2017年7月 8日 (土)

鯨の生息数が増えると寄生虫のアニサキスが増えるとか

 魚の刺身を食べて食中毒になる原因にアニサキスがあるという。個人的な体験だが、生魚を調理していると、白いひも状の虫に出くわすことがあった。おそらく、それがアニサキスなのだろう。6日付けの日本経済新聞の「マーケット商品」のページに、アニサキスによる食中毒に対する不安から、鮮魚店がイワシ、カツオなどの刺身販売を中止したりし、築地市場などにおける卸値が顕著に下がったことが書かれていた。

 アニサキスは魚を刺身で食べると、人の胃壁や腸壁に入り、食中毒を起こすことがある。加熱や冷凍すれば死滅する。この生で食べたために食中毒になった被害者が近年、増えている背景には、鯨の増加があるという。

 即ち、アニサキスは鯨やイルカなど海産哺乳類の胃の中で成長し、産卵する。それが鯨などの糞と一緒に放出されると、オキアミを経由してアジ、イワシなどの魚が取り込む。そこで幼虫になる。かくして、鯨が増えると、アニサキスも増えるという説明だ。

 捕鯨をめぐっては、日本のような捕鯨国は国際的に孤立し、したがって、全世界における鯨の生息数は増え続けている。そうした捕鯨の制限がアニサキスの増加、そして生魚の食中毒増につながっているとは、自然の営みの不思議なことよ。

 今週の九州地方における、何日にもわたる猛烈な降雨と災害。その原因を突き詰めると、自然の営みの複雑・精妙さに突き当たるような気がするが、進行しつつある地球温暖化とも深く関わっているように思える。被災地の復旧や支援を急ぐとともに、自然災害をもたらす因果関係の科学的な究明も欠かせない。

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2017年6月27日 (火)

藤井聡太くんが提起した問題

 将棋の藤井聡太四段(14歳)がプロとなって29連勝を達成し、日本中が沸いている。共謀罪、森友学園、加計学園などで安倍内閣に対する国民の不信が強まり、また、北朝鮮の核・ミサイルの脅威が高まったりしたあとだけに、穏やかで、親しみを持てる天才中学生の出現は明るい話題として歓迎されている。

 ここで、藤井くんを取り上げたのは、将棋のことではない。数学を得意としているのに、学校から宿題を出され、「どうして宿題をやらなければならないのか?」と、彼がクレームをつけたという話についてだ。

 藤井くんにしてみれば、学校で教わって、もうわかったことについて、家で宿題をやるのは時間の浪費である。それこそ、時間があれば将棋の勉強をしたいだろう。だが、学校は、授業でわからなかった生徒にも、わかった生徒にも、画一的に宿題を課す。

 しかし、それでは、伸びる子をどんどん伸ばすという理想に反する。むずかしいことだが、学校教育においても、生徒一人ひとりの個性、理解力の程度に応じて、教え方に差異があっていいのではないか。

 いまでも、生徒たちは集団の中で目立たぬよう、何かにつけて、皆と同じであろうとし、自分の個性を前面に押し出すようなことは避ける。しかし、それでは、個性を打ち出し、自分を主張する外国の人たちに負けてしまう。

 いま、塾に通っている小中学校生は相当な数にのぼる。そこでは、個々の生徒の学力レベルに応じて教えている。スマホなどの発達は、そうした個別学習に拍車をかけるだろう。義務教育においても、生徒それぞれの理解力に応じた個人別学習法を生み出し、授業に取り入れることが望ましい。藤井四段の快進撃は、そんな問題も提起している。

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2017年5月11日 (木)

財政審財政制度分科会の資料を読もう

 10日に財政制度等審議会の財政制度分科会(会長=榊原定征経団連会長)が開催された。議論の内容は明らかにされていないが、資料は公開された。ネットで読むことができる。今回は文教、地方財政、社会資本整備の3つの分野が議論され、資料は、わかりやすいものもあれば、予備知識が相当ないと理解できないものもある。

 というわけで、難しいデータは抜きにして、わかりやすい資料を紹介する。まず、高等教育の効果は、費用253万円に対し、便益が608万円という。生涯賃金は高卒男子2億6百万円、大卒男子2億66百万円という。

 どの教育段階に財政支出を振り向けるのが、高い費用対効果が得られるのか、などコスト・ベネフィット分析を行い、そのうえで優先順位をつける必要があるのではないか、と言っている。

 地方財政では、長期債務残高が過去10年程度のあいだに国は330兆円増加したのに対し、地方公共団体は横ばい。地方財政は財政調整基金、減債基金などの基金残高が2005年度末の13.1兆円から、10年後の2015年度末の21.0兆円(2015年度末)に増えた。国がピーピーしているのに、地方公共団体のほうがゆとりがあるのは多少なりとも是正が必要かもしれない。

 社会資本整備については、OECD対日経済審査報告書2017年版において「地方公共団体は人口減少を踏まえ、住民の福祉に適切に配慮しつつ維持管理費を抑制する観点から、どのインフラを使用し続けるかについて注意深く決定する必要がある」と指摘された、などの記述もある。

 下水道事業は水道に比べ、財政の補助率が高い。新設ー更新にかかる費用はほぼ建設国債や地方債で賄っている。しかし、最近出版された『生活排水処理改革』が指摘するように、人口減少、設備老朽化、財源不足などに悩む市町村の中に、下水道をやめ、コストの安い合併浄化槽に切り替えるところが出てきている。同書はその背景をくわしく述べている。財政制度分科会においても、合併浄化槽を正面から取り上げていいのではないか。

 財政審の資料には、財務省に引き付けた記述やデータもあるが、日本国の財政が直面している問題点を知ることができる。できれば、もっとわかりやすい説明をして、国民が理解しやすいものにしてくれるといい。

 

 

 

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2017年5月 4日 (木)

毎日新聞のコラム「幸せの学び」に学ぶ

 5月3日は30年前、朝日新聞阪神支局に覆面の男が押し入り、散弾銃で記者を死傷させた日でもある。言論を暴力で抑圧しようとした憎むべき犯罪として記憶される。3日付け毎日新聞のコラム「幸せの学び」は、この事件当時、同支局員だった女性記者、伊藤景子氏が2011年に退社し、昨年11月、財政危機に直面している守口市の住民として、市民目線の「守口市民 財政白書」を発表したことを紹介している。

 伊藤氏は、郷里であり、かつ住む守口市が北海道夕張市に次ぐ財政破綻に追い込まれるのではないかといった報道を受けて、勉強会を組織した。そして、守口市当局の財政規律がゆるんでいたこと、また情報開示が十分でなく、市民もお任せで無関心だったことなどを「白書」で指摘したという。守口市といえば、三洋電機の工場があったところで、企業城下町的な気分が残っていたのだろうか。

  地方財政も、国と同様、放漫財政の名残りが色濃く残っている。地域住民の監視の目もないに等しいから、財政規律が締まらない。そうした中で、守口市の住民が市民の目でとらえた財政白書をまとめあげたのはパイオニア的な意義がある。ほかの地方公共団体でも、こうした試みが行われることを期待したい。

 このコラム「幸せの学び」のバックナンバーを見ると、昨年12月21日付け「国際援助と憲法前文」で、フォトジャーナリスト、勝俣誠氏がセネガルのダカール大学で講演したときの話を取り上げている。同氏は講演で、日本がアフリカまで行って援助している理由を憲法に求めた。即ち、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と。聴いたアフリカの人たちは日本国憲法のすばらしさに感激したらしい。

 なるほど、勝俣氏に言われてみると、世界中の人たちが皆、恐怖と欠乏を免れ、平和に暮らせる権利があるとうたい、それを実現するため、頑張っている日本人がいるというのはすごいことではないか。安倍首相は自らが遵守すべき日本国憲法を、軍隊を持ち、交戦できる条文に改めようとしている。そのギャップの大きさに驚く。

 「幸せの学び」の筆者は城島徹氏。2月15日付けの「新聞は総合栄養食」にも感心した。新聞を読まず、もっぱらスマホで社会の出来事を知る人が増えている。そうした人に対し、新聞は”総合栄養食”である、幅広い情報との予期せぬ出会いがある、と言って、新聞を読むことを若者に薦めているという。ネットに押され、新聞は斜陽化しているので、読者を増やそうという営業政策上の配慮もあるだろうが、新聞の社会的意義を巧みに表現しているように思う。

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2017年2月 7日 (火)

山崎種二氏は美術館で名を残す

 2月初に東京・恵比寿にある山種美術館に行った。「日本画の教科書 京都編――栖鳳、松園から竹喬、平八郎へ――」を観るためだ。入ってすぐのところに竹内栖鳳の「班猫」があり、さらに村上華岳の「裸婦図」と、重要文化財が2点もあった。展示された50数点の日本画は、昭和の50年代までのおおよそ100年間に描かれたものだった。

 じっくり観て回ったが、絵画の世界に疎い素人から見ても、感動する作品がたくさんあった。2月半ばに始まる「日本画の教科書 東京編――大観、春草から土牛、魁夷へ――」が楽しみだ。

 ところで、この山種美術館は、確か、開館当初は、東京・日本橋茅場町の山種証券新本社ビルの地階にあった。そこで開館してから50年経ったので、50周年記念特別展として今回の展示を行なっているわけだ。

 私の記憶に強く残っているのは、この新本社ビルに移る前、同じ茅場町のビルに山種証券本社があり、山崎種二会長に会いに行ったときのことである。50年以上も前のことである。穏やかな話っぷりで、往年、米相場などで鳴らした相場師という印象は受けなかった。同じフロアに茶室がしつらえてあり、温厚な人柄という印象とよく合っていた。

 少し脱線するが、2年ぐらいあと、出光興産の店主の出光佐三氏に会ったときも、やはり、茶室があった。

 そして脱線ついでだが、山崎種二氏も、出光佐三氏も、美術品の収集に力を入れ、それらを展示する美術館がそれぞれつくられた。茶室と美術館の不思議な取り合わせだ。

 山崎種二氏の山種証券は、証券不況・再編成の嵐に遭い、現在、三井住友フィナンシャルグループのSMBCフレンド証券になっている。山種の名前は証券界から消えた。また、自主独立路線を歩んできた出光興産は、国内の石油精製販売事業再編の嵐の中、外資系の昭和シェル石油との合併をめざし、創業家と対立している。合併後の新しい社名に出光の名前が残るか、が注目点の1つだ。

 社名に創業者などの名前が残ることは、ビジネスの世界では、ますます難しくなるのだろう。代わって、社会貢献の形で名前を残す人が増えるのかもしれない。

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2017年1月19日 (木)

不穏な2017年の幕開け

 米国のトランプ次期大統領の就任式が20日に迫った。米国のビッグスリーや化学、商業などの巨大企業が彼のツイッター攻撃に屈するかのように、米国内での投資や雇用を拡大するなどと発表している。米国の巨大企業がいとも簡単に経営方針を変更するのには正直、驚いた。どうしてなのか。

 企業の多くが共和党に親近感を抱いているせいもあるかもしれない。が、それよりも、世界を股にかける米多国籍企業といえども、戦時下のように、統制経済に類した国家権力の行使をふりかざしてくる新政府には異を唱えにくいということだろうか。

 あるいは、米国の貧富の格差や失業問題などで、米国内で富の偏在が行き過ぎたという反省がビッグビジネスの経営者にも広がったのか。

 中国は共産党による独裁国家であり、企業は党・政府の指示には従わざるをえない。これと似て、トランプ新政権も、国家権力による企業コントロールに踏み出したのだろうか。

 太平洋を挟んで、米国と中国とが似た経済体制で競い合うことになるのか。

 間に立つ日本の安倍政権はといえば、経済界に対し、企業の内部留保を賃上げに回すよう経営側に求めたり、長時間労働を減らすとか、女性の活躍の場を広げるよう働き方改革を主唱している。

 今年はどうやら、世界のあちこちで、経済や政治・外交の面で、従来の路線の行き詰まりとその打開をめぐって、多様な動きがみられそうな気がする。不穏な動きも。

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2016年7月19日 (火)

孫崎享氏が懸念する3ザルの進行

 外務省OBの孫崎享氏が6月に出版した『21世紀の戦争と平和―きみが知るべき日米関係の真実』を読んだ。自公政権が合憲とした集団的自衛権は「米国の戦略に自衛隊を差し出すシステム」であり、にもかかわらず、米国は日米安保条約上、「日本を防衛する義務を負っていない」と指摘する。

 そして、外交・安全保障に関して日米両政府の嘘や詭弁がいかに多いかと言う。

 日本が1941年に真珠湾攻撃で始めた対米戦争。その過ちを犯した構図は、本書の「おわりに」によれば、以下のようなものだった。

 ①指導者が嘘や詭弁の説明をする。

 ②それによって、本来は国民が望まない方向に政策を誘導する。

 ③マスコミは調べればわかるのに、それを検証せず、嘘や詭弁の拡散に加担する。

 ④国民はこの嘘や詭弁を信じ(信じるふりをし)政策を容認する。

 ⑤異なる見解を持つ者は徹底的に弾圧される。

 そして、「いま日本はそのような時代に再度入ってきた」、「事態はきわめて深刻です。いま私たちの国は、戦前の言論統制に限りなく近づいていると言っていい」と孫崎氏は憂慮する。「多くの国民は見ざる、聞かざる、言わざるに逃避をはじめました」とまで言い切る。

 ただ、戦前と違って、いまの人々にはインターネットという言論空間がある。そこで、同氏は「大手メディアが政府に都合のいいことしか発信しなくなったいま、私たちはインターネットのリテラシーをさらに高めていく必要がある」と若い世代に期待をかけている。

 孫崎氏の『21世紀の戦争と平和』は、平和国家・日本の進むべき道を指し示している。共感するところ大だ。ただし、中国では、インターネット空間にも共産党政府の規制の手が伸びている。現代日本においても、今後、同様なインターネット言論封殺に近い事態が起きないとも限らない。厳しい時代に我々は直面していくのではあるまいか。

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2016年7月 7日 (木)

葬儀・法要から見る世の移り変わり

 父親の二十三回忌の法要で名古屋に行ってきた。父母の葬儀や法要はずっと同じ東本願寺系の僧侶にお願いしてきたが、休憩時にこの方から聞いた話がとても興味深かった。

 人が亡くなると、自宅や病院から火葬場に遺体を運ぶ。それに先立って、遺族が自宅や寺で通夜・葬儀を執り行う。日本の仏教の伝統によれば、坊さんにお経をあげてもらい、遺族や友人などがお線香をあげる。そうした儀式を経て、火葬場で遺体が焼却される。そして、遺族は遺骨の一部を”お骨”として骨壺に納める。その後、遺族は初七日、一周忌、三回忌などの法要を行なう。

 しかし、今回もお世話になった僧侶によると、最近は、葬儀などをしないまま、病院や自宅から火葬場に遺体を直送するケースがある。そして、火葬したあとのお骨拾いもしないで帰ってしまうとか。お骨を拾っても、邪魔になるだけという理由らしい。また、遺族が、火葬場で拾ったお骨を一方的に郷里のお寺に宅配便で送りつけてくるというケースもあるという。

 この僧侶によると、最近は法事に来ても、数珠を持っていない参列者が多くなっているという。

 また、仏教では、初七日から二七日忌、三七日忌……七七日忌、一〇〇箇日忌と法要があり、さらに年回忌法要として、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌……三十七回忌、五十回忌とある。死んでから五十年間は法要が求められる。しかし、こうした法要を全く営まないか、ほとんど行わない家族、家庭が多いという。

 そして、樹木葬だとか、家族葬といった変化も、仏教界、”お寺業界”にとっては好ましくないと受け止めているように感じた。そこは私の意見は違う。

 最近、我が国では、見知らぬ人を衝動的に殺傷するなど、他人の命を軽く扱う犯罪が続発している。将来の日本を受け継ぐ少年少女をいとも簡単に死なせてしまう事故も頻発している。上記の、死と仏教をめぐる問題と、これらの事件とは、直接のかかわりはないようにみえるが、現代日本人の家族の変容(核家族化)、都市化の進行(地方の過疎化)、長寿化(リタイヤ後の長生き)、科学技術信仰などが背景にあって起きているのではないか.。

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2016年6月 7日 (火)

消費者は現在の商品・サービスに飽きている?

 安倍政権が消費税の引き上げを再度繰り延べると決めた。消費が力強さに欠け、内需を腰折れさせると判断したからという。では、消費が力強さに欠ける理由は何か。

 7日付け日本経済新聞朝刊のインタビュー記事で、林野宏クレディセゾン社長がユニークな見解を披露している。「現在の商品やサービスに消費者が飽きているのだと思う」と。

 そして、「消費には動機と大義が必要だが、それに応える新しい商品やサービスを提供できていない。まだ高度成長時代の20世紀型ビジネスモデルで物事を考えている。だから、需要と供給にギャップができている」と指摘している。

 また、インタビューの前のほうで、「飽和の時代なのでモノや所有に対するこだわりが薄れて、シンプルな生活を志向している」と言い、消費が活発なのは”5つのエン”だとして、エンゲル係数の上昇、子供の教育支出(エンゼル)、スマホで遊ぶエンターテインメントなどを挙げている。これら”5つのエン”には、「日常生活への支出は抑え、何か特別な時間や機会では積極的に消費しようとする姿がうかがえる」などと語っている。

 アベノミクスには、カネをばらまけば景気がよくなる、といった発想がかいまみえる。それが財政破綻につながるおそれは否定できない。林野氏の分析がどれだけ現実経済の実相に迫っているかわからないが、こうした多様な視点が紹介され、経済政策の立案に採り入れられることは必要不可欠ではないかと思う。 

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2016年4月28日 (木)

コラム「インフレは目指すべきものか」

 4月28日付け日本経済新聞夕刊のコラム「十字路」は三菱UFJリサーチ&コンサルティング研究理事の五十嵐敬喜氏が書いている。見出しは「インフレは目指すべきものか」だ。

 書き出しは、「私はエコノミストだが、どうしても理解できないことがある。物価は上昇することが望ましく、下落するデフレはだめだとする考え方だ。だが、物価が上昇すれば経済は成長し、国民生活は向上するのか。」と。

 そして、末尾で、「物価が上がれば景気がよくなったり、生活が豊かになったりするのではない。物価は経済成長の結果として上がるものでなければならない。」と言っている。

 28日の日銀の政策決定会合では、2%の物価上昇という政策目標の達成時期を2017年度中に先送りした。五十嵐氏のコラムが指摘していることだが、ひたすら消費者物価上昇の数値目標を追い続ける日銀の金融政策が、本当に国民生活などにとって望ましいことか、わかりやすく説明してほしい。強くそう思う。

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