2009年12月24日 (木)

「知らなかった」ではすまされない

 偽装献金問題で鳩山総理大臣が24日、弁明の会見をした。資金管理団体の会計責任者らが検察に起訴されたが、鳩山氏は「知らなかった」ということで、贈与税を納付するだけですむことになった。

 会見で、鳩山氏は、秘書や母親が勝手にやっていたことだとして、自らの責任を否定した。しかし、かねて、秘書がやったことは議員が知る、知らないにかかわらず、議員が責任を負うべきだと主張して、自民党議員を攻撃してきたのは、誰あろう、鳩山氏である。知らなかったと言えば不問に付されるのなら、今後、脱税者は皆、知らなかったと言い訳することになりかねない。「上正しからざれば、下正しからず」である。

 鳩山氏は、自らのケースは私腹を肥やしたりするものではないので、ほかのケースとは違うと言った。しかし、これまで議員辞職した事例を見ると、私腹を肥やすようなケースばかりではない。問題は議員や会計責任者に政治資金規正法に違反するようなことがあったのか、なかったのかであり、違反があったら、議員の責任が問われるのである。私腹を肥やさねば違法行為であっても責任をとらないでいいというのは詭弁である。

 また、鳩山氏は自分や家族のカネだから云々という気持ちを持っているようだ。確かに、よそから集める献金よりタチがいいとも言える。だが、親から子への財産相続であっても、法定のワクを超えたら課税対象になる。それが法治国家、日本である。総理大臣になることを志した鳩山氏がそれをわきまえていないのなら、政治家失格だ。

 日本の政治改革は、政治とカネの問題が大きな争点だった。鳩山氏はこの問題に最も熱心に取り組んできた一人である。しかし、自民党を攻めるなら、当然、自分はきちんとやっているかを確かめるべきだった。誰からいくら献金してもらっているか、何にいくら支出しているか、その過不足はどうなっているかなどについてだ。その基本的なことをないがしろにしたまま、いまになって、「知らなかった」はないだろう。いくらお坊ちゃんで、カネの苦労をしたことがないにせよ、これでは政治家としてだけでなく、人間としても、失格である。

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2009年12月11日 (金)

不気味な小沢民主党幹事長の行動

 民主党の小沢一郎幹事長は党所属の政治家、議員に対し、選挙区で辻立ちせよと求める。そして、自らも、あちこちを回って応援演説などをする。だが、国民全体に向かって自らの所信を表明することはまずない。新聞などマスメディアからは、彼が日本の将来をどう考え、どのような政治をしようとしているかが国民には伝わってこない。したがって、彼の行動や断片的な発言から推し量るしかない。

 10日、小沢幹事長は民主党の国会議員140名余を含む約600人を率いて北京を訪れ、中国共産党の胡錦濤主席と会った。前代未聞の訪中団である。胡主席が突っ立っているところに、団員一人ひとりが歩み寄って握手する。その繰り返しは、あたかも中国の皇帝のところに伺候する属国の支配者たちのようにみえる、そう評した知人もいる。

 小沢氏は胡主席との会談の中で、来年の参議院選挙について「兵を募り、鍛え、勝利をめざしている」と述べるとともに、自らを「野戦軍の最高司令官」だと称し、「解放戦(参院選)が終わるまではそれに徹したい」(11日付け朝日新聞朝刊)と語ったという。相手に合わせての発言だろうが、憲法第9条を持つ日本の政治に大きな責任を持つ者としてはふさわしくない表現である。

 団員の政治家は小沢チルドレンを含め、小沢派とも言うべき政治家がほとんどのようだ。政府と党は別だとして鳩山政権とは一線を画したつもりかもしれないが、党内党のような公然とした分派活動にもみえる。いずれ民主党が割れるとすれば、小沢派とそれ以外ということになるのではないか。

 小沢幹事長は北京からソウルに回り、韓国の大統領に会う。しかし、約600人を連れていきはしない。なぜ、最も近い隣国の韓国には大訪問団を引率していかないのか。そして、鳩山首相率いる政権が沖縄の基地移転問題であいまいな姿勢のため米国との関係をおかしくしている一方で、小沢幹事長が党外交で中国との関係を強めている。それらの一連の動きが日本の将来にどう響くのか。大いに気になるところだ。

 小沢氏の意向で、民主党政権は陳情の受け付けを党に一元化した。行政官庁や大臣など政務三役への陳情は認めない。したがって、政府への陳情は小沢幹事長がすべて取りまとめ、政府に申し入れるということになる。問題は、党から政府への要望については、事業仕分けのように国民の目にさらされることがない点だ。日本テレビで村尾信尚ニュースキャスターがそれを指摘し、同様な仕分けを求めていたが、賛成だ。

 音楽指揮者の小沢征爾さんが直接、小沢幹事長に予算の確保を陳情していたが、党から政府への要望という形で、こうした著名人の陳情や、選挙応援などを約束する各種団体・組織の要望には予算をつけるというのでは、自民党政権のときと何ら変わらない。党は政策には口をはさまないと小沢幹事長は言っていたが、果たして、どうか。

 民主党中心の連立政権は、子ども手当など公約の実現に熱心だが、未曾有の財政危機には目もくれない。財務大臣を除くと、カネがなければ国債を増発すればいい、という閣僚ばかりのように思える。それはまた、参院選挙で勝つことしか頭にない小沢幹事長の意向に誰も逆らえないせいもある。

 民主党政権はどうやら「党高政低」が特徴のようだ。そこで連想するのは、中国、ベトナムなど社会主義を標榜する国が典型的な党高政低の一党独裁国家であることだ。小沢氏が何を考えているのか知るよしもないが、来年の参院選挙で勝ち、社民党などとの連立が不要になれば、民主主義国家の日本を実質的に改変し、一党独裁的な政治体制を確立しようとするのではないかとすら危惧する。考え過ぎだよと言われるかもしれないが、小沢氏の行動には不気味さを感じざるをえないのである。 

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2009年12月 4日 (金)

おかしなことばかり

 最近の報道でどうもおかしいと思う出来事がいくつもある。

●日本政策金融公庫の中間決算について。最近、日本経済新聞の「私の履歴書」に、帝人の社長だった現日本政策金融公庫のトップが登場した。人事の主流からはずれていながら、与えられた仕事の中で能力を発揮し、ついに帝人の社長にまでなったサクセス・ストーリーは、読ませるものがあった。その人物がトップの座にある日本政策金融公庫の中間決算が発表になった。経常収益3689億円に対し、経常損失がなんと5763億円にも達した。

 同公庫は国際協力銀行、中小企業金融公庫など政府系金融機関が統合してできたもの。運営は元の各機関が実質的に独立して経営しており、赤字の元凶は中小企業事業の部門である。そこの部門収支は経常収益767億円に対し、5267億円の損失を計上した。信用保証協会の代位弁済が高水準で推移したからだという。保険金支払いは4294億円だった。そして、政府の出資金1兆1059億円で自己資本の穴埋めをしたとのことだ。

 政府系金融機関にせよ、こんな大きな損失が出るというのは、信用保証協会が金融機関の中小企業向け融資に対して、まともに審査をしていないからではないか。また、公庫はそれを黙認し、景気対策だからといって、倒産そして貸し倒れになるような企業への融資について代位返済を保証したとしか思われない。こういう形で国民の税負担が増えるのは納得できない。きっちり説明すべきである。

●民間出版社が発行する『外交フォーラム』や『Japan Echo』を外務省が大量に買い上げて議員、有識者、メディアに配布しているのを、先の行政刷新会議が事業仕分けで廃止するとの判定をくだした。これについて、北岡伸一東大教授ら国際政治学者が緊急声明を出し、買い入れ継続を求めた。商業ベースで日本の外交政策の情報を発信し続けることは極めて難しいとの理由からだ。

 仕分けでは政策効果が薄いと判定されたが、私は特定の民間出版社に政府が肩入れするのはおかしいという原則論をとる。どこの分野でも学者、研究者は執筆した論文などを記載してくれる専門雑誌、総合雑誌や単行本の発行が減って困っている。過去には思想、信条に照らして絶対に執筆しなかった雑誌などに、いまは平気で原稿を書いている学者も少なくない。このように、現在、出版社の多くが経営難に直面し、どの分野の学者、研究者も発表機会が減ってしんどい。そうした中で、自分の関わる分野だけは特別のように思うのは視野狭窄もいいところではないか。

 求められるのは、このICT時代に、どうやって日本の学者や研究者らが発信したら、内外の関係者や専門家などに効果的に伝わるかを真剣に考え、工夫すること、それに、内外の人々を説得できる内容であるのか、切磋琢磨してレベルを上げること。そうした努力が必要ではないか。配っても読まれていないというようなことはなかったか。スパコンもスポーツ界もだが、税で支えてもらっているという謙虚さがほしい。

●神戸市の外郭団体への補助金をめぐる住民訴訟について、大阪高裁は市長への賠償請求を放棄するとの市議会議決を無効とする判決をくだした。もっともな内容だ。首長には提案権、議会には決定権という現在の二元代表制には問題があるといわれるが、首長と議会・議員(および職員・労働組合)とがなれあって、住民の利益に反する行動をとる自治体が少なくない。地方分権とか地域主権とか言葉は美しいが、住民に最も近い市区町村が住民の利益を優先するようにならないと、本物の地域主権は実現しないと思う。

 派遣先の仕事が市の業務に密接に関わってはいない、つまり天下りのような職員派遣にもかかわらず、市が補助金を出して市に損害を与えた。ということで、一審は神戸市に対し、市長らに損害賠償請求するよう命じた。これに対し、神戸市は控訴し、職員派遣に関する条例改正案を提出。その中に賠償請求権の放棄も入れた。そして、市議会はそれを可決した。この一連の動きは住民訴訟の意義を真っ向から否定したとんでもない行動である。主要な政令指定都市の1つである神戸市にして、このていたらくだ。

 同じ政令指定都市でも、名古屋市は就任して間もない河村市長が地域主権の実現を目指していろいろ試みている。こうした住民主体の地方政治を実現する努力が積もり積もることが国政レベルでの地方分権論議を促すだろう。

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2009年11月29日 (日)

「事業仕分け」の前に「自民党無駄遣い撲滅PT」があったのだが

 鳩山政権の事業仕分けが27日に終了した。仕分け作業を公開にし、ネットでもリアルタイムに知ることができるようにしたこと、そして、予算を要求する官庁側と、問題点を指摘する仕分け人とのやりとりを通じて、ずさんな予算要求の一端が明らかにされたことは高く評価できる。

 実は自公連立政権下の自民党が同様の作業を昨年6月から約半年かけて実施していたということはほとんど忘れ去られている。「無駄遣い撲滅プロジェクト」(座長、園田自民党政調会長代理)である。今回と同様、NPOの「構想日本」の助力を得て、若手官僚8人および各界の人たちを集めて実施した。しかし、それが自民党の政策にはならなかった。

 もし、自民党が無駄遣い撲滅プロジェクトチームの報告書を受けて前向きに実現に取り組んでいたら、あれほどの惨憺たる選挙結果には至らなかっただろう。それが自民党の運命の分かれ道だったのかもしれない。

 プロジェクトチームを率いた河野太郎衆議院議員は自らのホームページで「河野チームが去年からやった事業仕分けは、自民党の中では反乱軍のように扱われた」、「国立マンガ喫茶や酒類総研のように我々が廃止を打ち出したものに平気で予算がつけられた」と振り返っている。

 ここからは今回の事業仕分けに対する私の感想だが、第1に、「総額が少ない。見ていて甘い」と河野氏も指摘するように、もっと切るべきだった。民主党の有力者が予算をそのまま認めるようにと圧力をかけたり、作業を仕切る民主党議員がカットしないほうへと結論をまとめたりとかしたこともある。民主党主体の連立政権のもとでの与党族議員の誕生である。

 第2に、俎上にのぼった予算項目および問題点の指摘は財務省主導だったことである。自民党政権のもとでは言えなかった問題点を財務官僚がここぞとばかり出したのだろうが、結果として、それとは異なる視点からの意見が出にくかった。

 第3に、以前のシーリングがなくなり、各省庁とも要求したいだけ予算要求する格好になった。その結果、事業仕分けの対象にならない要求項目については、仕分けがないので、財務省の査定はあるにしても、無駄遣いが見逃される可能性が強い。民主党は政治主導とばかり言っていないで、官僚の意識改革を図り、省庁あげて無駄遣いをしないようにもっていく必要がある。

 第4に、今回の仕分けの結果を鳩山政権がどれだけ生かすかだ。仕分けの結果がどうであろうと、政治主導で決まると言い切る民主党議員もいる。事業仕分けの結果には疑問を抱く国民も多いようだが、さりとて、仕分けの結果が次々に無視されるなら、国民の民主党支持は揺らごう。

 第5に、民主党は事業仕分けで点数を上げた。しかし、民主党の経済政策(マクロ、ミクロ)は何か、日本をどういう国にしていこうと考えているのかがさっぱり見えない。その大きな枠組みがはっきりしない中での事業仕分けというのは、判断の物差しがぼやけているのだから、どうしても恣意的になりがちである。

 いずれにせよ、事業仕分けは神の声ではないから、民主党の今後の取り扱いが注目される。自らの偽装献金問題で首相の座が危うくなっている鳩山首相がどう判断するかも要注目だ。

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2009年11月12日 (木)

事業仕分けは画期的だが、問題もある

 政府の行政刷新会議が11日から始めた来年度予算(要求)の事業仕分けは、国家予算づくりの過程を部分的にせよ国民の眼前にさらけ出した点で画期的だ。官僚支配に乗っかった自民党中心の政治において、国のカネが天下りや特定層の権益のためなどで、どんなにでたらめに使われてきたかがわかった。それをメディアで知った国民は怒り心頭に発しているのではないか。

 これまでの国会審議は予算委員会に示されるように、予算の中身を審議することはほとんどなかった。議会がさぼってきた予算案の審議を個別事業ごとに行なうというのだから、すごいことだ。

 例えば、11日に、国土交通省の下水道事業や農林水産省の農業集落排水事業は、地方自治体へ移管するとの判定がなされた。下排水処理については下水道と農排水と合併浄化槽との3つの選択肢がある。下水道と農排水とは道路などと同じく公共事業そのものであり、しかも近接してつくられたりしている。そこに巨額のムダがあることは知る人ぞ知る。地方移管でムダがなくなるか疑問だが、そこに初めてメスを入れる可能性を感じさせる判定である。

 今回の事業仕分けは限られた予算項目についてしか行なわれないが、それ以外の予算項目についても、日数がかかってもいいから1年間のうちに順次やっていくことを求めたい。とともに、地方自治体の予算についても、すべての自治体が同様な事業仕分けを公開の場で実施するようになってほしい。

 予算をどうつくるかはまさに時の政権がどんな政治をするかを示す重要なプロセスである。だから、透明性を確保した事業仕分けの意義は非常に大きいが、問題もある。例えば、画一的に短い時間のうちに結論を出すことである。議論を尽くさないうちに一定の結論を出さざるをえないものもあるから、複雑な要素を抱えている予算については、“復活折衝”ではないが、改めて議論する場を設けたらどうか。

 また、仕分け人としてさまざまな分野の専門家が加わっているが、彼らが議論の対象についてすべてくわしいとは限らない。したがって、見落とされた視点、異なる視点からの指摘をパブリックコメントとして受け入れることも考えていいのではないか。

 ネットを使えば、どこからでもリアイルタイムで事業仕分けの現場にアクセスできるというやりかたは民主政治の新たな試みである。それは国民の政治への関心を高める。“公開処刑”みたいな印象を与えるのはいささか気になるところだが。 

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2009年11月 5日 (木)

公取委の「審判制度」廃止へ

 独占禁止法に違反したとされる企業などは、公正取引委員会の下す行政処分に異議があるとき、公取委に不服を申し立てることができる。それを受けて、公取委は審判部門で行政処分を取り消す必要があるかを判断することになっている。しかし、これだと、“一審”の審決を不服とする申し立てをしても、“二審”もまた、同じ公取委の職員が審決を下す形になっているので、中立性・公正性が疑われる。

 経済界からかねて問題だと指摘されてきたこの「審判制度」について、鳩山政権は、これを廃止し、“二審”は裁判所で行なうように独禁法を改正する方針を固めたという(日本経済新聞5日付け朝刊)。これまで分離に反対だった公取委(の官僚)も受け入れざるをえないだろう。歓迎だ。

 政権交代がなければ、行なわれなかった改革が新政権の手で進められている、その1つである。政権交代のプラス面である。

 ついでに、手をつけてほしいのが、国税不服審判所である。国税庁の付属機関である同審判所は、税務署や国税局が決めた課税の内容に納税者が不服のとき、異議を唱えて“上告”するところだ。

 同審判所で“再審”にあたる審判官は財務省・国税庁の出身者がほとんどである。税務署や国税局とは一気通貫、身内の関係である。人事を見ても、財務省・国税庁から国税不服審判所に異動で行くのがずっと続いてきた。

 役所の世界では、職場の仲間、先輩などが行なった仕事を否定することは最もいやがられる。したがって、国税不服審判所のように、国税関係出身者を多く抱える組織が納税者の立場をも踏まえて適正な課税決定をするか疑わしい。

 08年度の審判所の結果は、訴えの棄却が65.6%、却下が9.5%に達する。課税の取り消し・一部取り消しは14.7%にとどまる。例年、こうした傾向である。そうした数値だけから公正性に欠けるとみなすことはできないが、納税者に強い不満があることは間違いない。国税不服審判所をなくし、いきなり裁判所に持ち込むようにするか、審判所のメンバーに税関係の見識のある第三者を多く入れるか、といった改革が求められる。

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2009年11月 3日 (火)

「北京-東京フォーラム」で、中国側に憐れまれた日本

 11月1日から3日まで中国・大連で開催されていた「第5回北京-東京フォーラム」(言論NPO・中国日報社共催)は、公開された議論を読むと、なかなか興味深い。その中で、特に印象に残った発言を紹介する。中国がGDPで日本を抜き去ることで日本が大きな失望感を抱いているのかもしれない点に関連してのものだ。

 呉健民中国外交部国際諮問委員会委員は「日本はアジア第一の座から転落しようとしていますが、しかし、中国は発展していかざるをえないのです」、「日本が没落した国だと(自らを)考えてしまうのは、気持の問題でしょう。そういった気持が国際問題を引き起こすのだと思います。日本の気持の整理について、私たち(中国)もお手伝いしたいと考えています」と語っている。

 これは、山口昇防衛大学校教授が「日本は経済が下降気味であり、そういう内向きのときこそ排外主義が出やすい」と発言し、それを受けて、李秀石上海国際問題研究所日本研究室主任が「中国は日本の自信増強の手助けをしていきたい」と述べたことと関係していると思う。日の出の勢いの中国に、落ち目の日本を思いやる余裕が出てきたというか、日本が過去の過ちを繰り返すおそれがあるので、それを未然に防ぎたいというのか、あるいは、それらの両方を意味しているのかもしれない。

 もう一つあげると、王晨国務院新聞弁公室主任のあいさつを代読した朱英コウ(王ヘンに黄)中国日報社前編集長による「日本政府からの円借款は、中国の近代化に多大な貢献をしてきました」という趣旨の発言である。日本は北京空港建設はじめ多くのプロジェクトに巨額の円借款を供与してきたが、中国側は過去の償いとみなしたのか、それに積極的に感謝の意を表することはなかった。それだけに日中共同のフォーラムのような公けの場で円借款について「多大な貢献をした」と評価したのは、中国政府の自信とゆとりの表れではないかと思う。

 私自身、10月に北京、上海、杭州などを回って最近の中国の一部を見てきたが、その発展のレベルと勢いには率直に言って驚いた。それと比べて、日本はなんと沈滞していることかと痛感した。鳩山新政権が日本の再生に成功することを願うが、失敗したときのことを考えると、北京-東京フォーラムにおける中国側の発言はたわごとと片付けられないような気がする。 

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2009年10月29日 (木)

しっかりせよ、経済界のリーダー

 政府は日本郵政の経営陣をがらりと変えた。斎藤次郎元大蔵省(現財務省)事務次官を社長にしたほか、財務省、総務省(旧郵政省)のOBやキヤノンなど民間出身者を副社長に並べた。亀井静香金融大臣の強引さが目立っているが、鳩山政権の一面を表していると言えよう。今回の日本郵政人事に関する疑問点を以下に書くと――

 斎藤氏が長年、務めた東京金融取引所の社長ポストは財務省の天下り指定ポストである。斎藤氏の後任も財務省OBである。金融の分野はもともと財務省・金融庁の監督・行政指導が強い。東京金融取引所を、株式会社だから、普通の民間企業だとみなすのは詭弁である。斎藤氏の日本郵政社長就任は一般にいう、天下りの“渡り”とみるのが自然である。

 今回、株式会社である日本郵政の人事に政府が強引に介入したというのは、日本郵政を普通の株式会社とはみていない証拠である。その一方で、東京金融取引所について、その公的な役割などを無視して、普通の民間企業だとして斎藤氏の天下りを否定するのは二枚舌もいいところである。

 西川善文前社長ら常勤、非常勤の取締役退任にもかかわらず、奥田碩トヨタ自動車相談役(前日本経団連会長)は取締役のまま残った。キヤノンから関根誠二郎氏が取締役兼執行副社長に入った。経団連の現会長、前会長会社から取締役が入った形になった。このほか、日本商工会議所会頭の岡村正氏が非常勤取締役に入った。これらの人事が示すのは、従来の郵政改革を否定する鳩山政権の郵政事業抜本見直しに経済界が賛同したということである。

 それなら、小泉政権以来の郵政改革を支持してきた経団連などは、その豹変ぶりの理由をきちんと外部に表明すべきではないか。また、日本郵政の指名委員会に諮らずに政府が役員人事を勝手に決めたことに対して、奥田氏も、今回、取締役を事実上解任された牛尾治朗、丹羽宇一郎氏らも表立って異論を唱えなかった。だらしないの一語に尽きる。それに、お飾りの非常勤取締役になってくれといわれると、ホイホイと受ける輩が何人もいるのにはあきれる。

 郵政改革については、もともと、なぜ、それをしなければならないと考えられたのか、そして、現実には何が行われたのか、をきっちり分析すること、そして、どこに問題があるのか、を整理する必要がある。とにかく郵政改革はけしからん、というだけで、まるまる元に戻そうというのか、そうではなく、日本経済・社会の全体のありかたを考えて、郵政事業はこうあるべきだというのか。そうした思考の道筋がよくわからない。巨大な国営の銀行、保険会社がもたらす歪みなどへの問題意識もない。自民党政治をとにかく否定するという発想はあまり生産的でない。

 経済界のリーダー的な立場の人たちは、この国難の時に、目先のことにとらわれず、大局をみた言動をしてほしい。切にそう思う。

  

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2009年10月27日 (火)

美辞麗句を連ねた鳩山首相の所信表明演説

 26日に鳩山由紀夫首相が衆参両院本会議で行なった所信表明演説文を読んだ。戦後日本を牛耳ってきた官僚依存の自民党政治に対して決別を唱えるとともに、国民生活を優先する行政・経済・社会の確立を主張している。、「新たな志と構想力をもって、成熟の先の新たなる飛躍と充実の路を見いだして」いこうという姿勢には共鳴するところ大だ。

 演説を部分的に取り出せば、すばらしいと讃辞を送りたくなることばかりである。「戦後行政の大掃除」、「国家公務員の天下りや渡りのあっせん‥‥を全面的に禁止」、「硬直化した財政構造を転換」、「国民のいのちと生活を守る政治」、「目指すべきは‥‥新しい共同体のあり方‥‥『誰かが誰かを知っている』という信頼の市民ネットワークを編みなおすこと」、「国民の暮らしの豊かさに力点を置いた経済、そして社会へ転換させねば」、「日本経済を自律的な民需による回復軌道に乗せるとともに、国際的な政策協調にも留意しつつ持続的な成長を確保することは、鳩山内閣の最も重要な課題」、「内需を中心とした安定的な成長を実現することが極めて重要」、「『地域主権』改革を断行」、「地方の自主財源の充実、強化に努めます」、等々。

 ただ、これだけおいしいきれいごとばかりを並べ立てられると、ちょっぴり眉に唾をしたくなる。少なからず、世の中の裏表を見てきた者としては、どうやって実現するのか、の表明がないと信用できない。金持ちの良家のボンボンが庶民の実態を知らぬがまま、新聞などで社会の矛盾を知って、観念的にこうやれば世の中が良くなる、「無血の平成維新」だと作文した程度のもののような気もしてくる。

 日本の将来がどっちの方向に行くべきか。その理念には賛成する。問題は、総論、各論を合わせた整合的な改革プランを打ち立て、推進するという点が欠けていることだと思う。

 このほか、首相の所信表明で疑問に思ったことを挙げると、1つは、市場(マーケット)を軽視ないし無視していることである。国債の大量発行で国債価格が暴落するのではないかという点に関して、菅直人副首相はオオカミ少年だと評し、気にする必要はないと言ったらしい。しかし、オオカミ少年のお話の教訓は、いつかは必ずやってくるということである。市場をばかにするのは大きな誤りである。

 それとも関係があるが、大企業への言及がまるでない。「経済合理性や経済成長率に偏った評価軸で経済をとらえるのをやめよう」という見方からだろうが、国民生活の豊かさの源泉である付加価値を創造するには、欧米やアジアの国々と同じように企業の競争力を高める必要がある。日本だけが社会福祉など内需中心で豊かさを維持できるという鎖国的な発想をしていたら、日本経済はスパイラルに縮小するだろう。日本には、大企業を敵視する風潮がいまだにあるが、それを助長する政策だと、大企業の日本脱出、中小企業の破綻続出という最悪の事態も起きかねない。

 「フリーランチはない」。その当たり前のことが所信表明には欠けている。国民には自主、自立の精神を持ってもらうことが絶対に必要である。お金で人の心を買うような政策は下の下だ。

 財政危機の実態はきわめて深刻である。「長く大きな視野に立った財政再建の道筋を検討してまいります」と悠長なことを言っておられる状況ではない。もちろん、いまの景気状況を踏まえて財政・金融政策が景気を下支えすることは不可欠だが、“借金”が膨らみ、将来世代に負担になるという事実を国民にしっかりわかってもらわねばならない。

 所信表明は甘い蜜に満ち満ちている。それは亡国への道筋になる危険をはらんでいる。

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2009年10月 8日 (木)

鳩山政権の出だしは評判がいいが‥‥

 知人などと話をすると、皆さん、鳩山新政権を「いいね」と評価している。自民党政権と違って、若い世代の政治家がよく勉強していて、自分の言葉で話しているからだ。そして、多くの人が「自民党政権がひどすぎた」と付け加える。人によっては、総裁交代後の自民党に対して「パッとしない」という感想を洩らしたりする。「もう消えていく政党だ」という声すら聞く。

 いまの自民党をみていると、それもありうるような気がする。敗北の原因をきちんと分析し、日本の望ましい国家像とそれに至る政策をきちんと追求するという手続きすらしていないからだ。ただし、自民党がこのまま沈没すると、民主党の一党独裁になりかねない。それは絶対に避けたい。政権交代が前提の二大政党制を続けるには、当分は、自民党が新たな使命を掲げて再生することが欠かせない。

 鳩山新政権が発足してからの政治報道は、国会が開かれないままなので、霞が関に陣取った民主党の閣僚らの活動と、民主党と連立政権を組んだ社民党と国民新党の動きばかりを取り上げている。国民にとって、それはそれで必要である。ただ、鳩山首相の米軍普天間基地移転に関する発言や、長島防衛庁政務官の海上自衛隊によるインド洋での給油活動延長に関する発言に、福島社民党党首(消費者庁担当大臣)が反対するなど、連立政権内での対立・論争しか国民には伝わってこない。

 議会が開かれていれば、野党である自民党や公明党、共産党が鳩山首相の献金疑惑をはじめとして、さまざまな論点できびしく政府を追及しているはずだ。しかし、選挙後、ずっと国会を開かずにいるために、国政の重要な問題点が必ずしも取り上げられないままになっている。代わりに連立政権内部での内輪の中途半端な論争が大きく報道されているのである。参議院の神奈川、静岡地区の補欠選挙を終わるまで臨時国会を開かないというのは、小沢民主党幹事長の戦術だろうが、国民を軽視した党利党略に走り過ぎていると思う。

 新政権はマニフェストを基本的には国民への約束とみなして、その実現に向かって努力している。しかし、野党時代に言っていたことを引っ込めたりする自分本位なこともみられる。たとえば、民主党は自民党政権のとき、国会会期中、大臣は国際会議などで海外に出かけるのは国会軽視だとして強く反対した。当時、政府は国益を害すると反発したが、民主党は審議拒否で対抗しようとした。ところが、自らが政権の座についたら、早くも、国会答弁は副大臣などに任せて海外出張するのはかまわないとの方針を決めた。

 混合診療を禁ずる明文規定はないのに、厚生労働省は原則として禁止している。それを妥当とする東京高裁の判決が9月29日にあった。これを受けて長妻厚生労働大臣の「国のこれまでの主張が認められたものと考えている」という談話が出されたのにはびっくりした。役人の説明の鵜呑みである。日本経済新聞の大林尚編集委員は大臣の「問題意識の低さがうかがえる」と指摘した(8日夕刊)。

 それに大賛成だが、私は、鳩山政権といえども、いずれ霞が関の官僚たちのてだまにとられるという巷の一部の見方を裏付ける事例ではないか、と思う。長妻大臣は年金問題では官僚を超える知識や見識を持っている。だが、厚生労働省の守備範囲はとほうもなく広い。副大臣や政務官を数人抱えても、すべてをきちんと把握することはほとんど不可能である。したがって、官僚の説明をうのみにすることは大いに起こりうる。民主党中心の政権の限界である。

 米国には、民間に大きなシンクタンクがいくつもある。政党色の強いシンクタンクもある。そこには、さまざまな分野の専門家がおり、政権を支える主要なポストに就くことも少なくない。日本では霞が関自体が巨大なシンクタンクだといわれ、それに対抗できる民間シンクタンクや人材の集団が存在しない。このような日米政策マーケットの相違を認識して、民間に大規模なシンクタンクをつくらなければならない。

 新政権は行政刷新会議の事務局長にNPOの代表を引っ張った。これが政策を対象とする本格的な民間シンクタンクの育成につながればいいと思う。そのためには、寄付税制を改めて、「公」の担い手としてのNPOが活躍できる条件を整える必要があるだろう。 

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