後2ヵ月の乳児が泣き止まないため、若い父親が殴ったりして殺した。妊娠したら、身体に気をつけるべきなのに、深夜2時半ごろ、スーパーに行っていて、腹痛が起き、救急車に。受け入れる病院が容易に見つからず、死産に、etc。どの話も日本社会が自壊しつつある現れに思えてならない。

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2007年8月29日 (水)

改造内閣に欠けているもの

 27日の安倍内閣改造は、私が山形県に旅行しているときに行なわれ、新しい顔ぶれをテレビ放送で知った。ローカルニュースでは、地元選出の遠藤武彦氏が農林水産大臣に決まったことをトップニュースで扱っていた。しかし、遠藤氏が農水大臣になることで、同県の農業が明るい展望が持てるという反響ばかり。大臣は地元の利益の代弁者ではなく、国全体の利益を考える立場だということはニュースでは忘れ去られている。

 それはそれとして、増田寛也総務大臣、舛添要一厚生労働大臣、与謝野馨官房長官ら、改造内閣には活躍が期待される人たちがいるが、いま一つ(というか、いま二つ、三つ)すんなりとは受け入れがたい点がある。

 まず、環境大臣である。来年、北海道で開催されるG8サミットは環境サミットといわれるように、地球環境問題が中心テーマだという。環境問題はエネルギー問題でもあり、経済社会のありかたを変える問題でもあり、外交戦略の問題でもある。

 したがって、当然、環境大臣はそうした問題に見識があり、ポスト京都議定書のありかたについて、主要国を説得できるだけの国際的な枠組みを打ち出せる人物でなければならない。安倍首相は環境問題に疎いから、大臣までもが疎いと、結局は環境省などの官僚組織に丸投げになってしまう。まして、環境省、経済産業省などに任せていたら、省庁間の対立で、ろくな政策しか出てこない。それでは、いまから国際的な信用失墜が目にみえる。

 民間にはNPOをはじめとして、環境問題にすぐれた見識の持ち主がいる。増田氏を起用したように、環境大臣にそうした人物を選んでいたら、新内閣に対する国民の印象はもっと良くなっただろう。

 今回の顔ぶれをみて、いま一つだな、と思う最大の理由は、安倍首相が留任したことである。画竜点睛を欠くという言葉があるが、安倍首相以上の人物が新総理大臣であったら、ずっといい印象を受けたのではないか。

 安倍首相の記者会見では、何をしたいのか、何をすべきなのか、が明確でなかった。参院選で敗北した原因とされる年金、格差などの問題に手当てをするのはわかるが、そうした個別の問題を超えて、日本という国をどういう国家にしたいのか、がピンとこない。

 参院が野党多数になったのだから、与党は野党と十分に議論をする一方で、国民に語りかけ、支持を得るように努めなければならない。それしか、与党の活路はない。ところが、安倍首相率いる新内閣は、多様な国民の利害を超えてよりよい社会をつくるための道筋をわかりやすく国民に説明しているとは思えない。というよりも、説明して理解を得ようという意識がそもそも乏しい。

 夢を語ることは難しい時代であるが、何が国民の幸せであり、それを確保するために何をすべきか、を政治家は語ってほしい。さもないと、若者が悲観的な、刹那的なことばかり考えるようになってしまう。 

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2007年8月25日 (土)

加藤紘一さんは評論家になったのか

 8月24日付けの日本経済新聞朝刊は、「逆風下の政権 与党キーマンに聞く」⑥で、自民党元幹事長の加藤紘一氏のインタビューを掲載している。

 安倍首相の「私を選ぶか、小沢民主党代表を選ぶか」発言について、加藤氏は政権選択の意味合いを持たせたものだから、「民意に従って退陣しないといけない」と言い、続投表明についても批判し、「勇気ある何人かが退陣を求めた。つらいことだが、誰かが言わないといけない」と語った。

 内閣改造について、加藤氏は「人心一新というと当人は悪くなかったことになる。当面は人事への期待から党内は静かになるが、(中略)改造が終わった途端に不満が噴出する」、「自民党はタイタニック号になるかもしれない。それに気づかないで船内のどの席に着くかの議論をしていては船員の命自体が危ない」という。

 そして、安倍首相で次期衆院選が戦えるかについて、「無理だ。参院選の結果を無視したと言って有権者から一層の反発がある」と言い切っている。加藤氏は年末、遅くとも来年の通常国会開幕後には解散・総選挙があるような気がすると述べ、「会社に例えれば、社員は普通、社長の進退問題を議論しないが、倒産の危機となれば、愛社精神で話し合う。今、それが必要だ」と慎重な言い回しをした。

 以上、加藤氏の発言はきわめて適切な内容だと思うが、いかにも高みの見物をする評論家的な発言ではないか。いつから商売替えしたのか。

 いまの自民党は安倍首相(自民党総裁)にはっきりと正面きって対決する人物すらいない。陰でぶつぶつ言っているだけの腑抜けの集団のようにみえる。加藤氏は派閥のボスではないが、現役の自民党所属国会議員である。いまの国会議員の中で、加藤氏ほどの見識、良識のある人物はまれだ。いまこそ、孤剣をふるってでも、自民党の危機打開のために立ち上がったらどうか。さもなければ脱党すべきである。そのどっちもしないなら、政治家を廃業し、評論家になるよう勧める。晩節を汚さないために。

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2007年8月23日 (木)

日中世論調査にみる意識の隔たり

 日本の言論NPOと中国の北京大学および中国日報とが共同で行なった世論調査の結果が今月、発表された。調査の結果は言論NPOのホームページに掲載されている。いろいろな観点からの質問があり、とても興味深いが、調査の結果からは、日本(の国民)と中国(の国民)とがお互いに理解を深め、信頼するに至るのは容易なことではないことが読み取れる。

 日本の中国に対する印象は、世論調査だと、「どちらかといえば良くない印象」が57.6%、「大変良くない印象を持っている」が8.7%に達する。中国に接する機会の多い有識者の調査だと、「どちらかといえば良い印象」49.0%、「どちらかといえば良くない印象」42.3%であるなど、良い印象のほうが少し多い。

 これに対し、中国の日本に対する印象は、世論調査では「普通」36.9%、「良くない」29.5%、「良い」23.7%、など。しかし北京大学、清華大学、中国人民大学など5校の学生を対象とした調査だと、「良くない(あまり親近感がない)」51.1%、「大変良くない」13.5%と否定的な回答が3分の2近い。

 では、相手国に否定的な印象を持っている理由は何か(複数回答)。日本の世論調査では、「歴史問題などで日本を批判するから」61.7%、「資源やエネルギー、食料の確保の行動で自己中心的にみえるから」42.4%など。有識者調査だと、「資源やエネルギー、食料の確保の行動で自己中心的にみえるから」が59.1%とトップ。次いで「中国の政治や経済の先行きが不透明だから」43.1%である。

 中国の世論調査では「歴史問題が解決されていないから」58.0%、「かつて中国と戦争を起こしたから」57.5%が際立って多い。学生調査だと「歴史問題が解決されていないから」が74.1%、「日本の指導者が中国人の国民感情を傷つける言論や行動をとるから」57.0%などとなっている。

 中国の学生調査によると、軍事的な脅威を感じる国・地域はどこか(複数回答)のトップは日本76.4%であり、その原因は「日本には侵略戦争を起こした歴史があり、今もなお軍国主義の復活を望む人がいる」68.9%、「日本は積極的に国際安全保障、平和維持への関与を求め、軍事力を強化し、軍事大国になろうとしている」53.5%などという。世論調査でも、「日本には侵略戦争を起こした歴史があり、今もなお軍国主義の復活を望む人がいる」61.8%などという。

 日中関係を阻害・妨害する主な問題は何か(複数回答)。日本の世論調査では「歴史問題への日本側の対応」63.1%、「領土紛争」40.8%、「中国の反日教育」35.6%、「中国の反日感情や反日行動と、それに対する中国政府の姿勢」33.3%などである。

 中国の世論調査も、「歴史問題(靖国参拝、教科書問題、侵略否定発言など)74.6%がトップで、次が同様に「領土問題(東シナ海、尖閣諸島)」