2009年10月10日 (土)

曽野綾子著『貧困の僻地』から

 曽野綾子氏の本を読むと、鋭角的に本質を突く言葉にぶつかる。ぬるま湯にひたりきった日本の社会に対する批判的な視点は、他の追随を許さないものがあると思う。その厳しさについていけない人もいるだろうが、学ぶべき点は多いのではなかろうか。ことし5月に発行された『貧困の僻地』も同様である。

 日本のように「どこでも同じようなものが買える制度を持つ国家には僻地がない」。アフリカでは僻地が出現すると、部族化がいっそうはっきりしてくる。村が孤立化すると、国としてまとまるという発想は誰にもないという。

 「人は誰でも、或る時、後の人のために死んでやることが必要なのである」。ワクチンの接種などの医療の供給資源が足りないときは、誰を優先して治療し、誰を後回しにするかのトリアージュが行われる。そうしたとき、高齢者が後回しにされるというような不平等、切り捨てがありうることを日本では全く教育していない、という。

 「現実に幸福かどうかを別として、幸福を売り物にする人の特徴は、笑い声がけたたましい」。「沈黙と静寂は、他の音を受け入れるが、饒舌と騒音は、他者の声を伝えない」。私も日頃から痛感しているのだが、テレビ番組は朝からやたらしゃべり、笑い、食べる。皆でやればこわくないのである。これでは一人静かに本を読んだり、考えたりするのはヘンな人とみなされかねない。

 「外見の若さの基本は、新鮮で安全な食材を使った食事をすることだろう」が、「もう一つ若々しい魂を保つためには、精神の栄養が負けず劣らず必要だ」。すぐれた人に会って、その人から多くを学ぶとともに、「何よりもたくさんの読書をしなければならない」という。それらに時間とカネを使わなくては若さも美貌も保てない、と曽野氏は指摘する。

 「ものの過剰は人間を疲れさせるし、もの一つ一つの存在の意義を見失わせる」。何か欲しいと思ったら、すぐ買わず、やや長い時間をおいてみたらいい。それで本当に生活に入ってくるべきものか見極めがつくという。

 本書『貧困の僻地』はアフリカの貧しい社会や人々を「僻地」ととらえて、曽野氏が現地を訪れ、体験した「貧困」の実相を描いている。同氏からみれば、日本には僻地というものはない。世界的にみれば、日本は豊かな社会そのものである。しかし、日本の中では貧困が大きな政治的、社会的な問題となっている。同じ「僻地」という言葉がグローバルにみたときと、日本国内でみたときとでは大きく異なっているのである。そうした違いを理解することは、私たち日本国民一人ひとりの問題意識を深めるのではなかろうか。

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2009年10月 3日 (土)

おもしろかったトヨタ新社長の会見

 トヨタ自動車の豊田章男社長の記者会見が2日にあった。さまざまな質問が出たが、出色は週刊誌「アエラ」の大鹿記者の質問だった。トヨタを取材するには通常、同社の広報部を通じるが、トヨタに批判的な記事を書いたりすると、「広告を出すのをやめるぞ」などと脅される。そうしたトヨタの広報部のありかたをどう考えるか、という内容である。

 豊田社長は「マスコミ各社に不快な思いをさせたことは申し訳ない。今後は誠心誠意、努力していく」と答えた。

 トヨタは日本一の大会社であり、GMを抜いて世界一の自動車メーカーである。国内では経団連会長を出したり、政府の審議会委員や政府系企業への役員派遣でも多くのトヨタマンを送り込んでいる。また、広告費の規模でも断トツの会社である。このため、スポンサーの強みを鼻にかけ、メディアに対し、傲慢な態度になりがちだった。金融危機以降、トヨタの広告出稿は激減したが、メディアへの姿勢は変わっていないらしい。

 記者会見での質問は、見方によれば、満座の中で社長が恥をかかされたということを意味する。ひょっとすると、トヨタはこれを機に広報・宣伝部門の幹部人事や態勢を大きく変えるのではなかろうか。

 会見の初めのほうで、豊田社長は経営学者、ジェームズ・C・コリンズの「企業が凋落する5段階」(出典:日経ビジネスマネジメント)を紹介した。第1段階:成功体験から生まれた自信過剰、第2段階:規律なき規模の追求、第3段階:リスクと危うさの否定、第4段階:救世主にすがる、第5段階:企業の存在価値が消滅、である。

 なるほど、私の見る限り、第1~第3段階は見事、これまでのトヨタに当てはまる。そして、豊田社長は「いまのトヨタはこの第4段階にある。どん底に近い。しかし、第4段階からでも復活は可能だ」と述べた。では、救世主とは誰のことか。豊田社長は「私のことではない。人材だ」とし、「これからも人材育成が重要。それはトヨタのDNAであり、重要な要素だ。すがるべきはこの人材だ」と語った。

 トヨタはかつては堅実無比で三河に拠って、中央でチャラチャラするのを嫌った。しかし、会社の飛躍に伴って、威張る傾向が出てきた。そうした社風の変化が元の堅実、謙虚さに戻ることになるのか。これからを見守りたい。

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2009年9月13日 (日)

目からうろこが落ちる書物『日本産業社会の「神話」』

 『仕事の経済学』などで知られる小池和男氏(元法政大学教授)がことし2月に出版した『日本産業社会の「神話」―経済自虐史観をただす』を読んだ。目からうろこが落ちるとはこのことだと思った。

 日本の社会には、三種の神器(年功序列、終身雇用、企業内組合)が戦後日本経済の発展を支えたという見方が強い。あるいは、会社第一主義とか仕事優先など、集団主義の社会だとも言われてきた。しかし、近年、それらの特殊日本的なものを米欧のように改めなければグローバルな競争に勝てないという見方が強くなっている。実力主義だとか成果主義の導入だとかはその表れだ。

 しかし、日本は特殊だというそうした通念が本当かを海外諸国と比較検証したのが本書である。こうした分野のデータも研究者もごく一部に限られているため、著者自身、慎重な言い方をしている部分もあるが、海外のあちこちで教えたり研究したりした成果を踏まえたうえでの問題提起なので、とても刺激的な内容である。その一部をピックアップする。

 米国に比べ、日本のほうがはるかに広い範囲の人に査定が適用されている。査定の結果は分散しており、日本における集団内の個人間競争の激しさを示唆する。

 日本人の仕事に対する満足度は、米国人に比べ低い。会社への愛着度も低い。仕事以外を重視する人の割合が高い。総じて会社をさめた目で見ている。

 米国のホワイトカラーのサラリーも勤続に応じた右肩上がりであり、定期昇給も広く普及している。世界の傾向は、高度な仕事は中長期重視のサラリーであり、それが社内資格給という長期重視のサラリー方式になってきている。それなのに、日本は短期重視へと逆行しつつある。

 米国では、生産職場の職長に残業手当てがない。当然ながら、その上の人たちも手当てがない。大学新卒の正社員も最初から残業手当てがない。西欧の企業のホワイトカラーも同様。米欧とも、記録なしの残業、“サービス残業”をしている。

 ドイツなど欧州の多くは、法律上は労働組合でないが、実態は労働組合と同様の事業所従業員組織(1つの事業所に複数あることもある)を、法律で経営参加の組織として認めている。したがって、企業はそれらの組織の専従者や事務職員の給与や事務所費などを負担している。

 第一次世界大戦後、日本経済をリードした繊維産業では、政府のおかげなどという「神話」は何ひとつ当たらない。経営と技術ですぐれていたからだ。日本は研究開発では圧倒的に民間主導で、政府の経費分担割合は欧米に比べとりわけ少ない。創造的な研究開発ほどリスクが高いから、長い期間をもちこたえるには政府のカネをもっと投入しなければならない。

 真に創造的な研究開発は失敗のリスクが大きいから、そのコストは企業などの組織がとるしかない。成功したら、その担当者にはそこそこの報酬、失敗してもなお少ないながら昇給するという仕組みが欧米の製薬会社やシリコンバレーでとられている。巨額の成功報酬をというのは日本だけの話だ。

 高度な仕事をこなす人材を育成するには関連の深い業務分野で広く経験を積まねばならない。それにはおおまかな技能、仕事能力を反映する社内資格給が必須だ。それも範囲給が欠かせない。 

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2009年9月 6日 (日)

国民医療費の数値を読む

 今月2日に厚生労働省が発表した平成19年度の国民医療費統計のデータをじっくり見た。総額は34兆1360億円。前年度よりも1兆0084億円も増えた。また、国民医療費の対国民所得比は9.11%(前年は8.87%)と過去最高になった。

 国民医療費は平成15年度が31兆5375億円だったから、4年間の年平均増加額を計算したら、驚くなかれ、約6500億円となった。増加の最も大きな原因は薬局調剤医療費の増加である。平成15年度に3兆8907億円だったのが、平成19年度には5兆1222億円に膨らんでいる。また、入院医療費の増加も目立つ。

 次に、34兆円余の医療費を誰が負担したかを見る。保険料が16兆7898億円(うち、事業主負担が6兆9241億円、被保険者負担が9兆8657億円)である。また、公費は12兆5271億円(うち、国が8兆4300億円、地方自治体が4兆0971億円)である。その他が4兆8190億円あり、うち患者負担が4兆7996億円である。公費負担は全体の36.7%(うち、国は24.7%、地方は12.0%)に達する。

 国民医療費を年齢階級別に推計すると、75歳以上が10兆0893億円と、全体の約30%を占める。70~74歳が4兆0847億円、65~69歳が3兆5698億円なので、65歳以上の高齢者の医療費だけで全体の52%に及ぶ。60歳以上で計算すると、国民医療費全体の60%余にもなる。

 ちなみに人口1人当たりの国民医療費(推計)は、75歳以上の高齢者の場合、平成19年度に79.42万円となっている。元気な老人も含めての平均でこれだけかかっている。70~74歳では59.01万円、65~69歳は45.54万円。年をとればとるほど病気になりやすいのは当然のこととはいえ、長寿化による医療費増は、それを誰が負担するのか、という深刻な問題を国民に提起する。

 保険料の引き上げか、自己負担割合の引き上げか、公費負担を増やすか。公費というと、天から降ってくると錯覚している人もいるようだが、公費の負担増にしても、どうやって賄うのか。そうした問題が控えている。医療費は増えて当たり前だという意見が強まっているが、誰が負担するのか、を考えると、いまの医療費の使われ方を洗い直し、ムダを徹底的になくすべきだろう。介護なども含めた広い視点で問題をとらえてほしい。

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2009年9月 3日 (木)

田中秀征氏の「鳩山ー小沢」論

 民主党を軸とする新政権がどんな政治を行なうのか、メディアの最大のテーマである。9月2日に日本記者クラブで行なわれた田中秀征氏の会見では、新政権を見るうえで興味深い視点がいくつか示されたように思う。田中氏は1993年の細川政権誕生のとき、細川総理大臣の特別補佐を務めたり、故宮沢喜一元首相と親密だったりした。以下はその一部。

・自民党が下野したのは細川政権誕生のときと今回の2回だけ。この2回とも、政治不信が背景にあったのは同じだが、93年も今回も、小沢一郎氏が演出した。ほかには共通点は見当たらない。今回は誰が党首であるかは投票の決め手にならなかった。自民党の構造が劣化したので、民主党の手を借りて自民党を倒したということだ。

・自民党は再生しない。政党にはすぐれた指導者と指導理念が必要だが、かさぶたのような人ばかりが選挙で残った。支持基盤は公明党に足腰を担ってもらってきたので、弱くなっている。自民党はご破算になっていくと思う。

・民主党は小沢さんが中心人物であることが問題点だ。いま小沢さんを上回る政治力を持つ人はいない。彼は戦後政治の歴史上、田中角栄らを上回る政治力を持っている。彼が鳩山(由紀夫)さんを盛りたて続ければ、(明治の元勲)大久保利通を越える業績を挙げるのではないか。

・小沢さんも、小泉(純一郎)さんも、地位には全く無欲だ。小泉さんは権力にも無欲だ。しかし、小沢さんは権力、実権にはどん欲だ。総理大臣にだってなりたくない人だが、党への残り方が問題だ。小沢さんを何とかできる人はいない。彼に自重していただくほかはない。

・鳩山さんと小沢さんとはウマが合う。小沢さんは鳩山さんが大好きだ。鳩山さんは世論を見ている政治家であり、晴れがましい舞台が大好きだが、小沢さんは組織とか団体といった固定的なものを見ている人で、晴れがましい舞台は大嫌いときている。いつか、政治判断、政策判断で2人の間にズレが生じるだろう。

・民主党は成長戦略がない、配ることを重視していると批判された。私もそこが気になっていた。民主党は直ちに5ヵ年の経済計画を立てるべきだ。それには年金、医療などを含める。そうすれば、ばらまきをやらないですむ。希望が持てることになる。

・日本の官僚制度は政治的意思を持っている制度であり、他国に例をみない。最近は「官僚いじめ」といわれるが、そうではない。民が官僚にいじめられてきたのだ。それをやめろということである。これまでの政権は官僚に対する人事権を持たなかったから、全く求心力を生まなかった。

・霞が関に100人の政治家が入るから政治主導とは思えない。個室、車代などカネがかかるだけだ。100人は必要性から出てきた人数ではない。

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2009年8月20日 (木)

こんな商売ありか?

 最近、携帯電話の折り曲げる部分が少し壊れた。電話会社の直営店に行って相談したら、修理は見積もりによるが、1万5千円ぐらいかかることもあるという。少なくとも5千円以上はするとか。店の前には「0円」という大きな表示があったように、買い替えのほうが安くつくので、買い替えることに決めた。

 ところが、いままでのサービスを継続できる買い替え対象機種は4つしかないとのこと。その中から選ぶことにしたら、在庫は1種類しかないという。4つのうちで、一番高い1万1千円の機種だ。でも、これまでに貯まったポイントを使うと4千5百円安くなるというので、それでお願いすることにした。

 そうしたら、今度は各種サービスをまとめた一枚紙をみせられ、「購入する場合、この6つのサービスに1カ月だけ入っていただきます」と言う。「入らなければいけないのか」とたずねたら、「強制ではありません。ただ、入っていただけなければ、1万1千円の機種の値段が4万1千円になります」との返事だ。6つのサービスの1カ月の料金はちらっと見た印象では2千円するかしないかだった。「お好きなほうを選んでいただけば結構です」とはいうが、3万円と2千円のどっちをとるかは誰が考えても明らかである。お客の選択を尊重するふりをして、要らないサービスを押し付け販売するのは不公正取引だろう。

 後日、この直営店に行ったとき、きちんと応対する店員だったので、「あなた自身、どこかで買い物をするとき、不要なものを併せて買ってくれ、と言われたら、納得できないでしょう。携帯電話で、どうして1カ月だけ6つのサービスに入れ、というのか。その理由を教えてほしい」と訊いた。だが、その店員は、わからないと答えた。うるさい客だと見て、適当にあしらったのかもしれないが、いずれにしても、客の不信を買う商売のやりかただ。

 携帯電話サービス事業の料金体系は極めて複雑で、一般の人には何が何やらさっぱりわからない。説明書はあれこれ書いてあるが、店員に教えてもらわないと、理解不能。申込書も、細かい文字が多く、読んでもチンプンカンプン。結局は店員のお勧めの通りにし、申込書も名前のところ以外は店員に書いてもらっている。意地悪い見方をすると、わざとわかりにくくして、うまいこと商売しているのではないか。どこの携帯電話会社も。

 民営化で、この携帯電話サービス会社を創設した人は、もともと有名な電子部品企業を興した人である。名経営者の誉れが高く、全国に展開している何とか塾で全国の中小企業の経営者や幹部を育成している。かつての松下幸之助みたいな人だ。いまは携帯電話サービス会社の役員でも何でもないが、同社の経営者や社員は彼の経営思想を少なからず引き継いでいるのかと思っていた。

 話は変わるが、パスポートの期限が切れたので、申請書類を提出しに旅券事務所に行った。申請書には顔写真を貼るが、その写真を事務所の入口の横にある店で撮ってもらった。2枚でカラー1700円、白黒1500円だった。ネガはなし。旅券事務所の入口のすぐ横に2つの店があったが、料金は同じだった。

 私の疑問は「どうして、こんなに写真代が高いのか」だ。駅構内などにある自動写真撮影装置だと700円ぐらいなのに、どうして倍以上の値段になるのか。ぼろもうけの商売である。もしも、旅券事務所が駅構内と同じように自動装置を置けば、申請者の費用負担は軽くなる。それに、装置を置かせることによる収入が事務所に入る。事務所がそういうことをほのめかすだけで、写真業者の価格は大幅に下がること必定である。

 誰がみても高過ぎる料金の商売を政府がやめさせるというのは穏当ではない。だが、パスポートを作成するために国民が支払う費用に無関心なのもまたよろしくない。事務所の前に写真撮影勧誘の客引きが何人もいるのをみると、旅券事務所と写真業者とがつるんでいるのではないかとすら一瞬思ったことを付け加えておく。

 日本の社会や企業活動には、まだまだアンフェアなことが多い。年をとり、ひまになってくると、余計、そうした事柄に気付く。 

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2009年8月16日 (日)

「鎮魂」の造形美術展

 東京・銀座で開かれていた「64年目の夏 鎮魂のニューギニア」と題する個展を見た。太平洋戦争時、ニューギニアの激戦地で戦い、何度も負傷しながらも、奇跡的に生き残った三橋國民氏(造形美術家、88歳)が、生きて帰ることのなかった戦友たちの無念さや戦争の悲惨さを伝えるために制作した絵画や彫刻などが展示されていた。

 ニューギニアってどこ?と思う人もいるだろうが、日本は太平洋戦争でいまのインドネシア、オーストラリア、タイ、ビルマ(ミャンマー)などにまで戦線を拡大した。三橋氏はジャングルで戦い、分隊40人の中で2人しか生還しなかったうちの1人という。

 太平洋戦争が終わってから64年。いまだに日本兵の数知れぬ遺骨が故国、日本に帰ることなく、戦地だったところに埋まったままという。三橋氏の作品は現地で死んでいった戦友の鎮魂とともに、二度と戦争をしてはならないと強く訴えているように思えた。

 この個展を見て、2004年11月に静岡県立美術館で見た「香月泰男展」を思い出した。香月は、敗戦後、ソ連によって極寒の地、シベリアの捕虜収容所に送られ、強制労働をよぎなくされた。シベリアの強制労働と餓えや寒さでたくさんの旧日本兵が死んだ。1947年に日本に帰った香月は、強制収容所で無念の死をよぎなくされた人たちの鎮魂のため、多くの絵画を描いた。三橋氏の作品と香月の作品とは、表現の仕方に違いはあるものの、訴えてくるものは共通している。

 銀座4丁目角すぐの鳩居堂ビルの4階で開かれていた個展を見て、エレベーターで下りたら、表通りはカラフルな服装をした人々が行き交っている。展示の世界と違い過ぎて、一瞬とまどいを感じた。

 戦争体験のない人の方が大半となり、メディアでも、戦争の悲惨さを強く云々するのは毎年8月だけになってしまった。また、あいまいにされた戦争責任の問題を取り上げる報道もあるが、政治的・社会的に徹底追及する動きにはならない。きちんと総括してこそ、反省を生かし、二度と同じ過ちをおかさないようにすることができるのだが、そうはしないのが日本流なのか。

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2009年8月15日 (土)

構造改革とは何だったのか

 民主党、社民党、国民新党の共通政策が発表になった。ここでも、「小泉内閣が主導した市場原理・競争至上主義の経済政策は、国民生活、地域経済を破壊し、雇用不安を増大させ、社会保障・教育のセーフティーネットを瓦解させた」と、いわゆる構造改革を槍玉にあげている。

 小泉政権が推進した構造改革という問題提起は、そんなに悪いことだらけだったのか。記憶が定かでないので、佐和隆光著『日本の「構造改革」』(岩波新書、2003年)を読み直してみた。以下、私なりの要約である。

 日本の市場経済は「人にやさしい」という利点を持つが、不自由、不透明、不公正に過ぎる。そこで経済の仕組みを自由、透明、公正なものに作り替えるのが同氏の定義にいう経済構造改革である。もっとも、自由、透明、公正の三つの公準がトレードオフの関係になることもあるから、どのように組み合わせるかが問われることもある。そして、ポスト工業化社会に移行するためには、「否も応もなく、日本型制度・慣行すなわち日本の構造を、抜本的に改革せざるをえない」としている。

 しかし、構造改革は必要にして不可欠だが、それだけでは十分ではない。なぜなら、市場改革一本槍だと、「倒産、失業、所得格差の拡大、公的な医療・教育の荒廃、犯罪率の高まり、将来への「不安」による自殺や精神疾患の増加、勤労意欲の低下、等々の悪しき「副作用」をもたらす」ので、弱者に住みづらい社会になるという。したがって、構造改革と同時に、平等な福祉社会をつくる「第三の改革」を実行すべきだと主張している。

 市場主義改革を最優先にすると、失業など「排除」される人々が生まれる。したがって、働く人の技能を高めること、すなわち、労働力の「質」の向上という「ポジティブな福祉」を目指すべきである。それが「第三の改革」で、経済成長に貢献すると指摘する。

 「ポジティブな福祉」の役割は、「自分という人的資本への投資の原資を提供すること」である。それはまた、福祉にお世話にならねばならない人をできるだけ少なくするために福祉を用いるのが、福祉財政の破たんを未然に防ぐ最善の策だという考えに基づく。

 著者は、小泉政権が進めていた構造改革は「財政改革に尽きる」と言い切っている。だが、「日本の構造はインサイダーにとっては快適きわまりないが、アウトサイダーにとっては不公正きわまりない」として、本来の構造改革の必要性を主張してきたという。そして、構造改革に伴う痛みを抑えるには、好景気のときに構造改革を実施すべきだと述べている。

 ところで、最近、「セーフティネット」という言葉にお目にかかるが、本書によると、サッチャリズムの福祉政策を指すのだそうだ。すなわち、「能力の乏しい人、生産性が低いような人には、働いてもらう必要はない。最低限の生活費を国が支給するから、セーフティネットの上で惰眠をむさぼっておいてもらったほうが、社会的コストは安くつく」というものだという。おもしろいと思った。

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2009年8月 5日 (水)

旅行社のツアーに1人で参加した

 月山、湯殿山、羽黒山の出羽三山に一泊二日で行くツアーに参加した。一人一室で宿泊できるので、一人で行ってみた。山伏の修行で知られる三山だが、初めてなので、見るもの、聞くもの全て新鮮な旅だった。ここでは、それに直接触れるのではなく、別の視点からの感想を記す。

 東京から福島(福島県)まで新幹線で行き、福島駅から湯殿山(山形県)まではバスで行った。そして近くの即身仏で知られる大日坊瀧水寺に寄ったあと、バスで蔵王町(宮城県)の遠刈田温泉まで行き、そこで泊まった。二日目は、バスで蔵王町から月山(山形県)に向かい、月山の八合目まで。そこからバスで下り、今度は羽黒山(山形県)に登った。三神合祭殿を訪れたあと、バスで少し下り、羽黒山の有名な五重塔まで歩いて往復。そのあと、バスで山形駅に。駅から新幹線で東京へ。とにかくバスに乗っている時間が長かった。

 夏場に客の少ない蔵王町のホテルは団体旅行の宿泊料金が安いのだろう。だが、湯殿山と月山は目と鼻の先なのに、片道だけで2時間も3時間もかかるホテルまで往ったり来たりするのは時間のムダ、石油のムダ、温暖化ガス排出増、そして参加者には疲労、と、いいことはない。高速道路ができ、バスが走り回るようになるのが合理的なことか、と疑問を抱く。

 神仏混淆から神仏分離へという明治政府の命令に出羽三山も振り回されたという。そうした苦難の歴史を初めて知ったが、かんじんの宗教関係者の現在はというと、いささか言動に問題があるように思えた。例えば、「かつてはチャリン、チャリンというお賽銭の音が喜ばれたが、いまはそんな音は喜ばれない(お札でないと喜ばない)」と露骨に坊さんが言う。また、先祖に供養するためのローソクを売っている一方で、火が灯ってまもないローソクを片っぱしから除去している。供養しようという参拝者の気持ちを逆なでするようだ。そうした事例を経験すると、宗教が露骨に商売人のようにみえてくる。

 今回の団体旅行は夫婦や親子などの参加者と個人参加の混成で、ほとんどが高齢者だった。男性の場合、個人参加だと知り合いがいないから、隣り合わせでも、同じテーブルを囲んでも、なかなか口をきかない。積極的に話しかける人がいないとなかなか座がはずまない。個人情報保護法の影響で、参加者の名簿も配られないから、名前も何もわからないという事情もあるのだろうが、日本人の社交性の乏しさを改めて実感した。

 夕食時、近くのテーブルの一つから陽気に話す男性の声が聞こえた。もっぱら一人だけのようだったが、聞こえたのは、「引退したあとは、ゴルフをしても、庭仕事をしても、時間があまって退屈する。やっぱり仕事をしていたときが一番充実していた」という言葉である。出羽三山ツアーに参加しても、やはり、現役で仕事をしていたときがよかったという思いが伝わってきた。元気な高齢者が多い。一律の定年ではなく、高齢者であろうと、能力、気力に応じて、社会貢献も含めて、働いてもらえる環境を整えることが政治や社会の課題だと思う。

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2009年8月 2日 (日)

パンチ力のない自民党のマニフェスト

 自由民主党の総選挙向けマニフェストが発表になった。「-→+ 改めます。+→++ 伸ばします。」、「日本を守る 責任力」が謳い文句である。良くないことは改める、良いことはもっと良くする、というメッセージらしい。わからないわけではないが、選挙民に訴えるにはパンチ力に欠ける。

 いままでの自民党政治は、良くないと批判されても、長年の選挙地盤を守ろうという族議員の保守意識が強く、結果として既得権益を維持する官僚主導の政治にとどまった。小泉政権はそうした自民党政治を変えようとしたが、小泉後の安倍、福田、麻生の三代の政権のもとで、ほとんど元の木阿弥に戻った。内外の政治・経済状況が大きく変わったにもかかわらず、党内には日本の政治を変えようとする問題意識や政治思想もなければ、改革を主導しようとするリーダー的な自民党政治家がいない。人材の枯渇が進み、政治の柔軟性は失われてきたままだ。

 したがって、にわか仕立てのマニフェストからは、本当に、この国が良くなるという印象を受けることはない。民主党に対抗して、似たようなバラマキをやる分、むしろ、自称、責任政党から逸脱しているように思える。自民党はどんな社会を目指す政党なのかが、よりぼやけてくるのである。

 民主党は政権を奪取できる見通しがついたいまとなって、外交・安全保障などで、いままで言ってきたことを翻すようになった。責任政党の立場を自覚し始めた現われだが、そうした言動が国民の政治に対する信頼や期待を損なう可能性も少なくない。

 主要二大政党は国民の暮らしをどうやって安定・向上させるか、そのためには経済の成長やアジアの中での国家安全保障をどう確保するか、などといった国政の重い課題に真剣になって取り組んでほしい。そうした課題について選挙運動で争ってほしいと思う。

 ところで、自民党は2005年の総選挙のマニフェストの自己評価を7月に発表している。それを見ると、A、B、Cのランク付けでAがかなりあるし、Bが一番多い。自己採点だから、甘いのも仕方がないが、自民党には「これだけ成果を挙げているのに、どうして国民が自民党から離れていったのか」をきちんと分析し、党再生の手掛かりを得ることを求めたい。

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