2014年9月26日 (金)

千葉県富津市の財政危機

 東京湾に面した千葉県富津市が2013~19年度の中期財政収支見込みを夏に公表した。2015年度の決算(見込み)は実質赤字となり、2018年度には、破綻状態と判断され、財政再生団体に転落する見通しだと毎日新聞(9月21日付け)は伝えている。そして、同市は公共サービス範囲の見直しや職員の削減などを打ち出す方針だという。
 同市は1999年度に財政非常事態宣言を発し、2005年に解除した。財政改革大綱・推進実施計画を三次にわたって行ない、2013~15年度には第四次計画を進めている。しかし、2015年度には財政調整基金が底をつくという。
 国の財政赤字は国家の根幹を揺るがしかねないが、地方公共団体については、夕張市の特殊な事例を除けば、国にぶらさがっていればなんとかなるという甘えが感じられる。
 このため、国は地方公共団体の財政の健全化に関する法律(2007年6月22日公布)をつくった。各自治体に健全化判断比率(4つ)の作成・公表を義務付け、比率が1つでも法に定められた早期健全化基準より悪化した場合には、自治体が自主的に早期健全化計画をつくるよう求めた。そして、財政がさらに悪化して財政再生基準よりも悪化した場合には財政再生団体に指定され、国が関与して、自治体に財政再生計画を策定させることになっている。
 富津市は、2018年度には”破産状態”に陥り、国が関与して再建に取り組む財政再生団体になるだろうと予測しているわけだ。
 かつて千葉県に住んでいたことがあるので、富津市というと関心がある。しかし、この自治体財政破綻が富津市のホームページにあっさりと取り上げられているだけなのには驚いた。市長が先頭に立って、この問題を住民や市職員など関係者にくわしく説明し、どうやって歳出を削減するか、歳入を増やすか、について理解と協力を求めることが最も重要ではないか。その緊迫感がホームページからはうかがえない。
 どこかに、国に助けてもらおうという甘えがひそんでいるのではないか。住民にも同様な面があるのではないか。そこがとても気になる。

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2013年2月 7日 (木)

進まぬ地方分権改革

 NHKのテレビ番組「釣瓶の家族に乾杯」をよく見る。人との出会い、家族との出会いを求めて、笑福亭釣瓶とゲストとが毎回、異なる市町村を訪れる。観光番組の要素もあり、地域の暮らしぶりの違いなどを知るので、見飽きない。それとともに、この番組を見て感じるのは、地方では、どこに行っても、人が少ないことである。だから、釣瓶たちはとにかく誰かに出会うまでが大変である。

 地方は人口の減少と高齢化の直撃を受けている。だが、番組に登場するその土地の人たちにはゆったりとした時間が流れ、概してゆとりある暮らしをしているようにみえる。人口が集中する大都市は働く場が多いとはいえ、いろいろな面で住みにくいから、この番組は、地方暮らしにちょっぴり郷愁を感じさせる。

 実際には、都会暮らしも地方暮らしも、働き、生活していくうえでの安心や安全が足りないのではないかと思う。私は東京都区内に住んでいるが、特別区には高齢者がボランティア活動に加わる場づくりや、いつでも集まって楽しく過ごせるような公共の場が皆無である。また、歩道を歩いているとき、常に自転車にぶつけられる危険を意識せざるをえない。住民と行政とがよりよいコミュニティーづくりに一緒になって取り組むという問題意識が区役所のトップにも職員にも欠けているようにみえる。

 ところで、日本経団連が発行している『月刊 経団連』の2月号は「地域主導の国づくり~新しい地域経営の胎動と道州制』と題する特集を組んでいる。「人口減少・少子高齢社会が到来するなかで、地方においては、人口流出、過疎化、自治体財政の逼迫、産業の空洞化や雇用の喪失といった、深刻な問題が顕在化」している。このため、地方分権改革の推進が必要という問題意識からだ。

 民主党政権のときにも進まなかった地方分権改革は、安倍政権になっても無視されたままになっている。しかし、地方自治体の側からの分権改革への取り組みもここ数年、ほとんどとまっている。自治体の職員および首長も議会も、そして住民も、国に依存する体質から抜け切れていない。

 特集は、そうした現状をどうやって打開していくかを、さまざまな論者に発言させている。読んで、とても刺激的だった。いま、安倍政権は目先の問題に取り組んでいるが、地方分権という前々からの宿題にも早く手を付けるべきである。

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2012年7月29日 (日)

山口県知事にまたも中央官僚OB

 29日に行なわれた山口県知事選は元国土交通省審議官の山本繁太郎氏が当選した。脱原発を唱えてきた飯田哲成氏(NPO 環境エネルギー政策研究所長)ら他の候補をやぶっての知事就任である。

 今回の知事選は二井関成知事が4期を務め、引退するのに伴うもの。二井氏は元自治省官僚という経歴であり、今回、当選した山本氏もまた中央官僚出身である。ちなみに、二井氏の前の平井龍知事も自治省OBであった。

 山口県は保守王国といわれてきた。今回、飯田氏らの追い上げがあったものの、結果が示すように中央官庁OBを知事にいただく“伝統”は変わらなかった。県民は、県政に対し、国からできるだけカネを引っ張ってきて地域の経済や暮らしを豊かにするという行政の継続を求めたと解釈できよう。

 都道府県の知事、あるいは政令指定都市の市長には、総務省(旧自治省など)、国土交通省、経済産業省、財務省などの出身者がたくさん就いている。全国的に何年も前から地方分権とか地域主権などが叫ばれるようになったが、住民たちはそれらの言葉が現実離れした中身のないものだと内心思っているのではないか。

 彼らは、国からいかに多くのカネをとってくるかが地域自治体および首長の役割だと本音では思っているのだろう。それが霞が関キャリア官僚OBの当選の背景である。

 大阪市の橋下知事の言動だけは脚光を浴びているが、全国的に地方分権とか地域主権といった言葉はここ1、2年、相当に色あせたようにみえる。民主党政権のもと、3.11の復興予算もあって、地方交付税交付金等、国から都道府県などに流れるカネの総額は増えている。国の財政の急速な悪化とは対照的に、地方自治体の財政は潤沢なのである。それが地方分権、地域主権を求める声が聞こえなくなった理由だと思われる。

 飯田氏は原発計画の白紙撤回や岩国基地の問題を争点にしたようだが、中央集権の政治体制に寄り添う形の県政をこれからも求める県民の本音に太刀打ちできなかった。そこから、どのような教訓を読み取ることができるだろうか。

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2012年2月19日 (日)

『山縣有朋の挫折』(松元崇)に教わったこと

 「誰がための地方自治改革」という副題の付いた松元崇著『山縣有朋の挫折』を読んだ。予備知識がろくにない分野なので、正直言ってよくわからないところだらけ。それでも、どういう歴史をたどって地方自治が今日の姿になったかがある程度わかった。

 近代国家になる前の江戸時代のほうが、地方自治が徹底していたという。明治維新では、これは変わらなかった。廃藩置県にもかかわらず、豊かな財力を背景に、町村自治がしっかりしていた。しかし、明治国家が日清、日露戦争で軍事力を増強するにつれ、その財源を地方に求めるようになったため、中央集権が地方の末端にまで及ぶにいたった。

 日本は開国以降、欧米の諸制度を導入した。山縣有朋は国会開設に備えて、地方自治制を立憲制の学校としようとした。分権や自治をおろそかにして国会を開設すれば、まともな議会政治を確立することはむずかしいと考えたからである。しかし、地方自治を国家の基礎とし、町村から府県へ、府県から国へと選挙を順次実施するという構想は現実政治の前に破綻した。山縣自身も変節したし、地方自治を基礎にと考える後藤新平、高橋是清も暗殺される。

 いまの日本の地方自治はおよそ自治というにはほど遠い。財源にしても、国からの地方交付税交付金などに大きく依存している。なぜ、そうなったかを本書は教えてくれる。

 地方自治をめぐる具体的な歴史の歩みはもっと複雑だが、軍備増強や戦争以外に、庚戌の大洪水(明治43年)、関東大震災(大正12年)による損害が、日本国の歩み、地方自治をめぐる歩みに大きな影響を及ぼしたことを知った。

 大洪水では、東京の下町のほとんどが泥の海に化したという。浸水家屋27万戸、家屋の全半壊・流失4000戸弱、被災者150万人、死者・行方不明1100名余。昨年のタイの大水害を思わせる。

 また、関東大震災は罹災者340万人、死者・行方不明10万人余、損害額はGDPの3分の1を超えるものだった。関東大震災によって、「第一次世界大戦後に戦勝国の一員として一等国になったはずのわが国は、再び以前と同様の財政的な敗戦国に転落してしまった。後の昭和の金融恐慌も金解禁不況も、いってみれば、財政的に再び敗戦国になった状況の中で無理をしたことによって招き寄せてしまった問題であった」。この記述は、今後起きると予想されている関東直下型大地震を想起させ、不気味である。

 

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2011年5月 8日 (日)

多摩市議会議員の通信簿

 東京都多摩市の「多摩市議会ウオッチングの会」が3月19日に発行した「市議会ウオッチングニュース」第54号を読んだ。今号は、議会など公開された場での議員の活動を4年間見聞きし、それをもとに、26人の議員一人ひとりの活動ぶりを評価した通信簿だという。

 通信簿を見ると、各議員ごとに政策提言度、行政チェック力、知識・調査力、意欲・態度、説明・説得力のそれぞれを5点満点で評価したダイアグラムを表示するとともに、総合評価を5段階方式でつけた。すなわち、「立派(秀)」、「よくやっている(優)」、「まあまあ(良)」、「不満(可)」、「大いに不満(不可)」のいずれかである。

 そして、見出しと26字×6行以内でのコメントとが各議員についている。見出しの例を挙げれば、「1期目の覇気衰えガッカリ」とか、「論客、市政改善の牽引車」、「言うだけのパフォーマンス」、「懸命さはあるが説得力不足」などである。「後進に道を譲る時では」というものも。

 総合評価で「立派(秀)」に該当する議員はゼロ。「大いに不満(不可)」は1人だけ。「まあまあ(良)」が15人もいた。

 4月24日に行なわれた市議会議員選挙に、この「通信簿」がどれだけ影響したのかはわからない。26人のうち、5人は出馬しなかった。この5人はそろって「まあまあ(良)」だった。選挙に立候補した21人は1人(次点)を除いて当選した。その落選者に対する「通信簿」は「不満(可)」だった。

 もしも多くの住民が通信簿を参考にして投票していたら、選挙結果はもう少し違っていたかもしれないとも思う。だが、この選挙では、みんなの党の候補者が断トツで当選し、ほかにも同党の候補者が当選している。市民の中に、従来の議員の活動に不満を抱いている層が少なからずいることを表している。「ウオッチングの会」は議員にいやがられるうえに、苦労が多い活動だが、地方自治の基礎である市議会の活性化に果たす意義は大きい。

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2011年1月26日 (水)

橋下大阪府知事の「大阪都構想」を聞いて

 25日午後、日本記者クラブで大阪府の橋下知事が会見した。しゃべり慣れているせいだろう、たて板に水のごとく、「大阪都構想」を東京のジャーナリストに説明した。わかりやすく、説得力があった。それに、橋下知事は構想力や行動力があり、若さに満ち溢れている。内閣や国会議員に若くて有能なリーダーが欠けているだけに、とても新鮮だった。

 ちょうど、この日、新潟県知事と新潟市長とが新潟州構想を発表した。愛知県と名古屋市はすでに同様の構想のもとに河村名古屋市長が動いている。日本の地方分権の見直し・強化に向けての具体的な動きが相次いで出てくる機運を感じる。

 橋下知事の会見で、同知事が強調したポイントを私なりに整理すると、一つは、「大阪都構想」は、アジアの主要都市が、都市を強くすることに懸命になっている中で、大阪もソウルなどアジア主要都市との都市間競争に負けないようにするのがねらいである。と共に、国がつくった現在の政令市という制度への挑戦である。

 いまの東京都は広域行政の部分だけを担い、市町村と特別区に権限・財源を与えて住民に身近な行政サービスを担ってもらっている形だ。区議会も区長も公選である。ところが、大阪府と大阪市の場合、大阪市は政令市なので、府とほぼ同じ権限・財源を握っている。にもかかわらず、区長は大阪市の役人がなり、区議会もない。大阪市では都道府県並みの権限・財源を握る市長が、260万の住民の身近な行政サービスまでも一手に担っているのである。

 260万人といえば、広島県などと同規模である。政令市で、知事並みの権限・財源を持つ大阪市長が、広域的な行政も、住民への身近なサービスも、すべて担うというのは本来、不可能である。戦前の東京府と東京市とはいまの大阪府と大阪市と同様の関係だった。それをいまの東京都――特別区という形に改めた。大阪も、同様な形に変えよう、そして、大阪府の特別区には、東京のそれよりも大きい権限・財源を与え、中核市並みにしようというのが橋下構想である。

 大阪府の人口および産業の集積の中心部分に大阪市がある。したがって、大阪府全体の発展を図るには、大阪市が市の都合だけで動くのではなく、府全体の立場を踏まえるのが望ましい。大阪市地下鉄の延伸、高速道路整備など公共インフラは府と市との足並みがそろわないとうまくいかない。だが、いままでは、府と市とがやたらと競争し合い、二重行政もいいところだった。いまもそうだ。

 橋下知事は大阪市の平松市長とこうした問題で何年も話し合ってきたが、らちがあかない。そこで、大阪維新の会を設立するとともに、自ら大阪市長選に出馬し(府知事には同じ志の人に立ってもらう)、大阪市と大阪府とが一緒になって「大阪都」をつくろうとしているわけだ。

 これからの日本は稼げるところでかせぐべきである。都市を強くし、その大きな経済圏同士をリニア新幹線などで結んで、あたかも一つの巨大な経済圏のようにする。そうすれば、ひと、モノ、カネがぐるぐる回るようになる。「大阪都構想」はそうした将来を展望してのもので、広域行政を「関西州」にまで広げると、大阪都は消滅する。本来、こうしたことは国の政治家が考えるべきことだが、彼らには経営、かせぐ視点がない。政治に戦略性がない。橋下知事はそうした点も槍玉にあげた。

 毎週一度、2~3時間の記者会見を行ない、それとは別に1日に3回、ぶら下がりで30分ずつ記者会見する。タウンミーティングは1日に3回、2時間ずつ。それ以外にユーチューブにも出る。それでも、メディアから「説明が足りない」と批判を受けるそうで、橋下知事は「冗談じゃない」とメディアに対して怒っていた。

 大阪市の役人天国は言語道断の域に達している。「大阪都構想」は大阪府と大阪市の合併という側面もあり、大幅な人員合理化、人件費削減、巨額の累積財政赤字の縮小、住民サービスの向上などにつながる。橋下知事に期待するところ大である。

 ついでに言えば、石原東京都知事は橋下知事に比べると精彩がないし、魅力もないですね。

 

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2010年12月 9日 (木)

有権者の“ダブルスタンダード”

 鹿児島県阿久根市の竹原市長に対するリコールが成立し、出直し市長選挙が行なわれることになった。市職員の給与が高過ぎるとして、市長がそれを引き下げようとしたのがきっかけで、市長と市議会との対立が続いていた。名古屋市でも市長と議会とが対立し、河村市長が議会解散をめざしてリコールを試みたが、成立しなかった。地域主権を求める声が強まる中で、首長と議会との二元自治の仕組みに綻びがみえてきた。

 片山総務大臣は7日の記者会見で、阿久根市の問題に関連して、「有権者の皆さんが本当に身近な自治体の行政に何を望むのかを明確にされることが必要だと思います」と述べた。全くその通りだと思う。

 片山氏は以下のような趣旨の発言をした。「自治体職員の給与は自治体の職員給与条例で決める。その条例を決めるのは議会である。発意、つまり言い出しっぺは首長だが、最終的に決めるのは議会である。その議会を構成する議員を選んだのは住民である。だから、議員たちが決めたり、承認した職員給与のレベルが高過ぎる、けしからんと言って議会を非難するのは、天につばきするような面がある」。

 「議員を選んでおいて、その人たちが決定したことなどを非難する一方で、議会なんて要らないという人たち、そういう首長にある種の共感を覚えるというのは、一種の自己矛盾がある」。

 鳥取県知事をしていたときの体験から「有権者のダブルスタンダードみたいなものを感じた。首長の選挙では、改革志向とか、しがらみのない存在であってもらいたいと思って投票する。ところが身近な議員の選挙のときには、別の基準で投票する。地縁とか、血縁とか、世話になったとか」。

 「阿久根市の竹原市長は市民の考えが問われる、と言われていたが、その部分は私も全く同感だ」。

 9日付けの朝日新聞朝刊は、全国の地方自治体が出資・設立した土地開発公社、住宅供給公社、道路公社、計1112社が7兆6461億円の借金を抱え、そのうちの4兆4082億円については自治体が債務保証していると報じている。

 国が放漫財政なら、地方も同様だ。解散して自治体が債務を肩代わりすれば、自治体財政は夕張市の二の舞になりかねない。さりとて、放置しておけば、借金の利息が積み重なり、いつの日か、自治体の財政破綻を招く。

 少なからぬ自治体が深刻な財政状況にあるが、地元住民は必ずしもそのことを理解していない。自治体の住民が首長や議会議員の活動に厳しい監視の目を向けていくことが、その地域の未来を拓くことにつながる。

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2010年11月26日 (金)

片山総務相が地方自治体の甘えにチクリ

 片山総務相は旧自治省の官僚から鳥取県知事や慶応大学教授を経て、ことし、国会議員ではないのに大臣になった。うわべはいたってソフトだが、歯に衣着せぬものの言い方をすることで知られる。その片山大臣が22日の全国知事会議で、地方自治体の甘えをきびしく批判した。

 片山大臣は24日、閣議後の記者会見でその内容を明らかにした。1つは、おカネの話になると、すぐ国に依存する地方自治体の体質について。「自治体は課税自主権を持っている。それを活用し、納税者と向き合って自前で解決すべきだ。本当に重要な仕事を付加するのに財源が要ると言ったら、本当にそれが住民のために必要なら、納税者は納得する。そういうプロセスを大切にしてもらいたい。国も国税を引き上げるのは容易ではない。にもかかわらず、自治体が国だけにそういう苦労を押し付けるのは、自主的、主体的な自立したポジションではないのでは」と批判した。

 いま1つは、地方分権とか地域主権改革の意味について。「県や市町村を強くする、知事の権限を強くする、自治体のカネ回りをよくすることが目的ではない。住民にとってより快適で、満足度の高い、ずれていない行政が実現するための改革。それが究極の目的である。身近な自治体に権限があったほうが、住民のハンドリングがきく、住民の皆さんの影響が及びやすい」。

 「そのために、国から自治体に権限を移譲し、自治体の自由度を高め、おカネもひも付きではなくて、自治体の判断で使えるおカネに変えていこうという改革作業をやっている。自治体に権限が移れば、住民は首長や地方議会議員を通じて自分たちの意思をより反映しやすい。住民の意思をより反映しやすい場所、フィールドに権限、判断権、財源などを移そうということだ。そこを忘れないで」。

 このほか、片山大臣は「地方自治には団体自治と住民自治があり、いままでやってきたのはすべて団体自治の強化。だが、もう一つの住民自治、すなわち住民の意向が自治体行政に反映しやすくなるようにするという、住民自治の強化についても取り組んでいる」と全国知事会議の場で語ったという。

 ――自治体には地方分権などへの取り組みにおいてピンからキリまである。いまもって中央政府に甘える構造が根強く残っているし、地元の賃金水準よりはるかに高い地方公務員給与(なかでも現業部門は飛びぬけて高い)切り下げにはほとんど手をつけていない。かつて知事だった経験を持つ片山総務相には、そうした地方自治体の甘えの体質がよく見えるのだろう。

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2010年10月18日 (月)

インンフルエンザ予防接種の自己負担額

 10月から全国各地でインフルエンザ予防接種が始まった。65歳以上の高齢者などに対しては、費用の個人負担額をほとんどの自治体が軽減する措置を講じている。東京都区内に住む私の場合、65歳以上ということで2200円である。軽減措置がなければ3600円かかる。では、全国各地の市町村ではいくら助成し、個人負担はいくらなのか。アトランダムに全国各地の市のホームページにアクセスし、65歳以上だけを取り出して比較してみた。

 圧倒的に多いのが個人負担額が1000円という自治体である。札幌、青森、仙台、福島、さいたま、相模原、名古屋、守山(滋賀県)、大阪、枚方、堺、神戸、松山、高知、北九州、宮崎。下関は1050円。

 それより負担額が多い市は、1300円の掛川(静岡県)、1500円の千葉、川崎、多治見(岐阜県)、2000円の横浜、2200円の武蔵野、日野、昭島(いずれも東京都下)、2600円の秋田。能代市は1000円補助(費用を3600円とすると2600円となる)。松江市は上限3600円、鳥取市は助成なしの3600円。徳島市は原則自己負担という。

 全国の市町村をすべて調べたら、どんな結果になるか大いに関心があるが、上記のデータから考え付くことは、1つには、東京およびその周辺の個人負担額は多いということである。東京都のように地方交付税交付金を受けず、せっせと国に納税しているところのほうが、住民への保障が低いというのは皮肉だ。大都市と地方とでは、大都市のほうが豊かな暮らしをしているという見方もあるが、私はそうではないと思っている。インフルエンザ予防接種補助は、それを示す例である。

 一方で、鳥取県、島根県、徳島県や秋田県のように過疎化して基礎的自治体の財政が厳しいところでは、個人負担を軽減するための助成に回すだけの財政的余裕がないということだろうか。

 ところで、インフルエンザにかかると重症化しやすい高齢者に対し、自治体が予防注射に助成措置を講ずるのは理にかなっている。だが、老人だから、気の毒だから、ということで高齢者向けの財政支出を次々に容認すると、ほかの財政支出にしわ寄せがいく。国、地方とも、財政は社会保障であろうとそうそう膨らむことが許されない状況にある。そうした目で、自治体の財政を見直したとき、住民への過剰サービスになっていはしないか、という厳しい点検が常に求められるだろう。

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2010年9月24日 (金)

地方自治のあるべき姿をわかっている片山総務相

 菅新内閣の閣僚に、国会議員でない片山善博慶応大学教授(元鳥取県知事)が入った。9月17日、初閣議後の官邸での記者会見、同日の初登庁での記者会見、そして21日の閣議後の記者会見、それらを見ると、片山総務相の地方自治・地域主権についての考えがわかる。

 片山大臣が言いたいことの1つは、地方自治には団体自治と住民自治の両方があるのに、従来の施策はもっぱら団体自治の強化だったという点だ。国と自治体の関係で、自治体の権限であるとか、自治体の判断権、決定権、自由度の強化、別の言い方をすれば、権限移譲、関与の廃止、義務付け・枠付けの撤廃、一括交付金化に取り組んできた。

 その反面、住民自治はおろそかになっていた。地方自治という車の両輪の1つ、住民自治の強化も必要だから、それを促進したい、住民投票はその1つの手法だと言う。

 片山大臣は、米国などの地方自治について語っている。歳入と歳出はつながっていて、地方政府がたくさん仕事をすれば、その費用を賄うため、増税せねばならない。仕事を減らせば(役人が少なくてすむなどで)、減税になる。大きな政府か、小さな政府かの選択でもある。どっちがいいかが住民の選択であり、政治参画である、と。日本は税率が固定されているが、それでいいのかという問題意識を皆持っているとも言う。

 地方六団体というものがある。全国知事会、全国市長会、全国町村会、および全国都道府県議会議長会、全国市議会議長会、全国町村会議長会の6つから成る。それぞれの間には地域主権改革をめぐって利害の対立がある。が、六団体ということで結束すると、対立点はさておいて、地方交付税交付金など、もっとカネを出せなどという話になりがちだ。それなのに、六団体の合意を「地方の総意」と言うことに、片山氏は「違和感がある」という。

 昔は、六団体の総意なるものは総務省の意思とほとんど変わらなかったという。そういうこともあって、全国六団体のそれぞれの事務総長は中央官庁、なかんずく総務省の天下りが多い。それにも片山氏は「違和感がある」と述べ、そういうところは「私が大臣になったから、多分、払拭できるでしょう」と語った。

 また、人事院勧告について、国家財政が破綻すれすれみたい、非常時になったときでも、人事院勧告をそのまま適用するのはいささか問題があるのではという意見もある、と指摘した。さらに、これに関連して、この勧告は従業員50人以上の企業の従業員給与をもとにしているが、これは一種の決めごとだから、基準の見直しもありうるのではないか、もっと柔軟に考える余地があると述べた。

 人事院の勧告対象は一般職の公務員である。非正規の職員は対象ではない。それに、地方公務員の場合、非正規職員のウエートが大きいので、人事委員会の勧告対象は狭くなっている。そうした点を考慮すると、人事院勧告の仕組みの見直しは検討課題の1つだと片山大臣は話した。

 片山氏は、総務省の仕事のうち、旧郵政省の分野については素人であると言い、勉強すると語った。その正直なところを買う。副大臣、政務官の補佐が必要だろう。しかし、真の地方自治をめざす姿勢は大いに評価したい。政治主導などと言っても、党内外は、わからず屋が圧倒的に多いだろうが、住民自治に根ざした地域主権の実現に向けて一歩、二歩と着実に実績を挙げてほしい。

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