2009年6月 7日 (日)

人口300人の集落「やねだん」の地域再生

 南日本放送が昨年5月29日に放送したドキュメンタリー「やねだん~人口3百人 ボーナスが出る集落~」は、鹿児島県鹿屋市の過疎高齢化集落だった柳谷集落(愛称、やねだん)が補助金に頼らず、住民が共に力を合わせて再生・活性化を進めてきた12年の記録だという。ビデオで見ると、柳谷自治公民館の豊重哲郎館長が地域経営のために智恵をふりしぼり、常に先頭に立って苦闘した記録でもある。

 6月6日に立教大学で催された公開講演会「やねだん学事始」には、豊重さんやこのドキュメンタリーのディレクター・キャスターの山縣由美子さんらも出席。まだまだ国などからの補助金に依存しきっている市町村が多い中で、「やねだん」のように人の絆や感動を基礎とする地域経営が、21世紀のコミュニティの望ましい1つの姿であることを出席者に強く印象づけた。

 いまや、全国各地からおおぜいの人が「やねだん」を視察に来る。しかし、山縣さんによると、それらの人たちは視察後に「我々のところには、豊重さんのような人がいないからなあ」という感想を洩らし、それを聞くと、豊重さんは悲しくなるという。

 それで思い出したことがある。地方自治体の議員や職員は実によく視察旅行をする。国内だけでなく、海外にもよく出かける。予算があるから、それを消化するため、視察と称して“物見遊山”的な出張をすることが多い。当事者としての強い問題意識があって、懸命に学ぼうという姿勢はほとんどみられない。「やねだん」を訪れる人たちも、おそらくはそうした類いであろう。地方再生ができるか否かは本当は地域の人たち自身の肩にかかっているのに、人々の意識はまだお上依存、中央政府への依存から脱していないのである。日暮れて道遠しだ。

 南日本放送は九州の南のローカルな民放である。さまざまな賞を受け、ビデオは英語版、韓国語版までつくられている。しかし、全国で放送されたわけではない。どうして、このように優れた作品が一ローカル局だけでしか放送されないのか。そこに、いまの民間テレビ放送界の問題がある。

 5月に、日本記者クラブ賞を受けた阿武野勝彦氏は東海テレビの人で、「裁判長のお弁当」、「光と影 光市母子殺害事件 弁護団の300日」、「約束~日本一のダムが奪うもの~」、「黒と白~自白・名張毒ぶとう酒事件の闇~」といった社会派ドキュメンタリー番組をつくったのを称賛された。しかし、これらの番組も、全国のネットに乗ってはいない。これらをビデオで見て、「どうして、こうした番組が全国ネットで放映されないのか」と疑問に思う。

 東京にいて、民放の愚劣な番組ばかりをみせられると、全く、資源の浪費だなと思ってしまう。スポンサー(広告主、広告取扱業者)にも反省はないし、民放もスポンサーの言うなりで、社会の中でどのような役割を果たしているか、自省したことがなさそうだ。CSR(企業の社会的責任)なんてまともに考えたこともないように思われる。

 

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2009年1月19日 (月)

「日本海新聞」の元旦付け一面トップ

 日本新聞協会が東京・日比谷のプレスセンタービルで元旦付けの新聞各紙を展示している。ざっと100社を少し超す加盟新聞社の元旦付け新聞の一面を順番に見ていたら、「日本海新聞」(本社、鳥取市)が目にとまった。一面の右上のトップ記事が、同紙を発行している新日本海新聞社代表取締役社主、吉岡利固氏の名前入りの記事「地方の未来に前向いて」だったからだ。

 地方紙では、元旦の一面トップはその地域の大きなニュースとか、県知事等の有力者による対談などで占められている。そうした中で、一面に新聞社の経営者の署名入り記事を載せるのは珍しい。「福井新聞」も一面の真ん中に、縦に細長い8段通しで、吉田哲也社長の名前で「もっと地域の力に」と題する囲み記事を掲載している。

 しかし、「日本海新聞」の社主の記事は、目立つ一面トップで、今日の世界的な危機を踏まえつつ、現下の状況についての認識と新聞の使命を明確に読者に訴えている点で、「福井新聞」よりも高く評価できるように思う。

 吉岡社主は「世界経済は容易には上昇に転じません。」、「我が国の産業構造は抜本的な改革を迫られています。」と指摘したあと、「地方は智恵と勇気を」という小見出しで、以下のように書いている。

 「ただし、今回の世界不況は、一般の人々が急に路頭に迷うようなものではありません。特に地方は小泉改革以来散々痛めつけられ、それに耐える体力を必死に蓄え、智恵と勇気を出し合い自立を目指した経緯があるので、そう簡単に落ち込むわけではないのです。」、「わたしたちの新聞は、地域の人々とともに考え大胆に提言し一緒に議論し、立ち止まることなくよりよい明日を築くため取り組み続けます。」

 同氏は「わたしは何年も前から「大きな社会構造の転換期が訪れている」と警鐘を鳴らしてきました。今まさにその渦中にあるのです。」とも書いている。危機の中で目指すべき方向を見失っているいまこそ新聞等のメディアの役割が期待されると思うが、その使命を自覚して、覚悟のほどを読者に示す新聞経営者がいるのはうれしい限りだ。

 広告収入の大幅落ち込みでおたおたし、報道メディアの今日的使命を忘れている経営者ばかりでは、報道メディアは先細りするしかない。 

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2008年9月29日 (月)

「せんたく八策」は地方主権とともに自治体の改革を求めている

 「地域・生活者基点で日本を洗濯(選択)する国民連合」(せんたく)の分科会である「地方政府創造会議」が9月28日、「せんたく(洗濯・選択)八策」を発表した。年内と予想される衆議院選挙を「中央集権型の統治構造を根本から改め、地域・生活者起点で国づくりを行う「真の政権選択選挙」にしなければならない」として、地方が自己改革を行いながら、この国を「洗濯・選択」するために必要な対策を8項目挙げている。なかなかおもしろいので、全体を紹介する。

 1.天下の政権を官僚から国民に取り戻すこと(私見だと、国民は一度も持ったことがないから、「取り戻す」よりも、官僚から「取り上げる」、あるいは「奪い取る」のほうが正確ではないか)。そのため多様で自立した「地方政府」を確立すること。憲法に中央と対等な「地方政府」を明記すること。

 2.中央集権型の陳情政治、バラマキ型の補助金政治と決別すること。立法権を含めて地方に権限を移譲し、人材と税財源を地方に渡すこと。

 3.行政の無駄遣いをなくすこと。そのため、国の出先機関・外郭団体を廃止・縮小するとともに国に対する国民監査請求制度を設けること。

 以上の1.~3.はほとんどが言い古された内容。これに続く4.~7.は自治体に自己改革を求めている。

 4.首長は裏金や隠れ借金などを明らかにし、徹底して自治体改革を断行すること。権力に執着するなれあい型の多選は自らの意思で排除すること(私見では、「権力に執着するなれあい型の」といった主観的であいまいな表現は削除すべきではないか)。

 5.首長と地方議会はあらゆる癒着を排除すること(私見だと、自治体政府と議員との間の癒着、なれあいを含んでいるのかが不明瞭である)。利益誘導的な口利き・斡旋を禁止。外部からの働きかけはすべて文書化し、不明朗な労使慣行を含め情報を全面公開すること。

 6.地方議会はその役割、使命を根本から見直すこと(私見では、議員のほとんどはこれがわかっていないのではないか)。議会運営や政務調査費の使途を透明化する。議会基本条例制定はじめ、あらゆる改革に取り組むこと。

 7.地域・生活者起点の住民自治を確立すること。そのため、住民投票や住民参画の拡充により、住民が主役となる地域づくり・国づくりを進めること。

 4.~7.の4項目は地方主権を実現するために欠かせない条件であり、衆議院総選挙があろうとなかろうと、地方の首長・役人および議会議員に課せられた積年の宿題である。

 最後に、8.政党・政治家は国民との約束を守り、国民は「おまかせ民主主義」を捨て去ること。マニフェスト選挙を徹底し、国民の「選択」による政治を実現すること。

 この「せんたく八策」には12名の知事、82名の市長、20名の町村長、209名の地方議会議員が署名したという。その1人である静岡県磐田市の鈴木市長が「自らも覚悟を決めて、自らを律する」として4選目の選挙には出ない意向を表明したように、“連判状”に署名、捺印した323名の人たちは、まなじりを決して改革の先頭に立ってほしいものだ。

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2008年5月29日 (木)

丹羽・地方分権改革推進委員長の話から

 政府の地方分権改革推進委員会は第1次勧告の原案を作成したが、委員長を務めている丹羽宇一郎氏(伊藤忠商事取締役会長)は、地方分権を実現するのがいかに難しいかを5月27日の講演で披露した。以下、印象に残った部分を紹介する。

 地方分権で何がよくなるのかが住民に感じとりにくい。しかし、改革には国民の支持とトップのリーダーシップの2つが必要である。(トップというのは福田首相のことと理解した)

 分権改革に対し、官僚は必死に権益を守ろうとする。彼らは委員会の審議の場には、どんなことがあってもイエスと言わない覚悟でくる。昔の出征兵士のようなものだ。こうした官僚の反応は、いかに我々(委員会)が仕事をしているかの証左であり、私はそうした反応を喜んでいる。

 地方分権は必要ではなくて必然だ。それ以外になりようがない。大量生産は破綻し、多様なニーズと情報の時代になった。いままでの中央集権では、国は生存できない。このままだと、社会の反乱、住民の反乱が起きる。オバマの言う「チェンジ」を日本はまさに必要としている。痛みがあっても、将来に向かって一歩を踏み出すという情熱がないと無理だ。

 分権のめざすところは、正直者は損をしない社会にすることである。自立心を喪失させるような制度は改めねばならない。手を出せば、お金が出てくるような制度はいけない。その悪い例が農業だ。売れない→減産→コストアップ→売れない、という負のスパイラルは農業をつぶすためにやっているようなものだ。

 地方分権とは多様なニーズに応えるようにすること。ダイバーシティ(多様化)の時代である。行政も多様化せねばならない。

 分権改革は法律を何百本と変えないと動かない。しかも、法ができても、省令等や条例も合わせて変えないと何も変わらない。いままでの改革は法律を作りっぱなしで終わっていたが、今回の分権改革は、どのように実行されたかを監視する。そして、実行されなかったら、問いただしていく。さもないと、何も変わらず、骨抜きになる。

 農政の大失敗を認めろと言っても農水省は認めない。日本で反収が一番高い作物はコメである。これで自給率が上がらなかったのはなぜか。負のスパイラルを進めたからだが、日本のコメは本当に高いのか。中国ではいいコメが1kg100円ぐらいだが、日本では15haの水田で1kg200円ぐらいのコストである。中国に輸出すると100元で売れる。それに、農水省はコメの消費を増やす努力をしたか。伊藤忠商事ではカロリーを減らしたおいしいコメパンをもうじき売ることになるかもしれない。

 農地の土壌は一旦放棄したら、簡単に元には戻らない。土壌を保全し、農業に人材を投入して自給力を増やすべきだ。米国4割、英国7割など、先進国では、国土のかなりの部分が農地である。日本はわずか12.6%にすぎない。もっと自立心を持つべきである。 

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2008年3月20日 (木)

地方自治体の自立を妨げる者は誰か

 月刊雑誌『世界』の4月号に、前鳥取県知事の片山善博慶応大学教授が「自治体の自立を妨げる地方財政システムを除け」と題して書いている。どこの過疎地域に行っても、道路が立派に整備されている。過疎自治体に対して、国が財政の手厚い優遇措置を講じてきたからだという。その一方で、最近、路線バスが廃止や縮小されており、高齢者は困っているという。

 その原因は何か。国が返済の8割を面倒みてくれるというので、どんどん過疎債を発行して道路を整備してきたが、自前で返済する2割の分の債務が膨れ上がって、自治体の財政がきつくなったせいだという。「本来、自治体とは、住民のために、住民が必要とする行政サービスを、できるだけ低コストで、かつ、できるだけ良質に提供する使命を帯びているはず」だが、国が差し出す「有利な制度」を追い求め、肝心の「住民のニーズにまともに向き合ってこなかった」からであるとしている。

 しかも、いまになっても、過疎自治体の首長の多くは自助努力を怠り、国からの援助を受け続ける過疎団体でいたいと考えている節があると指摘している。

 では、国のほうはどうか。税源の乏しい自治体に財源を補填する地方交付税交付金制度のあり方について、片山氏は透明性が低いという。総額は総務省と財務省の密室における協議で決まる。それに、各自治体への配分はルールがあいまいで、総務省官僚の裁量で決まる。それは特別交付税の場合、顕著である。「特別交付税の算定額の各自治体への内示は、いまだに国会議員を通じて行われている」そうだ。これでは都道府県市町村が中央官庁に陳情し、ご機嫌伺いせざるをえない状況は変わらない。

 自らが自治省(いまの総務省)出身の片山氏は「ひたすら権限にしがみつく(国の)役人と、力不足の国会議員が自治体の真の自立を妨げている」と言い切っている。

 ところで、福島県矢祭町といえば、市町村合併はせず、独自の町運営で知られる。最近は町議会議員の日当制を導入したことで有名だ。その前町長、根本良一氏が朝日新聞の3月18日付け朝刊の「私の視点」で道路特定財源と道路建設について投稿している。その中で注目したのは、次のくだりだ。

 「特定財源を地方自治体の一般財源にして、自治体の裁量で道路や学校をつくるとなると、うまくいかないだろう。残念ながら各自治体にそこまでの能力がないからだ。首長によっては偏った使い方をしてしまうだろう。自治体間の格差が広がることにもなる」。「透明性の高い補助金制度を確立すべきだ」。

 片山氏が書いているような、まともに住民のニーズに向き合う自治体行政が望ましいのだが、現実は、地方自治とか地域主権というものからほど遠いということなのだろう。最近、道州制に関する取り組みがいろいろなされているが、それも、地域の住民が地方自治、地域主権を確立することが先だろう。 

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2007年12月 9日 (日)

自治体財政健全化の4指標に基準値

 総務省が先に成立した地方自治体財政健全化法に基づいて、自治体財政が破綻しないように財政状況を判定する4つの指標の基準値を7日に発表した。「実質赤字比率」、「連結実質赤字比率」、「実質公債費比率」、「将来負担比率」のそれぞれについて、「早期健全化基準」と「再生基準(将来負担比率だけは設定せず)」の数値を明示した。都道府県と市町村とはそれぞれ別の基準値であり、市町村の「実質赤字比率」と「連結実質赤字比率」の基準値は財政規模に応じて開きがある。

 数字は一人歩きしがちだ。基準値を自治体は行政運営に生かしてほしいが、基準値を超えなければ、絶対安心だというものではない。それ以上に、自治体の住民、議会が健全な財政を確保、維持する覚悟があるかどうかが重要である。“くれない症候群”が蔓延し、格差などを口実に、自らの財政健全化努力を怠っている自治体が少なくない状況のままでは、結局は国による“おんぶに抱っこ”が続くことになりかねない。

 今度の補正予算で地方の道路建設に対する補助を高めようとするなど、国は地方財政の自立を妨げる政策をとり続けている。ひもつき財源を減らし、地方自治体が自分の頭で地方自治を考え、実行できるようにすることのほうが大事だ。国はそれをろくろくやらないで、4指標のように監視する基準をつくり、その基準をたてに総務省が裁量で自治体行政にやたら介入するということになるおそれもある。

 したがって、各地自治体の住民や議会・行政は、まず地方自治を支える自主税財源の割合を高めることを目指すべきだ。それとともに、地方政府の行政や議会の取り組みを住民がもっと監視し、住民の暮らしや生産活動の向上にマッチした歳出になっているかをチェックしていくように変わっていかないといけない。皆が関心を持てば、さまざまな意見が出て合意形成は容易ではないが、そうしたステップを踏まない現状よりは住民自治に近いと思う。

 ところで、総務省は自治体の破綻うんぬんで指標をつくったが、国家の財政については、法的にきちんとした数値基準がない。プライマリーバランスだとか言っていても、ばらまきが復活し始めると、たちどころに財政健全化は二の次になりかねない。この際、年間財政赤字比率の上限、国の債務の対GDP比率の上限などについて、EUのように厳しい数値を設けることを衆参の議会に求めたい。衆参両院のねじれで、与党も野党もばらまき合戦で国民のご機嫌をとるなんてことをやっていたら、日本の将来は暗い。

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2007年10月13日 (土)

地方分権はさっぱり進んでいない

 片山善博氏といえば、慶応大学大学院法学研究科教授というよりも前鳥取県知事としての経歴のほうが知られている。彼が日本記者クラブで記者研修の講師で招かれ、「地方分権は進んでいるか」と題して講演した内容がとてもよかった。日本記者クラブのホームページに内容がすべて載っているので、関心がある方はぜひ一読を。ここでは、私が学んだ点をいくつか挙げる。

 地方分権とは、ルールの設定権とか、判断権、決定権が国ではなく、より住民に近いところにあることだという。それらの権限が国→都道府県→市町村→首長→議会→住民、へと移るほど地方自治が進んだということのようだ。

 第一次地方分権改革が行われたものの、国はいまだに法律によらず、通達で自治体に指揮、命令しているし、地方債発行に対する「許可」をやめて「同意」に改めたのに、実態は許可時代と変わらない。

 夕張市の財政破綻に対応して、国は分権に逆行する法律をつくり、国が再生計画を自治体につくらせ、責任をもって債務を全部返させるという中央集権体制の破綻防止体制をつくった。これは、本来、当事者である住民、議会(住民の代表)、貸し手の金融機関がリスクを負い、ハラハラする仕組みにすべきだという。

 総務省が集中行政改革プランをつくるよう全国の自治体に通達を出し、5年間で5%の職員削減をプランに盛り込むよう指示したことがある。職員数は議会が条例で定めることがらであり、住民との対話や合意形成が必要なのに、一方的に国が指示している。これは、総務省も中央官庁の1つで、天下りを必要として、権限を死守しているのだという。

 変な通達を真に受けて対応する自治体も愚かである。そんなものはおかしいと国に突っぱねる力量が自治体になければならない。

 自治体の議会は最終的な判定者であり、判断権を持つ。ところが議会活動は大半が八百長で、最初から結論を決めて会期だけをこなしている。学芸会のようにシナリオ通りにやっているという。

 教育に関する事件が起きたとき、教育委員会が非難される。しかし、自治体の首長と議会(同意)が教育委員を選ぶのだから、問題が起きたとき、任命権者の責任を追究すべきではないか。

 議会は税を議論するためにできたはずだが、税条例改正を審議しないし、議決しない。いわゆる専決処分である。これはおかしい。片山氏が知事だった鳥取県議会だけは例外だという。

 市町村合併に対しては、合併特例債というエサに皆、とびついたが、大きくなれ、大きくなれ、それで地方分権だ、なんて全く矛盾しているという。

 いまの日本政府は余りにも何でもやり過ぎである。国会議員は分権指向ではなく、「口利き」を誇っている。有権者もそれを好む素地があるという。

 単純な道州制論にも片山氏は一言ある。彼は自治省の出身者でありながら、本当に地方分権・地方主権を実現するにはどうすべきかを考えている稀有な存在である。講演の全文を読めば、ほかにも教わることが多々ある。

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2007年8月13日 (月)

『地域再生の条件』は何か

 参院選挙の結果から、都市と地方の格差問題がいっそう注目されるようになった。しかし、その解決のため、国が公共事業などでカネをばらまくような、過去に犯した過ちを繰り返してはならない。

 ことし1月に出版された本間義人著『地域再生の条件』は、国の地域政策がその時々に打ち出す施策に無盲目的に従うのではなく、地域の住民や首長・自治体が自らの頭で考えた原理・原則に基いて独自の地域づくりをすることこそが地域再生を成功させると述べている。

 同書で事例紹介されている全国あちこちの地域再生ストーリーを読むと、頑張る地域、元気な地域は、すぐれた首長がいて、明確なビジョンをもとに、福祉充実など独自の街・村づくりを推進したか、住民・市民が望ましい地域づくりを掲げて、自主的に活動を広げていったか、おおよそ2つに分けられる。

 日本は戦後、急速な経済発展を遂げたが、官尊民卑や中央集権体制は基本的には変わらなかった。国土の均衡ある発展なども、国の強い支配のもとに行なわれた。近年、地方分権が少しずつ実現してきたが、国のほうばかり見る自治体職員の意識はほとんど変わらない。地域住民も同様だ。だから、国の補助金や地方交付税交付金などをいかに多くもらうか、という発想からなかなか抜けられない。

 でも、グローバル化、IT化、低成長、少子高齢化、財政危機、地球温暖化などを踏まえ、地方も自律、自立するしか道は無い。

 もうそろそろ、各地域の人たちも、自らの町や村のすぐれた価値を“発見”し生かすとか、カネをかけないで質的に豊かな生活を実現できる場づくりに挑むとか、物真似でない、個性的な地域づくりに主体的に取り組んでいきたいものだ。

 「住民が街を造り、街が住民を造る」--旧炭鉱の街だった田川市の市長だった滝井義高氏の言葉だと同書はいう。格差問題を考えるにあたって、私たちは「‥‥してもらう」という発想から脱しようではないか。 

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2007年7月25日 (水)

地方制度調査会が始まった

 政府の第29次地方制度調査会が7月3日に第1回の会合を開いた。安倍総理大臣の諮問の内容は「市町村合併を含め、基礎自治体の在り方、監査機能の充実・強化等の最近の社会経済情勢の変化に対応した地方行財政制度の在り方について、地方自治の一層の推進を図る観点から調査審議を求めます」というもの。

 その席上、安倍首相は以下のように言った。「私は、我が国の戦後の基本的な枠組みを大胆に見直すことが必要であり、国と地方の関係も新しい時代に対応できるよう変えていかなければならないと考えております。
 地方の活力なくして国の活力はありません。やる気のある地方がさまざまな行政分野で自由に独自の施策を展開し、魅力ある地域づくりに積極的に取り組めるようにしていくことが極めて重要であります。このため、私の内閣の最重要課題として、地方分権改革を推進しております。
 国が地方のやるべきことを考え押し付けるというようなことは、もはややめるべきであると考えております。4月には、今までの国と地方の関係を大胆に見直すため、昨年成立した地方分権改革推進法に基づき、地方分権改革推進委員会を設置いたしました。新分権一括法案の3年以内の国会提出に向け、熱心に御議論をいただいているところでございます。
 この地方制度調査会においては、真の地方分権に対応できる地方自治体を確立し、中核的な基礎自治体が地域づくりの主役となれるよう体制を整えるため、市町村合併を含めた基礎自治体の在り方、監査機能の充実・強化等を始めとする地方行財政制度の在り方について十分な御審議をいただき、具体的な改革の成果につなげていただきたいと考えております。このような取組みを着実に行うことによって、将来の道州制も視野に入ってくると、このように考えているわけであります」。

 首相のスタッフである官僚が書いたものを読み上げただけかもしれないが、改革の問題意識には賛成する。「戦後の基本的な枠組みを大胆に見直す」大きな柱になるのが地方分権、ないし地方政府の確立である。

 ところで、最近の全国知事会の活動は革新派知事が活躍した時代と比べ、沈滞気味にみえる。“ふるさと納税”1つとっても、知事会の内部は割れている。過疎地域を抱える地方の知事の中には、国への財政依存体質を克服する自立に必死になるのではなく、ただただカネ欲しさで“ふるさと納税”実現に目の色を変えている人がいる。最近、話題の格差問題はそれをもっともなように感じさせる。

 しかし、一般財源に地方交付税交付金を加えたものが各都道府県が自由に使える財源であり、各都道府県のそれを住民1人あたりで計算したものが、都道府県間格差を把握する重要なものさしである。それで計算すると、島根県や鳥取県などが多い。最も少ないのが神奈川県だという。

 このように、地方税収だけを取り出して比較し、格差を云々するのは、フェアではない。東京都が1円も受け取っていない地方交付税交付金は、受け取っている都道府県にとっては、まさしく“ふるさと納税”を大規模に行なっているのと同じである。

 地方制度調査会の審議では、国と地方の財政再建問題、都道府県・市町村の間の財政格差問題、社会保障制度の見直し等々、総合的な視点を踏まえて、きちんとした方向を打ち出してほしい。それは、政権がどの政党によって担われようとも大事な課題だ。

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2007年7月18日 (水)

鹿児島県知事のマニフェスト自己検証

 鹿児島県の伊藤祐一郎知事が就任してから3年たったので、当初に掲げたマニフェストがどこまで達成されているかの検証報告を17日、公表した。マニフェストは99事項、112項目にわたり、「直ちにやるもの」、「1年以内にやるもの」、「4年間にやるもの」のいずれかに分けられており、それら一つひとつについて「これまでの進捗・取組状況」を結構、細かく記している。

 伊藤知事は「就任後3年間で、全て推進することができている状況にあり、私としてはマニフェストは全体として概ね順調に進めることができているのではないかと考えています」と自ら合格点をつけている。

 ざっと検証報告に目を通したところでは、いろいろ書かれてはいるものの、具体的な説明があまりなされていないので、評価していいのかどうかがわからない。例えば、○○について体制整備、などと書いてあっても、その中身の説明がないからだ。また、数値目標が明記されている事項もあるが、そうではない事項のほうが圧倒的に多いから、評価しにくい。

 「4年間にやるもの」に分類されている事項の1つ、「財政改革に取り組む」を読むと、「事業実施の状況」の記述をどう理解したらいいのかさっぱりわからない。例えば、当初予算として人件費の圧縮(平成19年度▲69億円)、普通建設事業費等の圧縮(同▲41億円)、一般政策経費の圧縮(同▲15億円)の3つの金額が掲げてあるが、その数字は前年度当初予算比なのか。あるいは前年度実績比なのか。後者ならすごいが、前者なら、意味のない数字である。この記述では評価のしようがない。また、その右側に掲げてある収支改善の数字(同12億円)は何の数字なのか、また、3つの数字とはどういう関係にあるのか。要するに、全然、理解できないのである。

 これは一例にすぎないが、マニフェストの検証は読む者が理解でき、納得できるものでなければならない。

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